ノート:松崎史也

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

離婚の記載について[編集]

現時点で、ほかの編集者の方が離婚歴を削除する編集が、計4回行われています。ですので、離婚歴の記載は妥当とする意見を示しておくことにしました。はじめに確認ですが、離婚歴は、松崎史也さんご本人によりブログで何年も公開されていて、現在も松崎さんは、番組や公演で、ときに離婚を話題として取り上げています。

さて、離婚を記載すべきではない、とする最新の意見は、次のものです。
「(離婚歴を)隠す/隠さないではなく来歴として不適切。そもそも結婚についての一切の情報を記載せずに殊更に離婚のみを取り上げるような記述は百科事典としての体をなしていないでしょう。」2016年8月17日(水)19:18‎(UTC)ナポタリアン
ここでの主張のポイントは2つです。
1)離婚歴を記載するのは来歴として不適切である。
2)結婚の情報を記載せずに殊更離婚だけを取り上げるのは百科事典の体をなさない。(離婚を取り上げるのなら結婚も取り上げるべきである。)

これに対する、反論としての結論を先に述べると、次のようになります。
1)いいえ。離婚歴を記載するのは来歴として適切です。
2)いいえ。結婚の情報を取り上げられないのは理想ではありませんが、結婚の情報なしに離婚歴を取り上げた場合も、百科事典として成立します。

1)について。「来歴」の節は、たとえば履歴書とは違って、その人物がどういう人生を辿ってきたか、私生活を含め総合的に書く節です。そのような節に、仕事にまつわる出来事とは別に、婚姻関係の締結・解消といった出来事を載せるのは、まるで本棚に本を入れるように理に適ったことです。
ウィキペディアには、充実具合、精確さを認められてきた、「秀逸な記事」があります。人物でいうと、アシモフゴッホディズレーリのページ等です。これらの記事には、その人物が成し遂げた仕事上の業績に加え、結婚・離婚をはじめとする、他者との交流が、物語性のあるまとまった文章で記載されています。私たちはそれらの記事を手本とし目指す以上、人物像を教える最大の手掛かりである、結婚・離婚を、情報が公開されている限り、事実に即して、中立的な観点から記載しなければなりません。離婚は松崎さんにとって、がんの再発よりもショッキングで、かつ、人生を考え直す出来事となったのですから、彼の人物伝の執筆には欠かせない要素です。

2)について。離婚を書くのなら結婚も書いたほうがよい、という意見自体は正論です。しかし松崎さんの結婚については、「結婚時期はいつか」、「結婚相手は著名人か、あるいは一般人か」等といった、公表済みの信頼できる情報源が現時点では探し出せず、記述することができません。ですので、結婚の記述なしは、現時点ではやむを得ない措置であり、かつ当然の措置です。
対になっているものの両方を同列に論じる義務は必ずしもありません。たとえば、「中立的な観点」のページにある「釣り合いのとれた重みづけ」の節、また、「あらすじの書き方」のページにある「適切な長さ」の節を読むと、文章量は、事情に合わせて工夫する必要があることが理解できます。松崎さんの場合は、結婚よりも、(がんの再発時期と重なった)離婚のほうがご本人にとって重大であったわけですから、彼の人物伝で、離婚の文章量が大きくなるのは穏当です。
ほかの例でいうと、現時点では、松崎さんを人狼プレイヤーとして高く評価している意見の数々は記載している一方で、低く評価する意見は全く載せていません。しかし、「低評価の情報を記載せずに殊更高評価の意見だけを取り上げるのは百科事典の体をなしていないでしょう」という話にはなりません。現在、人狼プレイヤーとしての松崎さんに対する低評価は、著名人からはなされていないため、高評価の意見だけを取り上げるのが、公正な記述となるのです。結婚・離婚の件も同様に、ご本人のブログを読めば、離婚だけを取り上げるのが、公正な記述となるのがわかるはずです。

以上、離婚をあえて記述しない理由はなく、明記が望ましい旨を述べました。極力文章削りましたが、説得のため長文となりました。
--五十嵐栄蔵会話2016年8月18日 (木) 05:33 (UTC)[返信]

来歴に関してですが、例として挙げられている人物と根本的に違うのは「存命の人物」である点です(Wikipedia:存命人物の伝記)。大前提として「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」必要があり、尚且つ「論争が起きやす」く、「第三者的情報源で文書化されていない」出来事です。仰る通り、一部の情報は本人のブログで語られていますが、それが100%正確といえるメディア等の報道もなく、また、挙げられている通り公にされていない情報も多く含まれていることから、プライバシーに抵触しかねません。詳細が明らかにされていない以上、慎重に扱う内容であると判断します。
また、人狼プレイヤーの評価についてですが、基本的に生放送での発言は出典として不適切(WP:TVWATCH)ですし、TLPTのキャスト勢の発言はカンパニー内の身内の評価ですから、中立な観点の評価とは言えないでしょう。プレイの何が評価されているのかも抽象的です。個人的には削除してもよい(すべき)項目と考えます。 --櫻井千穂会話2016年8月28日 (日) 05:05 (UTC)[返信]


