ムハンマド・ラクマン

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ムハンマド・ラクマン
Rachman-preparing.jpg
基本情報
本名 ムハンマド・ラクマン・スワラディン
通称 Predator (捕食者)
The Rock Breaker
階級 ライトフライ級
身長 160cm
リーチ 150cm
国籍  インドネシア
誕生日 (1971-12-23) 1971年12月23日(45歳)
出身地 パプア州
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 81
勝ち 64
KO勝ち 33
敗け 12
引き分け 5
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ムハンマド・ラクマン・スワラディンMuhammad Rachman Sawaludin1971年12月23日 - )は、インドネシアプロボクサー

IBF世界ミニマム級王者。元WBA世界ミニマム級王者。「Predator (捕食者)」の異名を持ち、全盛期の頃は打ち合うスタイルだったが、経験を重ねるにつれて距離を取ったりインファイトもできる幅広い戦略を駆使した戦い方が武器になっている。ボクシングのプロモーターとしても活躍しムハンマド・ラクマンズ・スピットを主催している。

来歴[編集]

1993年1月14日、インドネシアでプロデビューした。

活動拠点はほぼインドネシア国内で1999年1月10日、インドネシアミニマム級王座を獲得。

2000年12月1日、IBFパンパシフィックミニマム級王座を獲得した。

2004年9月14日ジャカルタのブリタマ・アリーナでIBF世界ミニマム級王者ダニエル・レイジェスと対戦し、12回2-1(114-117、116-114、115-114)の判定勝ちで王座を獲得に成功した。

2005年4月5日パプア州メラウケのTHR - アミューズメント・パーク・ハサナブ・サイで元IBF世界ミニマム級王者ファーラン・サックリンと対戦し、3回に両者の頭が激突し、偶然のバッティングにより試合続行不可能となった為、3回1分負傷判定で引き分けとなり初防衛に成功した。

2006年5月6日オマール・ソトと対戦し、6回1分4秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

2006年12月23日ベンジー・ソロラと対戦し、7回2分10秒TKO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

2007年7月7日フローレンテ・コンデスと対戦し、3回と10回にダウンを奪われ12回1-2(111-115、112-114、114-112)の判定負けを喫し4度目の防衛に失敗した。

2008年6月28日、後のWBC世界フライ級シルバー王者でIBO世界スーパーフライ級王者のエドリン・ダプドンと対戦し、10回3-0(96-95、97-95、97-94)の判定勝ちを収めた。

2009年3月14日、自身初の海外試合がフィリピンのリングに登場。セブ州セブ市ウォーターフロント・セブシティ・ホテル&カジノで後のWBOインターナショナルフライ級王者ミラン・メリンドと対戦し0-3の判定負けを喫した。

2009年5月29日タイプーケット県カトゥー郡のバングラ・ボクシング・スタジアムでWBC世界ミニマム級王者オーレイドン・シスサマーチャイに挑戦。11回2分10秒、12回0-3(101-106、2者が103-105)の負傷判定負けを喫しIBFに続くWBC王座獲得に失敗した[1]

2010年9月25日、1年4か月振りの再起戦でWBCインターナショナルミニマム級王者のデンバー・クエリョと対戦し、5回にダウンを奪われると一方的にクエリョペースになり、9回クエリョの猛攻にさらされるとレフェリーが試合をストップした。キャリア初のKO負けとなる9回1分3秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。

2011年1月24日サマートレック・チャイヨンジムと対戦し、6回判定負けを喫し、4連敗となった。

2011年4月19日バンコクのクルンテープ・トンブリ大学でWBA世界ミニマム級王者クワンタイ・シッモーセンに挑戦。試合前の前評判は圧倒的にホームのクワンタイ優位だった。序盤はクワンタイペースで試合が進んで2回にはダウンを奪われた。しかし中盤からラクマンが試合をひっくり返し8回からは完全にラクマンペースになり、8回終了時のスコアは0-3(2者が72-80、73-78)とクワンタイの優勢だった。勝つにはKOしか無くなったラクマンは9回にクワンタイから初ダウンを奪った。最後はボディーショットでダウンを奪い相手はそのまま悶絶し、カウントアウトで試合終了。9回1分29秒大逆転KO勝ちでIBF王座に続く王座獲得に成功し、6年振りの王座戴冠を果たした[2]

2011年7月30日ジャカルタのインドシアル・スタジオでポンサワン・ポープラムックと対戦。試合は互角に進み大接戦になり、12回0-2(114-114、113-115、114-115)の判定負けで初防衛に失敗し王座から陥落した。しかし、判定に納得できないラクマン陣営がジャッジ・レフェリー・立会人を取り囲んで猛抗議するが、裁定の結果は変わらずポンサワン勝利を発表。収まらないラクマン陣営はダイレクトリマッチを認めるようにWBAに申請し認められたが、その後ポンサワンが八重樫東に敗れたためダイレクトリマッチは消滅した。

その後現役引退を表明するも、2013年初頭に引退を撤回し現役復帰を表明した。

2013年7月6日、2年振りの復帰戦をパプア州メラウケで行い、2回TKO勝ちを収め復帰戦を白星で飾った。試合後ラクマンはデビューからの階級であったミニマム級からライトフライ級に転向しインドネシアのプロボクサーとして初の2階級制覇を目指すことになった。

2014年2月21日ジャカルタのワリンギン・スポーツ・ホールでIBOインターナショナルライトフライ級王座決定戦をトンタイレック・ソー・タナピンヨーと対戦し8回・11回・12回の計3度のダウンを奪い、最後、レフェリーがストップし王座獲得に成功した。

2015年2月10日、WBAは最新ランキングを発表し、ラクマンをWBA世界ミニマム級9位にランクインした[3]

2015年3月5日チョンブリー県のチョン・インター・ホテルでWBA世界ミニマム級暫定王者ノックアウト・CPフレッシュマートと対戦し、12回0-3(112-117、111-119、109-119)の判定負けを喫し4年ぶりの王座返り咲きに失敗した[4]

2015年3月18日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のノックアウト・CPフレッシュマート戦に敗れ王座返り咲きに失敗したラクマンはWBA世界ミニマム級13位にランクインした[5]

獲得タイトル[編集]

  • インドネシアミニマム級王座
  • IBFパンパシフィックミニマム級王座
  • IBO世界ミニマム級王座
  • IBF世界ミニマム級王座(防衛3度)
  • WBA世界ミニマム級王座(防衛0度)
  • IBOインターナショナルライトフライ級王座

脚注[編集]

  1. ^ オーレイドン、元王者に負傷判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月1日
  2. ^ 王座交代、39歳ラクマン新王者-WBA105 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年4月20日
  3. ^ World Boxing Association Ranking WBA公式サイト 2015年2月10日
  4. ^ Thai Knockout CP Freshmart retains interim belt WBA公式サイト 2015年3月5日
  5. ^ World Boxing Association Ranking WBA公式サイト 2015年3月18日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
ダニエル・レイジェス
IBF世界ミニマム級王者

2004年9月14日 - 2007年7月7日

次王者
フローレンテ・コンデス
前王者
クワンタイ・シッモーセン
WBA世界ミニマム級王者

2011年4月19日 - 2011年7月30日

次王者
ポンサワン・ポープラムック