パブロ・ドラド
表示
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
1930年のドラド | ||||||
| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Pablo Dorado | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1908年6月22日 | |||||
| 出身地 | モンテビデオ | |||||
| 没年月日 | 1978年11月18日(70歳没) | |||||
| 身長 | 175cm | |||||
| 体重 | 71kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1930? |
| ? (?) | ||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
パブロ・ドラド(Pablo Dorado, 1908年6月22日 - 1978年11月18日)は、ウルグアイ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。
経歴
[編集]1930年のFIFAワールドカップにエルンスト・マスチェローニなどと共に期待の若手選手として招集され、本大会では2得点を挙げている。中でもアルゼンチンとの決勝戦では、膠着状態の前半18分に、ゴールキーパーの足に当てながら得点した。その後は2点を返されるも味方の反撃により勝利し、初代FIFAワールドカップの優勝メンバーとなっている。その後は、CAベジャ・ビスタや、アルゼンチンのCAリーベル・プレートで1931年から1935年までプレーし、1932年にはリーグ優勝している。