ノート:封建主義

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封建制、封建主義の統合[編集]

「封建主義」(英:feudalism)という用語は封建制を意味する場合が多いと思いますので、封建制に統合しても良いように思います。特殊な概念としての「封建主義」については、封建制内にセクションを設けて、そこに解説を書くのがよろしいかと思われます。Hermeneus (talk) 2005年12月18日 (日) 10:56 (UTC)[返信]

統合テンプレが貼ってありますが、帝国帝国主義を一緒にするようなものではないでしょうか。--Extrahitz 2005年12月18日 (日) 11:27 (UTC)[返信]
「封建主義」という用語は、批判的なコンテキストで使用されることはあっても、批判的なのはコンテキストであって「封建主義」という用語自体に否定的意味合いが含まれているのではないと思います。また、必ずしも批判的なコンテキストにおいてのみ使用される語でもないと思います。Hermeneus (talk) 2005年12月18日 (日) 12:33 (UTC)[返信]
封建制だと国家体制などの大きな意味を表すのでしょうが、「封建主義」という言葉はむしろもっと俗的な広い意味でも用いられていると思います。会社の体質や個人の性格などを、「封建主義的な○○」や「封建主義の~」というように。けふこえて 2005年12月18日 (日) 13:15 (UTC)[返信]
しかし、それだと字引的な解説になってしまいますので、項目を作成する意味自体が失われてしまうでしょう。Hermeneus (talk) 2005年12月18日 (日) 13:31 (UTC)[返信]

「封建主義」を「封建制」の意味で用いるとすると必ずしも否定的ではないと思いますが、「封建」が思想となったのは中国の例だけであり、日本や欧州においては封建思想、あるいはen:feudalismと後世呼ばれる思想がまとまった形で意識されていたことはないため「封建主義」という呼称は正確さに欠けると思います(「敗北主義」のようなものでしょうか)。また現代言論界において「封建主義者」を自称しておられるのは呉智英氏のみであり、それも進歩主義に対する逆説的なものであると記憶しています。

ただ現実に「封建制」の意味合いで用いられる場合があることも事実なので、それに関しては明記したいと思います。思想的概念呼称は、その呼称が登場することによって歴史や社会に対して大きな影響を及ぼしたものであれば字引には当たらないと思います。 --Extrahitz 2005年12月18日 (日) 13:42 (UTC)[返信]

自分は、「国」が公の存在とすれば、それと比べると俗的な社会における物も対象になるという意味で書いたつもりです。こういう用法のように、家族会社などの組織・人的結合体の性格も表すということで、一応「社会に対する影響」というような形態かと思っ他次第です。 けふこえて 2005年12月18日 (日) 13:59 (UTC)[返信]
仮に「封建主義」を封建制の意味で使うのが誤用であったとしても、呉智英氏の特殊な定義(?)をメインに「封建主義」のような一般的な概念の解説を書くのは適切ではように思われます。民主主義が民主制も意味するように、別に「主義」と付くからといって「思想」でなければならないわけでもないですし、英語の「feudalism」も「ism」と付いてますが思想ではなくもっぱら政治制度を指す用語として使われています(例:American Heritage Dictionary「A political and economic system of Europe from the 9th to about the 15th century, based on the holding of all land in fief or fee and the resulting relation of lord to vassal and characterized by homage, legal and military service of tenants, and forfeiture.」)。また、批判的な意味合いで使われることもあるということにかんしては封建制も同じでしょう。なお日本語辞書の大辞泉には「封土の授与を基礎として封建領主とその臣下との間に成立する主従関係。また、その関係が社会構造の基本であるとする主張」とあります。Hermeneus (talk) 2005年12月18日 (日) 14:18 (UTC)[返信]

民主主義と民主制の定義問題については既に議論があり、無批判にdemocracy=民主主義と認められているわけではありません。feudalismが政治制度を示すということは全くそのとおりでありまして、だからこそ日本語の「主義」で括っていいかどうかが問われるわけです。実際、史学において「封建主義」とする用法は近年減少していると思われます。呉氏は封建主義なる思想を有するとされる例外として挙げたのであり、呉氏と本稿の記事は直接関係はありません。また封建制は批判的「にも」取り扱われますが、封建主義は原則批判的「にのみ」取り扱われるものです。--Extrahitz 2005年12月18日 (日) 14:32 (UTC)[返信]

何の「原則」に依るとそうなのでしょうか? 前近代の(あるいは前近代的な)制度を指す価値中立的な用語として封建主義が一切使用されない、ということは無いように思いますが。また、「批判的に捉えた概念」というのも少し不明なように思われます。無論、現代日本では自由主義者でも共産主義者でも封建制度を肯定的に評価する人はいないわけで、呉智英のような奇特な例を除き大半の人が封建制に「批判的」なわけですが、それと実際に封建制を批判する行為とはまた別でしょう。仮に封建制に批判的な人であろうと客観的にこの制度を叙述することは可能ですし、その際に「封建主義」という語が使用されたとしても、それを著者の政治信条ゆえに「批判的に捉えた概念」と呼ぶのは妥当ではないように思います。「ファシスト/ファシズム」という表現も中傷語として濫用される傾向にあり、ファシストを自認する人は極めて少ないですが、政治形態を価値中立的に指す用語としても普通に使います。Hermeneus (talk) 2005年12月18日 (日) 15:17 (UTC)[返信]

