ノート:国鉄205系電車

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見出しについて[編集]

「仙台の仙石線」ですが、仙台市発着の・・・が良いのか?、宮城県を走る・・・なのか、一考の余地はあるのでは?Adacom 05:10 2003年9月22日 (UTC)

京浜東北線にいましたっけ?即座に209系に追い出されたはずなのですが。ここに書いてあるのは誤解の元だと思います。あおねこ 06:51 2003年12月9日 (UTC)

つじつまあわせはしたんですが、よく考えたら京葉線からの延長運転で千葉ローカルに関してどうするんだろう・・・という疑問がまた・・・

土曜休日に横須賀線を走る横浜線205系はれっきとした定期列車なんですが…

とりあえず章立てしました。いかがなものでしょうか?220.144.133.115 14:35 2004年3月2日 (UTC)

この記事で個々の路線について詳しくふれるのはいかがかと思うのですが。プロジェクトの方にでも提案します。216.136.2.253 2005年8月28日 (日) 08:07 (UTC)[返信]

ちと、反論をば。鉄道車両というものは、投入された鉄道路線で使われてナンボのものです。当然、路線の事情というものは、その路線ごとに異なってますので、それに応じたカスタマイズ(編成両数、MT比、保安装置などなど)が行なわれます。近年の山手線205系の転用でもわかるように、走行する路線が異なるだけで、それに応じて相当な改造が行なわれてますよね。このように、各路線に投入された車輌にどのようなカスタマイズが行なわれたかについては、番号の変更の有無にかかわらず、非常に有益な情報ではないでしょうか。というより、それを書かずして何を書くんだという感じですが・・・--Kone 2005年8月28日 (日) 10:14 (UTC)[返信]
Koneさんの言う通りだと思います。山手線から他線区の転用のために、運転台を新設したり、これまで無かったクロスシートやトイレを付けたり、インバーター制御になった車両もあります。これらは各線区の事情であります。これらの変化を触れるのに個々の路線を触れる必要がありますし、重要だと思います。--Taisyo 2005年8月28日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
まず、手短な反論から。トイレを付けたり、インバーター制御になったと言う2点ですが、これについては番号が変更されています。
続いて、細部を見直してみたいと思います。
両数に関しては、各路線に応じた項目ですので、路線の記事の方に記載する方が適切だと思います。
改造に関しては、番号を変えるモノに関しては、何番に変更したモノはどう変わったと、投入線区について書けば十分ではないでしょうか。同じ番号で線区向けに際があるのならそこは明記しなければならないと思いますが216.136.2.253 2005年8月28日 (日) 14:06 (UTC)[返信]

ノート面で浜線の205系の横須賀線への入線ですがかなり昔に終了しています。確かに定期列車でしたし、ちゃんとした方向幕も有りましたし『根岸線経由快速逗子』で出てた覚えが有ります。(2012年6月19日5時48分利用者)

サハ205形[編集]

「※なお、一方で付随車であるサハ205形のうち、余剰となる予定の6両は転用されないまま廃車される予定である(廃車となるのは45・60・145~148となり、前者2両は山手線、後者4両は埼京線に在籍していた車両である)。」となってますが、「武蔵野線」⇒「車両」のところを拝見したところ、 「1991年に新規投入された6M2T編成(京葉M61編成)についても、編成中のMM1ユニットをT車2両(山手線の205系の他線区転用で余ったT車?)と交換の上、同様の改造が実施された。ちなみに205系のサハは6両余る予定で、今後の転用計画によってはこれを活用して他の編成も改造される可能性がある。」となってますが、どちらが正しいのでしょうか?

要するに今後の計画変更が有り得ると言う事ではないでしょうか?219.164.83.49 2005年12月15日 (木) 05:07 (UTC)[返信]
7両との情報もあります。<廃車(雑誌より)--目蒲東急之介 2006年4月2日 (日) 06:16 (UTC)[返信]
要するにJR東日本からの公式なアナウンスがない状況で、趣味的にああでもないこうでもないとの自説を提出しているだけでしょう。正式決定を公表しているならばそれを書くだけです。「可能性がある」などは、こういう自然現象ではない場合には概して憶測になりがちなので、余程具体的な根拠が無い限り書くべき話題とは思われませんが。sphl 2006年4月2日 (日) 11:11 (UTC)[返信]

鉄道ファン2007年6月号のp70・p71に掲載された『平成19年3月18日ダイヤ改正で変化した中央快速線の分割運用』の記事によると、どうやら京葉線用のモハ1ユニットを川越線の事故で使用不能となった車両と交換する予定とのこと。よって廃車予定のサハ205形6両については、今後なんらかの変化がある可能性がでてきたようです。--鉄道マニアック野郎 2007年4月21日 (土) 15:00 (UTC)[返信]

sphlさんも書かれてますが、百科事典に「可能性がある」とか「思われる」という記述は不要だと思いますね。わかってから書けば良いし、それまでは現状の事実関係のみ書けば良いと思います。サハ205が何両余ってるのか私自身良く知りませんが、仮に6両余ってるのであれば、その事実だけで良いのではなかいと。ただ、余ってるのがどういう理由なのかというのは外部の者が見極めるのは難しいと思いますよ。勝田区415系のところでも予備車なのか保留車なのか曖昧になっているようですし。そもそも編成からはずれてる状況を余剰車と考えるなら、サハ204-901と902を新製して山手線で試験使用を開始した際に編成からはずれたサハ205形2両は余剰車なのか?保留車では無いのか?休車では無いのか?とか、外部のものがあーでもない、こーでもないと言っても真実はわからないのですから。明確にそういう記述が発表された段階でその用語を使えば良いのではと思いますね。それまでは「2両余分に配置されている」で良いと思いますけど。なお、国鉄時代の話で恐縮ですが、入場時期調整のためにこまめに車両を休車にしたりしていました。--永尾信幸 2007年4月21日 (土) 22:54 (UTC)[返信]

(インデント戻し)廃車が噂されていたサハ205形10両についてですが、2008年4月1日現在でも廃車にはなっていません。また、川越車両センター所属の埼京線用のサハ204・205に動きが見られました。(鉄道ファン2008年7月号やジェー・アール・アール「JR電車編成表 '08夏号」より)詳細は本文と#保留車についてに記載してありますのでそちらをご覧下さい。--鉄道マニアック野郎 2008年5月23日 (金) 12:14 (UTC)[返信]

評価について[編集]

評価という項目がありますが、辞典である以上多面的な視点に基づいた記述で構成する必要があると思いますので、記事の項目としてはふさわしくないと思うのですがいかがでしょうか? 評価の仕方は人それぞれかと思いますので。--Tokacyan 2006年4月24日 (月) 12:31 (UTC)[返信]

同じことを201系の所にも書きましたが。確かに一理ありますが、デザイン面・機械面ともに記載されていますし、特に主観が入り込んでいるとも思えませんので、不要ではないと考えます。あえて言うならば、「この車両にはこういう長所があったが、こういう短所もあった。そしてそれは次世代の車両において、このように改善されていった」と書き、記事名そのものも『評価』ではなく、『概要』の中に組み込めばよろしいかと。
「誰が」「どのような視点で」と201系の所で仰っていますが、「誰が」と名前を出すということは、当然専門家や有識者の名前が記載されることになりますよね? むしろそのような記述があると、かえって偏った記事にある恐れがあります(205系を全く知らない人の考えにバイアスをかけてしまうことになるのではないでしょうか。特に、記述された評価が専門家や有識者の場合、それが例え荒唐無稽なものであっても騙されやすくなります。人間は特に、自分の全く知らない事柄に関して、『専門家』と名のつく人間の発言や見解を鵜呑みにしてしまいがちですから)。
新製されてから間もない車両なら話は別ですが、205系は新製されてから20年も経ちますので、一般的な評価もおおよそ固まっています。そうして形成されてきた評価を「一般的な評価」として、あくまで事実だけを中立的に書く分には問題ないでしょう。東トウ 2006年5月7日 (日) 11:28 (UTC)[返信]

201系などの項目にあった同様の記述と比べても内容が浅いですし、一部の方の反対が根強いので削除しました。それに、なんだかんだ言って誰もコメントアウトを解除しなかったですしね。山本輝雄 2006年6月22日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

ラインカラー[編集]

日本の鉄道ラインカラー一覧にある様な感じで各路線ごとの外部帯の色を表示したいのですが、いまいちやり方がよく分かりません。詳しい方、誰かやっていただけないでしょうか?山本輝雄 2006年6月22日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

1色の部分は何とかなったのですが、2色以上の表現の仕方が分かりません。どなたか詳しい人お願いします。山本輝雄 2006年6月27日 (火) 15:54 (UTC)[返信]

消極的対策ですが、横に2個並べるのがとりあえずの対策になると思います。縦に並べるのは「■」を使う以上、(できなくはないとは思うのですが)他の記事や他の編集者にとって煩雑になる恐れがあると思います。--Diagraph01 2006年7月2日 (日) 11:33 (UTC)[返信]

やってみましたが、本当は実車通り一つの■を塗り分けたいのです。そういう事は出来ないのでしょうか?山本輝雄 2006年7月2日 (日) 15:09 (UTC)[返信]

JR東日本701系電車#路線車体帯色一覧の配色レイアウトは塗り分けの表現などが見やすくできていると思いますが、いかがでしょうか。ただ、この方法はスペースを取るので別見出しの一覧表にまとめる必要があると思いますが・・・出々 吾壱 2006年9月10日 (日) 08:35 (UTC)[返信]
せっかく記事に写真を寄せてくれる人がいるんだから、レイアウトを若干変えたり、節へのリンクを付けたりして、対応する列車の写真を簡単に見られるようにするとかはどうでしょうかSec. Semi Exp. 2006年9月10日 (日) 13:40 (UTC)[返信]

あれを作成した当時は写真の枚数が少なかったのであのような説明形態を採りました。今後、701系方式にするか、全て削除してしまうか、どちらがいいですかね?山本輝雄 2006年9月10日 (日) 14:11 (UTC)[返信]

関連項目・車両一覧テンプレート[編集]

この記事に対して、車両一覧テンプレートの変更案を試行中です。賛同、反対のほかご意見等ありましたら、こちらか、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他#巨大テンプレートの是非までお願いします。--ikaxer 2006年9月10日 (日) 04:12 (UTC)[返信]

試行期間中にご意見を募りましたが、大きな反対もありませんでしたので、本リスト形式テンプレートに移行しました。ご協力ありがとうございました。--ikaxer 2006年12月22日 (金) 05:06 (UTC)[返信]


