ノート:浄霊/過去ログ1

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はじめに

本文に書いたとおり、浄霊という言葉には、世界救世教のものと、日本の霊能者が使用するものがあり、それぞれ全く意味が違い、また、それぞれ、詳細を突き詰めれば膨大な内容になると予想出来ます。

この項目は、取り急ぎ、「世界救世教の浄霊と霊能者用語の浄霊」の2種類があることを読者に知らせるものであり、これらの項目をより詳細に書き記したい場合は、浄霊(世界救世教)、浄霊(霊能者用語)のような新しい項目をたてるべきだと思います。

霊能者用語としての浄霊

「憑依」について

この項目の解説として、「憑依した霊」という表現を使用してきましたが、Wikipediaの憑依をみると、「トランス状態(変性意識状態)に伴って現れる現象として知られている。」「憑依される人の日常的な人格とは異なる、別の意識もしくは人格が現れて、あたかも別人であるかのように振舞う」という説明がなされており、浄霊や除霊の説明に「憑依」という言葉を使用するのは不適切と思い、「憑いている霊」のような表記に修正しました。

というのは、浄霊や除霊の対象となる霊は、必ずしもその人物の人格を支配しておらず、浄霊や除霊の儀式においても、必ずしも憑いている霊が浮き出てくるとは限らないからです。

霊は憑いており、その人物の運勢に影響を与えているのだが、その人物の人格を支配しているわけではない状態を表す、適切な言葉が「憑依」以外にあるのでしょうか。私は思い浮かびませんでした。

2007/09/03 Brandy of plum


備考

どなたかが、

  • 浄霊は霊1柱に対し1回で完了させるのが本物、と説く人が居る
  • 霊1柱に対し何度も対価を要求するのは偽物、と説く人が居る

という2文を、解説内に挿入してきたので、急遽、備考という欄を設けてそちらに移動しました。

浄霊という用語が、霊能者間で統一のとれていない用語である限り、なにが本物で何が偽物かという定義を、百科事典である WikiPedia で言及するのは適切ではないでしょう。また、もし、上記のような「個々の霊能者の主張」を霊能者の数だけ書くとしたならば、それだけで膨大な量となり、百科事典としての用をなさなくなってしまいます。従って、上記主張は本文から分けて「備考」に移動しました。

今後、備考の内容には、個別の霊能者の意見が書き連ねられていく可能性がありますが、内容が多くなる場合は、浄霊(霊能者用語)などの別項目をたててください。


反論 という項目について

次のような記述が記載されましたが、後述の理由によってノートに移動しました。

反論

  • 世界救世教は「たくさんの奇跡を起こしている」と言っていますが世界救世教の新聞、DVDにしか記録されていない為、真実なのかどうかは確認できません。
  • 世界救世教の勉強会では「アンゴーラで、死人を生き返らせた」と言う風に教えられているが、普段の信者にはアンゴーラまで行って確かめる事ができません。
  • 「薬は毒だから、薬を飲まないほうがいい」と言う信者も先生もいます。

この内容を項目の本編に記載するためには、いくつかの問題を解決する必要があります。

まず、世間一般の百科事典に「反論」という項目が載っているものはありません。wikipediaの項目は議論の場ではありません。ですから反論という記述が登場する必然性がありません。したがって反論という項目は不要です。議論を行いたいのならば、どこかの掲示板などで行うべきでしょう。

次に、いくつかの情報提供がなされていますが、まずこれらの内容には出典の明記が必要でしょう。その後、その出典の記述を検討しながら、この内容が、本当に浄霊という項目の記述に必要かどうかの議論が必要でしょう。記述された内容は浄霊の項目のそれまでの記述内容とは関係なく唐突に表れた情報に対し、勝手に持論の反論を書いているものです。私には、この内容が浄霊の項目と関係あるようには思えません。

この記述を復活させるなら、これらのことをこのノートでしっかりと議論をし、この内容が本当にこの項目に必要かどうか、だれの目にも明らかな状態にする必要があるでしょう。

Brandy of plum 2009年3月11日 (水) 15:05 (UTC)

浄霊の項目の分割に関して

世界救世教の浄霊と、世間的な浄霊の二つの記述がありますが、世界救世教の浄霊は「浄霊 (世界救世教)」というタイトルにして、別のページにした方がいいと思います。--ムネイシ会話2014年12月31日 (水) 01:58 (UTC)

わたしの読者ページの中に「浄霊」と「世界救世教の浄霊」の下書きを作ってみました。
浄霊
浄霊 (世界救世教)
よかったら見て下さい。--ムネイシ会話2014年12月31日 (水) 02:31 (UTC)

