ノート:南京大虐殺論争/過去ログ2

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 ローカルルールへの疑問[編集]

 「編集」の意味が不明です。「掲載」への合意ルールであることはわかりますが、削除への合意も同一のようです。 それでは3日放置しただけで、「根拠の示されない微妙な表現が入り放題で、気付いて削ることには妨害が入る」、ことにもなりかねません。
 「掲載すること」 「削除すること」 「中立表現に気をつけること」 は別々の要素・別々の議論とすることが必要でしょう。  いちいちルールに加えるかどうかは別としてその姿勢がないと悪用の元だと思います。
--如月の弥 2007年5月10日 (木) 10:12 (UTC)[返信]

日本語の不備について[編集]

『主な見解』内の『数千~2万』の記事について。

>市民に対する虐殺は、城内と江寧県を合わせた死者総数1万5,000人とし、このうち虐殺に該当するものを
と、最初から虐殺と明記しているにも関わらず、後でまた「虐殺に該当するもの」と書いてある。

日本語的におかしいと思いますが、どうでしょうか。--White 2007年8月9日 (木) 07:51 (UTC)[返信]

私も思います。--以上の署名のないコメントは、219.105.210.107会話/Whois)さんが 2008年1月27日 (日) 13:05 (UTC) に投稿したものです。[返信]

 中間派の記述について [編集]

初投稿です。 ざっと本文を読ませていただきましたが 肯定派と否定派にわかれて論述されているのですが 中間派というものもあるわけですよね。 どうしてこの派の主張が省略されているのでしょうか。 いまのものですと やや否定派に編者が肩入れという匂いを感じます。 これは不公平ではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、221.185.52.4会話/Whois)さんが 2006年4月16日 (日) 18:23 (UTC) に投稿したものです。[返信]

それはあなたの主観です。私は偏っているとは思いません。--以上の署名のないコメントは、134.160.173.1会話/Whois)さんが 2006年6月12日 (月) 07:30 (UTC) に投稿したものです。[返信]
それもあなたの主観です。叙述量として、中間派の記述は少ないでしょう。--以上の署名のないコメントは、125.207.227.221会話/Whois)さんが 2007年1月8日 (月) 07:58 (UTC) に投稿したものです。[返信]
上の方へ。ウェキペディアでアカウントを作って、投稿内容へ署名をする事をお勧めします。
中間派の記述の記述に関しては私も上の方と同じような印象を受けますが、それ以前に「肯定」「中間」「否定」のたった3つの分け方では、記事を読む人に対して誤解を与えるのではないでしょうか?現在の記事では主な論点としていくつもの項がつけられていますが、より大別した論点を見れば「真偽の論争」と「定義の論争」に分けられます。例えば、多数の投降兵の殺害を認めていても、それを虐殺と定義しなければ肯定派も中間派以下の分類になります。こうした虐殺の定義を考慮に入れないまま、さらに肯定と否定の二極対立で記述された項目が多数ありますが、これでは読み手に正しい情報は伝わらないでしょう。--Fishman 2007年3月8日 (木) 15:41 (UTC)[返信]

東中野のコメントは学術的か否か[編集]

2005年10月22日(土)03:23の編集は、 内容自体も少々眉唾モノで記載するのはどうかと思うのですが、それ以前に著作権侵害ではないでしょうか。 [1] Kanoe 2005年10月23日 (日) 12:37 (UTC)[返信]

引用の点から確かに問題があると思えます。東中野修道氏の解釈ではありますが、現時点で一般にマスコミなどに取り上げられムーヴメントになっているといった様子も見られないようですので、引用を避けた記述に改め記事「東中野修道」に移動したいと考えます。--Tukasa ryo 2005年10月24日 (月) 07:01 (UTC)[返信]
全て消去するのではなく、そのような学説を紹介し、その記事へのリンクを残すような工夫が必要ではないでしょうか。Conspiracy 2005年10月25日 (火) 10:08 (UTC)[返信]
確認したいのですが、何を以って「内容自体も少々眉唾モノ」だと判断されたのでしょうか?①『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』(1941年)は、間違いなく存在し、②田伯烈(ティンパーリー)が「戦争とは?」を宣伝工作として作成したのは明らかです。しかしながら、この引用が著作権を侵害するかどうかについては議論の余地があるでしょう。--Neigh 2005年10月25日 (火) 09:36 (UTC)[返信]
お答えします。私が調べた限りでは、今回記載された内容は東中野修道氏が『正論』('03.4?)において発表したものであり、何らかの学会などアカデミックな場において発表された内容ではない、ということが、私が編集内容にやや疑問を呈している理由です。実際、言論誌での発表だけでは、『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』が「間違いなく存在し」、「ティンパーリーが」「宣伝工作として作成したのは明らか」と断定することはできません。少なくともアカデミズムの畑ではそうです。
もし、今回の内容がアカデミックな正式な場において発表がなされているのであれば、私としては問題ありません。 Kanoe 2005年10月25日 (火) 11:05 (UTC)[返信]
日本「南京」学会年報 『南京「虐殺」研究の最前線(平成十五年版)』 (展転社)に、ほぼそのままの文面で発表されていますが、それ以上のものが必要と言うことですか?--Neigh 2005年10月25日 (火) 11:56 (UTC)[返信]
日本「南京」学会年報に記載されていることは私の調査不足でした。すみません。さて、私としましては日本「南京」学会が史学の畑において「正式な場」と認知されているのであれば、問題無いと思います。(あと、両日くらい待って下さいね) Kanoe 2005年10月27日 (木) 06:54 (UTC)[返信]
返答がないので、両論併記に修正します。--Neigh 2005年10月27日 (木) 02:16 (UTC)[返信]
史学会でなく'日本「南京」学会'と明記してくださいね。それよりか南京学会の詳細をお願いしたいところです。自民党の新人議員とかが入会していて会員が「つくる会」と重複してるんじゃないですか?johncapistrano 2005年10月27日 (木) 02:44 (UTC)[返信]
しかしながら、藤原彰(朝鮮戦争について、ソビエト元首相フルシチョフの回想録で「北朝鮮の侵略」であることが明らかになっているにも関わらず、「韓国軍が攻撃を開始し、先端が開かれた」と主張)や、洞富雄(「単なる誤訳か、読者をわざとミスリードする目的を感じる誤訳が200を超える」)や、吉田裕(「便衣兵であっても捕虜の待遇が認められる」、や、「軍事上の必要から捕虜の殺害が正当化される状況はありえない。」と主張)などを歴史家としていることから、史学会とやらの権威は地に落ちたといって過言ではないでしょう。中国の主張を鵜呑みにするだけの『学会』は存在自体が無意味ではないでしょうか。--Neigh 2005年10月30日 (日) 02:44 (UTC)[返信]


ここでなくてもいいですが、私が聞いているのは南京学会の詳細です。フレーズ?とは言え [2]のコピペを含んでいるようですが・・。johncapistrano 2005年10月30日 (日) 03:06 (UTC)[返信]
では、引用部を削除しておきます(作文中の変な文章を載せてしまい、申し訳ありません)。次に学会の詳細を求めておられますが、下の2005年10月29日(土)20:26 (UTC)の私の投稿に、『日本「南京」学会は、「学会は見解の相違を超えた、学問的な意見交換の場として設立され」ており、同会役員名簿(案)によれば、顧問、理事計二四名中、元教授や客員教授を含めて学者が一七名、うち現任教授は一三名である。』と、一般的な詳細を書いてあります。これ以上、日本「南京」学会についての記述は必要ないと思いますが。--Neigh 2005年11月1日 (火) 01:26 (UTC)[返信]


「歴史」の節じゃなくて「論点」の節に書けばいいんじゃないですか? 歴史的大発見というほどのものでもないのであれば。Hermeneus (talk) 2005年10月27日 (木) 03:12 (UTC)[返信]

 笠原十九司が『週刊金曜日』において、日本「南京」学会の『年報』について、「…学問的に無意味な学会である。」と述べているところから、学問的であるにしろ、ないにしろ、『日本「南京」学会』を学会として認めており、また、続いて、「…反学問的な学会である。」や、「…民主主義に敵対する運動に関連している学会ともいえるのである。」と、何度も『日本「南京」学会』を「学会」として認めています。
 そして、学問的であるか否かについては、日本「南京」学会は、「学会は見解の相違を超えた、学問的な意見交換の場として設立され」ており、同会役員名簿(案)によれば、顧問、理事計二四名中、元教授や客員教授を含めて学者が一七名、うち現任教授は一三名であることから、充分、学問的な学会であると言えるでしょう。
 一方、マスコミでは、一番中共拠りの見解を示している朝日新聞でさえ秦説の4万人前後を支持していることから、世間一般では、現在の史学会及び、南京事件調査研究会の主張は受け入れられていないと言えるでしょう。
 さらに、史学会については、「朝鮮戦争は韓国とアメリカの陰謀であり、中国が義勇軍を出して助けたのだ」と、ソビエト元首相フルシチョフの回想録によって、「北朝鮮の侵略」であることが判明した後も主張するなど、学術的な検証なしに、中共の見解をそのまま鵜呑みにする行為によって、その権威は地に落ちたと言っても過言ではないでしょう。
 なお、笠原十九司が『南京事件と日本人』(柏書房)で、否定論者について、「アカデミズム世界における論客」と、位置づけているところから、アカデミズムの畑でも充分通用するでしょう。
 それから、私の意見は、学術的でない、アカデミックでない、学会とはいえない、等の意見への反駁であって、記載方法には特に考えておりませんので、Conspiracy氏の引用にすると言う意見や、Hermeneus (talk)氏の言うとおり、「論点」への移動について否定するものではありません。--Neigh 2005年10月29日 (土) 20:26 (UTC)[返信]
(日付をみれば分かると思いますが、二日弱待たせていただいたのですが、短いということであれば、今後、もっと間(1週間程度)をとるようにします<(_ _)> )--Neigh 2005年10月27日 (木) 13:07 (UTC)[返信]
明確なルールがあるわけではなかったと思いますが、Wikipediaにおける合意形成では少なくとも一週間ほど待つのが無難であると思います。--Snow steed 2005年10月29日 (土) 13:36 (UTC)[返信]
Neighさん
今回の議論から逸れる点もありますが、幾つか疑問がありますので宜しければお答え頂けませんでしょうか。
  • 「学問的であるにしろ、ないにしろ」:無かったら今回の議論の場合、意味が無いのではないでしょうか?
  • 「学会は見解の相違を超えた、学問的な意見交換の場として設立され」:過去に否定説以外の説(特に肯定説)についても発表がされているのでしょうか?
  • 「朝日新聞」が「秦説の4万人前後を支持している」:一論説委員が秦説に同意する旨の記事を書いたのだと思うのですが、その場合、朝日新聞の総意とは言えないと思うのですが?
  • 「現在の史学会」「の主張」とは何でしょうか?
  • 「現在の史学会」とは史学の畑全体を指しているのでしょうか? つまり、 日本「南京」学会は史学の畑に属していないということですか? 
  • 重複になりますが、朝鮮戦争云々について主張し続けている「史学会」とは何ですか?
  • 「否定論者について(略)充分通用する」のは良いのですが、(否定論者に限らず)自説を展開するに当たって主張する説が、必ずしも「通用する」訳ではないと思うのですが? Kanoe 2005年11月1日 (火) 13:31 (UTC)[返信]


