Wikipedia‐ノート:ネタバレ/log5

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無断改変?(人類→人間)を元に戻しました。[編集]

記録を見ると、2007年10月16日 (火) 07:24 Maxwell の人類→人間という改変は、さっと見たところノートにも井戸端にも話題が見えませんでした。無断改変だったので、これについては承認を得る必要はないと判断して、原形に戻しました。ひょっとして英語版からの影響かも知れませんが、ガイドラインプレートを貼った後で意味をかってに改変するのはまちがいのはず。人類と人間とでは文脈上で表現されている中心(価値観)イメージが違ってきます。 --118.10.195.9   2010年7月25日 (日) 02:24~32

反対 3年近くもそのままであった内容は、編集作業の結果としての合意が形成されたものであると考えます。そして118.10.195.9さんの編集内容は、無断改変だったので、これを差し戻すことについては承認を得る必要はないと判断して、差し戻しを行いました。人類と人間とでは文脈の意味が異なるというのはまったくの同意で、一度編集作業の結果としての合意が形成されたものを変更するのであれば、合意の形成が必要であると考えます。--Kanohara 2010年7月25日 (日) 18:30 (UTC)
妥協。なら、とりあえず「人類(または人間)の営み」と両併記にしましょう。文脈の意味は人類、具体範囲は人間、ということになります。
長くなったので要点。
1.当面の処置。 2.合意の疑わしさ。 3.証明責任はそちらです。 4.他人に強制する側が根拠を先に示すべき。 5.賛同者・反対者の分布からして合意はないとすべき。
1.「人間の営み」は意味として逸脱だと思うが、その前に、当面はどうするかについて。
両併記の妥協案さえ代案無しに差し戻すなら、ただの一方的立場からのリバートでしかないと思います。私はコメントしてノートに節を設けたが、以前のはコメントも根拠もなく改変の存在さえ隠れた形なのですから優先は認められない。自分で説明しない根拠はただの幻でしかない。・・と主張しておきます。それで、以下の議論を進める前に、当面妥協案で書き直しておきます。
2. 以下、今までの合意の成立?の疑わしさについて。
<一般的に言って>
放置されたから合意とはなりません。「ガイドラインプレート」が貼ってあるところの文章は、始めから合意されているかのように受け取られ、そのせいでその中心にある概念自体には反対できなくなっていることが多いはずです。さらに実態として、ガイドライン一般は尊重基準としてよりルールとして強制力のあるものとして語られています。ガイドラインというプレートが付けば、合意が形成されたから、中心の概念自体には手を付けられない、という方向に多くの人が向かいます。
変わっているのに気付いても、変えられなさそうなら、無断改変かどうかなど調べたりはしません。そしてこの改変は、ガイドラインプレートの後で、相談なく、コメントなく、重大な部分をを変更しています。たんに見過ごしやすいときに、見過ごしやすく行われたことが、見過ごされ、気付いてもただけだと取れます。私が「無断」に気付いたのは、何重もの事情が重なってのことです。
見過ごしの原因は、後述の2-1~-6の中でも2-6のような理由が大きいと思っています。
あなたのリンクした、「編集作業の結果としての合意」では、放置が合意であるという文章はありません。
参考として、Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんには、「より共感するグループを求めることが再度行われます。これは合意を変更する間違った例であり、ウィキペディアの活動方法の対極にあるものです」とあります。つまり人の分布が人工的に偏ればそれは合意と認められません。これは後述の5=2-6と3.に関係します。
<このネタバレ項目の合意の一般状況。その各例>
「人類」の例ではないが、「合意が手順良く形成されてきたか」という例ですが、
2-1の例.
「すべて書くのは当然という根拠は何か?」(2009年12月13日 (日) 09:17)という質問に対して、もともとの根拠が示されていませんね。根拠なく放置されていたものは合意とは言えない。
2-2の例.
「全ての記事においてルールを杓子定規にあてはめるべきではありません。(2010年6月21日 (月) 11:42 )」とあり、その相手である冬ぐらたん氏の発言中には、「何をしてもいいにきまってるでしょう。そんなこと分かりきってます。この何をしてもいいというのは、ウィキペディアの方針に従って、という前提がついています。」とあって、つまりこのガイドラインがガイドライン以上に確定ルールとして扱われているということを感じます。 合意を考えるなんて余裕があるとは思えない。