反対 この分割案には反対します。まず、やるならば浄霊(曖昧さ回避)を作成するのが事例に則した適切な手段でしょう。しかし、どちらを実行するにしても現時点ではそれを実行する合理的な理由がありません。同記事の記述が多くなり、分割せざるを得なくなったときに初めて分割すべき合理的理由が生まれると考えられます。そもそもムネイシさんは、なぜ分割を行うべきと考えますか?合理的な理由をお聞かせください。--Brandy of plum会話2015年1月3日 (土) 16:39 (UTC)

コメントひとつのページに二つの意味を記述させることはWikipedia:曖昧さ回避#廃止された方式によって廃止されています。浄霊のページには世界宗教の浄霊による説明と、一般的な浄霊の説明の二つが書かれています。そのため、なんらかの形でページを分割する方法が必要です。--ムネイシ会話2015年1月4日 (日) 02:42 (UTC)
上記はムネイシさんが文章を読み間違えています。ムネイシさんが書いておられることは、ウィキペディアで廃止されているのではなく、曖昧さ回避ページの記述方式として廃止されていると書いてあるのです。同記載が「曖昧さ回避」記事内に記述されていることに注意してください。記載された内容は、どのような「曖昧さ回避」ページを作成するのかという行程に於いて有用ですが、現状を変更しなくてはいけない根拠とはなりません。従ってムネイシさんの上記記載は、分割を推し進める合理的な理由とはなりません。  --Brandy of plum会話2015年1月5日 (月) 16:02 (UTC)
わたしは「一つの記事に言葉が一緒でも意味の異なる二つの記事を載せるのは禁止されている」という風に受け止めていました。文章だけで見るとどうもウィキペディア初心者にはわかりずらくて(一例でも載せてくれればいいのですが)、Brandyさんの説明でもよくわかりません。
最近編集を始めたばかりの初心者ですので、どうかその点はおおめに見てください。
分割案を出した理由を説明します。一般的な浄霊と世界救世教による浄霊は言葉は一緒でも、内容はまったくの別物です。本来の浄霊の意味は地縛霊を成仏させることを意味し(そのことを記述したら、削除されました)、世界救世教による浄霊は「手かざし」と呼ばれる病気を治す宗教儀式です。普通はこういった行為はヒーリングと呼びます。本来の浄霊の意味とは無関係なため、分割案を出しました。--ムネイシ会話2015年1月5日 (月) 17:55 (UTC)
一般的な浄霊と世界救世教による浄霊は言葉は一緒でも、内容はまったくの別物です。とのことですが、確かに「浄霊とは地縛霊を成仏させること」というようなオリジナリティあふれる考えのムネイシさんには、全く違ったもののように見えるかもしれません。ところが、現在の浄霊の項目の記述で見る限り、世界救世教の浄霊と霊能者の浄霊には共通点があります。今度、その共通点に関する記述を行おうかとちょうど考えておりました。形態は異なるが思想、考え方に共通点が見られるということを記述することも、(単なる言葉の意味を説明する辞書ではなく)百科事典のウィキペディアの記事として有意義であると私は考えます。これも、「分割をしない方が(ウィキペディアのために)良い」と私が考える理由の一つです。--Brandy of plum会話2015年1月7日 (水) 13:37 (UTC)

なお、私はこの2者が一つの記事に並立して書かれている事こそに意味があると考えております。というのは、出自が異なる二つの概念が同じ名称として存在していること。一つは明確に造語が行われている出典が存在しており、しかも古くから存在しており、海外においても広く使用されている。もう一つは新しくはあるが造語者が不明であり、意味も曖昧であるが日本内において定着していること。この状況自体が記述されていることに百科事典の記事としての存在意義があると考えるからです。

つまり私は、「分割した方がよい」ではなく、「分割しないことの方が意義がある」と考えるものです。--Brandy of plum会話2015年1月3日 (土) 15:55 (UTC)

