ノート:大乗仏教

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無名の節[編集]

確かに大乗の経典にはその由来がはっきりしないものが多くありますがこれをもって偽造の「実証」とするのはいかがなものでしょうか。「大乗の経典には文献学的にみてその由来が疑われるものが多く存在する。よって大乗の経典は釈迦に由来しない多くの経典を方便のために創作したとして上座部仏教側からは大乗非仏説という批判の声も上がった。」とするのが中立的観点による記述ではないでしょうか。Vapour

南伝の三蔵の「経」でも文献学的にみればその全てが釈迦の由来とはとても主張できるものではないと聞いています。Vapour

提案[編集]

無出典の箇所を削除する提案[編集]

提案 現状、大乗仏教#概要の最後の段落(自分の解脱よりも〜創りだしていった の部分)と、大乗仏教#発展の諸相の第一段落と、大乗仏教#伝播は無出典ですので、削除してはどうでしょうか。--Leonidjp会話) 2017年5月12日 (金) 09:27 (UTC)

コメント 私は問題ないと思います。が、一応、本ページでもテンプレートで告知しておくべきだと思います。リバート合戦になると面倒なので。--Ryo 625会話) 2017年5月12日 (金) 10:22 (UTC)

2017/08/07[編集]

下記の記述が導入部の第二文として載っていますが、これはその位置に載せるほどの重要性がありますでしょうか。大乗仏教#概要節の中に移すくらいでもよろしくはないでしょうか。

パーリ[[上座部]]の文献や[[スリランカ]]の史書に出てくる'''[[方等経|方等]]部'''(ほうとうぶ)あるいは'''方広部'''(ほうこうぶ、{{lang-pi-short|Vetulla, Vetullavādin, Vetulyaka}}{{refnest|name="水野パーリ辞典"|{{lang|pi|Vetulla}}:m. 方等部, 方広部, 大乗仏教. {{lang|pi|-pițaka}} 方広説の三藏, 大乗経. {{lang|pi|-vādin}} 方等部, 大乗説者. (水野弘元「増補改訂 パーリ語辞典」 p.302)}}, {{lang-sa-short|Vaitulyavādin, Vaitulika}})という言葉は大乗を指していたと推定される<ref>馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、145頁、152頁、157頁、167頁・註(20)、169頁・註(44)、170頁・註(61)。</ref>{{refnest|[http://www.wisdomlib.org/definition/vetullavada Vetullavada - Wisdom Library]}}{{refnest|[[平川彰]]は Vetullavāda を方広派、Vetulyaka を方広部と翻訳している<ref>平川彰 『インド仏教史 上』 春秋社、新版2011年(初版1974年)、170頁、322頁。</ref>。[[パーリ語]] vetulla はパーリ語文献では異端という否定的意味で用いられたが、これは九分経のひとつである vedalla (広破)が変化したものと推測され、これに対応する[[サンスクリット]]の vaipulya (方広)、vaidalya (広破)、vaitulya (無比)は大乗側では自称として用いられたものである<ref>馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、167頁・註(20)、169頁・註(44)。</ref>。cf. [http://www.saisyo.org/EnTyYu/eh3.php 付録3 「大乗」のニュアンス─世親、親鸞に通づるもの - 真宗大谷派 西照寺]}}。 

7日以内に反対意見がなければ大乗仏教#概要節に移したいと思います。 --Leonidjp会話) 2017年8月7日 (月) 00:50 (UTC)

報告 上述の提案から七日経ちましたが反対意見は寄せられませんでしたので、この記述は提案どおり概要節に移します。概要節への移動後の扱いに何か不適切な点などありましたら御指摘ください。--Leonidjp会話) 2017年8月14日 (月) 23:32 (UTC)

中村元の出典記述の独自研究について[編集]

≫この部分の注釈に書かれている「第三章さらに五つの経 第五節17の註」というのは、中村元訳『ブッダ 悪魔との対話』岩波文庫のp.327の一行だが、そこには部派仏教における釈迦の修法過程に関する記述は全く無いし、小乗、大乗、部派、釈迦などの語も無い。この一文は明らかに独自研究。

