ノート:皇位継承問題/過去ログ

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皇位継承問題の集大成を[編集]

本項を記事女系天皇から分割独立させました。皇位継承問題は複数の項目に分散しているので、これらを集めて大成すべきだと考えます。現在、記事女性天皇にも記事統合を打診しています。今後、記事旧皇族三笠宮寬仁などにも順次打診する予定です。--井上経介 2005年11月22日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

項目名の不適切性と記述の普遍性[編集]

  • 「皇位継承問題」という項目名は不適切です。何故かというと、「皇位」とは皇帝の位であって、「皇位継承」というのは、皇帝の存在する(存在した)国において、一般的な事態であるからです。皇帝の場合は「帝位」と言って、「皇位」は日本の天皇だけだという考えがあるかも知れませんが、やはり、世界的な視点だと、日本の皇帝(天皇)の帝位(皇位)の継承というのは無理があります。「天皇位継承問題」と項目名を変更するか、その他、例えば「皇位継承問題 (日本)」あるいは「皇位継承問題 (天皇)」などの限定が必要だと思います(皇位継承問題は、redirect とするのがよいと思います。他にも「皇位継承問題」という記事が、日本以外の過去の帝国について出来る場合は、曖昧回避等になります)。--Maris stella 2005年11月23日 (水) 18:52 (UTC)[返信]
  • ご指摘ありがとうございます。ただ、英語などでは天皇も皇帝も「emperor」ですが、日本語では皇位と帝位を区別することも不自然ではないかと思います。
    もちろんこの問題について議論することも大事ですが、それよりも先に記事女性天皇旧皇族三笠宮寬仁などと統合させた方が無用な混乱を回避できるではないでしょうか。統合完了まではあと10日ほどです。私としては、記事冒頭にテンプレを2つも重ねたくないというのもあります。--井上経介 2005年11月24日 (木) 00:25 (UTC)[返信]
  • また、WIKIPEDIA は百科事典であって、時事ジャーナリズムではありません。定義文や説明等を、普遍的な視点から書き直してください。例えば、「1990年より議論されてきた……」というように、歴史的な流れのなかでの事象として普遍的な記述を与えてください。このような問題は、やがて決着が付き、その結果は歴史になります。本当は、歴史になった後で記事にすべきことですが、歴史は進行過程なので、このような記事も必要とは思います。(それと、内容的・項目名的に、日本の歴史だけで見ても、過去に「皇位継承問題」は何度も生じています。天武が弘文と争った「壬申の乱」も皇位継承問題です。南朝と北朝のあいだのどちらが正統かというのも、皇位継承問題です。いま現在、日本で話題になっている「皇位継承問題」は、女帝を認めるかどうか等の、「現在の皇室典範の改定問題」などのことが考えられますが、歴史のなかで、世界のなかで眺めてみると、「皇位継承問題」という事態は、広い指示内容を持つので、限定性が欠けています。「天皇位継承問題」に項目名を変えても、日本の過去の歴史において、天皇位の継承をめぐる問題が複数生じているので、限定性に欠けています。そのあたり、考えてみて戴ければ幸いです)。--Maris stella 2005年11月23日 (水) 18:52 (UTC)[返信]

適切な記事名の提案[編集]

ノート:女帝で詳細に述べましたので、そちらを参照して戴きたく思いますが、本記事名は、「平成皇位継承問題」という記事名に変更するのが望ましく思えます(移動すれば、記事名は変わります)。他にもよい名称があるという方は、あるいは、現在の名称で適切であるという方は、意見を述べて戴ければ幸いです。--Maris stella 2005年11月24日 (木) 11:04 (UTC)[返信]

この問題の呼称が「平成皇位継承問題」で定着するとは思われませんが、項目名は後からいくらでも変更が利きますので、当面はMaris stellaさんの案でもいいかもしれません。ただし、項目名変更よりも記事統合を優先すべきだという私の考えに変わりはありません。如何でしょうか。--井上経介 2005年11月25日 (金) 01:28 (UTC)[返信]

さまざまな場で幾度も話題になっている事ですが、やはり、この項の項目名は相応しくないように思われます。そこで、女性・女系天皇問題に変更してはどうでしょうか。記事内容を見るに、女性・女系天皇の可否こそがまず第一の争点なわけですし。ネット上のブログ等を眺めても今回の問題については「女性天皇問題」乃至は「女系天皇問題」と称することが多いようです。ちなみにGoogleで「女性天皇問題」で検索すると約1,050,000件ヒットしますが、「皇位継承問題」で検索しても約172,000件しかヒットしませんでした。しかもこのヒットの中には過去の皇位継承問題の記事も含まれるわけですから、実際にこの件について論じている「皇位継承問題」の記事は更に少なくなるでしょう。wikipediaが何より百科事典です。より普遍的な記事名称を採用すべきかと思われます。Brownsuger 2005年12月12日 (月) 12:33 (UTC)[返信]

反対します。理由は以下の2点です。
  1. 女性・女系天皇の可否は重大な争点ですが、この可否は「新宮誕生」「旧皇族の皇籍復帰」「側室制の復活問題」などの対策案の可否とも密接に関連していて、それぞれもまた重大な争点です。女性・女系天皇の可否だけが独立しているのではありません。
  2. この一連の問題の呼称として最も普及定着しているのが「皇位継承問題」でないことは争うべからざる事実ですが、第1点で説明したように、「女性・女系天皇問題」はこの一連の問題を正確に表現していません。百科事典の項目名は何よりも正確であることを期すべきであり、その項目名より普及定着している呼称があればそこから本項へのリダイレクトを作成すればよいだけだと考えます。
リダイレクトの作成に合意形成は必要ないため、勝手ながらすでに「女性天皇問題」「女系天皇問題」「女性・女系天皇問題」「女性・女系天皇問題」「女性女系天皇問題」「皇室典範問題」からのリダイレクトを作成しました。もちろん、これは本提案の合意形成を妨げるものではなく、私もすでにリダイレクトが作成されたことを理由に反対するようなことはありませんので、どうか悪しからず。--井上経介 2005年12月12日 (月) 17:46 (UTC)[返信]
うーん。そうなると、やはりMaris stellaさんの主張されるように、平成皇位継承問題とでもするしかないのでしょうかね。ただ、平成皇位継承問題という名称はあまりにも耳慣れないものですし、何より日本語として少々違和感があります。ただ、皇位継承問題では過去から現在までの世界中の所謂「皇位継承問題」との区別がつかず、普遍性を欠くのは明らかです。となると、「日本の皇位継承問題(平成)」あたりが最も妥当かとも思われますが、如何でしょうか。Brownsuger 2005年12月13日 (火) 03:54 (UTC)[返信]
でしたら「皇位継承問題(平成)」でよいでしょう。「平成」は日本の元号であるため、「日本の」という修飾は余分と考えます。--井上経介 2005年12月15日 (木) 13:16 (UTC)[返信]
確かにそうですね。皇位継承問題(平成)で良いと思います。Brownsuger 2005年12月17日 (土) 02:30 (UTC)[返信]
Wikipedia:記事名の付け方によると、括弧は半角にし間に半角スペースを挟んで「皇位継承問題 (平成)」とすべきようですね。--井上経介 2005年12月18日 (日) 01:03 (UTC)[返信]
それでは、その項目名に変更という事で。Brownsuger 2005年12月18日 (日) 02:57 (UTC)[返信]
今上天皇が存命中にこの問題が解決しなかった場合、また記事名を変えたり、あるいは同じ話題なのに別記事を作るという事をするのですか?58.91.118.232 2005年12月28日 (水) 11:21 (UTC)[返信]
その場合は改名することになりましょうか。もっとも今上天皇は高齢ながら健康ですので、あまり気にせずともよいと思います。--井上経介 2005年12月28日 (水) 23:03 (UTC)[返信]
合意が形成されていますので、勝手ながらBrownsugerさんに代り改名を実行しました。上掲リダイレクトも修正しました。何か不手際がありましたら指摘してください。--井上経介 2006年1月11日 (水) 00:20 (UTC)[返信]

昭和天皇の末裔[編集]

「伏見宮系の男系男子でありながら昭和天皇の末裔でもある者も存在する」という記述について。まずこれが事実かどうか。原典は存在するのかどうか。事実であれば具体的な人名をあげて記述すべきではないでしょうか。また、男系優先の立場からは、昭和天皇の男系の末裔でなければ、この文章で書かれていることはなんの意味もない情報ということになりますから、昭和天皇の男系の末裔かどうかについても記述すべきではないでしょうか。Usapyon

事実です。原典とは何のことか分かりませんが、昭和帝の第一皇女が東久邇宮家に嫁ぎ、その子孫が現在も続いていることは有名な話です。即ち、彼らは伏見宮系の男系男子でありながら、昭和帝の末裔でもあります。そもそも、「伏見宮系の男系男子」と明言している時点で、昭和帝の男系について言及しているとは考えないと思いますが。
ちなみに、「末裔」といった場合、それは別段男系に限定されるものではありません。よく誤解している人がいますが、皇室に絶対的な男系継承原理があることは、血縁関係において母系の血統が無視されることを意味するものではありません。これは、平安期の摂関家が天皇の外祖父という個人的な血縁関係に立脚して権力を掌握したことでもよく分かります。Brownsuger 2005年12月6日 (火) 11:58 (UTC)[返信]
「原典の表示というのは、根拠の無い噂ではなく、出版された本によってソースを明白にするべき」ということでしょうか? 人名は現時点ではプライベートな問題なので実名を記載しないほうがいいと思います。皇室関連を取り上げている本などで、「昭和天皇の末裔でもある旧皇族の男系男子」を書いている本ってありましたっけ? 近々、旧皇族によって「語られなかった皇族たちの真実」という本が出版されるそうですが、その中に「昭和天皇の末裔でもある旧皇族の男系男子」が記載されていれば、ソースになるでしょう。この本の発売は今年の12月12日だそうです。--経済準学士 2005年12月6日 (火) 14:15 (UTC)[返信]
私の手許にある『別冊宝島ムック「皇位継承と宮内庁」』には旧皇族男系男子の構成、氏名、年齢が記載されています。これによると、「昭和天皇の直系卑属でもある旧皇族の男系男子」(20-30代)は3家に5人います。ただし、私も現時点では「某家に何人」以上のことは記事にすべきでないと考えます。--井上経介 2005年12月7日 (水) 12:50 (UTC)[返信]
了解です。男系論を補強する立場でとつぜん「末裔」と出てきたので、個人的にはちょっと「あれ?」と思いました。つまり、いわゆる「落とし胤」で昭和天皇の男系の子孫がいる、という俗説あるいは主張なのかと一瞬おもいました。誤解をまねく可能性のある文章だと思うので、以下のように変更してはいかがでしょうか。Usapyon 2005年12月8日 (木) 13:32 (UTC)
これらは今から570年以上前に遡る第102代後花園天皇のところで、今上天皇に続く系統とは分かれているが、相互の通婚による女系を考慮すれば、現皇室と相当の近親に当たる者も複数存在する。もっとも近親の者は伏見宮系男系男子かつ昭和天皇の非男系の直系子孫である。
伏見宮系男系男子が同時に昭和帝の男系であることはありえない話なので、わざわざ「非男系」という前提を置く必要はないと考えますが。Brownsuger 2005年12月9日 (金) 03:55 (UTC)[返信]

ところで、女系天皇での 「しかし、古来日本の皇室では、皇位を継承するためには父のみ皇族であればよく、皇族男子と藤原氏など臣民女子との間に生まれた子が即位した例はきわめて多い。極端な例では、母が全くの庶民の出である光格天皇なども存在する。このような例は貴賎結婚に極めて厳格だったヨーロッパの王室ではあまり見られないことである」 といういわば女系はどうでもいい、という男系優先の立場を説明する記述と、「女系を通じて現皇室と近縁」という点を強調する記述はあまり整合性が取れていないようにも見えます。関連して、本文での「女系容認論者は旧皇族の父系による遠さを強調するが、それには大きな矛盾がある」という文章が、論理が通ってないように思います。「男系優先という立場をとるならば、女系で繋がっていても意味がない事になるので最後の接点は570年前という事になる」というロジックと「女系の繋がりに意味があるという立場をとるならば、現天皇の一番の近親は愛子様であり、先の代に臣籍降下して60年にもなる産まれながらの庶民ではない」というロジックは両立しますので。(「AならばB」という命題はAが偽の時も真である、という話。←という説明がかえって混乱を招いたらすみません)Usapyon 2005年12月8日 (木) 13:32 (UTC)

男系優先であること、場合によっては男系のみの資格によって即位しうることは、天皇の母系の血縁関係が常に無視されることを意味するものではありません。「男系優先=母系の血縁は無意味」という固定観念を捨ててください。あくまで男系優先の大前提の上で母系の血縁関係も考慮されるのが皇室の伝統です。これは1か0かという話ではないのですよ。
男系優先の最後の接点は570年前ではないです。この点について本文で述べました。なお、これに関連して、皇位継承権を有するものは、旧皇族だけではないという立場からの旧皇族(のみの)復帰への反対意見を追記しました。--Shakujii kid 2006年1月27日 (金) 06:25 (UTC)[返信]

天皇の男系男子は、旧皇族に限るわけではない。……旧皇族がこれらの人に先んずる理由がなくなる。」という意見は男系子孫の皇籍復帰そのものには反対していないので、節「反対論の主張」から概説部に移し、加筆しました。--井上経介 2006年1月27日 (金) 09:17 (UTC)[返信]

移動については、賛同します。ただし、加筆内容についてGHQの指令が不自然だとする点がありましたが、指令の意図およびこれを受け入れた背景を含めて、冒頭部に移して記述しました。--Shakujii kid 2006年1月28日 (土) 07:42 (UTC)[返信]

