ノート:天津神・国津神

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人物神などについて[編集]

この項目に 代表的な神々 どちらにも分類されない神々、たとえば戦国武将を神格化したもの(加藤清正の加藤神社・徳川家康の東照宮)や、祟り神とされた平将門・菅原道真公の天満宮などが比較的信仰の厚い神として斎き祀られている。土着や習合された信仰であったものが神格化し、神話には登場する事のない金比羅(ことひら)信仰などもある。 って要るのでしょうか?非常に混乱するのですが?--124.96.100.230 2008年11月17日 (月) 23:30 (UTC)[返信]

天津神・国津神とは記紀神話における概念でしょう。ご指摘の箇所は記紀神話に関係ない神社の祭神の記述で、蛇足なので削除しました。--松山の暗黒騎士・暗黒な方です。 2009年2月9日 (月) 01:58 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

現項目名「天津神・国津神」を「天神地祇」または「天神・地祇」に改名したいと思います(とりあえず前者で)。「津」は要らないんじゃないかな、というよりも余り見ない表記だな(特に「国津神」)と思いまして、そして「天神・国神」にするんだったら「国神」より「地祇」かな、と思うためです。 またそれに伴い、「Category:天津神」を「Category:天神」へ、「Category:国津神」を「Category:地祇」へ改名したいと思います。--胡亂堂 2010年9月30日 (木) 13:55 (UTC)[返信]

曖昧さ回避の対象である天神という表記をカテゴリに用いるのは避けた方がよいのではないかと考えます。他の「天神」にカテゴリがないから、と言われると強く反対はできませんが、将来的なカテゴリ間の曖昧さ回避問題がないとは言い切れません。--モンゴルの白い虎 2010年9月30日 (木) 14:16 (UTC)[返信]
その点について少し悩みましたが、現在曖昧さ回避で挙げられている記事を見た限りでは違った意味の「カテゴリ:天神」を作り得なさそうなので、まいっかと思いましたし、将来カテゴリ間の曖昧さ回避問題が生じたらば、その際に考えたらいいかなと思った次第です。--胡亂堂 2010年9月30日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
というよりも余り見ない表記と言われますが天神・地祇の方が目にしません。神社の由緒書きにしても祝詞にしても天津神・国津神の方が圧倒的に多いです。神職の方が一般に説明される時も天津神・国津神と言われます。ですのでこの提案には賛成できる要素が少ないです。よってする必要無しと思います。--Zmblelra 2010年10月1日 (金) 00:37 (UTC)[返信]
この分野にはそれほど詳しくもないのですが、この表記が「余り見ない表記」というのが疑問だった(私にはまったく違和感がなかった)のでとりあえず手元にある資料で調べたところ、「天津神」も「国津神」も大祓詞(延喜式)で使われている表記のようです。また、「googleブックス」で「国津神」を検索してみると、怪しげなものも多々ありますが、ここに出てくる書籍の著者や監修者のうち、少なくとも、鎌田東二正木晃平野孝國、吉井良隆、加藤隆久、吉田敦彦らは専門家(宗教学者や神職)ですし、その他に民俗学者の著書もあります。日本大百科全書でも「天津神・国津神」という項目名が採用されています(日本大百科事典の他の項目の記事中では、「くにつかみ」の漢字表記は「国津神」「国神」「地祇」のいずれも使われています)。
このように、きちんとした出典(大祓詞)があり、一般の書籍でも用いられている表記方法である以上、あえて改名する必要はないと思います。さらに、「天神地祇」としてしまうと、これはもう「すべての神々」という意味の四字熟語になってしまいますので、若干意味内容が変わってきます。したがって、現状維持が妥当だと思います。--かんぴ 2010年10月1日 (金) 15:03 (UTC)[返信]
お二方のご意見につき意図する点を。
  1. 「天神・地祇の方が目にしません」との事ですが、恐らく「神祇」という単語は(しばしば)目にされる事と思います(神祇官とか神祇政策とか)。この「神祇」は「天と地」の省略らしいです。
  2. 官撰の史書である例えば『日本書紀』においては「天神」と表記して「あまつかみ」と訓ませ、「国神」または「地祇」と表記して「くにつかみ」と訓ませているらしく、「天津神」との表記は皆無で、「国津神」は僅か1箇所のみ(『日本紀』景行天皇40年条)。また神武天皇紀から「地祇」の用語が見え、以降日本の全ての神々を表す際に「天神地祇」の熟語が頻出しますが、「地祇」のみの単独用法は無く、「天神」に対する場合は「国神」と表記するようです(田中卓「新撰姓氏録における天神・天孫・地祇を論じて天穂日命に及ぶ」(国書刊行会刊著作集9所収))。因みに『古事記』では専ら「天神」「国神」とあり、僅か2箇所ですがこれを併せて「天神地祇」とする箇所がありますが、「天津神」「国津神」は無さそうです。