デジタル無線搭載工事について[編集]

本文に各線区毎の搭載工事済みの編成が記載してありますが、本文以外の搭載済みの編成を知っていらっしゃる方が御座いましたら、加筆をお願いいたします。(特に横浜線)自分も本工事に関わっていますので、工事が終了した編成を随時加筆していきます。--鉄道マニアック野郎2007年4月17日 (火) 23:20 (UTC)[返信]

わざわざ、リアルタイムで該当編成の更新を行なっていく必要があるのでしょうか。ウィキペディアの基本方針にある「すぐに古くなる記述をしない」に抵触する可能性があります。この改造は、おそらく線区ごとに悉皆で行われるでしょうから、最初は、「こういう目的でこういう改造が始まった」と記述すればいいですし、ひと段落着いたところで「XXXX年までに工事は完了した」と書けば十分な気がしますがいかがでしょうか。--Kone 2007年4月18日 (水) 04:00 (UTC)[返信]
Koneさん、ご指摘どうもありがとうございます。ですが、Koneさんが指摘した『ウィキペディアの基本方針にある「すぐに古くなる記述をしない」に抵触する可能性』についてですが、この指摘を受け基本方針とガイドラインを確認しましたが、その中にそのような項目は無く『すぐに古くなる表現は使わない』という項目はありました。恐らくKoneさんは、この『すぐに古くなる表現』を『すぐに古くなる記述』と間違えて記述されたのかと思いますが、御自身でご確認をお願い致します。なお、本文の記述に関しては、『すぐに古くなる表現は使わない』に抵触した表現は一切していないと思います。
次に、該当編成の更新及び本文の記述についてですが、Koneさんのご指摘の通り、この改造は首都圏を走るJR東日本の在来線の全ての車両に施工します(実際に、185系や113系、115系等も施工している)。確かにリアルタイムで更新していくと大変なことになるので、ある程度まとまった期間(1ヶ月~3ヶ月)単位で更新・加筆していくことに致します。ただ、本文の各線区毎の完了した編成の記述は、このまま残して欲しいのです。それは、この記述が大いに役に立ったからです。私は、この工事に2007年2月から携わりましたが、過去の施工した編成を仕事の関係上どうしても知る必要がありました。色々とインターネットで検索した結果このフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の国鉄205系電車でこの項目を発見し、非常に助かった思いをしました。ですから、他にも私のような方もおられるかもしれません。それと、この記述をみて研究材料に利用したりする方もいらっしゃるでしょう。そういった方々の為にも、私はこの記述を残すべきと考えます。Koneさんにとっては余計なものかもしれませんがご意見をお願い致します。--鉄道マニアック野郎 2007年4月19日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

こん○○は。Koneです。最初のご指摘については、おっしゃる通りです。が、現状では、工事自体が継続中ですので、工事の進捗によって、ある時点における現状と記述に齟齬が生じることになります。また、該当全編成について完了のあかつきには、ある時点で(具体の)XX編成に施行されているという記述は、まったく意味がなくなくなってしまいます。私は、こちらの方を危惧しています。せっかく自分の目と足で確認された記録が、最終的に意味がなくなってしまうのは、誠に残念です。例えば何線のXX編成は何年何月何日にこの工事を施行されたという記述であれば、どんなに時間が経とうと価値は失われませんが、何月何日現在の施行済み確認編成を列記するだけでは、すぐに正しくなくなってしまいます(そもそも、目撃情報だけでは、検証可能性に問題がありますし、また、そこまで微に入り細に入る必要かどうかは別の話です)。ガイドラインにおける「すぐに古くなる表現をしない」というのは、そういうことです。そこまで納得の上で追記をされるのであれば、私は何も言いません。ただ、全編成施行済みとなった時点で、記述の価値が失われてしまうのは、もったいないと申し上げているのです。--Kone 2007年4月20日 (金) 14:00 (UTC)[返信]

リアルタイムの難しさもあるのですが、いつ何が改造されたかまで百科事典に載せる必要があるのかが問題な気がします。
今回は改造の話でしたが、新製や廃車について、その都度都度百科事典に書く必要はなく、そういうのは趣味誌が代行してやってくれる事です。
改造などはもっと細かい話で、たとえばドア押さえのHゴムを交換したのも1つの改造です。
そのような改造をその都度都度書くのは、それを専門に研究してる方のHPや、そういう研究発表なら良いのですが、百科事典では不要だと考えます。
また、工事に関わっているので助かったとの記述がありますが、工事に関わっていたらどの編成に施工したか、こういう外部のサイトを見なくてもわかっていなければ変ですし、少し聞けば簡単にわかった事でしょう。
JRにしても私鉄各社にしても、車両の動きを担当する部署がありますが、その担当者は事前にどの編成をいつからいつまで入場させるとか、この工事をこのタイミングで受けさせるとか、前もって計画します。
ですので、工事を施工してる側がわからないはずは無いと思いますし、ウィキペディアの目撃情報的な記述を参考にするよりもよっぽど正確な答えが導き出せたでしょう。
話はそれましたが、仮にそういう改造を記載するなら、大きな表形式にして、どの編成が何年何月に施工されたと言うのを作るかでしょうか?
ただ、そうなると次は「スカート取り付け日一覧」とか改造の項目ごとにそういう表ができあがっていきます。
そういう表はあって便利だと思いますが、果たして本当に必要なのか?なんですよね。
私自身もそういう表とかがどこかにあって欲しいと願っていますが、ウィキペディアには不要じゃないかなぁと思っています。
そのような事から、リアルタイムに改造された車両とか廃車になった編成を書いていくのは不要だと考えています。
ちなみに、ウィキペディアは検証可能性という事がありますので、これを参考にした記事がどこかにあるはずです。
研究などにはウィキペディアを使うのは又聞きになる事から、多くの人は、その元になった記事を確認してまとめるのではと思っています。
どこかの大学でもレポート提出する際、ウィキペディアを参照する事を禁じたみたいですし、ウィキペディアに記載されてる事を研究にどの程度使えるかは疑問かなと思います。(程度が低いという事ではなく、より生のデータを確認した方が間違いが少ないという意味で)--永尾信幸 2007年4月20日 (金) 18:39 (UTC)[返信]
こんにちは。ちょっとお邪魔します。
  • 速報性について
Koneさんがおっしゃっていますが、編成の記述はやはり速報性の高い記述と考えます。現在記載のある施工済み(施行ではなく施工です。念のため)の編成ピックアップは、将来的に何の意味も持たないと思うのです。たとえば、これが試験施工であるとか、なんらかの意味を持つ編成群であるならば、そのピックアップは意味を持つことでしょう。しかしながら、そのような事情は見あたりませんし、随時行われている改造工事の途中経過に過ぎません。最終的に全編成に施されるのであれば、現在の編成名を取り出すことは単なる速報と考えることができます。
  • 改造記事の是非について
永尾さんが「このような改造を載せる必要があるのか」との疑問を呈しておいでですが、私は必ずしもそうは思いません。せっかくの記述ですから、なんらかの形で載せることはかまわないと個人的には思います。
ただ、残念なのが「デジタル無線改造工事とはいったい何か」という視点の記述がほとんど見られないことです。そもそもデジタル無線改造工事って何でしょうか?どういう目的で、どのような特徴があり、どういうメリットが得られ、その結果車両や輸送形態にどのような影響を与えるのでしょうか?無知な私にもわかるような記述をお願いしたいところです。現在の記述では「とにかく付いた」ぐらいのことしかわかりません。
--ikaxer 2007年4月21日 (土) 07:35 (UTC)[返信]
自分も鉄道好きな者の1人ですが、このような形でのリアルタイムでの更新は無用だと思っています。永尾信幸さんがおっしゃっている通り、改造の度にリアルタイムに記載することは百科事典の役割ではないと思います。
「自分は関わった者で、自分の仕事で役に立った」というのは、それを覆す論拠にはなっていないと感じます。
Ikaxerさんのおっしゃる「「デジタル無線改造工事とはいったい何か」という視点の記述がほとんど見られない」というのには同感です。その内容いかんによっては、随時記述する事の重要性を感じることがあるかもしれません。鉄道記事全般に言えるかもしれませんが、基本的には随時更新は反対です。個人のHPや掲示板でやるべきことなのではないかと思っているので。516 2007年4月21日 (土) 09:01 (UTC)[返信]


