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ルブヌィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルブヌィ
Лубни
上段:キリスト教会(聖母誕生教会)、創立千年記念碑 中段:商店地域 下段:学校(загальноосвітня школа №10)、ルブヌィ駅
上段:キリスト教会(聖母誕生教会)、創立千年記念碑
中段:商店地域
下段:学校(загальноосвітня школа №10)、ルブヌィ駅
ルブヌィの市旗 ルブヌィの市章
市旗 市章
座標 : 北緯50度01分07秒 東経32度59分13秒 / 北緯50.01861度 東経32.98694度 / 50.01861; 32.98694
歴史
初出 988年
1783年
行政
 ウクライナ
 行政区画 ポルタヴァ州の旗 ポルタヴァ州
 市 ルブヌィ
地理
面積  
  市域 45.6 km2
標高 158 m
人口
人口 (2013年現在)
  市域 47636人
    人口密度   1050人/km2
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
郵便番号 37500-37536
市外局番 +380 5361
ナンバープレート BI, НI / 17
位置図
ルブヌィの位置(ウクライナ内)
ルブヌィ
ルブヌィ (ウクライナ)
公式ウェブサイト : lubnyrada.gov.ua

ルブヌィウクライナ語: Лубни)はウクライナポルタヴァ州の市である。

ルブヌィ地区の行政中心地であるが、ルブヌィ自体は行政上は地区に含まれず、単独でルブヌィ評議会(Лубенська міська рада)を形成する[1][注 1]。人口は2013年の時点で47636人[2]。ポルタヴァ州の中で、ポルタヴァクレメンチュークホリーシュニ・プラウニ英語版に次ぐ4位の人口規模である。

歴史

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ルブヌィは、ウクライナ最古級の市として知られる。沿スーラ川防衛線を構成する都市のひとつとして、キリスト教の受容を記念し、キエフ大公ウラジーミル1世によって988年に創建されたと言い伝えられてきた。ただし、文書として残っている最古の記録は1107年のものである[3]。当初はスラー川を見下ろす場所にある、木の塀で囲まれた小さな要塞都市だったが、急速に成長していった。

1107年8月12日、ルブヌィ近郊で起きたスラー川の戦いウクライナ語版で、キエフ大公スヴャトポルク2世およびウラジーミル2世モノマフの軍が、ボニャークシャルカンの率いるポロヴェツ族の軍を撃破した[4]

1239年、モンゴル軍の征服によって、ルブヌィの街は徹底的に破壊された。しかし、住民たちは周囲の森林や湿地帯へと逃げて、その豊かな自然のおかげで生き延びた後に街を再建した。

15世紀から16世紀ごろはヴィシュネヴェーツィクィイ家が支配していた。マクデブルク法で統治され、紋章もこのころ制定された。

1596年には、ポーランドに反乱を起こしたセヴェルィーン・ナルィヴァーイコによる最後の戦いの舞台となった(ソロニツキーの戦いウクライナ語版)[5]。17世紀までには、地域内で最大級の街となった。

フメリニツキーの乱が起きた1648年から1658年まではヘーチマン国家のミルゴロド連隊が、1658年から1781年まではルブヌィ連隊が領有し、その行政中心地となった[3]

1782年、ロシア帝国キエフ総督府英語版の管轄下で、ウエズドの一つとなる[3]。管轄は1793年に小ロシア県、1802年にポルタヴァ県に移る[6]

1901年に鉄道が通ると、ルブヌィの工業は大きく発展した。地元の新聞紙が1917年7月に発刊した[7][8]

1918年初頭にはソビエト連邦による支配が確立する[3]。その後、ドイツおよびオーストリアの軍が占領するが、第一次世界大戦の終結により撤兵した[3]

第二次世界大戦においてドイツ軍に占領された後も、ルブヌィはパルチザンの活動拠点となった[3]強制収容所は二つ存在していた[9]。1941年10月16日、ドイツのアインザッツグルッペンによって、ルブヌィのユダヤ人1000名以上が殺害された[10]。1943年9月18日にソ連赤軍が街を奪回する[3]

現代

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今日のルブヌィは工業が発達した都市であり、この地域における文化的中心地である。

工業が成長した1901年から1930年代に建てられた、自動車や農機具の製造工場の多くが、現在も操業を続けている。また、ルブヌィでは食肉製品乳製品家具、およびパンの生産が活発である。『ハルモニヤ』ブランドの乳製品工場があるほか、ルブヌィのパンはウクライナ中で知られている。

街一番のランドマークはムハールスクィー修道院英語版で、17世紀に建てられたウクライナ・バロック様式の聖堂がある。

地理

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ルヴヌィはスラー川右岸に位置し、上流1kmの位置にはムハル村(ru)、下流0.5kmの位置にはテルヌィ村(ru)がある。また対岸にはザスリッヤ村(ru)がある[注 2]。市内を自動車道1713、Т-1714、Т-1718が走り、鉄道としてはルブヌィ駅(ru)がある。