2-3の例.
また過去ログ2008年1~3月の「「百科事典の記事として必要」の範囲」の中で、「議論でも百科事典(wikipedia)はなぜネタばれが当たり前なのかということについては未だ不鮮明なままだと思います。 」Tkei 2008年1月30日 というのに対して、個人的な回答意見があるが(アルビレオ 2008年3月2日)、これには逆の意見もある(Kickaha 2008年3月2日 (日) 10:06 )。ただ共通しているのは、「世間の評価がある程度確定(した)時点」というあたりが互いに同意している様子。
ここ辺りは実際に書くべき必要は限られるという認識での合意に近い雰囲気があります。しかし、2008年12月になると、とにかく書くべきだという人が多くなる。合意に基づく変化とは思えませんね。
2-4の例.
2008年12月において、「百科事典は結末まで記述することが要求されるものだ。--Afaz 2008年12月19日 (金) 10:52」~Afaz 2008年12月19日 (金) 14:38 、~Suuw 2008年12月20日 (土) 09:26、 のように、本来の基準・根拠をを求められて出ていない。
以上の例からは、根拠を求められても答えないまま、そういうものであり、ルールである、と流している様子が見えます。これを合意の流れとは思えません。むしろ、2008年3月と12月とでは実際の基準が別物の感じがある。以上は「人類」とは別の例でしたが、基本についてのやり取りがこんなあいまいな理解度です。
2-5
 後述の、5を参照。むしろ、ウィキペディア執筆者全体では改変に反対が多いと予想できる。
2-6
 過去ログを見ると、無断改変の行われた時期には、1年近く書込がありません。しかも、改変は10月でスキップの導入が翌2月なので間は4ヶ月。これ以後はスキップがついたことに目移りしやすい。しかも、この時期は、spoilerHの乱用問題が長く尾を引いていた時期です。どたばたで気付かずに変わってそのままということは自然ですね。
以上から、ここの場所において(欲望でなく、それぞれの人が根拠をもった上で)無言で合意していたなどとふつうに信じられる状況にありません。 あなたの言う合意は想像でしかない。
3. 証明責任1
それ以上に、私が証明する必要はない。参考に、Wikipedia:合意形成には、「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます。」とあります。過去にその手続きがないのに、合意があるとかってに決めて既得権にしてしまうなど認められないということ。 一時の期限つきの緊急避難なら別ですが、数日程度以上は理由にならない。今まで無言でも支持があるなら、その支持する根拠と、多数に支持されてきたということと、私がきわめて少数派であることをすべて示すべき。一部の気付いた人にとって都合が良かったから黙っていた、などはサンプリングが悪くて「合意」ではありませんから。
4. 証明責任2
また、 「人間の営み」は「人類の営み」に比べて、書く必要の拡大です。私が問題にしているのは、「必要を拡大解釈してルールの名をもって反対者の口を封じる」、=「書かないという自由をかってに奪う」という問題です。拡大したい側に根拠を提出する責任があります。
すなわち、「百科事典はこうである。だからこれをルールとする」と主張する側が、先に根拠を示すべきです。
以上のように、拡大解釈で記述や強制を増やそうとする側が根拠を示してから、その後でまともな議論が始められるわけです。
 そして、このガイドラインが書くべきことを説明しているなら、「書いてもいい根拠」ではなく、「書くべき根拠」として示すべき・・・もっとも私はどちらとも言えない「書くべき十分な価値」の物差し=ガイドライン(指標)だと思いますけどね。
5. より合理的観測
そういう手続きとは別に、賛同者・反対者についての観測ですが、 現ノートに「何故日本語版ではストーリーを書くことがタブー視されやすいのか。そして特にサブカルチャーの作品記事では、ストーリーの導入部しかかかない形が一般的なのか」(Giftlists 2009年5月25日 (月) 11:06 ) とあって、つまり、サブカル娯楽作品については、ネタバレの価値が認められてないことが多い、と推測できる報告なわけです。これは書きたい立場からの報告だから客観的と言えるでしょう。 
とすると、そういう分野について、人類→人間と範囲を広げる定義は合意されているはずがない

