ハミダ・ジャンドゥビ

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ハミダ・ジャンドゥビ
Hamida Djandoubi
個人情報
生誕 (1949-01-01) 1949年1月1日
フランス領チュニジア
死没 1977年9月10日(1977-09-10)(28歳)
フランスマルセイユ
死因 ギロチンによる刑死
有罪判決 誘拐罪・殺人罪
殺人詳細
犠牲者数 1人
犯行期間 1974年7月–
フランス
逮捕日 1974年8月

ハミダ・ジャンドゥビアラビア語: حميدة جندوبي1949年1月1日 - 1977年9月10日)は、チュニジア生まれの殺人犯フランス最後のギロチン使用の被処刑者である。

生い立ち[編集]

1949年1月1日に、チュニジアに生まれる。

1968年、フランスのマルセイユに移る。最初は雑貨店で働くが、造園技師となる。その当時は、善良な性格をしていたとの情報もある。

1971年労働災害で右足の3分の2を失う。その後、ポン引きとして暮らしていた。

犯行[編集]

1973年、後にジャンドゥビによって殺されるフランス人女性エリザベート・ブスケと、病院で会う。エリザベートはガールフレンドになったという情報もあるが、売春を強要されたと、ジャンドゥビを警察に訴える。ジャンドゥビは逮捕されるが、すぐ釈放となる。

1974年7月、エリザベートが、ジャンドゥビによって誘拐され、監禁される。ジャンドゥビが、管理する少女2人の前で、激しく殴り、タバコの火を押し付けるなどの暴行を繰り返した。エリザベートは、その時まだ生きていたが、ジャンドゥビに屋外に連れ出され、車に乗せられた。ジャンドゥビが、少女らに強く口止めした。エリザベートの死体が、7月7日に見つかった。一ヵ月後、別の女性誘拐の容疑で、ジャンドゥビは逮捕される。

裁判・処刑[編集]

1977年2月24日、ハミダ・ジャンドゥビは、「拷問の末の殺人」と強姦の罪で、裁判が行われる。被告人ジャンドゥビが、労災での右足切断の不自由な生活6年間で、アルコール中毒の発作などにより、より凶暴になったと弁護側は主張する。翌日25日、死刑判決が下る。同年6月9日、控訴が棄却される。

1977年9月10日、マルセイユのボーメット刑務所で、ハミダ・ジャンドゥビの死刑が、死刑執行人マルセル・シュヴァリエにより、執行される。最期の直前まで、もっとタバコを吸おうとして断られた。午前4時40分ごろのことであった。これが、フランス最後のギロチン処刑であった。

外部リンク[編集]