その理由は皇室財産の削減の為であったが、これを受け入れた背景として、皇室そのものの存続を連合軍に認めてもらった負い目および、昭和天皇の弟の三直宮の存在による後継者難の危機感の欠如があげられる。」ことに異論はありませんが、そのような背景があろうとなかろうと、占領下ではGHQの指令に従う他なかったように思います。むしろ、「皇室そのものの存続を連合軍に認めてもらった負い目および、昭和天皇の弟の三直宮の存在による後継者難の危機感の欠如」は主権恢復後も旧皇族を皇籍復帰させなかった背景にこそ当て嵌まり、本項よりも別項「旧皇族」に記載すべきではないでしょうか。

また、結果として皇室がこれを受け容れたとしても、外国からの指令によって皇籍離脱するというのはやはり不自然だと思います。如何でしょうか。--井上経介 2006年1月28日 (土) 09:30 (UTC)[返信]

私個人は敗戦により戦勝国からの強制を受けることは当然であり自然だと考えます。とはいえ、自然不自然は井上さん個人、私個人の考えでしかないので、ここでそれを書くべきではないと考えます。ただし国粋主義者、伝統主義者がこのように考えるという記述はあってもよいかと思います。--Shakujii kid 2006年1月28日 (土) 10:34 (UTC)[返信]

私が「不自然」と言いましたのは、占領下においてという文脈ではなく、長い日本の皇室史全体においてというそれなのです。「日本の皇室史上」という文言を入れましたので、これならば「個人の考え」でなくなるのではないかと思います。また、「国粋主義者」は定義が曖昧なので削りました。

それと、現在コメントアウトしている箇所を別項「旧皇族」に移すということについては如何でしょうか。--井上経介 2006年1月28日 (土) 13:40 (UTC)[返信]

そもそも「占領下」という自体が、長い日本の歴史で未曾有のものだったわけですから、そのことをはっきりと明示すべきです。--Shakujii kid 2006年1月28日 (土) 23:56 (UTC)[返信]
移すのは結構ですが、ただ移すといっても移せないでしょう。それ以前に、旧皇族の項で、なぜ皇籍離脱に至ったのか詳細に書くべきでしょう。皇室典範に関する有識者会議の資料は当然全てお読みになったと思いますが、理由についてはp41~43の参考16 旧皇族のところに書かれています。また、p44~47の参考17 皇籍離脱、皇籍復帰の否定の歴史と制度を読めば、伏見宮系の旧皇族は、GHQの指令がなくとも皇籍離脱に至る筈だったことがわかります。--Shakujii kid 2006年1月29日 (日) 01:46 (UTC)[返信]

そもそも「占領下」という自体が、長い日本の歴史で未曾有のものだった」ことを盛り込み、修正しました。「日本史」「日本の皇室史」という類似語句の繰り返しが少々気になりますが。それと、「ただし、旧皇族の皇籍離脱に関しては、明治期の旧皇室典範によって世襲親王家の制度は廃止されており、その後の新宮家設立も、内親王との結婚等による点で、同じく伝統から外れたものである。」との一文は趣旨が不明瞭ですし、明瞭にすればしたで「反対論の主張」に移動せざるを得ないか、あるいは論理矛盾が生じるような気もしますので、ひとまずコメントアウトしました。如何でしょうか。

あと、これ以上は別項「旧皇族」のノートで議論すべきことでしょうが、移転させる前にもう少しだけコメントを。片山哲議長によると「今次戦争が終結しました直後より、皇族のうちから、終戦後の国内国外の情勢に鑑み、皇籍を離脱し、一国民として国家の再建に努めたいという御意思を表明せられる向があり……」とのことですが、この発言を額面通り受け取るのは難しいと思います。閑院宮春仁王など一部の皇族は皇籍離脱に反対していたようですし、いくら無い袖を振れないとはいえ、皇族を「馘」にはできないので「依願退職」の体裁を取ったというだけではないでしょうか。--井上経介 2006年1月29日 (日) 08:04 (UTC)[返信]

まず「明治期の旧皇室典範によって世襲親王家の制度は廃止されている」というのは事実ですから、趣旨を問う必要はありません。次に「その後の新宮家設立は、内親王との結婚等による点で、同じく伝統から外れたものである。」は、明治期以後の皇族の扱いが、世襲親王家の伝統とは明らかに異なる点では、GHQの指令と同等だということです。これは反対論ではなく、旧皇族のみが皇位継承権をもつという偏狭な態度の誤りを指摘するものです。--Shakujii kid 2006年1月29日 (日) 22:40 (UTC)[返信]
あと井上氏が再三書かれている「不自然なもの」という言い方は明らかに個人の思想を読者に強制するものでありどのようないいわけもこれを正当化できないと考えますのでそれ故この箇所を「前例のないもの」と変えました。--Shakujii kid 2006年1月29日 (日) 23:15 (UTC)[返信]

所用で数日間Wikipediaを編集できませんので、すみませんがこの件については暫く保留扱いにさせてください。ちゃんとしたお返事は後日改めていたします。それまでに「片山議長の発言を額面通り受け取るのは難しいのではないか」という点についてもお返事があれば幸いです。

なお、私の段落と段落との間に割り込んでコメントするのはお止めください。--井上経介 2006年1月30日 (月) 00:25 (UTC)[返信]

井上氏の所要は私とは無関係ですので、井上氏が編集できようができまいが、こちらは編集を行う権利を有します。それから片山議長の発言の件ですが、結局旧皇族は皇籍離脱を受け入れたのですから、片山議長の発言が額面通りであろうがあるまいが、問題になりません。--Shakujii kid 2006年1月30日 (月) 04:24 (UTC)[返信]

皇籍復帰問題において、皇別摂家が候補者として挙げられたり議論の争点になったりすることは全くありませんので、章題などは「皇籍離脱者の」でなく「旧皇族の」とすべきです。また、「なお旧皇族以外にも、現在は皇族でない天皇の男系子孫として……」以下の記述は現行のままの方がよいと思います。もしRevertしたいのならばまずノートでその理由を説明してください。

なお、私がお願いした「保留扱い」とは暫く記事を編集しないでくれということでなく、編集後に何ら反応がなくとも私がこれを黙認したということにしないでくださいということです。--井上経介 2006年2月8日 (水) 15:08 (UTC)[返信]

皇籍復帰問題において、皇別摂家が候補者として挙げられるのはネット上です。マスコミが全てではありません。したがって「皇籍離脱者の」とすべきであって、わざわざ「旧皇族の」とするのは明らかに旧皇族を不当に推す行為です。なお、「なお旧皇族以外にも、現在は皇族でない天皇の男系子孫として……」以下の井上氏の記述は旧皇族を不当に推す点で、中立性を否定しており、wikipediaの精神に反する不適切なものですので、残念ながらRevertさせていただきます。井上氏は自分が中立性を否定していることを認めるべきでしょう。--Shakujii kid 2006年2月8日 (水) 22:31 (UTC)[返信]

旧皇族が皇籍復帰することへの国民感情について[編集]

節「賛成論の主張」の

女系論者は長く民間で暮らした旧皇族が国民から皇族として受け入れられることはないと主張するが、そこには矛盾がある。即ち、女系を容認すれば数多くの民間生まれの民間育ちの男性がにわかに皇族として皇室に入ることになるが、そのような男性たちに国民が親近感や尊崇の情を抱く可能性こそ非常に薄いであろう。

という段落は、旧皇族の皇籍復帰が皇位継承資格有りの皇族としてなのか無しの皇族としてなのかを明記していません。かといって、明記すれば「賛成論の主張」が内部分裂することになるため、この段落の削除を提案します。--井上経介 2005年12月11日 (日) 09:04 (UTC)[返信]

この文章の前提は「旧皇族が国民から皇族として受け入れられるか否か」であって、「旧皇族が国民から皇位継承権を持つ皇族として受け入れられるか否か」ではありません。現行においても、法的な意味での皇族には皇位継承権を持たない者も含まれます。復帰皇族の皇位継承権については別で論じるべき話題でしょうBrownsuger 2005年12月11日 (日) 12:45 (UTC)[返信]
私の提案はそういうことでありません。「女系論者」の「長く民間で暮らした旧皇族が国民から皇族として受け入れられることはない」という主張は、旧皇族の皇籍復帰が皇位継承資格無しの皇族としてならば矛盾ですが、有りの皇族としてならば矛盾でありません。その前提条件を明らかにしないまま「矛盾」と断言するのは、「中立的な観点」から逸脱するだけでなく、論理としても成立しません。--井上経介 2005年12月11日 (日) 17:47 (UTC)[返信]
おっしゃる意味が分かりませんね。「有りの皇族としてならば矛盾でありません」ということは、つまり長く民間で暮らした旧皇族が国民から皇位継承権を持つ皇族として受け入れられることはない」ということですよね。これは井上さんの個人的な意見でしょう。旧皇族の復帰が現実に行われていない以上、現時点では受け入れられるかどうかは未知数としか言えませんよ。なのに何故「受け入れられない」ことを動かぬ事実として話を進めるのですか?それこそ「中立性」から逸脱する姿勢でしょう。Brownsuger 2005年12月12日 (月) 03:57 (UTC)[返信]
ですから、そうではありません。「女系論者」は、女性天皇が結婚してその夫が皇位継承資格無しの皇族となることには賛成し、有りの皇族となることには反対していますので、旧皇族が皇籍復帰してやはり皇位継承資格無しの皇族となることに反対するのであれば、これは矛盾です。しかし、もし旧皇族が皇籍復帰して皇位継承資格有りの皇族となるのであれば、反対することは矛盾でありません。
ちなみに、「長く民間で暮らした旧皇族が国民から皇位継承権を持つ皇族として受け入れられることはない」ということは私個人の意見でなく、「女系論者」の意見です。もしこれが特定個人の意見でしかないとすれば、「女系を容認すれば数多くの民間生まれの民間育ちの男性がにわかに皇族として皇室に入ることになるが、そのような男性たちに国民が親近感や尊崇の情を抱く可能性こそ非常に薄いであろう」ということもまた特定の個人の意見でしかないということになるでしょう。--井上経介 2005年12月12日 (月) 07:43 (UTC)[返信]
ますます分かりませんね。女系論者は、皇位継承権の有無に関わらず旧皇族の復籍に反対する人が大半ですよ。というか、皇位継承権が無い皇族ならば旧皇族の復帰を容認する、と主張する女系論者など見たことも聞いた事もありません。彼らはただ、「男系で遠いうえに民間暮らしの長い旧皇族は皇族として国民から受け入れられない」と主張しているだけです。皇位継承権には何ら言及していません。
それと、「女系を容認すれば数多くの民間生まれの民間育ちの男性がにわかに皇族として皇室に入ることになるが、そのような男性たちに国民が親近感や尊崇の情を抱く可能性こそ非常に薄いであろう」という下りは、「民間育ちでも血統正しい旧皇族ですら皇族として受け入れられない」という女系論者の主張に対応し、その論理の矛盾を批判する意見ですよ。文脈をあえて無視し、文章の一部を切り取って殊更に批判するのは如何なものでしょうかね。Brownsuger 2005年12月12日 (月) 11:41 (UTC)[返信]
「皇籍復帰した旧皇族を皇位継承資格者にすべきだ」という意見からすれば、旧皇族はいつ皇族になってもよいでしょうが、「皇籍復帰した旧皇族を皇位継承資格者にせず、皇族女子との間に生まれた子のみに皇位継承資格を与えるべきだ」という意見からすれば、旧皇族が皇籍復帰しても皇族女子と結婚しなければ百害あって一利ないので、旧皇族が皇籍復帰するのは必ず皇族女子との結婚と同時ということになります。女系論者は、皇室典範を改正して女系を容認し、旧皇族が皇族女子との結婚によって皇位継承資格無しの皇族となることには反対していません。したがって女系論者も、皇族女子との結婚と皇位継承資格無しとが前提であれば、男系維持だろうと女系容認だろうと旧皇族が皇族となることには反対しようがないはずです。
皇位継承権が無い皇族ならば旧皇族の復帰を容認する、と主張する女系論者」が、あるいは存在しているかもしれませんが見当たらないくらいに少ないのは、恐らくそこまで詳細な条件設定をしていないためでしょう。しかし、詳細な条件設定をしていないがために、旧皇族の皇籍復帰が皇族女子との結婚と同時でしかも皇位継承資格無しの皇族としてならば、女系論者はどのように反応するかを予測することはできません。
もし女系論者が、私と同じ論法で「男系を維持するために長く民間で暮らした旧皇族が皇位継承資格有りの皇族となっても、国民から受け入れられることはないので反対だ。しかし、無しの皇族としてであれば反対しない。なぜならば自分たちは、女系を容認して民間人が皇族女子と結婚して皇位継承資格無しの皇族となっても、国民はその人物に親近感や尊崇の情を抱くだろうと考えるからだ」と主張すれば、そこに矛盾は生じません。もしこの主張に矛盾があるのであれば、この削除提案を撤回します。如何でしょうか。--井上経介 2005年12月12日 (月) 16:41 (UTC)[返信]
まさに女系論者は井上さんの仰るように主張すべきなのですよ。であれば、彼らの主張に矛盾はないということになる。しかし、現実はどうでしょうか。彼らはただ「旧皇族は皇族として受け入れられない」と強硬に主張するばかりです。有識者会議の答申がいい例でしょう。旧皇族の皇籍復帰については様々な方法が考えられるのに、何ら検討せず、ただ女系容認の結論ありきです。だから矛盾が生じるのですよ。そして、男系論者からその矛盾について指摘する意見が存在する以上、その意見をまとめて掲示する事は何の問題もないと思われます。Brownsuger 2005年12月14日 (水) 12:18 (UTC)[返信]
女系論者が「旧皇族の皇位継承権については何ら言及せずに、ただ「皇族として受け入れられない」と主張している」のは問題ですが、現行の記事もまたその問題を指摘していません。したがって当該段落は削除するか、さまもなくば修正する必要があります。削除に反対するのであれば修正案の提出を希望しますが、如何でしょうか。
私としては、もし「女系論者は長く民間で暮らした旧皇族が国民から皇位継承資格無しの皇族として受け入れられることはないと主張するが……」とすれば、やはり「皇籍復帰した旧皇族を皇位継承資格者にすべきだ」という意見の持ち主は「そこには矛盾がある」と指摘する資格がなくなりますので、修正はかなり難しいように思います。また、女系論者が「旧皇族が皇位継承資格無しの皇族として復帰すること」にまで反対するのは明らかに矛盾ですが、現状で皇位継承資格の有無という条件分岐を設定していないことはせいぜい「怠慢」や「未熟」と評すべきものであり、その怠慢をいくら追及されても善処しないようであればともかく、「矛盾」や「欺瞞」と評するには時期尚早なのではないでしょうか。--井上経介 2005年12月15日 (木) 13:10 (UTC)[返信]
有識者会議の答申より引用。「旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要な意味を持つ象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる。
ご覧のように、女系容認を結論とした有識者会議自体が、皇位継承権の問題には何ら言及せず、ただその男系の遠さを理由に「旧皇族は皇族として受け入れられない」と主張しております。そして、彼らはその「怠慢」「未熟」について既に多くの批判を受けていますが、何らその結論を修正する事はありません。これが「矛盾」でなくて何なのでしょうか。Brownsuger 2005年12月17日 (土) 02:26 (UTC)[返信]
「怠慢」「矛盾」については両論併記でもよいでしょう。それよりも、私は現行の記事が「旧皇族の皇位継承権については何ら言及せずに、ただ「皇族として受け入れられない」と主張している」問題を指摘していないことの方がより大きく、厄介な問題だと考えています。何かよい修正案がなければ削除しますが、如何でしょうか。--井上経介 2005年12月17日 (土) 10:06 (UTC)[返信]
というか、まだお互いに見解の相違がある状況で、一方的に「修正案がなければ削除しますが」は無いでしょう。そんなやり方で強引に削除されても、こちらが納得していない以上すぐに復活させますよ。そもそも、そういう状況を防ぐためにノートで議論しているわけでしょう。それに、私は上記の文章には何の問題もないと思っているので、修正案なんて作りませんよ。問題点を感じているのは井上さんなんだから、その問題点を解決すべく修正案をつくるべきなのは井上さんのほうでしょう。Brownsuger 2005年12月18日 (日) 02:57 (UTC)[返信]

