ミシェル・セルヴェ

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ミシェル・セルヴェ

ミシェル・セルヴェフランス語: Michel Servet, Michel de Villeneuve, アラゴン語: Miguel Serveto y Conesa, カタルーニャ語: Miguel Serveto Conesa, Miquel Servet, スペイン語: Miguel Servet, Miguel Serveto (y Reves), Miguel de Villanueva, イタリア語: Michele Serveto, 1511年9月29日 – 1553年10月27日)は、宗教改革期の人文主義者医師神学者。セルヴェはフランス語の名で、スペイン語ではミゲル・セルベート(Miguel Serveto)、ラテン語ではミカエル・セルヴェトゥス(Michael Servetus)。

1531年に匿名の小著作『七つの書物における三位一体説の誤謬』で三位一体を疑問視し否定し、1553年の名前を明かした大著『キリスト教の復原』でカトリックと改革派、両方の権力体制を、真のキリスト教が堕落したものと批判したため、カトリックプロテスタントの双方から異端とされ、投獄され逃亡[1]。亡命中にジャン・カルヴァンが独裁統治していたジュネーヴに到着するとすぐに捕らえられ、裁判で火あぶりの判決を受け、刑に処せられ死亡した[1]

最も早く血液循環について書いたことで知られる[2]。『七つの書物における三位一体説の誤謬』はオランダの地下印刷所で大量に印刷されて広く読まれ、当時の神学思想に非常に大きな衝撃と影響を与えた[2]

セルヴェの神学思想は極めて独創的なもので、当時の他の異端者とも異なっていた。神は普遍的で遍在的、不可分で唯一であり、父・子・聖霊は神の三つの位相であり、完全であり、慈悲深く善であり、生気に満ちたものであれ生気のないものであれ、あらゆるものに内在し、全ての存在はこの「中心の力」によって活性化され、本性を得ている。宇宙にある一切は神であり、全ては神の表現であるがゆえに人間も神聖であるとした。この宇宙に二元性はなく、悪は単に欠如に過ぎず、実質的な意味はないと考えた。[3]

マーチン・A・ラーソン英語版は、現代では世界中に広まっているニューソート思想を最初に表したのは彼であると述べている[4]。また、三位一体説を受け入れなかったイギリスの詩人ジョン・ミルトンの神学論文の主な源泉はセルヴェであるという[2]

経歴[編集]

ミシェル・セルヴェの記念碑

アラゴン王国生まれ。トゥルーズに出て法律を学び、パリにて、彼をして「解剖においてアンドレアス・ヴェサリウスの最も有能な助手」と言わしめたジャン・フェルネルフランス語版英語版らの下で医学を学んだ。イタリアドイツなど各地に行き、その中で宗教改革の思想にふれ、カトリックの教義に疑問を持つようになった。古代ギリシアを研究し、プトレマイオス地理学やギリシア医学に関する著作を刊行した。[要出典]

1531年に名前を隠して『七つの書物における三位一体説の誤謬』(De Trinitatis erroribus libri septem)という中世ラテン語の小冊子を出版し、神における三人格の三位一体に疑いを投げかけ、否定した。この冊子の作者として発覚したり罰を受けることはなかったようであるが、続いて1553年に『キリスト教の復原』(Restitutio Christianismi)という大著を出版し、カトリックと改革派双方の権力体制を本来のキリスト教の堕落であると批判。この本の中で血液循環説について書いている。[1]

イタリアのミラノで投獄されたが、級友であった刑務所長の助けで脱獄、欠席裁判で火刑の判決が下った。北のスイスに逃亡し、ジュネーヴに身を寄せたところをすぐに捕らえられ、裁判で火刑の判決を受け、執行され焼死した。[1]

セルヴェの死の約400年後、長老派教会は彼が処刑された場所に記念碑を建立した[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c d ラーソン 1990, pp. 20-21.
  2. ^ a b c ラーソン 1990, p. 21.
  3. ^ ラーソン 1990, pp. 23-24.
  4. ^ a b ラーソン 1990, p. 24.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]