ノート:大石寺

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紫宸殿御本尊[編集]

2006年1月14日 (土) 12:48の版で220.110.79.17は、「紫宸殿御本尊」のリンクを消し、師子相承之御本尊と書き換えてますが、(師子は師資の間違い)師資相承之御本尊とは聞きなれない言葉です。一方、紫宸殿御本尊は、昔から語られている名称であり、これを削除したのは、いかなる理由によるものなのでしょうか?Tetralemma 2006年1月14日 (土) 14:18 (UTC)[返信]

「師資相承之御本尊」でWeb検索しても一件もヒットしませんし、あまり一般的な名称ではないと思われますので、紫宸殿御本尊の名称を復活させました。Tetralemma 2006年1月15日 (日) 00:34 (UTC)[返信]

ちょっと気になったのは、師資相承之御本尊と紫宸殿御本尊では、その意味するとこはまったく異なります。別物ではありませんか?たとえば日興から日目へ与えられた「御座替御本尊(譲座本尊)」であれば、師資相承之御本尊と呼んでも不思議はありませんが、もしかして、御座替御本尊=師資相承之御本尊=紫宸殿御本尊なのでしょうか?そうであるなら、そう書いてください。Tetralemma 2006年1月15日 (日) 00:45 (UTC)[返信]

「紫宸殿御本尊」は、日蓮大聖人の真筆であり、その名称は、富士宗学要集に「紫宸殿御本尊と伝承す」と記載されているもので、正式名称と認められます。一方、師資相承之御本尊は、その名称から御座替御本尊(日興上人筆)のことと推測されます。御座替御本尊は、富士宗学要集に「依て座替と号す日興より日目嫡々相承手続支証の大曼荼羅なり」とあり、これが師資相承之御本尊とよべるかと思いますが、しかし富士宗学要集には「日興上人筆座替大本尊」と記載されていますから、「座替大本尊」がより正式名称といえます。したがって、紫宸殿御本尊を師資相承之御本尊と呼ぶのは間違いと推測します。とりあえず「師資相承之御本尊」を削除しました。どうしても記載したいのであれば、出典を明記願います。Tetralemma 2006年1月15日 (日) 13:13 (UTC)[返信]

師子は師資の間違いであると指摘しているにも関わらず、またもや師子相承之御本尊などと、デタラメを書かれてしまいました。「師子」とは「獅子」のことであり、ライオンという意味です。師子相承などという言葉は、世の中に存在しない。Tetralemma 2006年1月17日 (火) 15:50 (UTC)[返信]

おそらく、「お座替り本尊」(客殿安置)と「身代わりご本尊」(御宝蔵安置)とを混同しているのでしょう。Tetralemma 2006年1月17日 (火) 15:50 (UTC)[返信]

 妄想癖逞しい御仁が、異常性格者のごとく揚げ足取りをこれ見よがしに宣伝したいようだが、所詮は本宗相伝に馴染めない門外漢のようである。  先ずは「後生」を恐れ、仏様に心からの「信」をおこすべきだと忠告しておこう。(2006年2月6日 (月) 08:11の版 大石寺信徒)偽署名--IP:220.110.79.17会話 / 投稿記録) --大石寺信徒 2006年7月9日 (日) 13:59 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんへ、あなたが素直に誤りを認めたようには見えないのですが?素直に認めたのではなく、こっそり直したのでしょう?しかもそれすら間違っている。「師資相承」すらも誤りで、正しくは「師資伝授」なのではありませんか?Tetralemma 2006年2月8日 (水) 03:34 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんへ、論破された覚えなどないないのだが、「戒壇大御本尊は日禅授与本尊を元に作られた」と発言しただけだ。そこでは「日顕が違うと言ったから違う」という子供レベルの反論が帰ってきただけだが?それで論破したつもり?Tetralemma 2006年2月8日 (水) 03:34 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんへ、BRタグは使うな。Bタグも使うな。敬称は使うな。他の宗派のリンクを消すな。Tetralemma 2006年2月8日 (水) 03:34 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんへ、「信仰」などというくだらない思い込みには興味がない。ここは事典であるから、敬称は省略するのがルールである。御住職は不可、住職と表記しなさい。ここのルールを守れない、お前は土足で踏みにじっているのと同じだ。それにオマエの書き込みを見れば、日蓮正宗法華講員って、何て口が悪いのだろうと、世界中に恥をさらすことになる。恥を知れ。Tetralemma 2006年2月7日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

