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ノート:早稲田大学

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外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

早稲田大学」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月6日 (金) 11:37 (UTC)[返信]

大学令による認可日に関して

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2019年4月

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近年、当記事や旧制大学の記事において、天皇の裁可を根拠として早稲田大学が慶應義塾大学に先行して大学令による認可を受けたとする旨の編集が複数の利用者(ソックパペット含むIPやアカウント)により行われていますが(ノート:早稲田大学/過去ログ3#大学令による「認可」について)、これは2017年に出版された藤間亮穂氏の著作『早稲田大学を創立した大隈重信の授爵について』(青山ライフ出版、紹介ページ)に書かれた主張と同じです(国立国会図書館所蔵の紙本にて確認しました)。ちなみに同書の主な内容は大隈重信が侯爵から公爵に陞爵したことを事実であると説くものですが、これについては実現しなかったとみるのが適当でしょう(松田敬之著『〈華族爵位〉請願人名辞典』「大隈重信」を参照)。肩書だけで判断するわけではありませんが、藤間氏はご著書での自己紹介によれば早稲田大学商学部卒業後に金融および教育業界にてお勤めされているとのことで、歴史学に関係する経歴は特に見当たらず、当記事の編集に公開された公文書だけでなく書籍を出典に用いるにしても、藤間氏のご著書を「信頼できる情報源」とみなすのは難しいかもしれません。--Ihimutefu会話2019年4月6日 (土) 16:50 (UTC)[返信]

論争の当事者ですが、そのような主張をなさっている(なさっていた)方は、複数の利用者ではなく、1名の方のみです。今ではIPの割り当てが変わってしまったものもありますが、当時は湘南ケーブルネットワークのIPで一致しており、編集傾向などの特徴も一致しています。
それはさておき、本題に入ります。著者に対して失礼な話ではありますが、青山ライフ出版の書籍は自費出版であり、お金を出せば誰でも出版できますので、信頼できる情報源とは言えません。つまり、自己公表された情報源の「自費出版によって出版された本」に該当するケースと言えます。当然ながら、早稲田大学の公式見解を覆すほどの資料的価値は認められません。また、卒業生による著書なので、中立性の点からも問題がある上、特別な主張には特別な証拠が求められるケースでもあります。
ウィキペディアでこの論争が始まる以前は、国立公文書館の職員の方ですら間違っていたくらいですから、歴史学の専門家ではない個人の方が間違っていたとしても、全然不思議ではありません。ちなみに国立公文書館は、ウィキペディアでこの論争が起こった後に、間違いを訂正しました(おそらく間違った職員の方は、同館が所蔵している奏請・裁可書のみを見て判断し、大学令の条文官報の文部省告示を確認していなかったと思われます)。
この論争の後、早稲田大学はインターネット上で『早稲田大学百年史』を無料公開するようになりました(良識ある早稲田大学の教職員の方がこの論争をご覧になっていた可能性もあります)。論争していた当時はわざわざ図書館に行って調べる必要がありましたが、おかげさまで、今や誰でも簡単に検証できるようになっています。
その結果、論争当時には調べていなかった『早稲田大学百年史』年表(大正元年~九年)の中に、重要な記述があることを新たに発見することができました。
『早稲田大学百年史』年表(大正元年~九年)では、2月2日の裁可については全く触れられておらず、「大正9年 1920年 2・5 「大学令」に依る早稲田大学の設立,文部大臣の認可を得る〈③13〉」とだけ、しっかり書かれています。これによって、早稲田大学の公式見解が、よりはっきりと認識できるようになりました(これは219.100.239.91さんもすでに確認しているはずです)。
また、関西学院の学院史編纂室による分かり易い説明も、新たに発見しました。大学令(関西学院事典)には、次のように書かれています。
この大学令により公立は都道府県市立に、私立は財団法人に限定し、その設立廃止は勅裁を得て文部大臣に認可されることになった。 大学の修業年限は3年(医学部4年)、入学資格は大学予科・高等学校高等科修了者とし、私立大学教員の採用は文部大臣の認可が必要であった。 — 学院史編纂室、大学令(関西学院事典)
「勅裁を得て文部大臣に認可されることになった」。大学令の条文を読めば、こう解釈するのが当然だと思いますが、じつに簡潔で分かり易い説明です。天皇の裁可(許し)を得て、文部大臣が認可するわけです。
これら論争当時には把握していなかった新資料も踏まえ、今では我々の主張の正しさをより確信するに至っております。
あと、本当かどうかは分かりませんが、219.100.239.91さんは、東京都公文書館2月5日付けの「認可書」を確認したと主張しています。これまでに、こういった類の嘘をつかれたことがありますので、全く信用しておりませんが、仮にこれが本当であった場合(2月5日付けの認可書が存在した場合)、「2月2日の天皇裁可をもって認可」と考える219.100.239.91さんの従来の主張は誤りであることが、より一層裏付けられることになります。
いずれにせよ、「天皇の裁可をもって認可」と考える見方は間違いであるとの確信はますます深まっており、論争していた当時よりも、今の方がさらに確信をもってそのことを主張できます。--Keizai80会話2019年4月8日 (月) 17:09 (UTC)[返信]

