ノート:アクロイド殺し/過去ログ1

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作品の斬新なトリック(語り手が実は犯人であった)の記述について

「斬新なトリックのために、フェア・アンフェア論争を引き起こすこととなった」、との記述がありますが、なぜ、フェア・アンフェア論争が生じたかを記述すべきです。つまり、「語り手自身が犯人であった」という推理小説の作りがアンフェアであるという論争が生じたのであり、このためには、このトリックの内容を具体的に記述しないと百科事典としての説明にはなりません。したがって、概要その他の欄に、この作品の根幹である、「語り手であるシェパード医師が実は犯人であった。」との記述を存続させるべきです。

また、Wikipedia:ネタバレ(ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません)がありますので、これに基づき、記述を元に戻します。 --Awaniko会話2014年8月22日 (金) 23:09 (UTC)

何を問題としているのかよくわかりません。そのご指摘の事柄は「本作のトリック」節に既に記述されています。
あえて今回問題となるのは、定義部にまで細かく書く必要があるかどうかです。概要はあくまで概要であって、細かく書く必要はなく、より詳細に説明された部分があれば十分に百科事典としての説明になります。Wikipedia:ネタバレは、核心部分であれば、記事の構成や可読性を考慮せず、とにかく記述して良いというルールではないことをご理解ください。
その上で個人的な感想を申せば、現状の粒度で「語り手であるシェパード医師が実は犯人であった」といきなりぶち上げるのは急に過ぎると感じます。あと、直接今回は関係ないですが、人物説明の欄で、シェパード医師に強調で犯人である、とやるのはネタバレ許容の意味を履き違えていると考えております。--EULE会話2014年8月23日 (土) 01:36 (UTC)
節「本作のトリック」で「語り手であるシェパード医師が実は犯人であった。」「フェア・アンフェア論争を引き起こすこととなった」という記述が既にありますね。
なので、記事冒頭や登場人物で「語り手であるシェパード医師が実は犯人であった。」との記述を一々記載する必要は感じません。--TempuraDON会話2014年8月23日 (土) 02:11 (UTC)


1)何を問題としているのかよくわかりません。  → ノートに記述したことに基づいて、本文の概要(「定義部」とも言うのですね。)を修正いたしました。

2)定義部にまで細かく書く必要があるかどうかです。  → 「語り手が犯人」が、この作品の一番大事な事柄であり、細かいことではないと認識しています。フェア・アンフェア論争のことが概要に記述してあることがそれを示しています。したがって、本作のトリック節だけでなく、概要に記述すべきと考えました。

3)Wikipedia:ネタバレは、核心部分であれば、記事の構成や可読性を考慮せず、とにかく記述して良いというルールではない  → そのような記述が見当たりませんでした。記述箇所をご教示下さい。    なお、現在の概要の書きぶりは、構成や可読性を害しているとは思えません。

4)人物説明の欄で、シェパード医師に強調で犯人である、とやるのは・・・  → 人物欄での人物数が多いので、どの者が犯人であるかを分かるようにした方が読み手に親切だと考えました。すでに、概要で「語り手が犯人」を記述した以上、問題がないと思います。

5)ネタバレ許容の意味を履き違えている  → 「ネタバレ許容の意味・・・」という書き方は、そもそも「ネタバレはなるべくあって欲しくない」というご認識からのものだと感じました。しかし、Wikipedia:ネタバレの記述は、そのような認識に立っていないのではないでしょうか。英語版のWikipedia:Spoilerからもそのように感じます。「ネタバレは好ましくないという考え」が、ウィキペディアで要求される「中立的であること」にそぐわないと思います。

6)現状の粒度で・・・  「粒度」の意味が分かりませんでした。ご教示下さい。粒度 (プログラミング)のことなんでしょうか。もっとも、こちらも意味がよく分かりませんでした。 --Awaniko会話2014年8月23日 (土) 02:25 (UTC)

(追加です) en:Wikipedia:Spoilerからの引用です。 It is not acceptable to delete information from an article because you think it spoils the plot. Such concerns must not interfere with en:neutral point of view, encyclopedic tone, completeness, or any other element of article quality (for example, the en:lead section). When including spoilers, editors should make sure that an encyclopedic purpose is being served. Articles on a work of fiction should primarily describe it from a real-world perspective, discussing its reception, impact and significance.

中立的な観点からの言及、そして、lead section(導入部 or 定義部 or 概要)についての言及があります。もっとも、英語版での方針とかマニュアルが日本語版のウィキペディアのそれをどの程度に拘束するのか、全くしないのか、私は不知です。しかし、「世界的な観点」から全く拘束性がないというものではないのだろうと思っております。 --Awaniko会話2014年8月23日 (土) 02:46 (UTC)

(追加) すみません。上記の英語版を引用するまでもなく、日本語版のWikipedia:ネタバレにほとんど同じ記述がありました。もっと良く読み込むべきでした。ご免なさい。 (以下、引用) 「ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。また、非表示にしたり読み飛ばすためのリンクを設けたりするなど、読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです」

EULEさんは、次の記述のことをおっしゃっているのでしょうか? 「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。」

しかし、私は、その直前の記述、「その記述が百科事典の目的に合うこと」が大事だと考えます。そして「評価や影響力、特筆性」には、この作品(アクロイド殺し)の、まさに「犯人が語り手であった」という極めて斬新なトリックが推理小説界に与えた評価、影響、特筆性が合致しています。この理由により、導入部に記述が必要と考えます。  --Awaniko会話2014年8月23日 (土) 03:14 (UTC)


まず「粒度」というのは慣用表現ですね。記事全体の詳細さの程度、あるいは記事全体から見た、各部のバランスとお考えてください(ここでいうのは単純に量的な意味だけではなく質的な意味も含む)。代表的な例を挙げれば、ある一部だけが詳細に書かれていて、頭でっかちな記事とでも言えばいいでしょうか。
さて、本題でありますが「Wikipedia:ネタバレ」には「冒頭文にネタバレを記述せよ」とは書いてありませんよね。私(やTempuraDON氏)が言っているのは「ネタバレを記述するな」ではなく、「現在の状態でわざわざ冒頭部に書く必要があるのか」です。「なぜ、フェア・アンフェア論争が生じたかを記述すべきです」とAwaniko氏はおっしゃりますが、既に詳しく書いてある場所があって、しかもそこに誘導するための施策までしてあるよ、っていうのが私の意見なのです。そこをまず履き違えないでいただきたいです。前者であれば、「Wikipedia:ネタバレ」は反論の根拠として十分でありますが、後者に対しての反論として「Wikipedia:ネタバレ」を出すのはあまり意味がありません。
これも極端な例ではありますが、もし『モルグ街の殺人』の冒頭部について、いきなり「オラウータンが犯人の怪事件を探偵・デュパンが解く推理小説である」とあったらどうでしょうか。嘘は書いてませんし、推理小説である以上犯人の正体は重要なことです。しかし、読み手の理解に資する、百科事典の目的に合致するかといえば、賛成する人はほとんどいないでしょう。現状、Awaniko氏のロジックはこういった形を肯定できるものになっています(すなわち、どこかに問題がある)。
「ネタバレ許容の意味・・・」という書き方は、そもそも「ネタバレはなるべくあって欲しくない」というご認識からのものだと感じました。
全然違います。Awaniko氏はわざわざ英語版まで参照してくださいましたが、そもそも、現状の「Wikipedia:ネタバレ」を翻訳して合意形成したの私です。Wikipedia‐ノート:ネタバレ/log5における設立の経緯なども参考にしてもらえればいいのですが単純に犯人を書きだす、明らかにすることは、このガイドラインの主旨とは違います(この辺りはまさに合意形成における論点にもなりました)。良くも悪くもネタバレ部分は特別扱いにしないのであって、除去はもちろん、目立たせたり強調したりすることもしてはいけません。
まあ、ただですね、妥当な粒度というものを考えた場合、「初めて叙述トリックが用いられ、フェア・アンフェア論争を引き起こすこととなったが、現在でも推理小説史上に残る名著として、クリスティの代表作の1つに挙げられている」という感じで「初めて叙述トリックが用いられ」たくらいの記述はあった方がいいかもしれませんね。いずれにしても、いきなり「シェパード医師が犯人だ」とか人物節で「こいつが犯人です!!」みたいな記述、表記の仕方には明確に反対致します。--EULE会話2014年8月23日 (土) 05:11 (UTC)
>、「初めて叙述トリックが用いられ、フェア・アンフェア論争を引き起こすこととなったが、現在でも推理小説史上に残る名著として、クリスティの代表作の1つに挙げられている」という感じで「初めて叙述トリックが用いられ」たくらいの記述はあった方がいいかもしれませんね。いずれにしても、いきなり「シェパード医師が犯人だ」とか人物節で「こいつが犯人です!!」みたいな記述、表記の仕方には明確に反対致します。
EULEさんの意見に概ね同意します。よってAwanikoさんの編集に反対します。--TempuraDON会話2014年8月23日 (土) 07:49 (UTC)