  3. 天つ神と国つ神を区分けする際に大いに参考となるであろう官撰の『新撰姓氏録』は「天神」と「地祇」としています。
  4. 神社の由緒書きはさて措き、祝詞において天津神・国津神(の表記)が多いかも知れない点は認めますが、由緒書きや祝詞というごくごく限られた範囲での用法である事、また祝詞は宣命体(助詞を万葉仮名で書く)という特殊な書法が採られている事、を差し引かないといけないかなと思います。
  5. 「天神地祇」という四字熟語が若干意味内容を変えて使用されているなら本文中に注記の形なりで触れればよく、またこれは本来「天神と地祇」の意味らしいので、改名提案の理由もそれなりに存するかと思います。
以上、1・2・3から公文書における表記では「天神」「地祇」とする方が多そうであり(2からは「国神」の選択肢も出現しています)、4の点のみを考慮しても「天つ神」「国つ神」とする案もあり、提案自体を「よってする必要無し」とまで断ずるのはいかがかと思います。--胡亂堂 2010年10月2日 (土) 04:29 (UTC)[返信]
もちろん、「天つ神」「国つ神」とすることも可能です(例えば、広辞苑や大辞泉等では、この表記が採用されています)。もし現状で「天つ神・国つ神」とか「天神・国神」になっていたとすれば、わざわざ「天津神・国津神」への改名すべきとは思いません。要するに、どの表記であってもそれなりに根拠があることなので、あえて現状を変更して改名するまでの問題は存しないという認識です。それに加えて、
  1. 天神地祇」は四字熟語であり、「あまつかみ」と「くにつかみ」の区別について解説している本項目の内容と齟齬が生じる
  2. Category:天神」は一意ではなく、たとえ曖昧さ回避の問題は生じなくともカテゴリ名として適切ではない
という理由が加わります。したがって、もし「『天津神』『国津神』の表記はおかしい」という意見が増えて、改名すべきということになるようでしたら、「天つ神・国つ神」「Category:天つ神」「Category:国つ神」への改名ならば賛成します。--かんぴ 2010年10月2日 (土) 08:33 (UTC)[返信]
天神地祇」やCategory:天神とするのが問題ならまずここを天津神と国津神に分割すれば良いのではないでしょうか?分割すればまず「天神地祇」の問題は解消されます。
それによるなら「天津神」は「天つ神」で譲歩しますが。「国津神」は別に「地祇」でも問題ないならそれに変えれば良いですし、ただ「国つ神」より「国神」の方が私は良いですから「地祇」か「国神」ですね。--Zmblelra 2010年10月2日 (土) 10:10 (UTC)[返信]
  • (意見)かんぴ様の主な反対理由である「どの表記にもそれなりの根拠があるのであえて現状から改名する必要はない」を都合良く解釈しますと、これをどうしても原案通り改名したければ(それなりの根拠があるので)してもいいよという事になりませんか。また追加理由ですが、1について「天神地祇」という四字熟語がある事を問題とされてますが、その四字熟語が単独項目化された場合を考えてみましょう。その場合、(イ)第一義は「天神と地祇」となり、そこから派生して「あらゆる神々の意味」とかの説明が続く事になります。でもって、(ロ)第一義の詳細な説明は恐らく「天神」や「地祇」へリンクを張って詳しくはそこを見よになるかと思います。そして現状では(ハ)両者を辿っていけばここの「天津神・国津神」に到着します。ところで、ここではこの「天津神・国津神」を「天神地祇」に改名しませんかと提案してます。もしこれが叶えばどうなるでしょう。あら不思議、(イ)(ロ)(ハ)の段階を網羅した項目名ができているではありませんか。という事で、「天神地祇」という四字熟語があるからというのは賛成理由には成り得ても反対理由としては成り立たなさそうな気がしました(気のせいかな)。
    2について。上でも述べましたが、一意でないのは「天神」であって、「カテゴリ:天神」としては現状では(また恐らくは近い将来においても)一意っぽいと思ってます。ですので、違った意味の「カテゴリ:天神」として括られうる他の項目を挙げ、それを根拠に「これこれの記事が「カテゴリ:(違った意味の)天神」で括られるから、カテゴリ名として一意ではなく、従って適切ではない」とした方が理由として箔が付くように感じました。
    またZmblelra様の分割案だと、「天神地祇」という四字熟語の為の項目を(作るつもりがあれば)作ることもでき、より詳しい解説をそれぞれで見ることも出来る(上記(ロ)が解決)のですが、分量的にちょと厳しいかなと思います。私自身はある記事が定義のみであっても記述が1行のみであっても別に構わないと思うのですが、そうでない方もいらっしゃるので、狡いようですが積極的な支持は控えさせていただきます--胡亂堂 2010年10月4日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
