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ノート:小田原の役/小田原の役1

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記事名について

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移動した理由について

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移動した理由はなんでしょうか?Maakun2005年10月20日9時31分(UTC)

「小田原征伐」とは、あまりにも豊臣氏側からの一方的な立場からの呼称であるので、ウィキペディアに合わせて中立的な呼称に移動しました。「朝鮮征伐」とはもはや呼ばないでしょう。同じことです。 2005年10月23日 (日) 12:37 (UTC)

では九州征伐などはどうなのでしょうか?Maakun2005年10月24日6時42分(UTC)

これも九州の役という呼称があります(by旧参謀本部)。そちらも移動してよいですか?(あるいは九州攻め?)。おっと、四国征伐もありますね。これも、四国の役または四国攻めかな?  2005年10月24日 (月) 12:46 (UTC)

この戦いは色々な名称があります、小田原の役、小田原征伐、小田原攻めなどがあります。調べてみたのですが戦国城と合戦 知れば知るほどには、「秀吉が小田原征伐を起こした」(P58)と書いてありますので小田原征伐の方が私は良いのではないかと思います。Maakun2005年10月25日5時21分 (UTC)

日本史の合戦名については、こちらの議論も参照。通俗歴史本一冊に記述があるのは論拠としてはちょっと・・もっと歴史教科書とか通史本、学術論文などで最近のの使用傾向を踏まえるべきかと。個人的には「征伐」は避けるべきかと思いますけどね。--でここ 2005年10月25日 (火) 12:47 (UTC)

征伐」・「征討」については、(引用されている所か)どこかで統一ルールを決めて、それに合わせましょう。他のページでも指摘されているように、「征伐」「征討」というのは中立的ではないと思います。 2005年10月25日 (火) 13:36 (UTC)

ノート:小牧の役#この名称は正しいのかにて、さんが項目名を変更された名称について議論しています。改名タブではここで議論となっていますが、「ノート:小牧の役」の方で一括議論をしたいと思いますのでお願いします。 --A6M4 2005年10月27日 (木) 11:04 (UTC)

当記事「小田原の役」と「小牧の役」とでは移動の理由が異なるので、A6M4さんのご意見には賛同しかねます。とくに反論がなければ、「九州征伐」「四国征伐」も移動します。それとも「井戸端」みたいなところで議論した方がよいのかな。今のところ、2(役)対1(征伐)のようですが。 2005年10月27日 (木) 12:50 (UTC)

追記:NPOVの観点から「~征伐」の記事名を放置して良いものかどうか、合意を得る必要があると思います。「~征伐」でなくなった記事を「~征伐」に戻すというのは疑問です。 2005年10月27日 (木) 13:49 (UTC)
  • 名称移動はやめてください。これ以上似たような議論の元を増やしてどうしようと言うのですか。せめて、どちらかの議論の結果が出た後、各項目のノートで同意を得てからにしてください。 --A6M4 2005年10月28日 (金) 13:42 (UTC)

あまり関係ないかもしれませんがインフォシークの辞書では小田原征伐と表記されています。 またyahooも小田原征伐と表記されています。 Maakun2005年10月28日1時18分 (UTC)

「各項目のノート」ではなくて、(上述したように)「征伐」・「征討」については、どこかで統一ルールを決めて、それに合わせましょう。場合によっては、「征伐」・「征討」が他にもあるかどうか洗い出す必要があるでしょうが。 2005年10月31日 (月) 14:30 (UTC)

歴史的名称は可能な限り尊重するべきだと考えます。朝鮮征伐が使われないのは政治的判断であって、学問的見地からの判断ではありません。小田原征伐という呼称が政治的問題となっていない以上歴史的名称を優先させるべきと考えます。 --Extrahitz 2005年11月15日 (火) 18:49 (UTC)

征伐とは、「悪者を討つ」という意味ですし、ウィキペディアの中立性の観点に抵触すると考えます。「小田原の役」「小田原の陣」「小田原攻め」など、他に言い換える呼称がいくつもあるのですから、「征伐」にこだわる必然性はないと思います。「小田原征伐」が歴史的名称として最善ともいえないのではないでしょうか。 2005年11月16日 (水) 14:32 (UTC)