--118.10.195.9    2010年7月26日 (月) 14:35

コメント アカウントを取得しているログインユーザーであれば、自分が編集(またはその記事のノートでの議論)に携わった記事に何らかの改変があればウォッチリストの機能ですぐ気が付くはずです。ですので118.10.195.9さんの「どたばたで気付かずに変わってそのままということは自然」であることを前提とした、改変の成立が「見過ごし」によるものであるという一連の主張は成り立たないと考えます。私は2007年10月当時にはログインユーザーではありませんでしたが、個人的には「人類の営み」より「人間の営み」のニュアンスの方が適切な表現に思えますし、他の方も「なるほど人間の営みという表現の方が適切だ」と思ったから差し戻しなどを行わなかったのではないでしょうか。私は2007年10月16日 (火) 07:24 (UTC) 時点のMaxwell氏の編集を、より適切な内容のガイドラインへの妥当な修正であると考え、これを追認します。
118.10.195.9さんの「妥協的修正」と称する今回の改変については、議論の最中にその内容を改変することはあまり推奨されない行為のように感じつつも、以前の文章よりは合理的な内容であるように思えるので、私個人としては特に賛成でも反対でもありません。なお賛成でもないということはつまり、これを不当な編集であると考えて差し戻す方がいたとしても、私は118.10.195.9さんに協力して編集を差し戻したりするつもりはないということを意味します。
ガイドラインに対する意識の変化については、とりあえずその時点でのガイドラインを規範に運用してみたところ色々と問題も出てきたので、編集者の意識が変化してきた、といった事情もあるのではないかと思います。ガイドラインは様々な記事や他のガイドラインや方針との兼ね合いで流動的に変化するものであり、その時その時に問題意識を持ってガイドラインの改変による合意形成を目指した方々の尽力には一定の敬意を払うべきだと考えています。--Kanohara 2010年7月26日 (月) 17:21 (UTC)
1. ここでいろいろ書いていた人々が、ウォッチリストに入れているとは限りません。自身の関わった何十項ものウォッチリストに呼び出されるのはうんざりするだろう。小さなロボット的な変更も加えればきりがない。現に、各時期において書込の顔ぶれが変わっていることが多いのもそれが一因かと想像できます。
それにウォッチリストは基本設定では短期間でしかありません。その期間は、spoilerHの使用が急拡大した時期とされるようです。これからすると、ネタバレ隠しタグによって振り分けることが注目されていたので、この改変はどうでもいいと見える時期でした。他にも小さな書込があったりしている。いずれにしろ、十分な人が理解して放置していたという想像は不十分レベルでしょう。
それに、狭い範囲の人だけを全体と見なして既成事実化することはできません。意見を出すことでその同意見の見えない人々全体を表すからこそ、呼びかけた上での全体投票にもかけずに限られた人々が議論合意で決定できるのです。その時点での意見を出さずに、以前書いたことがあるというだけで既得権益が得られるわけではない。
2. >議論の最中にその内容を改変することはあまり推奨されない行為
そう思うなら、むしろあなたの無断改変へ差し戻しておいてから全員の合意を得ろという行為の方が疑わしくなります。私が示す前には妥協案という想像があなたになかったように思えたので緊急避難です。
3. >ガイドラインに対する意識の変化については、とりあえずその時点でのガイドラインを規範に運用してみたところ色々と問題も出てきたので、編集者の意識が変化してきた、といった事情もあるのではないかと思います。
だとしたら会話記録がなければならない。また密室論議など根拠にならない。他の人達をまるで雲上人のように想像しているみたいですね。
ただの想像は証明ではないです。そんな想像を既成事実化のように語れるのは、あなたの都合のいい想像だからに過ぎません。何人の人間が同じつごうのいい想像をしようが、しょせんその時点で「人間」の方がいいという「意味」を出さないまま、「なにかあるはずだ」などという実質内容のない外見だけを想像しても何にもならない。
一応、書き込みたい人以外がなぜ黙っていたのか?という想像にはなるでしょう。しかし、それは前述のspoilerHの波及の時期と重なっていることなどで説明されるから、合理的に有力な想像になりません。
4. >合意形成を目指した方々の尽力には一定の敬意を払うべきだと考えています
あなたの敬意は「尽力」でなく「方々の存在」「多数に見える派」に向けられているようだ。尽力に敬意を払うならログから証明すべき。私が過去ログを見て「何の成果もあげられずにもの別れに終わったまま、いろんな見落としがあった」と指摘しているのを、「他人が指摘するな。そのままでいいんだ」とごまかして言うのと何の違いもない。
きちんとした合意があったと想像するなら、わざわざウィキペディア日本版から2年遅れてこの項目ができたことと、その時点も尊重すべきだ。そのあと3年をおいてガイドラインプレートが貼られた。さらに1年半おいて無断改変されています。この行為はまったく敬意のない行為でしょう。4年半続いたことについて何の議論もなく、見落とされやすいことに気付いても自分に都合良いからと思って黙って放置したことが敬意のある態度だと?
つごうのいい基準ですね。
というよりも、嘘に近いです。次の節でゲームなどの分野はネタバレ反対の意見が強い、とあなたが書いています。つまり状況として、関連と関心のある人々の中で、「人類」と「人間」の違いを認識して気付いた上で「人間」を支持していた人、が多いというのはあり得ないことになる (というより、spoilerHで解決したと錯覚されていた時期だからだろう)。その対立が始めからわかった上での、沈黙の合意を根拠にした差し戻しは卑怯なやり方だったことになります。一定の敬意どころか、自分の反対者がいることを隠すために特権階級扱いしていたに等しい論法なのです。
さらに、spoilerHの議論では、タグを廃止するなどした後でより根本的な方法を探ろうと言われています。するとその期間1年近く、ここの項目には注意が行かなかったことになる。

--118.10.195.9   2010年8月13日 (金)以上のコメントは、118.10.179.172(会話/履歴/Whois)氏が[2010年8月13日 (金) 05:40 (UTC)]に投稿したものです(Kanoharaによる付記)。