ツリーが長大になりましたのでこちらに。 これは失礼しました。Brownsugerさんから「まさに女系論者は井上さんの仰るように主張すべきなのですよ」との発言が得られ、しかも2005年12月17日 (土) 02:26 (UTC)時点の発言で私の「女系論者が……如何でしょうか。」という意見への返答がなかったため、てっきり見解の溝は埋まったものと理解してしまいました。すみません。 では、「上記の文章には何の問題もないと思っている」のであれば、当該段落はいったいどのような根拠があって女系論者のどのような矛盾を指摘しているのでしょうか。現行の記事では読めば読むほどに意味が分からなくなってしまいます。ちなみに、私の対案は「修正が不可能だろうから削除」というものです。削除せずに残しておきたいのは山々ですが、私の浅知恵ではどうにもなりそうにありません。--井上経介 2005年12月18日 (日) 17:49 (UTC)[返信]

72時間以上異議がありませんでしたので、合意が形成されたものとして当該段落を削除しました。もしREVERTするのであればまずノートでそのことを提案し、合意を形成してからにしてください。--井上経介 2005年12月22日 (木) 04:09 (UTC)[返信]

旧皇族男系男子の皇籍復帰は当然、皇位継承者を前提にしたものでしょう。皇室典範(&旧皇室典範)では(遠縁で皇位継承順位が遠いという人もいたけど)皇族男子全員に皇位継承権がありますから、整合性が取れないと思います。
女系容認による皇位継承問題解決策では、民間人男性が女性皇族との婚姻によって皇族入りした場合、民間人男性には憲法の「皇位は世襲による」との規定から皇位継承権がありません。民間人が皇族との婚姻によって皇族入りしたケースは、美智子皇后や雅子皇太子妃の皇族入りがありましたが、親近感や尊崇の情はどうだったでしょうか? 多くの国民が受け入れたのではないでしょうか?
旧皇族に男系男子が皇籍復帰によって皇族入りするのと、民間人男性が女性皇族との婚姻によって皇族入りするのは違いがあります。皇位継承権の有無や、皇族との婚姻関係による皇族入りか否かなどの違いがあります。
井上さんの指摘対象となった文章は、「長く民間で暮らした男性が皇族入りすること」という点だけで同一視して女系論を批判していますが、他の違いを無視している点で問題だと思います。--経済準学士 2005年12月12日 (月) 13:35 (UTC)[返信]

旧皇族の復帰者に限り皇位継承権を留保するという主張も少数ながら存在しますので、「旧皇族の皇籍復帰は当然、皇位継承者を前提にしたもの」とは言い切れないのですよ。そのような場合、復帰した旧皇族の男子が美智子皇后や雅子妃が皇族として国民から受け入れられたのと同様に、国民から受け入れられないとは限りません。
そもそも、何度も書くように皇族の要件には皇位継承権の有無は含まれないのです。皇位継承権があろうがなかろうが皇族は皇族です。そして女系論者は旧皇族の皇位継承権については何ら言及せずに、ただ「皇族として受け入れられない」と主張している。だから上記のような批判の対象にもなる、と。それだけの話ですよ。この件について問題があるとすれば、それは皇位継承権の有無に関わらず旧皇族の復帰を一様に否定し続ける女系論者の姿勢にあるのでしょう。Brownsuger 2005年12月12日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
すみませんが、経済準学士さんはこの提案に賛成なのか反対なのかがよく分かりません。どちらなのでしょうか。
しかしいずれにしても、確かに男系維持か女系容認かで旧皇族の皇籍復帰は「皇族との婚姻関係による皇族入りか否かなどの違い」が生じますが、女系論は「国民がその人物に皇族として天皇の父としての親近感や尊崇の念を抱くかどうか」という結果を重んじますので、その手続きを理由に反対することはできないでしょう。--井上経介 2005年12月12日 (月) 16:41 (UTC)[返信]

>この提案に賛成なのか反対なのか
女系論者は(中略)薄いであろう。」という文章に批判的な立場です。
旧皇族復籍論は皇族男系男子は男系皇統を引き継ぐ人物であるために、(復籍する本人の皇位継承権の有無に関わらず)男系皇統を維持するためという理由でしょう。現皇室との関係を維持するために、旧皇族と女性皇族との婚姻が提案されていますが、理論上、男系皇統という観点から、皇籍復帰した旧皇族の配偶者がだれであろうが、(復籍した本人にはなくても)その男子には皇位継承権があるとされるようですし。
一方、(旧皇族を含め)民間人の皇族入りは皇族との婚姻でしか認めないというのが女系論者の立場でしょう。皇族と婚姻して皇族入りした(旧皇族も含め)民間人出身の皇族は法律上は皇統を引き継いでいないとしているわけです。
女系論者は(中略)薄いであろう。」という文章は「長く民間で暮らした男性が皇族入りすること」という点で同一視して批判していますが、目的は何なのかという点の違いを重視していない点で問題だと思います。「男系皇統を引き継ぐ旧皇族が復籍によって皇族となること」と「男系皇統が引き継いでいない民間人男性が皇族女性から配偶者として選ばれて皇族となること」をで同一視している点で問題があると思います。「民間人男性が皇族入りをすること」の目的が「女性皇族のパートナー」なのか、「男系皇統維持という意味での皇族」なのかの違いがあります。
「男系皇統を引き継ぐという意味での旧皇族が皇籍復帰」をすることは、臣籍が短ければ短いほど国民から受け入れやすいが、臣籍が長ければ長いほど国民から受け入れにくくなるということでしょうか(過去には57年ぶりに皇籍復帰した前例があるけどね)。
まあ、私は女系には批判的だけど、旧皇族復籍批判派で女系容認論者からすれば、上のような意見になるのかなと思う。-経済準学士 2005年12月17日 (土) 03:59 (UTC)[返信]

旧皇族の不名誉な事件について記載するべきではありませんか?竹田氏はその出自を利用して、マルチの集客をした事は有名ですが、他の旧皇族はどうなのでしょう?211.133.18.201 2006年9月8日 (金) 07:00 (UTC)[返信]

章「旧皇族の皇籍復帰問題」の修正について[編集]

Brownsugerさんへ。編集の要約欄に「詳細はノートを参照のこと」と書くのを失念してしまいました。私の編集要旨の詳細は以下の通りです。版間での差分も参照のこと。

  1. 賛成論の第3点(以下、すべて2006年1月7日 (土) 19:38 の版のもの)と第5点とはいずれも「菊栄親睦会」を中心とした主張であり、内容が重複しているため統合。
  2. 複数の世論調査が寛仁親王の予想を否定しているため、第5点「むしろ、女系を容認すれば……違和感が強いのではないか。」を削除。
  3. 反対論が「一部の旧皇族は明治天皇や昭和天皇の女系子孫でもあるが、女系子孫であることを理由にこれらの人々を復帰させるのであれば、皇室典範改正以前に降嫁した皇族女子やその子孫まですべて復帰してよいことになってしまう。それでは収拾が付かなくなってしまうので反対」と主張すれば、第4点が指摘するような矛盾は生じない。よって第4点を削除。
  4. 「違和感」とは、皇室に入る当事者ではなく国民の感じる違和感である」とするならば、これに対応させて反対論の第5点を「そのため、男系継承の維持に固執すれば……なりかねない。」と修正。「また、戦後民間から皇室に嫁いで……根拠は何もない。」のままでは反対論の反論が反論でなくなってしまう。

編集の要約欄に手落ちがあったことは、ここにお詫びします。しかし、以上4点のうち2、3点くらいは、対校すれば要旨を詳説せずとも分かりそうなものでしょう。少なくとも、私の複数箇所への編集をすべてRevertする必要は全くないものと思います。

それと、私は編集の要約欄で「そもそも本節が寛仁親王個人の意見に拘束される理由もないのだが…」とコメントしましたが、「拘束されない」と「紹介しない」とは全く異なります。私はちゃんと「〔旧皇族は〕単なる民間人とは同列に論じられない。ゆえに彼らが皇籍復帰しても、国民は「陛下」「殿下」などと呼ぶことに違和感を覚えはしないだろう。」との記事を残していますので、「〔寬仁親王の意見を〕「代表的な賛成論」として紹介することに一体何の問題があろうか」との批判は当りません。

また、2006年1月7日 (土) 21:49の版女系論者は……異様な意見である。」との一文が追記されましたが、反対します。その理由については本ノートの章「旧皇族が皇籍復帰することへの国民感情について」を参照のこと。それでなくとも「異様」という表現は主観に偏っていて不要です。--井上経介 2006年1月7日 (土) 15:40 (UTC) 一部訂正。--井上経介 2006年1月8日 (日) 08:51 (UTC)[返信]

まず、一点だけ。私は寡聞にして「旧皇族の復帰問題」に関する本格的な世論調査が複数行われた例を知りません。もっとも、仮にそのような世論調査があったとしても、世論調査は所詮一定の指標に過ぎないものです。報道機関などと言っても、所詮大方のマスコミは営利企業です。そもそも皇室の伝統についての知識を周知徹底した上で厳密に調査したわけでもない世論調査など信用に足りませんし、そんな調査の結果のみを見て「国民は寛仁親王の見解を既に否定している」と断言するのはあまりに強引かつ偏向的な態度です。それこそ中立性とはかけ離れた姿勢ですよ。
ところで、この辺ではっきりさせておきたいのですが、井上さんは女性・女系天皇問題についてどのような考えをもっておられるのでしょうか?今後この項目の編集に携わる上で参考にしたいのでお聞かせ願えれば幸いです。
ちなみに、私は男系継承絶対堅持が持論です。そして、それを実現させるには「旧皇族の皇籍復帰」、「新たな世襲親王家の創設」、「皇族から実系男系で数世までの男系男子に限定した宮家の養子容認」、「中継ぎとしての女帝容認(当然未婚が前提)」の四つの方策が必要であると考えております。
以上、その他の点については追ってお答えします。Brownsuger 2006年1月7日 (土) 16:23 (UTC)[返信]

質問すべてへの返答が得られるまで待ちたかったのですが、私もまず1点だけお答えすることにします。私が当該記事を削除したのは、数多くの民間生まれ民間育ちの男子が皇室に入ることになったとしても、国民は彼らを「陛下」「殿下」などと呼ぶことに違和感がないようだからです(ただし、臣民出身の皇族男子、殊に皇婿の敬称をどうすべきかという問題は残る)。何も「「旧皇族の復帰問題」に関する本格的な世論調査が複数行われた」とか、その結果旧皇族の皇籍復帰は支持を得られていないことが分かったとかいうことではありません。

その他の点については返答がありませんので、上記1点を除きRevertしました。この段階でのRevertは編集合戦を招きやすく、それだけは何としても避けたいところではありますが、これ以上待っている間に編集が重ねられてはRevertが困難になりますので。悪しからず。

なお、私の皇位継承問題についての見解ですが、これはBrownsugerさんのご想像にお任せします。--井上経介 2006年1月11日 (水) 01:49 (UTC)[返信]