1)単純に犯人を書きだす、明らかにすることは、このガイドラインの主旨とは違います

  →私の趣旨はこのようなことではありません。直前の私の記述をお読み下さい。(「その記述が百科事典の目的に合うこと」が大事だと考えます。)「フェア・アンフェア論争が起こった。」、「クリスティーの名著である」などの根拠を明確に導入部に記述すべきと考えているのです。この「語り手が犯人」という驚くべき、そして推理小説界で初めてのトリックが使われているというこの作品の著しい特徴は、一番大事な導入部に書くべきとの主張です。

 もしこれがクリスティーの他の作品、例えば「雲の中の死 Death in the Clouds」であれば事情は異なります。この作品の中のいくつかのトリックのうち、「ウェイターは最も目立たなく誰も覚えていない存在である」というトリックが使われています。この程度のトリックであれば、わざわざウィキペディアの導入部で記述する必要はなく、英語版にあるように、plotの項で記述すればいいと思います。

しかし、「アクロイド殺し」は違います。そのトリックが与えた影響が大変大きかったのであり(フェア・アンフェア論争)、おそらく推理小説の歴史で特筆すべきトリックであるはずです。したがって、この作品のことを短く記述すべき導入部にこそ記述する必要があります。それが百科事典の役割ではないでしょうか。これが、「現在の状態でわざわざ冒頭部に書く必要がある」理由です。

2)「Wikipedia:ネタバレ」には「冒頭文にネタバレを記述せよ」とは書いてありませんよね。  →このご発言は、ガイドラインの意味と役割を取り違えておられるのではないでしょうか。ガイドラインに上記のようなことが書いてあるわけはないのですから。

3)現状の「Wikipedia:ネタバレ」を翻訳して合意形成したの私です。  → EULEさんには、ちょっと刺激的な物言いかも知れませんが、このようなことは、この場の議論には関係がないと存じます。以下の4)とも関係しますが、いわゆる「有権解釈」というものがウィキペディアのガイドライン解釈にあるとは思えません。

4)Wikipedia‐ノート:ネタバレ/log5における設立の経緯なども参考にしてもらえれば  →ガイドライン本文のみが執筆者を拘束するのであり、ガイドラインについてのノートは関係がないでしょう。「ローマの休日事件」でも法改正を主導した文部科学省の法案起案者の考えを最高裁は採用せず、法律本文のみの解釈により、文科省の見解を否定しました。

5)「初めて叙述トリックが用いられ、フェア・アンフェア論争を引き起こすこととなったが、現在でも推理小説史上に残る名著として、クリスティの代表作の1つに挙げられている」  → 世の中にある「アクロイド殺し」についての解説は、上記のような記述が多いですね。推理小説の解説書だと、ネタバレをしないことが約束なのでしょうから、ことの性質上、明確に書けないのでしょう。そして、このような書きぶりでは、読み手はなんのことか全く分かりません。

しかし、ウィキペディアの約束は違います(この点はEULEさんも同意なさると思います)。1)に書いたとおり、百科事典としてはぼかさずに、そして最初の概要の部分にこそ、明確に記述することを求めているはずです。

6)いきなり「シェパード医師が犯人だ」とか人物節で「こいつが犯人です!!」みたいな記述、表記の仕方には明確に反対致します。  (一方で)「ネタバレはなるべくあって欲しくない」というご認識からのものだと感じました。 → 全然違います。

とお書きになっていますが、矛盾しませんでしょうか。「ネタバレはなるべくあって欲しくない」という立場ではないEULEさんはどのような理由で、導入部に語り手が犯人であることに明確に反対なさるのでしょうか。

また、私は、つらつら述べましたように、「こいつが犯人です!!」みたいな記述をしたいのではありません。もし、そういうふうに受け取られるのであれば、導入部における「シェパード医師」という語は、削除してもやぶさかではありません。重要なのは、「語り手が犯人である」という点だからです。しかし後半の本作のトリックでは、語り手がシェパード医師であることは、作品の解説としても記述すべきでしょう。

7)Wikipedia:ネタバレは、核心部分であれば、記事の構成や可読性を考慮せず、とにかく記述して良いというルールではない    → 重要なご指摘ですので、重ねてご質問いたします。そのような記述が見当たりません。記述箇所をご教示下さい。   --Awaniko会話2014年8月23日 (土) 08:21 (UTC)

  • コメント ノートで議論中ということもあり、いったん差し戻しました。なお語り手=犯人という作品はアクロイド以前にもある(検索すれば出てきます)ため、世界初というわけではありません。それに、フェア・アンフェア論叢の根本的な部分は、語り手=犯人というだけではなく、「嘘は書かないけれど、書いていない出来事もある」「小説と読者に思わせて、実は手記だった」という部分にもあったと思いましたが。瀬戸川の『夜明けの睡魔』を読めばわかるのでしょうが今は手元になく、ここはあやふやなので断言しません。いずれにせよ、一言で語りつくせるトリックとも思えませんので、冒頭に書くのはかえってミスリードになるでしょう。--Floter会話2014年8月24日 (日) 02:23 (UTC)

なるほど、トリックの新規性はないということですね。しかしながら、この作品の著しい特徴がまずは、「語り手=犯人」という核心にあり、その他の「嘘は書かないけれど、書いていない出来事もある」「小説と読者に思わせて、実は手記だった」という部分は、核心トリックに付随するものでしょう。いずれにしても、その付随トリックとフェア・アンフェア論争の中味についての詳説は、「本作のトリック」の項に記述するのが百科事典として適切と考えます。

繰り返しますが、この作品の場合は、核心トリックを導入部に記述するのが、百科事典としての体裁として適切だと言うことをご理解下さい。ネタバレをなるべく書かないという気持ちも分からないではないですが、優先すべきは、ウィキペディアの読者が、この作品の概要を導入部で明確に理解できるようにするということです。

直前の私の修正案と、Floterさんからのご指摘を受けて、本文を修正いたしました。フェア・アンフェア論争の詳細な内容などを追加できればと考えております。

それから、修正に反対される方は、その理由(特に、導入部=概要に核心トリックを書くべきでない理由)を説明されるように要望します。理由がなければ論争になり得ませんので。  --Awaniko会話2014年8月24日 (日) 07:13 (UTC)

なぜわざわざ冒頭に書くのか?

(1)ネタバレに賛成しているのはAwanikoさんだけではないですか? (2)Google検索でいきなりネタバレを知ってしまうされる人もいるでしょうに。ネタバレを聞かされて不快に思う人のことを何だと思っているのでしょうか?  (3)Awanikoさんは何の権利があってネタバレをしていいと主張するのでしょうか? (4)私が編集したように、ネタバレを回避しつつ、色々な議論の的になっていることを表現する方法もあるというのに、それができないのではなぜでしょうか?  --忠太会話2015年1月13日 (火) 14:27 (UTC)

おっしゃることについては、既にこのノートの少し上に、書いてあります。念のために、一部を繰り返します。

ウィキペディアの約束は違います(この点はEULEさんも同意なさると思います)。1)に書いたとおり、百科事典としてはぼかさずに、そして最初の概要の部分にこそ、明確に記述することを求めているはずです。

「アクロイド殺し」は違います。そのトリックが与えた影響が大変大きかったのであり(フェア・アンフェア論争)、おそらく推理小説の歴史で特筆すべきトリックであるはずです。したがって、この作品のことを短く記述すべき導入部にこそ記述する必要があります。それが百科事典の役割ではないでしょうか。これが、「現在の状態でわざわざ冒頭部に書く必要がある」理由です。

繰り返しますが、この作品の場合は、核心トリックを導入部に記述するのが、百科事典としての体裁として適切だと言うことをご理解下さい。ネタバレをなるべく書かないという気持ちも分からないではないですが、優先すべきは、ウィキペディアの読者が、この作品の概要を導入部で明確に理解できるようにするということです。

そして念のため、https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%83%8D%E3%82%BF%E3%83%90%E3%83%AC   をお読みください。  「ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます。ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。また、非表示にしたり読み飛ばすためのリンクを設けたりするなど、読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。」 --Awaniko会話2015年1月14日 (水) 13:12 (UTC)