コメントなお、私はこの2者が一つの記事に並立して書かれている事こそに意味があると考えております。とありますが、上記に書いたとおり、現在のウィキペディアの方針では二つの記事を同じページにすることは原則として廃止されています。--ムネイシ会話2015年1月4日 (日) 02:42 (UTC)
上に記載したとおり、これは変更しなくてはいけない合理的な理由とはなりません。 --Brandy of plum会話2015年1月5日 (月) 16:02 (UTC)
  • (コメント)現在の本記事については現在一般的に使われる「浄霊」と、世界救世教による「浄霊」が併記されている状態であり、Brandy of plumさんのご意見については同意できません。そもそも、現在の状況においては、後者は世界救世教で言及されるべきものでしょう。と、言うよりちゃんと当該記事で言及されてるじゃないですか。何箇所にも書き散らすのではなく、必要ならばこちらから世界救世教へ一部転記を行ない、{{Otheruses}}による誘導を行なえば済みます。もちろん、冒頭の「岡田茂吉による造語」という部分については本記事中に残すべきでしょうけど。--KAMUI会話2015年1月6日 (火) 07:59 (UTC)
kamuiさんの案に賛成します。{{Otheruses}}による誘導で十分だと思います。--ムネイシ会話2015年1月7日 (水) 02:19 (UTC)
訂正、世界救世教による浄霊の項目は、世界救世教への{{Otheruses}}誘導で十分だと思います。--ムネイシ会話2015年1月7日 (水) 13:55 (UTC)
KAMUIさんの記述には合理性があります。そして、KAMUIさんの記述により「浄霊(世界救世教)」への分割案は、なおさら合理性がなかったことが明確になりました。というのは、たしかに世界救世教の項目には浄霊という節があります。浄霊の項目世界救世教内の浄霊節において、記述を分散すべきではないというKAMUIさんの意見はそのとおりです。ところが、浄霊(世界救世教)を新たに作るとなると、その事は同時に、世界救世教の項目から浄霊節を分割するのと同じ意味となり、今度は世界救世教の浄霊節と浄霊(世界救世教)で記述が分散する結果になります。そして、記述の分量的な意味に於いて、「浄霊(世界救世教)」という新しい項目を作るべき根拠は、項目「浄霊」側にも項目「世界救世教」側にも存在しません。結果、KAMUIさんのおっしゃるような、世界救世教の浄霊節への誘導の方が、より合理的な提案と言えます。(ただし、どの部分を残しどの部分を転記して誘導するのかといった議論はまだ行われておりませんことに留意してください。この部分にも議論すべきことがたくさんあります。) それからムネイシさん、「浄霊(世界救世教)を提案したが、世界救世教の浄霊節への誘導で十分だ」という物言いはおかしいです。本来、浄霊という項目になんらかの問題があるとする場合、それに対処する方法として、最初に、「浄霊(世界救世教)」への分割がいいのか、「浄霊(世界救世教)と浄霊(霊能者)に分割して曖昧さ回避の項目を作る」のがよいのか、「浄霊から浄霊(霊能者)を分割する」のがよいのか、それとも「現状のまま」が良いのか、といった検討から始めるべきが本来あるべき議論の出発点です。あなたは最初にそういう提案をすべきだったところを、その行程を飛ばし、ある意味勝手に「浄霊(世界救世教)への分割提案」を前提として議論を始めました。私は、「浄霊(世界救世教)への分割提案」にも反対ですが、同時に、このような有るべき手順を踏襲しない議論の進め方自体にも反対です。--Brandy of plum会話2015年1月7日 (水) 13:21 (UTC)
文章が長すぎてなにが言いたいのかよくわかりませんが、kamuiさんの案に合意したと受け止めていいのでしょうか?
>「浄霊(世界救世教)を提案したが~
自分で言うのもなんですが、わたしは編集初心者で、あまりウィキペディアのルールがよくわかっていないですw。ごめんなさいね。kamuiさんの説明を見て「今回のような場合は誘導するべきなのか」と思い、賛成しました。--ムネイシ会話2015年1月7日 (水) 14:15 (UTC)
すみません、すごい正直な意見を書かせていただくと、このぐらいの文章を長すぎると思う感覚の方が、今回のような提案をするということに、申し訳ないですが疑問を感じます。それから、ウィキペディアのルールがよくわからないと書いておられますが、それ以前の、一般的な議論のあるべき進め方としての話をしています。--Brandy of plum会話2015年1月7日 (水) 14:22 (UTC)
自分でもウィキペディアの編集は下手くそだとは思いますが、わたしを否定するような書き込みはやめて下さい。ここは議論する場所であって、個人攻撃する場所ではありません。--ムネイシ会話2015年1月7日 (水) 14:42 (UTC)
別にあなたを否定なんかしていないですよ。疑問を感じる、と言っているだけです。私も疑問を解き明かしたいのですが、そのためにも、まずは後段に書いた、「上記の「「除霊」と「浄霊」に潜む危険性」を読んだのですが、どうしてこれが「浄霊を地縛霊の救済としている研究」になるんですか?」という質問にお答えいただければと思います。--Brandy of plum会話2015年1月12日 (月) 16:18 (UTC)
言い訳はやめて下さい。次に個人攻撃をするようであれば、あなたの言い訳に関わらず、なんらかの処置をとらせていただきます。わたしも他の利用者もケンカは嫌ですからね。ようするに、あなたがいいたいのはわたしの編集に対する丹波哲郎以外の「きちんとした二次資料」を提出すればよいのでしょう? 今その資料を複数集めているところですから、ノートでちくちく質問せずに待ってください。なお、長先生の資料ですが、「憑依した霊の不浄な部分を浄化させるという意味もあるようである」と成仏のことは書いていませんが、浄霊には浄化の意味も持つ、と書いています。浄化というのは、コトバンクによれば「心身の罪やけがれを取り除くこと」です。ようするに長先生の説明は「浄霊は憑依霊を取り除くだけではなく、彼らの心身のけがれを取り除く」ということです。--ムネイシ会話2015年1月12日 (月) 20:40 (UTC)

