ノート:魔法少女まどか☆マギカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

読んでみました[編集]

現在の版をちょっと読んでみました。文章にいくつか気になる点があったのですが、その前に「分析」「放送後の影響」「評価(社会の反応)」の節の使い分けに無理があるように思います。例えば「分析」で記述されている「ゼロ年代の総決算といえる作品」「セカイ系を絆で乗り越えた作品」といった評は「評価」に他なりませんし、「放送後の影響」で記述されている「ファンの間でも作品解釈、分析、考察、ファンアートの発表などが、日本国内外のインターネット上やそれ以外のコミュニティで盛んに交わされた」はどう見ても「社会の反応」そのものです。この点を解消するために再構成を考えてみたのですが、このように変更するのはどうでしょうか[1]。主な変更点は1.「評価」という見出しをやめ、「放送後の影響」を「社会の反応」に組み込んだうえで「反響」「影響」に再構成。2.「受賞歴」は独立。3.「分析」を「批評・分析」として「社会の反応」節の後ろに(受容・影響関係は同じ位置にまとめたほうがいい)です。またこれに伴い、「分析」節にあった制作側(脚本家)の事情や見解を脚注化しています。文章の細かい調整などは行っていませんが。--頭痛会話) 2013年5月16日 (木) 23:47 (UTC) (追記)上記の構成案ですが、推敲中に押井守、庵野秀明、小池一夫のコメントを誤って除去してしまっていたようです。これらは提案したものの中の「反響」に入れることができると思います。--頭痛会話) 2013年5月16日 (木) 23:58 (UTC)