>Ikaxerさん
少し言葉足らずですいません。改造の記述自体は何ら問題ではありません。改造の度に何番が施工されたとかとか、この改造は何番と何番になされたというのが問題という事です。
それらは鉄道ファン、鉄道ピクトリアル増刊、JRRの編成表などに定期的に掲載されているので、それを百科事典に載せる必要は無いと感じただけです。
ただし、これらの定期刊行物では基本的には前回掲載からの差分しか載らず、一覧表は各趣味誌の車両特集時や専門の研究発表誌にしか掲載されない事から一覧にすればそれなりに需要はあるかとは思いますが、ウィキペディアでそれをどこまでやっても良いんだろうか?趣味誌等との棲み分けをどうするのか?とは感じています。
基本的にこのような部分はウィキペディアではなく趣味誌等で発表すれば良いと思っていますが、趣味誌の場合は敷居も高く、何の下準備もなく自分が書きたいと思った部分だけ書き込めるウィキペディアの方が参加は簡単です。が、目撃情報だけだと「検証可能性」に抵触するという問題が発生します。つまり今回のデジタル無線改造工事を施工した車両というのは、どこかに発表されているのでしょうか?目撃情報だけでは、いくら複数の者が目撃していても、いくら写真に撮影していても、基本的には何らかの刊行物に掲載されるまでは検証可能性にひっかかるわけですから、廃車回送になったらすぐに書き入れる記述や、各改造工事を見つけ次第書き入れる記述等は根本的にはウィキペディアに記載してはならないはずですが・・・
もちろん、現車を確認したらわかる話なのですが、それは基本的に独自の研究になります。たとえば私が「クハ103-86の車内はこういう特徴がある」と記載したとして、現物をみたら確かにわかるでしょう。でも、それを誰が検証できるでしょう?要出典とされたら「現車」と書くしか無いのですが、それで良いのでしょうか?さらに突っ込んで「クハ103-86の室内は103系唯一の●●という特徴がある」と記載した場合はどうでしょう?要出典と書かれたら「103系全車」と書くしかありません。そう何千両の103系を見ればわかるだろ?と言う事です。その状態で検証を第三者が行えるかどうかですね。
駅舎の改築などの場合は固定物なので比較的検証しやすいでしょうが、車両の情報というのは検証しようとする者がすぐに検証できる状態にはありません。山手線でラッシュ時待っていたら見れるだろと言われても、すべての車両が1日で見れるわけではありません。
ちなみに、常磐快速の103系の自重調査をしたときに、上野駅の折り返しを利用して1両ずつ確認しましたが、大阪からの調査だったので完了までに数ヶ月かかりました。予備車がその都度違ったりするのですが、たまたま何度も重なったりすると時間がかかるのです。このように検証というのはそう簡単では無いのです。
(07.4.22 22時過ぎ加筆)
この検証というのは大事な事で、雑誌などに発表する際には、この検証がきっちりとなされていなければ「適当に書いている」「妄想で書いている」「事実関係を確認していない」と執筆者は信用を失うわけで、書き手というのは、それだけの責任を負うわけなのです。
ウィキペディアではそこまで責任を負うという事は無いし、たとえあるアカウントが叩かれても、違うアカウントを取得すれば他人になりすませるわけで、信用を失うのはいくらでも作れるうちの1つのアカウントである事から、慎重な調査をせずに安易に書き込んだりする無責任な書き込みが増えるわけです。
ウィキペディアが検証可能性を柱の1つにしているのは、検証という非常に面倒な作業を複数者が分散して行えるメリットがあるためですが、今回の改造の目撃情報などはその地域に住む特定の者しか検証ができません。そうそう間違いが書かれてるとは思ってませんが、それを逆手に取る悪意を持った方がいるのもまた事実で、無責任な書き込みになる可能性のある(もしくは悪意を持って改変しやすい)事を容認するのは、せっかくのウィキペディアの検証方法の効果が薄れるのではと思います。
(ここまで)
結局、どこまでをウィキペディアで扱い、どこまでを趣味誌や個人研究に任せるかが曖昧なので、何でもかんでも書きたくなるわけです。
たとえば昭和46年4月20日のダイヤ改正にて京浜東北線の新性能化が完了しました。その記事を記載し関連資料として京浜東北線103系電車編成表がいるのかなぁ?と思うわけです。
編成表など記事とセットで10でも20でも書けますよ。そうなると、それだけで数千行になります。分割すればとも思われますが、そこまでしてウィキペディアに書くものなのかなぁと思いますね。
仮に書いたとしてメンテは大丈夫なのかなと言うのもありますね。数千行ある中からたとえば昭和49年月1日現在の池袋区のクハ103-215他の編成の4号車の車両番号が改変されていたら、誰がいつ正しい数字に戻せるでしょうか。
年月や数字(編成番号等も)などは悪意の持った方からしたらとてもいじりやすい部分です。サーバー容量云々という話が良く出るのに、何でもかんでも受け入れていたらそれこそ収拾がつかなくなるとは思いますね。--永尾信幸 2007年4月21日 (土) 22:36 (UTC)[返信]

(左端に戻します)約2ヶ月振りにここに書きます。色々なご意見が出されたようですが、私自身もウィキペディア (Wikipedia)の色々な記事(といっても鉄道車両が中心ですが)を加筆修正させて頂きました。そしてウィキペディア (Wikipedia)のガイドラインやルール等を勉強させてもらい、それらを加味した結果、現在のこの記事の特に編成表(みたいなもの)は本文に載せるには相応しくないと判断いたしましたので、この部分はコメントアウトさせて頂き、本文の説明も簡潔に軽く触れる程度に文章を修正させて頂きました。また、デジタル無線の詳細な内容については「列車無線」の方で記述させて頂きますので、そちらの方を見て頂くと幸いです。なお、私が以前「この記述が大いに役に立ったからです。」とか「過去の施工した編成を仕事の関係上どうしても知る必要がありました。」とコメントした部分については、私の利用者ページその経緯が示されていますので、暇があったら見て下さい。因みにこの「デジタル無線搭載工事」の記事を最初に記述したのは60.56.185.218 氏(2006年9月3日 (日) 16:45 60.56.185.218 (会話) (→デジタル無線搭載工事))であり、私ではありませんので悪しからず。--鉄道マニアック野郎 2007年6月29日 (金) 09:03 (UTC)[返信]

デジタル無線工事車の仕様ですが、京葉線の取付車(6番編成と10番編成)は、乗務員室仕切り上部の箱はあるものの、荷物棚の上の箱はありません。(同じ京葉区の車両でも、武蔵野線用車は荷物棚の上の箱はあります。)仕様が違う理由は不明ですが、本文の記述では荷物棚の上の箱の無い車両について触れられていないので、その点を加筆する予定です。もし何か情報や御意見などをお持ちの方がいらっしゃいましたら、お願いいたします。L25.203.l03.26 2007年8月20日 (月) 02:30 (UTC)[返信]
お疲れ様です。改造工事の目的などが抜けていましたので、要点のみ簡単に加筆しました。どうぞご確認ください。蛇足ではありますが、列車無線におけるデジタル無線の記述について、一文が長くちょっと読みにくいと思いました。こちらはお任せしますので、少々文章を練ってみてください。--ikaxer 2007年8月20日 (月) 04:03 (UTC)[返信]

お疲れさまです。荷物棚のボックスですが、211系の箱はひと回り小さいようです。これは2人掛けの荷物棚の上に設置するため必要最小限の大きさにしたものと思われます。一方、205系の場合は、広告が掲示される部分に箱を設置するため、広告の大きさに合わせたサイズの箱とし、箱自体に広告が掲示できるようにされています。「荷棚に大型のボックス」とありますが、「荷物棚に広告1枚分の大きさのボックス」という表現に変更したいと思います。L25.203.l03.26 2007年8月20日 (月) 04:45 (UTC)[返信]

0番台について[編集]

ある文献では、0番台量産先行車を1次型、0番台量産車初期型を2次車、後期型を3次車と紹介しています。また、京葉線用については4次型とも紹介しています。一時期0番台量産先行車(1次型)という本文の記述も見られましたが、それぞれに(○次車)と記述しても良いかと思いますが如何でしょうか?ご意見をお待ちしています。--鉄道マニアック野郎 2007年6月29日 (金) 09:03 (UTC)[返信]

その文献を書くのに使われた資料次第でしょう。普通のマニアが便宜的に○次車と付けたのかも知れませんし、JR関係者(またはそれに順ずる方)が正式な名称として使ったのかも知れません。文献に載っているというだけではWikipediaでの検証可能性は満たすかも知れませんが、正しいかどうかは判りません。その文献や執筆した方の御名前などが判れば議論が進みますが、単に「文献」というだけでは、「○次車という表現は使うべきではない」としか言えないと思います。L25.203.l03.26 2007年6月29日 (金) 10:48 (UTC)[返信]
雑誌に記述があれば、一応は「検証可能性」は満たしますのですが、205系などは比較的新しい車両で文献などでの記述が多いため、複数の文献などを比較する事が可能になります。○次車というのは便宜上付けるケースが多く、執筆者によって書き方が違う事があります。例えばAという文献には100番までを1次車と書いてあるのにBという文献には102番までを1次車と書いてある場合などある可能性があります。
そんな場合は、複数の文献に記載されてる内容が違う訳ですが、それ以外の文献での使われ方や鉄道関係者の方の書いた記事なのかどうか等でどちらを使うか判断すれば良いと思いますし、仮にどっちか迷うときには思い切って記載しないというのも一つの方法です。
疑わしきは書かずという事なんですね。そのあたりはノートでいろんな人の意見を聞きながら進めていけば良いと思っています。--永尾信幸 2007年6月29日 (金) 11:39 (UTC)[返信]

(左に戻します)そうですね。Wikipediaのルール上は「検証可能性OK=書いて良い」(「検証不可=削除して良い」)かも知れませんが、本当にWikipediaの利用者(他の執筆者を含む)のことを考えるのでしたら、行動を起こす前に、それらが本当に事実なのかどうかを複数の資料を使うなどして深く検証すべきですね。そうでないと書いている(削除している)人間の自己満足で終わってしまいますからね。やはり、まずは「ある文献」を具体的に紹介していただけると助かります。L25.203.l03.26 2007年6月29日 (金) 12:05 (UTC)[返信]

実は、この件に関しては私自身ちょっと悩んでまして、この記述で変な編集合戦になってしまうことを恐れたためで、皆様のご意見を伺いたいと思い、この題名起こした次第なんですけど、皆様反応が早いですね。流石です。確かに「ある文献」だけでは、色々と問題もありますから、その文献を明かします。1次型2次型と記述しているのは、(デアゴスティーニ・ジャパン出版)『鉄道データファイル File:1-131 205系通勤型電車』の中で記述されています。他に(文献ではないが)KATOから発売されているNゲージ模型の205系山手線色の取説には、1次車2次車(第5編成以降)と記述されています。ただ、『鉄道ファン 2004年7月号P132 「JR東日本車両運用プロジェクト(3)」白土裕之(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部 副課長)』だと、「量産先行車」「量産車」としか記述されていないのです。一応鉄道ファンの掲載記事は、JR東日本の関係者が執筆しているのですから、そちらの方が信憑性が高いし、また、自身でも上記以外の文献を探してどういう表現をしているか検証する余地がまだまだありそうなので、このまま永尾さんがおっしゃられた「記述しない」という方法が現時点ではベターかなと思います。あと、自身の持っている文献の信用性については、ここで議論(特に『鉄道データファイル』)するところではないし、論点から外れてしまうので、それについては何も語らないようにお願い致します。--鉄道マニアック野郎 2007年6月29日 (金) 12:59 (UTC)[返信]
文献を紹介して下さいましてありがとうございました。また他の雑誌での記述方法も参考になりました。やはり本職の方が書いた表現が良いでしょう。なお該当の雑誌単独で参考資料になさるのは大変危険だと思います。今後も是非、他の資料も合わせて御覧下さいますよう、お願いいたします。L25.203.l03.26 2007年6月29日 (金) 13:09 (UTC)[返信]

せっかくの機会ですので、1点取り上げさせていただきます。JR東日本への投入の横浜線・根岸線のところを見ますと、「7両編成、TcMM'TMM'T'Tc'」と書かれています。7両と書いていて記号の編成が8両なのは、下の説明を読めば理解できるとは言え、紛らわしいと思います。山手線、埼京線を含め、6ドア車投入前を基準にするか、あるいは現行(最終)組成を基準にするか、何か良い方法はありませんかね。L25.203.l03.26 2007年6月29日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