「ネタバレを冒頭に書くべき」とは該当文[1](私は個人的にこの文章に同意いたしかねますが)にさえ書かれておらず、主張しているのはAwaniko氏独自の考えにすぎません。現に、不快に思っている方は(私を含め)複数いる訳です。
何の権限をもって、そのようなことをしているのか、私の代案ではなぜダメなのか、論証してみてください。 --忠太会話2015年1月16日 (金) 12:28 (UTC)
私の名前が出されていたのでコメント致しますが、前の繰り返しになる部分もありますが、基本的に事典の性質を考える上でネタバレを回避するというのは認められません。なので「Google検索でいきなりネタバレを知ってしまうされる人もいる」というのは理由になりません。この辺りはWikipedia:ネタバレに代表される共通認識です。一方で、「定義文で積極的にネタバレすべき」「ウィキペディアでは冒頭文でのネタバレが推奨されてます」、なんてガイドラインもありません。「ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべき」とあるように、ネタバレの除去が「百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げて」によって認められていないのと等価に、不必要にネタバレを含ませた結果、「百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素」を妨げるならば、これもやっぱり認められません。前に例えで『モルグ街の殺人』を出したように、単純に重要だとか嘘ではないという理由で、即百科事典に相応しい記述とはならないのです。
その上で、まずAwaniko氏の記述については、何か色々反論こそされましたが、結果的には前の論争時点から幾分か私やTempuraDON氏に歩み寄った形に直されたこと、冒頭部のみならず記事全体に有用な加筆をなされて記事のバランスを整えたこと、あと単純に私が忙しくて時間を割けなかったことで、前回フェードアウトしました。現状も冗長な面が気になるものの、前回論争時点レベルではないので、単純に前回の論争を引き合いに出されても難しいです。一方、忠太氏の修正は「Google検索でいきなりネタバレを知ってしまう人がいる」という動機は問題ありますが、ネタバレ云々抜きに十分ウィキペディア的に許容される範囲だと思います。Awaniko氏も忠太氏も、単にネタバレだから認められる/認められない、というレベルではなく、百科事典の構成として妥当かどうかのレベルで議論して欲しいなと思います。--EULE会話2015年1月17日 (土) 02:40 (UTC)
あと、ついでなので、前回の反論からAwaniko氏がウィキペディアの規則への認識について根本的に誤ってる点だけ説明しておきます。
>4)Wikipedia‐ノート:ネタバレ/log5における設立の経緯なども参考にしてもらえれば  →ガイドライン本文のみが執筆者を拘束するのであり、ガイドラインについてのノートは関係がないでしょう。「ローマの休日事件」でも法改正を主導した文部科学省の法案起案者の考えを最高裁は採用せず、法律本文のみの解釈により、文科省の見解を否定しました。
この認識は根本から誤ってます。Wikipedia:方針とガイドライン(特に方針を決める方法)にありますように、ウィキペディアの規則やガイドラインというのは合意や慣習を取りまとめたものであって、その成立の経緯を無視してその条文のみを教条主義的に解釈しなさいというものではありません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか「ウィキペディアは規則主義ではありません」にもある通り、規則の運用や解釈に関する根本的な原則です。
私が「それを合意形成したの私だけど」と名乗ったのは「解釈権が私にあるからお前は黙ってろ」という意味ではなく、Awaniko氏が規則主義で色々述べてたので名乗ったまでです。だから、Awaniko氏が過去の経緯や、ネタバレのガイドラインの条文が合意形成に至った理由を知った上で、その条文の解釈について自論や、あるいは記事ごとのケースバイケースについて述べられるのは結構です。もちろん、すべてのガイドラインについて経緯からすべて熟知しろとは言いませんが、少なくともその解釈で論争になっていて、さらに成立の経緯まで示されてる時に「知らん」では駄目です。--EULE会話2015年1月17日 (土) 02:40 (UTC)
冒頭でネタバレはダメですよ。何だったらこの項目に限定して議決を取りましょうか。--砂手紙会話2016年10月5日 (水) 04:15 (UTC)


本節の討議は、問題再提起者が「#今後の導入部の編集について」の節でネタバレを冒頭に記す別の提案をされたため、終了しました。--エヴァンズの秘書会話) 2016年10月29日 (土) 17:08 (UTC)  エヴァンズの秘書による一文字追記。--エヴァンズの秘書会話2016年10月29日 (土) 17:18 (UTC)

「記述者=犯人」を冒頭に書く理由

これまでに過去のノートで議論されたことをまとめます。

1)一般論として、百科事典の記述の作法として、導入部(=冒頭)には、その記事名の最も重要な点、つまり概要、意義などを書くことになっています。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)

2)この作品の最も重要な点は、「記述者=犯人」のトリックであり、そしてその歴史的意義が大きいということです。

3)上記の1)2)からこのトリックを明確にしかも冒頭に記述することが必要です。それがいわゆる「ネタバレ」であるかどうかは関係ありません。Wikipedia:ネタバレ 「百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。一方、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。」

4)「なぜわざわざ冒頭に書くのか」との質問が繰り返されていますが、それは「ネタバレ」であるかどうかのみに関心があるゆえの質問でしょうね。繰り返しますが、優先すべきは百科事典の記述の作法に則るかどうかです。

5)なお、過去ノートにも書きましたが、同じクリスティーの作品「雲をつかむ死」であれば、そのトリック(ウェイターのような存在には、誰も注目しない)程度のありふれたものであれば、百科事典の記述としても、冒頭に書く必要はないわけです。 --Awaniko会話2016年10月6日 (木) 08:18 (UTC)

このミステリーは、冒頭で犯人が記述されているミステリーではありません。このミステリーに関して、冒頭で犯人が記述されている百科事典は確認できていません。このミステリーに関して、冒頭で犯人を記述編集し直しているのはAwanikoさんだけです。故に編集に関しての合意形成としては、「このミステリーに関して、冒頭で犯人が記述されている百科事典」をご提示ください。--砂手紙会話2016年10月6日 (木) 08:37 (UTC)

まず、本文の編集はおやめ下さい。ノートで議論をしてから本文の修正なりを行うのがルールです。したがって、10月3日の状態に戻しました。保護依頼も、

1)編集履歴に「ミステリ1000冊ぐらい読んでから再編集してみてください。」と書いておられますが、なにか大きな勘違いをされておられるようですね。ミステリーそのものの冒頭に犯人を記述しているかどうかは関係ありません。ウィキペディアの記事名(題名)の冒頭(導入部とも言われます)の記述の仕方について議論しているのです。

2)「百科事典」と書かれていますが、ウィキペディア以外の百科事典(例えば平凡社の百科事典、小学館の百科事典など)にどのように書かれているかを問題にされているのですか? どうも、砂手紙さんの記述の意味がよくつかめません。 これに関して私が「百科事典」と書いた箇所は、それは「百科事典としてのウィキペディア」という意味です。ウィキペディアのガイドラインにも単に「百科事典」と記述している箇所があるので、それを踏襲しただけです。

3)私 awaniko だけが導入部に「記述者=犯人」を記述することを主張しているかどうかが問題ではありません。ウィキペディアの記述の作法としては、必然的に論理的にそうなるということです。この点は、EULEさんが2015年1月17日に、「単にネタバレだから認められる/認められない、というレベルではなく、百科事典の構成として妥当かどうかのレベルで議論して欲しいなと思います。」と書かれています。--Awaniko会話2016年10月6日 (木) 09:21 (UTC)

「ウィキペディアの記述の作法」が「ウィキペディア以外の百科事典」と異なる冒頭記述にしなければならない根拠が不明ですね。「百科事典の構成として妥当かどうか」ではなく「百科事典の目的に合うかどうか」で、それは「ウィキペディア以外の百科事典」が判断材料になります。--砂手紙会話2016年10月6日 (木) 09:42 (UTC)

ウィキペディアの書き方、ルール、作法などは、Wikipedia:方針とガイドラインWikipedia:方針とガイドラインの一覧などに依ることになっていますが。これらのガイドラインの確立・修正に、「ウィキペディア以外の百科事典」が判断材料になるというのは、読んだことがありません。方針とガイドラインのどこかに、そのようなことが書いてあるのですか? 

「『ウィキペディア以外の百科事典』」が判断材料になります。」の根拠を砂手紙さんがお示し下さい。

それから、「『ウィキペディアの記述の作法』が『ウィキペディア以外の百科事典』と異なる冒頭記述にしなければならない」などとは、私は書いておりません。文章をよく読んでいただき、論理的に書いていただくようにお願いします。 --Awaniko会話2016年10月6日 (木) 10:45 (UTC)

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#疑問に思ったときはに「記事に何が含まれるべきで何が含まれるべきでないか疑問に思ったときは、読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください」と書いてありますが、これでは不十分ですかね。この書き方は、「ウィキペディアを含む百科事典」と判断しました。「ウィキペディアの記述の作法としては、必然的に論理的にそうなる」の「必然的に論理的に」の部分を「しなければならない」と判断しましたが、判断ミスでありましたら申し訳ないことであります。なお、冒頭に犯人が明示されていないミステリーの記事(項目)に、冒頭での犯人の明示は期待しません。 --砂手紙会話2016年10月6日 (木) 11:24 (UTC)
議論を拝見しました。現状では、私は利用者:砂手紙さんの意見に賛成です。冒頭節における「語り手=犯人」という記述が、百科事典としての有用性を高めるとは思いません。ただし、利用者:EULEさんがすでに触れているとおり、「初めて叙述トリックが用いられ」たくらいの記述は、冒頭節にあったほうが良いとは思います。--伊佐坂安物会話
時間がないので簡単に。「なぜわざわざ冒頭に書くのか?」で再度述べたようにAwaniko氏のネタバレのガイドラインに対する認識は誤ってます(反論が無かったので、ガイドラインに対する認識の誤りを納得してくださったかと思っていました)。また、Awaniko氏は盛んにノートで合意したということを言われているけど、消極的な合意です。他の人はどうしかは知りませんが、私は単純に時間が十分に無かったことと、Awaniko氏のほかの記述部分に対する記事への貢献で放置しただけであって、少なくとも冒頭部に確信的にネタバレを書くのがネタバレのガイドラインの要請とか、百科事典的だ、というAwaniko氏の主張が認められてたわけではありません。
あと補足ですが、伊佐坂安物氏が引用してくださった「初めて叙述トリックが用いられ」だと、なんか厳密には初めてでは無いそうなので、「初めて」という部分には拘らないか、別の表現に置き換えたほうがいいかもしれません。--EULE会話2016年10月6日 (木) 22:53 (UTC)