前述の通り、胡亂堂さんの提案が決定的に間違っているとは思いませんが、他方で、現状に問題があるとも思っていません。したがって、「どうしても原案通り改名したければ(それなりの根拠があるので)してもいいよ」というわけでなく、「胡亂堂さん以外に、提案に対する賛同意見(現状維持より改名の方がよりベターとする意見)が多いようなら、現状維持に固執することはないよ」という立場です。「どの表記にも(すなわち現状にも)それなりの根拠がある」のであって、単に「改名にはそれなりの根拠がある」というわけではありません。確かに胡亂堂さんの提案にはきちんとした理由があると思いますが、私は「現状で特に問題なく丸くおさまっている」と認識しており、この提案理由が「現状を覆すだけの決定的な理由」にはなっていないと考えます。仮に、「いや、十分現状を変えるに値する理由になっている」という賛同意見が多くなれば、その判断にあえて異を唱えることはしませんということです。--かんぴ 2010年10月4日 (月) 13:32 (UTC)[返信]
  • 転送機能とかあるので大体の記事名は「特に問題なく丸くおさまっている」と言えば言える中で、「でもこっちの方が相応しくない?」という感じで記事の改名提案がなされる場合も多いですよね。で、決定的かどうかは分かりませんが「現状を覆すだけの理由」として上で、「天津神」「国津神」はごく限られた範囲でのやや特殊な用法であるように思われるのに対して公文書では「天神」「地祇」の用法の方が多そうに思える点を述べておりますが(個人研究というか印象ですが)、これらの指摘が宙に浮いちゃってませんか?--胡亂堂 2010年10月4日 (月) 15:20 (UTC)[返信]
(インデント戻す)私も、「天津神」や「国津神」が日本大百科全書や一般の書籍(専門家によるものも含む)でも使われており、「ごく限られた範囲でのやや特殊な用法」ではないことを指摘しております。ですから、「こっちの方が相応しくない?」との提案に対し、「いや、どっちも同じようなものだろう」と述べているのです。同じようなものならあえて改名する理由はないし、さらにいうならば、私の感覚では上記の(補足的な)理由により、現状維持のほうが若干優れていると感じています。この若干の優位性は、仮に現状が「天神地祇」であれば、それをあえて「天津神・国津神」に改名するほどではないが、現状で「天津神・国津神」であるのを「天神地祇」に改名するのを躊躇させるのに十分なものであると考えます。--かんぴ 2010年10月4日 (月) 16:06 (UTC)[返信]
{「天津神」は「天つ神」で譲歩します}と撤回し、今までの議論を読んでいると{「津」は要らないんじゃないかな、というよりも余り見ない表記だな}とおっしゃるのを通したい様ですから、「天神・地祇」なら賛成しても構わないと思えてきました。
もうそろそろ仕舞にしませんか? これ以上の論議は不毛に思います。--Zmblelra 2010年10月4日 (月) 16:10 (UTC)[返信]
「よみ」が「あまつかみ・くにつかみ」であるならば、記事名(表記)はどちらでもいいです。長々と議論する必要はないと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年10月5日 (火) 07:41 (UTC)[返信]
  • う~ん、確かにどちらでもいいといえばいい訳でして、なんか皆さんに疲弊感を与えてしまい申し訳ありませんが、かんぴ様のご意見に承伏しかねる点が若干ございますので、ひつっこいようですがご勘弁を。
  1. 「『「天津神』『「国津神』が日本大百科全書や一般の書籍(専門家によるものも含む)でも使われており、『ごく限られた範囲でのやや特殊な用法』ではない」とのご指摘ですが、私は「日本大百科全書や一般の書籍」は祝詞を元にしているのではないかとの憶測を抱いておりまして、もしそうならば祝詞というのは「ごく限られた範囲」であり、そこで使われる用語は矢張り「やや特殊な用法」ではないでしょうか。
  2. 「天津神」「国津神」よりも「天神地祇」の方が公文書で多く使われている点についてのご反駁がございません。
  3. 「天神地祇」だと「天神地祇」(そして「神祇」も)という熟語の説明も容易になりますよという利点を挙げていますが、それに関するご反応もございません。
  4. 2つの補足的な反対理由により現状維持のほうが「若干優れている」とされますが、その1つは(上記3とも関係して)反対よりも寧ろ賛成理由になるのではないか、もう1つはそもそも理由たりえていないのではないか、との指摘をしております。
よろしければ以上の点につき、ご意見を伺いたく。--胡亂堂 2010年10月12日 (火) 19:23 (UTC)[返信]
前にも書きましたように基本的にどちらでもよいのですが、公文書で多く使われている云々については一言。そもそも日本書紀も新撰姓氏録も漢文で書かれている訳で、そうなると表現手法は中国の前例に従うことになります。いずれ「読み」は「あまつかみ・くにつかみ」であり、素直に日本語の訓に基づき漢字を充てるならば「天津神・国津神」または「天神・国神」でしょう。要は本場中国の用法で「国神」という使い方をしていなかったから「くにつかみ」に「地祇」という熟語を当て嵌めたのでしょう。一方、祝詞を特殊な用法とおっしゃいますが、神道上で祝詞は重要な位置を占めていますし、別の見方をすると本質を伝えているとも言えます。このように見方によって結論は違ってくるので、私はどちらでもよいとしております。--ろう(Law soma) D C 2010年10月14日 (木) 02:58 (UTC)[返信]