お返事ありがとうございます。こちらからの返事を丁寧に書こうとするとどうしても長文になってしまいます。申し訳ないのですが、お読み頂ければ幸いです。
ご意見は2点ですね。それぞれ、2つの理由に立脚しています。
1)離婚歴の記載について。①「第三者的情報源で文書化されていない」出典は不適切であり、②また、プライバシー尊重のため、削除すべきではないか。
2)人狼プレイヤーとしての評価について。①生放送での発言は、出典として不適切であり、②また、身内による評価であり中立な観点ではないので、削除すべきではないか。
最初に私の結論を述べると、次のようになります。
1)離婚歴について。これは、削除しないほうが望ましいのではないでしょうか。
2)人狼プレイヤーとしての評価について。私自身は、削除しなくてもよいと判断しているのですが、確かにこれは、削除するのは正しいと思います。
まず、後者の、人狼プレイヤーとしての評価についてですが、基本的には、おっしゃる通りだと思います。私が「評価」の節を作成するときに出典として用いたのは、生放送の映像作品内での発言であり、これは、ウィキペディアのマニュアルを読む限りでは、理想の出典ではありません。ですから、①「出典が不適切」という理由で、「評価」の節を消去するのは公正な措置です。(一方、SPA!のインタビュー記事の「看板役者」という表現はどこかに残すのが穏当なのでしょうか。)
しかし、これを踏まえた上で私の意見を述べると、「評価」の節をそのままにするのも、一つの適正な形だと考えます。
まず、理由②である、「身内による評価」ですが、これは、問題視するほどのものではないと思われます。確かに、人狼TLPTのキャスト同士は、同じ演劇を制作する仲間であり、身内という表現は全くもって正しいのですが、同時に、「人狼プレイヤー」というライバルである存在です。松崎さんの価値が高くなれば高くなるほど、ほかの人狼プレイヤーの価値は相対的に低くなりますから、単純なおだて上げとはなりません。これは人狼プレイヤーや役者に限ったことではなく、ほかの業種でもそうです。(プロ)スポーツ選手、作家、漫画家、ミュージシャン、お笑い芸人、学者、評論家等、ある有名人Aさんが同業者Bさんを称賛すれば、その事実の記載は、百科事典充実のよい手掛かりになります。最近世の中で話題のSMAPで具体的にいうと、たとえば、中居正広さんが木村拓哉さんについて、「木村のこういうところはすばらしい」と、雑誌のインタビュー等で発言すれば、それは、身内に対する褒め言葉ですが、ウィキペディアに載せる値打ちがあります。百科事典として「中立性がない」のはあってはならないことですが、それはたとえば、「マドックこと松崎史也は日本トップの人狼プレイヤーである」と、ウィキペディアの意見として記述するのが許されていない、ということであり、「児玉健はマドックをトップと表現した」という、ある個人の意見を示すのは、(発言者が精査している証拠がなかったり、意見が抽象的であったりしても、)記述のスタイルとしては間違っていません。これは「Wikipedia:中立的な観点」のページの、「意見を事実として記さない」の項目に該当します。これが、②身内の評価自体は問題がない、と判断できる理由です。
一方で①の、「出典が不十分」については、前述のように、この理由をもって、当該部分を削除するのは正しいはずです。前回、違う方から、検証可能性の問題で「人物」節を削除されたため、番組出典の代わりにブログ出典として復元しました。こういった削除方針はウィキペディアの理念に即しているわけです。
そういった見方があるのを知った上で、私が生放送の映像作品を出典として用いたのは、これが自己言及であるからです。「Wikipedia:検証可能性」のページでいうと、「自主公表された情報源:公式サイト(WP:ABOUTSELF、また、WP:SOCIALMEDIA)」に該当します。またしてもSMAPを例に出しますが、人狼TLPTの番組内で、人狼公演とは関係のないこのアイドルグループについて、「SMAP解散の原因は~である」という発言があった場合は、信頼性が皆無として、記述は削除に値します。しかし、人狼TLPTの「公式」動画配信場所である「セブンスキャッスルチャンネル」において、人狼TLPT関連の新情報が提供されたり、ある意見が発せられたりすれば、それは、公式サイトでの発表に準じると考えます。次回公演について、ツイッターで発表するのも、生放送で発表するのも、信頼性は同じということです。「Wikipedia:信頼できる情報源」のページの「概要」の節に、次のような記述があります。「音声、動画、マルチメディアといった素材も、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであれば、信頼できる情報源として必要な基準を満たしているかもしれません。」すなわち、映像作品であることそれ自体が、出典として信頼性が不足するわけではないということです。インターネット黎明期と違い、現代では、画面上に文字の表示だけでなく、動画を表示することも容易であり、映像ありの発表が映像なしの発表より軽んじられる事態は時代錯誤じみていると思うのですが、ウィキペディアにおいても、その点のフォローがなされている形です。
ここで少しまとめます。櫻井さんの、私の方法に対する反対のご意見の理由は、「出典が不適切という問題」と、「出典以外の問題」の、2種に大別できます。このうち、出典にまつわる問題は、基本的には正しいと思うのですが、それ以外については、申し訳ありませんが、正しいとは思わないのです。
次に、もう1つの問題である、離婚の記載の件にふれます。離婚の記載は望ましくないとする理由は2つありました。①出典、②プライバシーです。まず、②プライバシーへの配慮という問題です。これは、前回のナポタリアンさんに対しても同じ感想を得るのですが、私は正直に言って、「状況から言って、何もそんなに、ご本人への配慮を強調しなくてもいいはずなのに……」と戸惑いを感じ続けております。おそらくこれは、残念ですが、議論を続行しても平行線になるばかりではないかと思っています。