あらら。私の問いかけに対して数日間何の反応も無かったのに、突然Revertとはあまりに強引ではないですかね。ご本人も重々ご承知のようですが、こんなやり方では議論する意味がありませんよ。少なくとも、私は納得しておりません。なので、該当部分についてはさらに編集・見直しをさせていただきます。
なお、「国民は彼らを「陛下」「殿下」などと呼ぶことに違和感がないようだからです」--これは井上さんの個人的な見解でしょう。少なくとも、女系継承に反対する人々は強烈な違和感を感じることは間違いありませんし、それ以外の人も「皇婿陛下」なる過去に類例を見ない存在に違和感を感じる者は少なくないはずです。
それと、井上さんの皇位継承問題についての見解については良く分かりました。この場ではっきりと立場を表明できないということ自体が一つの答えということでしょうからね。そういうことであれば、私と井上さんの意見の衝突はこれからも度々起こることになると思いますが、悪しからず。なるべく編集合戦にならないよう、お互い努めましょう。Brownsugar 2006年1月12日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

Revertしたのはあくまで「私の問いかけに対して数日間何の反応も無かった」点のみですので、どうか悪しからず。また、「該当部分についてはさらに編集・見直し」するのは結構ですが、もしRevertするのであれば、その前にまず説明をお願いします。

  • 複数の世論調査によれば、私個人ではなく、国民の多くが臣民出身の男子を「陛下」「殿下」などと呼ぶことに違和感がないようなのです。「女系継承に反対する人々は強烈な違和感を感じることは間違い」ないでしょうが、ここでの問題は「強弱」でなく「多寡」です。残念ながら、「過去に類例を見ない存在に違和感を感じる者は少なくないはず」という推測にも根拠がありません。--井上経介 2006年1月12日 (木) 13:46 (UTC)[返信]
何の反応も無かったのは貴方でしょう。私は少なくとも一点について返答をし、「他の点については後日」と言っていますよ。その問いかけに対する是非も無く、貴方は何の反応も示さなかった。なのに突然現れたと思ったら、revert。そりゃ無いでしょうというのが正直なところですよ。
それと、世論調査の件について。その通り。私の意見も所詮推測に過ぎません。井上さんの意見と同じようにね。そして、根拠の無い推測をソースとすることは出来ないのですよ。「複数の世論調査」と仰いますが、その調査はあくまで女性・女系天皇を容認するか否かの調査であって、民間人男子の皇室入りについてのものでは無いでしょう。しかも「女系を容認すればどうなるか」の説明が決定的に不足している片手落ちの調査です。それは根拠には全くなりませんね。Brownsugar 2006年1月13日 (金) 03:50 (UTC)[返信]

確かにBrownsugarさんは「少なくとも一点について返答をし」ていますが、それと同時に少なくとも4点について返答していず、私がRevertしたのはその4点です。「他の点については後日」とのことですが、これ以上待っている間に編集が重ねられてはRevertが困難になっていたし、現在まで新しい編集が無いのはただの結果論でしかないという事情もどうかご理解ください。もし納得できる返答が得られたなら、Brownsugarさんの手を煩わせるまでもなく私が自分のRevertをRevertします。

  • その調査はあくまで女性・女系天皇を容認するか否かの調査であって、民間人男子の皇室入りについてのものでは無い」という論理は無茶苦茶です。臣民出身の男子が皇族とならなければ、愛子内親王は一体どうやって将来の女系天皇を産めばよいのでしょうか。当然、女系天皇の容認と臣民出身男子の皇族入りとは表裏一体です。
    また、ご指摘のように「「女系を容認すればどうなるか」の説明が決定的に不足している片手落ちの調査」ですので、どうなるかを説明すれば女系反対の人が増えることはあっても減ることは無いでしょうが、それで賛成反対の割合が逆転するというような根拠は何もありません。如何でしょうか。--井上経介 2006年1月14日 (土) 10:36 (UTC)[返信]
当然、女系天皇の容認と臣民出身男子の皇族入りとは表裏一体です。」--本来ならそのとおりですよ。しかし女系天皇、女性天皇が混同され、マスコミもその違いを積極的に説明しようとはしない現状で行われた世論調査の結果を以て「国民は民間男子が皇族となるのに違和感を持たない」とは飛躍というものです。はっきりいって大多数の国民はこの問題に深い関心を持っているわけではないし、まして女系容認が皇室の将来をどう変えるのかという段階まで考えている人などごく少数でしょう。「女系天皇?男女平等でいいんじゃないの?」こういう意見が大方ですよ。
賛成反対の割合が逆転するというような根拠は何もありません。」--私は何も賛成反対の割合について言っているわけじゃないですよ。そもそも調査が信頼性に乏しいのだから、その数字を根拠に「臣民出身の男子を「陛下」「殿下」などと呼ぶことに違和感がない」などと断言すべきではないと言う事です。Brownsugar 2006年1月15日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

その他の点についても返答をお待ちしていますが、なければないで結構です。

  • 毎日新聞世論調査などは「これまで天皇は、父方が天皇の血筋を継ぐ「男系」で維持されてきました。……歴史的な転換となります。」と説明していますが、調査結果はその他のものとほぼ同じです。「「女系天皇?男女平等でいいんじゃないの?」」と浅く考えている人が多いのは事実ですが、そういった人たちが深く考えれば意見を反転させるという根拠もありません。また、世論調査の結果が「臣民出身の男子を「陛下」「殿下」などと呼ぶことに違和感がない」という根拠にならないのであれば、「国民の違和感が強い」という推測こそ根拠がないでしょう。
    何も賛成反対の割合について言っているわけじゃない」とのことですが、「国民の違和感が強い」とは「違和感のある国民の割合が多い」ということに他なりません。--井上経介 2006年1月15日 (日) 05:21 (UTC)[返信]
毎日新聞の調査も説明が全く足りませんよ。最低限、皇胤(男系子孫)以外の皇位継承が絶対のタブーであったことと、一度でも女系を介すれば皇統は断絶し、建国以来の皇室の連続性は断たれることをしっかり提示しなければ話になりません。
国民の違和感が強い」という推測こそ根拠がないでしょう。」--勿論、「国民の違和感が強い」と言う意見もあくまで推測ですよ。ですが、この見解は「旧皇族復帰賛成派の代表的意見」として紹介しているだけなので、たとえ推測であったとしても問題はありません。逆に言えば、反対派の見解の中にも推測に過ぎない意見が多数あるでしょう。それなのに、賛成派の一部意見だけを排除する理由が分かりません。Brownsugar 2006年1月16日 (月) 03:31 (UTC)[返信]

その他の点についても返答をお待ちしていますが、なければないで結構です。

  • 新聞社の世論調査で「皇胤(男系子孫)以外の皇位継承が絶対のタブーであったことと、一度でも女系を介すれば皇統は断絶し、建国以来の皇室の連続性は断たれること」まで説明したら世論操作になってしまいます。そんな「世論調査の結果を以て」国民世論を云々するのは「飛躍というものです」。
    「そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」ということならばどう推測しても許容されるでしょうが、どうやらそうなりそうにないことまで「そうなりそうだ」と推測するのは問題だと思います。そのような記事が他にありましたらどうぞ修正してください。確かに、賛成派の意見として紹介すること自体はNPOVに違反するかどうか難しいところです。しかし、女系容認の弊害を説明すれば女系反対の人が増えることはあっても減ることは無いでしょうが、そもそも「それで賛成反対の割合が逆転する」という推測は賛成派一般に共有されてはいないでしょう。一般に共有されていず、しかも根拠がない推測を「代表意見」として紹介するのは全体として好ましくないと思います(本節第3点や章「旧皇族が皇籍復帰することへの国民感情について」の削除も同じ理由から)。--井上経介 2006年1月16日 (月) 05:06 (UTC) 加筆。--井上経介 2006年1月16日 (月) 23:44 (UTC)[返信]
何故この問題の判断材料を提供する事が世論操作になるのですか?全く意味が分かりませんね。どんな問題だって正しい判断を下すためには内容を正しく理解する事が必要でしょう。調査対象者に対して厳然とした事実を提示することが世論操作になるとは、一体どういうことでしょうか。むしろ私などは、あえて事実を提示せず、極力判断材料を与えぬように調査を進め、その結果のみを大々的に吹聴する姿勢に報道機関にあるまじき偏向を感じますがね。
それと、申し訳ないが井上さんの仰っている内容は全く理解できません。「そもそも「それで賛成反対の割合が逆転する」という推測は賛成派一般に共有されてはいないでしょう。」--いつのまにこんな話にすりかわったんですか?私は、復帰賛成派の代表意見のなかに、復帰賛成派にまま見られる意見を掲載することは自然なことであり、何ら批判されるものではない、と単純に主張しているだけです。井上さんのお答えは回答になってませんよ。Brownsugar 2006年1月17日 (火) 12:36 (UTC)[返信]

その他の点についても返答をお待ちしていますが、なければないで結構です。

  • 世論調査でどちらか一方に誘導させるような設問をしてはなりません。「女系ならば皇統断絶」は「厳然とした事実」とのことですが、そのような認識は男系にしか共有されていず、Wikipediaの項目「女系天皇」でも「……とされる」「皇統とは男系のみを指すという考え方に従えば……」などと説明されています。残念ながら、Brownsugarさんが理想とするような世論調査は今後も実行されることがないでしょう。
    まま見られる意見」を「代表意見」として記載するのは自然でないでしょう。いえ、正論であればままにしか見られないことを理由に削除すべきだとは思いませんが、筋は通らないしままにしか見られない意見であれば記載すべきではないと思います。もしそれを許容してしまえば、男系派の意見としてどんな少数の暴論(例えば「国民の親近感などどうでもよい」「皇族の人格を侵害したってよい」「神話はすべて史実だ」など)を記載されても削除できなくなるでしょう。そうまでして「むしろ、女系を容認すれば……違和感が強いのではないか。」の一文を残そうとする意義が理解できません。--井上経介 2006年1月17日 (火) 13:55 (UTC)[返信]
誘導?何を仰っているか分かりませんね。皇統が建国以来男系で継承されてきたことと、女系継承がタブーとされてきたこと、さらに一度でも女系継承を介せば男系は完全に断絶し、建国以来の皇室の連続性は断たれてしまうことは歴とした「事実」ですよ。もう少し皇室の歴史を勉強なさってはどうですか?それと何度も書きますが、事実を提示する事で世論調査の結果が変わるとすれば、それはむしろ望ましい事でしょう。逆に事実を隠蔽し、皇室の伝統に関して無知なままの国民に判断を強いることこそ邪道です。
まま見られる意見」を「代表意見」として記載するのは自然でないでしょう。いえ、正論であればままにしか見られないことを理由に削除すべきだとは思いませんが、筋は通らないしままにしか見られない意見であれば記載すべきではないと思います。」--意味が分かりませんね。この意見は皇族や政治家、識者、インターネット上のブログ等でも「まま見られる」意見なのですが、それでも代表的意見に掲載する事が「自然」ではないというのでしょうか。そもそも「筋が通らない」というのは単なる井上さんの個人的見解でしょう。一個人の見解だけを理由に、賛成論として実際に存在する意見を削除することは、著しく中立性に反します。というか、代表意見の部分の編集に主観を交えてよいのなら、私などは女系容認論及び復帰反対論の大部分を「筋が通らない」として削除したいところですよ。けど、それをしないのは中立性を保つためです。女系容認派の井上さんにも私と同様に中立性への配慮を持って頂きたいですね。それと、極論に走るのはいただけません。暴論が掲載された時は、それは「暴論である」という理由で削除すれば良いだけの話です。Brownsugar 2006年1月18日 (水) 13:18 (UTC)[返信]

この点以外には異議がないようですので、箇条書きはやめにします。

皇統が建国以来男系で継承されてきたことと、女系継承がタブーとされてきたこと、さらに一度でも女系継承を介せば男系は完全に断絶し、建国以来の皇室の連続性は断たれてしまうこと」について、Wikipediaの各項目は「……とされる」「皇統とは男系のみを指すという考え方に従えば……」などと記述しています。Wikipediaでさえ断定を避けていることを、どうして世論調査が「歴とした「事実」」として提示できるのでしょうか。世論調査とはあくまでその時点での国民世論を忠実に調査するものですので、同一の問題ならばどこの新聞社が調査しても同様の結果が得られなければならず、設問次第で「世論調査の結果が変わる」ようなことはちっとも「望まし」くありません。

暴論が掲載された時は、それは「暴論である」という理由で削除すれば良い」とのことですが、暴論か正論か、ある見解が1個人だけのものかどうかは根拠の有無によって判断されなければなりません。Brownsugarさんは「マスメディアが偏向している」ということを頻りに強調しますが、偏向していれば根拠がなくてもよいということにはなりません。ちなみに、「まま」とは「ときどき。まれに。時には」の意であり、「代表的」とは「全体を代表するにふさわしいさま」の意です。根拠もなく、ままにしか見られない意見を紹介するのは明らかに不自然でしょう。--井上経介 2006年1月19日 (木) 14:01 (UTC)[返信]

まぁ世論調査については、見解の相違としか言い様が無いですね。BSEの害を知らぬ国民に米国産牛の輸入の是非を問うようなやり方はアンフェアである、と単純に主張しているだけなんですがね。それと、wikipediaの記述が万物を規定しているわけではありません。多方面への配慮により、必ずしも正確な記述となっていない部分もあります。「皇胤(男系子孫)以外の皇位継承が絶対のタブーであったこと」、「一度でも女系を介すれば皇統は断絶し、建国以来の皇室の連続性は断たれること」、この二点は厳然たる事実ですよ。もっと皇室の歴史を勉強してください。
また言葉遊びですか?「ときどき」見られる意見であれば、充分に代表意見の一つに加えて良いと考えますがね。それじゃ、女系容認派の代表意見として掲載されている意見は、全ての女系容認派が同様に、常に主張する意見なのですか?そうじゃないでしょう。女系容認派の意見のなかにも、「まま」見られる程度の意見は多く含まれています。根拠も無く、ままにしか見られない意見を紹介するのが不自然なのであれば、女系容認派の代表意見についてもかなりの削除を行わなければならなくなりますが、それで良いのですか?
それと「暴論」について。常識で判断してください、としか言い様がありませんね。その程度の判断も出来ないようでは、wikipediaの編集など出来ないでしょう。子供じゃないんですから。「国民の親近感などどうでもよい」「皇族の人格を侵害したってよい」「神話はすべて史実だ」、こんな誰から見てもおかしな記述が、適正に編集されぬままに放置されると思いますか?Brownsugar 2006年1月20日 (金) 08:10 (UTC)[返信]