同意です。征伐反対。 --忠太 2005年11月16日 (水) 16:08 (UTC)
「朝鮮征伐」と「小田原征伐」は根本的に異なる。前者が問題なのは、外国を日本の国法違反(「惣無事令」など)を理由に攻撃した事である。後北条氏は戦国大名といえども朝廷の官職を得て日本の元号を使用している日本国内の法体系下にある勢力なので法律違反かつ朝廷の許可があれば、当然に「征伐」可能な勢力である(「長州征伐」も江戸幕府の法に違反して朝廷の勅許を得ているので可能)。もっとも、私は公的な正式呼称が無かったり、複数考えられるケースであれば一般的に使用されているケースが望ましいと言う立場なので改称した方がいいという意見が多数ならばあえて反対は唱えません。--水野白楓 2005年12月23日 (金) 02:52 (UTC)

現実に歴史的名称である「小田原征伐」という呼称をもって「後北条は悪玉であり秀吉は正義である」と理解する現代人が存在するでしょうか?歴史用語に関する中立性とは、歴史的に使用されている呼称をそのまま使用し、それにたいして一定の思想のもとから人為的な操作を行うことは中立性を害します。
なおgoogle検索結果によりますと
Results 1 - 100 of about 18,900 for 小田原攻め
Results 1 - 100 of about 14,300 for 小田原征伐
Results 1 - 100 of about 598 for 小田原の役
Results 1 - 100 of about 469 for 小田原の陣
Results 1 - 100 of about 581 for 関東征伐
Results 1 - 100 of about 198 for 北条征伐
であり、小田原の役(または陣)は上二者に比べて一般的な呼称ではないようです。 (書名忘れ追加)--Extrahitz 2005年11月16日 (水) 16:02 (UTC)

小田原合戦がいいと思います

(参考)国会図書館の蔵書検索を見ると、

  • 『小田原合戦』(相田二郎 1976 小田原文庫)
  • 『小田原合戦』(下山治久 1996 角川選書)
  • 『日本の戦史』(参謀本部編纂)では「小田原の役」
  • 小田原征伐…なし

  確認はしてませんが、『小田原市史』も「征伐」は使ってないでしょう。 --忠太 2005年11月17日 (木) 12:41 (UTC)

小田原の役は上杉の小田原攻め、武田の小田原攻め、北条早雲の小田原攻めなどははいるのでしょうか? Maakun 2005年11月18日 (金) 01:07 (UTC)

「小田原の役」は秀吉によるものだけです。「征伐」は地元の人にとっては不快でしょうから、わざわざ使わなくても良いでしょう。 2005年11月21日 (月) 14:22 (UTC)

小田原で改称運動が起きているという話は聞きません。明治に政権をとった薩長藩閥も「九州征伐」「長州征伐」を改称させませんでした。まして「征伐」なる語がアナクロなものになり歴史用語以外の何者でもなくなった現代において改称の必要性は存在しないと考えますが。--Extrahitz 2005年11月28日 (月) 04:17 (UTC)
小田原市の公式サイトでも小田原合戦であり、小田原征伐は使っていません。そんなことをわざわざ宣言するまでもないでしょう。 --忠太 2005年11月28日 (月) 12:46 (UTC)

小田原合戦はGoogleの検索によると325件でしたので一般的な呼称ではないと思います。 Maakun2005年11月22日 (月) 6:17 (UTC)

単行本も出ており、十分通用するといえるのでは。 --忠太 2005年11月22日 (火) 13:50 (UTC)

しかし他の項目の方が小田原合戦を圧倒していますので、一般的な名称ではないと思います。2005年11月23日 (水) 05:04(UTC)

元の名称へ戻す

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ノート:小牧の役でも元に戻すことなっているらしいのでこちらもいったん小田原征伐に戻した方が良いのではないかと思いますがどうでしょうか?Maakun2005年11月25日 (金) 15:25 (UTC)