EULEさんへ。 「少なくとも冒頭部に確信的にネタバレを書くのがネタバレのガイドラインの要請とか、百科事典的だ、というAwaniko氏の主張」と書いておられますが、そのように誤読なさるのは困ります。もう1年以上前の議論ですので、議論の筋を誤解されているのではないでしょうか(もっとも私自身も全ての議論を完全に思い出しているわけではないのですが(笑))。 

私は、この作品については「記述者=犯人」を書くのが百科事典としての作法(ガイドライン準拠)だと言っているのであって、一般に冒頭(=導入部)にネタバレを書くことが要請されているとは全く考えてもいませんし、ノートに書いてもおりません。それが証拠に、「雲をつかむ死」についてはネタバレを導入部に書くことは不要であると書きました。2014年8月23日あたりの記述を再読願います。

思うに、皆さん、ガイドラインの百科事典としての作法は分かった上で、導入部にネタバレを書くことはなんとかして避けたい、避けたいと考えておられるように感じます。しかし、それはガイドラインが要請するものとは矛盾するのではないですか。ガイドラインの趣旨はそのようなネタバレを避けるということは考える必要は無く、百科事典としての作法(体裁といってもいいでしょう。)に則って記述すべきということです。(なお、私はガイドラインの字句のいちいちを細かく議論するつもりはありません。そのような議論ではなく、ガイドラインが言わんとするところ、ガイドラインの精神を大事にするべきと考えています。)

この作品の概要として最も大事な点は、まさに「「記述者=犯人」であることは同意なさるのであれば、それを百科事典としての作法として、導入部に書くことは当然であると申し上げているのです。 --Awaniko会話2016年10月7日 (金) 14:00 (UTC)


もうひとつEULEさんへ。 2015年1月17日の最後のお書きになった、「ウィキペディアの規則への認識について根本的に誤ってる点」については、おっしゃるとおり私は反論しませんでした。それは、このノートの議論「導入部にわざわざ書く理由」とは直接には関係ないと思ったからです。私としては納得はしていませんし、反論したい気持ちはあるのですが、それは措いておきます。 --Awaniko会話2016年10月7日 (金) 14:12 (UTC)

まず、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#疑問に思ったときは」の記述に関する、Awanikoさんのご意見をお聞かせください。次に、あなたのこの作品の編集に賛同するかたのご意見がありましたらご提示ください。最後に、百科事典として世の中に存在しているもので、「アクロイド殺し」の項目の冒頭に、犯人が明示してある百科事典をご提示ください。つまり、あなたが考えている「百科事典としての作法」が、第三者的に正しいと思われるものをご提示ください。現状ではAwanikoさんのご意見は「ガイドラインの誤解釈」だと、自分は判断します。--砂手紙会話2016年10月7日 (金) 14:51 (UTC)


1)紙の百科事典は判断材料になるか:

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか に何が書かれているでしょうか。Wikiは無法地帯ではない・多数決主義ではない・規則主義ではない・・・など、正に「何でないか」を列挙したものです。Wikiの書き方そのものには言及していません。なおかつ、その「何でないか」の判断に困ったときに、補足的に「紙の百科事典の記述を想起してみて下さい。」としているだけです。したがって、上記の「紙の百科事典」への言及は、Wikiの書き方・方針・ガイドラインに優先するものとは考えられません。

2)ネタバレ除去派が多数である:

Wikiにネタバレがありうる(もとよりそのネタバレを含む全体の記述が「百科事典的」でなければならないことはいうまでもありません。)ことはガイドラインに書かれているにも関わらず、現状ではネタバレを書くべきでないと考えている人が多数派であることは間違いありません。

それがゆえに、「Wikipediaにはネタバレがある」ことを周知させたいでなされているように、一般にWikiにネタバレがあることを周知させるかどうか、周知するとするとどのように行うべきか、が議論されているわけです。ネタバレがありうることを誰もが納得していれば、上記のノートの議論もしなくてよいでしょう。

EULEさんは、「単にネタバレだから認められる/認められない、というレベルではなく、百科事典の構成として妥当かどうかのレベルで議論して欲しいなと思います。」2015年1月17日、と述べておられます。私も全く同感です。このノートの最初(2014年8月22日)から私が主張していることです 。「このトリックの内容を具体的に記述しないと百科事典としての説明にはなりません。したがって、概要その他の欄に、この作品の根幹である・・・」と記しました。


3)多数決で決めるのではない:

Wikipedia:投票は議論の代用とはならない ウィキペディアは多数決主義ではありませんにあるとおり、議論に基づいて決めていきます。その議論は、方針・ガイドラインを基に行うことになります。

4)世の中の百科事典の「アクロイド殺し」の項目の冒頭に、犯人が明示してある百科事典?

2)で述べたように、それは参考にならないでしょう。さらに、どうしてもということなら、砂手紙さんが示して下さい。紙の百科事典のことを持ち出したのは砂手紙さんですから、挙証責任は砂手紙さんにあるはずです。冒頭に犯人が明示されていないことを求めるものではありません(悪魔の証明)。2-3の百科事典で結構ですから、どのように書かれているかご教示下さい。

5)>現状ではAwanikoさんのご意見は「ガイドラインの誤解釈」だと、自分は判断します。

 こここそが論点でしょう。どのような理由で「誤解釈」と判断されるのか、お示し下さい。そうでないと、これ以上の議論が進まないのではないでしょうか。

6)以下は、くどいかもしれませんが、ガイドラインからの引用です。 Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部) Wikipedia:あらすじの書き方から。 一字一句ではなく記述全体から、導入部の書き方を理解する必要がありますから、詳しくはガイドライン全体を参照願います。

(引用始め) 導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。第1文で主題を定義し、続いて別名や間違いやすい事柄に触れ、前後関係や注目に値する理由を説明し、そして最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます。

その記事をさらに読もうという興味を引き出すことが推奨されますが、導入部ではそれに続く内容をほのめかすことで、読み手に対して「もったいぶる」ことは推奨されません。

導入部は通常記事本文に書かれている情報の繰り返しである

記事の他の部分よりも、理解しやすい文章であることがいっそう重要です。続く詳細項目への興味を持てるように心がけます。ただし驚くべき事実について、それを説明することなくほのめかすのはいけません。非常に長い段落や、過剰に細かな説明は避けるようにします。より詳しい説明は、記事本文で行います。

作品の重要な詳細を伏せたまま作品を紹介することは、公式サイトや販売サイトの役割であり、そもそも百科事典の役割ではないのです。(引用終わり)

--Awaniko会話2016年10月8日 (土) 04:07 (UTC)

賛同者について:

導入部のネタバレ除去をリバートされたのは、私の他に Kinketuさんがおられます。また、 エヴァンズの秘書さんは、推理小説分野の記述をたくさん行っておられる方であり、「アクロイド殺し」 の修正もたくさんされていますが、少なくとも2015年1月以降は導入部のネタバレを除去されたことはありません。 --Awaniko会話2016年10月8日 (土) 04:53 (UTC)


1・「紙の百科事典の記述を想起してみて下さい」という記述はウィキペディアでは確認できませんでした。自分も「百科事典として世の中に存在しているもの」としか述べていません。
2・「ネタバレ除去派が多数である」から除去が望ましい、というのではなく、ミステリーを扱った項目の百科事典としては正常ではないからです。つまり、反ネタバレ除去派は、確認できるかぎりではAwanikoさんしかいませんし、あなたがミステリーを扱った項目の編集に関して精通しているかということは確認できませんでした。
3・多数決で決めるのではないでしょうね。あなた一人に納得いただけばいいだけのことかもしれません。
4・コトバンク経由の日本大百科全書(ニッポニカ)「アクロイド殺人事件」では「イギリスの女性推理作家A・クリスティの長編推理小説。1926年刊。さまざまの推理小説ベスト・テンのなかにいつもリストアップされる名作。物語はシェパード医師の手記という形で展開される。村の名士アクロイドが書斎で刺殺された。それより以前、村で起こった婦人の自殺と関係があるらしい。村に隠退してたまたま隣家にいた名探偵ポアロが捜査にのりだす……。巧みに張られた伏線やデータは、最後に予想もつかない犯人を指示することになる。」、デジタル大辞泉プラス「アクロイド殺し」では「英国のミステリー作家アガサ・クリスティの代表作(1926)。原題《The Murder of Roger Ackroyd》。村の名士アクロイド氏が殺され、名探偵エルキュール・ポアロが捜査に乗り出す。用いられたトリックが、フェアかアンフェアかで論争を巻き起こした話題作」、世界大百科事典内の《アクロイド殺害事件》の言及では、クリスティの中の記述として「処女作以来,《アクロイド殺害事件》(1926)などの代表作では,ベルギー生れのエルキュール・ポアロ探偵が登場する」云々とあるのは、たやすくおわかりになると思います。要するに、百科事典的な記述のルールよりも、この項目の場合はミステリーの作品紹介の記述のルールが優先する、とご判断いただければ幸いです。
5・「推奨されます」を「必然的に論理的に(=ねばならない)」と解釈しているように見えるのですが、それはあなたの誤解釈ではありませんか。「作品の重要な詳細を伏せたまま作品を紹介することは、公式サイトや販売サイトの役割であり、そもそも百科事典の役割ではないのです」というのは、冒頭の記述ではなく別記により、「作品の重要な詳細を伏せたまま作品を紹介」になっている記事は存在します。
賛同者については、「導入部のネタバレ除去をリバート」はともかく、「導入部のネタバレを除去されたことはありません」というのは賛同者には含まれないでしょう。また、このノート内では確認できませんでした。--砂手紙会話2016年10月8日 (土) 08:37 (UTC)
(追記)犯人を冒頭に書かない記述(ネタバラ・ネタバレ)に関しては、「問題はない」ということで合意形成はできていると判断しています。--砂手紙会話2016年10月8日 (土) 13:40 (UTC)