信徒以外が使わないような、信仰や主張が背景にある敬語を使うな、特定の観点を宣伝する目的で強調タグを使うな、というのはwikipediaが、特定の宗教や信仰から中立な百科事典であるための原則です。そういうのがいやで、あなたの主義主張信仰からみて「正しい」記述をしたいならよそでやってください。正宗も含めた法華系の諸教団の内部での教義論争について、wikipediaがどれかの立場に左担すると言うことはありえないし、ありうべきでもありません。またここでのあなたのtetrarenmaさんへの攻撃・罵言は目に余ります。正宗の立場を書きたいなら、正宗の項目に、正宗はこういっている、こう考えているという書き方をすべきで、こうである、と書くべきではありません。教義論争的なことではなにが正しいか、どこが「正統」かなど私には興味はまるでありませんが、それとはまったく関係なく、あなたの編集・記述態度が、wikipediaの精神とルールに反していることは明確です。133.9.4.11 2006年2月9日 (木) 02:49 (UTC)[返信]

あわせて、Tetralemmaさんにも自制をお願いします。どちらさまも「売り言葉に買い言葉」に堕することなく、百科事典の内容充実に向けた議論をお願いします。「法華系の諸教団」以外の人々もこのページを注視していることをお忘れなく。--miya 2006年2月9日 (木) 03:32 (UTC)[返信]

 miyaさんの仰るとおりですね。それにしても最後まで議論のすり替えを行うとは姑息ですね。因みに「御法主上人のご指南ゆえにそれに従う」というのは日蓮正宗信徒のあるべき姿であり、それが出来なかったのは池田・浅井・そして大石寺信徒某のような退転者です。日蓮正宗の法主上人の内証は三大秘法の住処であり、久遠元初の御本仏の内証に等しいのですから。これに気づけない人が退転する、というのはパターンですね。あなたには熟脱仏の教えが必要なのでしょう。墓無し。大石寺信徒(UTC)偽署名--IP:220.110.79.17会話 / 投稿記録)--大石寺信徒 2006年7月9日 (日) 01:53 (UTC)[返信]

昭和の板本尊伝説[編集]

1945年(昭和20年)6月17日未明、富士大石寺の大書院から出火、またたくまに大坊と客殿を焼き尽くし時の法主(62世日恭)は焼死した。火災に対する責任をとるための覚悟の死といわれている。御隠尊猊下(61世日隆)は戦争から板本尊を守るため、以前住職を務めていた東京の某寺院の法華講員を呼び寄せた。 当時、創価教育学会は壊滅し何の役にも立たず、戸田城聖にも知らされない話だった。法華講員は八方手を尽くして1台の車を調達した。終戦間際という大変な時期に、車で来いというのだ。なぜ車か?それは重さ200kgはあろうかという板本尊を密かに運び出し、某寺院の境内に埋めて守るという計画だった。

日蓮正宗では9世日有の時代、すなわち1445年(文安2年)11月6日、紫宸殿本尊を模刻し板本尊の身代わりとして、板本尊を大石寺から別の場所に移して守ったという伝統があり、計画そのものは何の障害も無く実行された。宗務院の重役の中でも、極一部の者しか知らないこの計画は、秘密裏に実行されおよそ1年間、秘密は保たれた。

1945年(昭和20年)、当時はアメリカ軍が富士山を目指して上陸してくるという噂が飛び交っていたこともあり富士方面は危機感を募らせていた。一方、東京の下町は1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲以降は、もう目立った目標物もなく空襲も止んで、かえって安全と思われていた。そして何より、某寺院の法華講の結束力を御隠尊猊下が信頼していたため、板本尊を彼らに託したのである。

