ルイス・アントニオ・ガルシア・ナバロ

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ルイス・アントニオ・ガルシア・ナバロ
生誕 (1941-04-30) 1941年4月30日
出身地 スペインの旗 スペインバレンシア県 チバ英語版
死没 (2001-10-10) 2001年10月10日(60歳没)
学歴 ウィーン音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

ルイス・アントニオ・ガルシア・ナバロ(Luis Antonio García Navarro, 1941年4月30日 - 2001年10月10日[1]は、スペイン指揮者

経歴[編集]

1941年、バレンシア県 チバ英語版生まれ。バレンシア音楽院とマドリード音楽院でオーボエ、ピアノと作曲を学んだ後、ウィーン音楽院ハンス・スワロフスキーカール・エステルライヒャーに師事。1967年のブザンソン国際指揮者コンクールのジュニア部門で優勝。1970年から1974年までバレンシア市管弦楽団、1976年から1978年までポルトガル放送交響楽団の各音楽監督を務めた。1987年からシュトゥットガルト国立歌劇場の音楽監督となったが、1991年にスペインに戻り、バルセロナ市立管弦楽団の首席指揮者となった。1997年からテアトロ・レアルの音楽監督となった。

2001年、マドリードにて没。

日本での演奏[編集]

1992年5月27日 東京芸術劇場にてバルセロナ市立管弦楽団を指揮している。その際の曲目は以下のとおり。

  • 舞踊音楽「恋は魔術師」から (ファリャ)
  • アランフェスの協奏曲(ロドリーゴ) ※ギター 山下和仁
  • 舞踊舞曲「三角帽子」第2部(ファリャ)
  • ボレロ(ラヴェル)

脚注[編集]

  1. ^ nytimes.com