コメントLaw氏の「神道上で祝詞は重要な位置を占めています」には同意見です。祝詞で神職と神のなかとりもちを行うものです。ですから「祝詞というごくごく限られた範囲での用法である事」で一蹴されているのには引っかかる部分がありました。その辺の本末転倒にならないようお願いします。--Zmblelra 2010年10月14日 (木) 11:10 (UTC)[返信]
  • 「神道上で祝詞は重要な位置を占めてい」るのはごもっともなのですが、残念ながらウィキペディアは祝詞辞典でも神道事典でもない点が1つ、表現手法(表記法)に就いては、日本人の先祖が文字を持たなかった或いは漢字表記を採用してしまった事を呪うしかなさそうな点が1つです。--胡亂堂 2010年10月17日 (日) 13:04 (UTC)[返信]
コメント ウィキペディアは祝詞辞典でも神道事典でもないという点では一致します。しかし神道分野の用語の表記に際しては、研究書に基づき決定すべきであり、一次資料である日本書紀のみを重視するのには疑問が残ります。言い直しますと「神道研究上で日本書紀研究に比して祝詞研究が重要でない訳ではありません」。私は依然どっちでもよいのですが共に一次資料である日本書紀と祝詞について「官撰」とか「ごくごく限られた」といった基準で優劣を付ける意味が分かりません。--ろう(Law soma) D C 2010年10月18日 (月) 05:52 (UTC)[返信]
日本書紀のみを重視する理由を含めて、論点を箇条書きにして説明いただきたいです。--Zmblelra 2010年10月22日 (金) 06:12 (UTC)[返信]
  • 少しく忙しかったためほったらかしの形で申し訳ありませんでした。まず当方の提案が「日本書紀のみ」を重視している訳では無いことは上を御覧いただけばご理解いただけるかと思います。寧ろ「天津神」「国津神」の方が祝詞(大祓詞)のみを重視していると言えそうです。またLaw soma様に対しましては、本件の場合の記事名(項目名)は出来るだけ一次資料に基づくべきだと思います。何となれば研究書での用語の背景にはその研究者がいかなる学説に与しているかが影響しやすく、従って本件の場合(中立的であろうと努めるならば)「研究書に基づき決定」するのは記事内容に限るべきかと思うためです。で、そうであるならば記事名の選択には官撰の公文書であるか「ごく限られた」範囲での用例であるかといった基準は不可欠ではないでしょうか。--胡亂堂 2010年11月3日 (水) 11:37 (UTC) - 一部改めました。--胡亂堂 2010年11月7日 (日) 17:13 (UTC)[返信]
そろそろするかしないか判断して下さい。いいかげん飽きました。--Zmblelra 2010年11月5日 (金) 15:14 (UTC)[返信]
  • 落ち着いて下さい、Zmblelra様の上記ご発言だと(都合良く解すれば)当方に委任されるという事にもなりかねません。ウィキペディアには改名の是非判断を下す巨神兵の如き裁定者はいないので、Zmblelra様始めかんぴ様、Law soma様のご意見を伺いつつ進めざるを得ないのです。--胡亂堂 2010年11月7日 (日) 17:01 (UTC)[返信]
私の立場は既に述べたとおりで、それ以降の胡亂堂さんのコメントを拝見してもなお変わっておりません。すなわち、胡亂堂さんの提案が決定的に間違っているとは思わないが、他方で、現状に問題があるとも思わない。したがって、胡亂堂さん以外に、提案に対する賛同意見(現状維持より改名の方がよりベターとする意見)が多いようなら、現状維持に固執することはない」というものです。そして、最初の提案から既に一か月以上が経過しておりますが、提案者以外に「現状を変更すべき」との積極的意見は皆無(「どっちでもいい」派が多数?)だというのが現状です。
なお、胡亂堂さんの反論にもお答えしておくと、
  • 「『日本大百科全書や一般の書籍』は祝詞を元にしているのではないか」とのことですが、表記方法を祝詞に依拠しているとしても、それが書籍で使われていることには変わりないので反論たりえないと思います。祝詞に依拠した表記が一般的に用いられているという証左にしかならないでしょう。もちろん、一般書籍での「天津神」表記が、「祝詞の文面をそのまま引用したもの」だというのであれば、それを祝詞での用例と別にカウントするのはフェアではありませんが、文脈を見る限りそういうわけではありません。
  • 公文書で多く使われているという点に関して、ろう(Law soma)さんと同意見だと思うのですが、祝詞と公文書で優劣をつけるべきものではないと思います。すなわち、「公文書で使われているがら天神地祇の方がよい」とか「祝詞で使われているから天津神や国津神の方がよい」という風に判断すべきものではないと考えます。(ちなみに、どの範囲で「公文書」と呼んでいらっしゃるかはわかりませんが、「延喜式」もれっきとした公文書ですよね?)