失礼ですが、この場合「見解の相違」は逃げ口上ではないでしょうか。「アンフェア」であろうとなかろうと、国民が臣民出身男子の皇族入りに反対していないことは世論調査の結果に表れていますが、反対しているという根拠はBrownsugarさんの見解にしか存在していないようです。万人によって共有される世論調査の結果と個人の「常識」とで、どちらに説得力があるかは明らかでしょう。

また、「wikipediaの記述が万物を規定しているわけでは」ないことも、「多方面への配慮により、必ずしも正確な記述となっていない」こともよく理解していますが、Wikipediaの記事が世論調査の設問以上に多方面へ配慮し、正確でなくなっているという事例は寡聞にして知りません。もしそのような事例があるとしても、せいぜいごく僅かな例外としてでしょう。

女系容認派の代表意見についてもかなりの削除を行わなければならなく」なるのでしたら、是非修正して記事をよりよいものにしてください。ただし、まず以下の2点に同意してから。

  1. 根拠も無くままにしか見られない意見は、これを「○○論の主張」として記載しない。
  2. むしろ、女系を容認すれば……違和感が強いのではないか。」という一文には根拠がなく、その削除は正当であった。

--井上経介 2006年1月21日 (土) 09:28 (UTC)[返信]

失礼ですが、これでは話になりませんね。本当に私の文章を読んでいますか?私はアンフェアな世論調査を絶対の根拠とするのはおかしいと様々な理由を挙げて主張しているのに、貴方は相変わらず、その世論調査を根拠にして国民の「常識」を語る。これじゃ会話が成立しませんよ。こういうループは時間の無駄です。もしかしてわざとやってますか?ハッキリ言って迷惑なんですがね。最近ノートの応答に時間を取られて編集がほとんど出来ません。井上さんはどうか分かりませんが、社会人の私にとって時間は非常に貴重なのです。
女系容認派の代表意見についてもかなりの削除を行わなければならなく」なるのでしたら、是非修正して記事をよりよいものにしてください。ただし、まず以下の2点に同意してから。」--貴方にそんな条件を付けられる謂れはありませんよ。それと、修正ではなく削除です。貴方が自説を撤回せず、あくまでこの記述の削除のみに拘るのなら、こちらも同じことをやります、ということです。「客観的な根拠も無く、ときどきしか見られない意見を代表意見に載せてはならない。」これが貴方の主張。だったら女系容認派の代表意見についても同様の基準で削除しなきゃいけませんよねぇ。Brownsugar 2006年1月22日 (日) 11:40 (UTC)[返信]

アンフェアであろうとなかろうと現実は現実、世論は世論ですよ。Brownsugarさんはこれまでに「様々な理由」を挙げられましたが、それらはすべて「マスメディアはアンフェアだ」という理由であって、私の編集がアンフェアだという理由は1つも成立していません。「マスメディアはアンフェアだ」「世論に逆らってでも断行すべきだ」とかいうなら分かりし、記事にそう加筆するのも結構ですが、「マスメディアはアンフェアだから世論に逆らうことにはならない」という主張は問題だと思うのです。それと、時間は誰にとっても貴重なものです。Brownsugarさんが費やしているのと同じだけ、私も貴重な時間を費やしているということをどうかお忘れなく。

「まず以下の2点に同意してから」というのは私個人の要求ではなく、そうしなければ筋が通らないということを忠告しているだけですよ。私は自分の編集が正当だと考えていますので、Brownsugarさんが「同様の基準」で編集するとこも正当だと考えます。「同様の基準」を採用するのに、自分の編集は正当だけど相手の編集は不当だなんて理窟が通るはずはないでしょう。ですから、「同様の基準」を採用する以上は当然「以下の2点」に同意することになります。

なお、「修正ではなく削除」とのことですが、削除はあくまで修正の1形態です。私は「むしろ、女系を容認すれば……違和感が強いのではないか。」という一文に根拠がないので削除しましたが、根拠がある範疇に収まるよう修正することには反対しません。ただ、削除せずに残しておきたいのは山々ですが、節「旧皇族が皇籍復帰することへの国民感情について」と同様に私の浅知恵ではどうにもなりそうにないというだけです。--井上経介 2006年1月23日 (月) 01:10 (UTC)[返信]

別に貴方をアンフェアとは一言も言っておりませんよ。それに、「アンフェアであろうとなかろうと現実は現実、世論は世論ですよ。」とのことですが、世論調査が現実の国民意識を本当に反映したものなのか、そのような調査を唯一絶対の根拠とすることが果たして正しい態度なのかをまず問うているのに、「現実は現実」などと強弁されても困りますな。こういうやり取りこそ時間の無駄に他なりませんよ。
「「同様の基準」を採用するのに、自分の編集は正当だけど相手の編集は不当だなんて理窟が通るはずはないでしょう。」--ご心配なく。私が削除に乗り出すのは、貴方が自説を撤回せず、どうしてもこの文章の削除にこだわる場合のみですから。というか、そうなる前に井上さんご自身にご自分の説に従って頂き、女系容認派の意見をも徹底的に修正頂きたいところですがね。男系派の意見のみ厳格に削除修正するのは、中立性を欠くというものです。井上さんの公正なる編集態度に期待しますよ。
「根拠がある範疇に収まるよう修正することには反対しません。」--その根拠の有無の判断が、貴方自身の主観に基づくようなので、私には何とも修正しようがないですね。まぁそもそも、修正の必要など無いと私は主張している訳ですが。Brownsugar 2006年1月23日 (月) 03:28 (UTC)[返信]

複数の世論調査がほぼ同じ結果になっているのですから、現状ではこれを「唯一絶対の根拠」とするのも已むを得ないでしょう。

女系容認派の意見をも徹底的に修正」したいのは山々ですが、私の節穴のような目ではいくら読み返してみても問題点が見付けられません。何かお気付きになりましたらどうぞ修正してください。--井上経介 2006年1月24日 (火) 01:35 (UTC)[返信]

何度行おうが、いずれの調査も例外なく説明不足であれば同じことです。そんな調査の結果を「唯一絶対の根拠」とする異常さが分からないのであれば、それはもう個人の資質に属する話ですので、仕方が無いですよ。だから私は「見解の相違」と言ったのです。余談ながら、最近この件について政治家の発言が相次いでいます。自民党の参院幹事長も「国民は女性・女系の違いを分かっていない」と発言しそうですが、彼も私と同様に、世論調査を唯一絶対のものとは見ていないようですね。もし世論調査が国民の意識をつねに正確に反映するものであるならば、政治家が国民のこの問題についての理解度について幾度も言及することは無かったでしょう。
私の節穴のような目ではいくら読み返してみても問題点が見付けられません。」--いえいえ、それは貴方の目に問題があるのではありませんよ。人間誰しも、自分と同じ立場の意見に対して甘い態度を取りがちになるものです。ただそんな態度を無制限に許容していては、記述の中立性など保ちようがありません。Brownsugar 2006年1月25日 (水) 03:36 (UTC)[返信]

片山幹事長は「国民は女性・女系の違いを分かっていない」と発言しただけであって、「国民は女系天皇や臣民出身男子の皇族入りに反対している(反対するだろう)」というような発言はしていませんよ。「世論調査が国民の意識を」「正確に反映」しているからこそ、幹事長は「国民のこの問題についての理解度について」言及したのでしょう。繰り返しになりますが、「マスメディアはアンフェアだ」「世論に逆らってでも断行すべきだ」とかいうなら分かりし、記事にそう加筆するのも結構です。しかし、「マスメディアはアンフェアだから世論に逆らうことにはならない」という主張は問題だと思うのです。

失礼ながら、私は最近「自分と同じ立場の意見に対して甘い態度を取りがち」になっているのはBrownsugarさんの方ではないかと考え始めています。何か思い当たる節はありませんでしょうか。--井上経介 2006年1月25日 (水) 11:16 (UTC) 訂正。--井上経介 2006年1月27日 (金) 09:52 (UTC)[返信]

片山さんの話。そもそも、国民が設問の内容について正確に理解していなければ、国民意識が正しく調査に反映されるはずがないでしょう。貴方の意見は詭弁ですよ。
BSEが恐ろしい病気だと言うことを理解しない人たちがいたとして、その人たちに「米国産牛を輸入していいですか?」と聞いたとします。当然答えは「べつにいいんじゃないの?」となりますよね。その回答をもって「彼らはBSE感染の危険を顧みず、米国産牛の輸入を望んでいる」と言えますか?それは詐欺的な手法ですよ。
「マスメディアはアンフェアだから世論に逆らうことにはならない」--違いますね。「この調査について、マスメディアの手法はアンフェアで不適切。よってその調査は国民の意識を正確に反映するものとは言えず、国民意識に言及する際の絶対の根拠とはならない。」これが私の意見です。
どうでもいいことですが、日本人なら最低限の礼儀は守りましょうよ。私はたとえ論敵であっても呼び捨てになどしませんよ。それと、私は確かにガチガチの男系護持論者ですが、この件について明らかに中立性を欠いているのは井上さん、貴方のほうです。
例えば、女系容認代表論の「女性天皇を容認しても女系天皇を容認しなければ、皇族夫婦に対する男子出生への周囲の過大な期待は今後も強いものであり続けることは容易に想像され、皇族夫婦に対する人格侵害は無視しがたいものになる。また、かかる空気が醸成されれば、皇族のみならず、一般国民の夫婦に対しても同様の圧力をかけることを容認する戦前の風潮が復活しかねない。」という意見。この意見に何か合理的な根拠はあるのですか?このような意見は女系容認派のなかにも「ときどきしか見られない」ものですが。貴方の「根拠がなく、時々しか見られない意見は代表論であっても掲載すべきではない」との基準に合致するように思います。なぜ、この意見については削除しようとせず、男系論の該当部分の削除のみに異常に拘るのでしょうか?納得できる理由を教えて頂きたい。Brownsugar 2006年1月27日 (金) 03:58 (UTC)[返信]

前回コメントでBrownsugarさんを呼び捨てにしてしまい、本当にすみませんでした。「Brownsugar」をタイプするとスペルミスが生じやすいため、いつも署名からコピー&ペーストしていましたが、前回はうっかり「さん」付けするのを忘れてしまったのです。以後気を付けます。

国民がBSEと米国産牛肉の危険性とを理解すれば、恐らく輸入再開よりも自身の生命健康を優先するでしょう。しかし、皇室の伝統を理解したところでそれを尊重しようとするか、尊重し十分な議論を求めるとしても女系天皇や臣民出身男子の皇族入りにまで反対するかは誰にも分かりません。したがって、両者を同列に論じようとすることこそ詭弁ではないでしょうか。

ご指摘の通り「女性天皇を容認しても女系天皇を容認しなければ、……」という意見には論理の飛躍が見受けられますので、後半部を修正しました。今まで見過ごしてきた不明をお詫びします。ただ、「目が節穴のよう」と自称している人間に問題点1つ突き付けたくらいで、まるで鬼の首でも獲ったようになるのも如何なものでしょうかね。--井上経介 2006年1月27日 (金) 09:52 (UTC)[返信]

返答というか、追記。女性天皇と女系天皇の違いを分かっていないのは、国民だけではなかったようですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060127-00000235-kyodo-pol」

女系容認法案を推進する我らが小泉首相からして、この「女系天皇を認めないということは、仮に愛子さまが天皇になられた場合、そのお子さまが男でも認めないということだ。それを分かって反対しているのか」発言ですから。ましてや政治家でもなんでもない一般国民のこの問題に関する理解度がどの程度であるかは容易に想像できますし、そのような国民に対して解説を殆どしないままに行った調査の信憑性がどの程度のものであるかは言うまでも無いことでしょう。
尊重し十分な議論を求めるとしても女系天皇や臣民出身男子の皇族入りにまで反対するかは誰にも分かりません。」--そのとおり。現時点では誰にも分からない。だから説明不足の世論調査を国民意識を語る際の絶対の根拠とすべきではないと何度も主張しているわけです。
それと、問題点は1つではありませんし、鬼の首を取ったつもりもありませんよ。私は井上さんの編集スタンスの矛盾を指摘しただけです。「目が節穴のよう」と自称されるのはご自由ですが、ある一方の意見にのみ「目が節穴のよう」になるのでは中立性を疑われかねないということです。Brownsugar 2006年1月27日 (金) 12:39 (UTC)[返信]

前掲の毎日新聞世論調査は十分に解説していますよ。「現時点では誰にも分からない」のならば、「むしろ、女系を容認すれば……違和感が強いのではないか。」なんてことを記載すべきではないと思います。

ところで、Brownsugarさんは私の修正に満足されたのでしょうか。まさか問題点だけ指摘しておいて、修正の是非についてコメントしないということはないでしょう。それと、問題点を発見なさったら事前に私に報告せず、どうぞご自分の判断で修正なさってください。問題点が1つだけではないそうですので、Brownsugarさんの大鉈に期待しています。--井上経介 2006年1月27日 (金) 14:38 (UTC)[返信]

所用で数日間Wikipediaを編集できませんので、すみませんがこの件については暫く保留扱いにさせてください。ちゃんとしたお返事は後日改めていたします。それまでに以上の点についてお返事があれば幸いです。--井上経介 2006年1月30日 (月) 00:27 (UTC)[返信]

