ノート:チベット自治区/過去ログ01

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削除の是非を検討中の方へお願い

この記事・画像は過去に削除が検討されました。もし削除依頼などをされる方は過去の検討の結果を一度ご覧くださるようにお願い致します。(参考:検討月の案件(2005年4月)


初期の議論[編集]

REDIRECTがとれてしまったようです。西蔵自治区と統合しないといけませんが、どちらを存続にするべきか、にわかに判断をつけかねます。新疆ウイグル自治区がカタカナ混じりの記事名であること、Googleで検索してみると「西蔵自治区」より「チベット自治区」のほうが用例が多いこと、からするとチベット自治区存続がいいかな、とも思いますが…。Safkan 06:11 2003年10月28日 (UTC)

タシデレ。Wo ai Xizang ai de hen.~ 西蔵自治区側で書き始めた者です。 リダイレクトされれば、どちらでも構わないと思いますので、統合着手してみました。172.205.213.152 08:21 2003年11月2日 (UTC)

西蔵は、十八世紀にチベットに侵攻した清朝の雍正帝の時に成立した地理的枠組みであり、チベット全体の西南部三分の一程度を占めるにしかすぎません。この部分を日本語で「チベット地方」と称し、この部分のみを領域とする「自治区」を「チベット自治区」と称することは、非常に問題があり、けっして「どちらでも構わない」などとはいえません。具体的なことはチベット自治区チベットの項に補足しておきましたので、参照してください。

新疆ウイグル自治区内モンゴル自治区における「維吾爾」「蒙古」は、それぞれの土地の住民である「ウイグル」や「モンゴル」を音写したものであり、よって日本語の慣用=表音文字はもっとも発音の近いカタカナで表記により、Safkan氏のいう「カタカナ混じり」の表記を行ったとしても、さほど問題ではありません。しかしながら、西蔵は、チベットを音写したものではなく、チベット自治区チベットの項で詳述したごとく、チベット全域を指す概念でもありません。西蔵自治区に対する「チベット自治区」表記は、新疆や内モンゴルと同列には語れないと思います。サムドゥラビーラ 07:15 2004年4月20日

この記事はPOVに問題がありそうです。それと内蒙古の事は向こうのほうに書いてください。ついでにコピペで記述を移動するのは止めてください。らりた 16:35 2004年6月23日 (UTC)

中国政府は、英語や日本語の話者に対して、チベット西南部の「西蔵(せいぞう)」の部分だけに限定して「Tibet」とか「チベット」と呼ばせようとしています。日本語の単語「チベット」におけるこのような用法は、チベットをいま実効支配している当事者が現に採用している呼称として、しかるべく紹介する必要はあると思いますが、チベット問題の第三者たる日本人が、自身の呼称として無邪気に使用することもまた「POVに問題があ」ることになろうかと思います。--Dalaibaatur 2005年2月6日 (日) 13:16 (UTC)

Trek011氏の問題提起[編集]

  • もし中国政府にそのような意図があるとすれば、何故中国語自体で「西蔵自治区」という言葉を放置しているのか説明できません。ダライバートゥルさんの説の通りだと、中国はとっくの昔の西蔵自治区をやめて蔵族自治区と変更しているはずです。西蔵自治区を正確に翻訳すれば、西チベット自治区とでもなるのでしょうが、東チベット自治区がない以上、外国人にはどうでも良いのではないでしょうか。とにかく、チベット自治区というのは政治的陰謀だから中国の地方政府としては西蔵自治区を使えというのは日本語の通称を無視した乱暴な議論で、無用の混乱を招くだけです。日本語としては「チベット自治区」が通常の言い方であり、チベット自治区に早急に統合する必要があります。また中国語では西蔵はシーツァンと読み、ツァンには汚いという意味もあるので、いささか侮辱的な言葉です。モンゴル人も無知蒙昧の響きをもつ蒙古の字を嫌っています。このような差別的な響きをもつ漢字語よりチベットの方がはるかに望ましいのです。Trek011 2005年3月1日 (火) 17:13 (UTC)
  • また東トルキスタンは中国では新疆ウイグル自治区と呼んでいますが、昔から住んでいるウイグル族から見れば、新疆(新しい土地、領土)でも何でもないわけで、ダライさんの論法を使えば、新疆も中国の拡張主義的表現であり、おかしいということになってしまいます。こんなことを言っていけばきりがないので、百科事典として無用の混乱を招かないためにはどこかで妥協することが必要です。Trek011 2005年3月2日 (水) 05:40 (UTC)

反論もないようですので、ダライバートゥルさんの中国政府陰謀説は本文から消去させていただきます。また西蔵という言葉の解説は本項目よりむしろ、今のところは西蔵自治区にあるべきと考えますので、そちらに移動しておきます。Trek011 2005年3月4日 (金) 04:08 (UTC)

trekさんへ。わずか二日で「反論もないようですので」とはいかがなものか?Wikiの標準では7日間だったような。まず、議論以前のウィキへの投稿姿勢として、編集方針の対立している項目について、議論も、投稿者の同意もないまま、一方的に勝手に「文面の分割、移動、消去などの実力行使」を行うのはやめてください。

あなたのいう自称「正常化」は承認いたしません。まず真っ先に、trekさんには、下記の一項目に同意してくださるようお願いします。

【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと】

この項目に同意なさらない場合は、もともと「議論」など行う意思がなかったと判断せざるを得ません。--Dalaibaatur 2005年3月5日 (土) 17:02 (UTC)

Trek011 氏は他人に偉そうに回答を要求する以前に、下記の項目について、同意するのかどうかを示すべきです。

(1)【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと。】

(2)【編集方針の対立する項目について、議論や、合意の形成のための努力を行うことなく、勝手に文面を改竄、分割、移動、項目からの消去などを行わないこと。】

これらの項目に同意しない場合は、「議論のうえ合意を形成する」意思がないと判断せざるを得ません。上記の2項目に同意するかどうか、Yes,Noで回答してください。--Dalaibaatur 2005年3月6日 (日) 12:07 (UTC)

  • イエスかノーかですか。まるでどこかの将軍のようですね。もし私の編集がウィキの規則に違反していると考えるのであれば、しかるべき場所に訴えてください。コミュニティーの判断にまかせます。Trek011 2005年3月6日 (日) 12:37 (UTC)

この項目において、trek氏が、「編集方針の対立している項目について議論のうえ合意を形成する努力」を行う意志があるのかどうかを質問しています。--Dalaibaatur 2005年3月6日 (日) 12:49 (UTC)

  • 合意形成の意思があるのであれば、ちゃんと議論に答えてください。中国政府陰謀説はまだ維持するつもりなのですか?議論に答えもせずにまたひっくり返したのはどこの誰でした?Trek011 2005年3月6日 (日) 13:28 (UTC)

「議論」は、「編集方針の対立している項目について議論のうえ合意を形成する努力」を行う意志がある人との間でのみ可能です。あなたは、他人に対し偉そうに「議論に答えろ」などと要求する以前に、

(1)【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと。】

(2)【編集方針の対立する項目について、勝手に文面を改竄、分割、移動、項目からの消去などを行わないこと。】

の二項目について「同意する」かどうか明言するべきです。

Trek011 氏以外の皆様へ

2005年2月27日 (日) 10:21 の版」についてのご意見、ご質問などよろしくお願いいたします。真摯にご返答しようとおもいます。私自身、十全なものとは思っておらず、Trek氏の暴走によって中断されておりますが、らりた氏からPOVのご指摘があったのをふまえた改善版を、私なりに用意してもいます。Trek氏が上記二項目と、この項目の正常化に同意されたなら、早速披露する予定です。--Dalaibaatur 2005年3月6日 (日) 14:33 (UTC)

こんにちは[編集]

Trekさん、Dalaibaaturさん、こんにちは。skylabと申します。 私はチベットには詳しくありませんので、残念ながらDalaibaaturさんの質問に答えることが出来ませんが、紛争が起こった場合に、それが「自分の守備範囲内」である場合には基本的に介入しない、という了解がありますので、そういう点で私がお役に立てれば、と思います。 まず、TrekさんもDalaibaaturさんも一度落ち着いてください。お互いに譲り合いの気持ちがなければ問題は解決しません。もし今以上紛争が続けば、一度ページの保護を行わなければいけなくなります。skylab/talk 2005年3月6日 (日) 15:25 (UTC)

追記。まず、2日で係争中の文章を勝手に消去してはいけませんし、(著作権問題は別です)それを「正常化」と呼ぶのは、第三者から見た場合には「自分勝手な議論」と目に映ります。そういうつもりでないのは分かりますが、第一印象が相手に与える影響は十分大きいですので、有利に議論を進めたいならば避けた方が賢明であると思いますよ。
Wikipediaの目的の一つは知識を収集することであると考えますので、Dalaibaaturさんの記述が正しいというならば私は載せて良いと思います。(もちろん事実でないならば即時消去ですけどね)
以上、一見しての発言ですので見落としなどあるかもしれません。即時の返事が必要になるならばどうぞ私のノートページにお書きください。skylab/talk 2005年3月6日 (日) 15:43 (UTC)

やっと第三者の参加がありました。とにかく、一般の関心を引きそうにもないところに来ていただいたことは感謝します。2日は早すぎたかもしれませんが、同じようなことはダライバートゥルさんも平気でやっています。でもそんなことで非難合戦をするのは不毛なのでやめましょう。問題点は私が最初に提起したように、西蔵自治区をチベット自治区と読ませるのは中国政府の陰謀だから使用するべきでないというダライさんの主張です。これが正しくないことはすでに指摘したとおりです。合意形成する気があるのなら、この点について議論を深めるのが筋ですが、この点については何も反論していません。

私だってチベットにはそれほど興味はないのですが、このチベット自治区の編集を一般的な観点から見てどう思いますか。チベット亡命政府の政治的主張で埋め尽くされていたのです。西蔵自治区のほうも似たようなことです。このような地誌的記事に政治的主張を山のように盛り込むのは異常だと思いませんか。行政区画も世界遺産や観光記事も何もなかったのです。そこで政治的主張は除去しましたが、大部分はまた復活しています。現在のような編集が読むに耐えるでしょうか。この点をよく判断してください。チベット亡命政府の政治的主張はこの項目では簡単に触れ、チベット亡命政府の記事で詳しく書くべきでしょう。またチベット自治区と西蔵自治区では日本語としてどちらがよく使用されているか、チェックすることはできるはずです。Trek011 2005年3月7日 (月) 04:54 (UTC)

skylabさんこんにちは。私自身は、「2005年2月27日 (日) 10:21 の版」について、皆様のご意見、ご批判をあおぎ、改訂版を執筆し、時がきたら上梓する、という方針に代わりはありません。

trek氏に対しては、 このノートの上方の、2005年3月6日 (日)の投稿で求めた2項目への同意、あとこの人がノート:自治州 (中国) で行っている根拠のない誹謗中傷に対する謝罪と撤回がない限り、とても議論はできません。自分が実際に投稿した文面ならともかく、この人の空想や妄想(あるいは意図的なウソ?)にはとてもおつきあいできません。

この人がいろいろ出している質問の中には、部分的には意味のある項目も混じっていなくはないので、skylabさんからみて、これぞというものをピックアップしてくださってもけっこうです。

trek様。「同じようなことはダライバートゥルさんも平気でやっています」とのことですが、「編集方針の対立している項目について、議論による合意の形成の努力を行うことなく、一方的に改竄、分割、移動、消去」を行うこと」と、「もとに復旧させること」とは、まったく違うと思います--Dalaibaatur 2005年3月7日 (月) 18:01 (UTC)