「プライバシー」という言葉をお使いになっているのですが、「プライバシー」とは、ウィキペディアの定義では、「私生活上の事柄をみだりに公開されない法的な保障と権利」です。「みだりに」というのは「勝手に」という意味で、つまり、ある個人の私生活を勝手に公開してはいけないということで、これは疑う余地がない正しい真理です。しかし、前回のノートの繰り返しになるのですが、松崎さんご自身は、離婚をブログで5年間も公開していて、現在も番組で度々ネタにしています。ご本人が自発的に公開しているわけです。私が勝手に公開しているのではありません。たとえば憶測で結婚相手を記述すれば、それは犯罪になるかもしれませんが、ご本人自らが「私は離婚した」と言っているのを、百科事典で「彼は離婚した」と書くのは、プライバシーの抵触にはなりません。絶対にです。
ウィキペディアを広い視野で眺めてみると、松崎さんのページとリンクしていた「堀江貴文」のページでは、堀江さんに結婚歴・離婚歴があることが、本人ブログ出典で記述されています。櫻井さんは、こういったあり方も、プライバシー尊重から削除すべきとお考えになるでしょうか。
Wikipedia:削除の方針」に記載されている、「ケース B-2:プライバシー問題に関して」(WP:DP#B-2)を読むと、削除対象が「非公開の情報」ということが確認できます。その人物が、存命であっても故人であっても秘密は守られるべきであり、かつ、松崎さんにとって離婚は秘密ではないのですから、本人の心情を思いやって、という理由で離婚歴を書かないのは、理に適っていないのです。
それから、「論争が起きやすい」というのは、きっと、違うのではないでしょうか。「人狼プレイヤーとしての評価や、演出家としての評価を巡って、良し悪しが識者Aと識者Bの間で意見が分かれている」、という事態なら「論争」として理解できるのですが、今回の「離婚歴の記載」は、編集者Aと編集者Bが異なる編集をしようとしているという事態であり、これはウィキペディアがいう「論争」ではないはずです。松崎さんに「離婚経験があるかないか」をはっきりさせる論争が起こっているのでもないですし、単なる「編集合戦」です。
ただ一方で、①出典が不十分、という理由は、前記したように、ごもっともです。「Wikipedia:信頼できる情報源」では、情報源には「一次資料」「二次資料」があることが明記され、ウィキペディアは編集者に、二次資料を出典の根幹として記事を作成するよう求めています。「松崎史也」のページで私が取り上げた出典のうち、二次資料にあたるのは、①「SPA!のインタビュー記事」と、②「電撃オンラインのダンガンロンパ舞台」、③「人狼読本」、この3つだけです。あとはどれも、たとえば、Afro13公式サイト、人狼TLPT公式サイト、SP/ACE=project公式サイト、エーシアター公式サイト等、対象そのものが扱っている一次資料であり、つまり出典の使用として理想ではありません。今挙げた2次資料3つに加え、櫻井さんが足してくださった④「GamerのBLAZBLUE舞台」を足して、望ましい出典は、「松崎史也」のページでは4つということになります。櫻井さんは、ありがたいことに松崎史也出演作品を緻密に掲載してくださいました(前に感謝通知を送信致しました)。一方で、これはどれも出典が明記されていませんが、おそらくどれも一次資料由来のはずです。(ですから実は、松崎さんの離婚歴や人狼プレイヤーとしての評価に対して、出典の不足をご指摘するには、まずご自身の、松崎さん出演作品の出典明記を見直すのが、筋が通っているということになります。)
しかし私は、前述したように、「自主公表された情報源:公式サイト(WP:ABOUTSELF、また、WP:SOCIALMEDIA)」に信頼性があると結論付け、本人ブログを含む一次情報を出典として用いています。「Wikipedia:信頼できる情報源」のページの「概要」の節には、「その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。その作業には常識的感覚と編集上の判断が不可欠です。」とありますが、この出典の使い方は、「二次資料が不足している」という私の判断からです。
10日ほど前に、松崎さんのページは編集合戦を理由に保護されましたが、これをおこなった管理者のBellcricketさんという方は、日本でプレイするバスケットボール選手を入念に書いていらっしゃる方です。とくに若手の「富樫勇樹」のページは、国内バスケ選手としては、おそらくウィキペディアで最高の精確さを誇る記事です。これは、編集者がしっかりしているからではありますが、それに加え、バスケットボールというコンテンツに多くの二次情報がついてくるために可能な芸当です。スポーツライターが新聞や雑誌に書いたものを、良質な資料として出典に利用できるのです。しかし、松崎史也さんのような、舞台演劇・人狼ゲーム公演の場合はそうではありません。とりわけ後者の人狼ゲームについては、国内ではブームとはいえ、世の中でまだまだライターが育っていませんし、記事執筆の文化までは根づいていないのが現状です。
結婚・離婚の話に戻すと、舞台役者の場合、たとえばテレビを主な活動場所とする芸能人と違って、「事務所を通して各報道機関に発表する」とは、あまりならないはずです。本人がSNS等を通して発表するのがおそらく主流であり、つまり、報道機関等のニュースにはなりづらいものです。松崎さんの例だけでなく、多くの場合は各種メディアによる二次資料が作成されないということです。
要するに、出典については、不備を指摘し始めるときりがない側面があって、どこかの線で「ここまでは可能」「ここからは不可能」と、編集者がその都度判断していかなければなりません。私の考えを再度まとめます。
1)「離婚の記載を削除すべきではないか」に対して
理由①出典が望ましくない……回答)一次資料となる本人ブログは、出典として理想ではありませんが、記事内で出典を明記している限り、信頼性のある情報源として機能しています。
理由②プライバシーの問題がある……回答)本人が報告・公表しているため、プライバシーの侵害には絶対になりません。
結論:削除は望ましくないと思います。
2)「人狼プレイヤーとしての評価を削除すべきではないか」に対して
理由①出典が望ましくない……回答)確かに正論であり、削除は正しいと思います。(ただ、私自身は、公式の生放送では、「自主公表の情報源」に則って、自己言及の範囲では、公式サイト掲載の発言と同様の信頼性があると考えます。)