  • 「天神地祇」という熟語の説明であれば、ウィクショナリーですべきです。
以上の反論と、上記の現状を踏まえまして、私の意見は依然として「現状維持すべき」から変わっておりません。--かんぴ 2010年11月7日 (日) 17:42 (UTC)[返信]
(再反論) 「現状に問題があるとも思わない」理由が上記3点であるのなら、一部繰り返しになりますが反論させていただきます。
  • 一般書籍での頻度がどれ程高くてもそれが祝詞という限定的で従ってやや特異な分野に依拠していれば、別の表記法もある以上はその両様を比較してより相応しい方を採択するのは当然であり、祝詞での用語のみを記事名として採用するのは、他の用語例もある以上決して穏当ではないと思います。
  • 「祝詞と公文書で優劣をつけるべきものではない」との事ですが、私は上記Law soma様への反論に述べましたように寧ろつけるべきだと思います。何故なら(再三述べますが)祝詞での用語は「ごく限られた範囲でのやや特殊な用法」だからです。なお、確かに『延喜祝詞式』は公文書でしょうが、あくまでも当代の祝詞のみを記録したもので、その意味では自己完結的なもの、換言しますとそこに表された用語は他での用語を祝詞風に表記したものではないかと思いますし、もしそうならば前項の反論で述べましたように他例と比較検討してみる必要は免れないと思います(かんぴ様のご意見に従うとして極端な例を挙げれば、「延喜祝詞式」で天皇を「皇御孫命」と表記しているので「皇御孫命」の記事名でよし、と言っているようにも思えるのです)。
  • ウィクショナリーを持ち出されるのは心外です。そもそも「天神地祇」という熟語が違う意味を持つと問題視されたのはかんぴ様の方で、それに対し違う意味の天神地祇も天神と地祇の合成語から派生したものであり、記事名が「天神地祇」ならそれを含めて説明し易いですよと利点を説いているに過ぎませんからです。
で、どうやら論点は、
  1. 本件のような場合、記事名で最重要視すべきは後世の学説上における頻度ではなく、(それら学説の基となる)資(史)料上での頻度ではないか
  2. その場合「天津神」「国津神」の表記が見えるのははほぼ祝詞のみではないか
  3. もしそうならば、祝詞は「ごく限られた範囲」であり、従ってそこに見られる用語はまづ他例と比較して「やや特殊な用法」と疑ってかかる必要があるのではないか
  4. また、そうした祝詞のみに依拠する用法であってみれば、どれだけ高名な学者が頻繁に使用していようと、他例がある以上は記事名として採用するのは危険ではないか
になるやに思えますが、いかがでしょう。--胡亂堂 2010年11月20日 (土) 14:19 (UTC)[返信]
(インデント戻す)結局のところ、胡亂堂さんは、天神・国神の表記が「より相応しい方」だと考えており、私は現状の天津神・国津神表記が「より相応しい方」だと考えている、ということです。この反論を拝見しても、やはり現状に問題があるとは思いません。
「記事名で最重要視すべきは後世の学説上における頻度ではなく、(それら学説の基となる)資(史)料上での頻度ではないか」というのは、私はそうは思いません。後世(現代)において一般的に使用されている表記方法であり、一応きちんとした出典が存在するものであれば、どれを使っても問題ないと思います。繰り返しになりますが、日本大百科全書は「天津神」を項目名として使っていますし、広辞苑や大辞泉は「天つ神」を項目名として使っていますが、これで何か問題が生じるでしょうか。Wikipediaは現代の人間が利用する百科事典なのですから、現代において一般的に使われている表記が「特殊」だというのは疑問ですし、採用しても何ら「危険」ではないと思います(ですから、「天つ神」表記でも別に構わないです)。それから、「皇御孫命」の例は極端どころか、例としては不適切だと思います。今我々が「天皇」と呼ぶ存在のことを、(延喜式の文脈と無関係に)一般的に「皇御孫命」と表記することがありますか?つまり、延喜式の文脈とは無関係に使用される表記方法である「天津神」とは全く事情が異なります。こういうのを反論として持ちだすのは妥当ではないでしょう。
というわけで、またまた繰り返しになりますが、「胡亂堂さんの提案が決定的に間違っているとは思わないが、他方で、現状に問題があるとも思わない。したがって、胡亂堂さん以外に、提案に対する賛同意見(現状維持より改名の方がよりベターとする意見)が多いようなら、現状維持に固執することはない」という方針を維持しますが、現時点で胡亂堂さんの挙げる根拠に基づく改名提案に賛成しかねます。--かんぴ 2010年11月22日 (月) 17:22 (UTC)[返信]