お二人の意見を拝聴しました。私自身記事を検索するのが苦手でして(すみません)見落とすことがしばしばありますので、お二人の主張を補強するページがありましたら、リンクを貼って頂けると非常にありがたく思います。
まず、記事名の付け方から言えば、「チベット自治区」の方が世間では一般でしょうから(地図にはそう書いてありますね)、「西蔵自治区」を「チベット自治区」にリダイレクト統合するのは正当かもしれません。私は今読んで知ったのですが、チベットの政治的な記事があり記述量が膨大に膨れるならなら、そちらに記述する方が一般の読者としては読みやすいですね。
「チベット自治区」に統合してから、その中で呼称問題(呼称問題についての複数の外部リンクがあるとDalaibaaturさんの主張が正当化されるでしょう)について言及する、という方法ではいけませんか?
それと、Dalaibaaturさん、もう少し落ち着いてください。トゲトゲしい言葉は問題解決の傷害となり得ます。skylab/talk 2005年3月8日 (火) 02:14 (UTC)

参考になるサイトをとのことですが、チベットについて特別な知識は必要ないと思います。例えば、新疆ウイグル自治区と比較してください。新疆も独立運動がありますが、この項目はまだ荒らされていません。比べてみれば、チベット自治区西蔵自治区のポルテージの高さは歴然としています。個人的にはチベット亡命政府の言い分ももっともな面もあると思いますが、地誌的な記事で政治的主張を山のように書かないでくださいということなのです。チベットチベット民族などで十分主張は書いているのに、関連するあらゆる項目に書き込まないと気が済まないようです。この執拗さは常軌を逸しています。チベット関係はあまり人目を引かない項目ですが、放置すればとんでもないことになると思います。Trek011 2005年3月8日 (火) 13:40 (UTC)

「チベット自治区」は地誌的ではありますが、だからといって政治的でないわけでもないと思います。しかしすでにチベットやチベット民族も政治的記述がありますので、(それが政治的に同等の内容なのかは分かりかねます)確かに繰り返す必要性は少ないでしょう。
ただ、Dalaibaaturさんにも言い分があると思われますので、お返事はそれを伺ってからにします。skylab/talk 2005年3月9日 (水) 02:38 (UTC)

skylab/talkさんの「2005年3月8日 (火) 」の投稿より。

【記事名の付け方から言えば、「チベット自治区」の方が世間では一般でしょうから(地図にはそう書いてありますね)、「西蔵自治区」を「チベット自治区」にリダイレクト統合するのは正当かもしれません】

「北朝鮮」という呼称をめぐる議論をみて、Wikiのあるべきスタンスについての、私なりの理解をひとつ得ました。

(1)「プー・ランキョンジョン(西蔵自治区)」、もしくは「西蔵」地方に対し、中国政府は日本語で刊行する出版物等において「チベット自治区」「チベット地方」という用語を公式に用いていること。

(2)日本社会においても、このチベットの「区」級の民族区域自治単位に対し「チベット自治区」という呼称を用いる慣例が、現時点では、広く普及、定着している。

以上をふまえ、 (1)この【チベット民族の「区」級の民族区域自治単位】を叙述する項としては、「チベット自治区」をメインとするのが妥当と思われます。

(2)私は、もともと【「プー・ランキョン・ジョン(西蔵自治区)」そのものを叙述する場】と問題用語が問題用語である理由を指摘する場とは別に分けておりました。この項目を【「プー・ランキョン・ジョン(西蔵自治区)」そのものを叙述する場】として用いる場とするのであれば、問題用語が問題用語である理由を指摘する場は、別に設けるべきだと考えます。よってtrek氏が「2005年2月27日 (日) 10:21 の版」の文面から西蔵自治区に放り込んだ段落を外すことに、異存はありません。3月6日の投稿で予告した「2005年2月27日 (日) 10:21 の版」の改訂版は、仮称「「チベット自治区」,「チベット地方」」の項目に上梓し、らりた氏、skylabさん、カフシ氏等をはじめとする諸氏のご批評をあおぐ予定です。

(3)【チベットチベット民族などで十分主張は書いているのに、関連するあらゆる項目に書き込まないと気が済まないようです。この執拗さは常軌を逸しています。】とのことですが、私が何やら「主張」をしているとかいう非難は全く受け入れられません。ノート:自治州 (中国)でもご自身で自ら明らかにされたように、この人はありもしないマボロシをもとに他人を非難する癖がおありのようで、いささかうんざりしております。

3月7日 のご投稿では、【チベット亡命政府の政治的主張で埋め尽くされていたのです。西蔵自治区のほうも似たようなことです。】とも述べておられますが、現物をご覧いただければあきらかなように、「チベット民族」の項目では、いかなる主張をも行うことなく、客観的な事実の紹介に徹しておりますし、「チベット」の項目では、客観的事実の提示以外では、チベット亡命政府の見解、中国政府の見解を、存在するものを歪めず、隠さず、そのまま紹介することに徹したつもりです。この文面が「チベット亡命政府の言い分」にみえたり、「政治的主張」が「山のように書かれている」ように見えるのは、この方の感性が著しく偏っているためでしょう。--Dalaibaatur 2005年3月9日 (水) 19:04 (UTC)

  • 記事名を「チベット自治区」に統合することについて同意があったのは一歩前進ですが、(3)の部分は個人攻撃に終始しており、個人攻撃をしないというウィキペディアの原則に違反しているので、部分的削除またはコメント・アウトを求めます。また、チベット自治区や西蔵自治区について私が述べた見解について、チベットチベット民族にすり替えていますが、これらの記事内容についてはまだいかなるコメントもしていません。後は諸氏の見解を待ちます。Trek011 2005年3月10日 (木) 01:33 (UTC)

【(3)の部分は個人攻撃に終始しており、個人攻撃をしないというウィキペディアの原則に違反しているので、部分的削除またはコメント・アウトを求めます。】とのことですが、【チベットやチベット民族などで十分主張は書いているのに、関連するあらゆる項目に書き込まないと気が済まないようです。この執拗さは常軌を逸しています。】という個人攻撃は、あなたの文面であって、私の文章ではありませんよ。

西蔵自治区の旧版は事実の紹介に徹しており、チベット自治区の「2005年2月27日 (日) 10:21 の版」についても、七割は事実の紹介であり、最後の「中国政府が、「西蔵」に対し・・・思われる。」云々については、これを削除し、

  • 西蔵」が「歴史的チベット」の一部分であること
  • チベット亡命政府が「西蔵」部分のみを「チベット」「Tibet」だと主張する中国政府の現在の「チベット」の枠組みに反発していること、
  • 「歴史的チベット」が「歴史上一度たりとも統合されたことがない」と主張する国務院民族事務弁公室の談話を紹介すること

などの情報付加を骨子とした改訂版を準備中。--Dalaibaatur 2005年3月10日 (木) 22:33 (UTC)

  • 批判と個人攻撃は違います。批判されて逆上し、あられもない個人攻撃に走るのはウィキペディアンとして失格です。罵倒掲示板の低俗手法を持ち込むのは厳に慎んでください。Trek011 2005年3月11日 (金) 01:12 (UTC)
  • 批判と個人攻撃は違います。批判されて逆上し、根拠もない個人攻撃に走るのはウィキペディアンとして失格です。罵倒掲示板の低俗手法を持ち込むのは厳に慎んでください。Dalaibaatur 2005年3月14日 (金) 4:11

チベット自治区呼称問題[編集]

節単位編集簡便のため、新たに節を導入 +

2005年2月27日 (日) 10:21 の版に関していえば、最後の「〜とする意図があるように思われる。」の部分以外は私は主張とまでは感じられませんでした。しかし最後の部分に関して言えば主観的である気がしますので、それ以外は何らかの形で残しても構わないのではないでしょうか。その方法に関してはWikipedia内の歴史、政治問題に詳しい方に委ねます。

また、何度も申し上げておりますが、お互いにもう少し冷静になって頂けませんか。批判された、個人攻撃だ、ということですが、第三者から見ると、そのような言葉の羅列したノートページは見る気がなくなると言うものです。なお、私個人の考えになりますが、このような互いに「個人攻撃した」の言い合いになる場合には双方に責任があるのではないか、と考えます。もういい加減そのようなやり合いはおやめになって、真っ当な議論に入りませんか。skylab/talk 2005年3月11日 (金) 10:33 (UTC)-

全くうんざりしてしまいますよ。個人攻撃はやめようとしませんが、(1)西蔵自治区はチベット自治区に統合する。(2)中国政府陰謀説は撤回する。ということで実質的にはこちらの批判を受け入れています。論争は実質的に終了しているのです。私は個人攻撃の持続を注意しただけです。(批判されてくやしいのはわかりますが。)本人は改訂版を出したがっているようなので、Wikipedia:中立的な観点遵守を条件に一旦新版を出してもらってはどうでしょう。もちろん、それは最終版でも決定版でもないわけですが。Trek011 2005年3月11日 (金) 10:57 (UTC)

trek氏がなにやら一方的に論争から降りるようですので、これをふまえ、私の立場を次ぎのように提示します。

(1)「西蔵自治区」は現状のままとする。 (2)「チベット自治区」は現状復帰(2005年2月27日 (日) 10:21 の版)したうえで、

  • 西蔵」が「歴史的チベット」の一部分であること
  • チベット亡命政府が「西蔵」部分のみを「チベット」「Tibet」だと主張する中国政府の現在の「チベット」の枠組みに反発していること、
  • 「歴史的チベット」が「歴史上一度たりとも統合されたことがない」と主張する国務院民族事務弁公室の談話を紹介すること

などの情報を付加した改訂版を提示し、POVに関する諸氏の判定を仰ぐ。

trek氏は、事実の提示を「中国政府陰謀説」だと呼ぶ主張を撤回されたようで、大変結構なことです。西蔵自治区の文面が「チベット亡命政府の主張に埋め尽くされている」という難癖についても、「チベット亡命政府の主張」に由来していることを実際に示す典拠を一例たりとも提示できていない以上、まじめに取り合う必要などないかと思います。

【このような互いに「個人攻撃した」の言い合いになる場合には双方に責任があるのではないか、と考えます】。

ご注意、まことにいたみいります。trek氏の難癖は、すべて事実無根の誹謗中傷ばかりだったので、いちいち反論してまいりましたが、サンプルもだいぶ蓄積されてきて、そちらへの参照を促すだけで済むようになってまいりましたので、もうこの方の言いがかりにはいちいち応答しないことにいたします(ウィキのルールにすら同意できない人ですし)。議論になると勝ち目がないので、個人攻撃に走るのでしょうね。第三者の諸氏からの疑問、質問には真摯に回答してまいります。Dalaibaatur 2005年3月14日 (木) 3:55 (UTC)

>trek氏がなにやら一方的に論争から降りるようですので

うんざりすると言っただけで、降りるとは言っていません。他者の発言を勝手に歪曲するのはいい加減にやめなさい。Trek011 2005年3月15日 (火) 01:39 (UTC)

>「論争は実質的に終了しているのです。」

という発言は、あなた自身の発言ですが。「埋め尽くされている」と称する「チベット亡命政府の主張」とやらを、実在する典拠から一例も示す事もできず、事実の提示に対する「チベット亡命政府の政治的主張」なるレッテル貼りについても、撤回も、実例の提示も行わずに。以上をもって「議論からおりる」と判断しました。下記では「身勝手な勝利宣言」とも述べています。「他者の発言を勝手に歪曲」するサンプルはノート:自治州 (中国)あたりを参照。 --Dalaibaatur 2005年3月16日 (水) 07:23 (UTC)

wikipedia:井戸端より[編集]

  • この版の「#チベット自治区の異常な取り扱いについて」参照

井戸端よりログ化しました。--Lem 2005年3月13日 (日) 19:16 (UTC)

嵩が高いのでログ化し直しました。johncapistrano 2005年5月13日 (金) 09:15 (UTC)

問題点の整理[編集]