2020年4月

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Keizai80さん、ご無沙汰しております。お手柔らかにお願いいたします。

・認可日が2月5日であったとして、東京都公文書館の公文書に、早稲田・法政・明治・中央の申請書・認可書は確認できるものの、 慶應大学・日本大学・国学院大学の申請書・認可書が確認できない事についてはどうお考えですか? Keizai80さんは、官報の認可セリ、という文言を頼りにされていますが、東京都の公文書が確認できなければ、その官報の文言は まさにも抜けの殻そのものです。空洞化です。もはや証拠文書足り得ません。

・戦前の憲法下の国務大臣は、輔弼機能(助言のみを行う)のみしか有していませんが、これでも文部大臣に認可の権限はあるのでしょうか?

国立公文書館の裁可書を見直してみましたが、大正12年から文書の題名が「裁可セ ラル」から「○○大学ヲ設立ス」となり、「裁可」=「設立」認可のための決裁、 という意味を明確化しているような感じです。

大正12年~

大学令ニ依リ立正大学ヲ設立ス

https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000001757485

駒沢大学ヲ大学令ニ依リ設立ス

https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000001758060

つまり、大正9年の段階に置いても、裁可書の可決印の後文部省文部大臣が名目的 ・形式的に官報により「告示」を発表していますが、これがまさしく「告示」でしか ない事を明確化しているのです。

そもそも大学令が勅令により公布されたものであり、「御名御璽」がある事からも 裁可印=設立認可の可決の意味は強いと思います。これを大学令第8条では「勅裁」 と言っていて天皇の裁可を絶対視しています。

よろしくお願いします。

--219.100.239.12 2020年4月18日 (土) 07:12 (UTC)[返信]

もうかなり前にあなたの会話ページにも書いたことですが、慶大・日大・国学院大の申請・認可書らしきものが、現在の東京都公文書館で見つからないからといって、この世に存在しない、過去にも存在しなかった、とは言えません。実際にこれらの大学は、早々に旧制大学として活動していました。認可を受けていないのに、勝手に旧制大学として振る舞えば、お咎めを受けることになるでしょう。しかし、問題なく旧制大学として活動できていました。これが何よりの証拠です。
それに、認可するために天皇に裁可を求めておきながら、裁可を得たのに認可しなかった、なんてことはあり得ないでしょう。
前にも書きましたが、文書の存在が気になるのであれば、それらの大学に問い合わせてみてはいかがでしょうか。文書の行方がわかるかもしれません。私はそこまでする気はありませんが。
>文部大臣に認可の権限はあるのでしょうか?
大学令の条文と文部省告示の文言を見れば、認可の権限が文部大臣にあったことがはっきりと分かります。分からないというのであれば、法律や近代史の専門家などに問い合わせてみてください。
>大正12年から文書の題名が
目録の題名は、文書を整理する係が付けたものでしょう。人によって付け方が変わる程度のものです。それに「認可」とは一言も書かれておらず、肝心の文書本体を見ても、「大学令ニ依リ立正大学ヲ設立スルノ件上奏ノ通裁可ヲ経タリ 大正十三年五月十七日」と書かれており、早稲田大学などと同様、認可書ではなく、裁可書であることが分かります。
>大学令が勅令により公布されたもの
そうです、大学令は勅令です。私立大学の認可を最終的に天皇が行うのであれば、大学令や官立大学の設立などと同様に、勅令によってなされるはずです。私立大学の認可が勅令によってなされていないこと自体が、私立大学の認可は天皇が行うものではなかったことの、何よりの証拠です。--Keizai80会話2020年4月19日 (日) 07:13 (UTC)[返信]


全然答えになっていません。明確な証拠も無いのになぜ百科事典に載せる事ができるのですか?早稲田や法政、明治、中央は明確な証拠があるのに我慢させられている感じです。 なぜ明確な証拠を持っている大学が慶應大学などに対して我慢しないといけないのですか?教えてください。