  • 「学問的であるにしろ、ないにしろ」
では、中国で主張されている「30万人虐殺」は、『学問的』でしょうか。日本では世間一般において、現実に虐殺派は否定されつつあります。
  • 「学会は見解の相違を超えた、学問的な意見交換の場として設立され」
『南京事件調査研究会』が、過去に肯定説以外の説についても発表がされているのでしょうか?
  • 「朝日新聞」が「秦説の4万人前後を支持している」
 問題の記事は論説委員室によって朝日新聞の主張として発表されているにも関わらず、それを一論説委員が書いたものであって、朝日新聞の主張ではない、とする根拠を提示してください。
 紙面の『窓』の欄で「勝者が敗者を一方的に裁いた東京裁判での証言だけで歴史観がつくられるのはおかしいということだろう。その点は、戦争責任を忘れない人たちの大多数も理解できる主張なのではないか。」とし、さらに、秦氏の『「今となっては正確な被害統計を得ることは、理論的にも実際上も不可能に近い」と前置きして、被害者数は四万人前後と推定している』を引用していることから、社会通念上、朝日新聞の主張であることは間違いないでしょう。
  • 「現在の史学会」「の主張」
  • 「現在の史学会」とは史学の畑全体を指しているのでしょうか?
ここで言う「史学会」とは、近現代史の権威の藤原氏他からなる『南京事件調査研究会』が、ほぼそれにあたるものだと考えています。一昔前までは、この『南京事件調査研究会』の主張がそのまま歴史教科書などにも、多大な影響を与えていたことから『南京事件調査研究会』≒『史学会』でしょう。
  • 朝鮮戦争云々について主張し続けている「史学会」
もちろん、辞書や教科書に影響を与えていることを明示するために例示したものです。今現在において、朝鮮戦争については、北朝鮮からの侵略行為であったことは常識ですが、「韓国と米国の陰謀であった」とする中国共産党の歴史観を鵜呑みにした藤原氏が、近現代史の権威としていた頃の「史学会」を指しています。
  • 「否定論者について(略)充分通用する」のは
では、『必ずしも「通用する」訳ではない』ことの根拠をお願いします。--Neigh 2005年11月6日 (日) 07:56 (UTC)[返信]
  • 「中国で主張されている「30万人虐殺」は、『学問的』でしょうか」
中国云々ではなく、今回の議論の場合の話をしていたのですが。
  • 「『南京事件調査研究会』が」
『日本「南京」学会』についてお聞きしたのですが。
  • 「社会通念上、朝日新聞の主張であることは間違いない」
私はその社会通念を欠いているようです。すみません。
  • 「『南京事件調査研究会』≒『史学会』」
了解しました。以降は、『南京事件調査研究会』をさす場合には、『南京事件調査研究会』とお書きください。
  • 「『必ずしも「通用する」訳ではない』ことの根拠」
何を論じるにあたっても、自説を展開するに当たって主張する説が全て通用していたら論理的でもなんでもなくなると思うのですが。

すみません、わざわざお答え頂きまして有難うございました。 Kanoe 2005年11月6日 (日) 08:43 (UTC)[返信]

持ち越し修正分について[編集]

遅くなってしましましたが、2004年11月12日 (金)17:59 (UTC)にノートで合意されていた見解を移動したしました。この議論については当時ご参加されていたNeigh氏にもご確認をお願いしており、異論はいただかなかったと思います。ですが、新たに追加していただいた冨澤繁信氏、北村稔氏、勝岡寛次氏、阿羅健一氏、杉山徹宗氏、渡部昇一氏、竹本忠雄氏、大原康男氏、鈴木正男氏、西岡香織氏、前野徹氏、深田匠氏らが何れの主張を支持しておられるかについては、お手数ではありますが加筆いただいたNeigh氏にご確認いただけたらと思います。--Tukasa ryo 2005年10月28日 (金) 13:25 (UTC)[返信]

 しかしながら、「南京大虐殺があった」とする肯定論者が、上述のとおり主張する一方、肯定論者の提示した根拠が「大虐殺」を証明するに足りえないものであり、具体的には埋葬記録が水増しされていたことや、「南京大虐殺」の証拠とされる写真が全て捏造であったことなどから、そもそも、「大虐殺」自体を疑問視する声が高まっている。
申し訳ないですが、私はTobey氏の主張に異議を唱えていただけで、内容に合意しておりません。それから、一般にリバート(差し戻し)は、荒らし行為への対処として推奨される行為で、「通常の投稿者が記事に対して寄与すると確信して行った編集への対処としては、推奨される行為ではありません。編集された内容に疑問がある場合はノートページなどで議論を提起してください。」とされていることから、上記の内容の不備があれば、リバートでなく修正して頂けないでしょうか。とりあえず、まだ本文の修正は行いませんので、こちらで指摘願います。--Neigh 2005年10月29日 (土) 12:08 (UTC)[返信]
Neigh氏もご理解されている事と思いますが、現時点で、南京での虐殺があったとする説と否定説は対等に論じられている訳ではありません。現在の歴史学において世界的にも南京での虐殺は事実であるとされており、日本に南京での虐殺が無かったとする否定説を採る少数の歴史研究者がいるにすぎません。事実として広く認知されている南京での虐殺について、これを無かったと主張する側が、無かった事を証明する必要があり、そのため否定説を掲げておられるのではなかったのでしょうか。
埋葬記録に関しては、日本側の、人数はともあれ虐殺はあったとする各説それぞれが、殺害された人数を正確に検討する上で、精度や解釈について論じておられます。「水増しがあった=虐殺が無かった」といった疑問を呈されているのは否定説を掲げる方々のみであり、否定説が受け入れられていない現状から見ても、虐殺自体を疑問視する声が高まっているとは言えないでしょう。
写真の捏造に関して、3万点とも言われる膨大な写真の全てが専門家によって捏造であると検証された訳ではありません。東中野氏が選び出された143枚のみに関しての、写真解析がご本業ではない東中野氏による検証であり、元のプリントからでなく印刷されたものから写真の不鮮明さを指摘したような検証にどれほどの精度があるのか、といった疑問も呈せられていたと思います。また東中野氏ご自身でも、写真に捏造がある事を指摘したのでありイコール虐殺の否定ではないといった趣旨の発言をなさっていたように思います。写真の疑義に関しては、むしろプロパガンダの項目で扱うべきではないでしょうか。--Tukasa ryo 2005年11月4日 (金) 13:42 (UTC)[返信]
私はこのために、南京大虐殺に疑問を呈している著者を挙げさせて頂きました。これによって、「否定説を採」っているのは、少数ではないことが言えます。さらに、南京大虐殺を裏付ける証拠が悉く捏造であることが判明した今日に至っては、虐殺説を主張する学者自体が希少であることが言えるでしょう。また、上にある「朝日新聞が中間派」を支持していることを併せて「虐殺自体を疑問視する声が高まっている」とするに充分な根拠といえるでしょう。
また、「これを無かったと主張する側が、無かった事を証明する必要があり」とありますが、これは一般的に悪魔の証明と言われるものであり、まともな発言とは思えません。
次に、埋葬記録に関してですが、崇善堂が埋葬した事実はないうえに、紅卍字会も埋葬数に水増しがあったことは疑いようのない事実で、その埋葬された遺体もまた、軍人であったか否かも確認できません。しかも、これを踏まえて論ずるならば、虐殺派はおろか中間派まで、その人数が疑問視されるでしょう。
また、証拠写真については、3万点のうち南京大虐殺の証拠として使われている写真143点について精査した結果であって、その他の写真は大虐殺の証拠足り得ないものでした。専門家云々ですが、143枚の中にもありますが、キャプションの改竄、日本の軍服ではない、拡大してみると連行中にもかかわらず笑っている、など、写真の専門家では意味がない捏造が殆どであるため、「専門家によって捏造であると検証され」る必要がありません。なお、実際に『南京事件「証拠写真」を検証する』を読めば、そのあたりは理解できるでしょう。
そして、「写真に捏造がある事を指摘したのでありイコール虐殺の否定ではないといった趣旨の発言をなさっていた」のは事実ですが、今後、写真を以って、南京大虐殺の証拠である、という主張はできないでしょう。
さらに、現在の「学者・研究者の反応」について、
  • 否定説はほとんどの歴史家の間では受け入れられる傾向はない。
→上記のように、逆に肯定説の方が受け入れられない傾向にある。
現在では歴史研究者の間では南京事件の有無を問うことは、中国政府をいたずらに刺激し、研究活動に支障が出るという声も聞こえてくる。
→具体的に「歴史研究者」とは誰でしょうか?
  • また一部の社会学や心理学の研究者の間では、「なぜ大衆が非学術的な言述を信用するのか」という研究の対象となっている。
→具体的に「社会学や心理学の研究者」とは誰でしょうか。また、この一文は否定派に対する名誉を毀損する内容ですので、削除する必要があるのではないでしょうか。