「プー・ランキョン・ジョン(西蔵自治区)」の説明をいずれの項目名で行うかという問題について、この「チベット自治区」をその場とすることに、いったんは同意しましたが、trek氏の身勝手な「勝利宣言」を拝見するにつれ、きちんと問題点とウミを出し尽くしておく必要をかんじましたので、あらためて「2005年2月27日 (日) 10:21 の版」に「現状復帰」することを求める立場にもどります。skylab/talk氏が2005年3月8日のご投稿で提示しておられる「チベット自治区」 への統合論については後段で回答するとして、ギャラリーも増えてきましたので、それらの諸氏にむけ、あらためて論点を整理いたします。

trek氏が暴挙を働く以前のこの項目の文面について、trek氏は「中国政府陰謀論」と称するレッテルを貼っておりますが、その内容は、実際には次のとおりです。

(1)西蔵と名付けられた地域の領域は、チベット人が伝統的に「チベットの国土」と考えてきた領域(周縁部の諸民族との雑居地帯含む)領域、もしくは歴史的チベットとされる領域の西南方の2分の1程度をしめるにすぎない。

(2)中国政府は、チベット人の民族区域自治単位を、複数のにまたがって、チベット人居住地域を複数に分割する形で設置している。

(3)中国政府は1955年以降、チベットの枠組みを「西蔵」の部分のみに限定する主張を取っており、同政府が日本語で出版する文献では「西蔵」部分のみを指して「チベット」、英語で出版する文献では「西蔵」部分のみを指して「Tibet」と称する訳語を使用している。

(4)チベット亡命政府は、(3)で述べた中国政府の主張を、チベットを分割、縮小しようとするものとして非難する立場をとり、中国政府に対しても要求した「チベットの真の自治」の条件のなかには、「チベット人の自治行政単位の統合」を挙げている。

(5)中国政府は、チベット亡命政府の上記統合要求に対し、「歴史的チベットは史上いちどたりとも統合されたことがない」という主旨の反論を行っている。

(6)「西蔵」のみを指す訳語として「チベット」という訳語を当てる慣用は、日本社会に広く普及しているが、相対立する(3)(4)の立場のうち、(3)側にそったものである。

以上です。これらは、すべて事実であり、「陰謀」でもなんでもなく、従って撤回の必要はありません。trek氏は、この項目と西蔵自治区について、【このチベット自治区の編集を一般的な観点から見てどう思いますか。チベット亡命政府の政治的主張で埋め尽くされていたのです。西蔵自治区のほうも似たようなことです】というレッテル貼りを行っています(2005年3月7日 (月) 04:54の投稿)。しかし「埋め尽くされている」はずの「チベット亡命政府の主張」から、現実に由来していることを示す典拠は一例たりとも提示できておりません。すなわち、trek氏の行為は、自分の気に入らない文面に事実に反するレッテル貼りを行い、一方的に削除したというだけにすぎません。

したがって、根拠のないレッテル貼りにもとづくこの人物の暴挙に対しては、あくまでも「現状復帰」をもとめるものであります。

■■■■■

以下、skylab/talk氏が2005年3月8日のご投稿で提示しておられる「チベット自治区」 への統合論について、コメントします。

【まず、記事名の付け方から言えば、「チベット自治区」の方が世間では一般でしょうから(地図にはそう書いてありますね)、「西蔵自治区」を「チベット自治区」にリダイレクト統合するのは正当かもしれません。】

「チベット自治区」に対し「西蔵自治区」を用いるべきだとするたちばと、「北朝鮮」を「共和国」と呼びかえようとする立場の相違は、「西蔵自治区」という呼称は、世界のほとんどの国が採用している政体の名称を、特定の一国を指す呼び名として用いようという場合にみられるようなムリがまったくない、中国自身が用いている公式呼称そのものである、という点です。しかも上述の(3)(4)の対立する立場の一方に荷担することをもさけることができます。したがって、統合先は、「西蔵自治区」とし、この項目は、「チベット自治区」や、「チベット地方」という用語の問題性を解説する場とするのが妥当と考えます。

Dalaibaatur 2005年3月15日 (木) 3:06

結局もとに逆戻り、チベット亡命政府の領土的主張の代弁者としての面目がはっきりしてきました。(ダライラマ法王日本代表部事務所公式サイト参照) 私は中国政府の主張を代弁する気などないので、期待されているのような政治的論争にはならないのです。チベット自治区と西蔵自治区、日本の外務省はどちらの用語を使っているのか、NHKはどちらを使用しているのか、日本で発行されている世界地図はどうなのか、よく考えてください。これらはすべて中国政府に操作されているのでしょうか?Trek011 2005年3月15日 (火) 01:59 (UTC)

すみません、「西蔵自治区」が正当か「チベット自治区」が正当か私には判断が付きかねます。中国政府が使っている「西蔵自治区」を優先すべきか、日本国内でよく使われる「チベット自治区」を優先すべきかはケースバイケースのような気もしますし。
内容について、Trek011さんの仰った、「このチベット自治区の編集を一般的な観点から見てどう思いますか。チベット亡命政府の政治的主張で埋め尽くされていたのです。西蔵自治区のほうも似たようなことです」という言葉は私には理解しがたい、と思います。その理由をお答え頂けると助かります。
おそらく、Trek011さんとDalaibaaturさんの論点がずれています。互いに譲り合って、互いの質問に答えてください。skylab/talk 2005年3月15日 (火) 04:57 (UTC)

ケースバイケース?一般的な話ではありません。ウィキペディア日本語版の問題ですよ。西蔵がチベットのことだと理解できる日本語話者がどれくらいいるでしょうか。半分もいないと思います。中国語の他の自治区は内モンゴル自治区新疆ウイグル自治区広西チワン族自治区になっており、何故チベットだけ「西蔵自治区」の中国語をそのままつかわなければいけないのでしょうか。(寧夏回族自治区だけは漢字表記になっていますが、これは回族に当たる適当な日本語がないからです。)しかも、ダライさんは「チベット自治区」の名称は中国政府がチベットの歴史的領土を覆い隠すために政治的意図をもって対外的に使用している言葉なので使用すべきではないという政治的理由で拒否しているのが理解できないのでしょうか。日本の外務省やマスコミがチベット自治区を使う理由はただひとつ、西蔵では日本人にわからないからであり、中国政府に操作されているからではありません。

せっかく論点が整理されてきているのに、論点を拡大してしまうとまた大混乱に陥る恐れがあります。後半の質問はまた別の機会にしてください。Trek011 2005年3月15日 (火) 05:30 (UTC)

skylab/talk様。【互いに譲り合って、互いの質問に答えてください】とのことですが、Wiki内に実在する自分の投稿の文面になら回答できますが、気に入らない文面に対するレッテル貼り、ありもしない「陰謀」「主張」に対する非難、私の主張と称して氏がでっち上げた架空の文面などには、応答のしようもありません。

上記で整理した(1)ー(6)の文面は、(1)事実の提示、(2)対立する見解がある場合は、双方の立場の紹介、という、百科事典としての書式を完全にふまえています。たとえば(4)はチベット亡命政府の立場を紹介するものですが、いっぽう(3)と(5)は中国政府の主張を、正確に、過不足無く代弁するものです。したがって氏の「チベット亡命政府の領土的主張の代弁者」なるコメントは「無意味なレッテル貼り」と評価せざるをえません。

trek氏に対して期待するのは、「実在する文面に即して議論すること」や、「自分の発言には根拠を提示する」ことです。それができない人物と議論することは不可能です。とりあえず氏には、「チベット亡命政府の主張で埋め尽くされている」と主張する「2005年2月27日 (日) 10:21 の版」の文面が、各種媒体の形で存在する「チベット亡命政府の主張」のいずれで確認できるのか、実在する典拠を具体的に提示するようもとめておきます。

最後に【私の主張と称して氏がでっち上げた架空の文面】のサンプルをひとつ。

「中国政府に操作されている」。

これはもしかすると、(6)あたりを歪曲したものかとかろうじて推察するばかりですが、私自身の文面には、このような記述はいっさいありません。 --Dalaibaatur 2005年3月15日 (水) 14:30

やっぱり論点が拡大分散してしまいましたね。

>trek氏に対して期待するのは、「実在する文面に即して議論すること」や、「自分の発言には根拠を提示する」ことです。 それができない人物と議論することは不可能です。 とりあえず氏には、「チベット亡命政府の主張で埋め尽くされている」と主張する「2005年2月27日 (日) 10:21 の版 」の文面が、各種媒体の形で存在する「チベット亡命政府の主張」のいずれで確認できるのか、実在する典拠を具体的に提示するようもとめておきます。

という公開質問状なので、お答えしておきます。上に示されたチベット自治区の版では

>中国人民政府による「チベット」の枠組みの変遷と「西蔵」

>中国人民政府は、現在、チベットの大部分を統治下においているが、この領域を統一的にチベットの「民族区域自治」単位とするのではなく、五つの省にまたがる形に分断し、チベット人の民族自治の単位としては「西蔵」部分のみをあてがうという政策をとっている。

>かつて中国共産党は、長征の際、西蔵とディチュ河を挟んだ対岸に暮らすチベット人たちを組織して「チベット人政権の全国大会」を開催させ、「チベット人人民共和国」を樹立させ、また、1950年にはこの地に西康省蔵族自治区という省級の民族区域自治単位を設立したが、1955年になるとこれを州に格下げして廃止し、四川省に併合、1965年に西蔵自治区が発足したのちも、四川省に属したまま現在に至っている。

>中国政府は、以上のような方針のもと、チベット亡命政府との交渉において、チベット側がチベット全体の統合を求めているのに対し、これを拒否している。

>中国政府が、「西蔵」に対しことさら「チベット」の訳語を使用し、この自治区に対する外国語の正式呼称として、英語で「Tibetan Autonomous Region」、日本語で「チベット自治区」などと称するのは、この政策にもとづき、西蔵部分のみを「チベット」として印象づけようとする意図があるものと思われる

とあるのは、下にリンクしたダライラマ法王日本駐在部事務所のサイトの主張と同じ趣旨です。もちろん、コピペだといっているわけではありません。

http://www.tibethouse.jp/about/outline.html Trek011 2005年3月15日 (火) 06:12 (UTC)

  • しかもダライさんの最大の問題点は上記のような理由により、現実に「チベット自治区」の名称をウィキ内部で拒否してしまっていることです。このような政治的対立がある問題について、どちらか一方の主張を支持して記事を作成するのは明らかに中立性の原則に違反するものです。Trek011 2005年3月15日 (火) 07:15 (UTC)

2005年2月27日 (日) 10:21 の版」の版の改訂版を、[「チベット自治区」,「チベット地方」]の項目に掲載しました。以降、現状復帰を求める際の文面はこちらに掲載したもの(もしくはその改訂版)となります。この「チベット自治区」に復帰する場合には、それに応じて冒頭の文面の修正を行います。

ここに掲載した文章は、上記の(1)〜(6)で要約を示したとおりの内容で、次のような構成となっています。

1 チベット人の考える「チベットの国土」

2 「西蔵」の領域

3 「西蔵」という呼称の特徴

4 中国人民政府による「チベット」の枠組みの変遷と「西蔵」

5 チベット亡命政府による「チベットの統合」要求と中国政府の回答

1〜5は「チベットという枠組み」と「西蔵」という概念をめぐる事実を紹介する節、6がチベット、中国の対立するふたつの見解を紹介する節となっています。諸氏に対し「中立性の原則」の観点からのご批評をもとめます。1を付加し、5の末尾を修正したほかは、2〜4は旧版そのままの内容です。

さて、trek氏は、旧版に対し、「チベット亡命政府の政治的主張で埋めつくさている」ことを理由として、「中立性の原則に違反する記事だ」と主張しております。しかし実在する「チベット亡命政府の主張」から典拠を示せという私の求めに対し、この人物がサンプルとしてピックアップした私の文面は、すべて事実として提示した文面であり、また氏が示したチベット亡命政府のサイトのURLには部分的に似た記事があるだけで、しかもその部分をふくめ、以下に示すように、すべて中国で出版される文献からも「同じ趣旨」を確認することが可能なものばかりです。