コメントします。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#要約には「主題に関する著名な論争点があればそれも記してください。」とあります。2016年10月6日 (木) 09:11 (UTC)の版(以下最新版)では叙述トリックが引き起こしたフェア・アンフェア論争について全く触れておらず、この意味で最新版はスタイルマニュアルを守った導入部とはなっておりません。もしフェア・アンフェア論争について導入部で触れないのならば、それは同論争が著名な論争点ではない場合に限ります。しかし、アクロイド殺し#フェア・アンフェア論争を見ても多くの作家・評論家が同論争を繰り広げたことが書かれており、著名な論争点ではないとは言えないでしょう。したがってフェア・アンフェア論争については導入部にて触れる必要があります。

そして、ただ「本作ではフェア・アンフェア論争が生じた」とだけ導入部に書いても何故それが生じたのか理解が出来ませんので、ある程度の説明は導入部に必要と考えます。例えば、「本作で使われた叙述トリックに対しフェア・アンフェア論争が生じた」や「手記を書いた人物が信頼できない語り手であったために(後略)」「語り手=犯人というトリックに対し(後略)」など。Wikipediaではネタバレを禁止していませんので最後の例でも全く問題ないと思いますが、もう少し多くの方から意見を募った方がいいかもしれません(もし議論が膠着するようならコメント依頼をしてみようと思います)。個人的には最低でも前の2例くらいのことは書いておかないと導入部を読んでも著名な論争点とその理由が全く分からず、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)のガイドライン違反だと思いますね。--Kinketu会話2016年10月9日 (日) 14:33 (UTC)

この物語の「主題(テーマ)」は、「犯人をどのように隠すか」で、「犯人を○○とする」というのは主題のための「手法」だと判断したんですが、違いますかね(他の人の意見をお待ちしましょう)。「犯人を隠すトリックで、本作ではフェア・アンフェア論争が生じた」という冒頭の記述ではいかがでしょうか。--砂手紙会話2016年10月10日 (月) 09:43 (UTC)
>要するに、百科事典的な記述のルールよりも、この項目の場合はミステリーの作品紹介の記述のルールが優先する、とご判断いただければ幸いです。

「ミステリーの作品紹介の記述のルールが優先」であるはずがありません。単純にウィキペディアのスタイルのルールに従うべきです。--Awaniko会話2016年10月14日 (金) 16:20 (UTC)

議論節が乱立していて、非常に書きにくいのですが、Wikipedia‐ノート:ネタバレで書いた内容を要約して転記します。
要は、「この作品の歴史的価値は『語り手が犯人である』ということなのだから、冒頭にそれを書くべきだ」という意見と、「この作品は『叙述トリックを大胆に使用した』という点に歴史的価値があるのであり、『語り手が犯人である』という詳細まで、あえて冒頭で記す必要性はない」という意見が対立しているのではないでしょうか。
私の意見としては、記事の概要に『語り手が犯人である』旨の記述が、きちんと物語に沿って記述されていますし(これを除去すべきという議論はナンセンスです)、記事の冒頭であえて記載すべき必要性があるとは感じられません。この作品がどう評価されているかは、人によると思いますし、どちらの言っていることも正しいのでしょう。私も推理小説(特にアクロイド殺しが一番好きです)が大好きなので、Awanikoさんの言っていることもわかります。ですが、この論点で言い争っているうちは決着がつきません。議論が終わるのは、どちらかが諦めた時、になってしまいます。これでは解決にはなりません。
そうなれば、1年越しにこのような議論を誘発してしまうようなこれまでの記述方法は避けるべきです。議論を収束させる方向に動くのであれば、記事冒頭には「叙述トリックが用いられた作品であり、それによりフェア・アンフェアの論争を巻き起こした」等の記述に留めて、「概要」で現行通りに「語り手が犯人である」という記述をすればよいのではないでしょうか。--F@ST会話2016年10月14日 (金) 22:09 (UTC)
私の感覚で言えば、
「叙述トリックを大胆に使用した」だけでは、「叙述トリック」というのがどんなものなのか全くイメージが湧かず、情報不足で消化不良を起こすと思います。
「語り手が犯人であるという叙述トリックを大胆に使用した」でちょうど良い感じ。
「語り手であるシェパード医師が犯人であるという叙述トリックを大胆に使用した」は詳し過ぎるという感覚です。
他の百科事典の導入部のことを引き合いに出しておられる方がいらっしゃいますが、せっかく他の百科事典を調べたのであれば、他の百科事典の導入部が「叙述トリック」についてどのように記述しているのか(あるいは全く記述していないのか)ご教示いただけると、みんなの参考になると思います。--Dwy会話2016年10月15日 (土) 13:59 (UTC)
『大日本百科事典ジャポニカ1』(小学館、1980年)では(Wikipediaの冒頭節程度の長さで)以下のように叙述トリックについて言及しているようです(全文引用)。
「イギリスの女流作家アガサ・クリスティの作品。一九六二年作。作者の初期の代表作であり、推理小説史上に異彩を放っている。村の地主のアクロイドが未亡人と再婚するといううわさがたった事件であるが、叙述の形式そのものにトリックがある。〈中島河太郎〉」修正。--伊佐坂安物会話2016年10月20日 (木) 00:58 (UTC)
少なくともジャポニカでは、「語り手が犯人である」というトリックの詳細よりも、「叙述トリックが使用された」ことに重きを置いています。--伊佐坂安物会話) 2016年10月19日 (水) 13:06 (UTC)いろいろ読み落としていたので修正。--伊佐坂安物会話2016年10月20日 (木) 00:58 (UTC)
(補足) なお、「WP:PSTS」では、百科事典などの三次資料は「観点について重み付けをするのに役立つ」とされています。 ——以上の署名の無いコメントは、伊佐坂安物ノート履歴)さんが 2016年10月20日 (木) 00:58(UTC) に投稿したものです(Dwy会話)による付記)。
「詳細」よりも「根幹」が優先なのは当然です。そこに異論はありません。
ここで問われているのは、優先順位に従って情報を取捨選択する際に、どこで線を引くか?それが問題です。
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)によれば、導入部の適切な長さは1〜5段落が目安とされています。1段落の導入部で書けることと、5段落の導入部で書けることは、当然違う。2〜3行の導入部には書ききれないことでも、記事が充実してきて導入部が長くなってくれば、問題なく書けるようになるかもしれません。ごく短い導入部のなかでは細かすぎてバランスが悪い情報も、記事が加筆されて全体の情報量が増えてくれば違和感がなくなっていく可能性があります。
「詳しすぎる情報」を除去し続けていたら、いつまで経っても記述内容が充実しません。むしろ他の部分を加筆して全体のバランスを取る方が良い場合もあるかもしれない。そういうことも考慮する必要があります。--Dwy会話2016年10月21日 (金) 20:48 (UTC)
「はずがありません」とは少し説得力に欠ける個人の感想ですねAwanikoさん。また、「ミステリーの作品紹介の記述のルール」ではなく「百科事典のミステリーの作品紹介の記述のルール」であり、それはウィキペディアの方針と合致し、「ルール」より「方針」が優先されるべきではありませんか。--砂手紙会話2016年10月20日 (木) 08:42 (UTC)


本節の討議は、「#今後の導入部の編集について」の節に移行しました。--エヴァンズの秘書会話2016年10月29日 (土) 17:08 (UTC)

本文を2016年9月のものに戻す提案

本文記事を9月29日時点のものに戻すことを提案します。理由は、導入部の記述は、2015月1月17日から2016年9月29日まで基本的に変更されていないからです。現在の本文は、砂手紙さんが10月5日に根幹部分(記述者=犯人)を削除されてから、私awanikoとの編集合戦状態になっていました。記述は2015月1月から2016年9月まで1年半以上に亘って安定していたのですから、それを尊重するのがエチケットではないでしょうか。また、「保護依頼中」を削除することも提案します。--Awaniko会話2016年10月8日 (土) 04:53 (UTC)

反対 それでは「2014年6月4日 (水) 20:24」のAwanikoさんの編集以前のものに戻すことを提案します。理由は、その時点以降の合意形成が不十分だからです。--砂手紙会話2016年10月8日 (土) 08:37 (UTC)

2015年1月18日以降は、忠太さんからの異議は提出されていません。また、EULEさんも、「消極的な合意」と言われていますが、結果としては書き込みはされていません(私の、ウィキペディアの規則への認識についてのEULEさんの書き込みは、本人も「ついでなので、」とお書きになっているとおり、議論の本筋とは関係ありません)。したがって、2014年6月4日以降2015年1月17日までの合意形成が不十分だとの議論は成り立ちません。ノートでの明らかな反対意見が続いているのではないのですから、1年半以上も議論されていない事実を無視し、ノートでの議論なしに書き換えるようなことを許容するならば、ほかの記事についてもその安定性が失われて、大変な事態になってしまいますよ。  --Awaniko会話2016年10月10日 (月) 14:44 (UTC)

