ノート:イノセント/過去ログ1

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改名提案

昨日イノセント (earthmindの曲)を起稿致しましたので、平等にするためイノセント (映画)への改名を提案致します。なおノートの残骸は不要ですのでノートページの削除も併せて依頼します。--Louis XX会話 / 投稿記録) 2014年 1月9日 (木) 00:13 (UTC)

映画記事の改名には 賛成 。同時にイノセント (曖昧さ回避)イノセントにした方が良いと思います。--アルビレオ会話2014年1月9日 (木) 08:32 (UTC)
条件付賛成 曖昧さ回避ページの移動を条件に、賛成です。--Greeneyes3会話2014年1月10日 (金) 12:16 (UTC)
条件付賛成 イノセントイノセント (映画)に改名すると同時に、イノセント (曖昧さ回避)イノセントに改名するのであれば、賛成します。改名時にはこのノートは移動させなくてよいでしょう。また、イノセント (曖昧さ回避)に改名提案テンプレを添付いたしました。--Don-hide会話2014年1月11日 (土) 11:04 (UTC)
反対 日本語版で現状作られている他の「イノセント」を見る限りでは、世界的な名声のあるヴィスコンティの映画を代表項目としておくのが自然に思われます。--新続頭痛会話2014年1月12日 (日) 00:21 (UTC)
コメント 国語辞典などで「イノセント」を調べると、第1義は無垢や罪のないさま、となっており、映画を代表項目とするのはちょっと違うでしょう。曖昧さ回避ページは辞書ではないことになっていますが、イノセンス (曖昧さ回避)とおなじように先頭に原義を書いておくべきかもしれません。--アルビレオ会話2014年1月15日 (水) 06:42 (UTC)
(賛成)映画記事のイノセント (映画)への改名と、イノセント (曖昧さ回避)イノセントに移動することに賛成します。ノートは移動せずに置いた方が解り易いかと。--KAMUI会話2014年1月15日 (水) 21:53 (UTC)
コメント 何か反対意見の内容に触れられずに票だけ投下されてしまっていますが、70年代に制作されて現在まで受容が続いている映画作品に対して、いずれもほぼ日本だけで受容されている、2000年代の楽曲の記事が比較の対象になるとは思えません。Wikipedia:曖昧さ回避には「どれを代表的なトピックにすべきか利用者間で対立がある場合には、「平等な曖昧さ回避」を使用するべきでしょう」というくだりがありますが、この方針は議論をする必要がないとか、対立が起こったら自動的に平等な曖昧さ回避に決まるとか言っているわけじゃないですよ。
歴史的重要性を等閑視した改名には賛成できません。--新続頭痛会話2014年1月15日 (水) 22:14 (UTC)
(コメント)そもそもその映画の邦題が「無垢・罪のないさま」などの意味にあたる「innocent」から取られていることを無視するのはそれこそどうなのでしょう? その他の記事も原義は同じなんですから、曖昧さ回避にてその点を触れた上で各記事に誘導するのが妥当であると考えます。なお、英語版の曖昧さ回避を見たら、『Innocent』あるいは『The Innocent』というタイトルの映画・テレビドラマなどが9本あったので、改名先は『イノセント (1976年の映画)』の方が適切かも知れません。あと1993年の映画はイアン・マキューアンの小説( 邦題『イノセント』)を原作としていますね。--KAMUI会話2014年1月16日 (木) 10:37 (UTC)
コメント Wikipediaは百科事典であって字引ではないので、言葉の説明しかできないなら「イノセント」の「原義」をこの場で考慮する必要はありません。百科事典の項目として成り立っているものを優先すべきです。
上に述べたように、現状の日本語版での状況を前提に意見を述べています。マキューアンの小説を記事にしたいという人がいるなら改名に賛成できますが、外国作家の小説では記事が作られないもののほうが多いのですから、将来的に作られるかどうか不明なものを根拠として改名するのは賛成できません。マキューアンで言えば代表作の『アムステルダム』も『贖罪』も記事になっていない状況なのですから、「待ってればそのうち作られる」という意見には説得力がありません。作られてから提案してください。--新続頭痛会話2014年1月17日 (金) 09:08 (UTC)
(コメント)「マキューアンの小説を記事にしたいという人がいるなら改名に賛成できます」とおっしゃるのでしたら、現状の日本語版に「イノセント」という項目が複数存在することをもって賛成票を投じられても全く問題ないのでは?--KAMUI会話2014年1月17日 (金) 11:42 (UTC)
コメント なぜそうなるのでしょうか。私のそもそもの反対理由はなんですか。
ヴィスコンティもマキューアンもそれぞれのジャンルで自国を代表するレベルの人物です。そういったことを何も踏まえないで票を入れられても反対を撤回すべき理由になるとは思えません。反対を維持します。--新続頭痛会話2014年1月18日 (土) 10:15 (UTC)
(コメント)うーん、件の映画の自国にあたるイタリア語版フランス語版も普通に年号付けてますけどね。と、言うかヴィスコンティの映画記事も、タイトルが被るものについては「○○ (映画)」とか「○○ (xx年の映画)」になってるじゃないですか。「山猫 (映画)」然り「夏の嵐 (1954年の映画)」然り。なんで「イノセント」だけ拘るのか理解できません。--KAMUI会話2014年1月18日 (土) 12:09 (UTC)
イタリア語版にはダンヌンツィオの同名の小説が、フランス語版にはルノードー賞を取ったエリアの同名の小説があります。原義の山猫や、未作成とはいえ15言語版もある(従って執筆依頼に挙げられてしかるべき)ランペドゥーサの原作をおいて映画の『山猫』を括弧なしにすべき理由などないでしょう。もっと周辺をよく確認してからコメントしてください。
「夏の嵐」は映画を代表項目とする改名提案が出れば改名に賛成しますが。「イノセント」が問題になっている改名提案で「イノセントだけ拘る」もなにもないです。--新続頭痛会話2014年1月19日 (日) 10:53 (UTC)
賛成 これまでのKAMUIさんのご意見を支持します。--モンゴルの白い虎会話2014年1月18日 (土) 04:45 (UTC)
賛成 アルビレオさんの御意見に賛同します。似たような事例でサクリファイスがありますが、これに倣うのがよいかと存じます。参考までに。--Saishusengen会話2014年1月19日 (日) 08:45 (UTC)
賛成 アルビレオさんの御意見に賛同。映画のイノセントが代表となるかどうかははっきり言って断定出来ない。歴史的重みを考えても、映画を知らない世代からしたらどうでも良い話です(映画に思い入れがある人には失礼な物言いかもしれないが、率直に言えばそう)。ここは寧ろ、世代を問わず読者が探したい項目を探しやすくするための方策として改名することを考慮する方が賢明だと考えます。それこそ曖昧さ回避の原点なのでは。--Megevand (会話) 2014年1月22日 (水) 02:26 (UTC)
賛成 私もアルビレオさんのご意見に賛同し、改名に賛成します。サクリファイスの事例に倣うというSaishusengenさんのご意見にも賛同します。歴史的重要性と言われても、映画に興味の無い人にはピンと来ない話です。--Floter会話2014年1月22日 (水) 05:35 (UTC)
コメント ○○を知らない人・興味のない人にとってはどうでもいい、などということはどんなものに対しても言うことができます。私の言っている歴史的重要性というのはそのような意味のものではありません。
私も別に映画に深い興味のある人間ではありませんが、ヴィスコンティの「イノセント」の受容が70年代からいまだに続いていることは、いくら映画に興味がなくても少し検索をかけてみただけで理解できるでしょう。現時点で日本語版の記事が作られているものの中で、国際的かつ継続的な知名度という点において比肩できるものが他に作られていない以上、わざわざ映画の記事を括弧付きの記事に改名する必要性は感じません。世代の差の問題に解消するのも間違いです。
別の改名提案でも述べたことがありますが、歴史的重要性より便宜を優先する改名提案に賛成する気はありません。--新続頭痛会話2014年1月22日 (水) 12:23 (UTC)
試しに検索をかけてみたのですが([1])、新続頭痛さんが仰られるような、「ヴィスコンティの『イノセント』の受容が70年代からいまだに続いていることは」分かりません。「国際的かつ継続的な知名度」を判断する基準は絶対ではないと思いますが。--Megevand (会話) 2014年1月22日 (水) 12:44 (UTC)
これが作品の題材となっている固有名詞なら問題はないと思うのですが(思いつくので、金閣寺とか)、今回の場合そうではありませんので、「国際的かつ継続的な知名度」という判断はやはり時代や世代と共に推移していくべきと考えるのはおかしくはないと思うのですが如何でしょうか。--Megevand (会話) 2014年1月22日 (水) 12:48 (UTC)