コメント 私のウォッチリストには現状450件弱の記事とそのノートが監視対象として登録されていますが、特に不自由はしていません。またウォッチリストにおいては、ノートでの変更と記事への変更は別々に表示されますので、ノートの議論に注目が集まると記事への変更に注目がいかなくなる、という主張には無理があるように感じます。
> ただの想像は証明ではないです。そんな想像を既成事実化のように語れるのは、あなたの都合のいい想像だからに過ぎません。
これは118.10.179.172さんにそのままお返しします。無理のある主張を根拠に、その想像に反する内容を「嘘」と決めつけて主張を展開しないで下さい。118.10.179.172さん自身も指摘していることですが、ウィキペディアは多数決主義ではないので、反対者の多寡はあまり関係がないと考えます。また2007年におけるMaxwellさんの改変については反対意見はなく、118.10.195.9さんがそれを戻した行為については、118.10.195.9さんの編集を差し戻した氷鷺さんや私からの反対があるという形ですので、合意形成に努めてくださいますようお願いします。--Kanohara 2010年8月13日 (金) 06:42 (UTC)
まず「事前合意を経ないでされた編集に対して、ある一定の期間を経て、異論が出た場合に、その編集を差し戻すべきか否か」という点について言うなら、ウィキペディアにおいて、「差し戻すべき」というルールは無いし、「差し戻してはいけない」というルールもない。例えばWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト プロジェクト関連文書の時のように、何の異論も無く一定の期間を経たものであるならば、それは合意形成したと見なしても問題は無いわけですよ。重要なのは異論があるか無いかではなく、合意形成したと見なせるかどうかであり、そして、それは過去に合意の手続きがあったかどうかは関係が無い。
また、ガイドライン文章は事前合意あるいは合意の手続きを経ないと編集してはいけないというルールもなく、勝手に編集しても良い。だからこそ、事前合意の必要性というのは無いと言える。なぜなら、事前合意が無い場合に異論があった時点で原状回復しないといけないというなら、それは事前合意が必要ということであって、上記に矛盾する。だから、一定の期間を経た編集は、事前合意などが無くても、合意形成したと見なして何ら問題が無い。
私自身は、人間だろうが人類だろうが、あくまでニュアンス上の違いであってガイドラインの主旨や骨格を変更するものだとは思えないから、どっちで構いません。というか、主旨に関係しないたかだか一語を巡って、ここまで大層な議論をするならば、その語を使用しない文面に変更する、あるいは除去することを目指した議論でもした方がよっぽど早く方が付くんじゃないでしょうか。--EULE 2010年8月14日 (土) 01:42 (UTC)
コメント こんにちは。話題になっている「human activity」という語句はまだ黎明期だった2003年2月に英語版から単純翻訳されたものです。英語版では2003年12月時点でその語句を含む一文は除去されており、その後の度重なる改定により語句があった当時の原型はほぼとどめていません。日本語版は一度翻訳してしまうと長らく放置の傾向があり、今回の語句が未だに残っていたのもその一種ではないかと思います。日本語版も本論部分は英語版同様にいくたびかの改定を経てきており、放置されたままだった前置き部とかみ合わなくなってきています。これを機にEULEさんが仰るように古いまま放置されてきた前置き部はざっくり除去ないしは修正してしまったほうが、こうした混乱を避けられるような気もします。--Giftlists 2010年8月14日 (土) 02:46 (UTC)

誤読しやすい箇所を、文脈に沿って明確化しました。[編集]

今日までの「執筆者へ」の節では、「もし適切であれば」とありますが、その適切さの条件が「上に挙げたような記事を書くときに」とあって、上の方には「・・物語に関する記事」「・・分野の記事も含まれます。それらの記事」という文があって、これでは「具体的に、もし自分がいい表現をしたいなら、→ 物語の記事にネタバレを恐れない。→ 全体として本来それが百科事典だ」 という順で理解してしまう人が出やすそうです。つまり自分がいいと思ったら何でも書くのが百科事典だ、というふうに。
しかしそう読むなら初めから、「どんなときにも」ネタバレを恐れるな、と書かれるはずで、「上に挙げたような記事を書くときに」という条件のような書き方は変です。たぶん、「上に挙げたような記事」とは「上に挙げたような、そのように書かれた記事」という意味であり、百科事典とか人類の営みなどの目的も含めたすべての前述を意味し、あとあと生じる部分変更に対応するために「上に挙げたような」と簡略に書いてあったのだと思います。
ここのページは本来、「百科事典は人類の営みの視点で書くもの。→ そのための適切な文ならネタバレを恐れるな」という全体構成のはずです。
誤読を防ぐために、この執筆者へという節にも、冒頭にあった文をくり返しました。 --118.10.195.9    2010年7月25日 (日) 02:24

