ヘルッタ・クーシネン

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ヘルッタ・クーシネン
Hertta Kuusinen
Bundesarchiv Bild 183-S99285, Berlin, III. SED-Parteitag, Rede Herta Kuusinen.jpg
1950年7月24日に撮影されたクーシネンの写真
生年月日 (1904-02-14) 1904年2月14日
出生地 フィンランド大公国の旗 フィンランド大公国
ニコラインカウプンキ州 ルハンカ
没年月日 (1974-03-18) 1974年3月18日(70歳没)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の旗 ロシア共和国 モスクワ
所属政党 フィンランド人民民主連盟
親族 オットー・クーシネン(父)

在任期間 1945年 - 1972年
大統領 カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(1945年 - 1946年)
ユホ・クスティ・パーシキヴィ(1946年 - 1956年)
ウルホ・ケッコネン(1956年 - 1972年)
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ヘルッタ・クーシネンフィンランド語: Hertta Kuusinen1904年2月14日 - 1974年3月18日)は、ソビエト連邦フィンランドの女性政治家。父は共産主義指導者のオットー・クーシネン

ルハンカ生まれ。父とともにソビエト連邦に移るが、共産革命を起こすため1934年に帰国した。しかし、10年以上にわたり刑務所で過ごした。第二次世界大戦終結直後に行われた総選挙で人民民主連盟(SKDL)から当選する。1952年から1958年にかけては総書記を務め、その間にSKDLは定数200のエドゥスクンタで50議席を確保する最大勢力となった。1972年に国会議員を引退し、1974年にモスクワにて没。2007年の総選挙で国民連合党サウリ・ニーニストに抜かれるまで、総選挙の得票数歴代1位の記録を持っていた。