フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー

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フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー
(画)エドゥアルド・ベンデマン

フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドーFriedrich Wilhelm von Schadow1788年9月6日 - 1862年3月19日)は、ドイツ画家ベルリン出身。

略歴[編集]

ベルリンに生まれた。父親は彫刻家のヨハン・ゴットリープ・シャドーである[1]。父親から彫刻を学ぶが、絵画に転じ、ヴァイチュ(Friedrich Georg Weitsch)に学んだ[2]。1806年から1807年の間は、軍務につくが、18010年から彫刻家となった兄のルドルフ(Rudolph Schadow)とともに、ローマに旅し、ローマでキリスト教美術の復興を目指す画家集団、「ナザレ派」の指導的立場の画家の一人となった。カトリックに改宗し、後年、「キリスト教の視覚芸術への影響について」(Ueber den Einfluss des Christentums auf die bildende Kunst:1843年)などの著作を行うことになった。

ローマでプロイセンの外交官、ベルトルディ(Jakob Salomon Bartholdy)の援助を受け、仲間の若い画家、ペーター・フォン・コルネリウスやフィリップ・ファイトらと、ベルトルディの屋敷の壁に、宗教を題材とするフレスコ画を描いた。ベルリンの有名な美術学校の教授となり多くの弟子を育てた。この間、多くの教会のために絵を描いた。

1826年にデュッセルドルフ美術アカデミーの校長に任じられ、その仕事を30年以上続けた。シャドーの宗教的な思想は、教授のハインリヒ・クリストフ・コルベと対立し、コルベは1832年に美術アカデミーを去った。優秀な美術アカデミーの学生が選ばれて、教会のフレスコ画を描かせた。シャドーの教えた学生には、ミュッケ(Heinrich Mücke)などがいる。

デュッセルドルフ美術アカデミーは国際的な評価を得るようになり、アメリカからビンガム(George Caleb Bingham)、ジョンソン(Eastman Johnson)、ウィットレッジ(Worthington Whittredge)、ウッドヴィル(Richard Caton Woodville)、ヘーゼルタイン(William Stanley Haseltine)、ハート(James M. Hart)、ハント(William Morris Hunt)、ロイツェ(Emmanuel Leutze)が学んだ。

シャドーの作品[編集]

 
 
 
 

参考文献[編集]

  1. ^ Gietmann, Gerhard (1912). "Friedrich Wilhelm Schadow". In Herbermann, Charles. Catholic Encyclopedia. 13. New York: Robert Appleton Company.
  2. ^ "Schadow-Godenhaus, Friedrich Wilhelm", Encyclopedia Americana.
  • Gilman, D. C.; Peck, H. T.; Colby, F. M., eds. (1905). "article name needed". New International Encyclopedia (1st ed.). New York: Dodd, Mead.
  • Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Schadow". Encyclopædia Britannica. 24 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 310.

外部リンク[編集]