理由②中立性が欠けている……回答)個人の意見を掲載するのは正しい記述スタイルであり、ウィキペディアとしての中立性を欠いているのではありません。
結論:削除は正しいと思います。
大変長くなりました。最後までお読み頂けたのであれば感謝致します。また、ほかの方のご意見も訊きたく思っております。
--五十嵐栄蔵会話2016年8月28日 (日) 20:58 (UTC)[返信]
容量軽減のため、なるべく簡潔にお願いします。まず、例示されている人物達はカテゴリ違いであり、尚且つその記事自身がお手本となる証明ができないため、単純な比較は無意味だと思います。
◆評価の削除はWP:SUBSTANTIATEに則っています(検証可能性を満たさない/記述を特定化・具体化できていない)。但し、誤解されているようですので補足しますが、私自身は映像作品全てを情報源として否定しているわけではありません。ポイントは「検証可能か否か」です。昨日の編集に関しましても、映像がアーカイブ化or作品化されており、特定の手順を踏めば現在でも確認可能なものは意図的に残していることがお分かりになると思います。
◆婚歴についてですが、議論を続行しても平行線になるばかりだとお思いになるのであれば、「害にならないことだけをせよ」で、記事で触れないという選択をすればよいのでは。そもそも婚歴について載せることに違和感を覚えるのは、「社会的に話題となっ」ておらず、「本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」でないためです(WP:WELLKNOWN)。業績というのは、松崎さんの属するカテゴリの俳優・脚本家・演出家としてのものを指しますので、もしも演技や活動、作風に影響を及ぼした事柄であるのなら記載すべきですが、現状そうではありません。一方病歴に関しましてはどうしても入院中は活動休止せざるをえない(=業績に影響を与える)ので、記載するに値すると考えます。
以下、QAです。
>SPA!のインタビュー記事の「看板役者」という表現はどこかに残すのが穏当なのでしょうか。⇒これは残して構わないと思います。プレイヤーとしての節直下が良いかもしれません。
>「堀江貴文」のページでは、堀江さんに結婚歴・離婚歴があることが、本人ブログ出典で記述されています。櫻井さんは、こういったあり方も、プライバシー尊重から削除すべきとお考えになるでしょうか。⇒堀江さんの件は結婚、相手、子供の有無、離婚の詳細が公になっており、複数のメディアで報道され、出版物にも記載されているので根本的に状況が違います。出典元はブログでない方が好ましいでしょうね。
>「論争が起きやすい」というのは、きっと、違うのではないでしょうか。⇒編集合戦も論争に当たります(Wikipedia:論争の解決)。現に論争が起きたと管理者が判断したため、記事が保護されましたし、ノートで意見をまとめる流れになっています。
>まずご自身の、松崎さん出演作品の出典明記を見直すのが、筋が通っているということになります。⇒出演作品のリストの出典については様々な意見がありますが、分析・合成・解釈・評価などをする余地がない(WP:PSTS)ことと、注釈が膨大になること(WP:SURPLUS)を理由に一次資料の参照で問題ありませんし、出典元明記の義務もない、とする見方が一般的です。出典を掲載しない作品リストのスタイルは日本語版、英語版共通です。とはいえ、私が載せたのはあくまで現在検証可能な作品のみで、網羅性もありません。冒頭のスタブを未だ外さない理由はそこにあります。
>松崎さんの例だけでなく、多くの場合は各種メディアによる二次資料が作成されないということです。⇒そもそも今まで記事が作成されなかったのは出典の問題が一因と言えるでしょう。しかし他に情報源がないからといって、一次資料のみを出典としてよい理由にはなりません(WP:PSTS)。--櫻井千穂会話2016年8月29日 (月) 13:30 (UTC)[返信]
「QA」の件、最初の3つは了解です。とくに「論争」については、言葉の定義の勘違いでした。
4つ目の、出演作品の出典の件については、あまり納得していません。確かに、「出演作品リストに出典を書かないのが一般的」というのは、調べてみると実感できなくはないです。しかしそれは、①出演作品自体のページが、役者のページとは別に存在している(リンク先にて詳細が述べられている)、②その役者の記事が不完全である、のどちらかの場合なのでは、と思います。読者には、本当にその作品に出演したのかな、との疑問が生じてしまいますから、出典が明記されているに越したことはないと思います。それから、櫻井さんはこれにまつわって、「一次資料と二次資料」の項目(WP:PSTS)と、「過剰な内容の整理」(WP:SURPLUS)のページへのリンクを提示なさっています。前者については、「分析・合成・解釈・評価」という問題ではなく出典明記の問題では? との疑問があり、櫻井さんの意図がちょっとわかりかねています。後者の「過剰な内容」については、「過剰」というのはページ本文の無意義な長い文章に対する注意です。注釈総数が100でも200でも、そのこと自体は非推奨ではありません。
5つ目の「二次資料が作成されない」についてですが、念のために確認ですが、これは、「結婚・離婚」の文脈の中での発言です。「多くの場合は各種メディアによる二次資料が作成されない」を単発的に抜き取られると、なんだか、私が「十分な資料がないとしても問題ない」と無責任に言っているかのようにも見えてしまうのですが、あくまで私は、松崎さん(など)の結婚・離婚は、芸能ニュースにはなりづらく、よって二次資料は作成されづらいのでは、と言っています。また、松崎史也さんの活動内容を扱った、信頼に足る一次資料・二次資料(公式サイトやニュースサイト、書籍『人狼読本』)は、1~2年前(2014年、2015年)にはすでに世に出ていたため、ウィキペディアでのページ作成は可能だったはずです。