よく気がつきましたね。確かに指摘された部分の本文を見ると紛らわしいですね。それと、この節の見出しの冒頭に、
  • >路線名の横の四角は帯の色である。路線名の横のx両編成は投入当時の両数を示す(現在と異なる場合がある)。
という文章があるけど、これを
  • >路線名の横の四角は帯の色である。路線名の横のx両編成及び記号は投入当時の両数と編成を示す(現在と異なる場合がある)。
と、太字の部分を加筆したうえで、この節の両数と記号は、投入時を基準にすればいいと思います。よって、埼京線と横浜線はそれに合わせて直せばいいでしょう。あと、「転属」の節で山手線のところは「10両編成、TcMM'TMM'TMM'T'Tc'」となっているので、そこは「11両編成、TcMM'TMM'TMM'T'Tc'」と直した方がいいと思います。--鉄道マニアック野郎 2007年6月29日 (金) 22:18 (UTC)[返信]

なるほど。確かに国鉄時代の山手線を11両編成で記すワケには行きませんから、全て投入当時の組成に統一するのが妥当でしょうね。その上で、本文の「8両編成化」とか「サハ204を組み込んだ編成」という部分の後に、組替後の組成を追記すれば良いかと思います。L25.203.l03.26 2007年6月30日 (土) 02:35 (UTC)[返信]

で、上記のように直しましたので、気になる点がありましたら、ここに書いていただくか、修正して下さい。L25.203.l03.26 2007年6月30日 (土) 04:56 (UTC)[返信]
冒頭の文章、忘れてました。失礼しました。補足ありがとうございました。L25.203.l03.26 2007年6月30日 (土) 11:08 (UTC)[返信]

500番台のデザインと相鉄乗入れ構想の因果関係について[編集]

500番台の件ですが、紹介されたリンク先には「構想があったと言われている」とだけ書かれており、構想があったという事実は確認できません。また、構想があったとしても、それが前面のデザインに影響したという根拠が呈示されていません。よってリバートしました。L25.203.l03.26 2007年7月1日 (日) 05:27 (UTC)[返信]

横槍失礼します&L25.203.l03.26さんはじめまして。話題が違うので節を分けさせていただきました。リンク先の情報ですが、これは「相鉄側がJRへ乗入れる構想があったために9000系では車体寸法が8000系とは異なっている」という主旨ですよね? 「構想があったこと」は確認できなくても「構想があったと言われている」ことは相鉄のサイトで確認できているのですから、「~言われている(出典付記)」であれば問題ないと思うのですが。まぁ今回の場合、リンク先でJRの205系のデザインについては何も述べられていないため、出典が不適切なわけですけど。Alt_winmaerik 2007年7月1日 (日) 10:16 (UTC)[返信]

節分けのお手数をお掛けして失礼したしました。おっしゃる通り、205系に関する情報は無く、相鉄の車両に関する情報だけで、それが「205系のデザインに影響した」という根拠は見当たらなかったので削除させていただきました。また、205系500番台が平成2年に登場しているのに対し、相鉄9000系電車は平成5年ですから、相鉄が205系500番台に合わせたということはあっても、逆は無いように思われます。また私が削除した文章は「当時相模鉄道で配備されていた8000系9000系電車を意識したものと考えられる」となっており、205系500番台→相鉄9000系という登場順序を把握しないまま書かれた文章だと思われます。なお、当初は電化後の相模線には103系が投入される予定で、とても相鉄との乗り入れ(その「あったと言われている構想」が相互乗り入れなのか片乗り入れなのかも判りませんが)の構想がJR側にあったと思われる状況ではないですし、その「構想」に関しても、他に参考になるような資料が見当たりませんでした。もし、そのような構想に関する他の資料等を御存知の方がいらっしゃいましたら、御教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。L25.203.l03.26 2007年7月1日 (日) 13:00 (UTC)[返信]

6扉車のエピソード[編集]

銀座線の項目を参照とあり、見てみますと、6扉車の連結で山手線の運転時分が伸びたことと、銀座線のスピードアップで、利用者が銀座線を選ぶか山手線を選ぶか迷ったというような内容です。ただし、こちらの紹介文とほぼ同時刻に書かれたものであり、銀座線の項目において、内容が妥当であると認められた段階のものではないようです。一方、6扉車連結による山手線の運転時分の伸びは、日中で一周あたり1分であり、ラッシュ時の半周でもせいぜい1~2分でしょう。銀座線のスピードアップで利用者が選択を考えたというのは有ったかも知れませんが、それが「6扉車連結による山手線の1~2分の時間延伸」が理由とは思えません。時系列的に、6扉車の連結から1~2年経ってから銀座線のスピードアップがあったので、6扉車の連結があった時に発生したエピソードでもないようです。この文章は削除すべきと考えますが、御意見がある方、妥当な出典を御存知の方がいらっしゃいましたら、お願いいたします。L25.203.l03.26 2007年7月3日 (火) 02:57 (UTC)[返信]

国鉄時代の山手線は、1週ジャスト1時間で有名でした。民営化後11連化した結果、それが(たしか)63分になったのは、いまの20代後半以上のおじさん(自分もですが)には比較的よく知られていると思います。以前朝日新聞の記事(だったかな?)に、11連化して伸びたって話が載っていたような。いますぐ出典をといわれても困りますけど。あとすみません、1周あたり1分の出典はいかがでしょう? 私見ですが、1周で1分ということは1駅あたり2秒ですよね、、6M4T→6M5Tで2秒って理論的にどうなのかなぁ。もっとかかる気がしますけど。Alt_winmaerik 2007年7月3日 (火) 13:45 (UTC)[返信]
先ほど、この文章を記述した本人の利用者ノートの方にに文献の出展先を示すように依頼しました。ただ、私も銀座線の方は聞いたことはないのですが、山手線の運転時分の伸びについては、どこかで聞いたことがあるような気がしますが、その資料が現在見つからない状態なので、私自身も検証が出来ません。特に、利用者の評価については、もしかすると記述した本人の友人とかが言った言葉をそのまま記述した可能性もあるかと思います。まあ、ここで自分達で勝手に憶測を並び立てても何にもならないので、1~2週間を目安に本人の回答を待つか、他の方がその出展先を示してくれるまで待って、それがなければ削除してもいいかと思います。--鉄道マニアック野郎 2007年7月3日 (火) 14:03 (UTC)[返信]

御返信と文献の依頼、ありがとうございます。手元の東京時刻表(1998年9月号)ですと、平日の日中は61分で回っています。ラッシュ時は64~65分くらいですね。元々ラッシュ時は62~63分位はかかっていた(2分30秒間隔で25編成を運転=最小でも62分30秒)と思いますので、6扉車の増結で、そんなに時間が伸びたということは無いと思います。(増結で乗降時間の短縮も期待できたでしょうし。)なお今年の3月改正で運転時分と運用本数がE231系の性能に合わせて変更されていますので、それ以前の時刻表やダイヤで御確認下さい。L25.203.l03.26 2007年7月3日 (火) 14:23 (UTC)[返信]

運転時分の変化についてはわかりませんが、6扉車を入れた事による乗降時間の短縮については「電車」1992年4月号に記載があります。
新宿駅内回りで6扉車が入る前の1991年11月26日と入った後の12月2日に、それぞれラッシュ1時間あたりの平均乗降時間を比べたものですが、6扉車組み込み後は平均11秒の短縮とあります。
乗降客の多い新宿で11秒ですので、他の駅では2~3秒程度かもしれませんが、一周で見るとかなり効果があったようです。(6扉車云々よりも輸送力が約1割増えた方が大きいと思いますが)参考まで--永尾信幸 2007年7月3日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
6扉車登場前の山手線の所要時間についてはasahi.comに記載がありました[1]。リンク切れしているので内容はこちら等で[2]。所要時間については、仰るとおり編成の加減速度と乗降時間両面の影響がありますね。私に探せる資料としては、旧運輸省の運輸政策研究機構が出していた「数字でみる鉄道」の99年頃の版ならありますので、何か参考になる記載がないか探してみます。Alt_winmaerik 2007年7月4日 (水) 04:08 (UTC)[返信]

いろいろありがとうございます。書いた方も、物事の二面性(デメリットもあったということ)を訴えたかったのかも知れません。ただ、上野-渋谷の通勤者に限られるようなネタは必要無いと思います。それよりは、増結で日中の60分サイクルが崩れたことにより、5分間隔の京浜東北線快速との緩急結合パターンが一定にならなくなった点の方が取り上げる価値があると思います。先の書き込みを削除することになったら、代替に「運転時分が若干伸びた点、日中の一周60分が61~62分になり、5分間隔の京浜東北線快速との緩急結合パターンが一定化しなくなった点」を書くというのはどうでしょうか。L25.203.l03.26 2007年7月5日 (木) 03:07 (UTC)[返信]

L25.203.l03.26さんが示された、「緩急結合パターンが一定にならなくなった点」に対し疑問がございます。京浜東北線快速が運転開始したのは、1988年(昭和63年)3月13日のダイヤ改正からです。そして同年7月に山手線が205系に統一されから日中60分運転となりました。その時点で山手線は日中3分30秒間隔(因みに、山手線日中3分30秒間隔は2007年3月18日のダイヤ改正以前まで続いていました。)で京浜東北線は5分間隔なので緩急結合パターンは崩れているどころか、確か山手線と京浜東北線快速の接続は当時から全然考えてなかったため、それを批判されていたはずです(私も、よく上野や秋葉原へ行く時京浜東北線快速に乗り換えるのですが、現在もそうだけどうまく接続しないことが多い。)ですから、貴方が示した代替文章は増結以前ですでに一定していないため文章もそうですが、これを「6扉車」の項目に記述するのは間違いかと思います。もし、この事例を記述するなら、
  • 「1988年(昭和63年)3月13日のダイヤ改正から京浜東北線の日中の快速運転が開始されたが、山手線は日中3分30秒間隔で京浜東北線は5分間隔であり、緩急接続は全然考えられていなかったため、当時から批判があった。」
と記述した上で、これは山手線京浜東北線の方に記述すべき(京浜東北線の記事には、この点が少しだけ触れられている文章が存在します。)かと思います(因みに、京浜東北線快速運転開始の時の批判はそれだけでなく、アメ横や有楽町などで反対運動が起こったと記憶しています。)。よって6扉車が増結されてからの運転時分の伸びについては、前にも申しましたが1~2週間を目安に様子を見て決めれば良いかと思います。
それよりも、私は「6扉車のエピソード」という項目を立てて記述するならば、現在の本文には記述されていない、6扉車が導入される当時のエピソードを記述する方が重要であり価値があるものと思います。それは当時新聞各社が「立って“痛勤”山手線」や「“もっと”詰めこむイスなし車両」などと書き何かと6扉車が座席を収納出来ることをクローズアップし“イスなし車両”と揶揄されたエピソードのことであります。これははっきりした文献(この記事については、『鉄道ジャーナル 1992年2月号 「205系6DOOR車を増結 山手線電車が11両編成化」/東日本旅客鉄道㈱運輸車両輸送課 野原敏男』に詳細な内容が掲載されています。)もあるので、この方が先かと思いますが如何でしょうか?--鉄道マニアック野郎 2007年7月5日 (木) 15:07 (UTC)[返信]
追記します。例の6扉車と銀座線とのエピソードについては、東京地下鉄銀座線#エピソードに記述した本人(快速フリージア氏)が「朝日新聞より」と記述しています。どうやらこのエピソードは本当のことのようです。但し、「掲載年月日失念」とコメントアウトしてあるのでこの記事の掲載時期については、調べる必要があるようです。私も、地元の図書館などで調べてみるつもりですが、もし、掲載時期がわかる方はここに示して頂ければ幸いかと存じます。宜しくお願い致します。--鉄道マニアック野郎 2007年7月6日 (金) 03:32 (UTC)[返信]