インデント戻します。Brandy of plumさんにおかれましては礼儀を忘れないをお読みください。「私の意見に合理性がある」ことをもって、他の利用者に対して礼を失した発言を行なうのは不適当です。

なお、私から見ても改行が全く無く読み辛い文章と感じますので、今後は適切な改行や空白などを挿入することで、読み易くすることに努めて頂きたいと思います。読み易い文章は、他の利用者に自分の考え・意見を理解して頂くのに役に立ちますので、そうした努力は惜しむべきではありません :)

で、転記については賛成して頂けるのでしょうか? --KAMUI会話2015年1月8日 (木) 09:17 (UTC)

すでに上記長文で書いているとおり、対処として世界救世教#浄霊への誘導ならばいいですが分割は反対です。ただし、「なぜ今まで通りではいけないのか」という議論はなされていないという認識です。それから、「「私の意見に合理性がある」ことをもって、他の利用者に対して礼を失した発言を行なう」こんなことはしていないです。長文では、私はあなたの発言を持って、もともとの提案である「分割案」に合理性がないことがわかったと書いたまでです。もっとも、そのあとの展開が「礼を失している」と見えるかもしれませんが、それはKAMUIさんの記載とは関係ありません。--Brandy of plum会話2015年1月12日 (月) 16:18 (UTC)

冒頭記述の修正。浄霊は地縛霊のみが対象か?餓鬼道の霊は地縛霊か?

すみません。どうやらこの件は紛れることが予想されるので、やはり分割案とは節を分けることにしました。--Brandy of plum会話2015年1月5日 (月) 16:02 (UTC)

冒頭の「浄霊(じょうれい)とはこの世にさ迷っている地縛霊を浄化して霊界に導くことである」という記述は、世界救世教の浄霊と分割していない時点での書き出しとして適切ではなく、しかも霊能者の浄霊の説明としても適切ではありません。 出典として丹波哲郎の著書が紹介されていましたが、これではたくさんの意味のある「霊能者が言うところの浄霊の、数ある解釈」のうち、たった一つの例を根本的な定義として挙げていることになります。霊能者が言うところの浄霊の対象となる霊が「地縛霊」に限定されるということはありません。

コメントわたしは浄霊の意味を「地縛霊の救済」として認識しています。丹波哲郎氏は50年近く心霊研究家と活動していた実績があり、浄霊の出典元としては十分に信頼出来るサイトです。--ムネイシ会話2015年1月4日 (日) 03:47 (UTC)
追記。丹波哲郎さん以外にも、浄霊を地縛霊の救済としている研究家もいます。⇒いわゆる「除霊」と「浄霊」に潜む危険性 ……脇長生心霊講座より
上記のサイトは日本スピリチュアリスト協会ですが、母体は日本の心霊研究の父と称された浅野和三郎さんが設立した心霊科学研究会であり、きちんとした研究機関です。--ムネイシ会話2015年1月5日 (月) 08:14 (UTC)
コメントすみません。上記の「「除霊」と「浄霊」に潜む危険性」を読んだのですが、どうしてこれが「浄霊を地縛霊の救済としている研究」になるんですか?まず単純な話として、文章内に「地縛霊」という言葉がありません。次に、この文章は冒頭で、「浄霊と除霊はほとんど同じものだ」とし、以降、除霊の説明を行っているものです。つまりこの文章は、浄霊を説明した文章とは言えず、「除霊」に対する説明の文章であり、しかも浄霊と除霊をひとくくりにして「否定」している文章です。浄霊(=除霊)は危険であり、救済とは言えないものであるという論旨の文意なのですが、「浄霊を地縛霊の救済としている研究」として読み取ることは出来ません。--Brandy of plum会話2015年1月7日 (水) 14:00 (UTC)
丹波哲郎の正当性をここで主張することには意味がありません。霊能者のいう浄霊にはさまざまな独自解釈が並列的に存在し、丹波哲郎の解釈はそのうちの一つに過ぎないことは変わりないからです。「霊能者の言う浄霊には様々な解釈が並列的に多数ある」という事実を淡々と記載することこそ、ウィキペディア「浄霊」の記事として有益です。なお、丹波哲郎が「浄霊」という用語をいつ最初に使用したのかという情報を出典付きで提供していただけますと、ウィキペディアの記事としてとても有益な情報になります。--Brandy of plum会話2015年1月5日 (月) 16:02 (UTC)