修正と「大鉈」について。大鉈を振るうべきは私ではありません。私は当初から代表論に厳密な根拠を求める必要はない、との立場です。ですから、井上さんの修正についても私からは別段コメントすることは何もありません。
それと、保留については了解です。Brownsugar 2006年2月2日 (木) 03:21 (UTC)[返信]

もし私が再び「むしろ、女系を容認すれば……違和感が強いのではないか。」の1文を削除したなら、Brownsugarさんは必ずやRevertしたり猛烈に抗議したりなさるでしょう。ですから、「別段コメントすることは何も」ないのは私の編集に満足なさっているからだと受け取っておきます。しかしながら、もしそうだとすればBrownsugarさんは「厳密な根拠」のない賛成論の主張を削除することには断固反対するが、「厳密な根拠」のない反対論の主張を削除するすることは快諾していることになります。これはウィキペディアンとしてあるまじき編集姿勢だと思います。

「盗人にも三分の理あり」という諺もあるように、どんな暴論にだって「曖昧な根拠」くらいはあるものです。「暴論かどうかは常識で判断すべき」とのことですが、論理に厳密な根拠が必要だということもまた常識でしょう。「根拠は厳密でなくてよいが暴論はよくない」などという論理は成立しないと思いますが、如何でしょうか。

それと、保留を承諾してくださりありがとうございます。--井上経介 2006年2月8日 (水) 14:43 (UTC)[返信]

例の部分に関する井上さんの編集について。どうも真意が伝わっていないようです。私は始めから、「代表的意見」として紹介する限りは、その意見に厳密な根拠を要求する必要はない、との考えです。なので、当該部分に根拠があろうが、そうでなかろうが、始めから何の拘りもありません。だからこそ、ここで議論になるまで当該部分をそのまま放置してきたわけです。私が例の部分について言及したのは、あくまで井上さんの矛盾を指摘するためであって、それは必ずしも私があの記述の内容自体に反対している事を意味しません。要するに、私はあの記述の掲載には賛成も反対もしていないのです。載せたい方が居れば載せればよい。だから井上さんの編集についても特にコメントは無し。これが私の考えです。Brownsugar 2006年2月9日 (木) 11:58 (UTC)[返信]

残念ながら、どうにもBrownsugarさんの真意が理解できません。根拠のない意見を「反対論の主張」に記載することは「賛成も反対もしていない」が、これを「賛成論の主張」に記載することは猛烈に賛成する、というのはどういうことでしょうか。--井上経介 2006年2月9日 (木) 22:39 (UTC)[返信]

既に表明しているとおり、私は男系護持論者です。だから男系賛成論の代表的意見については熟知しているつもりですが、女系容認論については通り一遍のことしか知りません。熟知している分野の編集には積極的に参加し、それ以外の部分の編集は詳しい方に譲る。「賛成も反対もしない」とは、取りあえず他の方にお任せするということですよ。これって何かおかしいですかね?何から何まで1人で背負う必要なんて何処にも無いでしょう。Brownsugar 2006年2月11日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

率直に言って、私は「おかしい」と思います。

男系維持論が女系容認論と対になっている以上、前者について知れば、後者についての見識も比例定数1/2以上で増大するのは当然のことです。現に、Brownsugarさんは「反対論の主張」の中から「また、かかる空気が醸成されれば、皇族のみならず、一般国民の夫婦に対しても同様の圧力をかけることを容認する戦前の風潮が復活しかねない。」という意見を剔抉し、これを「女系容認派のなかにも「ときどきしか見られない」もの」「矛盾」と断言なさっているのですから、女系容認論にも「通り一遍」以上の見識があることは明らかです。また「問題点は1つではありません」ともコメントなさっているですから、他にも複数の問題点を発見なさっているのでしょう。

そもそも、この問題の争点は「根拠も無く、ままにしか見られない意見を『○○論の主張』として紹介する」という編集方針の是非についてです。私はBrownsugarさんの編集方針そのものが自己矛盾しているのではないかと指摘したのであって、誰かの知識量勉強量の足不足はまったく関係ありません。もしかして、Brownsugarさんは「自分は男系賛成論の代表意見について熟知しているのだから、この削除に反対する資格がある」などということを主張なさりたいのでしょうか。--井上経介 2006年2月11日 (土) 09:38 (UTC)[返信]

ま、井上さんがどう思おうがそれは井上さんの自由です。それと同様に、私にはどの部分を編集するか、それとも編集せずに他者に任せるか、取捨選択する自由があるんですよ。これは完全に私の自由。個人のリソースには限りがありますからね。私がどの部分を編集しようがしまいが、その事自体を非難されるいわれはどこにもありません。
それと、また話が少しづつズレてますね。そもそも上でも指摘したように、編集態度が矛盾しているのは井上さん、貴方なんですよ。私は「根拠も無く、ままにしか見られない意見を『○○論の主張』として紹介する」ことも是としているのですから、私は女系容認論にそのような意見が掲載されたとしても同様に「是」なんですよ。それを「否」として男系論の一部の削除に拘る貴方が、女系容認論の同様の部分については放置している。これは貴方が解決すべき矛盾であって、私の問題ではありません。Brownsugar 2006年2月14日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

つまりそれは、「賛成論の主張」から削除されることには断乎反対するが、「反対論の主張」から削除されることには目を瞑るということでしょう。そのようなNPOV違反の編集を公言し、実行するような自由は誰にもありません。Wikipedia:中立的な観点#ひとつの帰結:敵のために書くには「例えば政治的に論争の的になっているような事柄について常に自分の観点を主張しようとして、他の観点がフェアに提示されているかどうかについては気にしない人は、この中立性のポリシーに違反しています。中立性の方針は、執筆者が自分の立場だけでなく、自分と反対の立場についてもきちんと説明するように求めています」とあります。

また、繰り返しになりますが、私が「女系容認論の同様の部分については放置している」というのであれば、その放置している箇所とやらを指摘してみてください。指摘しようともせず、それでいて私を非難するのは「火星人は実在する。自分はその証拠を知っている。しかし誰にも明かさない。世界は火星人が実在することを信じるべきだ」と主張するのと同じことです。ご自分でも無茶苦茶だとは思いませんか。--井上経介 2006年2月14日 (火) 17:49 (UTC)[返信]

無茶苦茶なのは貴方ですよ。貴方は自分の責任を他人になすりつけようとしています。「根拠も無く、ままにしか見られない意見を『○○論の主張』として紹介する」記述の削除にこだわっているのは貴方なのですから、貴方自身がまず率先して自身の矛盾を解消すべく努力すべきでしょう。行動すべきは私ではなく、貴方なんですよ。問われているのは貴方の中立性です。
つまりそれは、「賛成論の主張」から削除されることには断乎反対するが、「反対論の主張」から削除されることには目を瞑るということでしょう。」--意味がまったく分かりませんね。私がこの削除に反対するのは、まず第一にこの記述が必要だと確信するからです。なぜ、私が特に必要性を感じていない記述の削除に、いちいち反対しなければならないのでしょうか?言っておきますが、ある記述の存在を消極的に容認することは、その記述の必要性を確信することとイコールではないのです。Brownsugar 2006年2月15日 (水) 03:52 (UTC)[返信]

ですから、私「自身の矛盾」とは何なのかをきちんと指摘してください。私がいくら指摘するよう求めても指摘してくださらないのであれば、ありもしない矛盾を「ある、ある」と言い立てているだけにしか聞こえません。Brownsugarさんも私にそう思われるのは心外でしょうから、はっきりとその矛盾を指摘し、身の潔白を証明してみせてください。

また、仮に私が自分で自覚していないだけで「女系容認論の同様の部分については放置している」、つまり「消極的に容認」しているとしましょう。しかし、それを非難しながら自分の編集姿勢については「ある記述の存在を消極的に容認することは、その記述の必要性を確信することとイコールではない」、つまり「その記述の必要性を確信することなく消極的に容認するのであれば矛盾でない」などといい逃れるのは、それこそ明らかに自己矛盾です。

私は当該文について削除すべきだと確信し、Brownsugarさんは「必要だと確信」しているという点において、両者は対等です。しかし唯一の相違は、私の確信には根拠があるが、Brownsugarさんのそれには根拠がなく、あるとすれば「男系護持論者」としての私情だけだ、という点です。Brownsugarさんの編集姿勢は、ただ「男系護持論者」が「常に自分の観点を主張しようとして、他の観点がフェアに提示されているかどうかについては気にしない」ように見えて仕方ありません。それでどうしてWikipedia:中立的な観点に違反しないなどといえるのでしょうか。--井上経介 2006年2月15日 (水) 13:08 (UTC) 加筆。--井上経介 2006年2月15日 (水) 14:54 (UTC)[返信]

何とも不思議な話です。矛盾は既に一度指摘しているでしょう。ありもしない矛盾などとよく言えたものですね。そして、そのほかの矛盾点についても、賢明なる井上さんなら私などが指摘するまでもなく簡単に気付きそうなものですが。
「また、仮に私が自分で自覚していないだけで「女系容認論の同様の部分については放置している」、つまり「消極的に容認」しているとしましょう。」--じゃあ、何故男系論の同様の部分についてだけは消極的な容認すら出来ず、執拗に削除に拘るのですか?これは明らかな矛盾ですよ。何度も書きますが、私は男系論も女系論にも変わりなく、同様の部分については容認の姿勢なのです。積極と消極の違いはあれど、ね。けど貴方は上に書いたようにそうじゃない。だから貴方にはその矛盾を解消すべき責任がある。自分の責任を他人になすりつけようとしないで下さい。
「私の確信には根拠があるが、Brownsugarさんのそれには根拠がなく、あるとすれば「男系護持論者」としての私情だけだ」--ついに「自分の意見だけは正しい」の境地ですか。そういう態度じゃハナから議論など成立しませんね。
前も別の場所で言った覚えがありますが、あえてもう一度言います。我々はお互いの勝敗のために議論しているのではありません。wikipediaをより良くするために議論しているのです。詭弁を弄し、相手を不当に貶めてまで議論に勝利したとして、それが一体何になるのですか?Brownsugar 2006年2月17日 (金) 03:50 (UTC)[返信]

矛盾は既に一度指摘している」というより、「『問題点は1つではありません』にも拘らずまだ1度しか指摘していない」といった方が正確でしょう。もっとも、以前に指摘された箇所もまだ残っているらしい箇所にしても、私は「問題点」ではあっても「矛盾」でないと考えています。といいますのも、私がBrownsugarさんから「ここがそうだ」と指摘されても放置してはじめて矛盾となるのであって、指摘を受けて直ちに修正すれば矛盾は成立しないからです。

「私が自分で自覚していないだけで『女系容認論の同様の部分については放置している』、つまり『消極的に容認』している」というのはあくまで「仮に」の話ですので、「それはなぜか」と問われても返答のしようがありません。また、なぜ私が削除に賛成すると「執拗」で、Brownsugarさんが削除に反対すると「積極」というように評価が異なるのでしょうか。

賢明なる井上さん」という過分の褒辞はありがたく頂戴しておきます。しかし、「なら私などが指摘するまでもなく簡単に気付きそうなもの」ということは、つまり「指摘されないと気付かない相手が悪い」「自分で気付かない相手に指摘してやる必要はない」ということになってしまいます。そのようなことで、どうして「wikipediaをより良くするために議論」できるのでしょうか。これ以上待ってもその「問題点」が指摘されないようであれば、議論する意思がないものと判断し、当該文を削除することもありえますのでご注意ください。--井上経介 2006年2月17日 (金) 07:50 (UTC)[返信]

議論する意思がない?それはこちらの台詞ですね。削除にこだわっているのは貴方です。貴方にはご自分の提案の正当性を証明する責任があります。そして、この件について私には何の責任もありません。貴方が自身の矛盾を解決しないかぎり、この提案には何の正当性も無いということになります。乱暴な言い方をすれば、私には貴方の提案の正当性を満たすべく協力する筋合いなど何処にも無いのです。
「議論する意思がないものと判断し、当該文を削除することもありえますのでご注意ください。」--自分勝手な判断で議論を無視し、自分の責任を放棄して削除を敢行するというのなら、どうぞご勝手に。勿論私は全く納得していませんので、当然ながら編集合戦になるでしょうがね。そもそも議論とは編集合戦を防ぐために行うものですが、井上さんは一体何のために議論をされているのでしょうか。不思議でなりません。Brownsugar 2006年2月20日 (月) 03:31 (UTC)[返信]

Brownsugarさんには、「井上の編集方針は矛盾している」というご自分の反論の「正当性を証明する責任」がありますので、「この件について私には何の責任もありません」などということはありません。問題点の存在だけを指摘してその箇所を指摘しないのは、そもそもそのような問題点が実在しないからではないでしょうか。「私には貴方の提案の正当性を満たすべく協力する筋合いなど何処にも無い」というのであれば、私の方こそ、いつまでもBrownsugarさんの身勝手に付き合わなければならない筋合いなどないということを、どうかお忘れなく。--井上経介 2006年2月22日 (水) 15:32 (UTC)[返信]

削除しました。--井上経介 2006年3月7日 (火) 00:42 (UTC)[返信]

「皇位継承資格者の拡大策」について[編集]

Brownsuger氏をはじめとする男系継承絶対論者「皇胤(男系子孫)以外の皇位継承が絶対のタブーであったことと、一度でも女系を介すれば皇統は断絶し、建国以来の皇室の連続性は断たれる」と考えていることはわかりましたが、事実は「今までの皇位継承は全て男系による継承であった」ということだけです。前例がない、男系の連続性が断絶する、という事態が、タブーかどうかが今回の争点ですので、上の文章に関しては、あくまで男系継承絶対論者がそう考えているとし、これに対して女系継承容認論者は、前例がなくとも、男系継承の連続が断たれようとも、子孫による継承が行われるなら、それは皇位の継承であって、女系継承はなんらタブーでないと考えている、という文章をいれました。--Shakujii kid 2006年2月4日 (土) 00:12 (UTC)[返信]