御意見ありがとうございます。新聞に載っていましたか。ただ、その新聞の内容と照合しないと何とも言えない点はあります。「11両化での時間延伸が、そんなに問題だったのか?」というのは正直疑問です。また、エピソード発生のキッカケは銀座線のスピードアップであり、銀座線の項目にあるのならともかく、競合路線とも言いかねる(山手線の)205系の項目には必要無いように思います。で、こちらのエピソードですが、確かに「6扉車の連結は山手線が最初だった。当初はマスコミに悪く取り上げられた。しかし利用者には受け入れられ(?)、4扉車を置き換える場合も含め、他線区にも導入されていった。」みたいな内容の方が、緩急結合の話より妥当っぽいですね。個人的な余談で恐縮ですが、運転開始の平成2年3月10日(土)の朝に乗った時、マスコミのカメラが結構来ていたのを覚えています(京葉線東京開業の取材と兼ねていたのかも知れませんが)。「平日のみイス無し」という案内でしたが、その頃は「土曜=休日」というのが定着しきれていなかったので、「イスが上がっているのでは?」と取材に来ていたのだと思います。(土曜はイス収納せず。12日の月曜日に改めて各局のニュースで報道されていました。)導入当時の状況について付記した方が、時間が経過してから資料として役立ちそうですね。L25.203.l03.26 2007年7月6日 (金) 04:13 (UTC)[返信]

ひとまず、銀座線の話題は銀座線に、205系の運転に関する話題は山手線に、車両に関する話題はここで、ということにしませんか。205系の記事の中で触れるのは、サハ204のファシリティに限定すべきと考えます。
所要時間については、現在鉄ピクとジャーナルとDJと鉄道ファン、RMのバックナンバーを中心に調べていますが、まだ見つかりません。そもそも私がこの話題に食いついた発端は、10年ほど前にパソコン通信ニフティサーブの鉄道掲示板で、11連化で所要時間が延びたことがあるという話題が出ていたためです。その時の過去ログにあたれば出典があるかもしれませんので、そちらも探してみますね(その前にMOのバックアップログをリストアせねば)。また調べていく中で、205系化完了直後のダイヤ改正で車両性能向上による約1分の短縮は確認しました(新 東京圏通勤電車事情大研究/川島令三著)。ちなみにL25.203.l03.26さんのお調べになった98年は埼京線の恵比寿延伸後で、山手線混雑が劇的に改善(代々木→原宿間で249%→200%へ減少:鉄道ピクトリアル2000年11月号)した後ですから、11連化による所要時間増(あるいは減)を論じるにはデータが新しいような気がします。Alt_winmaerik 2007年7月7日 (土) 07:01 (UTC)[返信]

銀座線に起因する話題を山手線やココに持ち込まないという点については基本的に賛成です。ただ、6扉車の登場時の状況については、それなりに触れるべきと思います。また、民鉄各社の多扉車やワイド扉車の「先駆け」と言える車両だと思いますし、サハ204がある程度受け入れられたから、他社がそのような車両を作ったものと思われますので、そういった「パイオニア的存在」であるという記述があっても良いように思います。あと、念のため確認しておきたいのですが、ダイヤについて、日中はともかく、朝のラッシュ時は季節によっては慢性的な遅延が発生していたと思われますが、実際の運転状況を基に論じますか?。あるいは、所定のダイヤでの時刻について論じますか?。(基本的には、所定のダイヤについて論じていくべきだと思いますが。) なお、山手線の運転時分は、昭和46年4月20日の全面10連化とスピードアップ以降は、昭和63年7月1日の205系の性能に合わせた改正、平成3年12月1日の6扉車連結、平成19年3月18日のE231系の性能に合わせた改正以外、基本的な部分は変わっていないと思います。L25.203.l03.26 2007年7月7日 (土) 13:51 (UTC)[返信]

今、少し調べましたが、日比谷線の03系5扉車は登場時期が近いですね。サハ204登場の影響があったかどうか、改めて調べてみます。L25.203.l03.26 2007年7月7日 (土) 14:16 (UTC)[返信]
この議論の発端となった「山手線用に新たに製造・組み込まれた6扉輌の増結によるエピソード」(2007年7月3日 快速フリージア氏による加筆文章)について、それが加筆されてから2週間が過ぎ、本人による出展(銀座線の記事に「朝日新聞より」と明記)もありましたので、とりあえずこの議論を前に進めるために、現時点での結論と今後の議論の提案を示したいと思います。
まず本文にある文章についてですが、これはコメントアウト化しました。銀座線の記事にある文章の内、6扉車に関する文章は(2007年7月15日に)そちらの方でコメントアウト化されていましたし、今現在6扉車の増結による運転時分の伸びについては、出展先などまだはっきりとした結論が出ていない(以前私も朝日新聞の記事を探しますといって図書館などへ行き、それを探してみましたが、さすがに無理があり現在探すのを諦めました)からです。ただ、6扉車の増結による運転時分の伸びについては、L25.203.l03.26さんが「所定のダイヤについて論じていくべき」と示しましたので、そのダイヤ上の運転速度を示した文献がありまして、それは鉄道ジャーナル2000年1月号でそのP29に
ダイヤ上の運転速度は「b速」「c速」「d速」の3種類に分かれ、昼間と夜間が一周約60分の「b速」、朝のラッシュ時が一周約63分の「c速」、夕方のラッシュ時が約62分の「d速」である。
--鉄道ジャーナル2000年1月号 特集●東京圏の鉄道『山手線物語』松尾定行/山﨑友也 より
と記載されていました。また、このダイヤ設定は、205系化が完了した1988年7月1日から2007年3月17日まで続きました。よってこの件については、上記の「b速」「c速」「d速」について議論を進めて行くことを提案致します。
次に6扉車の導入時のエピソードについてですが、これは鉄道ジャーナル1991年3月号と1992年2月号にそれぞれ6扉車に関する特集記事があり、そこに導入時の乗客の反応や新聞各社の見出しなどが記載されていますので、それを基に編集して行きたいと思います。ということで、現時点での結論と今後の提案を改めて下記に示しますと
  • 本文の「山手線用に新たに製造・組み込まれた6扉輌の増結によるエピソード」の文章はコメントアウト化する。
  • 6扉車の増結による運転時分の伸びについては、1988年7月1日から2007年3月17日までのダイヤ上の運転速度について議論し、一定の結論が出たら、この205系の項目では簡潔な説明をするにとどめておいて、詳細は山手線の方に明記する。
  • 6扉車の導入時のエピソードについては、鉄道ジャーナル1991年3月号と1992年2月号の記事を基に編集していく(もし私にやらせて頂くなら、現在この編集文章を思案中であります)。
以上のようになります。最後に、本文の「JR設定形式」の節で形式説明する節なのに、その小節の題名がおかしかったりしているので、この部分は私の方で修正させて頂きました。今後はこのような形で議論を進めて行きたいと思いますので皆様宜しくお願い致します。--鉄道マニアック野郎 2007年7月18日 (水) 11:01 (UTC)[返信]

いろいろありがとうございます。私も該当の鉄道ジャーナルを持っているハズなのですが、なかなか本棚を探すヒマがありません。申し訳ありません。基本的な文章は、鉄道マニアック野郎さんの方で考えていただいて結構です。それから、運転時分ですが、確かに若干伸びています。ただ、詳細を書くと大変なので、「増結で加速力が若干落ち、運転時分が伸びることから、11両編成の運用は平成3年12月1日のダイヤ改正当日から始められ、全編成が11両化されるまで一週間程度かかった。」みたいな文章で良いのではないかと思います。(適当に添削していただいて結構です。)L25.203.l03.26 2007年7月18日 (水) 12:43 (UTC)[返信]