コメント余計な意見かもしれませんが、こうして時間をおいて国神を改めて見ると何?と思いました。国神を見て国津神だと分かる人いるのでしょうか?かんぴ氏の仰るように現状維持を覆すほどの意見が無いなら、無理に変える必要も内容に思います。カタカナ表記で貧相に見える神名とは違い天津神・国津神表記は天神・国神に変えなればいけないというほどの急務性も感じません。要するに、改名される兆しも無いし、どっちでも良いなら天津神・国津神で良くね?と思えてきたしだいです。途中の意見と整合性が無かったらすいません。--Zmblelra 2010年11月22日 (月) 23:31 (UTC)[返信]
お二方と同意見です。胡乱堂さんの提案が受け入れられない訳ではありませんが、とりあえずは緊急性・必要性が理解できないので現状維持の意見です。--ろう(Law soma) D C 2010年11月24日 (水) 02:33 (UTC)[返信]
  • 現代において一般的に使用されている表記方法」や「Wikipediaは現代の人間が利用する百科事典」との言は、記事内容ではなく記事名そのものを問題とする場合、古代から近世までを通覧すると(史料上の制約は大ですが)「天神地祇」または「神祇」が圧倒的である以上、いかにも現代的な観点にすぎる(いわゆる現代POV)と思いますし、「現代において一般的に使われている表記が「特殊」だというのは疑問」との事ですが、そういう特殊な表記が一般的に使われてしまいそれが為にWikipedaiにおいて記事名とされる例もままあり、それらは適宜改正への動きが起こっている筈だと思うのですが、どうやら受け容れられそうにないので「天神地祇」は取り下げます。ですがかんぴ様の「天津神」(や「国津神」)は「延喜式(祝詞?)の文脈とは無関係に使用される表記方法であ」り、「全く事情が異な」るとの言に就きましては、私は当初から関係大ありなんじゃないか、「天津神」はあくまでも祝詞での用語にしかすぎないのではないか、と再三問い質していますのに、それに対する直截な反論(「あまつかみ」という和語の全歴史を通じて祝詞乃至は祝詞関連以外で「天津神」が使われる例も多いですよ)が見られない点がなお不満でして(「皇御孫命」もほぼ祝詞(や宣命)のみで見られる表記でありかつ別の表記(天皇)もあるという点で事情は同じなのに、一方が一部の高名な論者に愛玩される表記である事を以て記事名に採用され、もう片方はさにあらざるが故に廃嫡されるというのはおかしいのではないか)、事実かんぴ様の重視せられる『広辞苑』や『大辞泉』は(確認しておりませんが)「天津神」を項目名に採用していないのであってみればとりあえずの改名は必須なのではないでしょうか。なのでどこからも異論の出ていない「天つ神・国つ神」にしませんか(本提案には中黒点邪魔ぁ~と思った事情もあるのですが妥協します)。--胡亂堂 2010年11月25日 (木) 19:51 (UTC)[返信]
新提案には特に反対しません。折角終了した議論をちょっとだけ蒸し返して申し訳ないのですが、現代POVについて一言だけ。神道分野に関しては、長い歴史の中で中世日本紀の時代や神仏習合の時代を経てきている訳です。10月14日の投稿でも触れたのですが、更にその頃の公式文書は基本的に全部漢文です。神道のように道教の影響はあるものの祭祀用語のほとんどを「やまとことば」で統一している宗教に関して、歴史学上の用語なら兎も角、現在も生きている宗教の用語としては、「天神地祇」という漢語は如何なものかという思いは依然としてあります。--ろう(Law soma) D C 2010年11月26日 (金) 01:08 (UTC)[返信]
「『天津神』『国津神』の表記はおかしい」という意見が出てない以上「天つ神・国つ神」にするくらいなら「天津神・国津神」の方が良い気がします。態々ひらがなに直す必要が無いと思いますので現状維持を支持します。が、「天つ神・国つ神」の賛成意見があるのでしたら、固持はしませんけど。--Zmblelra 2010年11月27日 (土) 04:15 (UTC)[返信]
すみません。合意形成の期間をすでに過ぎていませんか?これではただの放置に見えますが。--Zmblelra 2010年12月21日 (火) 11:36 (UTC)[返信]
や、決して放置してる訳ではありませんでしたが、相済みません。
「『天津神』『国津神』の表記はおかしい」という意見が出てない」→提案者である私が(おかしいではなくやや相応しくないと)出してますし、一般的辞書類が採用していない点からこの点はかんぴ様も消極的ながら支持せられているように見受けられます。