本題です。まず人狼プレイヤーとしての評価の節の件です。確認できる映像作品は出典として信頼できる、とするご意見は理解しました。しかし、検証可能性の問題と別の、もう一方である、「記述を特定化・具体化できていない」という事項も書いていらっしゃいます。これについては、前回の私の書き込みの繰り返しになりますが、問題視されないと思います。提示なさっている「WP:SUBSTANTIATE」を仔細に読みましたが、「記述を特定化・具体化」というのは、「事象の詳細を述べる」方法による結果です。その「事象の詳細を述べる」は、主張や主張的な何かを記すための、2種類の方法のうちの1つとされています。そしてその2種類の方法とは、今挙げた、①「事象の詳細を述べて記述を特定化・具体化する」と、②「意見を論者に帰属化する」です。②を採る場合、達成しなければならない条件は、「論者を具体的に記すこと」であり、「論者の意見が具体的であること」ではありません。「具体」が「抽象」より常に高尚ではないですし、また、「抽象」は「曖昧」とは区別されますしね。抽象的な評価は、しばしば総合的、巨視的(全体的観察)評価であり、それは部分的評価とは別の価値があります。「偏った記述は帰属化・明確化する」の項目においても、「Aの野球技術はBによって称賛されている」という、抽象的評価の例文が良しとして記載されています。
つまり、「(人狼プレイヤーとしての)評価」の節が、検証可能性を満たす出典だけ残っているのが現状なら、残りをわざわざ削除する必要はないのでは、というのが、私の判断となります。「トップ」「エース」といった形容には意味があります。
そして婚歴の件です。病歴は活動休止の原因となるので記載の価値があるが、婚歴は活動への関係が見られず、また、社会で話題となっているわけでもないので、記載の必要はない、というご意見ですね。これを受けての私の結論を言うと、婚歴を削除してもいいかな、と思っています。櫻井さんのおっしゃる「害にならないこと」遂行のためです。私自身は、婚歴の記載が、松崎さんご本人やウィキペディア読者に対して有害だとは微塵も思っていませんし、記載が望ましいと一貫して考えていますが、ほかの編集者の方との対立が続くという意味ではおっしゃる通り一つの害なのは間違いないですし、また、今回の、病歴との比較は、婚歴を伏せる理由として、初めてある程度合点がいったからです。
実際に離婚歴を削除するとしたら、1つ、重大な注意があります。それは、事実と異なる記述にならないようにすることです。過去の編集で、来歴から離婚歴が削除されたとき、次のような記述になっていたケースが2回あります。「2011年3月、悪性リンパ腫が再発したため再入院。入院してしばらくの間は絶望と自己否定が続いたが、人生や生活、演劇について考える時間が増えたことで、また、人との繋がりにも救われたことで、結果的に入院が自分を前向きにしたと思えるようになったと述べている……」。これは、私は今まで指摘してきませんでしたが、事実に適合していません。再入院後の松崎さんの苦悩と思慮は、①離婚②病気、この2つが主たる原因です。というよりも松崎さん自身は、離婚のほうが意味が大きかった旨を明記しています。つまり、離婚歴を削除した上で、松崎さんの心境の変化を表してしまうと、あたかも病気の再発だけが、心境の変化の原因とするような表現になり、それは読者に誤った解釈をさせる、虚偽の因果関係の記述となるのです。「XとYによりAがA’になった」のが本来なのに、「YによりAがA’になった」と書かれている。
ですから、離婚歴を削除すると、次のような感じの記述になるはずです。例①「2011年3月、悪性リンパ腫が再発したため再入院。抗がん剤投与、自家造血幹細胞移植を経て、7月に退院」。これだと非推奨の箇条書きに近いです。ほかには、例②「2011年3月、悪性リンパ腫が再発したため再入院。再発の可能性が低いと事前に医師から告げられていたため、前回の発覚時よりもショックが大きかったという。その後、抗がん剤投与、自家造血幹細胞移植を経て、7月に退院」、こんな感じでしょうか。(個人的にはやはり、同時期に起こった離婚を意図して排している記述は馴染みませんが。)
まとめです。
人狼プレイヤーとしての評価:出典が検証可能性を満たしているのなら、論者の抽象的意見は、削除しなくてもいいのではないでしょうか。
離婚歴:削除してもいいのではないでしょうか。
--五十嵐栄蔵会話2016年8月30日 (火) 13:34 (UTC)[返信]
個人的には単純に「評価」というくくりに引っかかっています。今参照可能な情報として残したものは登場時の人物紹介に過ぎず、何をもって彼らが「トップ」と称したのかの意図が分からないためです。スポーツ選手であれば、単純にその技術が優れているのだろうとも判断できますが、人狼ゲームの「強さ」はおそらく人により捉え方が違いますし、俳優としての評価とプレイヤーとしての評価が混ざっているようにも思います。記述の特定化に有効な一つの指標は勝率ですが、ご本人仰る通り勝率はカンパニー内でトップではありません。ただ、そのように紹介されたこと自体は事実ですので、評価という節ではなく、別の形で残せば良いのではないでしょうか。児玉さんの発言であれば、DVDのオーディオコメンタリーやインタビューの「ポイントを逃さないアドバイスで役者や舞台をまとめ上げる」[[1]]が上手く使えると良いのですが。後者はプレイヤーというより演出家としての評価になりますが…。
作品リストの在り方については今回の話題の本筋からずれるので議論は続けませんが、過去に改定案が提示されたことはご紹介しておきます(Wikipedia‐ノート:作品リスト)。個人的にはどちらでも構わないですが、とりあえずまずは「上演予定」のものに出典を付けようと思います(上演済みの過去の作品と違い、作品そのものが事実という扱いにならないので)。
婚歴の件、ご理解を示して頂きありがとうございます。例①、②どちらでもよいと思います。箇条書きを気にされていますが、来歴の一部に過ぎないので、無理をして詳しく書く必要もないと思います。--櫻井千穂会話2016年8月30日 (火) 16:11 (UTC)[返信]
「トップ」等の紹介の言葉について、「評価という節(を設けるの)ではなく、別の形で残す」という方法はよいと思います。
とりあえず、これまで議題となっていた箇所については、編集者間の合意形成が達成できたものと思います。
--五十嵐栄蔵会話2016年8月31日 (水) 13:37 (UTC)[返信]