「○○を知らない人・興味のない人にとってはどうでもいい、などということはどんなものに対しても言うことができます」というのは最もなことです。ですので、今回新たに立項されたものには、括弧付きで誰々の曲であるという情報が加えられています。映画に関しても同様で、それほど重要な映画かどうかという判断は頭痛さんにとっては凄く大事だことだと思いますが、私を含めてそうは思わない、思えない人もいるのです。そんな中でこの議論の「妥協点」を見つけるとすれば映画の2文字を入れることだと思います。内容は何も変わらないのですし、この2文字がつくことによって、どのようなマイナス要素が出てくるのかといえば無いと思います。--Megevand (会話) 2014年1月22日 (水) 12:56 (UTC)
コメント 「歴史的重要性」という言葉自体解釈によっていろいろ異なってくるでしょうが、それは抜きにして、映画に興味が無い人でも「イノセント=ヴィスコンティの映画」と思い浮かぶとでも何らかの証明ができない限り、いくら力説しても新続頭痛さんの言われることは独自研究でしかないでしょう(そういう出典は、まず映画の方に付けるべきでしょうが)。映画のイノセントが、特別何か大きな記録を残したということもないようです。どうでもいいですけれど、イノセントと言われてすぐに思い浮かぶのは「innocent world」という人が日本人では一番多い気もします。それはともかく、百科事典としてはサクリファイスのように言葉自体の本来の意味を最初に示し、様々なジャンルの言葉を載せるほうが便利がいいと考えます。--Floter会話2014年1月22日 (水) 13:45 (UTC)
(まとめてここに書く)ヴィスコンティの映画の受容については検索をしただけでも分かる、ということを書いたのです。なぜ「イノセント」の検索結果を示されるのでしょうか。「ヴィスコンティ イノセント」「イノセント 映画」「The Innocent Visconti」などで検索してください。ついでにciniiで検索してみれば2000年代に書かれた論文も引っかかります。
「国際的かつ継続的な知名度」が「イノセントという題の創作物でどれがもっとも著名か」というようなことであればもちろん時代によって推移するでしょう。推移したらそれに合わせて改名すればよろしいと思います。今の時点で・かつ日本語版で現状作られている記事の中では「国際的かつ継続的な知名度」を有しているのははっきり映画の記事に限定されます。
私にとって凄く大事であるとは何の話をされているのですか。私は客観的に示しうる題材、すなわち記事の言語間リンクの量であるとか、監督の著名性だとか、70年台の作品であるにもかかわらず絶版にもならずDVDで販売され続けていることだとか、表題で検索すれば最近書かれたレビューが出てくるとかそういったことを根拠にして他のものと明らかに有意な差があると言っているのです。映画自体は見たこともなければ作品の存在自体知りませんでしたが。自分は聞いたことないだとか自分には重要とは思えないだとか、「自分にとっての感覚」を足場にして意見を述べているのはあなたがたのほうです。私ではない。
よくある勘違いだと思いますが、「独自研究」というのは記事内容に関する概念であって、方針内容の理解だとか解釈に関わる言葉ではありません。またくるみ割り人形の改名議論でも同じような誤解がありましたが、Wikipedia:曖昧さ回避は「日本人が誰でも知っているもの」とか「誰でも思い浮かぶもの」が「代表的なトピック」であると言っているわけではありません。そもそもこの文書は英語版の翻訳をベースに作成されたものですが、元になっている英語の表現は「a primary topic」すなわち「第一トピック」のようなものです。前後の文章を読んでも、実際の語用において代表的なものであるというようなニュアンスで使われているものではありません。上のような解釈は最初に 「primary」を「代表的」としてしまったことに端を発する日本語版独自の誤解と言っていいでしょう。英語版と日本語版とは無論別々に扱われるべき文書ですが、日本語版の文書を読む限りでも「誰しもが「イノセント=ヴィスコンティの映画」と思い浮かぶとでも何らかの証明ができない限り改名すべきである」というような主張の明確な根拠となるような文言は見当たりません。
いま英語版を見たところprimary topicを選ぶ際にはusage(アクセス数)だけではなくlong-term significanceが考慮されるとちゃんと書かれていました。私が主張している歴史的重要性ということと大体同じようなことかと思います。日本語版に導入した後に改訂されたのか知りませんが、日本語版にも明記しておくべきでしょう。
ページの閲覧数を調べれば、中期的にはおそらく映画も他の記事も大きな差はないでしょう。しかし上述のように国際的かつ継続的な知名度という点では有意な差があります。我々が作っているのは百科事典であって、お客様のニーズに合わせてサービスを提供する単なる便利な情報サイトではありません。閲覧の便宜という観点のみから歴史的重要性における有意な差を無視する案に賛成することはできません。以上は百科事典の理念に関わる問題です。2文字がつくのつかないのというようなことを問題視しているのではありません。--新続頭痛会話2014年1月23日 (木) 17:12 (UTC)
  • そう仰ると思っていたのですが、そもそも「ヴィスコンティ イノセント」「The Innocent Visconti」などと、ヴィスコンティというワードを入れないといけない時点で、歴史的重要性がどうのこうのというのがおかしいと思うのです。そのキーワードを思いつく人はどれだけいるのでしょうか。それだけ「国際的かつ継続的な知名度」という認識が一般的でないということだと思うんですが、、、、。--Megevand (会話) 2014年1月23日 (木) 19:34 (UTC)
  • 「自分にとっての感覚」を仰らないのでしたら、なおイノセント (映画)への改名が適切かと思われます。誰の目からみても、これが映画だということが分かるでしょうし、そのページの中身は何も変わらないのです。--Megevand (会話) 2014年1月23日 (木) 19:37 (UTC)
  • 「我々が作っているのは百科事典であって、お客様のニーズに合わせてサービスを提供する単なる便利な情報サイトではありません。閲覧の便宜という観点のみから歴史的重要性における有意な差を無視する案に賛成することはできません」またまた歴史的重要性を仰っておられますが、それ自体が今回の議論において共感できる概念ではありません。それとも、「映画」という2文字を入れることで、Wikipediaの現時点における歴史的文化的レベルが下がるということを仰りたいのでしょうか?私はそう思いません。--Megevand (会話) 2014年1月23日 (木) 19:43 (UTC)
  • 「記事の言語間リンクの量であるとか、監督の著名性だとか、70年台の作品であるにもかかわらず絶版にもならずDVDで販売され続けていること」これら全て、改名を行ったところで何ら「ヴィスコンティのインセントという映画」の質を貶めるものでもなければ、変化を生じさせることではありません。変化ということで敢えて言えば「あぁ、日本ではイノセントという言葉では、もうすぐにあのヴィスコンティの映画を思いつく人はいなくなったんだな」という感想を持つ方が現れるということでしょうか(今回の議論の流れからして)。ですから、閲覧(便宜性)を考えての改名は何ら害悪を持つものではないということを強調したいのですが。--Megevand (会話) 2014年1月23日 (木) 19:56 (UTC)
  • 便宜性を考えた改名が何ら記事の本質を変えるものではないということで、ちょっと考えました。全く違う次元のたとえで申し訳ないんですが、仮に「ケチャップ」という項目をメーカー毎に作るとして、今回のように歴史的重要性を考慮に入れたとします。既に「カゴメのケチャップ」という「内容」で「ケチャップ」という記事があり、日本でケチャップといえばカゴメなので(ということにしておきましょう。実際どうか知りません)、「ケチャップ(デルモンテ)」とか「ケチャップ(ハインツ)」「ケチャップ(イカリソース)」という記事が新しくできても、「ケチャップ」を「ケチャップ(カゴメ)」に改名するのは反対ということを仰っているのと今回のケースは大体同じでしょうか。しかし「ケチャップ」を「ケチャップ(カゴメ)」にして、「ケチャップ(曖昧さ回避)」を「ケチャップ」に改名することで、日本におけるカゴメのケチャップの歴史的重要性は減少するわけでもなく、それは記事内に出典付で「カゴメのケチャップは日本に最も早く浸透し〜」や「2014年現在の市場調査においてもトップ3の収益をあげ、世論調査でも最も親しみのあるケチャップ」等という文言を入れることによっても保たれるのではないかと思います(あくまでもフィクションの話ということをご考慮ください)。
これと同様に、新続頭痛さんがヴィスコンティによるこの映画が日本社会・文化受容において重要であると仰るのであれば、それは記事内で述べれば良いことであり、記事名が「イノセント」から「イノセント(映画)」になるのを防ぐことで保たれるようなものではないと思うのです。むしろ今回のようなケースでは、曖昧さを回避するために改名をした方が、多くの閲覧者・編集者にとって有意義なことなのではないかと思います。--Megevand (会話) 2014年1月23日 (木) 20:57 (UTC)