絶対反対。 --忠太 2005年11月26日 (土) 14:40 (UTC)
反対。小牧の役とは事情がちがいます。 2005年11月27日 (日) 13:48 (UTC)
賛成です。「小田原攻め」は検索ヒット件数こそ多いですが語義の曖昧性があり記事タイトルには向かないと思います。--Extrahitz 2005年11月28日 (月) 04:17 (UTC)
「小田原攻め」でいくつもの大辞典に立項されていますから、何ら問題ないと思います。「小田原征伐」は最近の辞典では使われなくなっているから学界的にも不可でしょう 2005年12月2日 (金) 15:08 (UTC)

小田原攻め

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  • 最近出た大部の『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館)、あるいは『日本史広辞典』(山川出版社)など主要な専門事典ではみな「小田原攻め」が使われています。Google検索数も「小田原攻め」がダントツですし、「小田原攻め」を落とし所としてはいかがでしょうか。(専門書では「小田原合戦」が使われていますが。) それから他の「征伐」ですが、
    • ×紀州征伐 → ○紀州攻め・紀州平定
    • ×中国征伐 → ○中国攻め・中国平定
    • ×九州征伐 → ○九州攻め・九州平定

という最近の傾向があります。秀吉の「~征伐」は「~攻め」に置き換えて良いと思われます。異論がなければ、そのようにそろえます。 2005年12月2日 (金) 14:18 (UTC)

  • (反対)ネット上の「小田原攻め」のばあい「秀吉の小田原攻め」とか「小田原攻め(秀吉)」とか注釈つきで出てくる場合が多いですが、実際注釈をつけないと語義が曖昧かと思います。九州攻め・九州平定なんで言われると足利尊氏やら今川了俊やらがまず思い浮かびますが。--Extrahitz 2005年12月2日 (金) 14:52 (UTC)
ネット上はともかく、上記の専門大辞典などでは「小田原攻め」で秀吉のものを立項していますから、問題ないと思います。他の小田原攻撃については、「曖昧さ回避」ページか山手線方式で示せば住むことでしょう。「九州攻め」「九州平定」も同じことで、足利尊氏や今川了俊などは辞典の記事には全くなっていませんよ。 2005年12月2日 (金) 15:08 (UTC)
小田原征伐だけはどんなことがあっても阻止 --忠太 2005年12月2日 (金) 15:30 (UTC)
コーエーの「信長の野望」の最新作の「革新」の解説書などでは、「四国の陣」「九州の陣」「小田原の陣」表記です。--163.139.25.208 2006年3月25日 (土) 02:55 (UTC)
織田信長関連で「武田征伐」も検討の課題にすべきでしょう。--水野白楓 2006年4月24日 (月) 10:58 (UTC)

小田原城が北条氏の根拠であり、主戦場であったのは史実であるが、あくまでもこの戦いは豊臣政権による関東平定戦であり、小田原城の攻防はその1エピソードに過ぎない。だから、北条氏とその与力大名の討伐と処分、領国再編成までを行って豊臣政権のこの戦いに関する戦略目標を完結させることになったのだから、ここでは「関東平定」が正しい項目名ではないのだろうか?--210.196.189.19 2006年1月13日 (金) 09:51 (UTC)

  • 秀吉の各地の平定戦役を「~平定」という表記で統一する合意ができるなら、
    • ×紀州征伐 → ○紀州平定
    • ×中国征伐 → ○中国平定
    • ×九州征伐 → ○九州平定
    • ×小田原征伐→ ○関東平定

とできますね。ただしその場合、小田原城攻城戦の記述を「関東平定」記事内だけで扱うか?別に独立の項目として立てることも可か?という択一でもめないようにしたいですが。 2006年1月14日 (土) 15:05 (UTC)