エピソードですが、ジャーナル1992年2月号の記事を見る限り投入開始前から「賛否両論」の意見を頂いたと書いてありますので、いたずらに否定の文章を書き記す必要は無いでしょう。イスなしという事でこういう意見も寄せられたと言う点をクローズアップしただけの話で、実際に6扉車に乗車してのアンケートではイスなしを容認する回答が過半数を大きく上回ってる点から言っても、導入前の固定観念から批判した意見が少しあったと言う認識程度で気にとめる必要は無いのではと思います。
JRの方があえて書き記すのは、反対の方の意見もきっちりと認識してる点を明確にしておく事によるクレーム対策とも言えますので。
また、どのようなエピソード文章を考えられてるかはわかりませんが、このような「利用者の観点」が絡む問題は、とかく主観が混じりやすく、同じ本を読んでもこのように問題は特に無かったのではという意見もありますので、慎重に提案される事を望みますし、偏った意見を書き記すエピソードであれば不要かなと思います。
もともと事の発端はエピソードとして銀座線の項目が参照されている事であって、エピソード自体を容認している訳ではありません。何かエピソードの記事の中身を吟味してるようになってきていますが、元はそんなエピソードの記事は不要という点が始まりですので銀座線の記事が特に関連性が無いとわかれば特にエピソードの記事を加筆する必要は無いと思います。
ただ、ドアコックのところで「このガラスの中のハンドルを手前に引けばドアは手で開けられます」なんてのが堂々と書かれてるくらいなので、既に百科事典というよりもトリビア(雑学)事典になりつつあるのが実情でしょうけど。
あと
  • 6扉車の増結による運転時分の伸びについては、1988年7月1日から2007年3月17日までのダイヤ上の運転速度について議論し、一定の結論が出たら、この205系の項目では簡潔な説明をするにとどめておいて、詳細は山手線の方に明記する。
ですが、6扉車1両増結による車両性能上の運転時分増と、6扉車1両増結による輸送力の増加による駅停車時間短縮との関係を明確にしなければならないと思いますが、どのような議論を考えられてるのでしょう?a速・b速・c速が記載された資料はそう多くは無いと思うのですが。
また、ジャーナル1992年2月号の所要時間には「約」と書かれてる点が少し曖昧で気になりますね。
参考までに昭和55年10月1日改正の京浜・根岸・山手・赤羽電車列車ダイヤ(1分目)が手元にあるのですが、ダイヤの表紙には基準運転時分が掲載されています。それによると山手線外回りa速60分・b速61分30秒・c速63分30秒・d速63分、内回りa速59分40秒・b速61分20秒・c速63分30秒・d速63分10秒となっています。--永尾信幸 2007年7月18日 (水) 13:48 (UTC)[返信]
現在私が本文に記述しようと考えているのは6扉車の導入時のエピソードについてです。現時点で考えている記述文章は、6扉車の導入を発表したときのマスコミ各社が6扉車が座席の収納出来る点をクローズアップしてこの車両の批判をしたという点、その後のお客様アンケートにより好評を得られた点、6扉車の導入の背景、この3つを簡潔にまとめて記述するつもりでいます。要は、6扉車の導入時にこんなことがあったのかということを紹介する記事を記述しようと思っているわけです。ですから永尾さんがご指摘された点について十分に考慮して記述するつもりでいます。なお、マスコミ各社の見出しの文章や、乗客の賛否の文章ついてはこれらを脚注部入れて出展を示して記述するつもりです。それと、この議論発端となった銀座線の関連性については、確かに永尾さんのご指摘どおり特になくなりましたし、それについてのエピソードは特に記述する必要は無いと思います。ですが、前にも申し上げたのですが、6扉車が導入される当時のエピソードを記述する方が重要であり価値があるものと考え、エピソードを記述するならこれの方がいいと思って現在思案しているわけであります。この点についてはどうかご理解を頂きたいと思います。最後に、運転時分の伸びについてですが、この議論に参加されているL25.203.l03.26さんやAlt_winmaerikさんや私自身もも現在資料を探している最中(ちなみに私が探すのを諦めたのは朝日新聞の記事)なので、なかなか議論が進まないため、私がとりあえず提案させて頂いたのですが、もしかしてこれはここではやる必要がない議論なのかなとも感じています。とにかく、これについては明確な資料が提示されると思いますので、その時点で改めてこの点について論じていけばいいと思います。--鉄道マニアック野郎 2007年7月18日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
なるほどよくわかりました。ただタイトルの「エピソード」という表現は余談と思われるので避けた方が良いですね。
時系列的に導入の背景から初めていけば普通の記事としておもしろいかなと思うのですが、いずれにしても「評価」に関わる部分は非常に難しいので、この記事だけに自分の使える全時間を費やしても長期間、資料を探し比較検討していかねばならないボリュームになる(記述は数行でも、その数行を書くにはそれだけの裏付け調査が必要)と思いますが、そのボリュームをこなせていけますか?
その点がカタログスペックなどを転載するのと大きく異なる点です。
現在、導入の背景として「混雑時に対応するため」という記載がありますが、これをどの程度まで掘り下げるのでしょうか?
増発が不可能なので増結に頼るしかないと言うのであればサハ205を入れても良いわけですし、山手線11両化と6扉車開発は直接的には無関係と言えます。
6扉車開発については輸送力増大策の検討の1つで、少し後に出るクハ415-1901(2階建て車)などと同じ背景と言えますが、山手線では近く11両化が計画されていて試作車を有効活用できる点、混雑率が高く6扉車の試験をするのに適してる点など条件が整っていたので山手線に試作車が入ったと考えられます。(それらの記事を仮に書くなら「通勤対策」みたいなところで他の事例(ワイドドアとか)と一緒に説明する方が良いと思います)
ですので、現在の「混雑時に対応するため」で十分に理由にはなっていると思うのですがいかがでしょう?
新製当時の各メディアの対応はおもしろいものがあると思いますが、あくまでも利用者はそう思っていない(試作車運用当時のアンケートで既に好評な意見が多かった)点を考えると、あまりそういうのを並べるのもどうかと思います。
仮に書くのであれば、マスコミの好き勝手な文言は利用者の総意ではない点は明確に示しておく必要があるでしょうね。
批判だけではなく逆にマスコミが6扉車をほめた記事も探したいですね。
いずれにしても、マスコミや利用者側の意見をどれだけ集めれるかで、検証可能性に基づいて検討していく事になりますので、当時の新聞の地方版(区内版)や当時の社説などでどれだけ記事を見つけれるかがカギでは無いでしょうか。
かなり手間暇のかかる仕事になりますが、百科事典の編集ですので、その点はご理解ください。--永尾信幸 2007年7月18日 (水) 15:56 (UTC)[返信]
話題を運転時間に変えます
先に鉄道マニアック野郎さんが、鉄道ジャーナル2000年1月号の記事中に山手線のa速・b速・c速の時間が書かれていたとの事で、強調文字で書いて頂きました。
私の方はJR化後の資料が無いので、国鉄時代のダイヤからa速~d速までの基準運転時分を参考としてあげましたが、要はどの数字を比較するのかで探す資料も変わってきます。
私は鉄道マニアック野郎さんがa速~c速という比較的現業よりの資料を出して頂いた事と、
  • 上記の「b速」「c速」「d速」について議論を進めて行くことを提案致します。
という書き込みから、資料を探すというのは、これらa速~c速の時間の比較をしていくのだと思っておりましたが、これらは非常に専門的であってなかなか趣味誌などには掲載されません。よって、この速度についての議論というのはどのように進めるのか確認したのですが、明確な回答はありませんでした。
そんな事でとりあえず独自に調べていきましたが、交友社の電車1988年8月号に「山手線の輸送改善」という記事があり、その中に1988年7月改正前と後のラッシュ時(c速)の運転時間の変化が書いてありましたので紹介します。
  • 内回り 改正前63分50秒 改正後62分30秒
  • 外回り 改正前65分00秒 改正後62分30秒
ここで外回りが2分30秒短縮でき、運転間隔が2分30秒な事から1編成捻出しました。
また、少し古いですが、同じく電車1971年5月号にもc速の記載があります。(1971年4月20日改正)
  • 内回り 改正前66分45秒
  • 外回り 改正前66分00秒
改正後ですが、明確に記載は無いのですが、内回り・外回りとも4分ほど短縮したとの事で2分40秒間隔でしたので、改正後は2分40秒運転に合わせて64分00秒だったと思われますが、一周回った大崎で時間調整で停車するのもアリなので、基準運転時分イコール一周の時間と断言しにくい面もあります。
さて、ここで気を付けなければならないのは、時刻表にしてもダイヤにしても、そこから読み取る時間が基準運転時分(a速~c速など)かどうかです。
時刻表で山手線のページを見て頂ければ、大崎から大崎まで書かれてると思いますが、時刻表で大崎から大崎までの時間を単純に見ると、大崎着後、次の大崎発までの停車時間を考慮していない時間になってしまいます。
ちなみに、1980年10月改正時点では、大崎駅の停車時間はどの速度も30秒です。
また、運転間隔とのかねあいで、途中駅で余分に停車したりするケースもありますが、それは基準運転時分には入りません。あくまでも時間調整で別途時間がかかっただけです。
要は、どの時間で比較するのかで、山手線一周の時間なんて簡単に調べれると言う先入観があると思いますが、正確に比較するには、やはりとても手間のかかる作業になります。(逆にそれだけ苦労して調べるからこそ、百科事典に記載するための資料になるわけですが)
また、b速(ラッシュ以外)とc速(ラッシュ)の運転時分の違いの大部分は運転時間ではなく、駅での停車時間なのです。
先に示した1980年10月改正での山手線外回りのb速での駅停車時間合計は735秒、c速は845秒となっていて、b速とc速の差(61分30秒と63分30秒)120秒のうち、実に110秒が停車時間の差なんですよ。
そんな事から、実際の停車時間を考慮しないと、正確な比較ができないわけですが、正直言って、ダイヤを持ってる人なら比較できるでしょうが、一般の方が比較をするのは困難ですし、検証可能性上も満たさないと思われます。
ですので、比較するのはa速~c速などではなく、時刻表の時間などにした方が良いようには思いますが、その場合は停車時間がわからない点などで正確な比較は難しくなります。
その比較が難しい中で、どのように記事をまとめて行けば良いでしょうか?
あと、別件ですが、京浜東北線が快速運転した時の山手線の運転間隔は毎時15本(4分間隔)です。JR東日本東京圏運行本部発行「63.3ダイヤ改正東京圏ハンドブック」に記載がありました。確か快速通過駅の苦情で、すぐに毎時17本(3分30秒間隔)になったんでしたっけ?--永尾信幸 2007年7月19日 (木) 17:20 (UTC)[返信]

南武線[編集]

新製投入車は、最初の3編成が南武線と武蔵野線の輸送力増強用、それ以降が101系置換え用です。また209系は1本が横浜線輸送力増強用、もう1本が南武線輸送力増強用です。103系置換え用に投入されたのは、山手線からの転入車のみです。現在の記述ですと、新製投入車や209系が103系置換え目的だったように受け取れるので、改変させていただく予定です。御意見のある方は、こちらにお願いいたします。(上記の内容を全て書くという意味ではありませんので、念のため。)L25.203.l03.26 2007年8月1日 (水) 08:55 (UTC)[返信]

『投入線区』の節に投入目的の記述の導入について[編集]

私も南武線の記述は誤解を与える文章になっていると思いますので、改変した方すべきと思いますが、『投入線区』の節全体に、投入目的の文章がないので、それの導入の提案を出させて頂こうと思い、新たな項目を立てました。現在投入目的の文章が東海道本線・山陽本線(京阪神緩行線)しかなく、南武線を含め山手線や埼京線などはその文章は無く、最初に投入された年代の記述はあるものの投入後の編成の変化などしか記述されていなく、また、京浜東北線・根岸線や中央・総武緩行線は、「詳細は後述」となっており、『転属』の節で投入目的の文章があったりしています。よって205系がどのような目的で各線区に投入されたのか、その歴史や背景が現状の本文ではその文章が殆ど欠けているため非常に解りづらくなっているのが現状です。ですから『投入線区』の節全体でそれらをある程度詳細に解説する必要があると思います。ですので、この節の冒頭にそれらをまとめて解説するものを番号付き箇条書きで導入してみたら良いかと思います。205系の新車投入目的は、『鉄道ファン 2004年7月号P132~P139 「JR東日本車両運用プロジェクト(3)」白土裕之(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部 副課長)』のP132~P134の記述内容から、