  • 最後に。Wikipedia:曖昧さ回避には、「曖昧さ回避は、異なる内容なのに、同じ記事名になるトピックに関して、読者が調べたいものを探す案内板のようなものですから、読者が迷う恐れがない場合には、曖昧さ回避にするべきではありません。曖昧さ回避がどれだけ必要かどうかは、読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか、また読者が探しているページへの誘導が簡単かどうかを総合的に判断してください。」また、「(どの曖昧さ回避を使うべきかとうことについて)どの方法を使用するにしても、曖昧さ回避のページは読者に調べたい項目を選択させるものであるということを忘れないようにしてください。」とありますから、新続頭痛さんも仰っていたように「映画の存在すら知らない」という人がおられるという事実(私もそうです)、イノセントという言葉が現在6つ程も存在する事実を鑑みて、「閲覧の便宜を考慮して改名」することを推したいと思います。--Megevand (会話) 2014年1月23日 (木) 21:16 (UTC)
私は英語版の表現を引いて「日本語における語用の問題ではない」とすぐ上で説明しました。映画を知っている者がいくら少数であろうが少し調べれば誰でも国際的な知名度にほかと差があることがわかると言ったのです。「ヴィスコンティというワードを入れないといけない時点で、歴史的重要性がどうのこうのというのがおかしい」というような書きぶりからは、私がそもそも何を主張しているのかを理解されていないことが分かります。相手が何を言っているのかわかならければ有意な反論を書くこともできません。
改名を行ったところで映画の質を貶めることにはならない、というのは一体なんのことでしょうか。誰がそのような主張をしているのですか。私は百科事典の目的からして、歴史的重要性よりも閲覧の便宜を優先する提案には賛成しないと書いたのです。人の書いた文章は額面どおり受け取ってください。
曖昧さ回避のカッコはその記事の内容を説明するために付けるものではありません。「誰の目からみても、これが映画だということが分かる」というような主張は問題外だと思います。
ケチャップの例えも非常に下手で論外です。ケチャップが存在するところでメーカー別のケチャップの記事などが問題となりえるはずがありません。食品で正確に例えるならば、例えば「マーヴェラスソース」というような名前の同名のソースが相互にまったく無関係に複数存在し、いずれも誰しもが知っているというほどではないがそのうちの一つは1970年代から販売され現在まで国際的に流通しているものであり、他のすべては2000年代以降に作られたもので一国内のみで販売されておりかつ爆発的に売れたということもない、というようなたとえになるでしょう。議論の場でたびたび言っていることですが、粗雑な例えは論点をぼかすだけで議論の進行になんら資することはありません。
「どの方法を使用するにしても、曖昧さ回避のページは読者に調べたい項目を選択させるものであるということを忘れないようにしてください。」という文章はそれに続く「他の項目を提示するリストや「項目名 (曖昧さ回避)」へのリンクはページの先頭または第1段落の直後につけるべきです。」と一緒に読まなければなりません。要するに「曖昧さ回避のための箇条書きはわかりやすいところにおけ」と言っているだけです。全体の文脈をとらえずに恣意的な引用を行わないでください。
いろいろと書かれていますが、上のように思いついたことをあまり深く検証せずに書かれても論点の本質に届きませんし、そのような調子ではいくら続けられても私が反対意見を翻すことにはなるまいと思います。
1976年といえばもう2年ほどで40年になるという年です。本でも映画でも、40年前に作られた創作物の受容がいまだに続いているものというのはそう多くはありません。40年近く受容され続けている、というのはそのジャンルの歴史にとって本質的な重要性を有する蓋然性が高いということを示します。こうしたものに対して、いずれも2000年代以降に作られ取り立てて大きな反響を起こしたわけではない楽曲群が同列であるとする意見に説得力があるようには見えません。そうした意見が9人分集まろうと90人分集まろうと、主張の内容が大差ないのであれば同じことです。--新続頭痛会話2014年1月25日 (土) 09:38 (UTC)
コメント 本件についてコメント依頼が出されていますが、果たしてそれは必要だったのでしょうか? 圧倒的賛成多数に対して反対者が1人だけという状況なのですが、それでも「合意形成ができない」のでしょうか? 全員一致が要求されているのでしょうか?--モンゴルの白い虎会話2014年1月24日 (金) 11:52 (UTC)
  • 私はコメント依頼からこちらに来たのですが、その時は既に現在も反対されている方が反対意見を表明されていました。「全員一致が要求されているのか?」という点は私も知りたいです。Wikipedia:改名提案などを見ていますが、「合意形成をはかるよう」にとしかありませんのでどう判断したら良いのでしょうか。謎です。--Megevand (会話) 2014年1月24日 (金) 13:14 (UTC)
コメント WP:SNOW適用で「合意が得られた」とみなすことは微妙でしょう。確かに合意形成は全会一致でなければならないというわけではないです。とはいえ、議論を尽くすも、このまま平行線のまま終わるならば、最終的には投票も視野に入れてもよいかもしれません。その結果に従うということにする手もあるでしょう。--Don-hide会話2014年1月24日 (金) 13:27 (UTC)
(コメント)現状、賛成が9名で反対しているのは新続頭痛さんだけです。確かにウィキペディアは多数決主義ではないですが、新続頭痛さんは映画に対する思い入れが強くて意固地になっておられるのではないかと言う印象を持たざるを得ません。コメント依頼はちょと早かったんじゃないかな?--KAMUI会話2014年1月25日 (土) 00:50 (UTC)
コメント 私はこの映画自体も知らなければ映画というジャンル自体にさほどの強い興味もありません。執筆や編集でもほとんど関わっていない。私はすでに40年近く続いている作品の受容や国際的知名度を重視しているだけであって、同じ条件であるならば記事が歌謡曲であろうがポルノ雑誌であろうが改名に反対するでしょう。勝手な印象をもたれないようにお願いします。
少数意見をすぐ「いつまでも納得しない」ということにして封じようとするここの傾向はいい加減なんとかならないんですかね。また利用者のコメント依頼やらブロック依頼やらを出しますか。--新続頭痛会話2014年1月25日 (土) 09:38 (UTC)
「代表的なトピック」というのは「語の使用において代表的である」という意味であるとは限らない、と上の議論で述べました。検証可能性というような問題ではありません。なお、ターミネーターは映画シリーズ自体が複数の記事に分かれていることが曖昧さ回避ページになっている主な理由だと思われます。--新続頭痛会話2014年1月25日 (土) 09:38 (UTC)

上記、下手な譬えを使って申し訳ございませんでした。ですが、新続頭痛さんは、私が繰り返し述べているように「改名することは何ら記事の本質を変えるものではない」という意見に対しては何も述べて頂けていません。ここの大多数の意見である映画という2文字を入れることで、何がどのように大きく映画の記事を貶めるのかが分かりません。ですから閲覧の便宜性を考えても良いではないかと思うのです。--Megevand (会話) 2014年1月25日 (土) 11:07 (UTC)

改名することが「記事の本質」を変えるか変えないか、などということは私が主張していることでもなければ私の主張している論点に関わることでもありません。いつ誰が映画を貶めることになると言ったのですか。架空の私との議論をここで展開するのはやめていただきたいのですが。--新続頭痛会話2014年1月26日 (日) 16:39 (UTC)
新続頭痛さんは「映画を貶める」とは言っておられません。私がたずねました。改名をすることで何か本質的に変わることがないと私が思うので、改名しても良いのではないでしょうかということです。また、そもそも新続頭痛がおっしゃるような「歴史的重要性」や「国際認知度」は今回のケースではあてはまらないのでは、という大方の意見もあり、「記事の本質」という違う判断材料を持ってきました。論点ずらしといえば論点ずらしかもしれませんが、結局話し合いがある一点から全く動きませんので、違う視点を持ってきたらと良いと考えました。--Megevand (会話) 2014年1月26日 (日) 17:00 (UTC)
コメント 皆様いろいろご意見おありでしょうが、とりあえず再度集計。現状では賛成11票(Louis XXさんの依頼者票含)・反対1票のようですね。--Saishusengen会話2014年1月25日 (土) 11:18 (UTC)

賛成 イノセントの場合は、原義が結構な重みを持っていて、作品群の中で 1976年の映画がもっとも重要であるとしても、イノセントの過半を1976年の映画で代表できるものであるとは思いません。なお、primaryは単純な一番目では不十分であり、主要なあるいは代表的なというような訳は妥当なものです。usageの説明では他のものをあわせたものより使われるというレベルの説明が英語版でなされていることにも現れており、40年の歴史は重要であるとしても、他のはそこから派生しているという話でもないし、他のもろもろをあわせたのを圧倒する重要性を認めるのは難しいと思います。 en:WP:PTOPIC

  • with respect to usage, if it is highly likely—much more likely than any other topic, and more likely than all the other topics combined—to be the topic sought when a reader searches for that term.