  • ただし、この戦いは小田原城においては城門近くの小競り合いを除けば、石垣山一夜城の例でも分かるようにあくまでも小田原城は籠城戦が主体で最終的には陥落すること無く開城しているので書く記事は限られると思います。むしろ激しかったのは忍・山中・韮山と言った支城の攻防戦とかの方だと思われます。--210.196.189.19 2006年1月27日 (金) 08:26 (UTC)
  • 「関東平定」にすることには異存はありません。できれば「九州征伐」「四国征伐」も変更したいところです。 2006年2月1日 (水) 13:54 (UTC)
  • ただ、実際の歴史においては豊臣政権が、当時の法的合法性をもって日本の再統一政権を打ち立てているわけですから、それは問題ないかと思います。あと、微妙に関わってくる話なのですが、四国征伐について伊予国の部分だけで天正の陣なる項目が立てられてしまっており、記事が別箇に存在している状態になっているため、統合提案をさせて頂いております。そちらに関してもご意見をいただければ幸いです。--水野白楓 2006年3月6日 (月) 12:02 (UTC)
  • "豊臣政権が、当時の法的合法性をもって日本の再統一政権を打ち立てている"から「平定」で問題ないっていうなら「征伐」だって問題ないってことにならないかな。Red Star Belgrade 2006年3月7日 (火) 05:14 (UTC)
    • 一応、私は国内勢力に対してであれば、理論的には「征伐」も使用可能であるという立場(必ずしも、実際の項目名を「征伐」で立てなければならないとも考えておりませんが)で上記にも書いております。後北条氏にしても日本からの分離独立を求めていたわけではなく、日本の朝廷の官職を戴き天正の年号を使っているわけですから、秀吉が朝廷の名において討伐令を出している以上は(まあ秀吉が朝廷の最高権力者である以上、秀吉=朝廷の命令なのですが…)、後北条氏は当時の法秩序に反した一種の反乱勢力と見なされうると考えられると思います。--水野白楓 2006年3月7日 (火) 12:46 (UTC)
  • みなさんが言われるように、「征伐」は今は使いませんよ。関東平定じゃないですか。Nerimaman 2006年6月20日 (火) 00:04 (UTC)

高校の歴史教科書

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横から失礼します。ここのように項目名でもめる場合は、原則として「高校の歴史教科書で主に用いられる名称を選択する」ということにしてはいかがでしょうか?専門家を除けば、日本語読者は高校教科書で用いられた用語を基礎知識としているのではないかと思われます。 現在の日本でもっとも広く用いられていると聞く山川出版社の『詳説日本史B』(手元の教科書は2002年検定分)で秀吉関連の項目を見てみると「山崎の合戦」「賎ヶ岳の戦い」「小牧・長久手の戦い」「紀伊平定」「四国平定」「九州平定」「小田原攻め」「奥州平定」「文禄の役・慶長の役」・・・のようになっていました。(平定と役の違いはなんとなくわかる気がするのですが、合戦と戦いの違いは何なのでしょうね? 合戦と攻めのちがいは、「攻め」は一方が攻めて行き、合戦は両方からやってくる、という違いでもあるのでしょうか?)--miya 2006年3月15日 (水) 06:00 (UTC)

「征伐」は最近の事典類では使われなくなってきていますから、除外してよいでしょう。Miyaさんの問いですが、「ノート:小牧・長久手の戦い」でもふれたように、日本史学界が用語を整理できていないことからくる混乱ですね。「平定」に難ありなら、「攻め」で統一するということにしませんか。

  • ×小田原征伐→ ○小田原攻め
  • ×紀州征伐 → ○紀州攻め
  • ×中国征伐 → ○中国攻め
  • ×九州征伐 → ○九州攻め

↑これで統一ということでいかがでしょう。 2006年3月21日 (火) 12:58 (UTC)

「曖昧な言葉への言い換え」を「中立的」だと思うのは大いなる誤解

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意見が収束しつつあるみたいで、このタイミングで蒸し返すようなコメントかも知れませんが……呼称にまで「中立」の概念を立ち入らせようとするゐ氏の基本スタンスは「ちょっとやり過ぎ」の感を抱きます。 呼称は歴史的に言い慣わされてきたものに準拠すべきで、それが「歴史上の特定の勢力からの観点に偏ったもの」であるのは、殊に歴史という題材である限り、在って当たり前で殆ど不可避です。ですので、これを徒にいじろうとするならば、歴史自体を曖昧化、拡散化させてしまう危険性が低くないと思います。中立性は内容で補完するべき性質のものです。ウィキペディアの基本スタンスであるので「中立的」は大事なポイントですが、と同時に事典の使命として「物事を的確、端的に言い表わす」事も考慮されるべきです。実験の検証結果によって端的に言う事が担保されていると思われている科学の分野ですら「その実験セオリーという『特定の観点』」からの見方である以上にはなり得ないという事実を忘れてはいけないと思います(だから論文には実験セオリーの詳細を記することが必須とされるのです)。つまり「特定の観点」を避けようとし過ぎることは「観点を持たない → 何も意味ある事を記述ができない」に陥る危険性が低くないのです。Yumesaki 2006年4月3日 (月) 04:17 (UTC)