他の人の意見を待ちましょう。--砂手紙会話2016年10月10日 (月) 16:25 (UTC)
そう言えば、ひとつだけ言い忘れていたことを思い出しました。管理者であるHalowandさんによって、「2016年9月29日 (木) 06:43‎」の版として「「語り手=犯人」という」云々の部分が削除されています。この版に戻すということでしたら合意形成は可能です。

Halowandさんの削除は、「ノートを参照」と注記して、私が元に戻しました。それ以後は、Halowandさんのアクションはありません。--Awaniko会話2016年10月14日 (金) 16:03 (UTC)

記事の安定性のために、元に戻します。 --Awaniko会話2016年10月14日 (金) 16:03 (UTC)

保護依頼状況になっているものを「取り消し」にするのはいかんでしょう 戻します。また、再度保護依頼を出します --砂手紙会話2016年10月15日 (土) 03:45 (UTC)

随分長い間議論が続いていますが、当面合意が成立しそうにないので、一旦直近の安定バージョンに戻るべきだと思います。

2015年1月〜2016年9月の1年半の間、当該部分の記述にはほぼ変更がなく、異議も出ていませんでした。砂手紙さんが「合意形成が不十分」とおっしゃっるのは、どう見ても無理があります。また、少なくとも2016年9月29日 (木) 06:43の版なら合意可能とおっしゃっているのだから[2]、その版に含まれている「フェア・アンフェア論争」に関する記述までコメントアウトしてしまったのは如何なものかと思います。

Awanikoさんの最初の提案ではどの版のどの部分の記述に戻すのか少し曖昧なところがあったので、改めて、2016年9月13日 (火) 21:33]の版の以下の部分を復帰することを提案します。

この作品の特徴は、「語り手=犯人」というトリックが効果的に使われていることである。しかし、この叙述トリックが果たしてフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こすなど、大きな議論を巻き起こすこととなった。現在でも推理小説史上に残る名著として、クリスティの代表作の一つに挙げられている(詳しくは#作品の評価および#本作のトリックを参照)。

よろしくお願いします。--Dwy会話2016年10月17日 (月) 23:10 (UTC)

現バージョンのものでは、コメントアウトの形で「ノートでの議論が十分に尽くされていないので、一旦コメントアウトします この作品の特徴は、「語り手=犯人」というトリックが効果的に使われていることである。しかし、この叙述トリックが果たしてフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こすなど、大きな議論を巻き起こすこととなった。」というテキストが残されており、その部分の記事の変更にはノートでの合意形成を促しながらも、いつでも変更は可能なようにしてあります。「語り手=犯人」というトリック」という冒頭での記述は、さまざまな百科事典の記述にもとづき、はなはだ申し訳ないことですが、現段階では容認できません。--砂手紙会話2016年10月18日 (火) 09:07 (UTC)
提案した版の記述について砂手紙さんが「容認できません」であることは最初から認識しております。逆に、今のコメントアウトした状態についてはAwanikoさんが「容認できません」だろうと思います。今ここで提案しているのは、全員が容認できる版が存在せず、近い将来そういう版が出てくる可能性もなさそうな場合の措置です。ウィキペディアでは、こういう場合、論争が始まる前の安定版に一旦戻して、そこから更なる編集を始めるのが一般的な慣行です。他にみんなが納得できる、もっと良い方法があるというのなら話は別ですが、そうでないなら、「議論がまとまらない場合は一旦論争前の安定版に戻る」という慣行に従っていただきたいと思います。--Dwy会話2016年10月18日 (火) 10:41 (UTC)
賛成 Dwyさんの提案に賛成致します。合意形成が成されるまで議論開始前の記述に一旦戻し、議論終結(合意形成)後に記述を書き換えることが現時点での最善の方法でしょう。--F@ST会話2016年10月18日 (火) 12:42 (UTC)
賛成 同じくDwyさんの提案に賛成です。編集合戦が生じたのならば、それが生じる前の安定していた記述に暫定的に戻すというのは何ら不合理ではありません。--Kinketu会話2016年10月18日 (火) 12:55 (UTC)
ああ、うまく自分の言葉にできるかどうかわかりませんが、「2015年1月〜2016年9月の1年半の間、当該部分の記述にはほぼ変更がなく、異議も出ていませんでした」というのが元の版に戻すという理由ということでしたら、それは単に「その版の記述について知るものがいなかった」というだけのことではないでしょうか。あと「「議論がまとまらない場合は一旦論争前の安定版に戻る」という慣行」というのは、どこらへんで、どういう形で明文化されているのでしょうか。これは「慣行であるから明文化されていない」的なものでも、それなりに判断の材料になりますので、よろしくお願いします。ただ、「過去ずっと変更がなかった」「(漠然とした)慣行」では、私以外の編集者の編集までも縛ることになりかねないですかね。--砂手紙会話2016年10月19日 (水) 10:57 (UTC)
難しく考えていらっしゃるようですが、単に編集合戦の火種を作らないように議論開始前の状態に戻す、ということだと私は理解しています。むしろ議論が白熱しつつある現在の段階で、まとまる前に記事の内容を書き換える意味が私には見出せません。議論がまとまればどうせ大なり小なり修正することになるんですから。もし、万が一、「自分の納得できない記述が一時的であっても記事の表面に出ていることが、どうしても許せない」というのであれば、それはなおさら自らをクールダウンさせるべきです。今は記事の表面の記述どうこうではなく、ノートでの話し合いに集中すべきです。--F@ST会話2016年10月19日 (水) 12:32 (UTC)
賛成 Dwyさんの提案に賛成します。議論開始前の記述に戻すのが合理的だと思われます。--伊佐坂安物会話2016年10月19日 (水) 13:06 (UTC)

コミュニティとしての合意が成立しているようですので、提案を実施しました。

砂手紙さんのご質問について。日本語版では明文の規定はなく、慣行として行われているものだと思います。 ちなみに英語版では、en:Wikipedia:Consensus#No consensusに明文の規定があります。--Dwy会話2016年10月19日 (水) 22:43 (UTC)

コミュニティの合意が不十分なので、編集をし直しました。「慣行」ということなら、「ミステリーの紹介文で冒頭でネタバレをしない」というのもありますが、これに関してのDwyさんのご意見はいかがでしょうか。私に確認できている慣行では、「編集し直す」以上のものはうまく見当たりませんでした。--砂手紙会話2016年10月19日 (水) 23:59 (UTC)
さすがに合意形成ができていると判断するには早計でしょう(気持ちはわかりますが)。
「ミステリーの紹介文で冒頭でネタバレをしない」という慣行はどこから来たのでしょうか。そして、そもそも、ここで議論されている以前の版に戻すという話は、「慣行だから」云々ではなく、「これがトラブルを避けるために合理的だから」という基準で賛成されている方がほとんどです。「慣行か否か」は本筋ではありませんし、慣行というものを慣行だと証明することは非常に難しく、その議論は意味を持ちません。--F@ST会話2016年10月20日 (木) 11:16 (UTC)
F@STさん: 「さすがに合意形成ができていると判断するのは早計でしょう」は私に対するコメントでしょうか?もしそうなら、いつまで(あるいは何を)待つべきだったとお考えでしょうか?--Dwy会話2016年10月20日 (木) 12:09 (UTC)
提案から2日ほどしか経過しておりませんので、日数の点から、早計なのではないかとお伝えしました。Dwyさんの提案内容には何の反対意見もありません。--F@ST会話2016年10月20日 (木) 14:50 (UTC)
2日しか経過していないのに新たに3人の方が明示的に賛意を表明された。Awanikoさんと私を加えれば5人です。これに対して、反対者は砂手紙さん一人だけ。既に充分な合意が成立していると思います。もう少し時間をかけて確認すべきというご意見も分からなくはないですが、私としては、あと数日待てばWP:SNOWBALLを適用してもよかったなとなる事例だと認識しています。--Dwy会話2016年10月20日 (木) 21:52 (UTC)
私としては、むしろ砂手紙さんがこの期に及んで「合意が不十分」と言い張っておられるのに違和感を覚えます。既にいつまでも納得しないの領域に入っていると言っても良いくらいだと思います。
「ミステリーの紹介文で冒頭でネタバレをしない」についても同様。こちらのページでもWikipedia‐ノート:ネタバレでも砂手紙さんに賛成する人がいない中で、新たな「慣行」を一人で勝手に認定されても困ります。
ちなみに、9月13日の版に戻す私の提案は、記述内容をそのままずっと固定する趣旨ではありません。取り敢えず一旦は論争開始前の版に戻した上で、そこから新たな編集プロセスを開始する趣旨です。砂手紙さんのこれまでの主張はコミュニティの同意を得られなかったわけですから、同じ主張を繰り返されても同じように失敗することが目に見えていますが、今までとは違う切り口で新たな編集を提案することは充分可能です。
例えば、「語り手=犯人」を「犯人をどのように隠すか」に変える編集についても、「冒頭ではネタバレしない」という理由付けではなく、「他の百科事典の記述を参考にすれば…」とか「出典の記述に準拠して…」のような根拠で提案すれば、(私個人的には賛成しませんが)コミュニティの合意を取り付けられる可能性があると思っています(その場合は、新規蒔き直しで新たな節を立てて提案されることをお勧めします)。--Dwy会話2016年10月20日 (木) 22:46 (UTC)