コメント 個人的にはその辺は必要性が低い部分だと思うので、要点だけ残して分析部分は除去してしまった方が見栄えは良いかもしれません。元々分析節は批評家一人辺りの文章量多い割に掲載基準が不明瞭なので、肥大化させやすいですし--半保護用会話) 2013年5月22日 (水) 16:08 (UTC)
それは驚きました。「分析」の節はこの記事の質を高めるのに最も役立っている節だと思いますが。個人的にももっとも興味を引かれて読んだ部分です。仮に分量が増えても要約やサブセクションを工夫したり、脚注を活用したりといくらでもまとめ方があります。これだけうまくまとめてあるものを除去はないでしょう。--頭痛会話) 2013年5月22日 (水) 18:28 (UTC)
コメント 分析節はメディアを代表しての意見とかではなく、面白味のありそうな意見をまとめてるだけなので一般論とは言い難いんですよ。評価として扱うのであれば、どういう要素が評価された/されなかったという切り口になるので、個人の主張を具体的に説明する必要性は薄くなるのではないかと思います。あと「ゼロ年代の総決算といえる作品であり、ゼロ年代までに日本のサブカルチャー領域で流行した諸要素が劇中に効果的に散りばめられている。」の文は前に評価の方に移そうと思っていたんですけど、忘れてました。--半保護用会話) 2013年5月23日 (木) 11:01 (UTC)
いったい「メディアを代表しての意見」といったものが存在しうるのでしょうか。例えばどんなものを想定しているのですか? 宮台真司や宇野常寛はそれぞれ90年代・00年代の代表的な論客ですが、これらの意見をまとめることが単に「面白味のありそうな意見をまとめているだけ」になるのであれば、これらをさしおいて何が「特記すべき意見」になるのかちょっと想像がつきません。「一般論」というのは雑誌のライターが世評をまとめたような記事のことですか。受容史が多数あるような古典ならともかく、現代の作品の多様な受容の様相をまとめるのに「一般論ではないから」というような意見で個々の評論家の見解を無価値と見なすことにはまったく同意できません。それは作品記事の価値を向上させる考え方ではないと思います。
「評価」に関する記述が複数の節にどうしても分散してしまうので「評価」という括り自体をなくし、代わりに受容に関する節をそれぞれ近いところにまとめる、というのが私の変更案の趣旨です。--頭痛会話) 2013年5月24日 (金) 21:00 (UTC)
批評を行うメディアとして世間から認識されている情報源に載った総評や、他の人物の意見とも食い違わない意見までですかね。そもそも、分析の大部分は作風に対する補足説明であって、受容ではないと思います。受容を固めるのが目的なのであれば受容と言える部分だけを移すべきなのではというのが私の意見です。そのうえで分析が気に入らないのであれば除去すればいいと思います。--半保護用会話) 2013年5月25日 (土) 11:57 (UTC)
(追記)多分伝わってないと思うので、頭痛が評価であると仰られた部分だけ下部に移してみました。--半保護用会話) 2013年5月25日 (土) 12:49 (UTC)
批評がどういうものか理解されておられないようです。意見の最大公約数だけをまとめることがどうして記事の発展につながるでしょうか。サブカルチャーに対する批評を行うメディアとして世間から認識されている情報源ってどんなものでしょうか? それから批評は受容の一種です。「どのように受け取ったか」ですから。公衆の受容と分けて扱うこともできるでしょうが、「補足説明」扱いはないでしょう。--頭痛会話) 2013年5月25日 (土) 22:32 (UTC)
そうやってあれもこれも載せていって散漫になったから上であれだけ議論したんじゃないですか。この作品に関する批評が他にも沢山あるのは理解してますよね?この作品を見て僕はこう思いましたってレベルのものを載せていたらキリがないんです。英語版だって情報源に当たりをつけて書くようにしていますよ。あと、私は作品内容に関する解説と受容の解説を分けているんであって公衆の意見と批評家の意見を分けろと言ってる訳ではありません。--半保護用会話) 2013年5月26日 (日) 03:10 (UTC)
散漫になるのであれば上のように議論すればよいのだし、まとめ方・整理の仕方はいくらでもあると述べているのです。名の知れた批評家が公刊された情報源で発表した意見を「僕はこう思いましたってレベルのもの」と捉えることはできません。単に「キリがないから」では議論になりませんよ。その英語版の記述と照らし合わせても現状の批評をまとめた文が特に逸脱しているようには見えません。--頭痛会話) 2013年5月27日 (月) 23:33 (UTC)
なら現状維持でよいではないですか。頭痛氏の案だと個人の意見の方に分量が割かれている形になって、バランスが崩れるからこういう話になっているんですよ。--半保護用会話) 2013年5月28日 (火) 00:20 (UTC)
よくわかりません。「個人の意見の方に分量が割かれている形になって、バランスが崩れる」とは何のことでしょうか。何のバランスが崩れるのですか。また「評価」の節があるにも関わらず評価に該当する文があちこちに散らばっている、という最初に指摘した点が何も解決していませんが。--頭痛会話) 2013年5月29日 (水) 15:18 (UTC)
基本的に評価節は1人当たりの発言を1つのセンテンスに収めるようにしているので、分析にある発言も受容として扱うのなら同様に削らないとバランスが取れません。あと影響節ですが、普通はフォロワーとなる作品が出てきてから書くべき節なので今扱っているような内容は将来的にはなくて良いものだと思います。--半保護用会話) 2013年5月30日 (木) 10:42 (UTC)
「評価」の節では一人一センテンスだから分析節もそうしないとバランスが取れない、というのはまったく理解できません。もう一度聞きますが、それはいったい何のバランスなのですか。分析節はそれぞれ数センテンスを要する内容を扱っているというだけのことでしょう。内容や性質を吟味せず「こっちが1センテンスずつだからこっちもそうしないとバランスが取れない」などというような話は聞いたことがありません。