すなわち、氏は「チベット亡命政府の政治的主張で埋めつくされている」というきめつけに、まったく根拠を提示できておりません。

読者諸氏におかれては、「事実として提示している部分に対する誤りの有無」、「中国政府の主張の紹介に、不足や誤りがあるかどうか」など「中立性の原則」の観点から厳しくチェックしてくださるようお願いします。--Dalaibaatur 2005年3月15日 (火) 22:32 (UTC)

以下は、trek氏がピックアップしたサンプルの検証。

チベット人が伝統的にチベットの国土だと考えてきた領域、チベット民族の分布地域、中国がチベット人の自治行政単位を設置している領域が、中国の現行の行政区分では五つの省と区にまたがる形で分割されているのは、中国で出版されている『中華人民共和国地図集』の「民族分布図」あたりにも「同じ趣旨」の記述がある、客観的事実です。

以下の文面は、チベット亡命政府の主張からの典拠が一切しめされておりませんが、まず【チベット人たちを組織して「チベット人政権の全国大会」を開催させ、「チベット人人民共和国」を樹立させ、また、1950年にはこの地に西康省蔵族自治区という省級の民族区域自治単位を設立したが、1955年になるとこれを州に格下げして廃止し、四川省に併合、1965年に西蔵自治区が発足したのちも、四川省に属したまま現在に至っている。】という記述は、1986年に成都の四川民族出版社から出版された『甘孜蔵族自治州概況』という文献の、第四章第二節「紅軍長征和波巴政府的建立」(pp.111-117)などの「趣旨」に基づいた記述です。

【中国政府は、以上のような方針のもと、チベット亡命政府との交渉において、チベット側がチベット全体の統合を求めているのに対し、これを拒否している。】という記述は、「チベット自治区」,「チベット地方」の5節でより明確に書き直しておりますが、中国政府とチベット亡命政府の双方の主張を、客観的に紹介する文面です。

「ダライラマ法王日本駐在部事務所のサイトの主張」と同趣旨の文面が部分的に実在することは別に否定しませんが、中国政府の主張についても彼ら自身の媒体からきっちり紹介しておりますので、trek氏のいう「チベット亡命政府の領土的主張の代弁者」なるレッテルは、つつしんでご返上もうしあげます。

--Dalaibaatur 2005年3月15日 (火) 22:32 (UTC)

中国政府の主張も紹介しているといっても、結局は

  • 「中国政府が、「西蔵」に対しことさら「チベット」の訳語を使用し、この自治区に対する外国語の正式呼称として、英語で「Tibetan Autonomous Region」、日本語で「チベット自治区」などと称するのは、この政策にもとづき、西蔵部分のみを「チベット」として印象づけようとする意図があるものと思われる」

このような理由で「チベット自治区」という広く使用されている日本語名称を拒否している以上、馬脚は現れているのです。ここはウィキペディア日本語版だということを忘れないようにしてください。たったこれだけの話によくこれだけの膨大なエネルギーを注げるものだと感心します。こんなフンドシのように長くなってしまったノートを最初から読もうという奇特な人はもういないでしょう。Trek011 2005年3月17日 (木) 10:39 (UTC)

とっくに削除してある文面をあげつらって「馬脚」「フンドシ」とやらのレッテルをはっても何の意味もありませんよ。私がこの項目に「現状復帰」をもとめているのは、この[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]の文面ですから。らりた 氏(2004年6月23日の投稿)やskylab/talk 氏(2005年3月11日 の投稿)から指摘を受けた部分はすでに改訂され、事実の提示と相対立する見解の提示紹介という、「中立性の原則」にきわめて忠実にのっとった説明文となりました。この改訂版が、はたしていまでもなお「チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている」ようにみえるかどうか、実在する文面に即し、諸氏のコメントをよろしくお願いします。--Dalaibaatur 2005年3月17日 (木) 14:29 (UTC)

問題点を摩り替えないでください。最初の問題提起にあるように、このノートの主要な論点は (1)「西蔵自治区」は「チベット自治区」へ統合する。 (2)「チベット自治区」は中国が歴史的チベットの領土を誤魔化すために対外的に使用している用語だから使用すべきではないという中国政府陰謀説は撤回する。 の2点です。上の記述によると、「チベット自治区」を否定する唯一の根拠であった中国政府陰謀説は撤回するようですから、(1)も成立しないことになります。現在のチベット自治区の領域は歴史的チベットの一部でしかないので、西チベットの意味合いをもつ西蔵自治区の方が良いというのがダライさんの論点でしたよね。Trek011 2005年3月18日 (金) 02:15 (UTC)

trek氏には、他人の発言をでっちあげないよう、あらためて強く注意しておきます。たとえば
【中国が歴史的チベットの領土を誤魔化すために対外的に使用している用語だから使用すべきではない】という中国政府陰謀説
「という」とありますが、私の文面には【 】内のような趣旨の文面は[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]はむろんのこと、旧版にも存在しません。たとえば「誤摩化し」なる特定の立場からの価値判断のこもったレッテル貼り。清朝にとって理藩院ではなく中央政府たる六部の管轄下にあるアムドカムの諸侯領(土司領)は「内地」でしたから、歴代中国政権の主張にも歴史的根拠があります。[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]ではこのことを客観的に紹介しており、「ごまかし」などという百科事典の記述にふさわしくないレッテル貼りは行っておりません。「使用すべきではない」などと、オノレの主張を展開した文面も実在しません。つまり「・・・という中国政府陰謀説」なるものは、もともと私の文面には存在しないものなので、とうぜんながら撤回などいたしません。
【西チベットの意味合いをもつ西蔵自治区の方が良い】こんな発言もしたことはありません。
【「チベット自治区」を否定】もしておりません。このイデオロギー用語について客観的に解説しているだけです。

--Dalaibaatur 2005年3月18日 (金) 18:30 (UTC)

問題の所在と「中立性の原則」に関して[編集]

このノートで議論している問題点は、

 編集方針の対立している問題について、議論も合意もなくtrek氏が一方的に行った削除と改変

に対する現状復帰です。2005年2月27日の段階では、チベット民族自治区そのものの説明については「西蔵自治区」の項目、イデオロギー用語としての[「チベット自治区」,「チベット地方」]などについては「チベット自治区」の項目、という役割分担になっていました。この構成が不満ならば、きちんとした「まともな再編案」を提案し、「議論と合意」をふまえた上で進めるべきです。

私が求めているのは、

(1)現状復帰
(2)[「チベット自治区」,「チベット地方」|私が現在、この項目に復帰を求めている文面]に対し、百科事典の記事として、PVO上問題があるかどうかの検証
(3)trek氏には、[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]が「チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている」ことの立証

の三点です。

「項目間にまたがる再編」の問題ですが、[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]に対し、百科事典の記事としての認知をもとめる私と、根こそぎ削除、消滅させることを主張する(→こちらの 3月14日の項目の冒頭を参照)するtrek氏の間での認識の隔たりはきわめて大きく、「再編を議論」する前提はまだ成立していません。

--Dalaibaatur 2005年3月21日 (月) 05:28 (UTC)

どうしてもTrek011さんは「チベット自治区」にしたいのですね…それは構わないのですが、きちんと相手の質問に答えた方が良いと思いますよ。「チベット自治区がいい」としか書いてないような気がします。Dalaibaaturさんも「西蔵自治区しか認めない」と言っているわけではないのですよ。skylab/talk 2005年3月21日 (月) 13:03 (UTC)
そのとおりです。【チベット民族自治区そのものの説明】については「西蔵自治区」の項を、【イデオロギー用語としての[「チベット自治区」,「チベット地方」]などの説明】については「チベット自治区」の項を用いる、という役割分担について、私自身はベストだと考えていますが、より優れた代案が提示され、議論→合意という手順が踏まれるのであるならば、かならずしもこの枠組みに固執はいたしません。しかしながら、trek氏の編集には「代案の提示」、「正しい手順」のいずれも欠けているので、私はまず、とりあえず「現状復帰」をせよ、という立場をとっています。
trek氏には、「編集方針に対立がある場合、編集は勝手に行わず、議論と合意のうえで行う」ことに合意するのかどうか、改めて確認を求めます。
また、私がこの項目に復帰を求めている[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]が、百科事典の記事として扱われるかどうかで「再編」の様相はまったくかわってきますから、上記役割分担の是非を議論しようという場合には、まずあらかじめこの点に結論をだしておく必要があるかと思います。よって、繰り返しになりますが
※このノートを目にされた諸氏には、[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]に対し、百科事典の記事として、PVO上問題があるかどうかの検証
※trek氏には、[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]が、まだ百科事典の記事としてふさわしくないような気がするのであれば、「チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている」ことの立証
を求めます。--Dalaibaatur 2005年3月23日 (水) 02:48 (UTC)

>きちんと相手の質問に答えた方が良いと思いますよ

毎日のようにつきあう義務はありませんよ。それにダライさんは私の発言より諸氏の判断を仰ぐといっていたのですから。

>「チベット自治区がいい」としか書いてないような気がします

あれだけ説明してもこの感想ではこの問題に対する理解力、判断力に欠ける方というしかありません。ご自分でもおっしゃってますが。

>trek氏には、「編集方針に対立がある場合、編集は勝手に行わず、議論と合意のうえで行う」ことに合意するのかどうか、改めて確認を求めます

この点についてはまず、最初の投稿を見ていただきたい。

>>この記事はPOVに問題がありそうです。それと内蒙古の事は向こうのほうに書いてください。ついでにコピペで記述を移動するのは止めてください。らりた 16:35 2004年6月23日 (UTC)

>>中国政府は、英語や日本語の話者に対して、チベット西南部の「西蔵(せいぞう)」の部分だけに限定して「Tibet」とか「チベット」と呼ばせようとしています。日本語の単語「チベット」におけるこのような用法は、チベットをいま実効支配している当事者が現に採用している呼称として、しかるべく紹介する必要はあると思いますが、チベット問題の第三者たる日本人が、自身の呼称として無邪気に使用することもまた「POVに問題があ」ることになろうかと思います。--Dalaibaatur 2005年2月6日 (日) 13:16 (UTC)

ラリタ氏の投稿が2004年6月23日で、ダライ氏の投稿が2005年2月6日です。この間に半年以上の時間が経過しており、論議になっていません。ダライ氏の独り言のようなものでしょう。議論する気ならラリタ氏の個人ページにも行けるのですから。 しかも私の最初の投稿は2005年3月2日ですから、1週間どころか1ヶ月近く経過しています。すぐに編集しても良かったが、一応2日待ったというだけです。 しかも編集方針に対立があれば、1週間以上の間隔を置くべきだといいながら、ダライさんが私の編集をひっくり返したのは2005年3月5日です。 一体どちらがルール違反なのでしょうか?自明のことだと思っていましたが、あまりにうるさいので言っておきます。Trek011 2005年3月23日 (水) 11:16 (UTC)

【ダライ氏の独り言のようなものでしょう。】

ちがいます。ある項目の編集方針について議論する場は、その項目のノートがメインです。

【私の最初の投稿は3月2日ですから、1週間どころか1ヶ月近く経過しています。すぐに編集しても良かったが、一応2日待ったというだけです。】

最低でも一週間待つのがルールです。また議論も合意もないまま勝手に行う編集もルール違反です。

【ダライさんが私の編集をひっくり返した】

treku氏が投下した文面は、まだ、ほぼそのまま残っていますよ。

チベット民族自治区そのものの説明については「西蔵自治区」の項目、イデオロギー用語としての[「チベット自治区」,「チベット地方」]などについては「チベット自治区」の項目で役割分担する、という構成が不満ならば、「正しい手順」で「議論と合意」に基づいて編集することに同意しなさい。その上で、まともな代案の提示がなされるのであるなら、真摯に議論に応じてさしあげましょう。

