ルーシー・ベインズ・ジョンソン

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ルーシー・ベインズ・ジョンソン

Luci Baines Johnson
2016年2月
生誕 Lucy Baines Johnson
(1947-07-02) 1947年7月2日(76歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
教育 ナショナル・カテドラル・スクール英語版
ジョージタウン大学看護・保健学部英語版
セント・エドワーズ大学英語版
職業 実業家、慈善家
政党 民主党
配偶者
パトリック・ニュージェント
(m. 1966; div. 1979)

イアン・J・ターピン (m. 1984)
子供 4人
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ルーシー・ベインズ・ジョンソン・ターピンLuci Baines Johnson Turpin, 1947年7月2日 - )は、アメリカ合衆国の実業家、慈善家である。 第36代アメリカ合衆国大統領のリンドン・B・ジョンソンその妻レディ・バード・ジョンソンの次女である。

生い立ちと教育[編集]

ナタリー・ウッドスティーブ・マックイーンらとともに(1964年)

ワシントンD.C.で生まれる。姉のリンダ・バードがいる。ファーストネームはもともとは「Lucy」であったが10代の頃に両親への反抗心から「Luci」に変更した。両親は共にイニシャルが「LBJ」であったことから娘2人にもこの法則に基づく名をつけた[1]。父はディサイプルスであったが、母はエピスコパリアンであり、ルーシーとリンダはエピスコパリアンとして育った。ルーシーは18歳の時にローマ・カトリックに改宗し、条件付き洗礼英語版を受けた[2]。彼女は生後5ヶ月の時にテキサス州オースティンのエピスコパル教会の神父から水と三位一体の名で洗礼を受けていた。ローマ・カトリックの教えでは既に洗礼を受けた改宗者が2度目の洗礼を受ける必要はないとされているため、彼女の再洗礼はエピスコパル教会の有力者から抗議を受けて話題となった[3]

1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領がダラスで暗殺されたときにルーシーは16歳だった。彼女はナショナル・カテドラル・スクール英語版でスペイン語のクラスに出席しているときに暗殺のニュースを聞いた。彼女は父親の安否については知らなかったが、事件から数時間後にシークレットサービスが校内に現れ、父が第36代大統領に就任したことを理解した[1]。ルーシーはその後ジョージタウン大学看護・保健学部英語版に入学したが、1966年8月にパトリック・ニュージェントと結婚すると、同校が既婚者の在学を禁じていたために彼女は同年内に中退した[4]

キャリア[編集]

1993年以降に彼女はファミリーオフィスであるLBJアセット・マネジメント・パートナーズの取締役会長と支配人を務め、また1989年に夫と共同で設立した ビジネススイーツ英語版の取締役会長を務めている。1997年に彼女はセント・エドワーズ大学英語版でコミュニケーションのBLSを取得した[1]

彼女はさらにLBJ財団の理事を務めるほか、複数の市民団体の役員、レディ・バード・ジョンソン・ワイルドフラワー・センター英語版アメリカ心臓協会の資金調達、ボストン大学の評議員、センター・フォー・バタード・ウィメンの諮問委員会員を務めている[3]

私生活[編集]

結婚と子供[編集]

LBJ大統領図書館英語版での映画『オール・ザ・ウェイ JFKを継いだ男英語版』のプレミア上映にて(2016年)。

1966年8月6日、ルーシーは空軍州兵のパトリック・ジョン・"パット"・ニュージェントとワシントンD.C.の無原罪の御宿りの聖母教会英語版で700人の招待客の前で結婚した。この結婚式はテレビで放送されて5500万人の視聴者を集め、また1966年8月19日付の『ライフ』誌の表紙を飾った[5][6]

夫婦は息子のパトリック・リンドン(Patrick Lyndon, 1967年生)、娘のニコール・マリー(Nicole Marie, 1970年生)、レベッカ・ジョンソン(Rebekah Johnson, 1974年生)、クラウディア・テイラー・ニュージェント(Claudia Taylor Nugent, 1976年生)をもうけた。その後2人は離婚し、1979年8月にカトリック教会により婚姻が取り消された[7][8]

1984年3月3日、スコットランド生まれのカナダ人投資家のイアン・J・ターピン(Ian J. Turpin, 1944年生)と再婚した。彼はLBJランチ英語版でLBJアセット・マネジメント・パートナーズの社長を務めている。また結婚したことによりルーシーは継子をもった[8]

健康問題[編集]

2010年4月、彼女は末梢神経系に影響を及ぼす自己免疫疾患であるギラン・バレー症候群(ランドリー麻痺)と診断され、治療のためにミネソタ州ロチェスターのメイヨー・クリニックに運ばれた[9]。彼女は同年5月にテキサス州オースティンに戻った。彼女は医者から「通常よりも症状が軽い」と診断され、完全に回復した[10]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c Jarboe Russell, Jan (1998年3月). “Luci in the Sky”. texasmonthly.com. p. 1. 2015年1月4日閲覧。
  2. ^ Semple, Robert B. Jr. (1965年7月3日). “Luci Johnson, 18, Turns, Catholic; Luci Johnson, 18, Becomes Catholic”. The New York Times: p. 1. https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9C04E4DA1030E23ABC4B53DFB166838E679EDE 
  3. ^ a b Baptism of Fire, Time, July 16, 1965
  4. ^ Jarboe Russell, Jan (1998年3月). “Luci in the Sky”. texasmonthly.com. p. 2. 2015年1月4日閲覧。
  5. ^ Fritz, Maura. “Memorable Celebrity Wedding Dresses”. realsimple.com. 2015年1月4日閲覧。
  6. ^ "The Splendor of Luci's Wedding". Life. Vol. 61, no. 8. 19 August 1966. pp. 21–27. ISSN 0024-3019
  7. ^ Lady Bird Johnson, former first lady, dies at 94, Catholic priest at her bedside - Catholic Online Archived July 16, 2007, at the Wayback Machine.
  8. ^ a b “Luci Johnson Plans Marriage to Banker”. The New York Times. (1983年9月7日). https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9901E5D71238F934A3575AC0A965948260 2010年5月11日閲覧。 
  9. ^ Luci Baines Johnson hospitalized with nervous system disorder”. austin360.com (2010年4月17日). 2010年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月23日閲覧。
  10. ^ Luci Baines Johnson's recovery is good news for family, Central Texans”. Austin American-Statesman (2010年5月5日). 2012年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月23日閲覧。