以上、Tukasa ryo氏の主張はリバート(差し戻し)する根拠足りえないないことから、「学者・研究者の反応」について修正する必要があります。しかしながら、まったく学術的でない肯定派の意見も、少数ではありながら存在することから、両論併記が妥当でしょう。--Neigh 2005年11月6日 (日) 10:10 (UTC)[返信]


 まったく反論がないうえ、本文が掲載されて1年以上の間、上記の反論に全く論理的な回答が得られないことから、項目ごと削除するべきだと考えておりますが、もし、反対の方がおられれば、具体的に回答を頂けないでしょうか。一昨年以上前から、上記の質問に合理的な回答が得られないことから、即時削除としてもよいかとも思いましたが、「大虐殺があった」と主張される方々による議論の摩り替えや、具体的な論証を挙げずにだらだらと無意味な修正が加えられることに呆れてものがいえないことから、1月14日を目途に削除を行いますので、上記に反論があれば具体的に列挙願います。--Neigh 2006年1月6日 (金) 18:44 (UTC)[返信]

Tukasa ryo氏も指摘されていますが、南京大虐殺否定論というのは、近代史学上、一般性に欠ける「学説」だと思われます。例えば、通史の記述や中・高の歴史教科書、または各種の辞典などの記述でも否定説が扱われることはありませんし、その存在すら言及されません。もちろん、世界的に見るならば、否定説など存在しないようなものでしょう。これらの視点に立って、学術上の動向としての記述は残すべきだと思います。--Kitchener 2006年1月9日 (月) 13:18 (UTC)[返信]

Neigh氏、回答が遅れた事をまずお詫びいたします。ご指摘いただいた件について、記事にも記載されていますが南京大虐殺論争において緒論あれど、虐殺と言える事態が無かったとしているのは否定説のみである事はご理解いただけていると思います。否定説以外の何れの論も、さまざまな証拠から虐殺があった事を認めた上で、その被害者数について議論をかわしているのです。他の論が、被害者数に差はあれど虐殺はあったとする論拠をもって、虐殺が無かった証拠だとする否定説が研究者の間で受け入れられていないのはむしろ当然でしょう。

  • 南京事件の有無を問うことはについて
こちらに関して、私は初版を記述しておりませんので記述された方が具体的にどなたを念頭に置かれていたのかは解りかねます。現時点で論者と内容に正確性が必要だと仰るのであれば、秦郁彦氏や北村稔氏の指摘を元に「南京事件の被害者数に関して、30万を多すぎるまぼろしだと指摘する事は、中国国民をいたずらに刺激し、研究活動に支障が出るという声も聞こえてくる。」が適当とも思います。
  • 社会学や心理学の研究者について
先の議論の際、高橋哲哉氏とその著作を例にお答えしております。また、記事にも指摘のある一次資料を捏造し否定説の論拠とした田中正明氏の言説は、「非学術的な言述」として差し支えのないものだと考えます。

Neigh氏のご指摘に回答するため、あらためて記事を読み返してみたのですが、南京での虐殺に関して被害者数に関して議論があるという点は疑問の余地はありません。ですが虐殺の存否については、否定説が「議論があると主張している」というのが実状ではないでしょうか。虐殺の存否について議論があると記述する事自体、否定説よりでありPOVのようにも思えます。論点に関しても、虐殺があった事が前提である被害者数に関する議論と否定説を分け、見直しをはかる必要があるように思います。 --Tukasa ryo 2006年1月12日 (木) 05:17 (UTC)[返信]

否定説の不適切記述について[編集]

虐殺否定説・まぼろし説で紹介されている主な研究者が、「主な」という括りからだいぶ外れているように思えます。私見ですが、南京大虐殺の研究者としては、鈴木明、田中正明、東中野修道、冨澤繁信、阿羅健一までが認知度としては一般的だと思います。
また、「主な見解」では、「その規模に対する見解は次のように大別される」と書かれているので、この場所に、規模以外の研究内容を書くべきではないのでは?したがって、『また、「南京大虐殺」の証拠・・・日本「南京」学会で発表した。』はコメントアウトします。--Kitchener 2005年11月10日 (木) 00:08 (UTC)[返信]

コメントアウト部分をもともとあった位置に戻しました。また国民新聞のリンクについてスパムフィルターによって編集をブロックされたため一時削除しました。戻せる方が戻してくださいConspiracy 2005年11月10日 (木) 01:12 (UTC)[返信]

戻した部分は、主な論点に書き直して追加しておきました。--Kitchener 2005年11月10日 (木) 02:15 (UTC)[返信]

11月10日に提案したとおり、主な研究者を搾りました。--Kitchener 2005年11月18日 (金) 11:27 (UTC)[返信]

根據上文,我覺得應該從國際社會(非中國,非日本)來從新定義這件事件,比如說:[美國的歷史研究家怎樣觀察這件事件等等] 06年9月14日

関連項目に偏りがあると思う。220.208.188.195 2007年6月26日 (火) 23:46 (UTC)[返信]

冒頭部[編集]

「南京大虐殺論争(なんきんだいぎゃくさつろんそう)とは、1937年から始まった日中全面戦争初期に起きたとされる南京大虐殺(南京事件)に関して、事件の存否、規模などを論点とした論争である。」に後日修正する予定です。これは、客観的現状に沿って訂正するものでノートでの議論を経る必要はないと考えています。--違法便衣兵 2005年11月16日 (水) 17:49 (UTC)[返信]

十日程経過しましたので修正ました。--違法便衣兵 2005年11月26日 (土) 12:42 (UTC)[返信]

提案されていない不当記述を修正しました。このような不誠実な編集はお止めください。--Kitchener 2005年11月28日 (月) 12:10 (UTC)[返信]

「論争の歴史」の中の「1.4 1995年以降 」の部分。   『一般マスコミでは省みられない否定説が、インターネットの幅広い普及等にともない、匿名掲示板などで話題となり再び登場する事となった。』  というのは、事実に反するか主観的過ぎると思います。

 分類を「1982年から1990年代初期ころ」「1990年代半ば以降」とし、
   ----(途中を自己削除しました。2007-2月の提案に変更)----

 また、「1.0 東京裁判」を新設し、  「南京大虐殺(南京事件)は東京裁判の検察側主張として日本人に紹介され、そこでは、 6週間に南京市内とその周りで裁判無しに殺害された概数は、26万ないし30万であり、根拠として約15万以上の埋葬記録があるとされる。」   と書くことを提案します。

--如月の弥 2006年9月10日 (日) 09:53 (UTC)[返信]

以下に提案を変えます。
 「90年代以降」で区切りとし、

 '90年代初頭ころ、冷戦の終了傾向とともに、民族主義の台頭が世界的に広まりだした。  その頃、日本では従軍慰安婦問題など戦争期に関して日本を批判する流れが強まり、この中で個々の史実の議論から歴史観論争が民間で起き、南京虐殺論争も一般マスコミに登場して注目を浴びた。
('90年代半ば以降、激しさを増した理由として、漫画ゴーマニズムがきっかけを与えたこと、様々な説がいっこうにまとまらなかったこと、中国が30万人説を公式に堅持しつつ一時100万人説が出るなど曖昧な態度だったこと、従軍慰安婦問題の疑いの濃さの影響、があり、背景として産経新聞対朝日新聞の歴史観争いに発展したことも上げられる。)

 '00年を過ぎると、インターネットと掲示板が盛んになる。同時に中国の明確な台頭と様々な摩擦が背景となる時期でもある。
」  
「1.0 東京裁判」の新設提案はそのまま。
 代わりの現在の文の削除範囲は、「社会主義・・・登場する事となった。」です。--如月の弥 2007年2月23日 (金) 04:25 (UTC)[返信]

  • 普通に考えても、東京裁判を論争に含めるのは不適当でしょう。東京裁判の項目が必要であれば、「主な論点」として追加するのが妥当だと思います。
    「90年代以降」の記述に関しては、「'90年代初頭ころ、(略)広まりだした。 」は不必要です。
    「その頃、日本では(略)マスコミに登場して注目を浴びた。」という記述に関しては、南京大虐殺に関して、それ以前と以降に関する取り上げ方の違いについて、従軍慰安婦問題からの影響があったことを示す根拠が必要だと思います。
    「('90年代半ば以降、(略)発展したことも上げられる。)」に関しても、それ以前の論争との間に、取り上げられている個々の問題がどの程度影響があったかの根拠が必要です。
    「'00年を過ぎると、(略)時期でもある。」に関しても根拠に問題があるかと。
    いずれの文章も根拠や典拠に欠けますし、現在の記述と比較して妥当性に欠けると思うのですが…。--ちゃんこなべ 2007年2月24日 (土) 06:38 (UTC)[返信]

<1.0東京裁判について> 提案の趣旨は、現状文の「「南京大虐殺」は、東京裁判において日本と世界に大きな衝撃を与えたが」という東京裁判に発するという印象的表現部分を、どんな数字に始まるのかということに置き換えたものです。  「」の中を、「東京裁判において「南京大虐殺」が日本に紹介されて以降、」 と書き直すなら、現状なりにバランスは取れるでしょう。
 なお、「主な論点」と別に「論争の流れ」という視点でもまとめることが、次々に人が書き込んでいくときに、荒れないためにも有効だと思い、 そして現状は「1 論争の歴史 」があり、そこに、1.0 東京裁判(また南京裁判)、を加えるのは、今より自然だと思いました。

 気になったのですが、たまたま保護前の形が残っているのかと思っていましたが、ちゃんこなべ氏の好みは現状文の形なのでしょうか。
 この項目の構成と 「南京大虐殺」項目の構成と 「普通に考えても」という表現と からして、 ひょっとしてちゃんこなべ氏は、この論争項目を、論争への中立を保全するためのものとしてでなく、‘「南京大虐殺」項目でまとめ上げたことの細かい付属’ として見ていませんか? 論争中の項目をそのように固めることは、インターネット事典にすぎないことからして難しく、まして 論争自体を説明する項目については。