次に、「しかし、浄霊の概念そのものは岡田茂吉が生まれる以前から存在しており[3]、その点には留意をする必要がある。」という記述も、霊能者のいう浄霊という用語の説明として不適切です。 というのは、現在のところ浄霊には一般的に「良くない状況がある→浄霊を行う→状況が良くなる」という工程がつきものであり、これは霊能者の浄霊のみならず、世界救世教の浄霊も同様です。 それに対し、目連の例は、「神通力で母親が地獄に落ちている事を知った」「それを救う方法を釈迦から学んだ」という事例であり、これは盂蘭盆会の始まりとされています。 ムネイシさんは、「お盆」や「先祖供養」を「霊能者がいうところの浄霊の一種」と解釈しますか? さらに、「地獄に落ちた母親」は、「地縛霊」ではないことにも留意してください。 上記のとおり、「記述が不適切である」「記述同士に矛盾がある」ため、修正は差し戻しをさせていただきます。そもそも、ここの箇所の修正は、「分割案」が解決するまで手をつけるべきではないでしょう。

コメント一般的に餓鬼道というのは地縛霊や地獄の一種だと解釈されています。目連の母親を釈迦如来が助けたエピソードは浄霊行為だと思います。「良くない状況がある→浄霊を行う→状況が良くなる」とありますが、この場合は「神通力で母親が地獄に落ちている事を知った」⇒「それを救う方法を釈迦から学んだ」⇒「その結果母親を地獄から救済した」でしょう。
少なくとも、「神通力で母親が地獄に落ちている事を知った」⇒「それを救う方法を釈迦から学んだ」⇒「その結果母親を地獄から救済した」は私が上述したこととは異なります。現実世界に具体的に発生している不幸現象を、浄霊をすることで、現実的な現象として解消されるという行程がある、という意味で私は書きました。少なくともムネイシさんが書いたことは私が書いた事と適合していません。--Brandy of plum会話2015年1月5日 (月) 16:02 (UTC)
一般的に餓鬼道というのは地縛霊や地獄の一種だと解釈されています。とのことですが、 地縛霊の定義が、ムネイシさんの独自解釈になっているようです。例えば辞書的にはそのようにはなっておりません。⇒goo辞書 地縛霊 --Brandy of plum会話2015年1月5日 (月) 16:02 (UTC)
>ムネイシさんは、「お盆」や「先祖供養」を「霊能者がいうところの浄霊の一種」と解釈しますか?
お盆や先祖供養は故人の幸せを祈る大切な行為と受け止めています。子孫やご家族に手を合わせてもらって心が癒される地縛霊もいると思いますので、浄霊行為の一種だとは思います。
なるほど。しかし私はそうではないと考えます。いや、ムネイシさんがどう考えるかに反対しているのではなく、ウィキペディア「浄霊」に書くべき本質的な事はそれではないと考えるという意味です。 それは、「お盆自体を浄霊と考える考え方もある」と、備考の1行に記載すべきようなことでしょう。 --Brandy of plum会話2015年1月5日 (月) 16:02 (UTC)
>そもそも、ここの箇所の修正は、「分割案」が解決するまで手をつけるべきではないでしょう。
その点には賛成します。--ムネイシ会話2015年1月4日 (日) 03:49 (UTC)

Brandyさんは世界救世教の信者でしょうか? なお、今回のことは分割提案に出しましたので、一応報告しておきます。--ムネイシ会話2015年1月5日 (月) 19:18 (UTC)

  • コメント 分割提案から来ました。「世界救世教」節は、世界救世教に移動すれば良く、新記事の作成は改めて文量と相談して行うべきだと思います。なお、「浄霊」の言い出しっぺが「世界救世教」である事は、教団と無関係の2次資料の提示が必要であり、「〇〇は、世界救世教教祖岡田茂吉によって同教団内で使用する宗教的儀式の名称として造語されたもの、と解釈している。」のような書き方となります。--JapaneseA会話2015年1月7日 (水) 08:29 (UTC)