私が百科事典の記事としての認知をもとめているのは、この[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]の文面で、3月15日に「中立性の観点」からの判定を諸氏に仰いでから一週間がすぎました。trek氏も[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]に対しては、もう「チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている」ことを一切指摘できないようですし、「中立的な観点からの議論」については、これにて終了ということでよいかと思います。--Dalaibaatur 2005年3月23日 (水) 18:45 (UTC)

>最低でも一週間待つのがルールです。

前回の発言から1ヶ月近く経過してから編集しています。

勝手に終了宣言していますが、日本語として広く認知されているチベット自治区の呼称を認めないこと自体が非常に政治的であり、中立性の原則に違反しています。とにかく、私の第二の要求であった、中国政府陰謀説つまり、

>中国人民政府は、現在、チベットの大部分を統治下においているが、この領域を統一的にチベットの「民族区域自治」単位とするのではなく、五つの省にまたがる形に分断し、チベット人の民族自治の単位としては「西蔵」部分のみをあてがうという政策をとっている。

かつて中国共産党は、長征の際、西蔵とディチュ河を挟んだ対岸に暮らすチベット人たちを組織して「チベット人政権の全国大会」を開催させ、「チベット人人民共和国」を樹立させ、また、1950年にはこの地に西康省蔵族自治区という省級の民族区域自治単位を設立したが、1955年になるとこれを州に格下げして廃止し、四川省に併合、1965年に西蔵自治区が発足したのちも、四川省に属したまま現在に至っている。

中国政府は、以上のような方針のもと、チベット亡命政府との交渉において、チベット側がチベット全体の統合を求めているのに対し、これを拒否している。

中国政府が、「西蔵」に対しことさら「チベット」の訳語を使用し、この自治区に対する外国語の正式呼称として、英語で「Tibetan Autonomous Region」、日本語で「チベット自治区」などと称するのは、この政策にもとづき、西蔵部分のみを「チベット」として印象づけようとする意図があるものと思われる。<

の部分は撤回に同意したようですが、これはチベット自治区の呼称を否定する唯一の論拠であったわけですから、西蔵自治区をウィキエペディア日本語版における名称として採用する根拠はなくなってしまったわけです。 にもかかわらず、現行の西蔵自治区を中華人民共和国の行政区画とし、チベット自治区は[「チベット自治区」,「チベット地方」]の文面で差し替えるというのですから、問題のすり替え以外の何者でもありません。また記事名に「チベット自治区」「チベット地方」と括弧を付けるのはこのような呼称を認めないという意思の表明です。 [「チベット自治区」,「チベット地方」]の項目内容は「チベットと西蔵」あるいは「チベット呼称問題」の記事名の下に別に独立させるべきでしょう。 「チベット自治区」の項目名の下にこのような文章を置くのは編集上の誤りです。Trek011 2005年3月23日 (水) 23:45 (UTC)

チベット人自治区については「西蔵自治区」、イデオロギー用語としての「チベット自治区」等についてはこの項目で、という役割分担について、trek氏が議論も合意もなくいきなり勝手に変更しだした問題について、氏はいろいろ言い訳していますが、よそで何をいったかはともかく、この項目の編集方針について議論する場である「ノート」に対し、【私の最初の投稿は3月2日ですから】と自ら認める投稿をおこなった二日後には、早速「実力行使」に出ているのですから、

(1)七日間に満たない。

(2)「編集方針の対立する項目に対する議論と合意」を欠いている。

という二点で、完全にルール違反です。したがって、あくまでも上記役割分担への「現状復帰」を求めます。

また、trek氏には「編集方針に対立がある場合、編集は勝手に行わず、議論と合意のうえで行う」ことに合意するのかどうか、あらためて確認を求めます。

    ※       ※

この項目は、「中立性の観点」と「統合」の二つの方面から議論の対象になっていますが、まず「中立性の観点」から。

「中立性の観点」をめぐる議論について、私がこの項目に復帰をもとめている[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]が、もしtrek氏の主張するとおり「チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている」とするならば、百科事典の記事としてふさわしいものではなく、現にtrek氏はこの項目に対し、百科事典にはふさわしくないという理由をあげて「削除申請」を行っています。ところが「2005年3月23日 の投稿」では、「…という記事名の下に別に独立させるべきでしょう。」と、従前の主張を転換し、百科事典の記事としては認める発言を行っています。

「中立性の観点」からの議論について、「勝手に終わらせるな」ということなので、あらためて確認しますが、trek氏ははこの文面に対し、[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]に対して、

1)「チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている」というレッテルを撤回するのか否か
2)「百科事典の記事にふさわしくない」というレッテルを撤回するのか否か

コメントを求めておきます。先に、「旧版」にたいしてPVO上問題ありというコメントを寄せていたらりた、skylab両氏とも、この「[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]」に対しては、もはや異論を述べていません。trek氏がPVO上問題があることを【実在する文面に即して】指摘することをしないのなら、「改訂版」の文面に対する「中立性の観点」をめぐる議論はこれにて終了し、のこるは「統合をめぐる議論」がのこるのみとなります。

[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]についてPVO上問題があるような気がする諸氏がもしあるなら、上記に実在する文章より【 】内にくくってここにご呈示いただきますようよろしくおねがいします。--Dalaibaatur 2005年3月29日 (火) 19:14 (UTC)

統合をめぐる議論[編集]

チベット人自治区については「西蔵自治区」、イデオロギー用語としての「チベット自治区」等についてはこの項目で、という役割分担は、イデオロギー用語に対してはイデオロギー用語として客観的に解説する、チベット人自治区にたいしては、対立する両者の一方に加担するイデオロギー用語をその項目の見出し語として用いることを避け、しかも中国自身が用いている公式呼称の表記をそのまま採用しているので、「チベット亡命政府の政治的主張」に加担することもありません。すなわち、政治的中立性を必要とする百科事典の役割分担として、きわめてすぐれている方式です。

さて、次なる課題としては、統合をめぐる議論にはいりたいのですが、議論以前の問題として、trek氏には、「他人の主張を勝手に捏造するな」ときつく注意しているのですが、まったく改めませんね。他人の主張を勝手にでっちあげたり、勝手に撤回したりするようなことをしている間は、議論をしようにも不可能です。以下「捏造」のサンプル。

【日本語として広く認知されているチベット自治区の呼称を認めない】

【これはチベット自治区の呼称を否定する】

私がこの項目に復帰をもとめている[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]の冒頭や第三節をごらんいただければあきらかなように、「チベット自治区」、「チベット地方」という用語は現に中国政府が、日本語による正式呼称として使用している実在の用語です。したがって、私の[「チベット自治区」,「チベット地方」|実際の文面]では、これらの用語について客観的に紹介することに徹しており、これらの「呼称を否定」したり、「呼称を認めな」かったりしている箇所はひとつたりともありません。もし[「チベット自治区」,「チベット地方」|この文面]のなかに、そんな「主張」があるような気がするのなら、実在する文章を【 】でくくって提示すること。

あとこの人、「旧版」の一部を長々と引用してナントカ説となずけ、しかも私がその「説」とやらを撤回した、よってなにやらの根拠がなくなったと主張しています。しかし実際には、この文面と対照していただければ明らかなように、この引用部に提示されている事実群は、撤回どころか、増補したうえでことごとく収録しています。具体的に示すと、氏は「旧版」より四段落を引用していますが、氏の引用部の第一、第二段落目は「[「チベット自治区」,「チベット地方」|新版]」の「中国共産党、中国人民政府による「チベット」の枠組」の項目、第三段落目は「チベット亡命政府による「チベットの統合」要求と中国政府の回答」の項目、第四段落目は冒頭の「定義」部分に該当します。なにやら「撤回された主張」があるような気がするなら、これも旧版に実在する文面を【 】でくくって提示していただきたいものです。--Dalaibaatur 2005年3月29日 (火) 19:14 (UTC)

Treko11氏の文章を読んで少し残念に思いました。まず、申し上げましたように、私はチベット問題に関して詳しくありません。ですから、詳しくお答えすることができないのです。 Trek011氏の主張は「日本では『チベット自治区』が広く普及されているので、名称は『チベット自治区』の方が良い」と仰っているように受け止めました。それは事実であり、私もその方が良いと思います。Dalaibaatur氏も同意なさっているので、よろしいかと思います。 ただ、Dalaibaatur氏の主張する、「チベット自治区呼称否定」に関する言及が足りないのではないか、そう申し上げた次第なのです。なにも毎日返信せよとは申しません。私自身、毎日Wikipediaを閲覧しているわけではありません。しかし、チベット自治区への書き込みをなさるときくらいは多少の発言をしても良かろう。そう考えます。何か問題点、反論等ございましたらお答え頂けると幸いです。skylab/talk 2005年3月31日 (木) 07:34 (UTC)

Skylab様。
以前、いったんチベット人自治区について「チベット自治区」の名称下で叙述することに同意したことがありました(2005年3月9日の投稿)が、従来この項目に存在した「イデオロギー用語としての【チベット自治区】」等を解説する文章を収録する項目として、別に「[「チベット自治区」,「チベット地方」]」という項目を立てたところ、trek氏は「百科事典の記事としてふさわしくない」という理由で削除申請をかけてきました。削除申請の理由も、氏が実証しようとしないレッテル貼りばかりであったこと、議論を尽くさないまま譲歩するとつけあがって図に乗るだけだと判断し、2005年3月14日の投稿では、あらためて、【チベット人自治区については「西蔵自治区」、イデオロギー用語としての「チベット自治区」等についてはこの項目で、という役割分担】への現状復帰と、「議論を尽くして合意を形成する」立場に回帰しております。3月23日の投稿では、「より優れた代案が提示され、議論→合意という手順が踏まれるのであるならば、かならずしもこの枠組みに固執はいたしません。」とも述べましたが、trek氏は、議論以前の問題として、「編集方針に対立がある場合、編集は勝手に行わず、議論と合意のうえで行う」という手順に同意せず、また「[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]」の文面に対する批判も、いまのところ、実在する文面に即して実証的な指摘を行うことができておらず、空虚なレッテル貼り(「チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている」の類)に終止するばかりで、いまのところ議論そのものにはとりかかれておりません。
さて、ある用語が「広く普及している」かどうかと、その用語に問題があるかどうかとは、まったく別個の問題です。かつて広く普及していた身体上の障害を示す用語群が、別の用語に置き換えられていまやすっかり姿を消しているという事例もあります。3月29日 の投稿でも述べましたように、「チベット人自治区について「チベット自治区」の名称下で叙述する」ことは、対立する両者の一方に加担するイデオロギー用語をその項目の見出し語として用いることであり、「中立性の観点」上問題があるので、反対です。
また、「中国政府陰謀」なるtrek用語についてですが、アムドカムに対し、中国政府が、十八世紀の第二四半期以降兵部の管轄下にあったことや、清末から民国時期にかけて制を施行、もしくは隣接諸省に分属していたことを根拠としてチベットから切り離し、西蔵部分のみをもって「チベット」だと位置づけ、自身のチベット政策の立場について外国語で発信する際、その言語で従来チベット全体を指す呼称として用いられてきた単語を、西蔵部分のみを指す訳語としてことさら用いようとしているのは、かれらの立場からすれば当然の行動で、「陰謀」でもなんでもなく、単なる事実です。私がこの項目に復帰をもとめている「[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]」では、この事実についてあますことなく紹介しており、旧版を改訂するにあたって「私が撤回した主張」など、存在しません。中国政府が西蔵部分のみをもって「チベット」だと主張する際の自己正当化の根拠についても、中国政府が提示しているものについては、すべて紹介してあるつもりです。何か不足、欠落があるならばご指摘ください。検討のうえ、妥当な指摘であるなら、さっそくとりいれて改訂するでしょう。
最後に、【Dalaibaatur氏の主張する、「チベット自治区呼称否定」】と書いておられますが、私は、この「[「チベット自治区」,「チベット地方」|改訂版]」を百科事典の記事として執筆しており、この文章は、「チベット自治区」、「チベット地方」等の用語に対し、「否定」も「肯定」も一切行わず、あるがままに客観的に解説することに徹したつもりです。この文面の中に「チベット自治区の呼称を否定」しているような「Dalaibaatur氏の主張」が存在するようにお感じでしたら、その部分をご指摘いただけないでしょうか。文面の改善に、さっそく参考にさせていただきます。--Dalaibaatur 2005年3月31日 (木) 09:06 (UTC)
まず、謝らねばならないのは、【Dalaibaatur氏の主張する、「チベット自治区呼称否定」】ではなく、【Dalaibaatur氏の主張する、「チベット自治区呼称否定」に関する言及】です。否定した、とTrek011氏が仰っていることに関して、Trek011氏のDalaibaatur氏に対する立場表明を指します。分かりにくくてすみません。
なお、早期の解決を望みますので、Trek011氏も発言よろしくお願いします。skylab/talk 2005年4月9日 (土) 14:02 (UTC)