<1.4について> 現在の記述の問題は、
1)  「一般マスコミでは省みられない否定説が、インターネットの幅広い普及等にともない、匿名掲示板などで話題となり再び登場する事となった。」 という記述は、まるで 「(90年代にはマイナーな存在だったはずの)掲示板が、“騒いだ影響力”でマスコミを含めて騒ぐことになった」、と読めて、疑問です。
 一体何年のどの季節のことかもわからず、誤解の種です。
2) また、“否定説”が定義される以前にこの語を使っているため、「“大虐殺”を否定する説は一般マスコミでは顧みられなかった」 ともときに印象しかねない。
3) 何よりここの全体は、「冷戦の重しが外れると、一方的に日本側の史観のつごうで歴史を読み直そうという欲求が高まり、事件自体を否定したい者達が騒いだが、結局失敗した結果、30万人説の否定程度になっている」、とも読めます。そういう左側の人達流の認識はネットでよく見かけるので、この説明で確認したつもりになった読者もいるでしょう。一面的です。(根拠詳述は後回し)

 より広い人々(外国人、十代)へ、「この論争が今も続いている事情の流れ」を紹介する文 として受け取られるにふさわしい書き方が必要だと考えます。なので、先入観に対して注意を促しておくために、周辺と背景に言及しておく必要があると。
 提案文についての意見には、現本文がましとする基準と現本文の根拠がわからないため、返事を後回しにします。ただ私は、あとで他人が追加挿入しても混乱しにくいように形を考えたつもりです。
--如月の弥 2007年3月5日 (月) 09:46 (UTC)[返信]

ローカルルールの提案[編集]

頻発する保護処置を回避するために、以下のローカルルールを提案します。--ちゃんこなべ 2005年12月23日 (金) 11:01 (UTC)[返信]

ローカルルール案は省略

wikipediaに情報を追加するのに合意は必要ないと思われます。議論が必要なのは加筆に対する、対話を経ない削除・revertの際でしょう。(明らかな間違った編集、荒らしは例外)。従って「編集して三日間リバートされなければ、編集した内容に合意したものと見なす。」はそうしたリバートを推奨するかのような内容ですので不要でしょう。「加筆編集に対して、対話を経ない削除・revert」を「荒らし」として禁止する旨をルールに反映させるべきでしょう。あとそうした「荒らし」リバートの編集が現在保護されていますので、 一旦2005年12月21日 (水) 03:11 221.188.238.120の版に戻すべきでしょう。--違法便衣兵 2005年12月25日 (日) 21:15 (UTC)[返信]

「加筆編集に対して、対話を経ない削除・revert」を「荒らし」として禁止する旨のローカルルールは 同様の「荒らし」行為によって現在保護されている百人斬りハーグ陸戦条約などでも必要ですので、ちゃんこなべ氏の改定を待ってあちらにも提案したいと思っておりますのでよろしくお願いします。--違法便衣兵 2005年12月25日 (日) 22:19 (UTC)[返信]

あと編集合戦になる可能性が極めて高い「従来の編集を尊重していない大幅な改稿」については加筆とは言えませんので、事前の対話を条件とする旨をルールに付加することも提案します。--違法便衣兵 2005年12月25日 (日) 22:28 (UTC)[返信]

「明らかな間違った編集」、「荒し」、「従来の編集を尊重していない大幅な改稿」というのは、いずれも記述者の主観(もちろん、当人にとっては客観的なつもりでしょうが)であり、違法便衣兵氏が挙げられたこれらの観点に関して、加筆に対する編集合戦が繰り広げられてしまうわけです。従って、基本的には本ルールの適用対象に例外は作ることはできません。--ちゃんこなべ 2005年12月26日 (月) 15:55 (UTC)[返信]

繰り返しになりますが、wikipediaに情報を追加するのに合意は必要ないと思われます。ちゃんこなべ氏の作られたルールを例外にはできません。wikipediaの方針にそったローカルルールの提示をお願いします。--違法便衣兵 2005年12月27日 (火) 12:07 (UTC)[返信]

この「ローカルルール」は、誰の目にも「編集合戦」を防ぐ上で実効性の高いものであると考えますが、「多重アカウントユーザー」諸氏にとっては邪魔なのでしょう。だからこそ、加筆は自由にさせろ、revertは合意を経なければ禁止(つまり、自分が「合意」しなければ永久にrevertされない)という無茶な主張を行っているものであると思われます。一応、「多重アカウントユーザー」諸氏が、他の参加者が賛成しそうにない無茶な加筆を行ってはrevertされて、各記事において「編集合戦」を誘発している事実を確認しておきます。Matunami 2005年12月27日 (火) 20:56 (UTC)[返信]
私が提示しているローカルルールは、ウィキペディアの基本方針からずれるものではありません。基本方針の明確化を行っているものですので、違法便衣兵氏は、何か読み間違いをしているようです。再度、読み直せば理解できると思います。
なお、このユーザー違法便衣兵は、不正ユーザーであることが判明いたしましたので、ご報告させていただきます。--ちゃんこなべ 2005年12月28日 (水) 13:11 (UTC)[返信]

議論が劣勢でもその「手口」で次々にブロックに追い込んで言論を封じれば「議論の推移」も思い通りになるだろうねえ。反日左翼の溜り場「思考錯誤」掲示板の常連仲間内の「合意」をウィキペディアに 持ち込まないようにしてもらいたいねえ。「ちゃんこなべ氏のルール」は情報を追加するのに合意の必要ないwikipediaの合意を無視し否定するものだし、情報の追加を議論なしに削除・リバートする行為が編集合戦の最大の原因であるから「ちゃんこなべ氏のルール」は改定が必要ですよ。--永ちゃん 2005年12月30日 (金) 23:28 (UTC)[返信]

思考錯誤板にお詳しいようですが、私以外に、ここに「メンバー」がいるのですか? いつもながら、「常連仲間内の合意」とか、何をおっしゃっているのかさっぱりわかりません。どうぞ、議論の場では、暴言はお控えいただくようお願いします。
で、「次々にブロックに追い込む」って、ブロックに追い込まれているのは、確かみなあなたの「多重アカウント」ではなかったのでしょうか。いずれのブロック依頼に対しても、「反対」はほとんど(最近は全く)つかずに可決されていますから、あなたが問題ユーザーであることは、もうWikipediaの合意になっていると思います。ご自分の「ブロック」に被害者意識を持つことも自分の議論が「優勢」であると感じることも自由ですが、少なくともそれはWikipediaの大勢ではありません。しかし、「ブロック依頼ページを繰り返し改竄して保護に追い込む」という前代未聞のアラシ行為を行っておきながら、なおWikipediaにしがみつこうとする神経が、私には理解できません。
「ローカルルール」は、このようなアラシユーザーに対して、「編集合戦」を防止する効果が高いものであると考えます。何度も書いていますが、「合意の上の編集」ルールの方が、「加筆自由、削除は要合意」ルールよりも「編集合戦」を誘発しにくいのは、自明の理でしょう。 だいたい、あなたがおかしな編集を繰り返さなければ、こんな厳しいルールを作る必要もなかったことを、もう少しきちんと認識していただきたいものです。Matunami 2005年12月30日 (金) 23:53 (UTC)[返信]

Matunamiさんの「苦しいときの多重アカウント疑惑」はあなたのノートでお付き合いしたのでここでは目新しい意見と大事な意見にだけ答えるよ。まずMatunamiさんが常連で仲間のたくさんいる反日掲示板「思考錯誤」板の者はウィキペディアに参加してしないのかなあ?そこでMatunamiさんはウィキぺディアについて仲間と連絡をとっていまよね。で、大事な「ローカルルール」は、情報を追加するのに合意の必要ないwikipediaの前提を無視し、否定するもの。情報の追加を議論なしに削除・リバートする行為が編集合戦の最大の原因であるから改定が必要なんですよ。情報を追加するのに厳しい制限を加えれば自由な編集ができないようにしているのであるから「編集合戦」を防止する効果が高いのは当たり前でしょうよ。それじゃあ情報を追加するのに合意の必要ない自由な百科事典wikipediaの前提を 崩すことになって本末転倒ですよ。厳しいルールを作る必要に迫られたのも「情報の追加を議論なしに削除・リバートする荒らし行為」が原因であるし、また仲間の編集した版に差し戻しできたタイミングで新たな編集に厳しいルールを作る意義が「思考錯誤」常連にとって非常に大きいから喜んで作っているだけで、差し戻し版でなければちゃんこなべさんもローカルルールの提案なんてしなかっただろうね。--永ちゃん 2005年12月31日 (土) 00:54 (UTC)[返信]

「多重アカウントユーザー問題」については、<いつもの通り>、「ブロック依頼」が最終決着をつけてくれるものと思います。あなたはその都度、一応は否定するポーズを見せていますが、誰もそれを相手にせず、最短期間でほぼ全員の賛成で「ブロック」が決定されている事実を、念のために指摘しておきます。で、私のどこがどう「苦しい」のでしょうか・・・と質問するだけ無駄なんでしょうね。
で、「思考錯誤板の者は参加していないのかなあ」ってことは、「思考錯誤」掲示板の常連仲間内の「合意」をウィキペディアに 持ち込まないようにしてもらいたいねえ」という発言は、何の根拠もなく当てずっぽうで言っていたわけですね。いやはや。
ついでですが、Wikipediaの方々については、私はKanoeさんと連絡をとったことがありますが、「用件」はKanoeさんのノートページの通り。なぜメールにしたのか、ということもきちんと説明していますよね。ちなみにKanoeさんは、「思考錯誤」板に参加したことはないと思います。だいたい、これだけ問題ユーザーであることがはっきりしている方を相手にするのに、わざわざ「こっそりと連絡をとりあう」必要なんか、ないでしょう。
何度も繰り返す通り、「明らかに他の参加者の合意を得られないような記述を勝手に追加し、編集合戦になってはrevertを繰り返している」あなたが、「追加は自由、しかしそのrevertには合意が必要」(つまり自分が「合意」しない限りは相当期間revertされない)なんて自分勝手なことを言い出しても、誰も相手にするわけがないと思います。一応、投票が始まるようですので、最終結論はその結果を待つことにしましょう。Matunami 2005年12月31日 (土) 09:29 (UTC)[返信]

ここでも「Matunami流、苦しいときの多重アカウント疑惑」ですか。少し客観的に真摯に考えなおしてはどうです。Matunami氏は「情報の追加を対話も議論もなしに削除・リバートするあらし行為」を正当化してしまうわけですか?--はてな? 2005年12月31日 (土) 11:50 (UTC)[返信]

