ルンブン寺院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ルンブン寺院
チャンディ・ルンブン
Candhi Lumbung
Candi Lumbung
Main temple, Lumbung, 23 November 2013.jpg
ルンブン寺院の主祠堂
基本情報
座標 南緯7度44分53.3秒 東経110度29分34.6秒 / 南緯7.748139度 東経110.492944度 / -7.748139; 110.492944座標: 南緯7度44分53.3秒 東経110度29分34.6秒 / 南緯7.748139度 東経110.492944度 / -7.748139; 110.492944
宗教 仏教
セクト 大乗仏教
地区 クラテン県英語版プランバナンインドネシア語版
中部ジャワ州
 インドネシア
教会的現況 遺跡
完成 9世紀
建築物
正面
横幅 主祠堂 10m(基壇)
小祠堂 5m(基壇)
奥行 主祠堂 10m(基壇)
小祠堂 5m(基壇)
資材 石材
テンプレートを表示

ルンブン寺院(ルンブンじいん、チャンディ・ルンブン、ジャワ語: Candhi Lumbungインドネシア語: Candi Lumbung)は、インドネシアジャワ島中部にあり、プランバナン寺院群として国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産文化遺産)に登録された寺院遺跡群のあるプランバナン史跡公園(: Taman Wisata Candi Prambanan: Prambanan Archeological Complex Park)において[1]中部ジャワ州クラテン県英語版プランバナンインドネシア語版地区に位置する[2]9世紀仏教寺院である。この寺院のかつての名称は明らかではないが、地元ジャワ人が名づけた「チャンディ英語版・ルンブン (Lumbung)」の名は、ジャワ語で「米蔵(穀倉)の寺院」(: rice barn temple”)の意である[3][4]

位置[編集]

この寺院は、約8-9世紀のヒンドゥー教・仏教寺院が点在する考古学的に豊かな地域であるケウ平原英語版(プランバナン平野)にあり、プランバナン寺院(チャンディ・プランバナン、: Candi Prambanan)、別名ロロ・ジョングラン寺院(チャンディ・ロロ・ジョングラン、: Candi Roro Jonggrang〈Candi Rara Jonggrang〉)の北北東500メートル[2]セウ寺院(チャンディ・セウ、: Candi Sewu)の南約500メートル[5] (450m[2])、ブブラ寺院(チャンディ・ブブラ、: Candi Bubrah)の南150メートルに位置する[2]

歴史[編集]

ルンブン寺院は小規模ではあるが、近くにあるセウ寺院とかなりの類似性を持つ[6][7]。西暦782年ケルラク碑文英語版(クルラック碑文)がこの寺院の近くで発見されており[8][9]、碑文には、マンジュシュリー(: Mañjuśrī、文殊師利〈文殊菩薩〉)像の建立について記されていた[10][11]。記述された寺院はルンブン寺院[9]ないしセウ寺院を指すものと考えられるが[12]マンジュスリグラ碑文英語版(「mañjuśrīgṛha〈文殊師利祠堂〉」刻文[12])により792年に増拡されたとするセウ寺院の主祠堂と考える説が有力である[8]。建築構造はセウ寺院に似ており[13]、この寺院は古マタラム王国時代の9世紀に建立され、プランバナン寺院よりも古く、セウ寺院やブブラ寺院とほぼ同時代のものと考えられる。

構造[編集]

主祠堂を取り囲むプルワラ祠堂

かつて周壁内にあったと思われるルンブン寺院群は[14]、主祠堂および同心状にそれを取り囲む16基のプルワラ小祠堂により構成されている[15]。その建築構造は近くのセウ寺院のものに似る。セウ寺院やプランバナン寺院の主要祠堂と同様、この寺院の主祠堂は東向きであり、入口は寺苑の東側に位置する[16][17]。主祠堂の基壇(下層)は10メートル四方の曲折した方形(十字形[5])で、東側に突き出た階段を備える[2]。壁体部の5か所に壁龕仏龕)があり、東側の入口の両脇に[7]クベーラ: Kuwera毘沙門天)とハーリティー: Hariti、鬼子母神)像、北・西・南側には如来像が配されている[3]。主祠堂の東側正面より内陣に通じており、内陣は方形で11か所の壁龕を備える[2]。主祠堂の屋蓋(屋根)は崩壊しているが、かつては尖塔を冠していたものと考えられる[3]

この主祠堂を取り囲んでいるプルワラ小祠堂は、それぞれの基壇が5メートル四方となる同様の意匠により構築され[2]仏塔(ストゥーパ、: Stūpa)で装飾されている。しかし、四方に配置されたプルワラ小祠堂の向きについては特異なものとなる。西側の5基の小祠堂は主祠堂に向かって東方を向き、北・南側の残る4基の祠堂は主祠堂の方向に南・北を向くが、東側の小祠堂は列中央の祠堂のみが主祠堂の向かって西方向を向き、残る東側の中央両側の2基はその東側中央の小祠堂向きにそれぞれ南・北を向いている[15]

ルンブン寺院群東正面

脚注[編集]

  1. ^ プランバナン寺院遺跡公園”. ジャワ島旅行情報サイト. 2020年3月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Degroot (2009), p. 245
  3. ^ a b c Candi Lumbung” (インドネシア語). Kepustakaan Candi. Perpustakaan Nasional Republik Indonesia (2014年). 2020年3月5日閲覧。
  4. ^ SEAlang Library Javanese”. sealang.net. 2020年3月1日閲覧。
  5. ^ a b 小野 (2002)、273頁
  6. ^ 小野 (2002)、273-274頁
  7. ^ a b ジャック・デュマルセ (Jacques Dumarçay)『ボロブドゥール』西村幸夫監修、藤木良明訳、学芸出版社、1996年(原著1978, 1991〈改訂版〉)、88-89頁。ISBN 4-7615-2147-3
  8. ^ a b 小野 (2002)、271頁
  9. ^ a b Acri (2016), p. 207
  10. ^ 岩本裕「Sailendra 王朝と Candi Borobudur」『東南アジア -歴史と文化-』第1981巻第10号、東南アジア学会、1981年、 17-38頁、2020年3月5日閲覧。
  11. ^ 伊藤奈保子「ジャワの Vairocana 仏像 - 小金銅仏を中心として」『佛教文化学会紀要』第1997巻第6号、佛教文化学会、1997年、 99-129頁、2020年3月5日閲覧。
  12. ^ a b 石井和子「ボロブドゥールと『初会金剛頂経』 - シャイレーンドラ朝密教受容の一考察」『東南アジア - 歴史と文化』第2号、東南アジア学会、1992年、 3-29頁、 doi:10.5512/sea.1992.3NAID 1300037042712020年3月5日閲覧。
  13. ^ Degroot (2009), pp. 154-156
  14. ^ Degroot (2009), pp. 170 245
  15. ^ a b Degroot (2009), pp. 154 169 245
  16. ^ Degroot (2009), pp. 154 245
  17. ^ Acri (2016), p. 208

参考文献[編集]

関連項目[編集]