まつざき ふみや
松崎史也
生年月日 (1980-03-26) 1980年3月26日(44歳)
出生地 日本の旗日本東京都
血液型 O型
職業 俳優演出家脚本家
ジャンル 舞台
活動期間 2002年 -
活動内容 2002年、『Afro13』参加
2012年、舞台『人狼 ザ・ライブプレイングシアター』出演
2014年、『SP/ACE=project』発足
配偶者 離婚(2011年)
テンプレートを表示
追記です。これまですっかり見落としていましたが、「人物の基礎情報テンプレート」の、「Template:ActorActress」には、「配偶者」の欄が設けられてありました。生年月日や血液型同様、結婚・離婚もやはり、特筆性を備えた俳優の人物伝における、基礎情報の1項目として扱われるわけです。ですので、婚歴の情報を本文に取り入れるのではなく、右の表のような書き表し方をする、という方法も存在します。
さすがに、私は婚歴を編集し直しませんが、このノートページは色々な方がご覧になるので、「こういう手段もありましたね」と、参考として記しておこうと考えました。
--五十嵐栄蔵会話2016年9月13日 (火) 12:10 (UTC)[返信]

「評価」の節にまつわる色々について[編集]

「評価」というタイトルで節を設けることに引っ掛かりを覚える、というご意見が提示されて以降、「評価」という節を削除することまでは合意に達していたものの、私と櫻井さん含むどなたからも具体的な策の提案はなされず、1か月間議論の進展はありませんでした。私個人としては「評価」という表現に違和感は抱いてきませんでしたが、そのご意見を契機として色々と思慮をめぐらせ、その結果、次のようにするのがいいのでは、と判断しています。