反対 IP:118.10.195.9会話 / 投稿記録さんの編集を差し戻した氷鷺さんの指摘や、118.10.195.9さんの編集履歴からノート:るいは智を呼ぶでの議論を拝見したのですが、IP:60.38.207.76会話 / 投稿記録さんの発言内容を修正した118.10.195.9さんは、60.38.207.76さんと同一人物であると見て宜しいのでしょうか? 60.38.207.76さんは「Wikipedia:ネタバレの内容はネタバレを初心者に押しつけたいナルシストたちが押し付けた内容」「ネタバレ隠しを復活させるべき」といった、現在のガイドラインとはかけ離れた主張をしており、その主張の内容も失礼ながら、各種ガイドラインを自分に都合の良いように解釈しているように見受けられます。その内容は個人的には受け入れがたい内容に思えたので、118.10.195.9さんの編集内容にもウィキペディアからネタバレを排除したいという他意があるように思え、申し訳ないながら、私も氷鷺さんの差し戻しを支持させて頂きました。
もちろん、ただ読者の楽しみを奪うための目的でネタバレを羅列する行為(例えば、アンサイクロペディアの「テンプレート:ネタバレ」のような内容)は、記事にとって蛇足であるという意味で避けるべきですが、物語のストーリーや登場人物の身を挺した行動によって表現されているテーマに触れたり、その登場人物が作中においてどのような役割を占めていたのかを説明する上で、ネタバレは避けられないものであり、「適切だと思うのであれば」の範囲はもっと広いように思います。--Kanohara 2010年7月25日 (日) 18:30 (UTC)
コメント 第一に当ガイドラインの目的を勘違いしていると思われます。当ガイドラインの意味は「適切なネタバレを提供させること」よりも、「ネタバレ自体は問題ないよ」と方向性を示すというもっと根本的なところにあります。第二に「人の営み」は、ネタバレが百科事典として問題無い理由の1つであって、「人の営み」に関わる場合にのみネタバレしても良いと言っているわけじゃないです。結びは「する場合もある」であり、その次に来る映画のストーリーは、直前の事象とは関係なく独立している。あくまで「人の営みの観点に触れる時、ネタバレが必要な場合もある」と事例を1つ言っているのであって「人の営みの中での必要な位置づけを行なうためじゃないとネタバレはしてはいけない」と言っているわけじゃないです。
目的論的な考えで適切なネタバレかどうかを規定しようとし、当該のノートで書かれた壮大な論文には感服いたしますが、でもそれは雑多な箇条書きとかの問題と全く一緒。特筆性や言及性の範疇で対応すれば良いのであってネタバレでやる必要はない。「ウィキペディアは何でないか」からデータベースではないを引っ張ってこようとしていることからも言えますが、IP氏がやろうとしていることは、そもそも当ガイドラインでは目的違い。あくまで当ガイドラインの目的は「ネタバレは問題ではない」という方向性を示すものであって、「適切なネタバレとは何か」と規定することじゃないんです。--EULE 2010年7月26日 (月) 12:23 (UTC)
コメント EULEさんの意見はわかりましたが、そういうふうにいろんな基準を使い分けた見方をする人ばかりではないので、ここに導かれてしまうのだと思います。文の読み方について厳密には疑問もあってそう楽観できればいいけどそうできるかどうかと思ったり。そういう距離の取り方ができればいいですが。それはともかく、とりあえず誤読の問題についてのことをまとめておきたいと思います。


妥協。それならば、「上に挙げたような百科事典の目的にそって書かれた記事」と直しました。
以下、今後のための議論を書きます。
要点。他意は根拠にならず、適切の範囲は誤読の問題の後に提案すべき。


「「他意」は根拠にならない」
Kanoharaさんは「ウィキペディアからネタバレを排除したいという他意があるように思え」ということですが、私は書くべきネタバレを排除したいのではなく、百科事典として正当でない(又は灰色の)ネタバレをルールの名をもって押しつけられることを排除したいのです。今回前節で説明した通りだし、向こうでも太字でそう繰り返しているのに。
(私はガイドラインは導きの基準であり、他人への規制だとは思いません。この点の常識感覚の違いが疑いの因かも。→ガイドライン[1]
そもそも、ノート:るいは智を呼ぶの冒頭に要点がまとめてあります。気分的な印象で理解されたのでしょうが。第一に、向こうで強いトーンのことを書いたのは、相手への信頼のせいでつい気楽に書いたのです。あまりに無根拠なことがいっぱいあったので、たくさん書くことになりました。
なおネタバレ常識については、日本とアメリカなどとの文化の違いもあるでしょう。また過去の出版文化のときには著作権との絡みから必要なネタバレがなされなかったり、現在はやり過ぎ欲求があると思っていますよ。
だいたい「他意」を理由にするのは、「自分に根拠はないが不安だから相手を否定する」ということでしょう。そんな理由で、あなたの書きたいことのつごうのためにすぐにリバートすることを正当化できるのでしょうか。
私は、誤読をしないようにという指摘で変更しました。それが誤読でないという明快な指摘はなく、私のやり方が意味がずれているという指摘もなく、自分に都合が悪いからということですぐにリバートをかけるのは、「無断改変?を元に戻しました」での自然合意の形成を主張されることと比して、二重基準の疑いを生じる行動でしょう。あるいは、リバートをしておいて相手に証明の義務を強引に負わせようというのは、ただのずるです。論理ではなく、ただの敵味方の争いでしかありません。
一般に、根拠を示して書かれたことを全部リバートし、ノートに満足な根拠を書こうとしないという行為は、正しい根拠を示せないからではないか?と受け取られるべきものです。記事外への敵意や猜疑なんて根拠にはなりません。
差し戻すのはいいが、根拠を示さずに放置されるのは困ります。私の明確化の案に反対する人達には私のすでに書いた論拠に対する明確な根拠をもった回答を求めます。