  • with respect to long-term significance, if it has substantially greater enduring notability and educational value than any other topic associated with that term.

というように、歴史的重要性という観点でも、単にgreaterじゃなくてsubstantially greaterであることが要求されているわけです。まあ、確かに1976年の映画が他のトピックより重要そうではありますが、はるかに重要というのは、たいていの人がはじめて知ったというレベルでは説得力が不十分なので、あいまいさ回避にすることを認めるべきだと思います。同列ではなかろうというのは認められるので、曖昧さ回避の中で1976年の映画をトップ項目にするという判断材料としては良いと思います。--T6n8会話2014年1月26日 (日) 01:19 (UTC)

コメントもう一度書きますが、英語版の前後の文脈を見る限りでは訳としては「代表」「主要」は言い過ぎであり、妥当であるという見解には同意できません。第一にくるという意味でニュアンスとしては「第一トピック」くらいでしょう。
英語版で行われているその説明はthere are two major aspects that are commonly discussed in connection with primary topics(プライマリー・トピックに関しては一般に議論される主要な二つの位相がある)として紹介されている部分です。その前にまずプライマリー・トピックを決定する単一の基準はないと断りが入っていること、またすぐ後にusageとlong-term significanceは対立する場合があると書かれていることからもわかるように、プライマリー・トピックであるためには上の二つを同時に満たさなければならない、というようなことを言っているわけではありません。上のようにその二項がプライマリー・トピックの必要条件であるかのように引用するのはミスリードです。
私は40年近い国際的な受容の継続はsubstantially greater enduring notabilityに当たると考えますし、この点においては現状日本語版で作られているものに限れば他の項目を束にしたものに対しても圧倒していると考えます。--新続頭痛会話2014年1月26日 (日) 16:39 (UTC)

「歴史的重要性」「国際認知度」「1976年からの受容」という論点を掲げるお一人の方と、今回のケースではその判断は当てはまらないと考えるその他大勢の方とで、おそらく議論はどこまで行っても平行線だと思います。意思決定手段を投票へ移行したらと考えますが如何でしょうか。--Megevand (会話) 2014年1月26日 (日) 17:07 (UTC)

コメント 現状は賛成12票、反対1票ですが、反対者が譲歩する様子が見られないので投票を行なった方が良いと思います。--Louis XX会話 / 投稿記録) 2014年 1月27日 (月) 00:12 (UTC)
反対 現在、イノセント (曖昧さ回避)に列挙されているもので、記事名が「イノセント」として衝突している記事は現時点では映画とearthmindの曲しかありません。ノート:恋する惑星でも似たような議論がありましたが、earthmindの曲はアニメのエンディングテーマのようですが、被リンクが現在、アニメとアーティストのリンクしかなく、しかも一覧等のデータとして示されているだけで、外部の評価等の論評に欠けます。映画のほうは、恋する惑星に比べればそういった評価を示す記述やリンクは少ないですが、ないわけではありません。また、現時点では記述がありませんが、英語版記事によれば、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞しているようです。イノセント (小説)について言及がありましたが、曖昧さ回避のページは現在、ウィキペディアに記事があるものについて、適切なリンク先を示すものですから、今のところ、その存在を重視する必要はないでしょう。あと、上のほうでウェブの検索についてコメントがありましたが、Google検索で「イノセント」の検索を行うと、映画を除けば、楽曲やその他の曖昧さ回避に記述されているトピックについては検索結果の最初のページに表れない一方で、映画については右サイドバーに「こちらを検索する」で検索リンクが表示されます。これも現状を維持する根拠の一つにはなると思います。楽曲は発表されたばかりですから、将来、その評価が固まれば、状況は変わるでしょうし、小説など、他の記事が執筆されれば、重要度の評価のバランスは変わるでしょう。その時に再評価は必要でしょうが、現時点では改名の必要があるとは思いません。--Kusunose会話2014年1月27日 (月) 01:25 (UTC)
質問 私は改名賛成ですが、Kusunoseさんが新たな反対意見を加えて下さったことをまず歓迎しますくるみ割り人形の改名のように「頭痛さん対その他多数」になると、どうしても建設的議論に発展しにくいので…)。映画イノセントの評価に関する客観的根拠として受賞歴を指摘された点は参考になるかと思います。ただ、イノセント (earthmindの曲)その他のイノセントをプライマリートピックにするというのなら私も同意しかねますが、「映画イノセント」は(全てではありませんが)他言語版Wikipediaでも半数は記事名に「1976年の映画」と付記されており(後述参照)、この映画名はオリジナル固有名詞ではなく一般名詞に由来していることをも踏まえると、日本語版でも「曖昧さ回避」を優先する方が妥当であると考えています。また、現に「映画イノセントをプライマリーと捉えるかかどうか」で対立しているという状況を鑑みても、対立がある場合には「平等な曖昧さ回避」を使用するの原則を適用すべきと感じます。この点について、Kusunoseさんのご視点ではいかがですか?(新続頭痛さんの意見は既に出ておりますので、他の方の視点も知りたいというのが質問の意図です)
  • 他言語版では、英語・イタリア語・フランス語・ロシア語・スペイン語で記事名に1976年の映画と付記。ドイツ・オランダ・ポーランド・ポルトガルの4カ国語版は付記なし(新続頭痛さんご指摘の通り、同名記事(同名小説)の状況はそれぞれですが...)。
コメント 最後は返信とは別に投票を行うかどうかという点ですが、Wikipediaは多数決主義では無いという原則からして積極的には賛成しませんが、議論は出尽くしたと思える(賛成者・反対者の両意見と、賛成者に対して個別に新続頭痛さんの反論もきちんと付いている)ので、基本的に投票に反対はしません。ただ、上記でKusunoseさんへの質問をしたところなので、その返事の時間を頂けると嬉しいです(返事を頂けるかどうかはKusunoseさんの次第なので、一定期間を経て返事が無いなら構いませんが)。--TT mk2会話2014年1月27日 (月) 06:51 (UTC)
映画名が一般名詞に由来していることについては、ウィキペディアは辞書ではないので、一般名詞に関する記事が作成されないのであれば、それは重視する必要はないと考えています。なお、en:The Innocentも、it:L'innocenteも、fr:L'Innocentも一般名詞を代表的なトピックとはしていません(en:Innocenten:Innocenceの記事へのリダイレクトですが、en:The Innocentは曖昧さ回避ページへのリダイレクトです)。
そのうえで、英伊仏でこの映画が代表的なトピックになっていないことについては、各言語の曖昧さ回避された記事について個別に評価していないので、何とも言えません。先に述べたとおり、現在日本語版で記事名が衝突しているのは2つだけですが、他言語では衝突している記事がもっと多いです。記事が多くなれば、重要度が他に比べて非常に高いことを示すのは困難になっていくでしょう。映画の重要度が今後作成されるであろうどのトピックと比べても非常に高いとは主張していません。現状でearthmindの曲についてどの程度の重要度を持つトピックなのかは全く示されておらず、それに比べれば、この映画の重要度は非常に高いといえるということです。