事実は「今までの皇位継承は全て男系による継承であった」ということだけです。」--これは間違いです。偶然だけで125代もの長きにわたって男系継承が護持されてきたとお考えならば、それは余りに非科学的というものでしょう。拘る理由が厳然として存在したからこそ、過去幾度も直系女子の子孫を差し置いて傍系男子が皇位継承したのです。
もっとも、事の正否はともかく、女系容認論者のなかには確かにShakujii kidさんが仰るような意見も存在することも事実ですので、そのことを「女系容認論者の意見」として紹介する事には反対しません。Brownsugar 2006年2月4日 (土) 02:25 (UTC)[返信]
皇胤(天皇の男系子孫)以外の者(つまり、天皇の女系子孫と言えど皇胤とは見做されない)」という表現はカッコを多用していて日本語になっていません。まず最初のカッコについては、「皇胤、すなわち天皇の男系子孫」と書くことで防げます。いいたいことは「皇胤、すなわち天皇の男系子孫による皇位継承だけが正統であり、それ以外の者による皇位継承は、天皇の女系子孫と言えども万世一系の皇統の断絶とされ」ということでしょうから、そのように書き直しました。日本人であるというならまず正しい日本語を書くべきではありませんか?--Shakujii kid 2006年2月4日 (土) 05:51 (UTC)[返信]
ところで、125代というのは、あくまで今の天皇が神武天皇を初代として数えると125番目だということに過ぎません。世数で数えるなら、神武天皇を1世として、今の天皇は72世です。ただし実在が疑問視されている神武天皇と欠史八代を除き、崇神天皇を1世とするなら63世、また同じく実在が疑問視されている日本武尊の子孫である応神天皇を1世とするなら58世、また実際に応神天皇の五世王であったかどうか疑問視されている継体天皇を1世とするなら53世です。
まぁ確かに冗長な表現ではありましたので、表現上の修正だけであれば受け入れますよ。ただ、最初のShakujii kidさんの修正では文意自体が変質しまうので、差し戻させていただいたわけです。コメント欄にも理由を書きましたが、皇胤とは天皇の胤(たね)、即ち男系子孫を指す古来より存在する言葉です。別段男系護持論者の独自の定義ではないのですよ。
勿論、日本人にとって日本語は大切ですが、それと同等以上に日本の歴史を学び、伝統を尚ぶことも大切ではないでしょうか。
それと、世数や天皇の実在性の問題等についてここで議論するつもりはありません。Shakujii kidさんの提示されている諸説には何ら物証がなく、定説とも言えません。であれば、皇統について語る際には従来どおり皇統譜の記述を前提とするのが常識的な態度と考えているからです。Brownsugar 2006年2月4日 (土) 07:42 (UTC)[返信]
皇胤という言葉の定義は、男系継承の正統を根拠づけるものではないので、あっさりすますのがよろしいかと存じます。また日本人にとって日本語は最も大切なものです。歴史やら伝統やらはその後のことかと存じます。最後に私が疑問を呈した皇統譜の記述に関して、何ら物証はありません。あなた個人の常識は、他の人にとっては常識ではありません。--Shakujii kid 2006年2月4日 (土) 14:20 (UTC)[返信]
皇統譜の記述に物証が無いのは事実ですが、そもそも古代人の系譜に確たる物証など望めないものです。漢武帝が劉邦の子孫であるという確たる物証が存在しますか?物証は望めず、定説も無い。となれば、皇統について語る際にはとりあえず皇統譜に依拠するしか方法が無いと思うのですがね。勿論、だからといって皇統譜を全肯定しているわけではないですよ。否定する材料が何も無いのに否定することは、皇統譜を無条件で全肯定するのと同様に非学術的な態度であると私は考えます。Brownsugar 2006年2月5日 (日) 02:25 (UTC)[返信]
「そもそも古代人の系譜に確たる物証など望めないもの」というのは誤りですよ。いわゆる四大文明等に関しては少なくとも日本よりもはるかに確かな物証が存在します。すくなくとも古墳時代以前に関して論じたいなら、確たる物証をお持ちください。それのみが学術的態度です。--Shakujii kid 2006年2月6日 (月) 11:37 (UTC)[返信]
なるほど。まぁ、論より証拠です。とりあえず、Shakujii kidさんが仰る「古代人の系譜の確たる物証」を提示して頂けますか?不肖、この私には全く思いつきません。古代人の父子関係の確たる物証が系譜等の文献の記述以外にありえるのならば、是非とも具体的にご教授頂ければ幸いです。Brownsugar 2006年2月7日 (火) 12:24 (UTC)[返信]
自分で探していただけますか。日本人は教授されてばかりではいけません。--Shakujii kid 2006年2月7日 (火) 22:59 (UTC)[返信]
まぁ、ここで提示できないということは要するに、貴方も確たる物証など提示できないと言う事でしょう?自分に出来ないことを、他人に求めるのはアンフェアな態度としか言いようがありません。Brownsugar 2006年2月9日 (木) 11:58 (UTC)[返信]
エジプトやメソポタミアや中国の考古学研究の成果は誰でも調べれば明らかです。それを知ろうとしないBrounsugar氏はアンフェアな人間です。--Shakujii kid 2006年2月11日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
私は何も古代文明そのものについて言っているのではありませんよ。あくまで古代人の系譜について、その記述以外の物証が存在するのかということです。Brownsugar 2006年2月14日 (火) 13:56 (UTC)[返信]

編集の趣旨説明[編集]

編集の趣旨説明その1[編集]

以下の理由で本文を編集しました。

  1. 段落「女系容認論者は旧皇族の父系による遠さを強調するが…」の削除について。本ノートの章「章「旧皇族の皇籍復帰問題」の修正について」第3点を参照のこと。
  2. また父系で10代程度の皇胤である皇別摂家を押しのけて…」の削除について。年数よりも代数を皇籍復帰の基準とすべき理由がない。
  3. 段落「そもそも明治天皇が内親王を皇族に降嫁させたのは…」の削除について。天皇が内親王を皇族と結婚させたのは関係強化のためであることは明らかだが、「女系相続を認めている」とまで断言する根拠はない。
  4. 段落「当人の意思に反する強制復帰・強制加入を行うわけにはいかず…」「政府が皇籍復帰・加入者の選考を行うとなると」の削除について。それは通常のお妃選び、お婿選びでも同じことである。

--井上経介 2006年2月13日 (月) 16:46 (UTC)[返信]

 代数よりも年数を基準とする理由もありません。人が勝手に言っていることですから。--Shakujii kid 2006年2月13日 (月) 22:56 (UTC)[返信]

同意してくださったのかどうかよく分かりませんが、ひとまず同意してくださったものと受け取っておきます。--井上経介 2006年2月14日 (火) 04:43 (UTC)[返信]

 まったく同意しておりません。井上氏は日本語が理解できないと知りました。--Shakujii kid 2006年2月14日 (火) 06:37 (UTC)[返信]

曖昧な返答をせず、同意するならする、しないならしないと明言してくれないと混乱してしまいます。

代数よりも年数を基準とする理由ありません」ということは、年数よりも代数を基準とすべき理由もまたないということでしょう。根拠がないと自覚しながらそのような意見を「○○論の主張」加えるのは明らかに不適当です。--井上経介 2006年2月14日 (火) 16:59 (UTC)[返信]

明確に返事をしました。「同意する」「同意しない」だけが返答だとするのは外国人の主張です。 井上氏の「年数よりも代数を皇籍復帰の基準とすべき理由がない。」に対して 私は「代数よりも年数を基準とする理由もありません」と返したのですから その内容から明らかに不同意であることが読み取れます。日本人なら。 ああ、それから井上さんが自覚の欠如を楯に自分の意見を「○○論の主張」に 加えるなら、それはwikipediaの精神を踏みにじる行為だといっておきます。 wikipediaは井上氏のプロパガンダの場ではありません。--Shakujii kid 2006年2月15日 (水) 02:05 (UTC)[返信]

確かに文章からは「同意しない」というニュアンスが伝わってきました。しかし、それでも「代数よりも年数を基準とする理由もありません。人が勝手に言っていることですから」という2文を忠実に解釈しますと、「年数よりも代数を基準とすべき理由もまたないことが分かったので、撤回する」となると判断せざるを得ませんでした。曖昧表現は日本語の美点の1つですが、相手に伝わらないような曖昧表現は、しかもWikipediaにおけるそれは美点でも何でもないと思います。

「自覚の欠如を楯に自分の意見を「○○論の主張」に加えるなら、それはwikipediaの精神を踏みにじる行為だ」とのお言葉、肝に銘じておきます。「もし…なら」という仮定のお話のようですので、今後ともそのようなことがないようにいたします。--井上経介 2006年2月15日 (水) 04:02 (UTC)[返信]

忠実に解釈するならば、井上氏が自分の書いたものを撤回するべきだということになります。それ以外の解釈は嘘です。曖昧なのではなく井上氏が卑怯なのでしょう。それはウィキペディア以前に人間として悪徳です。--Shakujii kid 2006年3月1日 (水) 08:01 (UTC)[返信]

皇位継承や皇籍離脱の順位について世数を基準とすべきであるのは、すべての皇族が同じく皇籍離脱0年目(つまり皇籍離脱していない)という条件下であればこそです。したがって、全く異なる時期に皇籍離脱した者の子孫たちの間にまで、世数を皇籍復帰の基準として採用する「以外の解釈は嘘」という根拠はどこにもありません。如何でしょうか。--井上経介 2006年3月1日 (水) 15:32 (UTC)[返信]

「すべての皇族が同じく皇籍離脱0年目」という条件は井上氏の頭の中だけのものです。これを採用する根拠はどこにもありません。皇籍離脱が前日であろうが100年前であろうが全く無関係に、今は今の皇室典範を基準にするべきです。親王宣下や世襲親王家は全く考慮する必要がなく、考慮することは間違っています。--Shakujii kid 2006年3月2日 (木) 02:36 (UTC)[返信]

では、皇籍復帰の基準として世数を採用すべきだという主張こそがShakujii kidさんの「頭の中だけのもの」ということになりはしないのでしょうか。以前にも申しましたが、「今の皇室典範」は皇籍復帰を一切禁じていますので、これを基準に皇籍復帰させるというのは論理矛盾です。--井上経介 2006年3月2日 (木) 09:27 (UTC)[返信]

なりません。同様の意見は方々で唱えられています。つまり井上氏のいうことと同程度の正統性はあります。したがって井上氏が自分の書きたいことだけ書いて、私の書いたものを削除するのは間違っているということです。--Shakujii kid 2006年3月3日 (金) 01:17 (UTC)[返信]

それから、私が書いたことは、あくまで皇室典範の継承順位を延長して、皇籍復帰順位を定めるというものですから、皇室典範が皇籍復帰を禁じているという話は一旦置いています。だいたい、そんなことをいえば、旧皇族復帰論すら唱えられませんが、それで井上氏はいいのでしょうか?。--Shakujii kid 2006年3月3日 (金) 01:17 (UTC)[返信]

同様の意見は方々で唱えられています」とのことですが、「方々」とはどのような方面なのか、またどのような理由で「同様の意見」が唱えられているのかが明らかでありませんので、それだけの主張では納得しかねます。皇室典範の世数主義によらなければ皇籍復帰は不可能だということもないでしょう。それに「それで井上氏はいいのでしょうか?」と尋ねられても、私は私個人の好い悪いで反対してはいませんので、答えようがありません。--井上経介 2006年3月4日 (土) 11:22 (UTC)[返信]

編集の趣旨説明その2[編集]

以下の理由で本文を編集しました。

  1. 明治天皇の4内親王が皇族に降嫁したのは、…婚姻によって復帰すればよい。」の削除について。なぜそうなるのか不明であり、しかも「復帰すればよい」のであれば「旧皇族の皇籍復帰問題反対論の主張」にならない。また、皇室と旧皇族との判断は皇室典範改正や特別立法と矛盾しない。

--井上経介 2006年2月14日 (火) 04:43 (UTC)[返信]

なぜそうなるかは明らかですよ。理解できないということはありえません。また、婚姻によって皇族となることは、手続上、男系として皇籍復帰するのとは異なります。--Shakujii kid 2006年2月14日 (火) 06:37 (UTC)[返信]

Wikipediaは不特定多数の読者を対象とする百科事典ですので、独りShakujii kidさんだけが理解できても意味がありません。曖昧な解説について読者から「よく分からない」と批判されながら、「なぜそうなるかは明らかですよ。理解できないということはありえません」などと居直るのは、ウィキペディアンとしてあるまじき姿勢だと思います。

  1. また、「女系継承を認めた上で、旧皇族が皇太子もしくは秋篠宮の内親王との婚姻による復帰が望ましく」という1文の削除について。旧皇族の皇籍復帰はあくまで男系継承を維持するための手段である。したがって、「女系継承を容認して旧皇族を復帰させる」という案に賛成論者が賛同するはずはなく、無意味な対案である。

--井上経介 2006年2月14日 (火) 16:59 (UTC)[返信]

井上氏は不特定多数ではありませんので、独り井上氏だけが理解できなくても反論になりません。曖昧なのではなく、井上氏が日本語を読めていないのです。日本語が読めないのでは、人に読ませるための日本語の文章を書くべきではないでしょう。

  1. ところで、井上氏が「女系継承を容認して婚姻により旧皇族を復帰させる」という案に賛同しないことは理解しましたが、井上氏が賛成論者全体ではないので、あたかも自分が賛成論者全体であるかのごとく空想した上での反論は、無意味でしょう。--Shakujii kid 2006年2月15日 (水) 02:05 (UTC)[返信]