早朝、東京を出発した法華講員が富士大石寺についたのは深夜だった。御宝蔵の前では、御隠尊猊下がずっと唱題を続け、彼らが来るのを待っていた。彼らは休む暇も無く密かに板本尊を運び出すと、布団に包んで大事に車に積み込んだ。翌朝、彼らは焼けた客殿の後片付けを手伝った。東京から人が来れば、すわ何事かと地元の人々に騒がれる可能性があったが、焼けた客殿の後片付けであると説明すれば、地元の人々も不審には思わなかった。焼けた木材は車に積まれ板本尊の上を覆い隠し、さらには東京へ帰るための燃料にもなったのだった。

それから約半年後、次期法主(63世日満)が決定すると、ふたたび秘密裏に板本尊を本山に戻すことになった。しかし、ここで思わぬ事態が勃発する。某寺院の境内に埋めて置いた板本尊(楠の半丸太)の下部が、なんと腐ってしまって3分の1以上が脱落してしまったのだ。1946年(昭和21年)のことである。戦争のため物資が乏しい中、なんとか油紙で包んで大事に土に埋めて置いたのだが、埋めた場所が隅田川の近くであり、水分を多く含んだ土壌だったために、わずか半年という短い期間で腐ってしまったのだ。上野の赤沢朝陽の社長は大変な苦労して、およそ半年の歳月を掛けて板本尊の復元を行った。彼は一級の技術を持つ本物の佛師だった。復元に当たっては、当時法道院にあった1280年(弘安3年)5月6日所顕の日禅授与本尊、および1911年(明治44年)1月10日、報知社より出版された熊田葦城著『日蓮上人』という本に掲載された戒壇の大御本尊の写真が使用された。この写真は第二次大戦中にお守りとして、多くの法華講員が所持していた。こうして1946年(昭和21年)に復元された戒壇の大御本尊は、もちろん1279年(弘安2年)の板本尊と呼ぶことは出来ない。

しかし、この伝説は、板本尊を誹謗するための作り話ではない。ゆがんだ信仰心を持っている人間には、到底理解不能であろうが、某寺院の古参の講員は、この話をして法華講の心構えを若い講員に指導をしている。すなわち、板本尊が「日蓮の真筆でなければならない」という思想は、そもそも「物信仰」であり、信仰の筋目が狂ったもののコダワリでしかないのだ。大事なことは正しい法が刻まれた大御本尊を、ずっと守り伝えてきたということだ。誰でも作れるビニール製のニセ本尊とは、根本的に異なるのである。Tetralemma 2006年4月8日 (土) 00:41 (UTC)[返信]

師資相承(伝授)之御本尊(かつて紫宸殿御本尊と称した)について[編集]

2006年2月6日  過去、如何様な経緯があろうとも、日顕上人が伝承の間違いであるとご指南あって以降、日蓮正宗では「師資相承之御本尊」と称することで決定している。茨城県某寺院安置の写しについても、「妙教」誌で過去の伝承のままキャプションをつけ、次号で訂正したということもあった  揚げ足とりをしたり、わけのわからない想像を逞しくするのは自由だが、御法主上人が決判した以上、それに従うのが本宗では当然のことである。  本宗の信徒であるなら、指導教師御住職に問い尋ね、いい加減に己の未熟に気づくべきである。  他家の信者なら干渉は無用に願いたい。  天母山戒壇説にしても、大坊棟札本尊の裏書にしても、御法主上人が「その説を取らず」と決められた以上は、詮索は一切無用である。

 浅井一派のごとき執拗さには呆れてしまう。(2006年2月6日 (月) 08:06の版 大石寺信徒)偽署名--IP:220.110.79.17会話 / 投稿記録) --大石寺信徒 2006年7月9日 (日) 13:59 (UTC)[返信]