面倒なので、以下、私のノートページを少しだけ直したものを貼っておきます。
あなた、ご自分へのブロック依頼、見ていないんですか?別に私があなたへの「多重アカウント疑惑」を言い出したわけではないのですが。[3]
だいたい、これだけ「多重アカウントユーザー問題」で大騒ぎしている時に、短時間の間に続々と登場し、まったく同質の主張を行うユーザーが「多重アカウント」ではない、と主張したって、誰も信じません。[4]
ちなみに、こんな感じでした。
26日 22:44~23:16 永ちゃんさん初登場
26日 23:35~23:58 トラトラトラさん初登場
27日 0:57 ~ 2:26 CRYさん初登場(3revertにより24hブロック)
27日 2:54 ~ 6:38 はてな?さん初登場
そしてあの28日、このうち「トラトラトラ」さん、「CRY」さんは、例の「コメント依頼ページ改竄事件」を起し、24hブロックを受けています。28日のより早い時間、「永ちゃん」さんと「はてな?」さんは、「3revert」により24hブロックを受けています。いやはや。
で、私のどこがどのように「苦しい」と? 具体的なご説明をお願いしているのですが、「誰も」答えていただけませんので。念のためですが、私の説明です。読んでいただけなかったようですので、再掲します。
>「明らかに他の参加者の合意を得られないような記述を勝手に追加し、revertされることを繰り返している」あなたが、「追加は自由、しかしそのrevertには合意が必要(つまり、自分が合意しない限りは、どんな問題記述であっても、基本的にはrevertされない)」なんて自分勝手なことを言い出しても、誰も相手にするわけがないでしょう。
まあ、「投票」にかけられるようですので、どうしても自分が正しいと思っていらっしゃるのであれば、その結果を待たれてはいかがでしょうか。その時にはあなた、たぶん別の名前になっていると思いますが。Matunami 2005年12月31日 (土) 22:20 (UTC)[返信]
本ルールによって、自由な編集と対話を促進することが出来ますので、はてな?氏の見解は勘違いだと思われます。--ちゃんこなべ 2006年1月1日 (日) 06:59 (UTC)[返信]
ローカルルール案に反対していたユーザー違法便衣兵永ちゃんはてな?は不正ユーザーであったことが判明しましたので、ローカルルール案に反対意見がなかったものと見なし、ルールを制定させていただきます。--ちゃんこなべ 2006年1月6日 (金) 00:36 (UTC)[返信]

投票の告知(中止)[編集]

ローカルルール案に反対していたユーザー違法便衣兵永ちゃんはてな?は不正ユーザーであったことが判明しましたので、投票を中止します。--ちゃんこなべ 2006年1月6日 (金) 00:36 (UTC)[返信]

項目「国際法上の議論」の削除(議論終了)[編集]

この項目の冒頭に「尚、この論争の結果に関わらず…」と書かれているように、この記事内容と関連性の無い記述と思われます。削除することを提案します。--Kitchener 2006年2月17日 (金) 13:53 (UTC)[返信]

項目「虐殺の範囲」の修正(議論終了)[編集]

「虐殺の範囲」を下記のように修正することを提案します。

=== 虐殺の範囲 ===
否定説、肯定説とも「虐殺」を国際法違反行為と定義づけているが、何が国際法違反行為に当たるかが争点となっている。
==== 投降兵の殺害 ====
戦闘中に降服して投降してきた兵士を、受け入れずに殺害することについて見解が分かれる。否定説では違法ではあるがそれがあったとしても中国軍も行っていた為、お互い様と指摘している。肯定説は、ハーグ陸戦規則第23条第3項「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞へる敵を殺傷すること」を根拠に、投降兵殺害の違法性を指摘している。
==== 捕虜の殺害 ====
一旦捕虜として受け入れたのちに殺害するケースについても見解が分かれている。否定説では捕虜の殺害についてもお互い様と指摘している。また捕虜であっても敵対行動があった場合の処刑は合法としている。肯定説は、ハーグ陸戦規則第第4条「俘虜は、敵の政府の権内に属し、之を捕へたる個人又は部隊の権内に属することなし」や当時の慣習法、一般的な戦時国際法学者の見解などを根拠に、捕虜殺害の違法性を指摘している。捕虜の敵対行動に関しては、否定論と同様に処刑の合法性を否定はしていないが、否定説が主張するようなケースでの手続上の問題点や、そのような事実の存在に関して反論を主張している。
==== 便衣兵の殺害 ====
最も処刑数が多いと思われる、便衣兵の摘出と処刑についても見解が分かれる。否定説は便衣兵(ゲリラ兵)捕虜資格なしと見なしている。何故なら投降しようと思えば出来たのにそうしなかったのは、隙あらば友軍と合流し攻撃を再開する意図があったからだ、と見なせる余地がある為である。また日本軍は民間人と便衣兵を識別し摘出しているが、その過程において誤って民間人を処刑した場合があったとしても、その責任は投降を拒んで民間人を装い一般市民に紛れ込んで逃亡を図った便衣兵(民間人を巻き込む為国際法で禁止されている)の側にあると主張している。肯定説は、これらの処刑は南京が陥落して戦闘が終了した後に行われたものであり、戦闘行為とは見なすことが出来ないと指摘している。また、もう抗戦の意図はなく専ら逃亡目的で平服を着用していた兵士を便衣兵と見なして殺害したり、一般市民から敗残兵を摘出した際に、便衣兵が紛れている可能性があるとして識別の努力もせず殺害した場合等は虐殺であると主張している。
==== 便衣兵に対する裁判 ====
便衣兵の処刑に関して裁判が必要か否かで見解が分かれる。否定説は、便衣兵の裁判なし処刑は軍事上の必要性によって違法性が阻却されると主張する。あるいは処刑に当たって裁判を義務付ける国際的慣習は確立されていなかったことを指摘している。肯定説は便衣兵の処刑は国際法上は違法ではなくとも、裁判抜きでなされた場合は虐殺であると主張し約二万人の摘出便衣兵の裁判をすべきだったと指摘している。
--Kitchener 2006年2月18日 (土) 01:39 (UTC)[返信]

「虐殺の範囲」の修正(議論終了)[編集]

「虐殺の範囲」>「便衣兵に対する裁判」を下記の様に加筆・修正することを提案します。--Kitchener 2006年2月24日 (金) 12:53 (UTC)[返信]

便衣兵の処刑に関して裁判が必要か否かで見解が分かれる。
否定説は、便衣兵の裁判なし処刑は軍事上の必要性によって違法性が阻却されると主張する。あるいは処刑に当たって裁判を義務付ける国際的慣習は確立されていなかったことを指摘している。
肯定説は、裁判を経ずに処刑したということは、その処刑の正当性を証明するべき根拠がないことから、違法行為であると主張する。この見解は、当時の主な戦時国際法学者である立作太郎、信夫淳平、篠田治策などの見解によって裏付けられている。また、国際慣習法が確立されていない、つまり違法性がないと主張しているにも関わらず、並行して違法性阻却事由の存在を主張する否定説の矛盾も指摘できる。

「史料批判」の修正(議論追加)[編集]

「史料批判」を下記のように修正することを提案します。--Kitchener 2006年2月24日 (金) 12:53 (UTC)[返信]

否定説は、虐殺の根拠とする史料には、埋葬記録が水増しされているなど捏造の疑いがある。政治宣伝でしかないものがある。矛盾した被・加害者証言などがあり、またその史料解釈が恣意的であるとしている。
肯定説は、いずれの史料批判も学術的な妥当性が無く、その史料批判が恣意的であるとしている。また、否定説は、加害側の証言や記録を一方的に取り上げ、自身の見解に都合の悪い史料に関しては、捏造・偽証というレッテルをはって切り捨てる傾向が見られる。このような傾向が高じ、否定論者である松村俊夫はその著書で、被害者である李秀英を「偽証言者」と書いたことで、李秀英の名誉を毀損したとして民事裁判が起され、150万円の支払いを命じられている。この判決において、松村俊夫の史料批判には妥当性がないと断じられている。 

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 ↑この書き方では、肯定説側主観の感想文です。 (以下、2006年9月10日の文をわかりやすく修正)

1 レッテル張り又はその同類行動はだいたい両派に見られるもので、特に疑いをかける側はレッテル張りみたいな形になりやすいに過ぎません。

2 『この判決において、松村俊夫の史料批判には妥当性がないと断じられている。』 という部分も、‘肯定説側が学者の大勢だ'と書く一方で、‘一ジャーナリストの検証不足が否定説側の見本’とするのは、事典としての基準が矛盾していて、ダブルスタンダードの嘲りにすぎません。  よって『~』の部分は削除すべきです。 

3 ところで、文章量のバランスから、『否定説は~』の紹介の最後に、 「とくに数字上特段に大きな、東京裁判の崇善堂の記録、後に加わった太田供述への批判は強く、その数字については相手にしない態度が多い。」 と加えることも必要でしょう。  この二点については、・・(途中、訂正により事後省略) こういう場合、せめて「崇善堂」などの各項目用語だけでも本文にあれば、読者が調べられるわけですが。

4 (訂正により、事後省略)--如月の弥2006年9月10日 (日) 10:56 (UTC)[返信]

 ----以上ノート修正----如月の弥 2007年2月3日 (土) 16:23 (UTC)[返信]

  • 2の部分に関しては、修正記述の内容と批判内容がズレているように思われます。3に関してですが、この項は個々の史料の批判を書くのではなく、史料批判の全体的構図を述べるべきだと思いますので、不適当な提案だと思います。したがって、4についても不適当な記述かと思われます。--ちゃんこなべ 2007年2月20日 (火) 15:21 (UTC)[返信]

2 ずれているとは思えません。ちゃんこなべ氏も「史料批判の全体的構図を述べるべき」だと書いているでしょう。それを狂わせていて、かつ両派にとって重要でない情報だからです。