これまで「人狼プレイヤーとして」の節は、「1.来歴」「2.キャラクター」「3.プレイスタイル」「4.評価」「5.周囲に与えた影響」の5項目となっていましたが、これを、「1.来歴」「2.プレイヤープロフィール」「3.周囲に与えた影響」の3項目にする、というものです。「プレイヤープロフィール」という表現は、英語版ウィキペディア秀逸な記事・スポーツ選手(Tim Duncan)にある「Player profile」に由来します(日本語版だと、しっくりくる好例を見つけられなかったので)。こうすることで得られるメリットは2つです。1つは、「評価」というセクションをなくせること。もう1つは、セクションの数を減らし、情報にまとまりをもたせられること。つまり、1行、2行といった短い文章量で段落を形成することを避けるわけです(WP:STYLE)。

この編集をするにあたって、もう1点、こちらからの提案があります。以前、検証可能性を問題として削除の措置をとられた情報の復元をする、という編集をしようと思います。具体的には、公式放送内での発言である以下の2点、①(松崎さんの)好きな役職が人間である、②石井由多加さんが松崎さんの誘導の能力を褒めている、これらの情報の復元です。ソースが「信頼性に乏しい情報源」の場合、それらが有意義な情報であるなら、本文中で出典を明記する形式を採ることで、掲載は可能と記述されています「WP:TVWATCH」。以前は、<ref>を用いて「脚注」として放送日・放送番組を掲載していましたが、今回は、本文中で「XX年XX月XX日放送のXXでは(こういう出来事があった)」と説明を組み込んでの掲載です。この方法は、テレビ番組における出演・活動・内容・出来事等を伝える記事で採られているもので、問題視はされていないようです。色々と例はあるでしょうが、「山田勝己」「ONE PIECE (アニメ)」などのページで確認できます。

ウィキペディアにおいて「松崎史也」の特筆性を保証しているのは、たとえばSPA!で「看板役者」と紹介されたように、話題性を備えた人狼プレイヤーであることですから、それに関連した情報が豊かである状態にしたいものです(主題に対する複数のアプローチ:WP:PERFECT)。今後信頼性がより大きい資料が増えていけば、その都度出典は差し替えていければ、と思います。

前述のようにこれまで案が出されていなかったので、この方法で編集します。何かありましたら、ご意見をお願いいたします。--五十嵐栄蔵会話2016年9月29日 (木) 05:49 (UTC)[返信]

追記です。復元についてですが、②を自然な形で文章に取り入れるのがちょっと難儀なので、今回復元するのは、①(「好きな役職は人間であると発言した」)だけにします。--五十嵐栄蔵会話2016年9月29日 (木) 06:25 (UTC)[返信]