「天つ神・国つ神」の賛成意見があるのでしたら」→積極消極に不拘賛成意見しかなさそうです。
で、勝手にまとめ

改名提案のまとめ[編集]

って辺りでどうでしょうか。--胡亂堂 2010年12月25日 (土) 04:28 (UTC)[返信]

(改名提案の内容が多いののでレイアウトを少し変えました。)改めて現状維持です。天つ神・国つ神も天津神・国津神字のすげ替えとなるだけなので改名するほどに無いと見えます。国神については前にも述べましたが「こくじん・こくしん」としか(私には)読めず「くにつかみ」には知らないと読めないかと(国神は必要無いかと)。「神祇」は{神(神道)}のリダレクトで良い思います。--Zmblelra 2010年12月25日 (土) 11:30 (UTC)[返信]
「天津神・国津神」の問題点はさんざんっぱら指摘しているのにその回答は得られておらないのに対し、「天つ神・国つ神」には現状維持に拘る以外の反対理由が見いだせません。日本語における「神祇」は「天神地祇」の略なので「神祇」→「天神地祇」→「天つ神・国つ神」になっちゃうでしょう。--胡亂堂 2010年12月25日 (土) 15:14 (UTC)[返信]
なっちゃうでしょう。はそちらの早合点であり私達は現状維持支持です。そちら様以外で賛成意見が有ればと申しましたが今の所「天つ神・国つ神」に賛成表明は有りませんから、現状維持なのです。以上--Zmblelra 2010年12月25日 (土) 15:40 (UTC)[返信]
かんぴ様が2010年10月2日 (土) 08:33 (UTC)付で賛意を表明してます(その後ご意見を変えた可能性はありますが)。なので改名に走ってもいいでしょうか?--胡亂堂 2011年1月17日 (月) 22:52 (UTC)[返信]
(インデント戻す)私は、「もし「『天津神』『国津神』の表記はおかしい」という意見が増えて、改名すべきということになるようでしたら」と述べたのであって、その前提となる「改名そのもの」に賛意を表明したわけではありません。2010年10月2日 (土) 08:33 (UTC)のコメントは、あくまでも、「もし皆が『改名する』という方向でまとまったなら、『天つ神』『国つ神』だったら賛成しますよ」というだけの話です。そして、現時点ではZmblelra様もろう(Law soma)様も、(改名後の表記に反対はしないにせよ)「現状維持」を第一としており、胡亂堂様を除けば、誰も「『天津神』『国津神』の表記はおかしい」との意見を出しておりません。何度も繰り返しています通り、私も現状維持が最善だと考えておりますので、そもそも「改名すべき」という話になっていない以上は、私を賛成者にカウントしないようお願いします。--かんぴ 2011年1月18日 (火) 10:38 (UTC)敬称追記--かんぴ 2011年1月20日 (木) 14:03 (UTC)[返信]
胡亂堂さんへ。結局のところ、私たちは現状維持でよいと思っており、仮に変更するならば「『天つ神』『国つ神』」には反対しない(要は消極的)、という意見なのですよ。変更するメリットが見いだせないので積極的な賛成に到らないと言ってもよいでしょう。胡亂堂さんは当初から「国津神」を「余り見ない」とおっしゃり、改名先を変えてまで変更しようとされていますが、私たちは「国津神」でもよいと考えているのです。「由緒書き」、「祝詞」にどれだけ親しんでいるかという面もありますが、かんぴさん御指摘のように専門家も普通に使用している単語ですし、「ごくごく限られた範囲での用法」とは言えません。個人的に「宣命体」という観点にはちょっとドキッとしましたがね。いずれ、私は依然として「どっちでもいい」ことに変わりはありませんが、改名に賛成しかねている方々の意見の方に近い感覚を持っているため、積極的な賛成はしかねるものです。--ろう(Law soma) D C 2011年1月19日 (水) 00:34 (UTC)インデント付けさせていただきました。--胡亂堂 2011年1月19日 (水) 13:27 (UTC)[返信]
かんぴ様へは誤解していたようで相済みませんでした。皆様へはでは改めて、私がさんざんっぱら指摘している点(「天津神」等は祝詞の宣命書に近い特殊といえる表記じゃないのか。だとすれば、この概念が祝詞のみに現れる乃至は祝詞表現を出発点とする概念ではなく他の表記もある以上、祝詞辞典ではないので記事名は再考すべきではないか)に関する明快なご回答と、かんぴ様にはご自身の所拠とせられる広辞苑や大辞泉で「天つ神」等が使われている点のご説明をお願います。あと、どーでもいいですが、かんぴ様のご意見中私の利用者名だけ「様」が付けられていないのはご貴見に反対しているからでしょうか。お陰様で私としてかなりな程度ムカつき、この文を入力する手も震える程であった事をお知らせ申し上げます(酒毒のせいで四六時中震えてるんすけどね)。 --胡亂堂 2011年1月19日 (水) 13:27 (UTC)[返信]