「対立がある場合には「平等な曖昧さ回避」を使用する」についてはノート:恋する惑星に英語版では同様の記述がなくなっていることについて書きました。個人の考えとしても意見の対立の存在のみを根拠として曖昧さ回避を選択するのは望ましくないと思います。現状を変えようとする合意形成が成立しなければ、基本的には現状を維持すべきでしょう。--Kusunose会話2014年1月27日 (月) 11:51 (UTC)
返信 丁寧な返信を頂きありがとうございます。上記の返事を読ませて頂いて、先の反対意見にあった「他の記事が執筆されれば(中略)再評価は必要でしょうが、現時点では改名の必要があるとは思いません」の意味が、より理解できました。また、「対立がある場合には「平等な曖昧さ回避」を使用する」に関しては、ノート:恋する惑星でのKusunoseさんの記述を見落としており、大変失礼しました。こちら方も改めて読ませて頂き、自分の疑問点なども色々スッキリしました。色々と勉強になるご返信に感謝致します。--TT mk2会話2014年1月27日 (月) 13:24 (UTC)
コメント私も ノート:恋する惑星に詳しく書きましたが、Wikipedia:曖昧さ回避が述べている「どれを代表的なトピックにすべきか利用者間で対立がある場合には、「平等な曖昧さ回避」を使用するべきでしょう」という文章は「代表的なトピックの候補として記事Aと記事Bがあり、それぞれを推す意見同士の間で折り合いが付かなかった場合」と解するのが自然です。「代表的なトピックがあるという立場と、ないという立場との対立」である本議論はこれには含まれないと考えられます。--新続頭痛会話2014年1月27日 (月) 22:59 (UTC)
コメントこのまま議論を続けても平行線を辿るだけだと思うので、投票に賛成します。--Saishusengen会話2014年1月27日 (月) 12:15 (UTC)
コメント 議論が出尽くしたようにも見えますが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんにもありますように投票はあまり推奨されていないばかりかKusunoseさんの仰る「他の記事が執筆されれば再評価は必要」に同調した意見や反対者を諦めさせる意見が今後出てくるとも限らないので、あと2、3週間程度待ってみることにします。--Louis XX会話 / 投稿記録2014年1月27日 (月) 13:48 (UTC)

コメント 各位様。ノート:恋する惑星の議論に参加して下さい(依頼者は取り下げましたが)。ノート:恋する惑星が名称を占有して、こちらが占有しないという結果になるのは釈然としません。両者が同じ結果にならないのであれば、その違いが示されるべきでしょう。現在の状況を見るに、曖昧さ回避とすべきという人が当ノートに多く参加し、映画が占有すべきという人がノート:恋する惑星に多く参加しているように思えます。このような参加者の違いによって、違う結果になるのであれば、それには強く異を唱えます。--JapaneseA会話2014年1月27日 (月) 20:47 (UTC)

コメント 上のコメントについてはノート:恋する惑星で指摘を行いました。
反対意見が取り下げられていないにも関わらず、なぜこちらの議論で「映画が占有しないという結果となる」と判断されているのかよくわかりませんが。いまのところ反対理由を取り下げるべき理由は見当たりませんし、この議論状態が続くのであれば改名が行われることにはならないでしょう。
投票という意見が出ていますが、意見は多く集まっており調査投票を行う必要性があるようには見えません。またこれだけ賛成と反対とで人数差があるところで意思決定の方法として投票を行うというのであれば、かつもし意思決定の方法として投票を行うことを人数差を根拠として決めるというのであれば、それは投票が議論の代わりになると言っているのと同じことですしWikipediaは多数決主義であると言っているのと同じことでしょう(提案したり賛成している人は自分で言っていておかしいと思わないのですか)。
反対意見に明確な論理的な破綻や方針違反・無理解といったものが見られないのであるとすれば、それはつまり議論の余地のあることをめぐって10対1だか12対2だかの割合で意見対立が起こっているということです。このうえで議論の余地をなくしたいのであれば方針の解釈をめぐって方針のノートで議論を行うしかないでしょう(ただしこの場の議論を見る限りではそれでも結論は出ないでしょうが)。現状の曖昧さ回避の状態が何か致命的な問題や不都合を抱えているわけでもないのですから、改名を主張している側の根拠がたかだか1クリックで済む程度の閲覧上の便宜でしかないのであれば、強い反対意見が出ていることを持って提案を取りやめるべきです(別に2,3週間待ちたければそれはそれで構わないでしょうが)。--新続頭痛会話2014年1月27日 (月) 22:59 (UTC)
コメントJapaneseAさんの「両者が同じ結果にならないは釈然としない」というのはスピード違反の論理ってやつでしょう。各個別記事において、それぞれの個別性をベースに議論した結果というだけだと思います。新続頭痛さんが恋する惑星のノートでご指摘されているように、『「イノセント」が「恋する惑星」とは違ってもともとは普通名詞であり、後者のようにそれ自体が創作性のある題名ではないこと』『恋する惑星は監督の代表作だが、イノセントの場合はそこまでではない』というのには賛意を表明します。
原題は「L'innocente」、英題が「The Innocent」(項目名はen:The Innocent (1976 film))です。もし仮に本映画の邦題が「ザ・イノセント」だったならば今回の議論はおそらく不要だったでしょう。日本語話者を適当につかまえて『「ザ・イノセント」と言えば何を最初に思い浮かべますか?』と聞いて一番多いだろうと思われる解答は「わからない」でしょうし、正しくヴィスコンティの映画を答える人が果たして2番めに多いかどうか不安ではありますが、誤答をカウントしないのであれば最上位かそれに近いところにくるでしょう。
ところが『「イノセント」といえば何?』といえばたぶん普通は「無垢とか無罪とかを表す英語の普通名詞/形容詞」になるでしょう。しかし『「イノセント」といえば何を連想する?』と問えばかなり答えは違ってきて、どなたかが上でおっしゃっていましたが、ミスターチルドレンの楽曲を挙げる方が最多かもしれませんね。
私は、本件については<反対>よりの考え方です。そもそも「イノセント」や「innocent」が割とよく普通に用いる語であると共に、制作物(たとえば、絵画や彫刻の類)にも割とよく与えられる名前だろうと思います。
楽曲の場合、「イノセント」で始まる曲名の検索結果を見ての通り、「イノセント」というタイトルの楽曲はたくさんあります。一番上のBUMP OF CHIKENの「イノセント」をクリックすると、表示回数が70893回とあります。一方、本件のearthmindの「イノセント」の表示回数は1974回です。Dreames Come Trueの「イノセント」は14393回、ストレイテナーの「イノセント」は8674回でした。そのほかART-SCHOOL、GLORY HILLで3500~4500回、日笠陽子約1800回、DIAURA約280回でした。これらの回数が楽曲の重要度に直接比例するとは言いませんが、「世間一般」からの注目度を推測する一つの手がかりにはなろうかと思います。少なくとも楽曲の世界で、earthmindの「イノセント」が一番手であるとは言い難いように思います。(音楽に関しては私は凡人以下でして、これらの中で“知っている”ミュージシャンはドリカムとバンプオブチキンだけです。知っている曲はゼロです。)状況から見て、これらの曲の中でearthmindの曲だけが単独記事化されているのはたぶん、アニメの主題歌になったからなんだろうなあと思うわけです。アニメの主題歌であることを考慮から外すと、この曲は「オリコン最上位60位の曲」にすぎず、普通には単独記事化されるものとは考え難いです。もちろん、音楽系のプロジェクトで「オリコン20位以下の曲は単独記事化しちゃダメ」とかいうローカルルールがあるというのでもなければ、何位だろうと必要であれば単独記事を作っていいわけですが、それでもなお、他の「イノセンス」を差し置いてこの曲が単独記事化されたのはアニメソングだからというのが実態でしょう。イノセント (曖昧さ回避)に示されている他の楽曲(単独記事にはなっていない)ものとして、日笠陽子、タイナカ彩智、和田光司の3者の楽曲名が示されていますが、これ全部アニソンです。一方、上で指摘したバンプオブチキン、ドリカムや山口百恵の「イノセント」は記述がありません。これは要するに、<「イノセント」という名前の楽曲のうち重要なもの>が列挙されているのではなく、<「イノセント」という名前のアニソン>が列挙されているという状態です。楽曲の世界の中でその程度の位置にいるものと比較すると、映画の「イノセント」は、新続頭痛さんのご指摘通り、「国際的かつ継続的な知名度」を有する映画であり、両者の「世界的な知名度」には相当の差があるように思います。イノセント (曖昧さ回避)にあがっているものの中では、映画の「イノセント」は、まあ他の記事よりは1馬身か2馬身ぐらいは1頭だけ抜けているかなあという感じで、2番手以下は一団、という印象です。まあ、1,2馬身の差というのは完全に圧倒的な差をつけて大きく他を引き離しているという状況ではないという程度です。
