ヨアヒム・クロル

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ヨアヒム・クロル
Joachim Kroll
個人情報
別名 Ruhr Cannibal (Ruhrkannibale)
Duisburg Man-Eater
(Duisburger Menschenfresser)
生誕 (1933-04-17) 1933年4月17日
ドイツの旗 ドイツ国
オーバーシュレージエンドイツ語版ヒンデンブルク
死没 (1991-07-01) 1991年7月1日(満58歳没)
ドイツの旗 ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州
ライン=ジーク郡ドイツ語版ラインバッハドイツ語版
死因 心筋梗塞
有罪判決 殺人罪殺人未遂
判決 無期刑
殺人詳細
犠牲者数 8人:自供13人
犯行期間 1955年1976年7月3日
西ドイツの旗 西ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州
逮捕日 1976年7月3日

ヨアヒム・クロルJoachim Kroll, 1933年4月17日 - 1991年7月1日)は、Ruhr CannibalRuhrkannibale)もしくはDuisburg Man-EaterDuisburger Menschenfresser)として有名なドイツシリアルキラーカニバリスト。8人を殺した罪で有罪判決が出ているが、のちに殺した人間は合計13名だと自供している。

生涯[編集]

幼少期[編集]

オーバーシュレージエンドイツ語版ザブジェ(ヒンデンブルク)(現ポーランド)に住む、鉱夫の8人の子どもの末っ子として生まれた。病弱で夜尿症があり、学校の成績も最低で、小学校の第三学年に到達しただけだった(後に精神科医たちが彼の IQが76であることを証明した)。第二次世界大戦後、ドイツ人追放によりクロルの家族はドイツノルトライン=ヴェストファーレン州に引っ越した。

犯罪歴[編集]

母親の死後の1955年、彼はヴァルシュテッデ村の郊外で19歳の少女イルムガルト・シュトレールを強姦の上に殺害した。これが彼の最初の殺人である。1960年頃、クロルはデュースブルクへ行き、マンネスマン(ドイツの重工業機械メーカー)で、トイレ係の仕事に就いた。その後ティッセン(ドイツの鉄鋼メーカー)に転職。デュースブルクのフリーゼン通り24番地に移り、殺人を再開した。

彼は極度の神経質で、普通の成人女性と正常な性行動を営むことができなかった。その結果、完全に無抵抗な女性、つまり死者とでなければ交わることができなかったという。

被害者[編集]

  • 1955年 2月8日 - イルムガルト・シュトレール(Irmgard Strehl) 19歳
レイプした後、刺殺。内臓を取り出された遺体がリュディングハウゼンの納屋で見つかった。
  • 1959年 6月16日 - クララ=フリーダ・テスマー(Klara Frieda Tesmer) 24歳
w:Rheinhausen近くにあるライン川の草地で殺害。機械工ハインリヒ・オット(Heinrich Ott)が誤認逮捕された。なお、オットは刑務所の中で首吊り自殺をした。
エッセンの公園で強姦・絞殺。彼女の遺体から臀部と太腿が切り取られていた。
  • 1962年 - バルバラ・ブルーダー(Barbara Bruder) 12歳
ブルシャイトで誘拐されて以来、遺体はいまだに見つかっていない。
ディンスラーケンでレイプし、絞殺。遺体からは両方の臀部と左の前腕が切り取られていた。ヴィンツェンツ・キューン(Vinzenz Kühn)が誤認逮捕され、有罪判決が出た。
ヴァルズムで殺され、遺体から臀部と内股が切り取られていた。ヴァルター・クヴィッカー(Walter Quicker)が誤認逮捕され、後に釈放されたが、10月、近隣の住人からのプレッシャーに耐え切れず自殺。
  • 1965年 8月22日 - ヘルマン・シュミッツ(Hermann Schmitz)とマリオン・フェーン(Marion Veen)
デュースブルクのlover's laneの電車に座っていたところをクロルに襲われる。なお、ヘルマンは、クロルによる唯一の男性の犠牲者である。彼の恋人であるマリオンは逃走。
Marl近郊のen:Foersterbusch Parkにて絞殺。恋人のアドルフ・シッケル(Adolf Schickel)は警察に誤認逮捕された際、自殺を図った。
レイプされ、ブッパータールの溝に落とされる。遺体からは臀部と肩が切り取られていた。
en:Hückeswagenでレイプ・絞殺。
  • 1970年5月21日 - ユッタ・ラーン(Jutta Rahn) 13歳
駅から家に帰る途中に絞殺。ペーター・シャイ(Peter Schay)が誤認逮捕されたが釈放。
  • 1976年 - カリン・テプファー(Karin Toepfer) 10歳
en:Voerdeでレイプされ絞殺。
クロル逮捕時、遺体の一部が煮込まれていた。

逮捕[編集]

1976年7月3日、遊園地で遊んでいたマリオン・ケッターが行方不明になる。母親からの訴えを受けた警察は、行方不明になる直前のマリオンが穏やかそうな風貌の中年男性と話していたとの目撃情報を頼りに聞き込みを開始する。そんな中、あるアパートの店子がこう証言する。

「隣に住むヨアヒム・クロルという男が、『アパートの最上階の便所に臓物が詰まって使えない』と言っていました」。

そのクロルの話では、便所に詰まっているのは内臓だという。警官が配管工を伴って調べたところ、便所には実際に幼児の腸が詰まっていた。さらに冷凍庫にはビニール袋に小分けした人肉が貯蔵され、レンジの鍋ではニンジンやジャガイモと共に幼児の手が煮込まれていた。警察は即座に彼を連行した。煮込まれた手はマリオンのものだった。

その際、クロルは「女性に危害を加えなくなる手術を手早く済ませてくれ、夕食に間に合わなくなる!」と叫んだという。

裁判・晩年[編集]

やがてマリオン・ケッターの殺害を認め、殺された14名と、逮捕までの2年間におきた1件の殺害未遂ついても供述した。

クロルは警察に対し、犠牲者の遺体をスライスしては調理して自分で食べて食費を浮かしたと話した。そして、自身の食人はアメリカのシリアルキラー・アルバート・フィッシュとは異なり、性的な動機によるものではないとも付け加えた。

拘束時、彼は自分の殺人欲をいやすために軽い手術を行い、釈放されると信じていたが、実際のところ彼は8つの殺人事件と1つの殺害未遂事件に問われ、1982年4月、151日の審議が行われた結果、彼は9つの無期刑に課せられた。1991年、ボン郊外のラインバッハ (en:Rheinbach) の刑務所で心筋梗塞のため死去。58歳没。

参考資料[編集]

  • Stephan Harbort, "Ich musste sie kaputtmachen". Anatomie eines Jahrhundertmörders; Düsseldorf (Droste) 2004 (ISBN 3-7700-1174-0)
  • Dunning, John (1992). “Little Girl Stew”. Strange Deaths. City: Mulberry Editions. ISBN 1873123132. 
  • 『カニバリズム』ブライアン・マリーナ 青弓社 1993年