こんにちは。毎度です。中村元は同章で、菩提樹下から7年を経てなお、釈迦が神々や悪魔と対話したことの問題提起とも注意喚起とも言える註記を行っているので、何ら独自研究には当たりません。問題は波羅蜜の原義語がいつから「一般化」したかで、中村は他出典の「パウッダ」で「大智度論」などの智度にそれをみているようだが不明なことは確か。とりあえず、出典無効は解除しました。--118.83.188.9 2017年5月13日 (土) 17:38 (UTC)
報告 IP利用者による上述の説明は、同氏によるこの編集の理由を説明したものです。--Leonidjp会話) 2017年5月13日 (土) 21:13 (UTC)
>>中村元は同章で、菩提樹下から7年を経てなお、釈迦が神々や悪魔と対話したことの問題提起とも注意喚起とも言える註記を行っている
コメント 出典に照らして誤り。同章つまり『ブッダ 悪魔との対話』43-63頁には「菩提樹下から7年」という情報は載っていない。第四節(53頁)に「悪魔・悪しき者は、七年のあいだ尊師につきまとって」とあるだけ。
コメント IP利用者がこの編集で書き込んだ「激流」に関する注というのは、同書第Ⅳ編 第三章 第五節に対して付けられた注(61頁と327頁という対応関係)。上記53頁とこの注は、本文と注という直接の対応関係にない。--Leonidjp会話) 2017年5月13日 (土) 21:54 (UTC)

問題点の指摘[編集]

2017/06/01[編集]

報告 IP利用者による今日のこの編集 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=大乗仏教&diff=next&oldid=64299417 で、「特に般若波羅蜜や智度が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説された」という文意が出来てしまいましたが、この部分の出典たる中村・三枝の『バウッダ』当該ページには「智度」という文言は無いことを報告しておきます。つまり出典に書いていないことを勝手に混ぜているわけです。--Leonidjp会話) 2017年6月1日 (木) 04:09 (UTC)