私の場合、最初に連想した映画は「イノセント・ブラッド」だったし、そのあと「ああ、押井守?さんの作品?え、あれは「イノセンス」?ああ、そうなんだ、え?ヴィスコンティ?うーん、「ルードヴィッヒ」は見たけど長かったなあ、あ、山猫も見た、うーん、イノセンスかあ…、え?あ、イノセント?」って感じです。
(一定の方に喧嘩を売る言い方になってしまいますが)本心としては「ヴィスコンティの作品がオリコン60位程度のアニソンに駆逐されるというのはさすがに気に食わない(笑)し、ただでさえアニメ・ゲーム勢に圧倒されている日本語版ウィキペディアの参加者としては、アニメ・ゲーム勢の侵攻に抵抗したい(笑)、この調子で他記事名がアニソンとかぶるものが片端からアニソンと平等な曖昧さ回避にされていくのはなんかやだ(笑)」という気持ちがあって反対票を投じたいところです。が、最初の話に戻って、そもそもタイトルそのものの創作性の度合いが低そうだったり、これといった理屈もうまいこと思いつかないということもあり、ガツンと反対票を投じて戦っていけるほどの材料も持っていないので、<コメント>に留めておきます。
アニメ系の編集さんやアニメに価値を置く方には、「アニメを見下している」というふうに取られてもしかたがない言い方ですが、そういうことではないのです。別に見下しはしません。私も競馬というマイナーでサブカルチャーなジャンルの執筆者です。他のマイナーなジャンルと同様に、アニメやゲームの記事を執筆する方には敬意を表します。要するに他の“アカデミックな”ジャンルの執筆者の熱意と仕事が追いつかないというだけなのですが、ウィキペディアの中に限ってみると、現実世界とのバランス・比較構成上、既にアニメ・ゲームの比重が著しく重すぎる、ということなのです。だったら対抗する手段は、ここで反対票を投じることではなく、山口百恵やドリカムの楽曲について加筆することが正しい道なんでしょうけども、音楽の世界で凡人以下の知識しかない私がその程度のことをやってもどうにもならんぐらい、アニメ・ゲーム系の記事の進出がすげーということなのです。--零細系統保護協会会話2014年1月28日 (火) 03:02 (UTC)
個人的にはヴィスコンティの作品がアニソンに駆逐されても構わないと思うのです。アニソンのほうが重要なトピック・よく参照されるトピックであると客観的に示されれば。今回は別に駆逐するというほどでなくて、同列に扱う、ということですよね。同列に扱うためにはアニソンのほうがどのように評価されているものか、という情報がほしいわけです。で、楽曲の記事、アーティストの記事、アニメの記事をみてもそういうことがよくわからない。映画のほうも、記事自体には作品の評価ということについて情報がまったくないので、有名な監督の作品だとか、賞を受賞しているだとか、知らない人にとっては同列でいいんじゃないかという判断になるのはしょうがないところもあるかと思います。しかし、そういう情報が議論の中で出てきたからには、アニソンについても同程度に重要度を評価できるような情報をだしてほしい。そうでなければ、平等な曖昧さ回避にするには根拠が弱いと思うのです。--Kusunose会話2014年1月28日 (火) 06:54 (UTC)
コメント 零細系統保護協会様へ。スピード違反の原理と言われればその通りかもしれませんが、恋する惑星が占有するのが是なのであれば、イノセントも占有するのが是とすべき、と思いました。しかし個々人によって違う結論が出るのであれば、私はその「個別の結果」の違いを知りたかったのです。零細系統保護協会様のコメントは、それにきちんと答えてくださっていますね。--JapaneseA会話2014年1月28日 (火) 07:51 (UTC)
コメント JapaneseAさんの問われている「イノセント恋する惑星が違う結果になった場合に釈然としない」という点は、零細系統保護協会さんの『「イノセント」が「恋する惑星」とは違ってもともとは普通名詞であり、後者のようにそれ自体が創作性のある題名ではないこと』が私の考えと同じです。以前に私が引き合いに出した「ターミネーター(=普通名詞)」と「キングコング(=創作名詞)」がまさにそのパターンです。なお、私の意見として「できうる限り平等に記事を扱うべきだ」と思っていましたので、当初は「イノセント→曖昧さ回避」に賛成意見を述べました。ただし、新続頭痛さんやKusunoseさんのご説明(Wikipediaの方針が何を意味しているかの理解)を考慮し、「現時点での改名(=「イノセントを曖昧さ回避とすること)は時期尚早かも」との考えも大きくなっております。今、即時の投票が行われた場合は 保留に近い気持ちかもしれません。--TT mk2会話2014年1月28日 (火) 10:00 (UTC)
コメント 零細系統保護協会さんは、「オリコン最上位60位」の曲は特筆性がないようなことを仰られていますが、二次資料で言及されてさえいれば単独記事化しても別に構わないと思うのですがいかがでしょうか?--Louis XX会話 / 投稿記録) 2014年 1月28日 (火) 14:40 (UTC)
コメント 横から失礼します。零細系統保護協会さんのコメントは、earthmindのイノセントの単独記事化を批判しておられるわけでは無く、日本版Wikipedia(敢えて「日本語」版ではなく...)では「アニメ関係である」という点が、他の曲よりも単独記事化されやすいという現状を指摘されたに過ぎないと思います。もっとも、他のアーティストの方の「イノセント」はシングル名やアルバム名での記事も多い(山口百恵愛染橋など)ので、単純に「他のイノセントを差し置いて記事化された」という表現は若干誤解されやすいかな、とは感じましたが。--TT mk2会話2014年1月29日 (水) 00:50 (UTC)
トータルとして言わんとしていることは、上でTT mk2さんが代弁してくださいました。
「特筆性」という術語は私はあまり好きではないです。何故かと言うと、ビミョーに普通の意味でも通ってしまうからです。今はWikipedia:独立記事作成の目安という表現になっているので、よりわかりやすくなっています。「オリコン最上位60位の曲が独立記事作成に値するか」ということと、「二次資料で言及されていれば単独記事化しても別に構わないか」ということは全く別の問題です。正確には「信頼できる情報源(二次資料)で、有意な言及(主題的に取り上げられている)がある」があるのであれば、オリコンとか関係なく、単独化しても構わないのでしょう。逆に言えばオリコン1位だろうが、信頼できる情報源による有意な言及がなければ、単独記事化は難しいということになります。
ここからは蛇足というか、感想レベルと思って聞いていただければと思います。<ルイ20世さんによる「二次資料で言及されてさえいれば単独記事化しても別に構わない」>という発言・表現には、諸手を上げて即賛成はしません。「ルイ20世さんのいう二次資料」「言及」ってなんですか?ということを確認しなければ、です。
現時点でイノセント (earthmindの曲)には大別して6系統の出典があります。