分割に関する議論はひとつ上の「3 浄霊の項目の分割に関して」でお願いします。--ムネイシ会話2015年1月7日 (水) 13:37 (UTC)

JapaneseAさんが指摘している「浄霊」の言いだしっぺですが、この場合は信頼できる情報源に書かれている「反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト」によれば、政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。と明記されています。わたしも色んな心霊関係の本を数十冊持ってますが、『「浄霊」の語源は世界救世教によるもの』と明記されている本は一冊もありません。情報源としてふさわしくないと思います。--ムネイシ会話2015年1月9日 (金) 14:54 (UTC)
上記を理由にこの項目は削除してもよろしいでしょうか?--ムネイシ会話2015年1月10日 (土) 05:57 (UTC)
ムネイシさんはまた文章を読み間違えています。上記「反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト」は、「オンラインや自己公表された情報源の利用」という節に含まれいています。つまりそれは、「外部のWebサイトや自費出版の書籍を情報源とする場合」の注意事項です。ここには、宗教団体の出版物はすべからく情報源にならない、ということが書かれているのではありません。--Brandy of plum会話2015年1月12日 (月) 15:31 (UTC)
岡田氏の発言は信用性が足りないかなと思います。今のところは岡田氏の発言による教団の資料だけですし。JapaneseAさんも指摘しているように、教団とは関係のない二次資料でなら信頼できるのですが。--ムネイシ会話2015年1月12日 (月) 16:41 (UTC)

コメント 浄霊とは、大本出口王仁三郎が行っていた霊能秘技をもとに、岡田茂吉浄霊として確立し、世界救世教の教義に据えるようになったということは間違いありません。(出典:『完全版日本と世界の宗教: 世界三大宗教から日本の新宗教までを全解読』ムー編集部、学研パブリッシング, 2009, p242[1])世界救世教では、浄霊のことを手かざしと呼びます。教祖から授かる「おひかり」を首にかけて手のひらを相手にかざし、霊魂に神の光を当てることで清め、霊性を向上させる行為であり、その過程で不浄な霊が憑霊出来なくなって離れていくという過程をとります。現代では、霊能者一般が手かざしとは異なるオリジナルな「浄霊」を行っている場合があります。ですから、冒頭部は、世界救世教と世間一般の浄霊が別であることを明記し、世界救世教の浄霊については手かざしに誘導するほうがよいでしょう。浄霊#世界救世教の浄霊は、手かざしに転記すべきでしょうね。冒頭部2案と冒頭文案を提案いたします。

  • 冒頭部案1
  1. 世界救世教手かざしのこと。
  2. 不浄な霊を清めたり、慰めたり、または、霊魂に神の光を当てて清めたりする宗教行為。
  • 冒頭部案2
  • 冒頭部本文案

浄霊(じょうれい)とは宗教儀式の名称であり、第二次世界大戦終結直後(1948年頃)に、世界救世教教祖岡田茂吉大本出口王仁三郎が行っていた霊能秘技をもとに開発した宗教行為である(出典:『完全版日本と世界の宗教: 世界三大宗教から日本の新宗教までを全解読』ムー編集部、学研パブリッシング, 2009, p242[2])。世界救世教では、手かざしと呼ばれている。その後、多くの霊能者が、自身が行う独自の宗教行為を浄霊と称しており、現在では、浄霊の定義は定まっておらず、手法も様々である。 —ぽてから会話2015年1月11日 (日) 00:30 (UTC)