以前の出典ページの次のページにわたっていたので、1ページ加えた。--118.83.132.63 2017年6月1日 (木) 05:33 (UTC)
たとえ1ページ増やしても、「○○が重要な用語として位置づけられた」という『バウッダ』当該ページの文言が示す対象に智度は入っていないはずだろうに。なぜならその文言は337-338ページに在るのであって、そのページでその文は終わっているのだから。その文の後で出てくる智度を、なぜそこに含めるのか。--Leonidjp会話) 2017年6月1日 (木) 05:51 (UTC)
>『バウッダ』当該ページの文言が示す対象に智度は入っていないはずだろうに。
入っているのである。中村は智度は(十波羅蜜の第十の智波羅蜜ではなく)般若波羅蜜と同じく「プラジュニャー・パーラミータ」の訳であるとして重視している。「中(観)」と同様、女性名詞化による客体(客観化)表現という方向の論術に持っていくようで持っていかないかわりに、漢訳の「波羅蜜」は原意に忠実でないとして、以下ハラミツとカナ書きを始めている。--118.83.132.63 2017年6月1日 (木) 08:37 (UTC)
コメントIPユーザー氏が般若波羅蜜と智度を分けて使うのはなぜですか? https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=大乗仏教&diff=next&oldid=64299417
大辞林 第三版の解説」には「智度」とは六度の一。智慧ちえのこと。 → 六波羅蜜とあり、六波羅蜜の解説にも布施・持戒・忍辱にんにく・精進・禅定ぜんじよう・智慧(般若はんにや)の各波羅蜜。六度。とあります。大辞林 第三版によれば六波羅蜜と六度は同じ事柄を指し、「六度の一。智慧ちえのこと」、「智慧(般若はんにや)」とあるように般若波羅蜜と智度はイコールです。般若波羅蜜や智度とされるのは、何か特別な意図がおありでしょうか。
漢訳の「波羅蜜」は原意に忠実でないとして
原意も何も「波羅蜜」は「パーラミター」の音写語ですから、元の言葉にない意味を付け加えることはできません。「智度」が(意味を翻訳した)漢訳語です。-Ryo 625会話) 2017年6月1日 (木) 15:41 (UTC)
>般若波羅蜜と智度を分けて使うのはなぜですか?
出典が分けているからです。
>原意も何も「波羅蜜」は「パーラミター」の音写語ですから
意訳も含まれる漢訳でしょう。ただ、中村元は「波羅蜜」がさらに「到彼岸」「度彼岸」などに意訳されたことに不満があったようです。フランス語などでは今でも女性名詞が客体(客観化)表現になることがあるようで、仏教ではこの主体・客体表現が重要なはずですが、中村はそこには突っ込まず智度との訳の隔たりを理由にハラミツとカナ書きしていますが、では静慮波羅蜜は○度というのかとかは書いていません。Leonidjp は Leonidjp で「中観」のページで私が編集合戦にしなかったことに不満があったようです。漢訳で中"観"とされたのには、サンスクリットそのものにも理由があるといいたいのでしょう。その件についても、あいかわらず分かりにく荒らし編集をやっています。
で、Ryo 625は、Leonidjp のソックパペットでしょう?——以上の署名の無いコメントは、118.83.141.44ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2017年6月3日 (土) 16:26‎ (UTC) に投稿したものです(Ryo 625会話)による付記)。
コメント
出典が分けているからです。
そうですか。出典には違う概念であるという記述はあるのでしょうか?
意訳も含まれる漢訳でしょう。
どこに意訳が含まれるとお考えでしょうか?また、その出典はどこでしょう。
で、Ryo 625は、Leonidjp のソックパペットでしょう?
違いますが、なぜそう思われたのでしょう?もし自分の編集について逐一、文句を言ってくる、タイミングが近いと思われたのでしたら、理由はこうです。私はログインユーザーですので、ウォッチリスト大乗仏教の項目を入れています。なので、ここが編集されるたびに、その情報を知ることができます。また、あなたの編集に一次資料を多用した問題点が多いと感じているため特にチェックしているからです。--Ryo 625会話) 2017年6月3日 (土) 17:06 (UTC)
>そうですか。出典には違う概念であるという記述はあるのでしょうか?
その辺はうやむやかもしれません。ウィキの記述はただ並列させただけです。仏教をある程度知っている人でも意外にトリビアかもしれません。
>どこに意訳が含まれるとお考えでしょうか?また、その出典はどこでしょう。
ニュアンスとしては上手いかなと。リベラルアーツ的な観点です。ノートでは独自研究は問われません。
>違いますが、なぜそう思われたのでしょう?
署名を忘れると補うところとか似ています。--118.83.141.44 2017年6月3日 (土) 17:26 (UTC)
>>署名を忘れると補うところとか似ています。
コメント 私がRyo 625さんのソックパペットではないことは明言しておきます。IP利用者氏の編集の問題点に注目する理由および反応が早いことの理由はRyo 625さんと同じですが。
問題の出典『バウッダ』は近所の図書館で借りれますので近日中に実物を確認できますから、IP利用者氏はこの本の読解を発表するのでしたらそのつもりで発表してください。--Leonidjp会話) 2017年6月3日 (土) 22:23 (UTC)

インデント戻します。
『バウッダ』を出典として用いているIP利用者氏に、同書に関して質問します。
IP利用者氏が当ノートに発表している下記2点の読解は、同書の何ページの何行目から何行目までの内容をもとにした読解ですか。始点と終点の文言も引用して位置を明示してください。もし明示できないなら「できない」と明言してください。

  1. 中村は智度は(十波羅蜜の第十の智波羅蜜ではなく)般若波羅蜜と同じく「プラジュニャー・パーラミータ」の訳であるとして重視している。
  2. (般若波羅蜜と智度を分けて使うのはなぜですか?という質問に対する応答として):出典が分けているからです。

以上。--Leonidjp会話) 2017年6月3日 (土) 23:16 (UTC)

