マリア・ヨーゼファ・フォン・ポルトゥガル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
マリア・ヨーゼファ・フォン・ポルトゥガル
Maria Josepha von Portugal
ブラガンサ家
Infanta de Portugal.jpg
マリア・ヨーゼファ(1880年頃)
称号 バイエルン公妃
全名 葡語:Maria José Joana Eulália Leopoldina Adelaide Isabel Carolina Micaela Rafaela Gabriela Francisca de Assis e de Paula Inês Sofia Joaquina Teresa Benedita Bernardina
マリア・ジョゼ・ジョアナ・エウラリア・レオポルディナ・アデライデ・イザベル・カロリーナ・ミカエラ・ラファエラ・ガブリエラ・フランシスカ・デ・アシス・デ・パウラ・イネス・ソフィア・ジョアッキーナ・テレサ・ベネディータ・ベルナルディナ
出生 (1852-08-05) 1852年8月5日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国ヴェルトハイム、ブロンバッハ村
死去 (1943-03-11) 1943年3月11日(85歳没)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国ミュンヘン
配偶者 カール・テオドール・イン・バイエルン
子女 ゾフィー
エリーザベト
マリー・ガブリエーレ
ルートヴィヒ・ヴィルヘルム
フランツ・ヨーゼフ
父親 ミゲル1世
母親 アーデルハイト・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

マリア・ヨーゼファ・フォン・ポルトゥガルMaria Josepha von Portugal, 1857年3月19日 - 1943年3月11日)は、バイエルン公カール・テオドールオーストリア皇后エリーザベトの弟)の2度目の妃。ベルギー王妃エリザベートの母。

ポルトガル語名マリア・ジョゼ・デ・ブラガンサ(Maria José de Bragança)。

生涯[編集]

ポルトガルの廃王ミゲル1世とその妃であるレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯女アデライデの娘として、ブロンバッハで生まれた。

1874年4月29日に、オーストリア皇后エリーザベトの弟であるバイエルン公カール・テオドール・イン・バイエルンと結婚した。カール・テオドールは最初の妻のザクセン王女ゾフィーと死別しており、この結婚は再婚だった。

夫婦はミュンヘンに住んでいた。夫は結婚後、専門的に薬学を学び、「カール・テオドール公眼科医院」(Augenklinik Herzog Carl Theodor)を創設した。マリア・ヨーゼファは眼科医院を熱心に手伝った。

夫の死後もミュンヘンで暮らして85歳で亡くなり、テーゲルンゼー修道院に葬られた。

子女[編集]

カール・テオドールとの間に二男三女を儲けた。


ベルギー王妃となった次女エリーザベト(フランス語名:エリザベート)の子どもがベルギー王レオポルト3世、イタリア王妃マリーア・ジョゼである。またその子孫たちの婚姻のためベルギー王室、旧イタリア王室、旧ユーゴスラビア王室、ルクセンブルク大公家、リヒテンシュタイン侯家などにマリア・ヨーゼファの子孫がいる。