3、4  ‘肯定説’の定義がしてあったのを失念していました。そのために 3,4の指摘がまちがっていました。これは申し訳ありません。  しかし、大虐殺論争の項目では、読者の手がかりとしてでも、反対論の用語を入れておくべきだ、と思いました。百科事典として。  さらに、ちゃんこなべ氏が、2月20日 に南京虐殺ノートで、「南京虐殺項目を用語辞典として割り切り、論争は南京大虐殺項目で(意訳)」という提案をされていることからも、とくにこの「史料批判」の項目は詳しくなるべきであり、また反論を詳しく、少なくとも手がかり用語を出しておくことは当然であると思います。--如月の弥 2007年2月23日 (金) 03:32 (UTC)[返信]

  • 2に関しては、「、‘肯定説側が学者の大勢だ'と書く一方で、‘一ジャーナリストの検証不足が否定説側の見本’とする」という内容が、記事本文からは見つけられません。
    3・4については、何が言いたいのか良く解りません。もし、否定説の分量が少ないと思うのでしたら、「史料批判」という項目の目的に合致したような内容を付け加えれば良いのではないでしょうか?もちろん、それは根拠に即したものではなければなりませんが。--ちゃんこなべ 2007年2月24日 (土) 06:18 (UTC)[返信]

2.1‘肯定説側が学者の大勢だ'というのは、末尾の「学者・研究者の反応」からくる全体の文章の仕上げ方のことですが、厳密に読むときは成り立たなかったですね。  松村俊夫を調べると、南京事件研究家として扱われている以上、見本に使うのがルール違反とはいえなさそうですね。
 しかし、前回「この項は個々の史料の批判を書くのではなく、史料批判の全体的構図を述べるべきだと思いますので、不適当な提案だと思います。」だったのは、今回の「「史料批判」という項目の目的に合致したような内容を付け加えれば良いのではないでしょうか」によって、変化したのでしょうか?  現在の資料批判という小項目は、相手のけなし方を抽象化しているだけで、役に立ちそうにありません。 大きな部分について、議論のてがかり用語ぐらい書いておくべきでしょう。 --如月の弥 2007年3月5日 (月) 11:02 (UTC)[返信]

「日本軍残虐行為の動機」の編集(議論終了)[編集]

「日本軍残虐行為の動機」を次のように修正することを提案します。--Kitchener 2006年3月4日 (土) 12:50 (UTC)[返信]

  1. 否定説の説明における次の部分をカットします。『第二次上海事変以来日本軍が苦戦を強いられた中国軍が国際法で禁止されている便衣戦術を採っていた事を指摘したうえで、南京陥落の際に降伏していないことから便衣で民間人を装った敗残兵について「戦闘続行中」と解釈され、その処刑については虐殺にあたらないと主張している。民間人に対する残虐行為については肯定説側が一時資料に基づいた根拠を未だに提示できていないことから、そもそも日本軍による民間人大量虐殺は信憑性に欠けた推測であると指摘している。また別の側面から、南京に向かう日本軍に食料や物資を与えないとする中国軍側の空室清野作戦によって中国民間人に被害をもたらしたとする指摘がある』。その理由は、動機とは関係無い説明となっているから。
  2. カットに伴う否定説の説明の修正。『否定説は、兵の体力の消耗と弾薬の無駄使であること、サーベルなどで殺害するにしても武器を無駄にいためることになり、日本軍の利益になることはないこと、などを理由に日本軍に南京事件を起こす動機は存在しないと主張する。』
  3. 肯定説の説明を次のように整理する。『肯定説は、(1)敗残兵の処刑は組織的なものであり、命令があれば動機は必要ないこと、(2)補給(特に食糧の補給)を軽視して現地徴発を多用した結果、この徴発に伴って行われた殺害が多数存在したこと、(3)便衣兵戦術を採る中国軍とのゲリラ戦でかなりの死傷者が出ており、兵士の間で便衣兵への憎しみや恐れが転化して、民間人や捕虜・投降兵の殺害につながったこと、(4)「人を殺した経験がなければ一人前の軍人ではない」という歪んだ英雄主義があったことなどを指摘する。また、多数の予備役・後備役の戦線投入により、兵士の質が低下したことも原因の一つだと考えられている。』


資料・参考文献[編集]

  • 参考文献として以下を加えようかと思ってるのですがいかがでしょう

『南京戦史資料集 -- 増補改訂版』南京戦史編集委員会編纂 東京 : 偕行社, 1993.12   中島今朝吾(なかじまけさご)第16師団長の日記あり Takamoku 2006年4月23日 (日) 06:43 (UTC)

数ある文献のうち、たった一つ、というのもちょっと奇異です。しかもこの本は入手が困難、かつ3巻セットのうちたった1巻だけ挙げる、というのは、かなりの違和感があります。挙げるのであれば、最小限、せめてこれくらいは必要ではないかと思います[5]。ご再考ください。ゆう(matunami) 2006年4月23日 (日) 07:31 (UTC)[返信]


  • では以下ではどうでしょう。しばらく見ないうちに保護されてしまった。資料が1つではなんですし。

 最近も否定説の東中野の本が出ています。日本兵による写真や第16師団長日記があるので虐殺否定は無理でしょうが。


「松井石根大将『陣中日記』改竄の怪」(板倉由明)(「歴史と人物 1985年冬号」所収)

『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録 : 村瀬守保写真集 新版』村瀬守保著 日本機関紙出版センター 2005    日本兵による南京戦直後の写真あり

『南京事件「証拠写真」を検証する』東中野修道, 小林進, 福永慎次郎著 草思社 2005    写真は信じたくないとするもの

『1937南京攻略戦の真実 新資料発掘』東中野修道編著 小学館文庫 2003 『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて 元兵士102人の証言』松岡環編著 社会評論社 2002     注:対中国侵略戦争年表: p368-374

『南京の真実』 ジョン・ラーベ著 エルヴィン・ヴィッケルト編 平野卿子訳 講談社 2000

『南京事件』笠原十九司 岩波新書 1997

『南京虐殺と日本軍 ―幕府山の中国人捕虜殺害事件の真相』渡辺寛 明石書店 1997

『南京戦史』『南京戦史資料集1』南京戦史編集委員会編纂 偕行社 1989

『南京戦史資料集2 増補改訂版』南京戦史編集委員会編纂 偕行社 1993     中島今朝吾(なかじまけさご)第16師団長の日記に虐殺の記事あり

『南京事件 「虐殺」の構造』秦郁彦 中公新書 1986

『日中戦争 南京大残虐事件資料集』洞富雄編 青木書店

『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』 大月書店

『南京事件の日々 ミニー・ヴォートリンの日記』 大月書店

『南京事件資料集 1アメリカ関係資料編 2中国関係資料編』南京事件調査研究会編訳  青木書店

--Takamoku 2006年5月3日 (水) 13:47 (UTC)[返信]

お返事が遅れて申し訳ありません。現在記事は保護されており、例の多重アカウントさんが完全に消えるまでは保護解除の見込みがない、という状況ですので、正直な話、今の時点で「編集」に関する話をしても無駄ではないのかなあ、と思ってしまったわけです。
さて「参考文献」ですが、誰しも納得のいく形にするのは大変でしょう。一つの考えとして、各派ごとに数を揃える、という発想もあるかもしれませんが、それにしても「派」をどのようにわけるか、という問題が生じてきて、泥沼になりそうです。(例えば上記の分類に従えば、「中間派」は事実上秦郁彦氏の本しかない、ということになりそうですね)
<まぼろし派><中間派><虐殺肯定派>というカテゴリーを設けて、それぞれのカテゴリーで2冊もしくは3冊ずつ、という形にするのが一応は「公平」なのかもしれません。それ以外に、<資料>というカテゴリーを設けてもいいかもしれませんね。各派の方々からはそれぞれ不満が出てくるかもしれませんが。
このようなカテゴリーで見ると、上は、<まぼろし派>2(なぜ「南京攻略戦の真実」なんてつまらない本を挙げるのか、ちょっと疑問に思うところではあります。また、何で東中野ごときの本が2冊もあるのかなあ、と「東中野批判派」の私としては思ってしまうのですが、まあこれは「個人的意見」です)、<中間派>3、<虐殺肯定派>2、他は「資料」ということで、バランスとしてはまあまあでしょうか(この分類についても微妙なところで、いろいろと意見が出るところかもしれません)。
まあ、「保護解除」は当分先のことであると思いますので、ゆっくりと考えていくことにしましょう。というか、「どのように編集を行うか」という議論は、保護解除が決定してからでいいのではないか、と思うのですが。ゆう(matunami) 2006年5月9日 (火) 11:44 (UTC)[返信]
  • ご意見ありがとうございます。確かに東中野の本は非論理的でくだらないと思いますし、信用できる各種資料に虐殺の事実が書いてあると私は思います。ただ、2000年以降も、まぼろし派の本が出版されたことは事実で、その事実を隠すのも良くないかもしれません。負け組フリーターの日本軍肯定オタクやネット右翼がいる以上、変なまぼろし本も需要があって売れるのでしょうし、そのこと自体が論争になるべきことでしょう。2005年にまた写真集の新版が出ていますし、新しい本を中心にするなど、何冊か資料を加えてもいいと思います。--Takamoku 2006年5月21日 (日) 12:50 (UTC)[返信]


日本軍が東南アジアを植民地から開放するけいきを作ったと 肯定出来る面を紹介しつつ戦争の否定面もたっぷりあげた 番組はNHKが終戦50周年記念とかで 総力を挙げて一時盛んに流してたからな。 日本軍肯定は決して負け組み限定じゃないはずだけど?