[2]は、要するにタワーレコードのオンライン通販でして、これを「信頼できる情報源」とみなすかには疑問を感じます。端的に言えば販売のためのチラシと同レベルのものであり、極端な美辞麗句や宣伝文句が並んでいてもおかしくありません。また、こうしたサイトで採り上げられていることが「信頼できる情報源で有意な言及がある」とは私は考えません。要するに売るものは全部ページ化されているというだけであり、これを有意な言及と見なすということは、アマゾンで売っているコンクリートブロック1個やネジ釘1本にも「特筆性」を認めることになります。とはいえ、記事中でのタワーレコードのサイトの出典の利用の仕方としては、曲名や演奏時間などの基礎情報の引用元としての利用にとどまっており、トータルとしては別に問題はないのかな、と思います。ビルボードやオリコンも同様で、要するに60位であるという事実の情報源としての出典利用にとどまっています。これらは、「記事の基礎情報の裏付け」としての出典の使い方としては異議は全くありません。しかしこれらが「特筆性」を担保する「信頼できる情報源による有意な言及」に該当するかといえば、NOだと思います。
「アニカン」はレコード店などで配布されるフリーペーパーとのことですが、一般論としてフリーペーパーというものは広告料をもらって記事を書き、一般に無料で配布するというのがビジネスモデルであり、宣伝販促資料の一種だと考えるならば、これも「特筆性」を保証するものとしてはNGです。
もし仮にですが、ルイ20世さんが上記の出典だけを用いて、ここに出てくるものを「二次資料で言及されているから」といって単独記事化してもいいよね、ということであれば、私はNOと思います。しかし実際には続きがあります。
「リスアニ!」は、いわゆる雑誌であり、その記事として「主題的に」採り上げられたものであれば特筆性を担保するに値するでしょう。私は、実際の雑誌記事まで目を通していないので、そこで「主題的に」採り上げられているかどうかは確認していませんが、まあアニメソングの雑誌で、新アニメの主題歌のことを書けば、そりゃまあそれなりに主題的に取り上げているに違いないでしょう。例えばもし私が「ルイ20世さんという執筆者は出典を捏造したりするからちゃんと出典実物を確認してみるまでどうだか怪しいぞ」と疑っていれば実際の出典をチェックしますが、そういう疑いは持っていないので、ルイ20世さんがここまで出典を明記してくだされば、それはそうなんだろうと信頼するわけです。(※私はいずれの媒体についても表面的・形式的な情報しかみていませんので、実態はどうだとかそれは知りません。)
結局「アニメソング雑誌」が特筆性を担保する出典であるなら、もしこの曲がアニソンでなければ「アニメソング雑誌」に主題的に採り上げられることはないでしょうから、<もしこの曲がアニソンでない、単にオリコン60位ということしかない曲ならば>、この曲を単独記事化するには別の出典をもってこなければいけなくなります。
ところで、仮にこれらの出典がないとしても、この楽曲はメジャーデビューしているミュージシャンのシングル発表曲で、テレビ番組の主題歌として採用されたものであり、(それらの情報が嘘やデタラメであるということでもない限り)、一般に単独記事化に値する水準にはあるのだろうと思います。一方、同じ条件を満たすような楽曲がすべて単独記事化されているかというと、おそらくそういうことはありません。たとえばローリング・ストーンズの作品を見ると、シングル曲でも単独記事化されていないものが大半です。これは極めて主観性の強い発言になりますが、新作アニメの主題歌1曲と、ローリング・ストーンズのシングル1曲を比較して、より重要度が高いどちらか一方だけを挙げよといえば、世間一般ではローリング・ストーンズの方に軍配があがるだろうと思いますが、ウィキペディア日本版の執筆陣だけで投票を行えばアニソンが勝つかもしれません。だからアニメソングの記事は削除してローリング・ストーンの記事を作れということではありません。不満があればローリング・ストーンズの記事を作ればいいだけのことですが、実際の執筆者一人ひとりの行動の総和として、アニメ関連記事が充実しているということです。
しかし重要度や知名度が、イノセント (earthmindの曲)と同程度、もしくはそれ以上の水準にありながら単独記事化されない楽曲が数多くあるということもまた事実でしょう。たとえば、上で引き合いに出した「ローリング・ストーンズのシングル」の中から単独記事化されていないどれか1曲を選んで、出典を用いながら記事化しろと言われれば、おそらく可能でしょうし、(失礼ですが)イノセント (earthmindの曲)よりも<高水準の出典>を大量に見出しうるでしょう。それは要するに「ローリング・ストーンズ」と「earthmind」のミュージシャンとしての歴史とか人気とか評価とか言ったものの差、その積み重ねに比例する差になるでしょう。が、現実的には、ローリング・ストーンズのシングルが続々と単独記事化されるということは少なく、その一方、アニメの主題歌になった曲は、<この程度の出典>(悪い言い方ですが)を基にどんどん単独記事化されるでしょう。上で示したように、イノセントの特筆性を担保する出典は「アニメソング雑誌」でした。つまり、「アニメ」としても「音楽」としてもサブジャンル(というか、ニッチというか、より分化したジャンルというか、要するに「音楽一般誌」「アニメ一般誌」「TV番組一般誌」よりは専門的に特化した雑誌であるということです。専門性が高いことと、重要性や知名度が直結しているとは言えませんが、専門ジャンルに特化すればするほど、「マイナー」になっていくのはしかたがないことでしょう。マイナーだから信頼性が乏しくメジャーだから信頼性が高い、かというとそんなことはないかもしれませんが、メジャーな出版物のほうが信頼性が高そうなイメージはあるかもしれません。(むしろ専門ジャンルに特化した出版物に触れる方ならば、「メジャーな」出版物での記述のほうがよっぽどいい加減だろうということもあるでしょう。)<高水準の出典><この程度の出典>と私が表現したのは、前者は世界的に有名な音楽批評家による1曲毎の詳細な分析に基づく辛口の批評、後者は販促に片足突っ込んでいるような提灯記事だらけの雑誌、というような意味になります。誤解のないように繰り返し申し上げますが、私は後者を出典としているからアニソンはクソだとかそういうことを言っているわけではありません。別に他の楽曲の記事の編集者だって、後者を出典にして記事を書いたっていいわけです。しかしウィキペディア日本語版では、前者を出典としたようなタイプの記事は出現しにくく、後者を出典としたようなタイプの記事(特にアニメ・ゲーム関連)は出現しやすい、それは要するにその分野の執筆者の層が厚いからだ、ということによります。アニメやゲーム分野でも重厚な出典を基に秀逸な記事を執筆する方もいるでしょうし、格調高い文芸や美術分にも、わけのわからないブログみたいのを根拠に低質なスタブを乱立する編集者はいるでしょう。しかし、アニメ・ゲーム分野は層が厚い=数が多いだけに、より目につきやすいという結果になるということです。私がいる競馬分野もサブカルチャーですから、アニメ・ゲーム分野と同じような傾向にあるでしょう。そういう意味で<この程度の出典>というのは<サブカルチャーの域を出ていない雑誌>とかそういうものであり、競馬にしろ、アニメにしろ、もっと広い裾野をもつ出版物(例えば日本経済新聞とかでしょうかねえ)に採り上げられるようなレベルの主題であれば、堂々とした記事を書けるでしょう。--零細系統保護協会会話2014年1月29日 (水) 05:48 (UTC)
  • コメント 議論が解釈の問題になりそうので小説の記事を書くのが一番手っ取り早いと思って調べていたんですが、ローマ教皇インノケンティウスの英語読み、イノセントで書かれているものが意外と引っかかってきました。イノセント 教皇のGoogle検索結果イノセント 法王のGoogle検索結果を見ると結構多いです。amazonリンクで恐縮ですがフランシス ベーコン 法皇イノセントの肖像 アートポスターというものもあるそうです。竹島眞澄『ポルトガルの夜明け』の95頁にはイノセント二世と出てきます。レイモンド・P・シェインドリン『ユダヤ人の歴史』の訳書には148-151頁にイノセント三世、イノセント四世と出てきます。探せば他にもありそうですが、切りが無いので省略します。wikipediaの記事名はインノケンティウスになっていますが、これは曖昧さ回避を考える上で無視できない事項だと思うのですが、いかがでしょうか。私は世界史に無知なため今まで思いも付きませんでしたが、いくら記事名が異なるとは言え、ローマ教皇の英語名かつ日本語でも使われている名前を差し置いて40年前の映画をprimary topicに挙げるのはどうかと思いました。--Floter会話2014年1月29日 (水) 21:17 (UTC)