GFDLの履歴引継ぎ違反の虞があるので、削除依頼中です。Trek011 2005年4月11日 (月) 03:35 (UTC)

2005年2月27日 (日) 10:21 の版」の「改訂版」を上梓した「チベット自治区」,「チベット地方」」の記事は「GFDLの履歴引継ぎ違反」を理由に削除されてしまいましたが、編集保護がはずれたので、この改訂版が本来収録されるべき場所であるこの記事に上梓します。もともとここにあった文章ですから、「GFDLの履歴引継ぎ違反」を口実とした削除申請は通用しませんよ。皆様お目とおしのうえ、ご批評、ご批判いただければ幸甚です。上記でものべていますが、この文面をめぐる議論については真摯に応じます。--Dalaibaatur 2005年4月14日 (木) 07:22 (UTC)

投票[編集]

ページ呼称の件につき、投票を準備しています。現在、Wikipedia‐ノート:チベット自治区/投票にて、投票の手続きについて話し合いをしています。-- [Café] [Album] 2005年4月20日 (水) 11:03 (UTC)

質問[編集]

投票の終了日時が迫っていますので、失礼ながら質問させて頂きます。チベット自治区西蔵自治区は同義であるとの意見がある様ですが、チベット西蔵と同義なのでしょうか? また、『西蔵』は中国では何と発音されているのでしょうか? 御存知の方、御教示宜しくお願いします。Famsis 2005年5月10日 (火) 22:02 (UTC)

まさにそこが問題で、チベットも西蔵も蔵も、その範囲が一定しない、と考えていいと思います。-- [Café] [Album] 2005年5月10日 (火) 23:25 (UTC)

チベット人が伝統的に「チベットの領域」だと考えてきた領域は一定しています。地図としては、チベットの『「区域自治」単位が設けられている領域』にほぼ相当します。また、「西蔵」と呼ばれる領域もきわめて一定しています(西蔵の記事を参照)。この言葉は、中国で、康煕末年より「烏斯蔵」と置き換わる形で用いられ始めた言葉ですが、その指し示す領域は、一貫して、上記の「チベット」のうち、西南部二分の一ほどの面積の、ガリウーツァンと、カム地方の西部をまとめた領域のみを指してきました。

現代中国でもこの用法はかわらりません。中国政府が、中国政府の名義で、出版物やWeb上で発信している文章では、「西蔵」といえばこの領域のみを指し、チベットの東部のアムド地方やカム地方の東部を含めて「西蔵」という用語を用いることはありません。では一般の人々はどのように「西蔵」という用語をもちいるか、という点ですが、中国におけるチベット学の総合雑誌として、北京の蔵学研究中心が発行する『中国蔵学』、ラサ西蔵社会科学院が発行する『西蔵研究』(いずれも年四回発行の季刊誌)があります。これらの雑誌の2004年度発行分の各論文において用いられた「西蔵」という用語は、すべて、ひとつの例外もなく、上記のチベット西南部のみをさして用いられていました。中国国内で活動している歴史、地理、地質、医学、教育等のチベットの専門家達の間では、「西蔵」の領域はきわめて一貫している、ということです。チベット全体をさす言葉としては蔵区という言葉がもちいられ、西蔵にふくまれない特定地方を具体的に指す場合には、「四川蔵区」、「雲南蔵区」などという形で用いられています。本、映画、音楽などのベストセラーで用いられている西蔵の用法も分析中ですので、結果がでたら紹介します。

「蔵」についてですが、清代にはチベット全体を指す用法のほか、上記の「西蔵」部分のみを指す用法もありました。清朝時代から民国期にかけて、四川、雲南などの地方的用例として、山むこうのチベット人たちを西番などの用語でよぶ習慣があり、この用法をふまえ、アムド、カム地方のチベット人たちは西番、中央チベットの住人たちは民、蔵人と呼び分ける、という用法です。中華人民共和国になってから、中国語によるチベット人の民族呼称がで統一されました。

以上より、チベット西蔵の用法はきわめて一定した用語であることは、きわめてあきらかといえます。--Dalaibaatur 2005年5月11日 (水) 01:48 (UTC)

全くこうと思い込んだらテコでも動かない方ですね。人民解放軍のチベット進駐を決定した1951年の中華人民共和国政府とチベット政府の「十七項目協定」(十七条協議)の中国語原文です。[1]この協定書のなかでチベットは「西蔵」と呼ばれています。当時のチベットの領域は「チベットの東部のアムド地方やカム地方の西部」を含んでいなかったのでしょうか。イエスかノーかでお答えください。Trek011 2005年5月11日 (水) 05:46 (UTC)

私が言ったのは、少なくともDalaibaaturさんとTrek011さんとで一致していない、と言う意味です。-- [Café] [Album] 2005年5月11日 (水) 06:18 (UTC)

二人が一致していないというより、中国語の西蔵にはいろいろな用法があるということです。それをこうだと決め付けるのがおかしいわけです。これまでに西蔵=現チベット自治区地域といえない広義の用例を三例出しています。お望みならもっといくらでも出せます。Trek011 2005年5月11日 (水) 07:01 (UTC)

「中国語の西蔵にはいろいろな用法がある」という事は、「中国語の西蔵は『チベット』と全く同義」とは断言出来ない筈ですが。台湾のYahoo!で検索してみました:Yahoo!奇摩搜尋結果有關西藏。両方の用例が見受けられます。双方に証拠がありますし、そういう事ではないでしょうか。--kahusi - (會話) 2005年5月11日 (水) 21:25 (UTC)

すいません、手短に質問させて頂きます。古代・現代を問わず、現在の行政区『西蔵自治区』だけでなく、『現在の行政区である西蔵自治区およびその周辺の地域』を『西蔵』と呼称することはあったのでしょうか? 
御回答頂ける際に、先に結論を記したあとで解説頂きますと、短時間で理解し易いかと思います。(Dalaibaatur氏より詳しい解説を頂きましたが、Trek011氏が投稿されるまで、内容を理解出来ませんでした。失礼ながら御自身が何派であるか明らかにして頂くと、更に理解し易くなるかと思います。)Famsis 2005年5月11日 (水) 22:44 (UTC)

かふし氏も中国語辞書をもっているなら、西蔵(Xizang)を引いてください。西蔵は西チベットと書いてあるでしょうか。どんな辞書でも西蔵はチベットなのです。こんな明白な事実を無視して、本記事冒頭で

>中華人民共和国がチベットの西南2分1程度の面積をしめる「西蔵」地方に設けたチベット民族のための省級の民族区域自治単位。

などと主張することはできないのです。ウィキペディアは個人的な解釈を主張する場所ではないからです。西蔵を明白に西チベット、チベット西部地方の意味で用いている中国語サイトがあれば、示してください。西蔵自治区を短縮して西蔵と言っているのはダメですよ。Trek011 2005年5月11日 (水) 23:10 (UTC)

チベット西部を指しているか西蔵自治区を指しているか何処で判断するのか――という以前に自分、中国語読めないんですよね……。うちにある辞書ですが、西蔵の項が無いのです(「西医」と「西装」の間になるのでしょうけど)。付録の「行政区分」にはありますが、日本語訳はありません。

漢和辞典でも調べてみました。GFDLが気になるので自分の日記に:[2] --kahusi - (會話) 2005年5月12日 (木) 21:52 (UTC)

『基礎中国語辞典』ではね。『中日大辞典』では西蔵=チベット、蔵=西蔵の略、チベット族となっています。漢和辞典でも西蔵=チベットですから、辞書の定義は西蔵=チベットで動きません。西蔵=西チベットと書いてある辞書などないのです。Trek011 2005年5月13日 (金) 00:00 (UTC)


【西蔵を明白に西チベット、チベット西部地方の意味で用いている中国語サイトがあれば、示してください。】
中国政府の文章、中国国内のチベット専門家が寄稿する学術専門誌、中国国内に設置されたプロバイダーで開設されているWebページ、中国国内でベストセラーになった小説・映画・歌謡曲・TV番組などで用いられている「西蔵」は、チベットのうちの西南の二分の一程度、ガリウーツァンおよびカム地方のディチュ河以西の部分を会わせた領域のみを指して用いられています。

【『中日大辞典』では西蔵=チベット、蔵=西蔵の略、チベット族】
実際の文面は「B)チベット:〔西〜〕の略」とのみあります。この辞書では、「西蔵」も、地域名称としての「西蔵」の訳語「チベット」も、中国政府の用法をそのまま採用しています。中国政府にとっては【ガリウーツァンおよびカム地方のディチュ河以西の部分】だけがチベットで、アムドやカム地方の東部は青海省だったり、四川省、甘粛省、雲南省であったりするので、中国政府の用語をそのまま用いているこの辞書が、「西蔵」を「チベットの西部」とかかないのは当然です。たしかに、この辞書では「西蔵=チベット」と定義していますが、この定義における「西蔵=チベット」は、チベット人が伝統的に「チベットの領域」だと考えてきた領域の半分だけしか指していません。--Dalaibaatur 2005年5月13日 (金) 04:43 (UTC)

辞書まで中立性に問題ありと言われてはね。漢和辞典でさえ、西蔵=チベットなんですが。西蔵=チベットではない中日辞書があれば、出してください。ま、このコメントもダライ氏が大チベット主義者であることを実証してくれているわけです。Trek011 2005年5月13日 (金) 06:55 (UTC)

『中日大辞典』に対して、「中立性に問題あり」などとは書いた覚えはありませんが?あいかわらず他人の発言を捏造ばかりしていますね。「西蔵」という用語、地域名称としての「西蔵」の訳語「チベット」について、中国政府の用法をそのまま採用している、という事実を指摘しているだけです。「西蔵=チベット」としている中日辞典の場合、その「西蔵=チベット」が指し示す領域は、アムドとカム地方の東部(青海省だったり、四川省、甘粛省、雲南省)を含まない、【ガリウーツァンおよびカム地方のディチュ河以西の部分】だけを指しています。--Dalaibaatur 2005年5月13日 (金) 07:14 (UTC)

取敢ず情報として書いておきます:

  • 愛知大学中日大辞典編纂処『中日大辞典』増訂第二版(大修館書店;ISBN 4469012157

『全訳漢辞海』では説明文に祁連山脈迄は書いて無い様ですが。そもそも、チベットの範囲の認識が彼我で違う様に見受けられる気がするのですが気のせいでしょうか……。--kahusi - (會話) 2005年5月13日 (金) 21:29 (UTC)