「旧制大学として振る舞えば」、とありますが具体的にどういう行動を旧制大学の行動というのでしょう。昔は、マスメディアも発達しておらず、新聞やテレビなどの普及率も相当低かったはずです。 どのような振る舞いを旧制大学と言っているのですか?教えてください。これは、完全なあなたの独自意見、独自見解ですよ。

>文部大臣の権限について

憲法第55条1項で、国務大臣は天皇の輔弼機関に留まると、明確にうたっています。つまり、文部大臣は、助言を行う事しかできず、認可の権限などありません。

あなた、何を適当な事を言っているのですか。これも完全な独自見解ですよ。

--219.100.239.12 2020年4月21日 (火) 11:42 (UTC)[返信]

>明確な証拠も無いのになぜ百科事典に載せる事ができるのですか?
この言葉をあなたにそっくりお返しいたします。
>具体的にどういう行動を旧制大学の行動というのでしょう。
例えば、旧制大学として学生を募集したりする行為です。慶應義塾大学の場合は、「慶応義塾大学校舎建築認可申請」(1920年2月16日)、「慶応義塾大学学位授与規程認可申請」(1920年12月21日)なども、旧制大学としての振る舞いといえるでしょう。
>文部大臣は、助言を行う事しかできず、認可の権限などありません。
天皇が文部大臣に任せれば、文部大臣が認可することになるでしょう。それが大学令第8条であり、天皇の命令です。何でもかんでも天皇がやっていては身が持たないでしょうから、国務大臣に仕事を振るのは自然なことでしょう。--Keizai80会話2020年4月21日 (火) 12:47 (UTC)[返信]


官報があります。その中身を確認すると申請書・認可書がありません。これでは現時点では官報は有力な証拠にはなりません。

専門学校令に基づく大学として、「慶応義塾大学校舎建築認可申請」(1920年2月16日)、「慶応義塾大学学位授与規程認可申請」(1920年12月21日)をやっていたのでは? 必ずしも旧制大学の振る舞いとは言えません。

文部大臣は輔弼機能しかないのにどうやって権限委譲などするのですか?いい加減あきらめたらどうですか?

私は、素人なので、これ以上ウィキペディアの編纂にはこだわりません。しかし、噂には聞いていましたが、公正性を謳っておきながらあなたみたいな独自見解やゴリ押しに終始する人が 多いみたいですね。ウィキペディアは5ちゃんねるなどの掲示板とも連携しているようですし。私は闇掲示板などとは関わりたくないのでもう失礼します。

--219.100.239.12 2020年4月21日 (火) 18:26 (UTC)[返信]

>官報は有力な証拠にはなりません。
官報は極めて有力な情報源です。官報の重要性については、かなり前に散々述べましたが、もう一度触れておきます。
戦前は、公式令により「公文ヲ公布スルハ官報ヲ以テス」と明確に定められていました。つまり、法令の公布は官報をもって行うことが正式に定められていたのです。戦後はこの公式令が廃止されたものの、最高裁判所の判例により「法令の公布は、官報をもって行うのが相当である」と判示され、現代においても、憲法法律条約政令省令などは、官報に掲載されて初めて「公布」されたことになり、法的な効力が発生することになります。
以上の説明の大部分は、官報販売所のサイトから引用したものですので、是非ご確認ください。わかりやすくシンプルにまとめられています。
メディアは、官報を情報源として、報道することになります。メディアにとっても、第一に参照すべき重要な情報源なのです。今回の新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言も、官報に公示されたことで、効力が発生しています(緊急事態宣言を官報に公示、効力発生(共同通信))。
>専門学校令に基づく大学として、(中略)、「慶応義塾大学学位授与規程認可申請」(1920年12月21日)をやっていたのでは?
専門学校令に基づく旧制専門学校は、学位を授与することができません。したがって、大学を名乗っていても 所詮「専門学校」に過ぎず、それゆえに大学への昇格を目指していたわけです。学位授与規程なんてものを設けることができたのは、(旧制)大学だからです。
>文部大臣は輔弼機能しかないのにどうやって権限委譲などするのですか?
勅令(天皇の命令)によって、文部大臣に認可の権限が与えられていました。それが、大学令第8条です。
私立の旧制専門学校なども、天皇がいちいち認可していましたか?違うでしょう。何でもかんでも天皇がやらなければならない決まりなど、どこにもありません。天皇が文部大臣に任せると法的に命令したのですから(大学令第8条)、文部大臣が認可するのです。
>いい加減あきらめたらどうですか?
この言葉はあなたにそっくりお返しいたします。あなたは無期限ブロック中のユーザーであり、あなたには編集権限がありません。ブロック破りを繰り返しているあなたに対して、私が大甘に対応しているだけです。
それに、激しく論争していた頃とは違い、私の本件に関する理解もかなり進んでおり、今や本件に関しては、非常に強い確信をもって臨んでおります。
>私は、素人なので、これ以上ウィキペディアの編纂にはこだわりません。
>関わりたくないのでもう失礼します。
もうウィキペディアのことはお忘れになって、豊かな人生をお過ごしください。私も今は最小限の活動にとどめております。--Keizai80会話2020年4月22日 (水) 14:09 (UTC)[返信]