コメント 普通はインノケンティウスと表記するのだろうと思って今までまったく考慮に入れてませんでしたが、言われてみれば英語圏由来の文物であれば(独特のニュアンスがあることもあり)「イノセント」表記のほうを採用することがあってもおかしくないですね。ここだかノート:恋する惑星だかで書いたように、曖昧さ回避は基本的には記事名の競合を解消する手段だと思いますので、非常に著名な事物に対するものであっても稀な異称であるのであればプライマリートピックの選定からは除外すべきと考えますが、この場合そこまで稀とは言い切れなそうな感じがします。また「イノセント」の曖昧さ回避ページで案内されている人名のインノケンティウスのページも曖昧さ回避ページになっていることを考えると、例えば上のような文物から人名としての「イノセント」を調べようとした人がとりあえず簡便な検索ワードとして「イノセント」を入れたと考えたときに、「映画のイノセント → イノセントの曖昧さ回避ページ → インノケンティウスの曖昧さ回避ページ → 目的の人物」とかなりの迂回を強いることになってしまい、閲覧の簡便さという点で問題がありそうです。もともと映画のイノセントの知名度の高さが比較的という程度の水準であったことを総合すると改名が妥当ということになるでしょうか。
私以外に唯一反対されているKusunoseさんに別の異論がなければ、当初の提案事由(楽曲を同列とみなしうる)ではなく、知名度の非常に高い人名の異称との平等な曖昧さ回避化をはかるという事由によるのであれば改名に賛成できると思います。--新続頭痛会話2014年1月30日 (木) 23:25 (UTC)
Googleの書籍検索だとイノセント表記はそれほど多くない(ヒット数で1/8くらい、実際には教皇を指していない場合もあるので実際の割合はもう少し低い)ですが、まれとは言うほどではないようです。あと、コトバンクで検索してみたところ、国語辞典でイノセントからインノケンティウスへの案内があります。なので「日本語ではイノセントと呼ばない」という私のこの編集は誤りでした。イノセントという言葉について、重要なトピックが映画と教皇と2つあるといえると思います。
その上で閲覧の簡便性ということで考えたのですが、映画のほうはそれ以外の名前はありませんが、教皇のほうは使用頻度の低い異称であり、ウィキペディアの名前の付け方に従うと記事名は重複していません。最近、Wikipedia:井戸端/subj/改名における優先でも話題になりましたが、この場合、別名を持たないトピックからWikipedia:ハットノートで記事名が別名であるトピックへの案内があれば、別名のないトピックを曖昧さ回避する必要はないと考えます(別名を持つ記事への参照の利便性が変わらない一方で、別名を持たない記事への参照の利便性が低下してしまうので)。イノセントの冒頭のハットノートを{{otheruses|映画|ローマ教皇|インノケンティウス (曖昧さ回避)|その他|イノセント (曖昧さ回避)}}とすれば、教皇の記事を閲覧する場合の簡便性は改善され、しかもイノセントを曖昧さ回避ページにした場合と変わらないので、やっぱり記事名は現状維持でもいいかなと思うところです。
なお、これは検索における利便性だけを考慮しています。別名を持つトピックへの誤リンクが頻出するということであれば、誤リンクを検出して修正しやすいよう、平等な曖昧さ回避にしたほうがよいと思いますが、現状ではイノセントについてはそのようなことはないようです。--Kusunose会話2014年1月31日 (金) 03:14 (UTC)
コメント そうか、otherusesテンプレートをそのように使えるのだということを失念していました。それならやはり現時点で改名を行う必然性はなくなるでしょうか。--新続頭痛会話2014年1月31日 (金) 15:43 (UTC)
コメント イノセントは、芸術作品や物語でよく扱われることばなので、単語そのものの解説記事を作るのがベストだと思います。キリスト教の世界でも扱われる古典的な題材です(幼児虐殺)し、映画や音楽、小説でもよく使われるのは各種記事があることで容易にわかります。なので、記事に起こす価値はあるはずです。新規に作るのが難しければ英語版を持ってくるだけでもよいのでは。そういった意味で、ここを曖昧さ回避にするのは賛成できません。誰も単語の解説記事を作らないのであれば、改名には反対ということになります。--Bellis会話2014年2月2日 (日) 05:20 (UTC)
(コメント)英語版のInnocentInnocenceへのリダイレクトになっています。「英語版を持ってくる」という話になると、「イノセンス」(こちらも映画が占有してる)の改名提案も必要になるかと。・・・前々から疑問に思ってたんだが、日本語版での外国語由来記事名の命名則から見直す必要があるんじゃなかろうか :( --KAMUI会話2014年2月2日 (日) 21:15 (UTC)
取り下げ 提案から1ヶ月以上経過しましたが、合意が成立する見込みが薄く、改名以外の案が複数寄せられていることから、提案を取り下げます。--Louis XX会話 / 投稿記録2014年2月5日 (水) 10:58 (UTC)
「議論が出尽くしたようにも見えますが、(中略)、あと2、3週間程度待ってみることにします。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2014年1月27日 (月) 13:48 (UTC)」[3]。2週も待っていないし、話をまとめようともしない幕引きにはすっきりしないものを感じます。最初から反対している頭痛さんも改名には全面的に反対ではなく関係記事の発展によっては改名には同意する可能性もあったでしょうし、Floterさんは小説の記事を書き起こす可能性を示唆されていました。提案を取り下げて終わりにするとしても、もう少しやりようはあると思いました。--Bellis会話2014年2月8日 (土) 06:20 (UTC)
私もBellisさんと似たような印象を受けました。悪意に満ちた解釈をすると「軽い気持ちで提案したけど予想外に議論になって面倒なので逃げた」という感じもします。
一般論として、改名の提案者さんは、最初の提案の時点で、問題なくスッキリ通りそうなのか、いろいろ異論が出そうだろうかとか、ある程度自分なりに見当をつけて提案を出すものだろうと思います。見当があたるか外れるかはその時その時でしょうけども、「異論が出そうだ」と感じる場合というのは要するに他の同名の事項の存在を予見している場合であり、「すんなり通りそうだ」と感じる場合には他の同名の事項が思い当たらないという場合でしょう。後者の場合、いろいろ自分なりに調べたけれども見当たらなかったというのであればいいのですが、何も調べず臨んだ場合には、予想に反して異論が出るということになるかもしれません。恋する惑星と併せて考えると、提案者さんはたいして下調べや準備をしないまま改名提案を出したという印象を受けました。(あくまでも私が受けた印象なので、事実がどうであるかは別です。)別に改名提案を出すときに十分な下調べを行なわなければいけないということはないのかもしれませんが、するに越したことはないでしょうし、いきなり改名提案ではなく、「こう思うのですが他の意見を求めます」という形でもう少し慎重に入ってもいいんじゃないかなあと感じました。--零細系統保護協会会話2014年2月12日 (水) 07:41 (UTC)
(コメント)WP:NOTDEMOCRACYを考慮しても、「改名すべき」との意見がその理由を挙げた上で多数投じられている(賛成票11・反対票2)のを投げちまうのはどうなのかと。再度の改名提案も検討しています。--KAMUI会話2014年2月12日 (水) 21:27 (UTC)
コメント とりあえずイノセント (小説)を作成しました。小説を読む時間が取れず、この程度しか書けませんでしたが、出典を付けたので一応の形だけにはなっていると思います(できれば誰か、英語版からでもストーリーを書いてほしいです)。改名提案を挙げる精神的な余裕がないので、任せる形になって申し訳ありませんが、どなたかお願い致します。汚い言葉で申し訳ありませんが、「2,3週間待つって言ったじゃないかよ、取り下げるのはえーよ」といった心境です。--Floter会話2014年2月14日 (金) 09:23 (UTC)