「根拠を示すべきポイント」
1.今までのは、書きたければ何でもいいと読めてしまう、文脈上これは正しいか?
2.「人・・・行わねばならない」ということが書くべき事である、文脈上これは正しいか?
3.2について、正しいなら、どの程度の明確化表現を不当とするか?
4.「工夫や応用が推奨されるでしょう」、と書くことのどこが問題か?
(「るい・・」を見たならば、工夫的に応用しているのがわかるでしょう。ノートでも工夫が支持されていますが、それのどこが問題です? 「工夫や応用される場合もあります」でも反対なのですか? 私の思うのは、工夫さえも邪魔される傾向なのです。工夫が否定されるということは、ネタバレを見せつけるということであり、すると対立になりますよ。)


「手順・基準」
前節で例を引いた、今までの2-1、2-2、2-3の例、「Wikipedia:合意形成の「理由」「相手を説得する」」、などでおわかりになると思います。
参考として、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには、多数決主義でないとか、規則主義でないとかあります。なんとなく放置されたから合意だとか、それをルール扱いするとかとウィキペディアのあり方とは違うと思います。
  • 意味の拡大について
Kanoharaさんが「「適切だと思うのであれば」の範囲はもっと広いように思います」と思うとかのことは、まず現在の文は誤読させるかということの後に来るべきものでしょう。
そして、その範囲の部分には、前節の人類→人間ということについてのなしくずし合意(私からすれば錯覚合意)の問題が来ます。 範囲の拡大は既成事実ではありません。


「実際の記述の具体例」
前述のように、誤読問題が優先なのでまだ書く必要がないことですが、後のために書いておきましょう。
  • 「 無断改変?を元に戻しました。 」の節の、「5. より合理的観測 」で書いたように、過去ログを見ると、古典作品と現代通俗娯楽作品では、執筆者達の基準レベルが違うのが現状のようですね。また、私は向こう(ノート:るいは智を呼ぶ)での説明において、そういう分野でのネタバレは知識としての価値が低い、古典や問題作は別だ、と書いたのですが、つまり実際上は過去ログとかで見る平均的なあり方と大差ないようですね。とすると、私は小数主観派ではなく、今までガイドラインプレートで諦めて改変に気付かずに引き返していた人達を代表している可能性が高い。「他意」を疑うことは無意味か偏った立場になると思えますが。
  • ちなみに、私は漱石の「こゝろ」なんかは現状でいいと思います。教養事典として古典などはこれぐらい欲しいわけです。古典は読む楽しみでなく知るべき知識ですから。
  • Kanoharaさんの挙げた描写例については、作品によっては私は人類の営みの中での位置づけ、に入ると思います。その作品全体を見て、その作品の価値がどこに位置づけられるか、どんな形の特徴があるか、ということが「人類の営みの中での位置づけ」であり、また言われたようなテーマに相当するでしょう。文の手法は別として。
  • 別の説明をすれば、「現実世界の視点で人生にとって」→「人類の営み」、「価値の内容の説明」→「特徴の説明」→「この世にいろんなもののある中での位置づけを説明することと同じ」、ということです。
  • しかし、「人間の営み」としたら、個人の視野と価値観で書くべきことが決まる。自分がそれにふけったら最後、何でも人の営みになってしまう。こうなると限界がない。
  • 事典知識の中心。
知識のあり方として・・・たとえば、事典は作品ガイドでないなどと言う主張がありますが、へんな話だと思います。百科事典の読者は知的好奇心が予想され、知識に触れて実体に触ろうとするのは事典の当然の利用のあり方です。現実視点から見れば、知識そのものが作品へのガイド、掲載項目へのガイドではありませんか。作品価値へのガイドこそが、人類の営みへの位置づけと一致します。・・というふうに、りくつと具体例が人によってさまざまです。あるいは私の言葉の解釈は他人のよりも広い解釈かもしれない。しかし解釈は自然に広がっていくものであり、だからこそ中心の価値観を保存すべきだと思います。


