ヴァスィーリコ・ロマーノヴィチ
ヴァスィーリコ・ロマーノヴィチ (古ルーシ語:Василько Романовичъ、ウクライナ語:Василько Романович、意味:ヴァスィーリコ、ロマンの子、1203年‐1269年)はリューリク朝の公の一人で、ベルズ公国の公(在位、1207年‐1211年)、ベレスチャ公国の公(在位、1221年‐1231年)、ルーツィク公国の公(在位、1229年 - 1238年)、ヴォルィーニ公国の公(在位、1238年‐1269年)、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の三代公(在位、1264年-1269年)である。
概要[編集]
ヴァスィーリコは次男として、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の初代公、ロマン・ムスティスラーヴィチと東ローマの貴族の娘、アンナの間に1203年に生まれた。
父の死後、国内は内乱に陥ったため、幼いヴァスィーリコは母と兄ダヌィーロと共にポーランドへ逃げ、ポーランドとハンガリーの君主の保護を受けた。内乱の末、ヴォルィーニ公国はポーランドに占領され、ハールィチ公国はハンガリーに征服された。ヴァスィーリコ、1221年に形の上でベレスチャで小さな領地を貰った。
1238年まで兄弟はポーランドとハンガリーと手を切り、父のハールィチ・ヴォルィーニ大公国を取り戻した。兄ダヌィーロはハールィチ公国を、弟ヴァスィーリコはヴォルィーニ公国を支配するようになった。1245年、兄弟の軍勢はヤロスラヴの戦いでハンガリー・ポーランド・ハールィチ公国の野党の連合軍に勝利し、自らの政権を安定させた。
1250年代、ヴァスィーリコは兄の反モンゴル政策に参与していた。
1264年、ヴァスィーリコはダヌィーロの死に伴ってハールィチ・ヴォルィーニ大公国の三代公となった。1269年に死去した。
妻子[編集]
1人目の妻はウラジーミル大公ユーリーの娘ドブラヴァ。2人目の妻はクラクフ公レシェク1世の娘ヘレナ。子には以下の人物がいる。
ドブラヴァの子
- ウラジーミル
- ユーリー
ヘレナの子
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リンク[編集]
- (ウクライナ語) ウクライナ歴史辞典。キエフ、1993年。