横からですが、敬称が付されていないのは単に名前を間違えないようにコピペした際に付け忘れただけだと思いますがね。前の発言のときにはちゃんと「さん」を付けていますし、それ以後特段感情を害するような発言の応酬があった訳でもありませんので。なお、折角対立しながらもちゃんと対話が成立している現状を壊さないよう、かんぴさんは気づき次第すぐ謝った方がいいと思いますよ。で、胡亂堂さんは謝罪があったなら水に流すようお願いします。--ろう(Law soma) D C 2011年1月20日 (木) 01:04 (UTC)[返信]
すみません。ろう(Law soma)様のおっしゃるとおり、皆さんの名前は、リンクが正しく張られるように全部コピペをしていますので、胡亂堂様が呼び捨てになっていたのは、コピペ後の付記し忘れです(ついでに、敬称が「様」だったり「さん」だったりするのも、その場の思いつきですので、深い意味はありません)。気分を害したようであれば、謝罪いたします。
で、本論ですが、ご指摘の点は、同じく2010年10月2日 (土) 08:33 (UTC)のコメントで回答済みですので、そちらをもう一度ご参照ください。そして、私は「特殊な表記」ではなく、したがって「再考する必要性は感じない」という認識でいることも(理由を付して)既に何度もコメント済みですので、詳しくは過去のコメントをご参照していただきたいのですが、平たく言えば、「祝詞表現を出発点とする表記」の何が悪いんですか?「祝詞表現を出発点とする表記」であっても、「祝詞でしか使われていない」表記ではない(既に指摘しているとおり、祝詞を離れた文脈においても実際に使われている表記です)のであって、これをあえて変更する必要性がどこにあるのですか?…ということです。要するに、胡亂堂様が「問題」だと考えている点について、私(我々?)は、「問題」だと思っていないわけで、改名する理由がないのです。繰り返しになりますが、「天神」や「天つ神」という表記が「間違い」「おかしい」と述べているわけではなく(あるいは、「天津神」が「唯一正しい」と述べているわけでもなく)、「現状を変更する必要性が感じられない」「改名すべきとする理由に納得できない」から改名に反対している(現状維持が最善と考えている)ということをご理解ください。--かんぴ 2011年1月20日 (木) 14:03 (UTC)[返信]
や、敬称云々は他で同様な事があった際にそれが「感情を害するような発言の応酬」にまで発展する可能性もあるかもと思い、老婆心ながら気をつけて戴きたいなと思っただけでした。私に限って申せば全く気にしてませんのでお気になさらないようお願い申し上げます(繰り返しますが震手は不快感ではなく酒毒の影響です)。
さて 、「『祝詞表現を出発点とする表記』の何が悪いんですか?」と仰りますが、上でWikipediaは祝詞辞典ではないので、どれだけ「祝詞を離れた文脈においても実際に使われている表記」であってもそれが祝詞表記を基とするものである一方で他の表記もある以上は「祝詞表現を出発点とする表記」を記事名とするのおかしいのではないかと申し上げており、その点を以てご承知の如く「変更する必要性」とし、「天津神」に就いて申せば記事名は「天つ神」「天神」等の各種表記を勘案して定めるべきで、「天津神」は不適、最適なのは天神→否定→じゃ、「天つ神」としております。つまりは、「天津神」は祝詞文(及びそこに基づく)表記ではない、或いはもしか祝詞文表記だとしてもその祝詞文表記は他と比べても「特殊な表記」とは言えないとする所以を明確にご呈示願いたいわけで、惹いてはそれこそが私の問題とする所が問題たりえない証になるわけです。--胡亂堂 2011年1月21日 (金) 22:14 (UTC)[返信]

(戻す)少しく忙しない事もあり、様子見を兼ねて書き込みは控えておりましたが、どうでしょうか。--胡亂堂 2011年2月12日 (土) 19:11 (UTC)[返信]

百科事典としてはそもそも『天津神』『国津神』で独立して項目を立てるべきではないかと思うのですが(現在では独立するほど記事が充実していないという問題はありますが……)--雲霞会話2015年11月3日 (火) 10:05 (UTC)[返信]