現に歴史学でも用いられなくなりつつあるし、曖昧にしている訳でもなく、特に問題ないと考えます。 --忠太 2006年4月3日 (月) 13:51 (UTC)
遅レスですが、私はYumesakiさんの意見に賛成です。名称まで中立にする事はありません、関白である秀吉の命令に叛いた北条氏を成敗したのが事実ですから、征伐で良いと思います。征伐が古いのなら、「関東平定」「小田原攻め」等で良いと思います。役は好ましくないと思います。--Satoshin 2007年12月20日 (木) 20:24 (UTC)
「征伐」という呼称を用いることの是非については、ノート:征伐も参照願います。「征伐」は差別用語でもあるので術語として用いるべきではないと思います。 2008年1月13日 (日) 08:55 (UTC)
  • 征伐が差別用語とは始めて聞きました。とりあえず「征伐」と言う言葉が差別用語にあたるかは置いとくとして、小田原方が時の権力者や朝廷に逆らった上で始まった戦争なので言葉的には「征伐」でも問題はありません。

歴史を扱う項目では、瑣末な言葉狩りをするより、歴史書にどう書かれたか、歴史的事実はどうだったか、後世にどう伝えられたかを重要視する方が大切ではないでしょうか。--Enter5000 2008年3月13日 (木) 05:21 (UTC)

ノート「征伐」

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  • 私の意見は上に示しましたが、ウィキペディア全体的な議論の場としてノート:征伐を設けました。

確認

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議論が停滞していますが、記事名は小田原の役のままで現状維持すると理解してよろしいでしょうか。リダイレクトリンクを修正しようと思いますので。--Kangoshiyouichi 2008年3月9日 (日) 03:10 (UTC)

ノート:征伐でまだ議論が続いているようです。一応、現状維持でよいのではとコメントしておきましたが、リダイレクトリンクの修正は待った方がよいと思います。Wikipedia:Bot作業依頼に依頼すればリダイレクトリンクの修正はすぐ終わりますし、依頼するのもいつでもできますし。--伏儀 2008年3月16日 (日) 14:00 (UTC)

ここでも、コメントがなされているようですね。しばらく様子を見た方がよいかと。--伏儀 2008年3月16日 (日) 14:47 (UTC)

リダイレクト修正をするついでに他の部分の修正も同時にやってるんで手作業でやることに意義を見出しております。ボットでできるというなら「小田原征伐」に記事名を戻す合意ができたときに、その旨の作業依頼を出せばいいでしょう。--Kangoshiyouichi 2008年3月17日 (月) 12:23 (UTC)

Wikipedia:Bot作業依頼に依頼する方法もあるということが言いたかっただけで、Kangoshiyouichi殿の活動にちゃちゃ入れするつもりはないです。微妙な修正はボットでもできないので、手作業での雑草取りは今でも必要でしょう。私も雑草取りが主な活動です。--伏儀 2008年3月17日 (月) 13:41 (UTC)

  • 事が歴史的事案である以上は、最大限当時の呼称を尊重すべきではないでしょうか?現在においてその「征伐」の呼称を用いる事によって著しく公共に被害を及ぼすという理由や、語意として著しく乖離するという理由がない限り、従来使われてきた用語を改変する権利は我々にはないのではないでしょうか?それこそが”現在”における一部の意見や思想が反映される事を防ぐ”中立性”といえるのではないでしょうか。今回の場合、語意からみれば他の多くの方が指摘しておりますように「征伐」という言葉が相応しくない・実態に即していないと断ずるには論拠が薄弱であり、呼称改変には適当性が認められないと思います。以上の点から反論がない場合は記事名の訂正を行い、記事内において最近での呼称を付記するという形に改めたいと思いますがどうでしょうか?--謝艾 2008年4月25日 (金) 06:08 (UTC)