コメント 横から失礼します。中村・三枝『バウッダ』339頁では、三枝氏(目次によれば執筆者は三枝氏)が、「智度」が「プラジュニャー・パーラミター」の訳であることに着目していますが、特にそれを重視しているという印象は受けないですね。その前の頁から三枝氏は、パーラミターの原意は「完成」なのに中国では「彼岸に到る、度(わた)る」と解釈されて「到彼岸」とか「度」と漢訳されたということを述べていますから、文の脈絡からして、「智度」に言及しているのはパーラミターが「度」と訳された一例としてではないかと思います。そして、中国の仏教徒には似非語源学的なこじつけである「到彼岸」という訳語によってパーラミターが理解されたという事情があるけれども、パーラミターが「完成」か「到彼岸」かという問題はいったん棚上げにして、玄奘が「波羅蜜多」と音写したように以下「ハラミツ」と仮名書きすることにする、と述べています。なので般若波羅蜜の原語「プラジュニャー・パーラミター」と「智度」という漢訳とでは理解に差があることが示唆されているけれども、般若波羅蜜も智度も同じ語の訳語であることを明示してもいるのですから、まったく別の概念として扱っているわけでもなさそうです。それ以外には同書351頁の維摩経の引用に「智度(般若ハラミツの訳)は〜」とありますが、これは原典が智度になっているからそうなっているのだと思われます。
なお、わたしが所持している『バウッダ』は小学館ライブラリー版です。現在入手しやすいと思われる講談社学術文庫版はページ数が異なるかもしれません。--Doomreaper会話) 2017年6月5日 (月) 02:27 (UTC)
ありがとうございます。そうしますと、現状の大乗仏教に載っているこの「特に般若波羅蜜や智度が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説された」という部分に智度を敢えて付け加えておく必要があるとは言えないということになりますでしょうか。--Leonidjp会話) 2017年6月5日 (月) 05:09 (UTC)
コメント そうなりますね。智度を活かすなら”般若波羅蜜(智度)”とすれば問題ないと思います。岩波文庫『般若心経 金剛般若経』の註の「般若波羅蜜多」の解説に『漢訳では「智度」と訳している』とあります(同書17頁)。それから、『バウッダ』338頁の”……「大乗」(摩訶衍)の説かれる場面では、般若波羅蜜、空の思想、菩薩の在り方の三つが、最も重要であり、……”という一文が、記事の「大乗仏教では特に般若波羅蜜や智度が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説された」の箇所の端的なソースかと思います。この『バウッダ』の一文は、明記されていませんが論旨としては般若経典において大乗が説かれる場面について述べたものではないでしょうか。般若経の思想は大乗仏教の根幹となるものでしょうから、「大乗仏教では……」としても大過ないとは思いますが、いちおう指摘しておきます。--Doomreaper会話) 2017年6月5日 (月) 21:47 (UTC)
ありがとうございます。Doomreaperさんのご指摘の点、私もこの本で近日中に確認してみます。--Leonidjp会話) 2017年6月5日 (月) 22:34 (UTC)
報告 この「智度」の問題は、IP利用者自身の編集により解決済みとみてよさそうです(参照)--Leonidjp会話) 2017年8月4日 (金) 11:24 (UTC)

2017/06/09[編集]

大乗仏教#概要の第一段落の末尾にこのような脚注があるのですが、

{{efn|{{lang-pi|mahā jāna}}。ただし、[[アルダマーガディー語]]に近縁する[[プラークリット]]であるパーリ語で記された[[パーリ語仏典]]では mahā jāna はもっぱら「大衆」という意味に訳される{{refnest|name="村上パーリ"|『パーリ仏教辞典』 村上真完, 及川真介著 (春秋社)1487頁。}}。}}。

この出典となっている『パーリ仏教辞典』1487頁を見ますと、mahā jānaの部分の綴りはāでなくaを用いたmaha janaとなっていますが、これは問題ないのでしょうか。

また、上述の脚注には「パーリ語仏典ではもっぱら大衆という意味に訳される」と書いてありますが、その旨の記述はこの1487頁にありませんでした。maha janaの語義としては「大勢の人々(大衆)」と書いてあるだけです。1487頁ではその後に用例の提示が続いているようですが、「もっぱら○○である」というように全体的な傾向を述べた解説はありませんし、用例の翻訳を示した文ではmaha janaが日本語に訳されてません。--Leonidjp会話) 2017年6月9日 (金) 07:37 (UTC)
辞典名修正。なお、私が参照したのはこの辞典の2009年の版です。--Leonidjp会話) 2017年6月9日 (金) 07:40 (UTC)

