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ベーケーシュ県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベーケーシュ県

Békés vármegye
Körös near Mezőberény
Szarvas Arboretum
Andrássy Street, Békéscsaba
ベーケーシュ県の旗
ベーケーシュ県の紋章
紋章
 ハンガリー
地域 南部大平原
県都 ベーケーシュチャバ
9区
政府
 • 総会議長 ザライ・ミハーイ (Fidesz-KDNP)
面積
 • 合計 5,629.71 km2
面積順位 7位
人口
(2018年)
 • 合計 338,025[1]
 • 順位 11位
郵便番号
55xx – 59xx
市外局番 (+36) 66, 68
ISO 3166コード HU-BE
ウェブサイト www.bekesmegye.hu
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ベーケーシュ県 (ハンガリー語: Békés vármegye, 発音 [ˈbeːkeːʃ], ルーマニア語: Județul Bichiș))は、ハンガリーの県。県都はベーケーシュチャバ。人口は39万2千人。

概要

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ハンガリーの南東端に位置する県。大平原が広がり農耕に適している。また、天然ガスも産出する。住民の多くはマジャル人だが、スロヴァキア人、ロマ、ルーマニア人などの少数民族も居住する。

地理

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ベーケーシュ県の総面積は 5,630 km2 であり、ハンガリー全土の 6.05% を占めている。

県全体がパノニア平原英語版(大平原)に位置しており、肥沃な土壌を持つ平坦な土地が広がっている。年間平均降水量は 645 mm である。ハンガリー国内の天然ガス資源の5分の1がこの県に埋蔵されている。また、県内にキレシュ川英語版が流れている。

歴史

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集落、道路、鉄道が描かれた古い県地図

この地域には紀元前5000年から4000年頃から人が居住していた。マジャル人(ハンガリー人)の到来以前にも、いくつかの部族がこの地に定住していた。

ジュラ城は15世紀初頭に建設された。当時のジュラはこの県で最も重要な都市であり、マーチャーシュ1世の治世下で県都となった。オスマン・ハプスブルク戦争英語版において重要な要塞であったが、1566年に陥落した。この時期、周辺の多くの町が破壊された。

18世紀初頭、オスマン帝国が撤退した後に県への再入植が行われた。ハンガリー人だけでなく、スロバキア人(ベーケーシュチャバ、エンドレード、サルヴァシュ、トートコムローシュ)、セルビア人(バトニャ)、ドイツ人(ネーメトジュラ、エレク)、ルーマニア人(ケーテジハーザ)などが移住した。これら非マジャル系住民の多くは、19世紀半ばまでに同化した。


県の農業的な重要性に加え、1858年に全通したペシュトとベーケーシュチャバを結ぶ新鉄道が発展をもたらした。さらに第一次世界大戦後、トリアノン条約によってハンガリーが南部の領土をルーマニアに割譲した際、ベーケーシュチャバが失われた都市の役割を引き継ぐこととなり、開発はさらに加速した。

1950年に人口はピーク(47万2000人)に達し、同年、ベーケーシュチャバが正式に県都となった。その後、ハンガリーの他地域と同様に工業化が進み、各都市の人口が増加していった。

主な市町村

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ベーケーシュチャバ

脚注

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外部リンク

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