フェオファン・グレク

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フェオファン・グレク1340年 - 1410年, ロシア語: Феофан Грек, ギリシア語: Θεοφάνης)は、ビザンティン(東ローマ帝国)からロシアに移り住んだギリシャ人。ロシアにおいて最も偉大なイコン画家の一人であり、アンドレイ・ルブリョフの師としても知られる。

フェオファンロシア語名からの転写。フェオファン・グレークと表記されることもある。ギリシャ語名を現代ギリシャ語から転写すればセオファニスとなる[1]

グレクもしくはグレークとは、「ギリシャ人」を意味する。同様の「グレク」の称号を持つ著名な正教会の聖人としてマクシム・グレクが居る。

略歴・作品[編集]

フェオファンは東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の首都コンスタンティノープルに生まれた。1370年にノヴゴロドに移り、1395年にモスクワに移り住んだ。フェオファンのスタイルは殆ど単一の色で描かれた表現において卓越したものであると考えられている。

フェオファンは多くの教会の壁や天井にフレスコ画を描いた。

板絵イコンも同様に手がけている。しかしながら、歴史史料によれば、フェオファン後期の作とされるものの真正性については学術上の活発な論点となっている。最近まで、フェオファンは伝統的に以下の有名な板絵イコンの作者とされてきた。

ギャラリー[編集]

フレスコ

板絵イコン - 真正性について論争あり

脚注[編集]

  1. ^ 古典ギリシャ語再建音からはテオファネースとなる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]