中村元 『広説佛教語大辞典』 東京書籍では mahā jāna となっていたので、それをコピペしてしまったようで、訂正した。『パーリ仏教辞典』 春秋社 1487頁の mahā jana の用例の中には、比喩ととれば大乗と解釈できないこともないものがあって、なかなか意味深いものがあります。確か宇井伯寿とかが、大乗の起源は経量部だとしきりに喧伝したみたいですが年代的に合致せず、もっと前の大衆部とする説があるようなので、基礎研究的には面白いかもしれない。私はリベラルアーツなので興味ありませんが。--118.83.141.75 2017年6月9日 (金) 17:28 (UTC)
あなたのその訂正後もmahā janaとなっていてāが1個残ってますが、これは正しいのですか綴りとして(その辞典を出典とした場合に)。それから、「もっぱら○○と訳される」という文意は上述のとおり出典ありませんから、修正しときます。--Leonidjp会話) 2017年6月9日 (金) 23:09 (UTC)
IP利用者氏へ:利用者‐会話:118.83.156.70#質問2に回答してもらえます?--Leonidjp会話) 2017年6月9日 (金) 23:28 (UTC)

2018-12-03 08:45 UTC での加筆内容について[編集]

伝播」セクションの第1文「紀元前3世紀〔略〕まで達した」は、出典の1頁の文面に似ています。若干の改変を加えられてはいますが、実質的にほとんど転載ではないでしょうか。加筆された方が著者ご自身ならば、「Wikipedia:自著作物の持ち込み」に従って、それを証明しなければなりません。そうでないならば、転載にならぬよう工夫する必要があります。「Wikipedia:原典のコピーはしない」にあるように、出典の情報に基づいて自分で新たに文章を書き起こすのがよろしいかと思います。

また、「西北インドや西域諸国では上座部仏教も盛んで」とありますが、出典では「上座部仏教」ではなく「小乗」です。これは小乗が貶称であることからの配慮による言い換えかもしれませんが、小乗を上座部仏教と言い換えできるかどうかはケースバイケースで、この場合はあまり適切でないように思います。上座部仏教というと一般には(狭義には)スリランカなどの南方諸国に広まった「上座部大寺派」(馬場紀寿氏が用いている表現)を指します。一方、西北インドでは、それとは別系統の部派である説一切有部が有力であった、というのが定説になっています。じっさい、説一切有部の漢訳文献に対して仏教学では「北伝部派」という言い方をすることがあるようです。説一切有部は、上座部大衆部以外の諸部派の総称であったという広義の意味においては上座部仏教の一部であるかもしれませんが、西北インドでは上座部仏教が盛んだったという表現は誤解を招くおそれがあります。この場合、「部派仏教」あたりが無難な言い換えかと存じます。--Doomreaper会話) 2018年12月5日 (水) 14:56 (UTC)