私がみている『中日大辞典』も、同じ版です。「西蔵」はもともとラサを本拠とするダライラマの「香花田地」を指す表現として康煕末年に出現した地名ですから、1910年までの「漢籍」に登場する「西蔵」の用例で、アムドの北の境を区切る祁連山脈までを含めた用法は、存在しないはずです。おっしゃる「彼我」が、「清末以降の中国歴代政権」と、「チベット人の伝統的な認識」ということでしたら、まったくその通りです。--Dalaibaatur 2005年5月14日 (土) 03:15 (UTC)

「西蔵」の用法について[編集]

=== もともと、中国政府の用法が問題なんですが ===

以下は、terk氏のこちらの発言の一節。他人の発言を捏造して批難している部分は無視してコメント。
【中国政府?中華人民共和国政府の公式用語だけが中国語なのでしょうか。(中略)そういった中国語世界で通用している用法を】

terk氏は、もともと、何について話し合っていたのか忘れてしまっているようなので、改めて紹介しますと、この人は最初は、私が、
【中国政府が、自身のチベットに対する立場を外国に発信する際に、チベットの西南部の一部分にしかすぎない西蔵部分への訳語として、従来その言語においてチベットの総称として用いられてきた用語(日本語の「チベット」、英語の「Tibet」等)を用いようとする】
点を指して「イデオロギー用語だ」と評価していたことにイチャモンつけてきました。このノートの上のほうにあるtrek氏の発言は、この文面と、その改訂版(こちらの第5節まで)に対して行われたものです。

この文面と、その改訂版(こちらの第5節まで)では、中国政府の用いる「西蔵」が、チベット人が伝統的にチベットの国土だと考えてきた領域の半分しか指さないのに、中国政府がその訳語としてあてる日本語の呼称に、「チベット」という総称を用いている点が、「チベット地方」や「チベット自治区」という訳語の帯びているイデオロギー性である、と指摘しているのであって、問題となっているのは、あくまでも中国政府の用法です。

チベット独立運動家やその他の人々で、アムドやカム東部もふくめたチベットに対する中国語の総称として「西蔵」を採用している時、その訳語として「チベット」を用いることには、なんの問題もありません。しかし、そんな用例をいくら列挙したところで、中国政府の用いる訳語が帯びているイデオロギー性を薄めることには、何の役にもたちませんよ。

以下は、個別の項目にコメント

【私は北京の中国蔵学出版社から出版された『現代西蔵的誕生』という中国語書籍をもっています。これはニューヨーク州立大学助教授グルンゲルド(出版当時)の"The Making of Modern Tibet"を中国語訳したものです。表題からもわかるように、この書籍では中国の支配下になる以前のチベット政府も「西蔵」と訳しているのです。この西蔵政府はチベットの歴史的領域を支配していた政府です。どうでしょうか。】

ガンデンポタン1642年、チベットのほぼ全域を征服したグシ・ハンから、もっとも肥沃で人口稠密なヤルンツァンポ河流域を寄進されることによって発足しました。この時の管轄領域は、中国の行政区画で言うと、日喀則地区、拉薩市、山南地区などとその近隣若干を合わせた範囲です(僧院の人事権についてはその外側にも及びました)。1724年雍正のチベット分割により、グシ・ハン一族の属領のうち、南部があらたにガンデンポタン領となり、その結果、西蔵に相当する領域を管轄するようになります。十九世紀になり、ガンデンポタンの管轄領域には若干の変動がみられますが、アムドカムの全域に世俗上の権限が及ぶことはなく、1906年には、東から攻め上ってきた四川軍に首都のラサまでを占領され、ダライラマ十三世はインドへ亡命していました。「民国時期」になって独立を宣言し、アムドカム東部をふくむチベット全土の回復を志して青海四川雲南の地方軍閥と抗争しますが、西蔵部分に対する実効支配を回復できたにとどまりました。

「グルンゲルド助教授」のいう「西蔵政府」が何をさしているのかはしりませんが、この人の文章をよくよんで、この「西蔵政府」が「支配していた」範囲について、ほんとうに「チベットの歴史的領域」だと述べているかどうか、あらためて確認するようおすすめします。

【このサイト[3]のタイトルは民国時期の西蔵という言葉を使っています。民国時期の西蔵が現在のチベット自治区に限定されるものでないことは言うまでもないでしょう。】

「民国時期」のガンデンポタンは、チベット全域の領有を主張しましたが、恒久的に実効支配できたのは西蔵部分だけです。

【この協定書のなかでチベットは「西蔵」と呼ばれています。】
いいえ。呼ばれておりません。十七か条協定では、チベットのうちの西南の二分の一程度、ガリウーツァンおよびカム地方のディチュ河以西の部分を会わせた領域だけが西蔵と呼ばれています。

【当時のチベットの領域は「チベットの東部のアムド地方やカム地方の西部」を含んでいなかったのでしょうか。イエスかノーかでお答えください。】
「当時」に限らず、昔から今まで、チベット人が伝統的に「チベット」だと考えてきた領域は、「西蔵」部分に、「アムド地方やカム地方の東部」を合わせた領域で一定しています。チベットは1913年に中華民国に対し、「独立国であること」を宣言して以降、清朝に代わって「アムド地方やカム地方の東部」の支配権を握った中華民国の地方軍閥勢力を駆逐し、チベットの統一をはたそうとしまして二度にわたり青海、四川、雲南の地方軍閥と戦火を交えましたが、勝利をおさめることはできず、実際に実効支配できたのは「西蔵」部分のみでした。

中国政府が「十七か条協定」においてチベット政府を「西蔵地方政府」だと称している意図はふたつあって、一つは「独立国家チベット国の政府」として認めない、もうひとつは、チベットのうちの「西蔵」部分のみの「地方政府」としてしかみとめない、というものです。中国人民政府は、「建国」以来、自身が発信する文面のなかで、「西蔵」を「アムド地方やカム地方の東部」をも含めた「チベット全土の総称」として用いた例など一度たりともありません。

【西蔵を明白に西チベット、チベット西部地方の意味で用いている中国語サイトがあれば、示してください。】
中国政府の文章、中国国内のチベット専門家が寄稿する学術専門誌、中国国内に設置されたプロバイダーで開設されているWebページ、中国国内でベストセラーになった小説・映画・歌謡曲・TV番組などで用いられている「西蔵」は、チベットのうちの西南の二分の一程度、ガリウーツァンおよびカム地方のディチュ河以西の部分を会わせた領域のみを指して用いられています。

【全くこうと思い込んだらテコでも動かない方ですね】
いいえ。私は事実に基づいて思考し、事実に基づいて発言し、事実に基づいて自身の見解を修正する人間ですので、中国政府の文章から、「アムド地方やカム地方の東部」をも含めた「チベット全土の総称」として「西蔵」を用いた例を挙げていただけるなら、ただちに宗旨替えいたしますが。--Dalaibaatur 2005年5月12日 (木) 13:21 (UTC)

最初は個人攻撃色のない平明な文章だったのですが、
 >他人の発言を捏造
 >イチャモンつけてきました
こういった罵倒掲示板調に変っています。書いているうちにホットになってきたんでしょうが、これでは建設的な議論などできそうにありません。ウィキペディアが何故個人攻撃を禁止しているかまだわかっていないようですね。これでは自らを貶めるだけですよ。Trek011 2005年5月12日 (木) 23:42 (UTC)

trek氏の「イチャモン」とは、具体的には、trek氏がこのノートで、この文面と、その改訂版(こちらの第5節まで)に対しておこなっている「チベット亡命政府の政治的主張で埋め尽くされている(→いません)」「中国政府陰謀論(→?)」「チベット自治区を否定している(→否定も肯定もせず、「チベット自治区」という用語を客観的にありのまま紹介しています)」などのコメントを指します。私はこの文面を百科事典の記事として執筆しましたから、もしホントにtrek氏の主張するようなコメントが当てはまる箇所があるなら、「中立性の観点」上非常に問題なので、どの部分を読んでそんな気がしたか、挙げてくれるよう氏に要求していますが、氏は挙げていません。実在の記事の実在の文面についてなら、議論も修正も撤回も可能ですが、この人の批難はそうではないので、ゆえに「イチャモン」と評価しています。

【これでは建設的な議論などできそうにありません。】
実在する記事の実在する文面に対する批判なら、建設的な議論が可能で、修正も撤回も可能ですが、実在する文面にもとづかないイチャモンをめぐっては、「建設的な議論は不可能です。」--Dalaibaatur 2005年5月13日 (金) 04:26 (UTC)


なるほどね。「チベット亡命政府の政治的主張で埋め尽くされている」いう批判を恨んで今まで来ているのですか。もう少し、頭を冷やしたほうがいいでしょうね。読んでもわからない人は別として、卑しくも読んでわかるほどの人なら、ダライ氏の記事はチベット自治区とその周辺の青海、四川、陝西、雲南などに広がるチベット人居住地域をチベットの伝統的領域、いやチベットそのものだとするチベット亡命政府の主張を当然の前提として書かれているのははっきりしています。しかし、雲南北部の迪慶チベット族自治州などをみれば、チベットの政権が支配していたのは遥か唐の時代、吐蕃王朝の時代なのです。その後、南詔の後継である大理国の支配下に入り、13世紀にはモンゴル帝国が征服、明清時代時代には雲南麗江府の一部として中国勢力に直接支配されています。中国から見れば、500年以上も前から中国が支配している地域をチベットだといわれても納得できないのもある意味で当然です。その辺のところが書けていないのは、デチェン州をみてもわかることです。チベット問題のような政治的に微妙な話題について、ある種の政治的立場(大チベット主義)を当然の前提条件としているのですから、中立性に問題があると理解されてもしょうがないでしょう。なお、「中国政府陰謀論」は「チベット自治区は中国政府のイデオロギー用語」であるというダライ氏の有名な言葉を別の表現で言い換えたものにすぎません。気にくわないのであれば、「中国政府イデオロギー用語説」に変えてもかまいません。Trek011 2005年5月13日 (金) 05:58 (UTC)

別に「恨んで」などいません。trek氏の批難が、裏付けのないイチャモンであることを示すサンプルとしてご紹介しただけです。
文面の三分の一をつかい、中国政府の、チベットを「西蔵」部分だけに区切る主張と、その主張をどのように正しいかと考えているかの根拠について、あますところなく紹介していても、なおterk氏には「チベット亡命政府の政治的主張で埋め尽くされている」ように見えるようです。
【チベット自治区とその周辺の青海、四川、陝西、雲南などに広がるチベット人居住地域】を「チベット国の領域」だとみなすのは、「ダライ氏の主張」でもないし、「チベット亡命政府の主張」でもなく、チベット人が昔から伝統的に考えてきたことです。こちらでは、チベット亡命政府がインドに成立するはるか以前の1774年、中国の皇帝から土司の称号をもらって喜んでいた甘粛省チョネの領主が、その一方で自分の領地がチベット一部を構成していると考え続けていたことを示す資料を紹介しております。現在、これも「チベット亡命政府」が発足するはるか以前の1870年代の青海省の学者、四川省の領主の記録などの資料から、アムドカム東部の人々が、たんに清朝皇帝に臣属していると考えていただけで、自分たちの土地が一貫してチベットに帰属しつづけていたとみなしていたことを示す文章を翻訳中ですので、楽しみにお待ちください。
デチェン州についていえば、「500年以上も前から」「中国勢力に直接支配されている」という記述が、全くの誤りです。この地方は、モンゴル帝国勢力の後退ののち、麗江を本拠とするジャン王の支配下にはいり、十七世紀半ばからグシ・ハン王朝の支配下に置かれました。そして1724年雍正のチベット分割の際に「中国勢力」との接触を持つようになりますが、「直接支配されている」などということは全くなく、この地のチベット人領主たちが、雲南省を経由して土司の称号を受けるようになった、というだけに過ぎません。この地のチベット人民を「直接支配」しているのは、地元出身のチベット人領主です。そして、この土司職をもらうようになった領主たちは、自分の領地が「チベットから中国に移管された」などとはまったく考えず、ひきつづき、あいかわらず、チベットの一部を構成し続けていると考えたことについては、青海や四川、甘縮に配分させられた他の土司たちとまったく同様です。
【500年以上も前から中国が支配している地域】における「支配」の内実は、チベットの、中国と隣接する諸地方の領主たちを、青海の西寧辧事大臣や四川、甘粛、 雲南の総督巡撫らに分属させ、領主たちは彼らを介して各級の「土司」の称号をもらって所領を安堵されていた、というものでした。漢人科挙官僚たちは、ダライラマ領の部分のみを「西蔵」とよび、その他の各地方については「内地」に帰属する、と考えていました。いっぽう、これらのチベット人領主たちは、中国の君主たる「マンジュ・コンマ(文殊皇帝)」に臣従しているという認識はあっても、自分たちの所領が「チベットから中国へ移管された」などとはまったく考えておりませんでした。
【ある種の政治的立場(大チベット主義)を当然の前提条件としている】
意味不明ですね。上述のような「チベットの領域」についてのチベット人の認識は、チベット亡命政府が成立する1959年よりはるか以前から存在し、いまに至っているものなのですから。ちなみに「プーと大プー」の記事で翻訳紹介した資料は、中国政府が出版許可をだし、甘粛人民出版社から出版された書物に収録されているテキストを使用しているのですよ。「このようなチベット人の認識は、中国人民政府やチベット亡命政府、「微妙」なるチベット問題などが全く存在すらしなかった時から存在したものです。したがって、「チベット人の伝統的観念を前提条件としている」という表現でしたら、私の立場への評価として受け入れられますけどね。--Dalaibaatur 2005年5月13日 (金) 07:41 (UTC)