 日蓮正宗の信者ではないものが、当山の宝物に言いがかりをつけるのはおやめ願いたい。  かくも執拗にいうのなら日蓮正宗宗務院に電話をして自分で確認せよ。  このような場合、一般に民事訴訟でも立証責任は疑義を立てた人間に存する。  常識をもって論じたまえ、学会退転者君 (2006年2月7日 (火) 00:22 大石寺信徒)偽署名--IP:220.110.79.17会話 / 投稿記録) --大石寺信徒 2006年7月9日 (日) 13:59 (UTC)[返信]

横から失礼します。ノートでの議論には、チルダ4つ「~~~~」での署名をお願いします。失礼ながら220.110.79.17さんの署名を分かる範囲で付記させて頂きました。--miya 2006年2月7日 (火) 06:06 (UTC)[返信]
百科事典ウィキペディアの方針に合わない敬称や敬語が散見されましたので、省略させて頂きました。ご了承ください。--miya 2006年2月7日 (火) 08:27 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんは大きな勘違いをされていますな。「紫宸殿御本尊」にケチなど付ける理由が無いし、事実、ケチなど付けていませんよ。歴史ある、「紫宸殿御本尊」という名称が、伝承の間違いであるとしても、数百年もの間、「紫宸殿御本尊」と伝承されてきたのだから、何の説明も無しに削除するのではなく、出典を示しなさい、といっているだけです。出典さえ示せば、何も問題はないのですよ。ここのルールに従いなさい。Tetralemma 2006年2月7日 (火) 13:39 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんは、何か学会退転者という言葉を、人を卑下するために使用されているようですが、日蓮正宗法華講員の80%以上は、学会退転者ですね。あなたは天にツバしているのではありませんか?Tetralemma 2006年2月8日 (水) 03:27 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんは「師資相承之御本尊と称することで決定している」といいますが、それも間違いで、ただしくは「師資伝授の御本尊」ではありませんか?Tetralemma 2006年2月8日 (水) 03:27 (UTC)[返信]

220.110.79.17さんへ、それで出典は何ですか?知らないなら知らないといいなさい。ただ、他人から聞いた受け売りだといいなさい。Tetralemma 2006年2月8日 (水) 03:37 (UTC)[返信]

困ったもんですな

>伝承の間違いであるとしても、数百年もの間、「紫宸殿御本尊」と伝承されてきたのだから、何の説明も無しに削除するのではなく、出典を示しなさい、といっているだけです。

 大石寺の宝物なのですから、門外漢の貴方が口を挟む筋合いはありませんね。それでも、「どうしても」というのなら、日蓮正宗宗務院にお問い合わせになればいいではありませんか。 --以上の署名のないコメントは、220.110.79.17会話/Whois)さんが 2006年2月8日 (水) 06:40(UTC) に投稿したものです。


ここは事典ですから勿体などつけず、出典を示せばそれですむことでは?Tetralemma 2006年2月17日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

>師資相承之御本尊と称することで決定している」といいますが、それも間違いで、ただしくは「師資伝授の御本尊」ではありませんか?

 おやおや、タイトルがあんなに大きいのに、目に入らないのですね。「どちらともいう」が正解ですよ。--以上の署名のないコメントは、220.110.79.17会話/Whois)さんが 2006年2月8日 (水) 06:40(UTC) に投稿したものです。

どちらでも正解なら、なんで修正などするのでしょうかね?Tetralemma 2006年2月17日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

>何か学会退転者という言葉を、人を卑下するために使用されているようですが、日蓮正宗法華講員の80%以上は、学会退転者ですね。あなたは天にツバしているのではありませんか?