手かざしよりも世界救世教への方がふさわしくないでしょうか? もうすでに世界救世教には浄霊の説明が書いてありますし。。。冒頭の記述ですが、世界救世教による浄霊を別のページにのせるのなら、書かなくてもいいのではないでしょうか?--以上の署名のないコメントは、ムネイシ会話投稿記録)さんが 2015年1月11日 (日) 09:24 (UTC) に投稿したものです(JapaneseA会話)による付記)。
手かざし世界救世教へ統合して、かつ、浄霊#世界救世教の浄霊世界救世教へ統合するほうが、かえってわかりやすいかもしれません。ただし、手かざしをリダイレクトすると、誰かが再作成する可能性もあるので、しっかり合意形成する必要がありますが、難しそうな気がします。手かざしの統合が無理そうな気がしたので、手かざしに終結させて冒頭部案2を採用すればいいんじゃないかと思いました。--ぽてから会話2015年1月11日 (日) 11:12 (UTC)
コメント 各位様へ。手かざし浄霊も「世界救世教」だけが行っているわけではないようですね。仮に、これらの行為(や用語)の言い出しっぺが「世界救世教」なのであれば、出典をつけて手かざし浄霊にその旨を書くべきでしょう。冒頭は現状の1~2行目「浄霊(じょうれい)とは宗教的儀式の名称である。もともと浄霊という言葉は、されたものである。」のみで良く、「世界救世教」にそれ以上触れる必要はないでしょう。--JapaneseA会話2015年1月11日 (日) 17:09 (UTC)
手かざしはむしろ手当て療法に手かざしの項目を作って移動した方がいいのではないでしょうか? 記事の内容も短いですし。--ムネイシ会話2015年1月12日 (月) 06:42 (UTC)
そんな記事もあったのですね。手かざしとは手当て療法、統合した方が良いと思いますが、「浄霊」と「世界救世教」の2記事には直接関係しないので、そっちはノート:手当て療法で検討した方が良いと思います。--JapaneseA会話2015年1月12日 (月) 10:04 (UTC)
統合提案出しておきました。手かざしと手当て療法の統合に関する議論はノート:手当て療法でお願いします。--ムネイシ会話2015年1月12日 (月) 11:52 (UTC)
上記冒頭部案でしたら1のほうに賛成します。ただ、本文案の、出口王仁三郎の秘技を元にという記述部分ですが、大本の秘技(御手代)は手をかざしません。もちろん浄霊という名称でもありません。それから、「世界救世教の浄霊」には、「浄霊」という名称に裏打ちされる思想と理論があるのですが、それを大本の「御手代」はもちません。何を書いているかというと、「出口王仁三郎の秘技」云々は、「浄霊」の項目とは関係性が低く、必要がない記載ではないか、という話です。それこそ、「世界救世教」の「浄霊」節にでも記載すれば良いことではないかと。  あと、「世界救世教では手かざしと呼ばれている」という記載ですが、世界救世教で浄霊のことを手かざしと呼ぶ文化はありません。--Brandy of plum会話2015年1月12日 (月) 16:28 (UTC)
コメント 私のPC環境に問題があったので、御提示の出典『完全版日本と世界の宗教: 世界三大宗教から日本の新宗教までを全解読』の内容が拝見できなかったのですが、今日やっと拝見できました。242ページを どう読んでも「浄霊」の元祖とする事はできないように思います。出典では「手かざしによる浄霊法を確立」とありますが、「浄霊」というキーワードの言い出しっぺかどうかは判断つきかねます。それとも読めないページに何か記述されているのでしょうか? これでは、冒頭は「浄霊(じょうれい)とは宗教的儀式の名称である。」の1行で終わりで、本記事では岡田茂吉にも世界救世教にも触れる必要はなく、「世界救世教」に関する事は、全て世界救世教に転記する事になります。なお、「多くの霊能者が、自身が行う独自の宗教行為を浄霊と称しており、現在では、浄霊の定義は定まっておらず、手法も様々である。」は記述した方が良いと思います。--JapaneseA会話2015年1月12日 (月) 19:08 (UTC)
わたしも『完全版日本と世界の宗教: 世界三大宗教から日本の新宗教までを全解読』を読みましたが、浄霊の語源には出来ないと思います。この資料は世界救世教による浄霊の源流は大本にあるといった内容で、誘導先の世界救世教の浄霊に記載は出来ますが、浄霊のルーツそのものだとはいいがたいです。--ムネイシ会話2015年1月12日 (月) 21:15 (UTC)

コメント 議論が止まっており、論点がぼやけているように思えるので、今一度採決します。以下を提案します。14日以内に反対意見がない、あるいは、ムネイシ様、Brandy of plum様、KAMUI様、ぽてから様の全員が賛成を表明、で提案を実行します。

  1. 本記事の冒頭は「浄霊(じょうれい)とは宗教的儀式の名称である。多くの霊能者が、自身が行う独自の宗教行為を浄霊と称しており、現在では、浄霊の定義は定まっておらず、手法も様々である。」のみとする。
  2. 「霊能者の用語としての浄霊」節より「統一性が乏しいのは、世界救世教が造語し、すでに存在していた浄霊という言葉を、それぞれの霊能者が独自解釈で流用したという歴史的背景に起因するためと思われる。」を除去。
  3. 外部リンク「世界救世教いづのめ教団」を除去。
  4. 脚注の1番と「世界救世教の浄霊」節は世界救世教に移動。ただし、以下の記述は個別に判断
    1. ヒーリングに寛容なイギリスでは、~」は、世界救世教の話なのか、そうではないのか不明です。御意見がなければ、世界救世教に限った事ではないと判断し、「ヒーリングに寛容なイギリスでは、~」は、本記事(世界救世教の話は除去して)と世界救世教の両方に記載します。
    2. 浄霊は宗教的儀式ではあるが、~」は、世界救世教の話なのか、そうではないのか不明です。御意見がなければ、世界救世教に限った事ではないと判断し、本記事に残し、世界救世教にはコピーしません。