どうもダライ氏の議論はチベットの伝統的領域にばかり集中し、同じことをあきもせずに何ヶ月も繰り返しています。彼の新規投稿もこの問題に集中しているのです。(常にリンクされているので、ここに紹介する必要もないでしょう。)そして自分でも大チベット主義者であることは否定していない。おそらく、彼の目的はウィキペディアにおける大チベット主義の政治宣伝であり、このような論争を果てしもなく繰り返すことによって多くのウィキペディアンを洗脳することができると考えているようです。その点、私なんかいい鴨なんでしょうね。 Trek011 2005年5月13日 (金) 08:03 (UTC)

この文章(こちらの第5節まで)では、チベット亡命政府の「大チベット主義」だけでなく、中国政府の「小チベット主義」そしてなにより、チベット人の伝統的なチベット観念、「西蔵」という用語の歴史的用法などについても、第三者の立場で客観的にしっかり紹介しておりますので、「大チベット主義者」なるレッテルは謹んでご返上申し上げます。
チベットについて無知な人は、中国政府が「ガリ、ウー、ツァン、カム西部」だけからなる「西蔵」の日本語訳として「チベット」という総称を訳語に用いることになんの疑問ももたず、自分でも同じ用法をつかってしまったり、そして【「西蔵」部分だけでなく、青海、四川、甘粛、雲南などに分割されているアムド、カム東部も会わせたものがチベットだ】という主旨の説明を見かけると、「チベット亡命政府の主張だな」と思い込みがちです。そのような先入観をもっている人たちに、チベット人の伝統的な観念を説明し、チベットに対するより深い理解をもたらすことは、百科事典の役割として、非常に有意義なものと思われます。
この文章(こちらの第5節まで)でもこころみていますが、「チベットの枠組み」に関して「特定の政治的立場」に依拠しない記事を書くためのスタンスとしては、まず歴史的事実として、チベット人の伝統的観念と、歴代中国政府によるチベットの行政区分や「土司」の任命やその所領の分布領域などを過不足なく紹介し、ついでチベット亡命政府と中国政府の主張を、その根拠とともにきっちりと紹介することでしょう【「その根拠」とは、チベット亡命政府は「独立のチベット国」もしくは「中国主権下の自治チベット」として「チベット人が伝統的にチベットの国土だと考えていた領域」を主張、中国政府は、かつての土司たちが、隣接する青海、四川、甘粛、雲南などを介して冊封と所領の安堵をうけていたことを根拠として、アムドとカム東部をチベットに含めないことを正当化していること】
事実に基づいて思考し、中立性の原則に則って、事実に基づいた記事を執筆しようと志しているウィキペディアンなら、ナントカ主義の政治的宣伝とやらに「惑わされ」たり、ましてや「洗脳」などされずに、正しい認識に到達することでしょう。その点、ウィキペディアン諸氏の見識に、私はまったく不安を抱いておりません。--Dalaibaatur 2005年5月13日 (金) 19:04 (UTC)

trek氏のいう「大チベット主義」の実態[編集]

上の見解自体が大チベット主義そのものです。個人的にそのような主義をもつことは自由ですが、中立的な百科事典では何とかならないかということなんですが。ダライ氏の記述は中国とチベットの歴史的領土関係にのみ集中し、ポタラ宮チベット大学チベット犬などチベットの事物や最近の青蔵鉄道などには全く興味なしです。Trek011 2005年5月14日 (土) 14:44 (UTC)

実在の文面に則して議論することができずに、罵倒とレッテル貼りに終止するようになりましたね。
(1)こちらの文章(こちらの第5節まで)は、【「チベットの枠組み」について、チベット人の伝統的観念と、チベット亡命政府と中国政府の主張】のそれぞれについて紹介するために執筆されました。あることがらについて、事実を正確に紹介すること、そのことがらを巡って対立が生じている場合には、それぞれの立場を、第三者の立場から冷静に、客観的に紹介するという姿勢は、ウィキペディアンたるもの、自分自身の主義として「そのような主義を持つこと」が求められていると思います。単に「個人的にそのような主義を持つことは自由」どころか、この主義を保有できない者には、ウィキペディアンの資格はありません。
(2)「チベットの枠組み」について、trek氏の主張によれば、チベット亡命政府の見解は「大チベット主義」とかいうらしいですが、こちらの文章(こちらの第5節まで)では、trek氏の提唱する「大チベット主義」だけではなく、チベット人の伝統的な「チベットの枠組み認識」についてタップリ紹介してありますし、また、中国政府の「小チベット主義」の主張と、中国政府が「小チベット主義」を正当化している根拠についても、すべて、あますところなく紹介しています。
(3)この文章(こちらの第5節まで)は、もとは【「チベットの枠組み」について、チベット人の伝統的観念、チベット亡命政府と中国政府の主張】のそれぞれについて紹介する独立した記事として執筆されましたが、投票所における管理人さんたちからの要請にしたがい、西蔵自治区チベット自治区の記事と履歴が統合されたあとは、「チベットの枠組みと「西蔵」」という表題をもつ一章として、「少なくとも当面の間」、統合された自治区の記事内に存在することになります。
(4)【「チベットの枠組み」に関する、チベット人の伝統的観念や、チベット亡命政府と中国政府の主張】を解説するのに、大学や犬や鉄道の現状はあまり関係ないとおもいます。--Dalaibaatur 2005年5月14日 (土) 17:26 (UTC)


西蔵の項目をたてましたので、「西蔵」という枠組みの歴史的由来については順次そちらに移植し、こちらの項目は「中華人民共和国の自治区の一つ」としての説明に純化させようと考えています。

222.144.80.232氏が削除した「中国政府は、【歴史的・文化的・経済的に一体性を保ってきた】チベット民族の居住地域を」という記述の【 】内の部分は、史実による裏付けがあるので、とりあえず復活させました。今後の増補で、随時、具体的に紹介してゆくでしょう。

「行政的な一体性」がどうであったかについては、私自身、218.228.187.108の名義で詳細に紹介しています。この他になお何かつけ加えてくれるのなら、読者の知識量を増すことになりますから歓迎ですが、一方的な削除は受け入れられません。--Dalaibaatur 2005年2月7日 (月) 15:54 (UTC)

文字化けの問題[編集]

当方の環境では、219.173.119.42氏が修正してくださった「チベット文字表示」の部分が、「編集」→「投稿」の操作を行うと、自然に文字化けしてしまいます。「履歴」の差分のページに表示されるタグをそのまま貼り付けてもうまくいきません。

チベットの歴史的・文化的・経済的一体性について[編集]

チベットが「雍正の分割」により、十八世紀の第二四半期から、行政的にはダライラマ領とその他の多くの諸侯領に分断されたこと、中国人民政府の「西蔵」という枠組みが、雍正期の領域を踏襲したことについては、詳細に言及済み。

しかし一方で、ラサを頂点とする本山・末寺のヒエラルヒー、このヒエラルヒーに沿って行動する僧侶や巡礼者たちのネットワーク、僧院の叙任権、以上の宗教上のネットワークを支える各地の商人集団の経済行動などは、二十世紀半ばまで、チベット全域を覆う形で機能しておりました。これすなわち、チベットの「歴史的一体性」を示すものです。

222.144.77.30氏の修正は、文化的・経済的な面での一体性が「雍正の分割」以後失われたかのようにみえるので、元に戻しました。

2005/2/24 Dalaibaatur


チベット人の居住地域の周縁部に、チベット人の比率が低く諸民族雑居の領域がある云々の記述は、「西蔵地方」とも「西蔵自治区」とも直接には関係のない話です。よって、チベット人の居住地域の項目をたてたらそこに移転します。青海省の項でも具体的な情報を提供しています。--Dalaibaatur 2005年2月24日 (木) 21:26 (UTC)

チベット史上、「ジャン王」の名で登場する麗江の領主とその旧支配圏について、チベット亡命政府の主張ではチベット人扱いとされていること、この領主の民族について、中国の民族識別工作ではナキ族(納西族)に識別されていることなどをエピソードどして、カム地方の東南部(雲南省の西北部)も諸民族の雑居地帯であることを、どこかで言及する予定です。--Dalaibaatur 2005年2月26日 (土) 12:22 (UTC)


trek氏の投稿姿勢について[編集]

trekさんへ。編集方針の対立している項目について、議論も、投稿者の同意もないまま、一方的に勝手に「文面の分割、移動、消去などの実力行使」を行うのはやめてください。あなたのいう自称「正常化」は承認いたしません。議論以前の問題として、まず真っ先に、trekさんには、下記の一項目に同意してくださるようお願いします。

【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと】

この項目に同意できない場合は、もともと「議論」を行う意思など持たなかった人だと判断せざるを得ません。--Dalaibaatur 2005年3月5日 (土) 17:05 (UTC)


ウィキペディアは個人的見解の宣伝の場ではありません[編集]

チベット自治区という日本語として広く使用されている用語を無視し、西蔵自治区(せいぞうじちく)という中国語をそのままウィキペディア日本語版の正式用語としてしまう正当な理由がありません。外務省も主要マスコミも学校の教科書や地図もチベット自治区を使用しています。チベットは誰も来ないからといって、個人のホームページ代わりにつかわないでください。Trek011 2005年3月17日 (木) 10:17 (UTC)

  • 事実に反するところがあるなら、訂正しますが?
あることばが、広く用いられているかどうかと、「百科事典にふさわしくない問題用語であるかどうか」とは、まったく別個の問題です。各種の身体障害に関してかつて「広く用いられていた」用語が、現在すっかり別の用語に置き換えられている事例もあります。「チベット自治区」、「チベット地方」等の用語が、中国政府のイデオロギー的立場を込めた問題用語であることは、事実に照らして客観的に観察できることであって、「個人的見解」などではありません。このことは、 「チベット自治区」の記事の前半部において詳述しています。この文面のなかから、私の「個人的見解」とやらが表れている文面とか、「事実と反する記述」を挙げられるものならどうぞ。--Dalaibaatur 2005年4月14日 (木) 12:38 (UTC)

投票[編集]

ページ呼称の件につき、投票を準備しています。現在、Wikipedia‐ノート:チベット自治区/投票にて、投票の手続きについて話し合いをしています。-- [Café] [Album] 2005年4月20日 (水) 11:03 (UTC)