 前後の見境がないというか、どうやらご自分に都合よく物事を解釈すること以外できないようですね。  法華講にいるのは「学会退転者」ではなくて、「学会脱会者」「学会脱出者」ですよ。晴れて純粋なる正法に帰依されている方をさして「学会退転者」などと呆けたことを言うつもりは全くないですね。  習い損いのS・Dの口真似で御戒壇様を誹謗していると、必ず後悔しますよ。  あなたのいう日禅授与本尊と御戒壇様の首題はどうやってみても別物。重ねてもずれているだけ。自ら写真を公開しているS・Dといい、貴方といい、乱視の検査をお受けになったらどうですかね(笑)。--以上の署名のないコメントは、220.110.79.17会話/Whois)さんが 2006年2月8日 (水) 06:40(UTC) に投稿したものです。

それなら、わたしは「法華講脱出者」ですね。Tetralemma 2006年2月17日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

>「それで出典は何ですか?知らないなら知らないといいなさい。ただ、他人から聞いた受け売りだといいなさい。

 またまた上段からご冗談を(大笑)。貴方のために調べる時間を浪費するつもりなど毛頭ございません。「狂人走って不狂人走る」のような愚行は致しません。丁寧に「日蓮正宗宗務院にお尋ねになったらいかがですか」と言っているのですよ。何もかも自分の我がまま勝手を仰らずに、人の親切は素直にきくものです。

「大石寺信徒 220.110.79.17偽署名--IP:220.110.79.17会話 / 投稿記録 --大石寺信徒 2006年7月9日 (日) 13:59 (UTC)[返信]

歴史ある、「紫宸殿御本尊」という名称が、伝承の間違いであるとしても、数百年もの間、「紫宸殿御本尊」と伝承されてきたのだから、何の説明も無しに削除するのではなく、出典を示しなさい、といっているだけです。出典さえ示せば、何も問題はないのですよ。<という問いには答えないのですか?Tetralemma 2006年4月22日 (土) 13:08 (UTC)[返信]

「お会式」という項目の分割議論[編集]

現在、お会式という項目の内、日蓮正宗に関する部分をお会式 (日蓮正宗)に分割する事に就いて現在ノート:お会式で議論中です。皆様のご意見をお待ちしております。尚、ノートへの投稿に際しては日蓮正宗に就いてシンパ(擁護)、アンチ(反対)、ミドル(中立)の立場を明確にしてください。Mikomaid 2006年6月2日 (金) 11:22 (UTC)[返信]

中立性の問題について[編集]

  • はじめまして。本文を一読してみると、大石寺さんの宣伝のページのようになっています。少なくとも、中立的でない表現は削除すべきではないかと思います。また、宝物や堂宇の一覧は、大石寺の出版物やWebsiteなど出典を明記すべきと考えます。その他の説明文も文章が長いのに、脚注がないというのは、違和感を感じます。--Mipolin 2009年2月8日 (日) 15:22 (UTC)[返信]
  • 初めまして「そるじあ」といいます。私も、そう感じました。〈真筆本尊〉の項目に「万年救護本尊」が挙げられていますが、「真筆は保田妙本寺」にある旨が記されているのは、矛盾だと思います。--そるじあ 2009年2月9日 (月) 16:11 (UTC)[返信]

万年救護本尊[編集]

  • 上記、「中立性の問題」のところでも話題になっていますが、「そるじあ」さんの言われる通り、万年救護本尊が「日蓮真筆」のところに記されているのは、おかしいですね。「御影堂安置の常住板御本尊(年月日不明、日蓮真筆の本尊を模刻)」というのが、その他の本尊にあるのに、万年救護本尊が「真筆」に分類されるのは、客観的に見て理解に苦しみます。「板本尊」というのは、日蓮本人が自ら板に彫り付けたものでない限り「真蹟」に分類することは難しいと思われます。「真蹟が他の寺にあっても、大石寺にある万年救護本尊も真蹟だ」というのは、あり得ない議論です。私は修正させて頂きましたが異論あれば、この場で御意見を賜りたい。--グラント 2009年2月10日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

「帰一」は百科事典にふさわしくない用語[編集]

1900年の日蓮宗富士派(のちの日蓮正宗)の設立に参加しなかった富士門流の寺院が、のちになって日蓮正宗に合流したり参加することを、「帰一」と称するのは、百科事典にふさわしくない用語とおもわれるので、改めるべき。--Dalaibaatur 2010年8月14日 (土) 16:57 (UTC)[返信]