  1. 他線区の増発または輸送力増強及び編成増強用などとして、投入線区の在来車を捻出し、それを充当するための投入。
  2. 投入線区の在来車(101系・103系)の老朽置換え用としての投入。
  3. 当初投入する予定がなかったが、事故による不足分補充や冷房化率向上のための投入。
  4. 路線延長や電化による新設用車両としての投入。

以上の4つのパターンに大別することが出来ます。よって記述方法としては、それを各線区に例えば「1989年の○○両(○○編成×○本)は1.の目的で投入」とか記述すれば、解りやすく解説できると思います。ただ、ここで注意したいのが詳細に解説し過ぎて「1989年に○○両(○○編成×○本)は1.の目的で○○線増発用で投入、捻出した103系・・・」とか記述すると、南武線でもそうですが、純粋に2.だでなく、1.や2.が少々複雑に絡んでいるため、各線区にそれを全て記述すると大変な作業になるし、101系や103系などが絡んできますので、節全体の文章のまとまりがなくなり、見ている者にとって何を伝えたいのかわけが解らなくなってしまう恐れもあります。よって、記述方法は前者がベターかと思います。また、鉄道ファンの記述内容は主にJR化後の車両の動きを記述してあり、国鉄時代の動きについては新たに調査する必要がありますので、構成が出来上がったときは、自身のサブページに編集イメージを作成して、それを基に慎重に記述していこうかと思います。これについての皆様の御意見をお待ちしています。宜しくお願い致します。--鉄道マニアック野郎 2007年8月5日 (日) 13:05 (UTC)[返信]

投入目的について、先頭車の番号にて記載します。参考にして下さい。L25.203.l03.26 2007年8月6日 (月) 02:03 (UTC)[返信]
山手線、1-4:60-3改正(横浜線と武蔵野線の増発)、5-22:埼京線開業(新宿延長分を含む)、23-29:京葉線開業、30-31:61-3改正武蔵野線増発(余剰車で南武線101系置換)、32-34:総武線101系置換、41-45:常磐線快速15両化、46-48:63-3改正(横浜線と武蔵野線の増発)、49-60:各線101・103系置換
横浜線、61-67:京葉線新木場開業、68:63-12改正中央線快速増発、69-85:各線101・103系置換
南武線、86-88:元-3改正(南武線と武蔵野線の増発)、他の編成:南武線(一部玉突きで鶴見線)の101系置換(基本的に103系は含まれない)
埼京線、1本は元-3改正増発分、他は各線101・103系置換
中央総武線、95・97:東中野事故廃車補充(一部雑誌で冷房化目的とされたが、廃車補充のために復活させた非冷房車の置換の意味と思われる)
京浜東北線、104-107:2-3改正京葉線東京開業(36両)と仙石線増発(元-3改正、4両)、136-137:103系置換
京葉線、108-119:2-3改正東京開業
武蔵野線、145-149:3-12改正8連化

横浜線[編集]

横浜線に内扇モーターが登場しました。モハ205-222で確認済みです。--剛田武 2007年10月13日 (土) 00:03 (UTC)                                                          私は、横浜線の沿線住民です。この前の鉄道ファンで横浜線にE233系が投入される事を知りました今まで聞きなれ、見慣れてきた205系が引退する事はとても残念です。あと、浜線を京浜東北線の横浜方面だけでわなく東京・大宮方面や中央線の高尾方面、新宿・東京方面へも乗り入れたら便利ですよね。(尚、京浜東北線は、東京・大宮方面は東神奈川で、中央線は、新宿・東京方面は八王子で方向転換が必要です。)--ホワイト・ゼータ会話2012年6月19日 (火) 09:10 (UTC)利用者ホワイト・ゼータ 2012年6月19日火6時10分[返信]

京葉メルヘン・武蔵野メルヘンについて[編集]

205系の京葉線、武蔵野線に使われている中で前面デザインが特徴的になっているのは一部で、それぞれ京葉メルヘン、武蔵野メルヘンと愛称がつけられているのですがその辺についてはどうでしょうか。--kaikozuki 2007年12月15日 (土) 11:08 (UTC)[返信]

クハ205・204-108~119、145~149について、「メルヘン」という愛称がついているということが検証できる出典はありますか。また、京葉線関係で「メルヘン」と言った場合は、基本的に167系のメルヘン号、および、それに充当された専用167系(の塗色)のことを指します。205系について「メルヘン」という愛称を用いるのは不適切と考えられます。L25.203.l03.26 2007年12月15日 (土) 12:25 (UTC)[返信]

保留車について[編集]

踏切事故で使用不能となったモハ205-386とモハ204-388について(本文では「事故で復旧が見送られた2両はその後廃車される」と記述され、この記述のソースである鉄道ピクトリアル2007年11月号の記事では「廃車に追い込まれた」と記述されていて、廃車されたかのような表現になっている)、鉄道ファン2008年7月号やジェー・アール・アール「JR電車編成表 '08夏号」より、2008年4月1日現在では、2両共保留車扱いで籍が残っており、廃車扱いになっていません。ですから、現状では廃車されたかどうかは検証できない状態です。また、前述のように川越車両センターの埼京線用の編成で、サハ204-1~4がハエ1・2編成へそれぞれ組み込まれ、外されたサハ205-146~149は、146・147はハエ32編成へ、148・149はハエ26編成へ組み込まれ、26編成のサハ205-220・211、32編成のサハ205-107・108が保留車扱いとなり編成から外されています。それと、京葉車両センターの保留車群も、上記の日付現在ではまだ保留車扱いですが、近いうちに鉄道ピクトリアル2007年11月号の記事のようになるものと思われます。(2008年5月11日に大宮駅でVVVF改造された元ケヨ21編成らしき姿を見ましたが・・・・。)ただ、これも現状では検証できない状態なので、出来るようになるまでその部分は本文のままにしておきますが、検証できる部分に関しては修正をしておきます。あと、検証できない編集をされた場合を想定して警告文を貼り付けようと思っていますが、その必要があるかどうか現状では思案中なので、貼り付けてはいません。--鉄道マニアック野郎 2008年5月23日 (金) 12:14 (UTC)[返信]

新しい話ですが、関連見出しがありましたので、こちらに付記します。京葉車両センターのトップナンバーを含む編成が保留車になっている件ですが、これはE233系の投入に関係なく、E331系投入時から「名目上の保留車」となっているようです。鉄道ファン誌のデータでは保留車になっていますが、交通新聞社のJR電車編成表ですと、他の車両と同様の扱いになっているのが分かります。
JR東日本の「保留車」の中には「名目上は保留車だが、実際には他の車両と同様に運用される」という車両もあります。また「落成はしたが運用入りしていない車両」も保留車とされている場合があるようです。ですので「トップナンバーを含む編成が保留車」ということは間違いではなく、検証可能性も満たすのですが、「運用入りしていない」かと誤解されても意味がありませんので、その旨は記載しない方が妥当だと思います。L25.203.l03.26 2010年6月3日 (木) 12:42 (UTC)[返信]

205系の設計最高速度について[編集]

こちらの編集[3]で120km/hに加筆されているのですが、こちらの出典についてご存じの方は教えて頂きたいです。
と言うのも、MT61の場合最高回転数は4170回転で、205系の歯車比と動輪径から計算すると106km/hにしかなりません。JR西日本の1000番台は110km/h対応のため回転数を5100回転までにしています。
通常のMT61の試験最高回転数は4600回転で、この回転数を用いても117km/hにしかなりません。
120km/hの根拠を知りたいと思いますので、ご存じの方よろしくお願いいたします。
なお、最高回転数等については、交友社の205・211系電車を、1000番台の回転数上限変更については電車1988年4月号を参考にしています。--永尾信幸 2008年9月11日 (木) 02:58 (UTC)[返信]
120km/h加筆編集者の利用者ページを見ると、投稿ブロックを受けたり編集過程でもいろいろと問題を起こしているようなので、雑誌等で検証可能なカタログスペックに差し戻すのが妥当かと思います。Alt winmaerik 2008年10月9日 (木) 07:46 (UTC)[返信]

不可解な削除編集[編集]

国鉄末期の明石区への投入に関して、「武蔵野線増発用」の部分の「武蔵野線」の部分が削除されましたが、削除した根拠は何でしょうか。出典などを示していただきたいと思います。なお、差し戻させていただきました当方の出典は、とれいん (雑誌) 2008年7月号21頁右下の文章ですので申し添えます。L25.203.l03.26 2008年11月3日 (月) 12:42 (UTC)[返信]

全体的な転配図については、鉄道ジャーナル1987年1月号にも掲載されています。
205系7連4本が入って、103系6両編成が4本、サハ103のみ4両に分け、103系6両編成1本は豊田、3本は日根野、サハ103は片町線7両化用として淀川と転じたわけで、205系からの直接転配を考えると、日根野と城崎電化が結びつかないって事で、城崎電化の方を削るってのはわかるのですが、直接豊田に6両転じてるのに武蔵野線の方を削った意図がわかりません。たぶん、こういう転配について知らないのに編集したのでしょう。ウィキペディアでは日常茶飯事に起こる交通事故です。
城崎電化用の113系は、日根野に転じた103系が奈良とか回り回って捻出できるわけですが、なんというか検証されないで改変されるってのは、やっぱり怖いですね。
特に、転配属ってのは、かなり突っ込んで調べないと、なかなか全容は浮かび上がらないので、安易に手を出さない方が身の為じゃないかと私は思うので、編集にはそのあたりを十分に配慮して欲しいなと思っています。
ちなみに、205系28両のうち、武蔵野線増発用名目は10両、残り18両が城崎電化用です。明石から直接行った6両以外の4両は、これまた回り回ってですね(笑)
L25.203.l03.26さんのように、知ってる方がいたから正しく戻せたわけですが、正しく書かれている所だけ部分的に保護とかシステムとして出来ないのでしょうかねぇ。--永尾信幸 2008年11月4日 (火) 07:07 (UTC)[返信]
利用者:L25.203.l03.26様へ1986年の武蔵野線への投入の件ですが私の確認が足らなかった模様です。事実を知らないままで荒らしと間違えたものでございまして、大変失礼いたしました。--T-syoji 2008年12月23日 (火) 11:32 (UTC)[返信]
T-syojiさんの会話ページにも記させていだだきましたが、了解していただければ結構です。昔のことは難しいですね。以前、同じ箇所で「山陰線」の部分が削られたこともありました。この時は福知山から先の電化だったのですが、京都付近の電化と混同して「時期がおかしい」と考えた方が削ってしまわれたようです(そのため、電化区間を付記しました)。
また、鉄道雑誌でも間違った記述が割とあったりしますから、調べてみても分からなかったり、疑問が解けなかった点は、編集する前にノートページで質問してみるのが良いと思います。L25.203.l03.26 2008年12月23日 (火) 12:29 (UTC)[返信]