いやいや、ちょっとお待ち下さいよ、Dwyさん、あなたは、私の勘違いでなければいいのですが、重要な勘違いをしておられる。つまり、「コミュニティの合意が不十分」というのは、「元に戻す」ということではなくて「なぜ元に戻す」かということです。過去のノートの記述をご覧になればおわかりのとおり、私は「2016年10月8日 (土) 08:37」の時点で「Awanikoさんの編集以前のものに戻す」ことに関しては、必ずしも否定的な姿勢ではありません。ではなぜ意見を変えたのかというと、Dwyさんが「安定」を根拠にしているように思えることによります。そして、「2015年1月〜2016年9月の1年半の間、当該部分の記述にはほぼ変更がなく、異議も出ていませんでした」を根拠に元に戻すことに関しては、合意形成ができているものなのでしょうか。私事を申し上げるようで恐縮ですが、「アクロイド殺し」の犯人については、ウィキペディアができる以前より知っておりましたが、ウィキペディアの記述を知ったのは、映画「君の名は。」のネタバレ的なウィキペディアの記述と関連して、このページの記述に言及する人がいることによって、です。つまり、ネタバレ的な仕掛けがある創作物が広く世の中に出るごとに、「アクロイド殺し」の記述を知る者が出てくる可能性は高い、ということです。ここで改めてみなさんにお伺いしたいのは、「当該部分の記述にはほぼ変更がなく、異議も出て」いない、ということを、この部分の変更に対する異議申し立てのすべての根拠にできるか、それだけの(ウィキペディアの編集方針に抗うだけの?)覚悟を持って「元に戻す」ことに賛成しておられるのか、ということです。ああ、最後にもう一つ、「記事が安定しているから」以外の、もっとウィキペディアっぽい根拠がDwyさんその他にあれば、特に異議のあるものではありませんよ? そこらへんについて、もう少し皆さんのお考えを伺いたいと思います --砂手紙会話2016年10月22日 (土) 09:24 (UTC)

この提案の趣旨をご理解されているでしょうか。この節では、編集合戦の後処理として編集合戦前の記述に一時的に戻すことの合意形成を図っているのであり、砂手紙さんがあちこちに投下しているような観点から議論している訳ではありません。そういう議論はどうぞ、この記事を恒久的にどうするかを議論する節で大いに行ってください。そもそも現在は、編集合戦が生じたために第三者が仲裁に入り、編集合戦後の後処理として一時的に編集合戦前に版を戻す合意形成を行っているという状況です。このような状況下で、編集合戦を引き起こした当事者がその後処理に大いに横槍するのはあまり褒められたものではないと思いますが。さらに言えば、名目上「合意が成立している」と書かれて行われた編集を、編集合戦の当事者が即座に差し戻すというのは編集合戦を回避する意思があるのか疑われても仕方がない、まずいやり方だと思いますよ。まあ、件の編集は提案から日数が経っていないので私も勇み足だと感じましたが。しかし、そのような場合でも差し戻しを行わずにノートページに「合意形成が不十分だ」と主張するとか、あるいは差し戻しを第三者に委ねるとかしてください。この調子で続けていると、遅かれ早かれ何らかの利用者の行動のルールに反していると問われ始めますよ。--Kinketu会話2016年10月22日 (土) 15:06 (UTC)


Kinketuさんにお伺いしたいのですが、「一時的」という語は今までの意見の中で出てきておりますでしょうか。また、この節における冒頭の提案理由が「理由は、導入部の記述は、2015月1月17日から2016年9月29日まで基本的に変更されていないから」という、私個人には実に非ウィキペディア的に思える理由も含めてのご意見をお伺いしているのですが、Kinketuさんのご意見はいかがでしょうか。ああ、もちろん、ウィキペディア全体ではなく、この項目に関してだけのご意見でも問題ありません。テキストに関しては、合意形成が可能かも知れない「この作品の特徴は、「どのように犯人を隠すか」という作者の意図(テーマ)と、それに基づく「語り手=犯人」という手法(トリック)が効果的に使われていることである。」に改めました。--砂手紙会話2016年10月23日 (日) 08:46 (UTC)
  • ある編集に対して一定の期間内に他の編集者からの異議が出されなかった場合、ウィキペディアでは合意が成立したものとして扱います。2015年1月〜2016年9月の間誰からも異議が出なかった記述には、明らかにコミュニティの合意が存在していました。
  • ウィキペディアの編集は、編集者間の話し合いと合意に基づいて行われます。誰かが提案した編集にコミュニティが合意したら、その編集が採用されます。一方、コミュニティが提案に合意できない場合(そしてみんなが合意できる妥協案も出てこない場合)、永遠に議論を続けるのは馬鹿げています。双方が議論を尽くしてもコミュニティとして結論が出なければ、最初の提案の前の、コミュニティの合意を得ていた状態に戻すのが通例です。これは必ずしも明文のルールにはなっていませんが、多くの人が最も合理的な対応と考えており、これまで何度も繰り返しそのような対応が合意・実施されてきました。こちらの節で提案され、コミュニティの合意を得た(と私には見えます)編集は、そのようなものです。
  • ウィキペディアの全ての編集は、ある意味「一時的」なものです。ウィキペディアの編集に終わりはなく、常に更なる向上を目指すべきだからです。過去にコミュニティの合意を得られなかった主張と同じ主張を繰り返すべきではありませんが、根拠や切り口を変えた新たな編集の提案は常に可能です。
  • 編集合戦前の版に戻すことについては、先日合意成立を宣言したのが仮に勇み足だったとしても、後1〜2日の内に誰もが合意成立を認める状態に確実になります。砂手紙さんは、そのことを素直にお認めになるべきです。--Dwy会話2016年10月23日 (日) 12:23 (UTC)
よくよく他の方の意見を読んでほしいのですが、「一旦戻す」、「暫定的に戻す」と私たちは述べており、議論が落ち着くまで議論開始前の状態に戻す、と言っているのです。
この提案の趣旨がまだ理解できないというのであれば、そのような理解度の方の主張を踏まえた議論を少なくともこの節においては継続する意味が感じられませんし、趣旨を理解した上で本筋から外れた主張をされているのであれば、なおさらあなたの主張を踏まえる意味を感じられません。「いつまでも納得しない」利用者といわれても仕方ないでしょう。私個人と致しましては、「この節においては」、これ以上の議論は無意味であり、Dwyさんの提案に従ってもコミュニティとして何ら非合理ではないと考えます。--F@ST会話2016年10月23日 (日) 13:09 (UTC)
「2016年10月23日 (日) 12:24‎」の版では、こちらでの意見交換を反映し、「効果的に」その他出典が不明な記述を改め、「(シャーロック・ホームズの)ワトソン医師みたいな人物=犯人」という、出典に忠実な記述に改めましたが、これではいけませんか? --砂手紙会話2016年10月23日 (日) 14:21 (UTC)
この節ではそのような議論はしておりません。--F@ST会話2016年10月23日 (日) 14:28 (UTC)
こちらの節では「取り敢えず一旦戻す」提案を議論しています。「一旦戻す」ことについて合意が成立していることを理解されたのであれば、こちらでは合意成立を認める旨だけ表明して下さい。この節の議論はそれで終わりにしましょう。 その後の編集については、別に節を設けて新たな話題として議論していただきたいと思います。--Dwy会話2016年10月23日 (日) 21:08 (UTC)

(インデント戻します)まず、「一旦」という語は「一時的に」と「一度」の両方の意味がありますので、「一時的に」という語だけを使ったほうがいいと思います(単なる提案)。次に戻す根拠が「慣例」「固定されている」からでは、この項目の今後の編集に制約をきたすという判断があるので、違う根拠でなければ断固として反対します。つまり、「一旦戻す」ことについての合意が、完全に成立しているわけではありません。--砂手紙会話2016年10月24日 (月) 14:29 (UTC)