影響節について述べておられることも理解できません。フォロワーが出たら加筆すればいいんじゃないでしょうか。なぜ現状の内容を削る必要があるのですか。なにかWikipediaの記事について間違った観念を持っておられるようにしか思えないのですが。--頭痛会話) 2013年6月2日 (日) 15:38 (UTC)
評価と分析を一つの節に纏めるのであればバランスとらなければいけないでしょう。WP:UNDUEを見れば特定の意見だけが詳細に書かれている状態が不味いのはわかると思います。出典元を見ても内容に差をつけるようなものには見えません。影響節に関しては削れという話ではなく、現状の内容では社会の反応という括りで扱うほどのものではないと感じるということです。--半保護用会話) 2013年6月2日 (日) 16:24 (UTC)
いや、一つの節にまとめるなどという提案はしていません。文案を見直してください。--頭痛会話) 2013年6月2日 (日) 16:35 (UTC)
再度見ましたが、評価にあった文章の一部も移っていますので、バランスを取る必要は出てくるかと思います--半保護用会話) 2013年6月2日 (日) 16:56 (UTC)
文案のどの節の話をしているのですか?--頭痛会話) 2013年6月5日 (水) 10:37 (UTC)
批評・分析節です。他にありますか?--半保護用会話) 2013年6月5日 (水) 11:22 (UTC)
それのどこがバランスが崩れているのでしょうか。例えば氷川、押井の評と宇野、山本の評とでは扱っている分量が違いますが、それは後者がより分析的で説明を要する内容だというだけのことですよね。あなたは内容を勘案せず誰の文章も同じ量にしなければならないと言っているのですか。--頭痛会話) 2013年6月5日 (水) 11:28 (UTC)
それは頭痛さんが勝手にそう思っているだけでは。分析に差があるとは思いません。実際、詳細に説明を加えているせいで独自研究を注釈に加えることでフォローしなければいけなくなっていますが、これがウィキペディアとして正常な姿だとでも思っているんですか?受容として纏めるのが目的ならどういう意見があったかを平たく纏めるべきです。字数合わせろといってるわけではないのですからそれほど難しいことではないと思いますし、大意も残ると思いますが。--半保護用会話) 2013年6月5日 (水) 11:47 (UTC)
ええと、出典元は読んでいないので実際の分析の詳細さなどに差があるかどうかはわかりませんが、氷川や押井の評が本来もっと言葉を要するものであるのなら加筆を行えばいいのであって比較的詳細に書いてあるほうをだからといって除去すべき理由にはなりません。独自研究とは具体的にはどこのことですか。独自研究があるのであればそれは独自研究として除去すべきものでしょう。バランスの話と関係なく。分析や批評は受容の一種ですが、「分析」として節を立てる以上はどのような分析がなされたかが本題になるわけで「受容としてまとめるのが目的」というようなことにはならないでしょう。--頭痛会話) 2013年6月5日 (水) 11:56 (UTC)
山本氏のとこに付いてる注釈です。独自研究というより検証不可と言った方がいいのかもしれません。こういう私論に近いものを作品記事に置いておくと事典としては不自然に感じられるのでこういう編集が入るのが常です。出典を付けるにしても作品と直接関連のない論争があるような形になるので不健全です。受容をまとめるのが目的なのでないならば現状維持でいいのではないでしょうか。今の分析節は「受容としてまとめるのが目的」になっていないからああいう形を取っている訳で、「受容」として纏めるのであれば文章を見直す必要があると思います。そもそも頭痛さんの過去の発言だと要約には否定的ではなかったように思うのですが--半保護用会話) 2013年6月5日 (水) 12:56 (UTC)
その注釈は普通に除去してしまっていいのではないでしょうか。そもそも別にそれがあろうがなかろうが記事構成に関わる部分ではないと思いますが。私の過去の発言というのはどれのことかわかりませんが、しっかりまとめられている論評を削減しようみたいなことは言っていないと思います。
私が言っているのは「分析も受容の一種だと思うから社会の反応と評論家の分析をそれぞれ近いところに置こう」であって「受容としてまとめる」ということではありません。分析は分析で独立してそのまま扱えると思います。そのあたりは文案からも明らかだと思うのですが。--頭痛会話) 2013年6月10日 (月) 23:24 (UTC)
そういうことであれば分析節の位置だけ移動しますね。--半保護用会話) 2013年6月12日 (水) 10:52 (UTC)
ですから、「分析」にも評価が含まれているのに「評価」が別にあったり、「放送後の影響」に社会の反応があるにも関わらず「社会の反応」が別にあったりという、明らかな構成上の不備があるという話をしていたのですが。あなたはいま何を問題視しているのですか?--頭痛会話) 2013年6月14日 (金) 16:44 (UTC)
評価節をなくし、指摘の部分を社会の反応に組み込みました。私が問題視しているのは頭痛案ですよ。--半保護用会話) 2013年6月15日 (土) 01:25 (UTC)(追記)ちょっと弄ってみたんですが、「分析」も他の節に含まれている要素なので同様の問題があるように思います。これなら評価は評価として纏めた方がいいんじゃないでしょうか--半保護用会話) 2013年6月16日 (日) 13:08 (UTC)
(追記)試しにやってみたらそれほど削らずにいけたので、批評として纏めてみました。ついでに影響節も中途半端なので別にまとめました--半保護用会話) 2013年6月16日 (日) 18:48 (UTC)
そもそも、事典に作品の批評の記述って必要なのでしょうか?。批評自体が語り手の主観に委ねた判断でしかなく、作品そのものと異質な気がしますが。--葛餅会話) 2013年11月18日 (月) 07:20 (UTC)
どういう方面から評価されたのか、されなかったのかという情報であれば事典として必要かと思います。ただ、そうする上ではメディアやクラスタを代表した意見と言えるものを抽出できた方が良いですし、発言者そのものにスポットを当てるような書き方をする必要はないとは思います。--半保護用会話) 2013年12月19日 (木) 10:17 (UTC)

