カール・エスターライヒャー

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カール・エスターライヒャーKarl Österreicher1923年1月3日 - 1995年3月11日[1])は、オーストリアの指揮の教育家・指揮者クラリネット奏者。ローアバッハ・アン・デア・ゲルセン生まれ。

カール・ベーム音楽監督を務めていた時代にウィーン国立歌劇場管弦楽団の第2クラリネット奏者として入団するが、ベームと衝突して首席クラリネットに上がれないまま退団する。

その後、指揮者に転向し、ウィーン国立音楽大学ハンス・スワロフスキーのアシスタントを務め、教授の指揮活動で忙しい中、当時のクラウディオ・アバドズービン・メータジュゼッペ・シノーポリローター・ツァグロセクなどの生徒のレッスンを代講する。ハンス・スワロフスキーの死後に指揮科の教授に昇格。現在中堅のペーター・シュナイダーヘスス・ロペス=コボスアダム・フィッシャーイヴァン・フィッシャーの兄弟、マリス・ヤンソンスガルシア・ナヴァロなどの生徒を教える。なお晩年はプライヴェートでプラシド・ドミンゴらにも指揮を教えていた。現在、ウィーン国立音楽大学指揮科助教授の湯浅勇治も弟子の一人である。

その指揮振りはオーソドックスで模範的なもので、どんなタイプの、またどのパートのオーケストラ音楽家にも容易く受け入れられるタイプであり、いわゆるカラヤンバーンスタイン方式を採用し、その生徒の個性的な指揮振りを壊さないような教育法であった。いろいろな名指揮者の分析も欠かさずとりあげ、また実際にホルスト・シュタインヴァーツラフ・ノイマンらを客演教授として招待し、生徒には午前中はピアノを使った指揮のレッスン、午後は毎日のように学生オーケストラを振らせて授業を進めていた。

指揮者での活動は少ないが、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団オーストリア放送交響楽団等の客演がみられる。学生オーケストラは指揮科主任教授として、ベルリン国立歌劇場NHK交響楽団などの仕事の忙しい同僚のオトマール・スウィトナーを差し置いて、当時すべて統括していた。

1995年にザンクト・ペルテンの病院で死去した。

脚注[編集]

  1. ^ Österreicher, Karl”. Österreich Lexikon. aeiou. 2013年10月14日閲覧。