単なる提案については、砂手紙さん以外の方は違和感なくご理解いただいているようなので、言葉通り、単なる提案として参考にさせて頂きます。
戻す根拠については、「慣例だから」ではなく、「編集合戦が生じたために第三者が仲裁に入り、編集合戦後の後処理として一時的に編集合戦前に版を戻す」というだけの理由です。これは編集合戦を防ぐための合理的な手段として、あなた以外の参加者から賛同を得られており、この提案内容が慣例なのか否かは正直なところどうでもよいのです。あなたの主張は全く的を射ていません。
そして、「一時的に」(提案どおり、一旦という言葉は使わないことにしましょう)、記事の表面を戻すことが、なぜ、そしてどのように「今後の編集に制約をきたす」のでしょうか。私には理解できません。
さらに言えば、ノートで議論になっている箇所を結論が出る前に自分の主張に合わせて書き換えるのはやめてください。それらの行為が編集合戦を生み出すのです。なぜ、ノートで結論が出るのを待つことができないのでしょうか。「向こうが先に書き換えたんだ」とおっしゃるかもしれませんが、外から見てる人からすればそれはお互い様なのです。議論の結論が出るには多少の時間がかかるかもしれませんが、その結論を待たずに記事を自分の思うように書き換えてしまうということは、言い換えれば、ノートでの議論を重視していないことの裏返しであり、他の人の意見を聞く気がない非協力的な利用者だと考えられても仕方ないでしょう。そして、現時点において、砂手紙さんの行動はまさにこの典型になってしまっています。このような行動を継続されるのであれば、ノートにおけるあなたの主張には重みがなくなり、このノートだけでなく、あなたの行動そのものに対しての指摘という話にまで発展しかねないということを指摘させて頂きます。--F@ST会話2016年10月24日 (月) 14:58 (UTC)
残念ながら砂手紙さんの行動は現時点でも腕ずくで解決しようとする行動であり、さらなる編集合戦を生じさせる恐れがあると判断したため、Wikipedia:管理者伝言板に報告させて頂きました。砂手紙さんは、今回の報告により編集制限がかかる/かからないに関わらず、問題となっている導入部の記述を独断で書き換えるのは止めてください。--Kinketu会話2016年10月24日 (月) 15:07 (UTC)
残念ながらこの節の冒頭部分で、この節を作られたかたが提案の根拠を「理由は、導入部の記述は、2015月1月17日から2016年9月29日まで基本的に変更されていないから」と述べておりますね。私としては「編集合戦が生じたために第三者が仲裁に入り、編集合戦後の後処理として一時的に編集合戦前に版を戻す」と、別の理由が明示された別の節(本文を「2016年9月29日 (木) 06:43‎」の版に戻す提案)を設けて、「2016年9月29日 (木) 06:43‎」の版に、「基本的に変更されていないから」以外の理由で、一時的に戻す、ということなら合意します。その後の変更は確かに別のものと判断します。--砂手紙会話2016年10月24日 (月) 15:41 (UTC)
記事が安定していた段階に戻すということですよね(その記述が適切かどうかは関係ありません)。それのどこが非合理的なのでしょうか。あなたの主張は意味がわかりませんし、私たちが投げかけた質問について、都合の悪いものには一切お答えにならない。もはや議論の余地はないと考えます。--F@ST会話2016年10月24日 (月) 16:34 (UTC)
報告 砂手紙さんは「各種方針の熟読期間: WP:POINT」として3日間のブロックとなりました。参考までに。--Kinketu会話2016年10月24日 (月) 21:24 (UTC)
提案から1週間以上が経過し、これ以上の議論の進展は見込めないものと思われます。他の方から新たな主張が出ないようなら合意が形成されたと判断されてもよい段階ではないでしょうか。--F@ST会話2016年10月25日 (火) 11:03 (UTC)
いいんじゃないんでしょうか。そもそも唯一反対されている方は、本提案の趣旨を理解されておられないようですし。--Kinketu会話2016年10月25日 (火) 12:18 (UTC)


本提案をしたAwanikoです。3つあります。

  1)私は、戻すべき日付として9月29日を提案したのですが、振り返ってみますと、2016年10月3日 (月) 21:31時点とした方がよいと思います。理由は、その間にKasuga~jawikiさんと、エヴァンズの秘書さんが有用な編集をしておられるからです。

2)現時点での本文には、「この作品は義兄の「読んでみたい探偵小説」という発想に着想を得ており、」との文言が挿入されているのですが、導入部に書くには細かいように感じます。したがって、この文言はないほうが良いと思います。

3)「保護依頼中」を削除することも提案したのですが、今回のような場合、これを削除することは不適当でしょうか。 --Awaniko会話2016年10月25日 (火) 14:18 (UTC)

1), 2)について。2016年10月17日 (月) 23:11 (UTC)におけるDwyさんの提案からは、本記事の導入部のみを2016年9月13日 (火) 21:33 (UTC)の版に戻す提案だと私は認識しておりました。上記の提案では「この作品の特徴は、「語り手=犯人」という(中略)クリスティの代表作の一つに挙げられている(詳しくは#作品の評価および#本作のトリックを参照)。」を復帰すると明確に述べてありますし。この認識が正しいのならば、1), 2)の提案は自ずと反映されますからあえて提案する必要はないかと。3)については自動失効を待つのが一番簡単な方法だと思います。自分が力を入れた記事にこういうテンプレートがあるのが嫌だという気持ちは察しますが。Wikipedia:保護依頼には「依頼者以外のコメントがなく依頼から15日以上経過した場合や、依頼者以外の最終コメントから1週間以上経過した場合、依頼は自動失効します」と書かれてあり、最後の依頼日は2016年10月15日 (土)なので一週間弱で自動失効になるはずです。保護が必要ないことを論理立てて述べるという手もあるんでしょうけど。いずれにせよ保護依頼が失効してからでないと、保護依頼中のテンプレートを勝手に除去するのはまずいはずです。--Kinketu会話2016年10月25日 (火) 14:59 (UTC)
コメント 結論から述べると、Awanikoさんの提案とDwyさんの提案は全く同一の提案内容であるため、「戻しの時点の変更」にはならないと思われます。
Dwyさんの提案は「2016年9月13日 (火) 21:33の版の以下の部分を復帰する」という提案です。その版の状態に全てを戻すのではなく、以下の記述に限り、その版のものに戻すというものです。以下はDwyさんが既に示していらっしゃる記述です。
この作品の特徴は、「語り手=犯人」というトリックが効果的に使われていることである。しかし、この叙述トリックが果たしてフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こすなど、大きな議論を巻き起こすこととなった。現在でも推理小説史上に残る名著として、クリスティの代表作の一つに挙げられている(詳しくは#作品の評価および#本作のトリックを参照)。
そして現時点での最新版の記述は以下の通りです。
この作品は義兄の「読んでみたい探偵小説」という発想に着想を得ており、「語り手=犯人」というトリックが使われている。しかし、この叙述トリックが果たしてフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こすなど、大きな議論を巻き起こすこととなった。現在でも推理小説史上に残る名著として、クリスティの代表作の一つに挙げられている(詳しくは#作品の評価および#本作のトリックを参照)。
上記の2つの記述の差分は、Awanikoさんの「2)」で示されている箇所です。Awanikoさんの提案はこの部分(義兄うんぬんの箇所)を除去すべきというものであり、そして、Dwyさんの示されている記述はその箇所が加筆される前の記述です。したがって、お二方の提案内容はこの時点において、同一です。
また、Kasuga~jawikiさんとエヴァンズの秘書さんのご両名が加筆された部分は、今回のDwyさんが提案されている箇所とは別の部分についての加筆ですので、Dwyさんの提案に従っても除去されることはありません。したがって、Awanikoさんが憂慮されている事態には発展せず、Dwyさんの提案を修正する必要性はありません。
保護依頼については提案から20日程が経過し、ほぼ効力を失っていると考えますが、あえてこの節で今議論しなくてもよいのではないでしょうか。
色々と書きましたが、結論として、AwanikoさんとDwyさんの提案は内容が同一であり、「Awanikoさんによる修正提案」はそもそも提案の修正にあたりませんので、私はこれまで通り、Dwyさんの提案を支持させて頂きます(Awanikoさんの提案に従っても結論は変わらないんですけどね)。--F@ST会話2016年10月25日 (火) 15:07 (UTC)
わかりやすいように差分を示しておきます。--F@ST会話2016年10月25日 (火) 15:13 (UTC)


迅速なお返事、ありがとうございます。
3)については、一定の日数が経過すると自動除去されること、理解いたしました。
1)2)については、「現時点(つまり2016.10.25 14時頃)での最新版の記述」のまま固定されるのかと勘違いしていました。そうではなくて、「導入部のみを2016年9月13日 (火) 21:33 (UTC)の版に戻す」処置が近々実施されるということなのですね。--Awaniko会話2016年10月25日 (火) 15:29 (UTC)
砂手紙さんがいつまでも納得せず異論を唱えておられるので分かりにくい状態になっていますが、私としては、既に「一旦戻す」が実行され、その後砂手紙さんが新たに「大胆な編集」を行なったという認識でした。
もっとも、既にかなり揉めていますから、安易に「大胆な編集」を行うべきではない状況になっています。砂手紙さんは、まずノートで提案を行い、合意を成立させてか編集を実施すべきでした。
義兄云々について、導入部に書くには細かすぎるという意見が出ました。私も同じ意見ですので、この部分を差し戻します。これをもって「一旦戻す」が実施されたという認識でも良いかと思います。いずれにしろ、こちらの節の「一旦戻す」議論は、これで終わりにしましょう。--2016年10月25日 (火) 22:35 (UTC) --以上の署名のないコメントは、Dwy会話投稿記録)さんが 2016年10月25日 (火) 22:36 (UTC) に投稿したものです(Kinketu会話)による付記)。
変更を確認しました。対処ありがとうございました。署名ミスと思われる部分は修正しました。--Kinketu会話2016年10月26日 (水) 11:05 (UTC)
対処、ありがとうございました。--Awaniko会話2016年10月27日 (木) 07:01 (UTC)
変更を確認いたしました。あとは、今後どのような記述にしていくか、ノートで充分に議論をしていきましょう。--F@ST会話2016年10月27日 (木) 11:47 (UTC)