もうそろそろみんな死にかけだけどさ じいちゃん連中の元軍人会なんかいまだに強力な縦と横のネットを持ってるけど うちのじいちゃんなんかは小規模派だな。 細かい話だけど、肯定派が出してくる戦車で次々人をひき殺しただの 一本の刀で人を100人切っただのまじむちゃくちゃな話だから。 当時の日本軍の戦車で人間なんぞひき殺そうものならキャタピラに詰まって 動けなくなるとか刀なんか数人も切れば使い物にならない、それ以前に当時の 価値観で言えば天皇から下賜された大切なものだしな。 当時現役だった人間がいってるんだからこれは多分間違いないだろ。 こういう最低限の小さい話からして矛盾しているんだから 結構便乗して話を広げている肯定派の連中は多いと思うよ。 それに無駄な軍事行動を取らなかったと思えるし 日本軍がどれだけ武器を大事に使ったかというと演習で使った弾とか何時間も探したり なんてせこさだし、キャタピラが弱いのでしょっちゅう掃除してたとかね。 とにかく一度そういった連中のネットワークを通じて元軍人の集まりに行って 詳しい人間がいないか聞いてみたら? この手の議論の半分以上は結局現場にいなかった人間があーだこうだ 信頼できるのかどうかわからん資料に基づいて、つぎはぎして資料を積み上げてる しょうもない世界なんだし。 基にした資料や証言が捏造かもしれないし、孫引きの資料が捏造かもしれない。 だから幾ら積み上げてもあまり信頼性が上がらない。 結局そんなもんだし。--以上の署名のないコメントは、60.239.55.129会話/Whois)さんが 2006年6月26日 (月) 21:33 (UTC) に投稿したものです。[返信]

翻訳[編集]

こんにちは、

en:Debates on Nanking Massacre: 日本語から英語までの翻訳する。

援助はよい :)

こんばんは。yujeなる方によって日本語に変更されておりますよ。機械の翻訳では読めたものではなく、人の手による内容を汲み取った翻訳が必要とのこと。

プロパガンダ説について[編集]

「また大屠殺記念館の館長は日本のテレビ局の取材で300000という数字が政治的な数字である事を認めている」とありますが、具体的に「日本のどこのテレビ局」が「いつ」取材したのか、またその取材はテレビ放映されたのか、教えて頂けませんか。 また本質問に絡んでお願いがあるのですが、「南京大虐殺論争」だけでなく、歴史・政治関連の項目では、出所不明の記述が多数見受けられます。きちんと出所の雑誌や書籍、新聞名を記載して頂きたく思います。記載がないものは盗作に該当し、犯罪になりますし、「誰が言った、言わない」といった類のきわめて不毛な議論に陥るように思えます。


 記憶にある情報を語ることは盗作とは言えません。コピペだと証明しない限り(私じゃないが)。 しかし、出所の記憶を大まかにでも最大限書くべきでしょうね。--如月の弥 2007年2月3日 (土) 16:47 (UTC)[返信]


現在の内容ではプロパガンダであることを主張するのが否定派に限定されるような記述になっています。しかし実際にはいくらかの現役議員もテレビ番組などでこれを指摘していますので、少なくとも中道派も含まれた一般的見解であるようです。(私が確認した最新のものでは、2007年3月に放送された報道2001の番組内で、民主・自民の議員が中国の政治戦略の実情(反日団体や親中議員への支援・援助等)を紹介しています。)

また記事の加筆として、戦時中における中国側の宣伝活動、戦後に中国が行ってきた欧米諸国の反日団体に対する支援・援助についても言及すべきであると思います。--Fishman 2007年3月7日 (水) 19:35 (UTC)[返信]

出典の明示[編集]

Wikipedia:検証可能性に沿って、脚注を利用して逐一出典を記した方が編集がスムーズに行くのではないかと。保護解除の目処が付いてないようなので直ぐには出来ませんが。--kahusi (會話) 2006年10月14日 (土) 00:21 (UTC)[返信]

 そうですね。大量の情報を読者から隠さず知識に導くために、いろんな用語項目を参照用につけるのも一つかなと思います。「論争用語集」という項目を作ったり。--如月の弥 2007年2月3日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

虐殺否定説・まぼろし説 論者追加[編集]

ゴーマニズム宣言で、小林よしのり氏が、「『新ゴーマニズム宣言スペシャル・戦争論』シリーズ」で「をほぼなかった論を展開」とあります。
この方は、ここに載せるに値する知名度であると思います。
内部リンク付けていいですか?--JIMISHIMO 2006年12月25日 (月) 15:39 (UTC)[返信]

老婆心ながら、ここまでレベルの低い「論」をあたかも「否定論」代表選手のひとりであるかのように紹介することは、「否定派」にとってもかえって迷惑ではないか、と思いますが・・・。だいたい小林氏の論はすべて他の論者の「パクリ」であり、独立して紹介するほどの価値があるとも思えません。以上を承知の上であえて内部リンクを貼るのであれば、反対することまではしませんが。いずれにしても、peace系の活動が完全に終焉して、当記事の「保護解除」が行なわれてからの話でしょう。ゆう(matunami) 2006年12月25日 (月) 20:59 (UTC)[返信]
「論」の質(レベル)は、主観によって変わりますので、ここで書くのは控えます。知名度の高い人を載せるべきだと思います。ただ、小林氏はこの件を専門に取り扱っているのではなく、他の論と平行して研究されているようなので、この論に重点を置いていない・専門ではないということで、論者追加案は、却下で良いと思います。--JIMISHIMO 2006年12月28日 (木) 05:26 (UTC)[返信]

下関埠頭事件[編集]

大虐殺の定義ですが、The Rape of Nankingの記述を定義とする場合は私はまぼろし説を採りたいと思います。一方、本記述には下関埠頭事件のことが一切記述されておりませんが、事実関係の把握のために下関埠頭事件については載せるべきであると考えます。なぜならば、下関埠頭事件こそが、この噂が核になり、敗残兵射殺、捕虜虐殺、市民の誤認虐殺、男女市民子供無差別虐殺、レイプ虐殺へと噂が拡大して行ったのがまさに南京大虐殺であるからです。 下関埠頭事件について研究することについて、ご反対の方はいらっしゃいますでしょうか?--210.209.207.32 2007年5月15日 (火) 11:26 (UTC)[返信]

「下関虐殺事件」と書いたかと思うと「下関埠頭事件」と名称を変えるような、根拠の無い自作説はWikipediaになじみません。反論がおありなら、「下関虐殺事件」だか「下関埠頭事件」が論じられている文献を提示してください。その文献が提示されなければ「研究」は難しいでしょう。Watanabe Hisashi 2007年5月15日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
下関埠頭事件は改名が合意されて挹江門事件(ゆうこうもんじけん)とすることになりました。それとともに私が一部を独立させ、南京事件 (1937年)としたうえで図示加筆をいたしました。双方のご意見は十分に生かされているものと思います。以後、情報の集積にご協力ください。--Hare-Yukai 2007年6月1日 (金) 04:44 (UTC)[返信]

外務省の見解の掲載[編集]

こんにちは。

各説への言及があるのは良いと思うのですが、外務省の見解を乗せた方がよいのでは? http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html です。

論争の歴史の中の1982年から1995年までの記述の矛盾について[編集]

--利用者:美少女記者 2007年4月5日 (木) 03:21 (UTC)[返信]

こんにちは、美人記者です。百科事典に、こんな破綻した文章を載せてはいけません。 問題提起します。

一方、この時、否定論の中心となったのは評論家である田中正明である。しかし、この時は、否定説が破綻することで決着がついた。というのは板倉由明が陣中日誌の原本と比較した結果、田中が松井石根大将の陣中日誌を編纂する際に600箇所以上の変更ないし改竄を行い、自ら加筆した部分をもって南京事件がなかったことの根拠とする注釈を付記していたことを発見したからである。板倉は大虐殺にはどちらかといえば否定的な立場であったが「改竄は明らかに意図的なものであり弁解の余地はない」として田中を強く非難した。田中はのちに自著の後書きでこの件に触れ、加筆の大部分は誤字や仮名遣いの変更であったと弁明し、意図的な改竄を否定した。

板倉さんは、大虐殺はハッキリ否定していますわ。南京事件について、教科書裁判を起こしている事でも明らかですし、岩波文庫にも朝日新聞にも公開質問状を送りつけていることでも明らかですわ。 また、東日記が嘘だと認定された裁判でも、名誉既存裁判を起こすよう橋本氏にすすめ、資料を提供した実質的な功労者が板倉さんであることも広く知られています。 従って、 仮に、否定説が破綻するような内容であるならば、板倉さんが、発表するはずがない事は明白ですわね。

そういう訳で誤りの一番目 板倉さんは、田中さんの改竄を非難しましたが、同時に、松井日記のそもそもの原文に「虐殺に関する記述が全くない事」も明らかにしたのよ。

それまで、板倉さんは、単なる市民、学者でもなんでもないただの歴史が趣味のおじさんに過ぎませんでしたが、田中さんを論破したことによって、一気に注目を浴び、学者の仲間入りをしました。その後、板倉さんは、雑誌に執筆するようになり、また、南京事件に関する本も次々と出版しました。

よーするに、田中さんから板倉さんへのバトンタッチが行われただけであって、虐殺派にとっては、まさに、犬を追い払って狼がきたような強敵の登場だったことでしょう。

ただし、板倉さんは、いわゆる「まぼろし派」に対しても非難を向けています。現在のイラクでアメリカ軍が不祥事を起こしているように、日本軍に何の不祥事もなかったというのは、都合がよすぎると言っています。板倉さんは、捕虜の殺害を一万人から二万人と推測しています。大規模な市民の殺害については、完全な虚構として否定していますわ。

松井日記には、虐殺の記述は全くないのであり、 この時も、また、現在に至るも、依然として「虐殺否定の明白な証拠」とされています。


誤りの二番目 田中さんは、必ずしも改竄とみなされた訳ではありません。 老人力という見方の方が一般的ですわ。 松井日記を書き写す際、田中さんは既に七十歳を越えていたのです。 松井日記は、草書体で書かれていて、とても読みづらい。というか、おそらく今の私達でこれを誤りなく読める人は、一割を切るでしょうね。

そんな訳で、字の判別にとても時間がかかり、目も不自由で、高齢も重なり、混乱してしまったと言われています。

老人力は、誰にでもあることです。 昨日、何を食べたか思い出せない、というような重度から、単なる思い違いまで、程度の差は様々です。

この場合、老人力の共通点として、本人は嘘を言っているのではなく、そう信じている、思い込んでいる、という点です。

田中さんは、一線を退きましたが、その人格や性格が疑われることはなく、現在でも高潔な人物として評価は高いです。 また、本の執筆も依然として続いています。

誤りの三番目 朝日新聞は、田中さんの改竄を報道する際、「虐殺否定の破綻」として報道してしまった事から、田中さんから、「松井日記には、虐殺の記述はない」と反論され、窮地に陥りました。 結論を言えば、田中さんの改竄事件で明らかになったことは、 「虐殺の記述がない」という事がクローズアップされたのであって、窮地に陥ったのは、虐殺派の方であり、追い風になったのは、「虐殺否定派」の方なのよ。