まず「前近代の制度」という大きな枠組みを指した時点で封建制の概念とは別物になります。それがこの記事を独立させた理由です。また現代において封建制に対して敢えて批判を行う人というのはむしろ少数派です。多くの人は批判も肯定もなく歴史上の一事象として封建制を捉えています。封建主義となるとけふこえてさんのご指摘や記事にも書いたとおり、ほぼすべての場合において批判のための用語として用いられます。ファシズムに関しても、歴史上のファシズムと批判概念としてのファシズムが仮に分離可能であるなら分離するべきであると考えます。--Extrahitz 2005年12月18日 (日) 15:39 (UTC)[返信]

Google検索しても中傷的でない用例は結構ヒットするように思うのですが:
  • [1] 幕末期の勘定奉行として北方領土の策定交渉で活躍した川路聖謨は、佐渡奉行と奈良奉行の時代に、儒教をベースとした封建主義が、本来理想とする愛民思想に依拠した封建的社会政策を実践した。それは「上からの救済」であったが、庶民は為政者の徳治すなわち仁政に敬意を表し、川路聖謨を「五泣百笑の奉行」と渾名して称賛した。労働運動が制度化されても、雇用形態の多様化によって低賃金で働くことを余儀なくされている労働者の満足感が得られない現在、旧体制の諸悪の根源とみなされる封建主義であるが、当時の庶民が評価し、受け入れた封建的社会政策を考える。
  • [2] かつては公開性(Publizitaet)は、政治的支配を公共的論議の前へ引き出してくることを意味していたが、今では知名度は、無責任なひいきの反応の集約にすぎない。市民社会は、広報活動によって造形されるようになるにつれて、ふたたび封建主義的な相貌を帯びてくる。
  • [3] 日本は江戸時代終盤、尊王攘夷論を背景に近代的、国際的パトリオティズムを初めて味わうことになるが、そうして近代国家を経験する前は封建主義的な鎖国時代であり、国際社会の洗礼を受けずにいた。01:07, December 19, 2005 Hermeneus

中傷的ではありませんが、すべて否定的な前提の上で用いられ、また史的類型の封建制とは別の、本記事で記述するところの概念(家父長主義、前近代性、等の混合概念)のようです。上のものは呉智英氏の論旨に似てますね。--Extrahitz 2005年12月18日 (日) 16:23 (UTC)[返信]

いずれも事実を叙述しているだけで、別に批判的でも中傷的でもないように思われます:
  • [4] 女子就学比の高い地域は、いずれも江戸時代から商業活動が盛んな大都市であった。これに対し、女子就学比の低かった地域は、農業が主体であり、麻生が指摘するように、封建的な色彩の強い地域でもあった。麻生は、女子就学比の違いを封建主義と結びつけて説明しているが、江戸時代から続く基幹産業の違いも影響しているのではないかと考えられる。
  • [5] 通常の犯罪事件の解決にまったく公権力が関与せず、ただ被害者およびその親族の自力救済(フェーデ・血讐、あるいは贖罪金の支払による和解契約)に委ねられていた古代ゲルマン社会は、中世ヨーロッパにおいて封建主義をベースにした身分社会が成立したのちもその暴力性を減じられることはなかった。
また、旧体制(アンシャン・レジーム)を意味する場合でも、古いこと、旧来のものであること=否定的、批判的というわけではないでしょう。Hermeneus (talk) 2005年12月18日 (日) 17:16 (UTC)[返信]

4は「麻生」先生の元論文を見なければはっきりしたことは言えませんが、おそらく前近代性についての批判的文脈と思われます。5に関しては封建制のことのようですね。古いこと、旧来のものであることを肯定的もしくは中立的に捉える場合は伝統主義という言い方がなされると思います。--Extrahitz 2005年12月18日 (日) 17:57 (UTC)--Extrahitz 2005年12月18日 (日) 17:59 (UTC)[返信]

いずれにしろ、「封建的」や「封建制」にも批判的、中傷的な使用法があるのですから、統合して封建制で解説してもよろしいかと思われます。特に「封建主義」だけを取り上げて独自の項目で解説すべき故もないでしょう。Hermeneus (talk) 2005年12月18日 (日) 18:29 (UTC)[返信]

私見では、統合以前に「封建制」は国家の体制としての記述がもっと充実されるべきであり、そこから派生して批判的に用いられる(と思われる)「封建主義」とは別物だと思います。むしろ封建国家などが封建制と統合されるべきではないでしょうか。 けふこえて 2005年12月19日 (月) 00:12 (UTC)[返信]


さしあたり議論が止まっているようなので、今回は統合見送りということでいいでしょうか。S kitahashi(Plé)2006年7月21日 (金) 12:09 (UTC)[返信]

特に異論もなかったので、今回は見送りました。しかし指摘された問題は考慮に値するものだと思います。私もちょっと考えてみます。S kitahashi(Plé)2006年9月6日 (水) 07:02 (UTC)[返信]