リュグマジョー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Llucmajor


 バレアレス諸島州
 バレアレス諸島県
面積 327.33 km²
標高 151m
人口 35,057 人 (2016年)
人口密度 107.1 人/km²
Llucmajorの位置(スペイン内)
Llucmajor
Llucmajor
スペイン内の位置
Llucmajorの位置(バレアレス諸島内)
Llucmajor
Llucmajor
バレアレス諸島県内の位置

北緯39度29分24秒 東経02度53分29秒 / 北緯39.49000度 東経2.89139度 / 39.49000; 2.89139座標: 北緯39度29分24秒 東経02度53分29秒 / 北緯39.49000度 東経2.89139度 / 39.49000; 2.89139

リュグマジョーカタルーニャ語: Llucmajor: カタルーニャ語発音: [ʎuɡməˈʒo, ʎumːəˈʒo], スペイン語: Lluchmayor)は、スペインバレアレス諸島州ムニシピマヨルカ島南部に位置する。公式名はカタルーニャ語名のLlucmajor

地理[編集]

ランダ山

リュグマジョーの自治体はパルマ・デ・マヨルカの南東に接している。リュグマジョー地区の北東には特徴的な形状のランダ山スペイン語版があり、この山は13世紀の哲学者・ラモン・リュイが改心後に苦行を行ったことで知られている[1]。自治体の面積は327.33km2であり、バレアレス諸島州でもっとも面積の大きな自治体である。2015年の人口は34,618人。

地区[編集]

自治体名と同名のリュグマジョー地区、サラナール地区、カーラ・ブラーバ地区、カーラ・ピ地区など16の地区からなる。中心となる地区はリュグマジョー地区であり、自治体庁舎が置かれている。リュグマジョー地区は地中海から約15km内陸にあり、パルマ・デ・マヨルカとマヨルカ島東岸のサンタニーを結ぶMa-19号線沿いにある。サラナール地区、サ・トーレ地区、バディア・グラン地区、バディア・ブラーバ地区などは地中海岸にあり、サラナール地区はヨットハーバーを有する。

  • リュグマジョー地区(13,044人)
  • サラナール地区(10,303人)
  • サ・トーレ地区(2,742人)
  • バディア・グラン地区(1,988人)
  • バディア・ブラーバ地区(1,727人)
  • ラス・パルマレス地区(1,268人)
  • マイオリス・デシマ地区(993人)
    • 人口は2009年。
  • プッチ・ダ・ロス地区(984人)
  • ソン・ベリ・ノウ地区(819人)
  • カーラ・ピ地区(596人)
  • トゥリェリック地区(525人)
  • サスタニョール・デ・ミグジョルン地区(377人)
  • カーラ・ブラーバ地区(357人)
  • ベリャビスタ地区(355人)

歴史[編集]

タライオティック文化の遺跡

リュグマジョーは「大きな森」を意味するラテン語の「lucus maioris」に由来するとされる[2]。リュグマジョーの南には先史時代の遺跡があり、この遺跡は青銅器時代の活動で知られている[2]鉄器時代にはマヨルカ島有数の集落があり、タライオティック文化英語版が栄えた[2]。その後はフェニキア人、ギリシア人、カルタゴ人、ローマ人がこの地域で影響力を有した[2]。マヨルカ島は902年にイスラーム教徒のコルドバ首長国の支配下に入り、モントゥイリスペイン語版の町の傘下でリュグマジョーにはイスラーム教徒の農場が存在した[2]

1229年にはキリスト教徒のアラゴン王ハイメ1世がマヨルカ島を征服。1259年にはリュグマジョーに初めて教会が建設された。1300年にはマヨルカ王ジャウメ2世によって「町」の称号が与えられた。1349年にはアラゴン王ペドロ4世がマヨルカ王ジャウメ3世スペイン語版を破り、マヨルカ王国の独立は終わりを告げた。1349年10月25日に起こったリュグマジョーの戦い英語版では、ジャウメ3世がリュグマジョー北東の戦場で殺されている。当初、ジャウメ3世はリュグマジョーの教区教会に埋葬されたが、今日ではパルマ・デ・マヨルカパルマ大聖堂に埋葬されている。

1916年から1964年まで存在したリュグマジョー駅

1543年、カルロス1世はリュグマジョーに「市」の称号を与え、水曜日と金曜日に市場を開く権利を与えた。14世紀から18世紀にはマヨルカ島の沿岸に海賊が頻出し、いくつもの物見櫓が建設された[2]。17世紀にはサン・ボナベントゥーラ修道院が建設され、フランシスコ会によって別の修道院も建設された[2]。1781年にはサン・ミケル教区教会の建設が始まり、イシドロ・ゴンサーレス・ベラスケスが設計した[2]

1916年10月3日の王令ではアルフォンソ13世によって「市」の称号が与えられた[2]。1916年10月には新たな市場が建設され、パルマとサンタニーを結ぶ鉄道が開通してリュグマジョーにも駅が設けられた[2]。同年11月にはこの地域初の発電所「エル・ポルベニール」が完成した[2]。1964年にはパルマとサンタニーを結ぶ鉄道が廃線となり、リュグマジョー駅も廃止された。

経済[編集]

20世紀最初の10年間には多くの土地が分割され、それらの土地にはアーモンドの木が植えられた[2]。20世紀には靴製造の中心地として発展したが、今日では靴製造は実質的に消滅しており、その他の工業が主体となっている[2]バレアレス諸島カナリア諸島などで定期便を運航していたエア・ヨーロッパは、リュグマジョー市街地の2km西にある工業地域に本社を置いている[3][4]。この工業地域はMa-19号線に直結しており、ワインの卸売業者であるムンディドリンクス、自動車修理のマヨルカ・カルテックなども立地している。

行政[編集]

首長一覧(1979-)
任期 首長名 政党
1979–1983 Miguel Clar Lladó UCD
1983–1987 Antonio Zanoquera Rubí AP
1987–1991 Joan Montserrat Mascaró PSOE
1991–1995 Gaspar Oliver Mut PP
1995–1999 Gaspar Oliver Mut PP
1999–2003 Lluc Tomás Munar PP
2003–2007 Lluc Tomás Munar PP
2007–2011 Lluc Tomás Munar(07-08)
Joan Cristòfol Jaume Mulet(08-11)
PP
PP
2011–2015 Joan Cristòfol Jaume Mulet PP
2015–2019 Jaume Tomàs Oliver MESスペイン語版
2019– n/d n/d

出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Diccionario Enciclopédico Salvat. vol VIII. Barcelona, 1941
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m History 公式サイト
  3. ^ "Fact Sheet Archived 2009年2月26日, at the Wayback Machine.." SkyTeam. Retrieved on 27 December 2008.
  4. ^ World Airline Directory. Flight International. 16–22 March 2004. "62."

外部リンク[編集]