フリードリッヒ・ベルギウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Friedrich Karl Rudolf Bergius
フリードリッヒ・ベルギウス
生誕 (1884-10-11) 1884年10月11日
ドイツの旗 ドイツ帝国 ブレスラウ(現 ポーランドの旗 ポーランド
死没 1949年3月30日(1949-03-30)(64歳)
アルゼンチンの旗 アルゼンチン ブエノスアイレス
国籍 ドイツの旗 ドイツ国
研究機関 ハノーファー大学
出身校 ブレスラウ大学
ライプツィヒ大学
博士課程
指導教員
アルトゥル・ハンチュ
他の指導教員 リヒャルト・アベッグ
主な業績 ベルギウス法
主な受賞歴 ノーベル化学賞 (1931)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1931年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:高圧下における科学研究

フリードリッヒ・カール・ルドルフ・ベルギウスFriedrich Karl Rudolf Bergius, 1884年10月11日 - 1949年3月30日)は、シレジアのブレスラウ(現ポーランドヴロツワフ)近郊ゴルドシュミーデン出身の化学者。高圧下における化学の研究の功績により1931年ノーベル化学賞カール・ボッシュとともに受賞した。

生涯[編集]

化学技術者の子として生まれ、幼少期の大部分を化学工場で過ごした。1903年ブレスラウ大学に入学、1905年にはライプツィヒ大学へと移り、1907年に卒業した。1909年フリッツ・ハーバーの指導を受けるため、カールスルーエに移った。そこで、化学平衡の研究を行って300気圧を状態を達成した。その後、石炭を液体炭化水素に変換するベルギウス法の開発[1]や、木材から糖を作る研究を行った。1912年ハノーファー大学で教授資格を取得し、のちに教授に就任した。

第2次世界大戦勃発後にオーストリアへ避難するが、自宅と研究所を空襲で失った。終戦後はIG・ファルベンインドゥストリーで働いた過去を追及されて、イタリアトルコスイスを経てアルゼンチンへ逃亡し、1949年ブエノスアイレスで亡くなった。

受賞歴[編集]

出典[編集]

  1. ^ 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p.391 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067