「プレイヤープロフィール」はおかしくありませんか? そこは「評価」でかまわないと思いますが。その人が世間からどう評価されているかは、むしろ積極的に加筆するべきです。そうでないと、この松崎某という人物がなぜウィキペディアに掲載されているのか、記事の読み手に伝わりません。ウィキペディア独特の言葉で言うと「特筆性」というものを明らかにするためにも、評価は評価としてまとめたほうが良いのではないでしょうか。--Bellcricket会話2016年9月29日 (木) 06:48 (UTC)[返信]
やっと現れてくださいましたか、もっと早く言ってくださってもよかったのですよ。前述のように私自身は、「評価」の節をなくすことそのものを遂げたいのではありませんし、そういうご意見があるのであれば、「評価」の項目は復元します。「プレイヤープロフィール」は、他者から見た選手像含め、総合的な「選手紹介」の意味合いで使った言葉です。ネット検索してもそれなりにヒットする言葉ですし、私はおかしいとは思いませんが、「評価」を別に設けるのであれば、必要性はないのでこの表現はなくします。そうすると、以前の(私がページ作成したときのままの)形態である、「1.来歴」「2.キャラクター」「3.プレイスタイル」「4.評価」「5.周囲に与えた影響」の5項目に戻ります。これについてですが、先に書いたように、1つひとつの項目を、少ない文字数で完結させるのではなく、できるだけ流れのあるまとまりをもたせて記述したいと前々から思っていたので(WP:STYLE)、次のように順番を入れ替えたいと考えます。「1.キャラクター」「2.来歴」「3.プレイスタイル」「4.評価」「5.周囲に与えた影響」。すなわち、これまで「人狼プレイヤーとして」の導入部分にあった、キャラクター紹介の簡潔な文と、「キャラクター」の項目とを、一体化させる格好です。--五十嵐栄蔵会話2016年9月29日 (木) 14:04 (UTC)[返信]
項目をまとめることには賛成です。評価については、検証可能な情報以外はやはり復活すべきではないと思います。周囲に与えた影響の項目と統合するのはいかがでしょうか。--櫻井千穂会話2016年10月2日 (日) 11:16 (UTC)[返信]
「周囲に与えた影響の項目と統合する」というのは、つまり櫻井千穂さんは、Bellcricketさんとはご意見が真逆ということですよね?「評価」の項目はないほうがよいと。すると、「1.キャラクター」「2.来歴」「3.プレイスタイル」「4.評価・周囲に与えた影響」の4項目が望ましいということでしょうか、それとも、節のタイトルに「評価」という言葉自体を含めるべきではないということでしょうか? 後者の場合、「4.」の別のタイトルを考えないといけません(さすがに、「周囲に与えた影響」というタイトルでは、「看板役者と紹介された」などの文は当てはまりませんから)。あるいは、私が改編した、「1.来歴」「2.プレイヤープロフィール」「3.周囲に与えた影響」の3項目が望ましいということでしょうか?
それから、「検証可能な情報以外はやはり復活すべきではない」についてですが、私が復元しようとした情報2つ、「①(マドックは)好きな役職を人間と発言した」②「石井由多加さんはマドックの能力を称えた」のうち、現在は①だけを、(「4.評価」の節にではなく)「3.プレイスタイル」の節に載せている状態です。しかしこれは、①②ともに、検証可能性の問題から、不掲載が望ましい、というご意見でしょうか? それならそれで、削除でも、私はとくに異議はないです。
Bellcricketさんは、「評価」の項目はあったほうがよいとおっしゃったほかは、レイアウト構成の問題や出典の問題に言及なさっていません。ということは、まあ、ウィキペディア管理者の視点からは、そのほかの点に、すぐにでも直すべき不備はないということだと思います。すなわち、これは櫻井さんと私の意見の相違、また、Bellcricketさんと私の意見の相違というよりも、Bellcricketさんと櫻井さんのご意見の相違というように見えます。これまで述べてきたように、私は1つひとつの項目の文章に、ある程度流れと膨らみを持たせたいと思ってきて、その状態が維持できるのであれば、今後マイナーチェンジしてもとくに不満はないです。もちろん現在の形に不満はないわけですが。私からの具体的な案は出尽くしているので、あとは、人任せの形となりますが、Bellcricketさん・櫻井さん含め、ほかの方々の議論で決めて頂ければと思います。--五十嵐栄蔵会話2016年10月3日 (月) 17:19 (UTC)[返信]
今回気になった部分は、「評価」と「周囲に与えた影響」の区分けが不明瞭という点です。千秋さんや古市さんの話はむしろ人狼ゲームの指導をしているという点で実力の裏付けになるので、「評価」になるのではないでしょうか。はぎのりなさんの話も同様と思います。--櫻井千穂会話2016年10月16日 (日) 15:06 (UTC)[返信]
「評価」の節に「周囲に与えた影響」を合わせて、タイトルは「評価」のまま、というご提案ですね。しかし、現状の、「評価」と「周囲に与えた影響」の区分けは、「不明瞭」ですかね? とくに不明瞭というほどではないのでは? と思います。「マドックはこういうプレイヤーです」という意見は、松崎さんに対する「評価」。一方で、「マドックの影響で私はこうしました・こうなりました」「マドックと私はこういう間柄です」というような、松崎さんと自分との「関係」(ここがポイントですね)を伝える他人の言葉は、「周囲に与えた影響」。区分けはかなり明瞭だと思いますよ。--五十嵐栄蔵会話2016年10月18日 (火) 05:58 (UTC) [返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

松崎史也」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月8日 (日) 04:13 (UTC)[返信]