後から出てきたくせに勝手に仕切ってすみませんが、まずは、世界救世教との分離を行ってから、記事を改善して行くのが良いと判断しました(丹波氏の出典とか、除霊との統合も視野に入れるべきかもとか、思う事はありますが、それはこの問題が片づいてから)。--JapaneseA会話2015年1月22日 (木) 07:22 (UTC)

JapaneseAさんに賛同します。所用でイン出来ない日が数日続いてました。ごめんなさい。記事の内容の事は分離の問題が解決してからでもいいと思います。色んな資料を読んでみましたが、今のところ霊を取り除くことを「除霊」としてしか使用していない人とか、丹波氏のように「浄霊」と「除霊」の意味を使い分けている人とか、人によって使い分けが様々で統一性がないように見受けられました。--ムネイシ会話2015年1月22日 (木) 13:34 (UTC)
浄霊は、出口王仁三郎が開発してそれを岡田茂吉に授けたということくらいは出典にしたがって書いてもいいんじゃないでしょうかね。王仁三郎は、個人的にやってたあと大本の他の弟子には伝授せず、岡田茂吉だけが受け継いで、王仁三郎の承認のもとで世界救世教を立教したんですよ。王仁三郎は手をかざしてないし、足でやったりしてて、岡田茂吉は最初は身体に触れてやってたけど、後に手をかざす姿勢に落ち着いたんです。浄霊という単語を、初めて、岡田茂吉が使ったかどうかとなると出典は見当がつかないですけど、王仁三郎の文献でも浄霊という単語は見た記憶がないから岡田茂吉なんでしょうね。--ぽてから会話2015年1月24日 (土) 03:28 (UTC)
コメント ぽてから様へ。「浄霊は、出口王仁三郎が開発し」との事ですが、「浄霊という単語を、初めて、岡田茂吉が使ったかどうかとなると出典は見当がつかないですけど、王仁三郎の文献でも浄霊という単語は見た記憶がない」と矛盾しませんか? 第3者の出典には、どう書かれていますか?--JapaneseA会話2015年1月24日 (土) 05:41 (UTC)
ぽてから様へ。あと7日以内に有効な反論がなければ、提案を実行します。その際は本記事から岡田氏などの記述が除去されますが、第3者出典を元に再加筆する事を妨げるものではありません。--JapaneseA会話2015年2月14日 (土) 00:13 (UTC)
しばらくWikipediaから離れており、お待たせてしまってすみませんでした。手元の文献を何冊か読み直したんですけど、出口王仁三郎氏が岡田氏に伝授したことは見つからなくて、ちょっと、どこで読んだか忘れちゃいました。先日、古本屋に売った本に書いてあったかもしれず、無念・・・。ひとまず、出典が『完全版日本と世界の宗教: 世界三大宗教から日本の新宗教までを全解読』ムー編集部、学研パブリッシング, 2009, p242のみなので、世界救世教関連の記事あたりに書けばいいようにも思います。岡田氏などの記述を除去していただいてかまいません。「現在では、浄霊の定義は定まっておらず、手法も様々である。」と冒頭に入るのなら、まあ、良いでしょう。世界救世教や真光系統では、御本霊を清めることを浄霊と呼んでいますが、邪霊をはらい清めることを「浄霊」と呼んでいる霊能者もいますから、「浄霊」をひと言で定義づけることは難しいでしょう。出口王仁三郎氏が、浄霊の元となる秘技を開発して、王仁三郎氏から霊法を伝授された岡田氏が、その秘技を体系づけて「浄霊」と名付けた可能性は高くて、秘技の系統についてふれてある文献は探せばありそうですが、岡田氏が「浄霊」の名付け親であるという語源の文献は見た記憶がないですね。--ぽてから会話2015年2月22日 (日) 08:53 (UTC)

コメント (インデント戻し)。ぽてから様、御理解感謝します。出典を発見できた際には、せひ加筆を御願いします。各位様、作業が完了しました。今回私はあくまで、適材適所的な分割・統合を行ったに過ぎません。問題となっていた、これまでの各議論を再開して頂ければ幸いです(私も参加させて頂きます)。--JapaneseA会話2015年2月22日 (日) 14:24 (UTC)