横から失礼いたします。すでにご存知でしたら申し訳ありませんが、東京都公文書館が所蔵する「早稲田大学設立認可申請」が含まれる『東京府・東京市行政文書』は関東大震災や東京大空襲、廃棄処分などで多くが失われており、作成発行当初よりすべての公文書が無傷で伝わってきたわけではありません(『東京府及び東京市関連行政文書の都指定有形文化財の指定』(PDF)と『東京都公文書館所蔵「東京府・東京市行政文書」の重要文化財(美術工芸品〈歴史文書〉)指定について』(PDF)をご参照ください)。早稲田大学の申請書・認可書が確認できる一方で慶應義塾大学のそれが確認できないので官報の文言に意味がないと見なすのは、東京府・東京市行政文書の現状の歴史的経緯を考慮していない解釈に見受けられます。以前、本ノートやノート:大隈重信#大隈の爵位についてにも書きましたが、Big10-ivy氏(およびそのソックパペット、ブロック破りIP)による、早稲田大学が慶應義塾大学に先行して大学令による認可を受けたとか、大隈重信が公爵になったとする見解は2017年8月発行の藤間亮穂氏(早稲田大学商学部卒業、藤間, 亮穂 Web NDL Authorities)の自費出版の著書『早稲田大学を創立した大隈重信の授爵について』(青山ライフ出版、紹介ページ)に書かれている主張と同じものです(国立国会図書館にて紙本の内容を閲覧・確認しております)。また、一連の主張は藤間氏の著書の発行日よりも前に本記事や大隈重信の記事に書き込まれていることから、当方の下衆の勘繰りであることは重々承知していますが、Big10-ivy氏とそのソックパペット(藤源氏など)やブロック破りIP(14.193.192.31氏など、また、本記事と本ノートに書きこまれているIP219.100.239.12氏は、実は藤間亮穂氏と同一人物もしくは近い関係の人物であり、Wikipedia上での主張を正当化して議論を有利に進めることを目的に自費出版として形にしたのではないかと疑わざるを得ません。Keizai80氏もご指摘のように信頼できる情報源の観点から問題があるといえます。--Ihimutefu会話2020年4月23日 (木) 02:49 (UTC)[返信]

重要な情報をありがとうございます。私も関東大震災や東京大空襲で失われた可能性があると推測はしておりましたが、上記の指定有形文化財・重要文化財関連の資料は初めて見ました。これらの資料を読む限り、どうやら戦時中に失われた可能性が高そうですね。
当時保存していた16万冊のうち、文書疎開するにあたり、まず6万冊を事前に廃棄。残り10万冊の疎開が完了する前に、大空襲によってさらに数万冊を焼失。結局、16万冊のうち半分以下しか残らなかった感じですね。これほど失われたのであれば、見つからない文書があっても当然かなと思います。--Keizai80会話2020年4月24日 (金) 13:12 (UTC)[返信]

通信教育出版部について

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編集者のみなさま お疲れ様です。 通信教育出版部の講義録の歴史について下記のURLに詳細が作成されました。 明治以降の日本の教育行政の遅れを補完してきた、早稲田大学の校外学生たちへの学習支援は素晴らしい制度でした。https://www.waseda.jp/culture/archives/assets/uploads/2016/03/915583531b024972002a142a3822f263.pdf 多くのみなさまに知っていただきたいと思います。 ぜひ当該リンクを追加いたしたく 追加補記を許可お願いいたします。 山田 --山田 遊会話2022年5月10日 (火) 11:38 (UTC)[返信]

ロゴ追加依頼

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Waseda_university_logo.svgをウィキメディア・コモンズにアップロードしたのでInfoboxのロゴのところに追加をお願い致します。--Amaterasu 1-1会話2022年8月24日 (水) 08:11 (UTC)[返信]