気候

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ルブヌィは温帯に属する。

ルブヌィの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 9.7
(49.5)
15.5
(59.9)
21.7
(71.1)
28.7
(83.7)
33.3
(91.9)
35.1
(95.2)
36.2
(97.2)
37.6
(99.7)
33
(91)
29.1
(84.4)
18.6
(65.5)
12.3
(54.1)
37.6
(99.7)
平均最高気温 °C°F −3
(27)
−2
(28)
3.3
(37.9)
13.3
(55.9)
20.7
(69.3)
24
(75)
25.9
(78.6)
25.1
(77.2)
19.7
(67.5)
11.8
(53.2)
4.1
(39.4)
−0.9
(30.4)
12
(54)
日平均気温 °C°F −5.9
(21.4)
−5.2
(22.6)
−0.4
(31.3)
8.4
(47.1)
15.1
(59.2)
18.6
(65.5)
20.4
(68.7)
19.2
(66.6)
13.9
(57)
7.3
(45.1)
1.4
(34.5)
−3.4
(25.9)
7.6
(45.7)
平均最低気温 °C°F −8.7
(16.3)
−8
(18)
−3.4
(25.9)
4.2
(39.6)
9.8
(49.6)
13.3
(55.9)
15.2
(59.4)
14.1
(57.4)
9.2
(48.6)
3.6
(38.5)
−1
(30)
−5.8
(21.6)
3.6
(38.5)
最低気温記録 °C°F −32.1
(−25.8)
−29.3
(−20.7)
−27
(−17)
−9.5
(14.9)
−2.4
(27.7)
2.8
(37)
4.6
(40.3)
2.7
(36.9)
−4
(25)
−8.5
(16.7)
−20.5
(−4.9)
−27
(−17)
−32.1
(−25.8)
降水量 mm (inch) 45
(1.77)
41
(1.61)
41.5
(1.634)
42.2
(1.661)
46
(1.81)
73.4
(2.89)
64.1
(2.524)
57.2
(2.252)
48.6
(1.913)
43.9
(1.728)
48.2
(1.898)
49.6
(1.953)
600.5
(23.642)
平均降水日数 (≥0.2 mm) 19.3 16.6 15.6 8.8 9.4 9.2 7.7 5.8 9 10.4 15.5 18.8 146.1
出典:[11]

行政

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ルブヌィは『地方特別市(ウクライナ語: Місто обласного значення)』に指定されていて、ルブヌィ・ラヨンではなく、ポルタヴァ州が直轄している。

市内は8つの地区に分けられている。それぞれの地区は、市の委員会によって任命された長官が責任者として行政を担う。

ルブヌィ出身の著名人

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ギャラリー

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脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ 「ルブヌィ評議会」はロシア語: Лубенский городской советからの重訳・直訳による。詳しくはru:Лубенский городской совет (Полтавская область)uk:Лубенська міська радаを参照されたし。
  2. ^ 「村」はロシア語: Селоからの訳出による。

出典

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  1. ^ Лубенська міська рада
  2. ^ Численность населения на 1 февраля 2013 года // Головне управління статистики у Полтавській області (2013).
  3. ^ a b c d e f g “Lubny” (英語). The Great Soviet Encyclopedia. (1979). https://encyclopedia2.thefreedictionary.com/lubny 
  4. ^ Л. Є. Махновця (1989). О. В. Мишанич. ed. Літопис руський. Дніпро. p. 161-162. ISBN 5-308-00052-2. http://resource.history.org.ua/item/0006367 2019年12月24日閲覧。 
  5. ^ Лепявко С.А.. “СОЛОНИЦЬКИЙ БІЙ 1596”. Енциклопедія історії України. 2019年12月24日閲覧。
  6. ^ Лубны // Большая Советская Энциклопедия. / редколл., гл. ред. Б. А. Введенский. 2-е изд. том 25. М., Государственное научное издательство «Большая Советская энциклопедия», 1954. стр.439
  7. ^ № 6800 «Красная Лубенщина» («Червона Лубенщина») // Газеты СССР 1917—1960. Библиографический справочник. том 3. М., «Книга», 1978. стр.224
  8. ^ Газеты дореволюционной России 1703—1917. Каталог. СПб., 2007. стр.91
  9. ^ Концентрационные лагеря, образованные на территории СССР немецко-фашистскими захватчиками в 1941-1944 гг. Список составлен по материалам Чрезвычайной Государственной Комиссии (ЧГК) // газета "Судьба", июнь 1995. стр.3-6
  10. ^ United States Holocaust Museum, Einsatzgruppen (Mobile Killing Units) Archived 2009-05-07 at the Wayback Machine.
  11. ^ Lubny, Ukraine”. Weatherbase. 2019年12月22日閲覧。

関連項目

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