加速性能について[編集]

IPの方が加速性能について加筆なさいましたが、出典が「川島令三氏の書籍」では困ります。具体的な書籍名を呈示して下さい。また、加速性能は、MT比のほか、限流値の設定によっても変化します。ですので、その加速性能を発揮する際の限流値の数値(空車時で可)を付記しませんと、MT比だけでは意味がありません。MT比が低くても、限流値を大きくすれば、加速性能を上げることが可能だからです。もし、その出典に記載があれば、そちらも付記願います。なお、編成定員の項目が虚偽記述でしたので、一旦、全て差し戻させていただきました。御了承願います。L25.203.l03.26 2008年12月14日 (日) 03:12 (UTC) : 修正付記L25.203.l03.26 2008年12月14日 (日) 03:30 (UTC)[返信]

弱め界磁中間段について[編集]

機構の欄に

  • 国鉄の直並列制御を行う通勤形電車では初めて弱め界磁制御を途中までとする「中間弱め段」が設定され、マスコン段数は従来の4段から5段に増えた。5段まで進段すると界磁電流は35%まで絞られるが、4段では60%までに留められる。

と、ありますが、103系や301系は2ノッチが全界磁、3ノッチが57%弱め界磁、4ノッチが35%弱め界磁ですので、初めてでは無いと考えられます。また、この加筆が行われたのは[4]この編集で、このノートの15番「205系の設計最高速度について」の間違いをされた編集でもあり、また定格引張力を8870kgから1109kgへと独自の表現方法に変えた編集でもありますので、この編集自体に信憑性が薄いとも言えます。いずれにしても、MT54を用いた多くの形式で4ノッチが63%界磁、5ノッチで40%界磁という制御が行われており、特に中間弱め段があるから特筆できるものでも無いと思いますから特に異論がなければ一週間後をめどに関連する記述を削除したいと考えていますのでご意見の方ありましたらお願いいたします。--永尾信幸 2009年1月30日 (金) 20:50 (UTC)[返信]

元ケヨ21編成の武蔵野線転用によるM66編成の処遇について[編集]

元ケヨ21編成ですが、M36編成として営業運転に就きました。これにより、元ケヨ23編成であるM66編成が運用を離脱しました。M66編成は抜き取られたサハ2両を連結し、京葉線に復帰すると書かれていますが、どうやらそれはない模様です。なので、M66編成京葉線復帰予定の旨は削除すべきでしょうか?おそらくこの情報は個人サイトの記述なので、即削除という訳にはいかないでしょう。--218.45.84.213 2009年2月3日 (火) 14:08 (UTC)[返信]

まず、ケヨ21編成は配置はそのままで使用線区が変更になっていますので、「転属」ではなく「転用」が妥当です。タイトルを修正させていただきました。
京葉線への復帰予定は、JRの方が鉄道ピクトリアルの記事で執筆なさったので検証可能性を満たせるのに対し、「どうやらそれはない模様」というのは現時点では独自研究になってしまいますので修正は不適切と思われます。現在の記述は「予定」となっており、虚偽の内容というワケではないですので、もう暫く様子を見て、M66編成の動向がハッキリしてから対処すれば良いと思います。L25.203.l03.26 2009年2月4日 (水) 12:39 (UTC)[返信]

M66編成はダイヤ改正で増発される横浜線への転属という説が有力のようです(デジタル無線の通告表示モニターが横浜線用の編成と同位置のため、このような説が生まれました)また、M66編成化で抜かれたサハ2両が大宮セに入場したそうです。しかしまだまだ編集は控える必要がありますね。 --218.45.84.113 2009年2月25日 (水) 14:45 (UTC)[返信]

[5]これは「マス媒体による記事=Wikipediaの言う信頼できる情報源」に該当しますか?--115.165.91.221 2009年4月29日 (水) 23:40 (UTC)[返信]

現時点では、鉄道ファン誌のニュースサイトは情報源として認められているようです。ただ、その編成で営業をするという保証は無いですので、もし記事に加筆するとしたら、実際に営業入りをして、それついての記事が、同サイトなどで取り上げられてからの方が良いと思います。L25.203.l03.26 2009年4月30日 (木) 13:53 (UTC)[返信]

鉄道ファンのニュースサイトで5月2日から横浜線で営業運転開始したことが取り上げられました。信頼できる情報源と認められているので編集します。--218.231.169.201 2009年5月7日 (木) 13:49 (UTC)[返信]

画像過剰テンプレートについて[編集]

東京工業大学のIPにより、画像過剰のテンプレートが貼られましたが、ノートでの提案・議論がありません。無責任なテンプレートの貼り付けはお止め下さい。画像が過剰と感じられた方は、「○○の画像は不要ではないか」などと具体的に示して御提案願います。漠然と「全体として多いと感じる」という感想だけですと、対応の方法がありません。「不要ではないか」と感じる画像がありましたら、こちらに御提示いただくよう、お願いいたします。L25.203.l03.26 2010年6月15日 (火) 11:39 (UTC)[返信]

運用離脱車に関する記述について[編集]

E233系5000番台の営業開始に伴い運用を離脱した京葉線用の205系の一部が長野総合車両センターに送られました。しかし、これだけで「廃車」ということを確認することはできません。もし、車体が実際に解体されたとしても、「解体=廃車」ではありませんので、解体されたという事実だけでは廃車と認定することはできません。「廃車」という表現を用いる場合は、配置表や編成表、またはそれに準ずる資料で、その旨が確認(検証可能性を満たすこと)ができた場合のみにして下さい。また、雑誌のニュース欄などで「廃車回送された」というような記事が掲載された場合でも(既に一部のサイトに出ているようですが)、実際に廃車される日付は配置表などでないと確認できませんので、廃車回送の記事だけでは「廃車になった」とは書けません(そのサイトも推測でしか書いていませんでした)。そして、車両が廃車回送される度に、その旨を書いていてはキリがありません。一線区につき、最初の一編成と最後の一編成程度にすべきと考えます。特に異論が無ければ、上記の内容でローカルルールを設定したいと思いますので、御意見のある方は書き込み願います。L25.203.l03.26 2010年7月13日 (火) 13:15 (UTC)[返信]

宮原総合運転所所属車の運用範囲について[編集]

現在「高槻 - 尼崎」となっていますが、ネット上の情報では京都駅発着列車も一往復あるようです。現時点では検証可能性を満たす資料が見つけられないので改変はしませんが、念のため、こちらに記しておきます。L25.203.l03.26 2011年3月28日 (月) 11:19 (UTC)[返信]

この差分で京都駅 - 尼崎駅間に変更されていましたが、その時点であった『鉄道ファン』の出典では確認することができないため、『鉄道ダイヤ情報』2011年5月号 p.17 で確認できた出典に変更しました。ちなみに、平日ダイヤは京都駅 - 尼崎駅間で、土曜休日ダイヤでは宮原操車場 - 高槻駅間の回送のみとなっています。--W0746203-1 2011年4月20日 (水) 06:59 (UTC)[返信]
修正と補足、ありがとうございました。L25.203.l03.26 2011年4月20日 (水) 12:05 (UTC)[返信]

富士急行への譲渡[編集]

鉄道ファン2011年8月号の「廃車」の欄で、一部車両について富士急行へ譲渡予定である旨の記載があるようですが、実際の譲渡予定車よりも記載対象が少ないという見方があるようです。京葉線の205系の一部が富士急行へ譲渡される予定があることは、検証可能性を満たしていますが、詳細についての記述は避けておいた方が無難と思われます。また、クハ205(-11)の部品を用いてモハ205(-33)を先頭車化改造することが見込まれており、譲渡対象車両と、実際に使用される車両の両数とが異なる可能性も高いです。L25.203.l03.26 2011年6月25日 (土) 09:31 (UTC)[返信]

(補足) 本文での記述ですが、「譲渡」になりますし、一旦「廃車」の扱いになっていますので、「転属」や「転出」欄への記載ではなく、まずは「廃車」の欄でその旨に触れ、より具体的な動きが出てきましたら、別途、専門項目を立てるのが良いと思います。(転出欄から廃車欄へは、スグ移動させていただきます。) L25.203.l03.26 2011年6月25日 (土) 09:36 (UTC)[返信]

大船工場製の車両について[編集]

横浜線向け新製車205系H25編成の中間車3両は大船工場製ですが、JR東日本初の自社製造車両ではないようです。H25編成の大船工場製3両は1989年(平成元年)2月15日落成ですが、JR東日本107系電車はすでに1988年5月頃?に落成しており、明らかに間違いです。ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」2002年4月号「205系通勤形電車17年の軌跡と今後」 55ページには確かにJR東日本初の自社製造車両と書かれていますが、こちらが間違いのようですので、先ほど訂正いたしました。--TKKM 2011年11月23日 (水) 11:18 (UTC)[返信]

サハ204形についての記述の「6ドア車」記事への分割について[編集]

  • この記事では、まだ6ドア車全体の記事がないのが理由であろうか、6ドア車「サハ204形」に関する記事がかなり詳しく記述されており、肥大化しているのではないかと思います。そこで、6ドア車全体の記事を作るにあたり、サハ204形の記述の一部を新記事に分割・転記したいと思っています。ただ、サハ204形の記述すべてをこの記事から無くすわけではございません。これにあたり、意見をお願いいたします。反対意見は1週間以内にお願いします。1週間経っても反対意見がない場合は分割を実行致します。--wikimizuki会話) 2020年2月29日(土)09:01 (UTC)
具体的に何を転記しようとしているのかが分かりません。また、6ドア車については通勤形車両 (鉄道)に記述があります。--ふみきり会話2020年2月29日 (土) 10:00 (UTC)[返信]

鉄道の混雑対策としての方法は「扉を増やすこと」と「扉自体を大きくすること」の二択に分かれてしまったのはよくわかり、そのうちの扉を多くすることに重点を置き、その例として「6ドア 車」の記事を作ろうと思いましたが、やはり5扉など、その他の多扉車全体の件も考えると、JR東日本および東急の6ドア車だけでは足りなくなりますね。諦めたいと思います。 Wikimizuki会話2020年2月29日 (土) 11:08 (UTC)[返信]