ヒロシ・H・ミヤムラ

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ヒロシ・H・ミヤムラ
Hiroshi H. Miyamura
SSgt Hiroshi Myamura.jpg
渾名 ハーシー(Hershey)
生誕 1925年10月6日(88歳)
ニューメキシコ州ギャラップ英語版
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴 1944年 - 1953年
最終階級 二等軍曹(staff sergeant)
第7連隊名誉上級曹長(Honorary Sergeant Major of the 7th Regiment)[要出典]
除隊後 自動車整備士、ガソリンスタンドオーナー
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ヒロシ・H・ミヤムラ(Hiroshi H. Miyamura, 1925年10月6日 - )、通称ハーシー・ミヤムラ(Hershey Miyamura)は、アメリカの軍人。朝鮮戦争アメリカ陸軍の兵士として従軍し、名誉勲章受章者の1人となった[1]

生い立ち[編集]

ヒロシ・ミヤムラは日本人移民の両親の元、ニューメキシコ州ギャラップ英語版にて日系二世として生を受けた[2]

軍歴[編集]

1945年1月、アメリカ陸軍に入隊[3]。ミヤムラは第100歩兵大隊(100th Infantry Battalion)への配属を志願した[4]。同大隊は主にハワイないし本土の日系アメリカ人によって構成されていた[5]日本が降伏して第二次世界大戦が終結するとミヤムラは除隊し、予備役に編入される。

そして朝鮮戦争の折に復帰したが、後に28ヶ月間もの捕虜生活を送ることになる[6]

朝鮮戦争[編集]

1951年4月24日から25日にかけて、彼は第3歩兵師団第7歩兵連隊英語版第2大隊に勤務する伍長として韓国大田におり、この間の行動に関して名誉勲章を授与された。ミヤムラは名誉勲章受章者の内、初めて極秘(Top Secret)に分類された受章者である。彼は受章理由となった戦闘の直後、北朝鮮側に捕虜として囚えられており、後の授与式に際してラルフ・オズボーン准将はミヤムラ本人と記者団に対して次のように語った。

仮に彼(ミヤムラ)が多大な戦果を上げた素晴らしい兵士だということに気づいていたら、アカどもは捕虜にした後に何らかの報復を行ったかも知れない。そうなると、彼は帰って来なかった。

1953年8月20日に解放されると、すぐに米本土に送り返され、陸軍から名誉除隊を果たす。1953年10月、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領がホワイトハウスにて改めて名誉勲章の授与を行った。

パーソナル[編集]

ミヤムラ夫妻と孫娘マリサ。スコット空軍基地にて(2010年)

ミヤムラは第二次世界大戦中に日系人強制収容所で過ごした経験を持つ日系人女性、テリー・ツチモリ(Terry Tsuchimori)と結婚した。彼らは3人の子供と4人の孫をもうけた。孫娘の1人、マリサ(Marisa)はアメリカ空軍の士官である。陸軍を退役した後、ミヤムラはニューメキシコ州ギャラップに居住し、自動車整備士とガソリンスタンドのオーナーの職に付いている[要出典]。ミヤムラは傷痍軍人支援団体のWounded Warrior Projectにも名を連ねている

名誉勲章勲記[編集]

ミヤムラに授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。

中隊所属ミヤムラ伍長は著しい勇敢、大胆不敵、課せられた義務を凌駕する行動でその名を知らしめた。4月24日夜、H中隊は敵の侵攻が予想される防衛陣地に所在していた。機関銃分隊長のミヤムラ伍長は、部下の身に危険が迫っていることを察知すると躊躇なく遮蔽物から飛び出し、銃剣を用いた白兵戦によっておよそ10人の敵兵を殺傷した。彼は遮蔽物に戻ると、負傷した部下に応急処置を施した上で退避を指揮することになる。まもなく別の敵部隊が突破を試み進出してきた為、彼は銃弾を使い切るまで機関銃で牽制射撃を加えさせた。射撃が出来なくなると、彼は部下に後退を命じた。分隊は浸透していた敵兵を銃剣突撃で蹴散らしつつ、第2火砲陣地までの進路を切り開き、砲兵らの支援を行なった。激しい攻撃の中で中隊はミヤムラ分隊にも撤退を命じたが、ミヤムラは部下の撤退を援護する為にその場に残ったのである。彼は手持ちの銃弾を使い切るまでに、ひどく負傷しながらもおよそ50人の敵を殺傷した。そしてその地点が敵に突破されるまで攻撃を続け、彼は血まみれになりながもその重要な役割を果たし続けていたのである。最後に目撃された時、彼は圧倒的な数の敵兵に対して果敢に戦い続けていたという。ミヤムラ伍長の不屈の英雄的行動と義務へのこれ以上ない献身は、彼自身に最大の栄誉をもたらし、また軍人の輝かしい伝統を守ることにつながった。[1]

ミヤムラの名前が冠されたもの[編集]

ニューメキシコ州ギャラップには、ミヤムラの名前に因んで名付けられた地域が存在する[7]。またヒロシ・H・ミヤムラ・ハイスクール英語版も彼の名を取って名付けられた[8]

州間高速道路40号線(I-40)には彼の名に因むインターチェンジが存在する[9]。これはミヤムラ高架道路(Miyamura Overpass)とも通称されているという[10]

脚注[編集]

  1. ^ a b US Army Center of Military History, "Medal of Honor Recipients, Korean War"; retrieved 2012-12-24.
  2. ^ Japanese American Veterans Association, "The Nisei Legend of the Korean War"; retrieved 2012-12-24.
  3. ^ U.S. National Archives and Records Administration (NARA), WWII Army Enlistment Record #39868194 (Miyamura, Hiroshi); retrieved 2012-12-24.
  4. ^ Go for Broke National Education Center, "About Us, Veterans Honor Guard"; retrieved 2012-12-24.
  5. ^ "100th Battalion, 442nd Infantry" at Global Security.org; retrieved 2012-12-24.
  6. ^ Bartelt, Eric S. "Secret Hero Recounts his Unforgettable Korean War," Special to American Forces Press Service, April 24, 2001; retrieved 2012-12-24.
  7. ^ City of Gallup Growth Management Master Plan, "IV. Land Use Element" (August 2009), p. IV-23 [PDF 23 of 60]; retrieved 2012-12-24.
  8. ^ Gallup-McKinley County Schools, "High Schools"; Hiroshi H. Miyamura High School website; retrieved 2012-12-24.
  9. ^ New Mexico Department of Transportation, Initial Evaluation of Alternatives, Allison Road Corridor and Interstate 40 Interchange Study, NMDOT Project Number SP-GA-5459(201)/SP-GA-5459(202), CN C7G801/C7G802 September 2010; "Table 4-6: I-40 Total Crashes by Mile Post," p. 4-32 [PDF 51 of 210]; retrieved 2012-12-24.
  10. ^ City of Gallup, p. IV-45 [PDF 45 of 60]; retrieved 2012-12-24.

外部リンク[編集]