コメント 当該編集の執筆者の利用者:Isebitoさんには伝わっていないかもしれないですね(これで伝わったでしょうか)。--Leonidjp会話) 2018年12月6日 (木) 03:54 (UTC)
コメントDoomreaperさん、ご指摘ありがとうございます。それを踏まえて修正しましたが、こんな感じで大丈夫でしょうか。ご確認いただきたく思います。Isebito会話) 2018年12月6日 (木) 11:47 (UTC)
返信 ありがとうございます。文の流れは変わっていませんが、文面の一致点は減ったと思います。ただ、(1)「アショカ王によって〔仏教がインド〕全土に広められた」(太字強調は引用者による)ということでいいのか、(2)歴史的には、アショカ王の時代に大乗仏教はなかったはずなので、「大乗仏教の伝播」についての記述においてアショカ王に言及するのであれば、そのへんをもう少し詳しく書いたほうがいいのでは、以上の2点が気になります。--Doomreaper会話) 2018年12月6日 (木) 22:51 (UTC)
返信 お忙しいところご意見を下さり、ありがとうございます。(1)については出典を尊重するしかないと思いました。確かに具体的にどの程度広まったかは不明ながらも、そうした動きが、仏教の外への伝播につながったと少なくとも著者は考えているわけですので、ここはそのままというわけにはいかないでしょうか。ただ、もしこの点について、学会で議論があるのであれば、考慮しなければならないと思います。表現を変えるのであれば「各地」あたりでしょうか。(2)については、後の方に「北伝仏教は大乗仏教と同義ではなく~」との記述がありますから、ここでの「仏教」はあくまで特定の宗派ではなく「仏教一般」を指していると分かるのではないかと思いましたが、やはり厳しいでしょうか。Isebito会話) 2018年12月7日 (金) 02:23 (UTC)
コメント わたしの説明不足のためにIsebitoさんにいらぬ誤解をさせてしまったようです。申しわけありません。わたしが気になったのは、「アショカ王によって〔仏教がインド〕全土に広められた」ということは、アショーカ王が主体的にインドに仏教を広めたようにも読める、ということです。
Isebitoさんの使った出典ですと、アショーカ王が仏教を宣布したかのように読めますが、アショーカ王碑文からアショーカ王が各地に宣布したことが明らかになっているのは、法(ダルマ)による政治です。そしてアショーカ王は仏教に帰依していたので、それは仏教に由来する法であった(平川彰『インド仏教史 上』136頁)、というのが一般的な理解になるように思います。アショーカ王が仏教教団と密接な関係をもっていたことは確実視されています(朝倉書店『仏教の事典』76頁)が、後援したのは仏教教団だけでなく、バラモン教やジャイナ教も庇護した(馬場紀寿『初期仏教』44頁)とされています。アショーカ王は仏教が広まる機縁となるような政策をとったとは言えるけれども、わたしの見た範囲では、アショーカ王が仏教を主体的に広めたという史実があったとする資料はなかったように思います。
結論として、「アショーカ王によって」という部分は抜かしたほうが無難ではないだろうか、それで出典と齟齬を来すわけではないし、というのがわたしの意見です--Doomreaper会話) 2018年12月8日 (土) 01:33 (UTC)。
返信 ご意見を下さり、ありがとうございます。Doomreaperさんの指摘を踏まえて、修正しました。勉強になりました。Isebito会話) 2018年12月8日 (土) 04:19 (UTC)
返信 修正を確認しました。編集お疲れさまでした。意見を容れていただきありがとうございます。また、コメントを下さったLeonidjpさんにも感謝します。--Doomreaper会話) 2018年12月9日 (日) 00:27 (UTC)
返信 意見をうかがいたいのですが、もう少しお付き合いしていただいてよろしいでしょうか。すみません。アショカ王について興味が出てちょっと調べてみたのですが、英文の文献(Peter Harvey, An introduction to Buddhism : teachings, history, and practices, Cambridge: Cambridge University Press, 2012, p.100-103.)で、アショカ王の時代にインド亜大陸のほぼ全土に仏教が広がり、さらにインドを越えていったという記述がありました。アショカ王はバラモン教やジャイナ教も保護したものの、仏教に中心的な地位を与え、仏教の宣教団の活動もかなり活発化したとのことでした。ただ、 Doomreaperさんのご指摘にも通じますが、そうした宣教団はアショカ王自身が直接的に組織し、各地に派遣したとまでは明記していませんでした。そこで「アショカ王によって」とまでは書けないものの、「インドを初めて統一したアショカ王の時代に、全土に広がった仏教は」となら書けるのではないかと思いました。いかがでしょうか。Isebito会話) 2018年12月9日 (日) 09:35 (UTC)

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 いいと思います。古めの文献ですが、三枝充悳『インド仏教思想史』(講談社学術文庫、2013年、原著1975年)から引用しますと、「アショーカ王はみずから仏教に帰依したために、仏教は一躍全インドにひろがった」(同書97頁)とのことです。宮元啓一『わかる仏教史』(角川ソフィア文庫、2017年、原著2001年)は、仏教は初期にはガンジス河の西方にはなかなか伝わらず、インド北西方面にはアショーカ王の時代になってから広まったとしています(同書92頁)。いくつかの資料の情報を総合しますと、「インド初の統一国家となったマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王の時代、その保護の下でインド全域に広がった仏教は」というふうに書けると思います。--Doomreaper会話) 2018年12月10日 (月) 12:48 (UTC)

返信 ご意見を踏まえ、修正しました。度々、お手間を取らせ、申し訳ありませんでした。Isebito会話) 2018年12月11日 (火) 00:03 (UTC)
返信 いえいえ、こちらこそ。ついでに仏教の記事でアショーカ王についてどう書かれているだろうかと思って読んでみますと、アショーカ王が各地に伝道師を派遣したと書かれていて出典がないので、こちらの手持ちの資料を使って編集しておきました。--Doomreaper会話) 2018年12月11日 (火) 14:33 (UTC)