「ガイドラインの程度」
EULEさんからガイドラインのあり方に指摘があったと思うけど、早い話ガイドラインが支配性を持たなければ私もこだわりはしない。


さて、現実生活の都合上、一週間ほど空けます。

--118.10.195.9    2010年7月26日 (月) 15:05

コメント 私もEULEさん同様、このガイドラインは「ネタバレ自体は問題ないよ」という方向性を示すものであると捉えています。一方で118.10.195.9さんの文面は、「誤読しやすい箇所の明確化」ではなく「適切なネタバレとは何か」を規定し「人類全体に関わるネタバレ以外は許容されない」ことを定めるガイドラインであるかのようにも受け取れ、ネタバレの禁止をルールの名をもって押しつけることが可能な内容であるようにも読み取れます。実際「ノート:るいは智を呼ぶ」でのIP氏の主張を併せて読むと「ウィキペディアでは世界的に有名な古典文学作品の、世界の歴史に影響を与えた部分について説明する場合のみストーリーに踏み込むことを許される」という趣旨の主張であるようにも読み取れ、どうしても許容されるネタバレの範囲を狭めて、ネタバレの禁止に強制力を持たせようとする「他意」を感じずにはいられませんでした。私は有益な変更であれば、沈黙をもって変更を是としますし、有益でないと思えば差し戻しや修正を行います。もし他意はないというのでしたら、そのように誤読されてしまうような個所を誤解されないように明確化すべきだと考えます。
現状、「必要がなくてもネタバレの内容は網羅すべき」というガイドラインはないので、118.10.195.9さんが感じている「ネタバレを押しつけられている」という印象は杞憂ではないかとも思っています。仮にガイドラインを明確化するとするなら「ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も推奨する規定もなく、書く必要があると思ったことは何でも書いてよいが、書く必要がないと思ったネタバレを無理に書く必要もない」というものになるのではないでしょうか。
個人的には、ネタバレを必要とする「人間の営みの中での位置づけ」は文学作品に限定されるべきものではないと考えています。例えばギャルゲーなどで「あるヒロインがクライマックスで自らの命と引き換えに行った自己犠牲がファンの間で話題になり、死の間際の台詞がネットの流行語大賞に選ばれたり、そのシーンを模したフィギュアがAmazonのトップセールスに入ってニュースサイトで記事になった。なおシリーズ第2作の導入はこのクライマックスシーンから始まり、ヒロインの死後の物語が語られる構成になっている」というような事柄があったとして、(もちろん出典を集めた上で)そのことに言及するとき、そのネタバレに触れないわけにはいかないと考えます。「クライマックスが話題になった」とだけ触れることも可能ではありましょうが、この場合はクライマックスに至る経緯やヒロインの死に触れなければ、なぜ大勢のファンが感動して話題になったのかをうまく説明することができないでしょう。
現在の「君が望む永遠」「涼宮ハルヒシリーズ」の記事では、物語の導入部分で明らかになりその後の展開に大きく影響する衝撃的な出来事や事実が、記事の概要部分などでは伏せるべきネタバレとして扱われているようですが、こうした体裁では作品の社会的影響について言及するのも困難であり、個人的にはあまり感心しません。「世界的なヒットの理由を説明する上で必要だから」という理由がある作品ならまだよいのですが、社会現象的なヒットには繋がらなかった作品について、導入部分や中盤にネタバレがあるからと言う理由で「どういった内容の作品なのか」についてすら説明を許されず、悲劇的な展開である作品をコメディであるかのように読者を欺く形で説明しているような記事というのは、百科事典として歪であると感じます。現状の「Wikipedia:ネタバレ」のガイドラインがあってもなお、実際には過剰なネタバレ抑制が行われている記事は少なからずあり、個人的には、こうした事実の歪曲を「未読者の楽しみを保証してあげる善意からの行為」だと信じて疑わない方々に武器を与えてしまうようなルールとなる可能性があるものには、賛同できないということを断っておきます。--Kanohara 2010年7月26日 (月) 20:00 (UTC)
コメント そもそも「ネタバレについて考える」行為自体、避けるべきでしょう。「ネタバレするな!」と苦情が来るような内容こそ、本来記事に必要な情報であって、ガイドラインとしては条件をつけず「ネタバレを避けてはいけない」といったものであるべきと考えます。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 10:13 (UTC)
コメント「ネタバレについて考える」行為そのものは制限されるべきではないと考えます。「ネタバレを禁止する」というようなルールが不適切なのは当たり前ですが、それぞれの記事の状況を全く考慮に入れず、一律に「ネタバレを避けてはいけない」とすることも同様に不適切であると考えます。--F@ST 2010年7月27日 (火) 15:26 (UTC)
端的に言えば「ネタバレ」ということのみにおいて、これを良くも悪くも特別視しないってことなんですね。ネタバレという理由で除去されないように、ネタバレという理由で記述することが全面的に肯定されてもいけない。例えばトリビア的な内容の記述が、あるいは記事の全体の構成やバランスを壊すような記述が排除されるのに、それがネタバレだからという理由で、肯定されてしまうというような変な状況が起きてはいけないと。IP氏やF@ST氏の懸念とはそういうことだと思います。
で、先に述べたように私はそれは既存の特筆性の観点(正確にはそれに関連するガイドライン全て)などで対応すれば良いと考えてます。わざわざここで言及する必要は無いと。なぜなら、「ネタバレ」という理由のみにおいて特筆性を主張している事例を少なくとも私は知らないから。逆にネタバレという理由で記述を除去しようとする例は枚挙にいとまが無いほどであり(ってか、当ガイドラインを示したって、ネタバレという理由で除去しようとする)。まあ、私が感知してないだけで実際にはあるのかもしれませんが、後者の事例並、ましてそれ以上ってことはまず無いでしょう。日本的な価値観?として、ネタバレを極端に忌避する傾向があるので、現状でネタバレを錦の御旗のごとく扱う輩が相当数いない限り、別に問題ないと考えます。--EULE 2010年7月27日 (火) 17:07 (UTC)
コメントIP氏の主張に対するコメントもせずに長々と少し外れた話題を書くのは失礼かもしれないので(ちなみに私はIP氏の主張に賛成はしません)、ざっくり書いてしまうと、ルール(本項目はガイドラインですが)にはある程度の猶予の余地を残すべきだと思うのです。ビシッと条件を付けずに言い切ったほうが処理は楽ですしわかりやすいですが、そうするとこれだけ多くの記事が存在するわけですからどこかしらで不都合が生じます。例えばの話ですが、ある記事のノートにおいて「ネタバレを書かない」ほうが記事にとって有益だという流れになった時に、「でも、Wikipedia:ネタバレに『書くな』って書いてあるじゃないか」という一言で結論がお蔵入りになる、みたいな事態がどこかで生まれるのではないかと懸念しているのです。悪用されるかもしれないという懸念が少しでもあるなら、その改変には慎重であるべきです(主に氷鷺さんの意見へのコメントになってしまっており、EULEさんの意見と少し噛みあわないかもしれません)。--F@ST 2010年7月27日 (火) 17:56 (UTC)