「最大限当時の呼称を尊重すべき」ということですが、歴史上の事件の述語呼称の多くは学界や世論などによって変わってきています。「当時の呼称」にしても「小田原征伐」が正式名称というわけではなく、「小田原攻め」「北条攻め」「小田原の陣」などいくつもの呼称が使われていたのかもしれません。「従来」だって私は教科書で「小田原征伐」などという表記は見たことがありませんし、郷土史の領域でもいろいろな可能性があります。むしろ違和感の強い「小田原征伐」に戻すことを急ぐべきではないと感じます。少なくとも近年出ている大きな日本史事典などでは「朝鮮征伐」と同様に「小田原征伐」は使われなくなっていると思います。 2008年4月26日 (土) 09:06 (UTC)

仰ることは分かります。確かに当事にしても正式呼称として定まっていたとは云えないかも知れません。しかし、もともと「小田原の役」への改名は合意形成をなされた上での事ではなかったはずです。である以上は一旦もとの表記に戻した上で、再度合意形成を図るべきではないでしょうか?ゐさんの主張に道理があれば合意は得られるはずですし、得られないならやはりこの呼称は相応しくないということになります。少なくとも正規の手順によらずになされている現在の状況を認めれば、やった者勝ちとなってしまい、折角編集合戦を避けるべく設けられている手順を蔑ろにする事だと思います。ここは一度聞き分けて頂き、再度実りある議論を交わす事に致しませんか?私もゐさんの主張に道理があると分かれば合意する事に吝かではありませんし、他にも「小田原平定」や「小田原の陣」など落としどころは見つかると思いますが、現在の状況は是正すべきだと考えます。--謝艾 2008年4月26日 (土) 11:17 (UTC)
(意見のみ)文禄・慶長の役でも代々もめた記事名称ですが、基準は「最大限当時の呼称を尊重すべき」ではないように思います。「現代の日本語ユーザーがに最も普及している名称(検索語として入力されやすい用語)」が記事名称として相応しいと思います。小田原の役が相応しいかどうかは別として。これは参謀本部名称からですかね?--yasumi 2008年4月26日 (土) 12:35 (UTC)
「~の役」という表記は、江戸時代から使われていると思います。個々の例については、一概には言えないでしょうけど。「現代の日本語ユーザーに最も普及している名称」とすると、ここ数年以内に刊行された日本史辞典類あるいは検定教科書等を調べ上げて最多の表記に合わせるのが最善かも知れませんね。 2008年5月4日 (日) 12:16 (UTC)
ただ、それらの多くは豊臣秀吉の統一事業としての記事なんですよねえ。そう言う意味では、秀吉側から見た名称と言われるかもしれませんね。それとは別に一連の戦役を語る記事であるため、私は現状まで出た案だと「小田原の役」に賛成一票です。--yasumi 2008年5月4日 (日) 12:51 (UTC)
wikipediaで「役」を調べると、「日本史上の戦争の一種、または戦役のこと。」と表示されます。また、「征伐」で調べると、、「反乱を起こした勢力を鎮圧したり、反社会的な犯罪集団・などを武力で処罰懲罰)することをいう。」とでます。でも、後北条氏は「賊」ではないと思うので、「征伐」には反対です。やはり現状維持でよいと思います。--海蛇2008年7月18日 (金) 14:29(UTC)
だから、秀吉側から見れば「賊」ですよ。少なくともそういう体裁は整えています。「賊」でないと思うのはあなたの主観にすぎません。ヘルカー
でも、どうして「賊」にあたるんでしょう。後北条氏は名胡桃城占領はしたものの、当時はまだ戦国時代であり、とる・とられるはあってもおかしくありません。--海蛇 2008年7月31日 (木) 08:52 (UTC)
秀吉の命令は関白として朝廷の意向を背負って出されたものであり、後北条家が日本人によって運営される法治体系の中の武家組織である限り、これに逆らえば逆賊です。他の大名家の死闘とは話が違います。--61.27.232.182 2008年8月26日 (火) 04:27 (UTC)
横入りで済みませんが、当時、「朝廷=官軍」との見方は、重きを占めていたとは言い切れません。例えば信長足利義昭を追放した時は、義昭将軍ですが、信長は逆賊扱いされてませんよ。「歴史は勝者の歴史」とは言いますが、これはwikipediaの基本方針「中立的な見方」に反していると思います。--121.95.143.18 2008年8月29日 (金) 05:39 (UTC)
121.95.143.18さんの見方に賛成です。今日発見したのですが、豊臣秀吉北条氏直のページでは、「小田原征伐」を使っています。現状維持にするなら、これらも変更すべきかと思います。--海蛇 2008年8月29日 (金) 05:46 (UTC)

