プリトビ・ナラヤン・シャハ

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プリトビ・ナラヤン・シャハ
Prithvi Narayan Shah
ゴルカ王
ネパール王
Prithvi Narayan Shah.jpg
プリトビ・ナラヤン・シャハ
在位 1743年 - 1775年
戴冠 1768年9月28日
出生 1722年12月27日
ゴルカゴルカ城
死去 1775年1月11日
ヌワコート
子女 プラタープ・シンハ・シャハ
バハドゥル・シャハ
王朝 ゴルカ朝
父親 ナラ・ブーパール・シャハ
宗教 ヒンドゥー教
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プリトビ・ナラヤン・シャハネパール語: पृथ्वीनारायण शाह: Prithvi Narayan Shah1722年12月27日 - 1775年1月11日)は、ネパールゴルカ王国の第10代君主(在位:1743年 - 1768年)。ネパール王国の初代君主(在位:1768年 - 1775年)でもある。カトマンズ盆地を制圧し、三都マッラ朝の時代を終わらせた建国の父でもある。

生涯[編集]

プリトビ・ナラヤン・シャハ

1722年12月27日、プリトビ・ナラヤン・シャハはゴルカナラ・ブーパール・シャハの息子として生まれた[1]

1736年、父ナラ・ブーパールはカトマンズヌワコートを攻めたが、三都マッラ朝の連合軍の反撃にあって撃退された[2]。そのため、ゴルカはカトマンズ、バクタプルに使節を派遣し、ナラ・ブーパールはバクタプル王ラナジット・マッラと盟友関係を結んだ。一方、プリトビ・ナラヤンはバクタプル王太子ヴィーラヌリシンハ・マッラとカトマンズ王太子のジャヤプラカーシャ・マッラとそれぞれ盟友関係を結んだ[3]。また、プリトビ・ナラヤンはバクタプルに三年間滞在し、三都の情勢把握に努めた[4]

1743年4月、父ナラ・ブーパールが死亡し、プリトビ・ナラヤンが第10代ゴルカ王に即位[5][6][7]

当時、カトマンズ盆地は「カトマンズ」「パタン」「バクタプル」のマッラ朝によるの三つの王国に分かれていた[8]。 ゴルカとカトマンズの中間に位置するヌワコートを攻撃するが三都マッラの同盟軍に阻まれ、敗退[9]

インドから新式の銃と火薬を買い込み、軍隊の組織を整備し、雪辱を期す。また、執政カールゥ・バンデを周辺諸国へ派遣し、友好関係を結ぶ。三王国同盟関係を崩すため、バクタプル王と同盟関係を結ぶ[10]

こうした周到な布石を打った後、1744年、二度目のヌワコート攻略を行う。バクタプルが動かなかったため、今度は勝利、チベット交易の要衝を押さえる[11]。カトマンズ盆地を囲む要衝を次々押さえる。

1760年、クティ峠を占拠し、カトマンズ盆地とチベットとの交易を遮断する[12]1766年キルティプルを征服[13]

1768年9月、カトマンズを征服[14]ネパールとして即位し、カトマンズを首都にネパール王国を創始した[15]

カトマンズ王ジャヤプラカーシャ・マッラはパタンに逃亡、さらにパタン王テージャナラシンハ・マッラとともにバクタプル王ラナジット・マッラに庇護を求める[16]。同年10月、パタンを征服[17]

1769年11月、バクタプルが陥落し、マッラ朝は完全に終焉[18]。カトマンズ盆地を完全に手中におさめた。こうしてネパール王国の基礎を確立した後、プリトビ・ナラヤンは東方への野心を抱く[19]

1773年チャウダンディー・セーナ王国を、続いて1774年ビジャイプル・セーナ王国を併合[20]シッキム王国まで征服しようとした[21]

1775年1月11日、52歳で死去[22]。彼の創始したネパール王国の領土は現在のネパールの1/3以上に達していた。

脚注[編集]

  1. ^ Nepal 5
  2. ^ Doctor D.R. Regmi as a historian - Tulasī Rāma Vaidya, Nepāla ra Eśiyālī Anusandhāna Kendra, Ḍā. Ḍillīramaṇa Regmī Pratishṭhāna
  3. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.490
  4. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.490
  5. ^ A Study in Nepali Economic History 1768-1846 - Mahesh Chandra Regmi - Google ブックス
  6. ^ Nepal 5
  7. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.489(ここでは没年を1742年としている)
  8. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.494
  9. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.494
  10. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.494
  11. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.495
  12. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.495
  13. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.495
  14. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.497
  15. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.498
  16. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.498
  17. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.497
  18. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.498
  19. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.498
  20. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.499
  21. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.499
  22. ^ Nepal 5

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年 

関連項目[編集]