過去ログ化提案[編集]

当ノートページは既に30万バイト近く達しているので、終了もしくは長期間議論されていない議題の過去ログ化を提案します。--Louis XX会話 / 投稿記録) 2013年6月3日 (月) 03:54 (UTC)

何度か荒らされているので過去ログ化するならサブページではなく固定リンクの方が良いと思います。--半保護用会話) 2013年6月3日 (月) 15:35 (UTC)
報告 1週間経過して特に異論がなかったので、過去ログ化を実施致しました。--Louis XX会話 / 投稿記録) 2013年6月11日 (火) 03:55 (UTC)
お疲れ様です。現在進行中のものまで過去ログで表示する必要は良いと思うのでリンクを修正しました。--半保護用会話) 2013年6月12日 (水) 11:05 (UTC)

コラボレーション関連の記述集約について[編集]

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」の記事でコラボレーション企画に関する節ができたというのもありますが、現状本記事の「その他の動き」の節にはコラボレーションやタイアップに関する記述が集約されています。ですが、作品の人気も相まってこうした企画が大量に増えており、特に新作映画の公開にあわせる形で一層増えるようになっています。

そこで、こうした企画の記述について如何に集約すべきか提議を行いたいと思います。現状考えているのは以下の2つです。

  1. テレビシリーズまでに行われた企画と劇場版以降に行われた企画を分けて、後者に関しては劇場版の記事に転記
  2. コラボレーションに関する記述を本記事に集約し、一括してまとめる

全てを体系的に見るのであれば2.が望ましいのですが、煩雑さを考えれば1.のように分けてしまった方が適切かもしれません。他に方策があるかなどご意見を頂ければと思います。--Tmatsu会話) 2013年10月4日 (金) 00:47 (UTC)

1に賛成です。「その他の動き」の節を見た限りなかったコラボレーションですが、もし、テレビシリーズでコラボレーションをしていて劇場版で再度同様のコラボレーションをした場合も、テレビシリーズでのコラボレーションを説明後、「劇場版公開時も同様のコラボレーションが行われた(詳しくは劇場版 魔法少女まどか☆マギカを参照)。」としておけば誘導できるでしょうし。--元一一四会話) 2013年10月6日 (日) 17:58 (UTC)
コメント テレビシリーズで行われたコラボが劇場版で似たような内容が行われた場合は内容がほぼ重複することから、2の方がテレビシリーズと劇場版を包括的に纏められるのでこちらに賛成します。--Louis XX会話 / 投稿記録) 2013年10月8日 (火) 00:30 (UTC)