整理

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いままで出た意見の整理(右側は意見)

  • 小田原の役(現状維持)…今までの意見の中では最善と思う。
  • 小田原征伐 …中立的と言えないので反対。
  • 小田原攻め
  • 小田原合戦 …広く使われているため賛成。
  • 関東平定 …地方名なのがおかしい。
  • 小田原の陣 …特に異存なし。

ということで、現状に賛成。--海蛇 2008年8月12日 (火) 06:11 (UTC)

(コメント)これまでの上記議論を全ては把握していないのですが、一見する限りでは後北条氏研究や豊臣政権史研究、また広く戦国時代史研究など各専門分野ごとの用例検討がほとんど成されていないのが気にかかります。私は戦国時代史では武田氏を中心に編集に携わっていますが、専門文献や論文を参照して記事に取りかかってみていちばん感じるのが用語の不統一の問題です。記事名をどうやって落ち着けるのかは重要な問題であるとは思いますが、中立性と並んでwikipediaの基本原則たる典拠情報に基づいて執筆するの観点が少々疎かになってはいないでしょうか?ひとつの事象に関して複数用語が存在しているのであれば、それには何かしらの理由があるはずです。記事名をどれで落ち着かせるかだけではなく、戦国時代史の各分野ごとにどのような用例が用いられているかをきちんと調査して本文に反映させる必要性もあるのではないでしょうか。--でここ 2008年8月29日 (金) 06:18 (UTC)

再確認

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4か月以上編集がなく、年も開けてしまいましたが、再確認です。 みなさんなにも意見がないようなので、現状維持という方向でいいでしょうか。ご意見をお寄せください。 --121.95.70.65 2009年1月19日 (月) 05:51 (UTC)

記事名「小田原の役」の現状維持を支持します。yasumi 2009年1月20日 (火) 12:30 (UTC)
議論が34キロバイト近くになってしまったので、現状維持にして過去ログ化することを提案します。--121.95.70.65 2009年1月24日 (土) 11:39 (UTC)
(コメント)門外漢で申し訳ないですが…結局は一般的かそうでないか、中立的かその逆かの議論なはずなのに、少し議論がそれているような気がします。121.95.143.18氏の「確認」最後の方の理論、天皇が神聖かという話が、屁理屈になってませんか?天皇の立場がどうであれ、昔から摂政は摂政、関白は関白であることに変わりはなく、その命令が、ある一定の人間にはどうでもいいと感じても、結果として「万世一系の天皇」の意志であり、命なのだから、最終的には秀吉が官軍に落ち着くはずです(こっちの方が理屈っぽいか?)。
ただ、私個人の意見では、官でも賊でも中立性の保てる、小田原の役、つまり現状維持に賛成です。あまりにも豊臣氏方の呼称なので、「小田原征伐」には反対します。--蚯蚓 2009年1月26日 (月) 07:00 (UTC)
(追記)上記の理由により、121.95.70.65氏の過去ログ化提案を支持します。--蚯蚓 2009年1月30日 (金) 04:59 (UTC)
では、現状維持・過去ログ化ということでよいですか。72時間以内に反対意見がなければ実施します。--蚯蚓 2009年2月2日 (月) 07:15 (UTC)
執行します。--蚯蚓 2009年2月5日 (木) 07:28 (UTC)
執行しました。--蚯蚓 2009年2月5日 (木) 08:02 (UTC)