私もまた不特定多数の1人ですよ。それとも、私からの指摘には耳を塞ぐけれど、IPユーザーからの指摘には耳を貸すということでしょうか。そのようにウィキペディアンを差別することはおやめください。

  1. 段落「明治天皇の4内親王が皇族に降嫁した当時…」の削除について。私からの指摘を聞き入れ、以前の版から「女系継承を認めた上で、」との文言を削除したようであるが、これではただ「旧皇族の皇籍復帰による男系継承維持」に賛成してしまっている。つまり、この文言を削除してもしなくても「反対論の主張」として成立しない。

それと、指摘された箇所について再び編集したいのであれば、まず「このように編集してはどうか」と提示し、合意が得られてから編集するようにしてください。せめて事後でも趣旨説明はすべきです。Wikipediaのノートページは、そしてこの章「編集の趣旨説明」はそのようにして編集合戦を避けるために存在しているのですから。--井上経介 2006年2月15日 (水) 04:02 (UTC)[返信]

井上氏は不特定多数の1人でしかありません。1人は全体ではありません。そもそも私の書いたものを削除することによって、なかったことにしているのは井上氏です。私は井上氏の主張を削除によって隠滅したことはありません。IPユーザは無関係でしょう。ここでの議論はもっぱら私と井上氏のみなのですから。ウィキペディアをプロパガンダの場にしているのは井上氏、あなたです。

  1. 明治天皇の4内親王の皇族降嫁の件は、女系賛成論の場に記述することにしました。要するに女系でもいいから今の血統とつながることが実際には重要だということです。要するに旧皇族が戻ってくることに反対しているのではなく、その手続きについて述べているわけです。

それから合意については、井上氏がプロパガンダを諦め、自分の主義主張と異なる意見の記述を受け入れればよいことだと考えます。プロパガンダはウィキペディアの中立性を否定する行為です。反対意見を封じるのも立派なプロパガンダです。--Shakujii kid 2006年2月15日 (水) 22:32 (UTC)[返信]

井上氏は不特定多数の1人でしかありません」ということは、今後もどのようなウィキペディアンから曖昧な解説について「よく分からない」と指摘されても、これに応じるつもりはないということでしょうか。また、「1人は全体ではありません」のであれば、仮令100人から指摘されても「100人は全体でない」ということになってしまうでしょう。

私はただ不適切な編集を削除しただけでして、Shakujii kidさんの加筆を隠蔽するとか、反対意見を封じるなどという意図は毛頭ありません。それはただの誤解です。

  1. 文「明治天皇の4内親王が皇族に降嫁したのは…今の血統をひきつぐことである。」の削除について。当時、天皇の娘(内親王)が他家の皇族男子と結婚するのは自然なことであり、またそれら皇族男子も彼女らと結婚する前から皇位継承資格を有していた。したがって、当時「女系でもいいから今の血統をひきつぐこと」を重視したと解釈する余地はない。
  2. 文「今回の場合にも、男系でも血統をつなげたいのであれば、…即男系が途切れるとはいえない。」の削除について。これは節「旧皇族の皇籍復帰反対論の主張」へ記載すべき記事である。しかし、「男系でも血統をつなげたいのであれば、皇太子もしくは秋篠宮の内親王が皇統に属する男子と結婚すればよい」として旧皇族の皇籍復帰に反対していず、しかも「女系を容認したからといって、即男系が途切れるとはいえない。」としていて女系容認なのか男系維持なのかハッキリしない。また、なぜ「皇太子もしくは秋篠宮の内親王」に限定するのか不明。よって、転載せずに削除した。

--井上経介 2006年2月17日 (金) 07:14 (UTC)[返信]

私は必要な説明は致しました。これに対してどこがどう明確でないか示しえずに、ただ曖昧という井上氏の発言は、ただ自分の気にいらない発言を否定したいための言いがかりです。 不適切な編集は井上氏のほうでしょう。明らかに反対意見を隠蔽しながら、そのような意図はないと嘘をつくのは卑怯です。 井上氏はなにかというと自然とか不自然とかいいますが、それは井上氏個人の主観でしかありません。日本国民全体が井上氏と同様の好みを持っていると思うのは間違っています。 内親王と他家の皇族男子との結婚がなぜ頻繁に行われたかといえば、皇位継承の危機が実は頻繁にあったからです。これはその時点における、皇位継承者の数を数えてみれば容易にわかります。したがってこれを否定するのは間違っています。 また、内親王と傍系皇族との結婚は、女系か男系か、ではなく、女系でも男系でもつながっているということで、争いをなくす意図があったことは明確でしょう。--Shakujii kid 2006年2月18日 (土) 07:23 (UTC)[返信]

旧皇室典範第39条に「皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅旨ニ由リ特ニ認許セラレタル華族ニ限ル」とあるのですから、「当時、天皇の娘(内親王)が他家の皇族男子と結婚する」のを「自然なこと」とするのは「個人の主観」でないと思います。「内親王と他家の皇族男子との結婚がなぜ頻繁に行われたかといえば、皇位継承の危機が実は頻繁にあったから」でなく、当時皇位継承が危機にあろうとなかろうと、4内親王は他家の皇族男子と結婚していたでしょう。

  1. 文「明治天皇の4内親王が皇族に降嫁したのは、…という事情がある。」の削除について。既述。
  2. 文「今回の場合にも、…失うようなことにもなりかねない。」の削除について。「結婚とは無関係、もしくは、結婚に先立って」ではなく、結婚と同時に皇籍復帰すれば問題は生じないため。
  3. 文「国民としては、単に男系であるだけでなく、女系でも今の血統を継承することを期待している。」の移動について。この1文だけでは意味を成さないため。
  4. なお、皇族同士の結婚は「降嫁」に当らない。「結婚され」などの敬語表現はNPOV違反。

私には不思議でならないのですが、Shakujii kidさんはご自分の投稿した記事が削除されたりRevertされたりすると、いつも「反対意見を隠蔽しようとする意図があるのは明らか」などということを断言なさるのでしょうか。--井上経介 2006年2月18日 (土) 15:49 (UTC)[返信]

同族又ハ華族」とあるのに、同族だけに限るのは、不自然ですね。これを自然とするのは井上さんの個人的な主観です。皇位継承が危機にあろうとなかろうと同じこととするのも、井上氏の主観です。 ところで結婚と同時に皇族になるのであれば、「女系継承を認めた上での内親王の配偶者として皇族と認定する」としても同じですから、わざわざ皇籍復帰だとする必要はない。 また、井上氏が意味を成さないといってる箇所は、井上氏が日本語を解しないためでしょう。 また「結婚される」は敬語表現ではありません。普通の日本語です。 その他の発言については、井上氏のいつもの言い訳でしょう。--Shakujii kid 2006年2月19日 (日) 00:53 (UTC)[返信]

同族」または「勅旨ニ由リ特ニ認許セラレタル華族」とありますので、両者は対等でありません。後者は前者の例外だったと見るべきでしょう。もし皇位継承が危機にあろうとなかろうと同じこととするのが私の「主観」であるとすれば、皇位継承の危機と4内親王との結婚相手とについて因果関係があるとするのもまた、Shakujii kidさんの主観ということになろうと思います。また、日本語であろうと何語であろうと、敬語表現はNPOV違反です。--井上経介 2006年2月19日 (日) 05:18 (UTC)[返信]

「復籍によって皇族の構成はどうなるか」について[編集]

ノート:旧皇族より転記。--井上経介 2006年3月4日 (土) 11:00 (UTC)[返信]

ねずみどしさんとBrownsugarさん以外の人にお伺いしますが、「復籍によって皇族の構成はどうなるか」というようなことは、現状ではウィキペディアで取り上げることではないとお考えですか?伝え聞くところでは中川八洋氏は、具体的に賀陽家の二人および東久邇家の一人の名前を上げているそうですが。--Shakujii kid 2006年2月20日 (月) 14:53 (UTC)[返信]

洵に勝手ながら、これは上の章「『皇位継承問題』への記事分割提案」と別問題であると判断したため、「『復籍によって皇族の構成はどうなるか』について」と題を附して章を分割しました。

さてご質問の件ですが、中川八洋がどのような理由で「賀陽家の二人および東久邇家の一人の名前を上げている」のかを寡聞にして存じませんので、現時点ではお答えいたしかねます。ただ一般論としては、竹田恒泰など一部の例外を除いて旧皇族の男系子孫は完全な私人であるため、そのプライバシーには最大限配慮して下の名前の記載などは控えるべきだと思います。理由次第では、「一部の論者が賀陽家の2人および東久邇家の1人の名前を挙げている」ということも伏せるべきかも知れませんが、差し支えのない理由でしたらここかどこかで教えてください。

なお、旧皇族の皇籍復帰問題を別項「皇位継承問題」へ統合した以上は、本章をノート:皇位継承問題 (平成)に移してくださるとありがたいです。--井上経介 2006年2月27日 (月) 18:19 (UTC)[返信]

存じない?不勉強ですね。2006年1月8日付産経新聞7面を御覧下さい。クレームは中川八洋氏と産経新聞にどうぞ。--Shakujii kid 2006年2月28日 (火) 11:50 (UTC)[返信]

「不勉強な人間にお伺いする気はない」ということでも私は別に構いませんが、それでは合意など形成しようがないでしょう。--井上経介 2006年2月28日 (火) 15:03 (UTC)[返信]

「存じませんので」といいつつ「名前の記載などは控えるべきだ」という主張に対して、産経新聞が堂々と書いていることだと御指摘したまでのことですよ。これで満足したので答えたいということならどうぞ。合意云々に関しては、妥協する気のない貴方にその言葉をそのままお返ししましょう。--Shakujii kid 2006年3月1日 (水) 07:52 (UTC)[返信]

産経新聞2006年1月8日付12版11面を確認してみましたところ、記事では当該3人の下の名前を伏せており、「堂々と書いて」などいないことがよく分かりました。ただし、その父の下の名前は出していますが、私はこれにも反対いたします。「これで満足したので答えたいということならどうぞ」とのコメントは何を仰りたいのか分かりませんので、私からこれ以上お答えすることはありません。

ところで、本章をノート:皇位継承問題 (平成)に移すという提案については如何でしょうか。--井上経介 2006年3月1日 (水) 15:13 (UTC)[返信]

私は名前を挙げたと書いただけで、下の名前を挙げたとは書いていませんよ。それから反対するなら中川氏と産経新聞にどうぞ。私は名前をあげていませんから。しかし有識者会議で八木氏が配った資料には系図で全部明らかですよ。文句をつけるなら八木氏にもつけるべきですね。 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai6/6siryou2.pdf

それから「ところで・・・」以降にはお答えいたしません。--Shakujii kid 2006年3月1日 (水) 23:16 (UTC)[返信]

なるほど。つまりShakujii kidさんは「中川八洋が挙げた3人が賀陽家の2人と東久邇家の1人であることを記載してよいのかどうか」ということを質問なさりたかったのですね。しかし、もしそうだとすれば今後はご注意ください。といいますのも、Wikipediaではプライバシーについて記事本文でもノートページでも同一の基準が採用されるからです。その3人の家名を記載してよいのかどうか分からないからといって、ノートページに「3人が賀陽家の2人と東久邇家の1人であることを記載してよいのかどうか」と記載してしまったら、一体何のために質問なさっているのか分からなくなってしまうでしょう。私は家名と人数くらいなら問題ないと思いますが、もしこれが重大なプライバシーの侵害であれば、Shakujii kidさんのコメントによって特定版削除などがなされていたかも知れません。不注意は誰にでもあることですし、私もよくやりますが、今後はどうぞお気をつけください。

それと、私は下の名前を記載したことについてもちろん産経新聞にも八木秀次有識者会議にも反対しています。それがどうかしましたでしょうか。

本章をノート:皇位継承問題 (平成)へ移動してはどうかという提案については「お答えいたしません」とのことですが、Shakujii kidさんはこの提案に賛成なのか反対なのか、もし反対であればそれは何故なのでしょうか。答えてくださらなければ、議論抛棄と判断して移動を実行することもありますので、ご諒承ください。--井上経介 2006年3月2日 (木) 09:12 (UTC) 訂正。--井上経介 2006年3月2日 (木) 14:06 (UTC)[返信]

ややこしいことになっているようですが節の移動に賛成です。--代言人(!) 2006年3月2日 (木) 09:21 (UTC)[返信]

いいえ、国民全体の問題として、復帰候補者を明らかにするのは当然のことで、プライバシー云々を持ち出して隠匿するのは間違った態度です。私が質問しているのは、他の読者は、井上氏のやりかたに同調するのか?ということです。ああ、それから井上氏と産経新聞および中川氏・八木氏との"内紛"はウィキペディアとは別の場所で、秘密裏に行なってください。別に誰も見たくありませんから。--Shakujii kid 2006年3月3日 (金) 01:02 (UTC)[返信]

お返事がありませんでしたので、予告通り転記しました。

Shakujii kidさんのお考えはよく分かりましたが、プライバシーの問題については少人数による議論だけで結論を出そうとすべきでないと思います。もし性急に下の名前を記載して半年後にプライバシー違反と指摘されでもすれば、その間の特定版が全削除されることにもなりかねません。ですから、本ノートではあまり意見が集らないようですので、まずWikipedia:井戸端Wikipedia:コメント依頼をご利用ください。それによって「他の読者は、井上氏のやりかたに同調するのか?ということ」も明らかになるでしょう。

それにしても、「反対するなら中川氏と産経新聞にどうぞ」と振っておきながら、「反対しています。それがどうかしましたでしょうか」と返されれば「別の場所で、秘密裏に行なってください。別に誰も見たくありませんから」とあしらう。一体何をなさりたいのか、私にはサッパリ分かりません。--井上経介 2006年3月4日 (土) 11:02 (UTC)[返信]

追記。プライバシーについてはWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してを参照してください。--井上経介 2006年3月4日 (土) 22:31 (UTC)[返信]