現状2つの案それぞれに賛成意見がでており、他の方の意見が無いか待っていた状況なのですが、現状他にでないようですね。ひとまずの形としては、一旦本記事にコラボレーション関連の記事を集約した上で、後日分離した方がいいか再度提案し直す形をとろうかと思いますがいかがでしょう?--Tmatsu会話) 2013年10月17日 (木) 04:35 (UTC)

そうですね。それでいいと思います。--元一一四会話) 2013年10月18日 (金) 04:48 (UTC)

報告記述内容の本記事への転記統合を行いました。--Tmatsu会話) 2013年10月25日 (金) 09:20 (UTC)

「シリーズ構成」について[編集]

魔法少女まどかマギカやその関連記事を見ると、「シリーズ構成・脚本」に虚淵玄と表記されているのですが、公式サイトのスタッフ表記([2][3])を見ると、虚淵玄は「脚本」にしかクレジットされていません。また、本編のオープニングでも同様のクレジットだったはずです。つまり、「シリーズ構成」は存在しないはずであり、存在しない役職が記載されていることに違和感があります。「シリーズ構成」が虚淵玄である出典を示してほしいのですが、2~3週間程度待っても出典が明示されなければ、「シリーズ構成」を除去したいと思っております。--アストロニクル会話) 2014年2月23日 (日) 06:02 (UTC)

コメント 公式サイトのスタッフ表記にある「脚本:虚淵玄(ニトロプラス) >>コメントを読む」のところをクリックしてみてください。また、公式サイト開設当時のアーカイブにも「シリーズ構成・脚本 - 虚淵玄」というクレジットが見られます[4]。他にもGoogleで大雑把に検索すれば、幾つかの「シリーズ構成 虚淵玄」としている出典が見つかります。
虚淵氏は『魔法少女まどか☆マギカ』全話の構成案を執筆していますし、また当初の構成案が虚淵氏によって執筆され、全13話→全12話という変更を経つつもそのまま採用されたことについては、『魔法少女まどか☆マギカ 公式ガイドブック』(ISBN 978-4-8322-4061-2)のp100などに記載があります。虚淵氏はストーリーの初期案から全話の脚本まで携わっており、シナリオの構成においては、「シリーズ構成」と呼べる役割を果たしたことは疑いがないでしょう。
ただ、ウィキペディアにおける「シリーズ構成」の記事の定義では、「シリーズ構成とは、複数の脚本家が参加する作品でまとめ役を担う役職である」という旨の説明がされています。一人で全話の脚本を首尾一貫して担当しているのだから、まとめ役という役職そのものが不要であり、そういった立場にある人物を指して「シリーズ構成」という表現を使うのはおかしいという考え方もあるでしょう。後の公式サイトのクレジットから「シリーズ構成」という単語が消されているのは、製作側にそのような認識があったからなのかも知れません。--Kanohara会話) 2014年2月23日 (日) 07:38 (UTC)
返信 確認しました。とりあえず、公式サイトは以前は「シリーズ構成」と記載されていたことを考えると、後で除去した際にコメント(画像)は除去せずにそのままになってるって形ですかね。となると「シリーズ構成」は公式側で脚本に統合したのか、ノンクレジット扱いなのか微妙なところですが。--アストロニクル会話) 2014年2月23日 (日) 08:18 (UTC)
まぁ誰が構成をしたのかは本文を読めば分かることなので、「シリーズ構成」という表記自体は残さなくても問題はないと思います。違和感があるなら除去してしまっても良いんじゃないでしょうか--半保護用会話) 2014年2月23日 (日) 09:54 (UTC)
報告 長々とやるような議論でもないと思うので取り敢えず除去しました。出典自体はあるので復帰したい方がいれば復帰しても構いません。--半保護用会話) 2014年3月2日 (日) 09:37 (UTC)

