ピピン1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ピピン1世の石像

ピピン1世ドイツ語Pippin der Ältere, 580年頃 - 640年)は、カロリング家の祖。父はユーグ(在職:617年 - 623年)。「大ピピン」とも呼ばれる。メロヴィング朝フランク王のクロタール2世ダゴベルト1世シギベルト3世の治世にアウストラシア王国宮宰(在職:615あるいは623年 - 629年、638/9年 - 639/40年)を務めた。

生涯[編集]

ピピンは列聖されてはいないが、いくつかの古い殉教録では聖人として挙げられている。

ピピンには妻イッタとの間に一男二女がいた[1]。息子のグリモアルド1世(生年未詳 - 681年)は、後にアウストラシア宮宰(在職:650年 - 661年)となった[1][2]。二人の娘のうち、ベッガ(生年未詳 - 649年)はアンゼギゼルメス大司教アルヌルフの息子)と結婚してピピン2世(中ピピン、カール1世の曾祖父)をもうけた[1]。またゲルトルート625年 - 659年3月17日)はイッタが設立したニヴェル女子修道院の修道院長となり、後に列聖された。彼女は旅人の守護者とされ、しばしばネズミとともに描かれている[3]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c 佐藤、p. 8
  2. ^ グリモアルド1世は後に息子(キルデベルト)をアウストラシア王シギベルト3世の養子とし、王位につけようとしたが失敗し、661/2年に殺害された(柴田 他、p. 150)。
  3. ^ St. Gertrude of Nivelles(2017年12月3日閲覧)

参考文献[編集]

  • 佐藤彰一 『世界史リブレット人29 カール大帝』 山川出版社、2013年
  • 柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史 1』 山川出版社、1995年

関連項目[編集]

先代:
ユーグ
アウストラシア宮宰
623年 - 629年
次代:
アダルギセル
先代:
アダルギセル
アウストラシア宮宰
639年 - 640年
次代:
オットー