ピアッジオ

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Piaggio & C. SpA
企業形態 公開会社
取引所 イタリア証券取引所
業種
  • オートバイ製造
  • オートバイ販売
  • エンジン製造
設立 イタリア、セストリ・ポネンテ (1884年1月24日 (1884-01-24))
創業者 リナールド・ピアッジオ
本部 イタリアポンテデーラ
事業地域 全世界
代表者等
  • ロベルト・コラニンノ, Chairman and CEO
売上高 増加 1,295 million (2015) [1]
営業利益 増加 € 161.8 million (2015)[1]
利益 増加 11.9 million (2015)[1]
従業員数 7,510 (2014)[2]
子会社
ウェブサイト piaggiogroup.com/en

ピアッジオPiaggio & C. S.p.A., ピアジオピアッジョとも)は、イタリアポンテデーラに所在するオートバイおよび自動車のメーカーである。オートバイブランドを7つ保有しており、オートバイ産業ではヨーロッパで最大手、世界第4位のメーカーである。

社史[編集]

1884年、創業者リナールド・ピアッジオにより船舶用パーツメーカーとして設立された。鉄道車両から航空機など事業を拡大し、戦時には航空機やそのエンジンを多数製造した。戦後の1946年スクーターの代名詞とも言えるベスパの生産を開始した。現在もベスパブランドを生産し、その他ピアッジオブランドのスクーターやモペッドマイクロカーを生産している。

1964年フィアットのオーナーであるアニェッリ家へ買収され、ピアッジオはフィアットの傘下へ入った。同年、ピアッジオはオートバイ部門と航空部門を分社化され、航空部門はIAM リナルド・ピアジオとして独立した。その後、IAM リナルド・ピアジオはフェラーリピエロ・ラルディ・フェラーリに買収され、ピアジオ・エアロ(Piaggio Aero)としてイタリア資本へと戻った。 引き続きオートバイの製造を行っていたピアッジオは1969年ジレラを買収した。

1992年から2002年までダイハツ工業と提携し、軽貨物車ハイゼットをピアッジオ・ポーターの名称でライセンス生産した。

1999年中国で合弁事業をはじめたが、失敗した。イタリアでも1500万ユーロ(1940万ドル)を投資して新型のオートバイを開発を開始したが、プロトタイプの製造後、中止された。2002年には1億2900万ユーロの損失を出したことにより、巨額の債務を抱えた。しかし、敵対的買収でテレコム・イタリアを傘下に収め、不動産会社IMMSIを通して経営権の獲得に乗り出したロベルト・コラニーノ2003年に会長に就任した。コラニーノはリストラを行わないまま、あらゆるスクーターを製造できるよう日本式に倣った工場の組立てラインへと一新し、利益率と顧客満足度の基準に基づいたボーナス支給など同社の改革を実施した[3]2006年にミラノ証券取引所へ再び上場した。

三輪車[編集]

インドでは、ベスパ・カーを起源とする三輪自動車の生産を続けており、有力メーカーの一つとなっている[4]

日本での販売[編集]

日本においては本社の出資により設立されたピアッジオグループジャパン株式会社が取り扱っている。かつては株式会社成川商会が輸入元となっており、ピアッジオ日本法人の設立以降もデルビ、ジレラブランドは2015年まで取り扱っていた。

ブランド[編集]

製品一覧[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c [1], 2015-26-05
  2. ^ [2], 2015-02-27
  3. ^ Meichtry, Stacy. "伊ピアジオ、主力「ベスパ」で中国、インドに進出"。ウォール・ストリート・ジャーナル日本版。2010年7月26日。 2010-11-25 閲覧。
  4. ^ ピアジオ、新型3輪スクーター「Ape CNG」をインドで販売(AFP.BB.News.2007年09月27日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]