概要の方に売上を貼る[編集]

アリではないでしょうか?経済圏400億とかテレビ版BD売上の事とか触れてますし <これぐらい売れた作品>という紹介のしかたの方が 作風脚本構成あれやこれやと紹介するより「こういう作品なんだ」と一見さんにはスッと入って行ったりします 新編の売上も経済圏400億とかテレビ版BD売上に比肩するものではあると思うので 冒頭でさらっと紹介した方がこの作品の解説としては解りやすいと思います--抹茶金時会話) 2014年4月11日 (金) 00:39 (UTC)

多少触れる程度ならばかまわないと思いますが、あくまで「概要」ですから、当初書かれたような感じだとくどく感じるでしょう。それに劇場版の記事が単独である以上はそちらの方に基本的に任せた方が無難でしょうね。なので、本記事では「2013年には完全新作となる『[新編] 叛逆の物語』が公開され、記録的な興行成績と映像ソフトの売り上げを出した」などの感じで書くにとどめるので十分なのでは。--Tmatsu会話) 2014年4月11日 (金) 01:16 (UTC)
コメント Tmatsuさんと同意見です。既に劇場版の売上については劇場版 魔法少女まどか☆マギカの冒頭に書いておきました。--半保護用会話) 2014年4月11日 (金) 10:09 (UTC)
では簡素にこんな紹介でどうでしょうか--抹茶金時会話) 2014年4月12日 (土) 04:00 (UTC)
新編は深夜アニメではないのでTmatsuさんの案でいいと思いますが--半保護用会話) 2014年4月12日 (土) 09:39 (UTC)
出典としている記事中では「深夜アニメの劇場版」という表記もありますし、それに従うのでいいと思いますよ。とはいえ、もう少し手直しできそうなので、リファインを行っておきました。--Tmatsu会話) 2014年4月12日 (土) 13:21 (UTC)

どうせ同じユーザーだと思うのでここに書きますが、十六茶の売上があがったことは作品の評価とは直接関係あるとはいいがたいので売上節には載せなくていいと思います。また、数に限りがある販売物を普段の十倍と形容することもミスリードを生むのでよくないかと思います。--半保護用会話) 2014年5月4日 (日) 03:20 (UTC)

報告 特に反対意見もなさそうなので、修正しました。--半保護用会話) 2014年5月11日 (日) 02:14 (UTC)

遅れネット局の扱いについて[編集]

現在プロジェクト‐ノート:アニメ#再放送・遅れネットの扱いについてで議論中ですが、このページに関しては本放送終了後に放送された局の情報が極端に規制されているきらいを受けます。本放送終了後暫くして大量の追加放送局が相次いだ『コードギアス 反逆のルルーシュ(第1期)』『マクロスF』『けいおん!(第1期)』などに関しては普通に表記述されているだけに、かなりの違和感を覚えるのですが・・・。何の特筆性が無い再放送や、本放送局と放送対象地域が重複する局での(実質)再放送については流石にそこまでする必要は無いとの考えです(一時期の『新世紀エヴァンゲリオン』記事での無軌道な再放送記述は酷いものでした・・・)。本作品の追加放送局に関してはおおよそ出典が揃っているだけに(新潟放送の分はこちらで追加しました)、取り敢えず合意が形成されれば特に問題にはならないかと思うのですが。--TOYO GTO会話) 2014年6月29日 (日) 00:26 (UTC)

プロジェクト:アニメには再放送リストは原則掲載しなくてよいとあるのでこれでもまだ書いてある方だと思います。どれもWP:NOT#Directoriesにある歴史的に重要な放送スケジュールではないでしょうし、放送局と開始時期がわかれば十分だと思います。そもそも事典に分単位までスケジュールを書く必要があるのは最速放送位だと思います。--半保護用会話) 2014年6月29日 (日) 04:05 (UTC)