ヨハネス・クヌッセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ヨハネス・クヌッセンJohannes Knudsen, 1917年12月22日 - 1957年2月10日)は、デンマークフレゼリクスハウン出身の船員和歌山県日ノ御埼沖での海難救助活動中に殉難した。その勇敢な行動は顕彰され、日本とデンマークの友好と交流の象徴として語られる。

遭難[編集]

1957年2月10日午後9時40分頃、名古屋港から神戸港へ向かっていた、デンマークの海運会社マースク社所属の貨物船エレン・マースク号(Ellen Maersk)は、和歌山県日ノ御埼沖の紀伊水道を航行中、徳島県浅川機帆船(木材運搬船)「高砂丸」が炎上しているのに遭遇した。風速20mを越える強風の中、エレン・マースク号は「高砂丸」乗組員の救助作業に当たった。エレン・マースク号は救命艇を下して高砂丸船長を救出するものの、力尽きた高砂丸船長はエレン・マースク号の縄梯子から海中に転落した。エレン・マースク号に機関長として乗り組んでいたクヌッセンは、高砂丸船長を救うべく海中に飛び込んだが、そのまま波間に没した。翌朝クヌッセンは、エレン・マースク号の救命艇とともに、和歌山県日高町田杭地区(日ノ御埼の北側にあたる)の浜に遺体となって打ち上げられた(39歳没)[1]

この海難事故では、高砂丸の船員3名全員とクヌッセンの4名が犠牲となった。

顕彰[編集]

日本の船員を救おうとして殉難したクヌッセンの行動は、当時の日本で大きな話題となり[2]、日本政府は勲五等双光旭日章を贈った。

和歌山県[編集]

事故の翌1958年には、事故現場を望む紀伊日ノ御埼灯台付近の日の岬パーク(美浜町)内に「クヌッセン機関長顕彰碑」が建てられた。また、1962年には関西デンマーク協会の呼びかけによる義捐金で胸像が建てられている。顕彰碑・胸像のある一角は、「クヌッセンの丘」と呼ばれている。毎年2月には、地元のヨハネス・クヌッセン遺徳顕彰会による慰霊献花式が行われている。

遺体が打ち上げられた日高町阿尾田杭には「クヌッセン機関長遺骸発見の地」と記された供養塔が建てられ、その傍らの保管庫には救命艇が保存されて、地区の人々によって守られてきた[1]。2012年には県道拡幅工事に伴い、保管庫を新築移転している[3]

和歌山県では、クヌッセンの勇敢な行動と無私の人類愛を讃える歌が2つ作られ、郷土史の副読本等で語られるなど知名度が高い。2002年サッカー・ワールドカップの日韓共催大会では、デンマーク代表和歌山市でキャンプを行ったこともあり、クヌッセンの縁が想起された[4][3]

徳島県[編集]

高砂丸の母港だった徳島県海南町浅川(現:海陽町)でも、1959年に海南町が頌徳碑を建立している。現在浅川漁村センターにあるこの碑は、地元の浅川小学校(2011年閉校)の児童によって清掃と献花が行われていた。

デンマーク[編集]

2007年には海難後50年を記念し、郷里フレゼリクスハウンバングスボー博物館内の海事博物館にクヌッセン機関長記念コーナーが設けられた。

脚注[編集]

  1. ^ a b ありがとう ヨハネス・クヌッセン機関長”. 日高町教育委員会. 2014年4月15日閲覧。
  2. ^ 参議院会議録情報 第26回国会 運輸委員会 第3号”. 参議院 (1957年2月19日). 2012年2月11日閲覧。
  3. ^ a b 仁坂吉伸 (2012年4月). “クヌッセン機関長とサッカー”. 知事からのメッセージ. 和歌山県. 2014年4月15日閲覧。
  4. ^ ヨハネス・クヌッセン機関長の遺徳を顕彰する決議”. 和歌山県議会 (2007年3月7日). 2012年2月11日閲覧。

外部リンク[編集]