よって、これらの事実から、次のように書き換える事を提案しますわ。

田中正明氏は、松井石根大将の陣中日誌を編纂する際に、600箇所以上の誤り、また、原文にない加筆、さらに、その加筆に注釈までつけるという大失態を行った。 が、田中氏が七十歳を超える高齢であった事、松井大将の秘書であった事、日記が草書体で分かりにくかった事、裁判対策用の日記の抜粋に日記原文にない記述があった事(これが加筆の錯誤につながったといわれている)、また、なにより六百箇所という誤りの多さが幸いして、改竄というよりは、老人力ではないか、という同情論が主に保守の間から巻き起こり、現在も高潔な人物として、出版を続けている。 虐殺派や朝日新聞は、田中氏の失態を「虐殺否定派の破綻」として宣伝したことによって、世間から信頼を失うことになった。 当の田中氏本人から「松井日記には虐殺に関する記述はどこにもない」と反論されたからである。 確かに、強姦やら、外国権益に対する侵害などに関する記述はあったが、肝心の「虐殺」に関する記述はなかったのである。 また、松井大将は、東京裁判の対策用に「日記の抜粋」をつくっていたが、ここでは、原文の強姦やら、外国権益に対する侵害などに関する記述を省略していた。 松井大将は強姦やら、外国権益に対する侵害は、記録し、かつ、裁判用に消去するという手段を取っていたが、日記にはそもそも「虐殺の記述が全くなかった」のである。 こうして、世論は「虐殺否定」の方向に一気に傾いた。 余談であるが、 この時、田中氏の失態を見つけたのは、板倉由明氏であった。 板倉氏は、それまではただの歴史が趣味の普通のおじさんだったが、田中氏の失態を見つけ、論破した事で、一気に世間の注目を浴び、学者の仲間入りをした。 その後、雑誌に執筆、南京事件に関する本を次々と出版。 否定派の第一人者は田中氏から板倉氏へのバトンタッチが行われた。 なお、板倉氏は最終的には、捕虜の殺害を一万から二万。市民の大規模な殺害は明確に否定している。このような板倉氏の結論から中間派と呼ばれている。

提案に反対します。主語を欠いた文、「高潔な人物として」といった主観的記述等、百科事典に載せるに相応しくないと思われる箇所が見受けられる為。また、「本の執筆も依然として続いています。」とありますが、田中正明氏は昨年1月に亡くなられております。
--Ring Snowstorm 2007年4月7日 (土) 23:55 (UTC)[返信]

なるほど、では、 言われた点を修正して再提案しますわ。

田中正明氏は、松井石根大将の陣中日誌を編纂する際に、600箇所以上の誤り、また、原文にない加筆、さらに、その加筆に注釈までつけるという大失態を行った。

が、田中氏が七十歳を超える高齢であった事、松井大将の秘書であった事、日記が草書体で分かりにくかった事、裁判対策用の日記の抜粋に日記原文にない記述があった事(これが加筆の錯誤につながったといわれている)、また、なにより六百箇所という誤りの多さが幸いして、改竄というよりは、老人力ではないか、という同情論が主に保守の間から巻き起こり、その後も、無事出版を続けられた。 虐殺派や朝日新聞は、田中氏の失態を「虐殺否定派の破綻」として宣伝したことによって、世間から信頼を失うことになった。 それは、当の田中氏本人から「松井日記には虐殺に関する記述はどこにもない」と反論されたからである。 確かに、強姦やら、外国権益に対する侵害などに関する記述はあったが、肝心の「虐殺」に関する記述はなかったのである。 また、松井大将は、東京裁判の対策用に「日記の抜粋」をつくっていたが、ここでは、原文の強姦やら、外国権益に対する侵害などに関する記述を省略していた。 松井大将は強姦やら、外国権益に対する侵害は、記録し、かつ、裁判用に消去するという手段を取っていたが、日記にはそもそも「虐殺の記述が全くなかった」のである。 こうして、世論は「虐殺否定」の方向に一気に傾いた。 余談であるが、 この時、田中氏の失態を見つけたのは、板倉由明氏であった。 板倉氏は、それまではただの歴史が趣味の普通のおじさんだったが、田中氏の失態を見つけ、論破した事で、一気に世間の注目を浴び、学者の仲間入りをした。 その後、板倉氏は雑誌に執筆、南京事件に関する本を次々と出版。 否定派の第一人者は田中氏から板倉氏へのバトンタッチが行われた。 なお、板倉氏は最終的には、捕虜の殺害を一万から二万。市民の大規模な殺害は明確に否定している。このような板倉氏の結論から、彼は中間派と呼ばれている。


--利用者:美少女記者 2007年4月11日 (水) 05:15 (UTC)[返信]

南京大虐殺は存在しなかった[編集]

そもそも、この事典に南京大虐殺を載せること自体が間違っている。 中国が勝手に作った根拠がない殺戮事件を載せるのはいかがなものか。

単純な話で、

  1. かの毛沢東は、南京大虐殺について一言も触れていないし、
  2. 南京の人口は20万人なのに、30万人を虐殺したという矛盾、

市来義道編『南京』(南京日本商工会議所、 1941年8月) に掲載された南京市人口統計(警察庁及市政府調査)の数字


 1936年末 :  1,006,968 人
 1938年8月:    308,546 人
  1. 南京大虐殺の証拠写真がないという点、
  2. 当時の国際宣伝処の300回の記者会見を見ても、南京に関することは一切出ていないこと、

以上で、 南京大虐殺を事典に載せることは、ふさわしくない。

このまま載せていて、「虐殺は存在しなかった」と結論が出て、責任をとることができるのだろうか。

提案ですが、南京大虐殺捏造論南京大虐殺捏造否定論という二つの項目を新たに作り、それぞれが集めてきた資料をそれぞれの立場で思う存分載せられたらいかがでしょうか。双方のページは思想的に食い違う場合は不可侵というルールではいかがですか。--Hare-Yukai 2007年6月1日 (金) 04:44 (UTC)[返信]

南京事件と南京大虐殺の関係について[編集]

この二つの呼び方の間で混乱があるようですので南京事件 (1937年)の方に図示してまとめました。本当はこちらに書きたかったのですが、保護がかかってますので書き込めません。同意が得られましたら図示説明をコピーして持ってきていただいても宜しいかと思います。少なくとも冒頭部分には間違ったことは書いてないと思います。

背景[編集]

中国軍敗残兵の処刑場所が主に下関埠頭において行われたところから別名「下関虐殺」と呼ばれることもある。下関虐殺は一つの事件を示すものではなく、一連の事件を言う。南京大虐殺の初期のモデルともされる。

複数の南京大虐殺概念[編集]

南京大虐殺の概念
いわゆるWikipediaにおける南京大虐殺論争にもあるように、多くの民間人を含めた大虐殺があったとするもの。南京事件はその事件の一部とされる。本件については南京大虐殺論争を参照。
同一説、または矮小化説
いわゆる南京大虐殺であって、大虐殺という言葉を避けるために「事件」と読んでイメージを矮小化させようとしているという解釈である。この場合、南京大虐殺=南京事件、となる。本件については南京大虐殺を参照。
書籍The Rape of nankingにおける概念
アイリス・チャンの著作による、ザ・レイプ・オブ・ナンキン(The Rape of Nanking)に記述される概念であり、主として民間人の虐殺についてそれを南京大虐殺と呼んでいる。本件については英文ページNanking Massacreを参照。なお、南京大虐殺における、日本語ページと英語によるページには全く整合性がないのはこれが原因である。




なお、本記事の南京事件は1927年の方にリンクしていますので、これを[[南京事件 (1937年)|南京事件]]とした方が宜しいかと思います。1927年の南京事件の方にも改名提案を出しておきました。--Hare-Yukai 2007年6月1日 (金) 04:44 (UTC)[返信]


国会での質問[編集]

民主党松原仁は2007年5月25日での外務大臣に対する国会質問にて「中国側には証言しかなく物証が一つもない。あるとすれば捏造写真だけであり、すべて反論できる。しかし日本側には物証が多くある。米国には客観的に調査する機関があり、そうした第三者にしっかり調査してもらうよう日本からお願いしてもらいたい。そうすれば南京大虐殺など濡れぎぬであることがはっきりするだろう」と当時の麻生外務大臣に提案した。--Suginamin 2007年12月5日 (水) 09:14 (UTC)[返信]

侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館のリンクについて[編集]

「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」についての日本語版記事の題名は「南京大虐殺紀念館」。内部リンクを修正願います。 --218.110.164.9 2007年12月12日 (水) 11:57 (UTC)ゴンベイ[返信]

捏造写真[編集]

なんといっても、捏造写真の多さを明記するべきです。 画像:Nankin_netsuzou_sabaku.jpg 等の捏造写真も載せるべきです。 --ナービー 2008年6月4日 (水) 05:21 (UTC)[返信]

住人以外は書いちゃダメ[編集]

私が聞いた三宅久之先生のお話によりますと、当時駐在してた英国人ジャーナリストが本国に送ったレポがあるそうです。 それによると『戦闘は散発的であり、住民は日常と変わらぬ生活を送っている。』と記されているそうです。 日中の資料が云々言う前に、そういう物も検証すべきじゃないですか?

まさかあるまいなと思って見に来たらこんなでっち上げの項目があるとはね~。 住人以外の編集を認めない事といい、ここも眉唾ですな。 玉石混交の中から取捨選択するのは自分ですから、高い見識を持って田嶋陽子先生の様にはなるまいと改めて思いました。 そうそう、あくまで【私見ですから】お構いなく。www--爺庵 2008年8月28日 (木) 11:28 (UTC)[返信]

中間派[編集]

中間派も人数が少ないだけでこんな事件があったとする売国奴です。 捏造派に加えてください。 --だめ狼 2009年3月2日 (月) 04:05 (UTC)[返信]