以下の「強制、見せつけ、について 」の節に続きます。

強制、見せつけ、について[編集]

遅れました。長いので節にしました。

要点
 百科事典とはすべての読者のためにあります。書くにしろ書かないにしろ、その基本はそこのはず。ウィキペディアで中心とされる中立もすべての人のためにあるからです。
 なぜ両立させようとしないのでしょう。
 なぜ見せつけようとしたがる人がいるのでしょう。具体的な理由を見たことがない。自分が欲求すると見える以外は。



要点
目次
分岐  A B
分岐B
妥協案
私の考え方
 要約
  要約箇条書き
 ・調査1 ガイドライン項の理解

1-1全体   参考 特筆性
1-2人類   意味づけの視点 古典 データベース化と特筆性 文脈

 ・調査2   書くことの強制=見せつけの強制
 ・調査3   書くことへの妨害 
 ・書き方   書き方と特筆性  経験的手法1,2,3,4

kanoharaさんの考えについて
 ・意見1  2年前の過去ログ
 ・意見2  他意
 ・意見3  この項の解釈
 ・意見4  合意
 ・意見5  妥協案文
 ・意見6  妨害された事例
 ・意見7  その他
 まとめると

分岐Bのまとめ
分岐戻し



分岐
kanoharaさんの本意はどちらなのだろう。
前回妥協案を認めたと書かれたのは、「人類」と「百科事典の目的に沿って」との両方なのか、後者は無視なのか。
前者にしたって、人類と人間の自分の好きな方をかってに使う、とまったく妥協にならない解釈していそうだし、そういうつもりなら後者は認めないか、むしろ正当化を補強したと思うだろう。
果たしてどっちなのか

A
「人間の範囲でも人類の視点は尊重される。」「あまり明確だと表現がきつくなるのが心配だっただけだ。」「工夫を反対しているのではない。」であり、私に対して「勢いを感じるのでおさえてほしい」というのであれば、別に問題はない。発展的に語れるから。互いに言葉の勢いにずれがあったと思う。

B
もし、「人間という語で正当化された」「両立の工夫なんか無視して話題から外したい」 が書いたときの本意だとしたら、私に対して「他意」を主張するあなた自身の他意が怪しい。それは書きたい以上に実際上は強制的に見せつけたい、と考えられる。

前回の回答、過去ログ、その他の書込を詳しく読むと、いろんな内容からしてBだと思えます。以下 Bとして対応を分岐します。 

分岐B
前回疑いから文を始めているのは、こちらを極端化して決めつけないと正当に語れることがないからだろうと思う。
そのような人と長く語ってもムダだと思う。だから、中期的な妥協案を置いて収拾を図るべきかと思います。

具体的妥協案としては
1、 「人類」と人間は今の妥協文のままでいい。しかし、対象の具体範囲は人間であっても、全体文脈センスは人類である。あるいは、両面を理解するということ。人類と人間のより広い範囲を好きに使って他を忘れるという了解はできない。
  冒頭は一般に向けて理由や事情の概略を説明しているものと認識する。それ以外の細部については、読者にも執筆者にも保証はなく無言及である。
2、 「明確化」の文は、今の妥協文のままで十分。
3、 「工夫」を書くことが無視されたまま。しかし書いたものをいったん削除したままというと、なにか見せつけの現状を放置する同意みたいだから、これは避けたい。工夫の文の復帰、または「適切に応用してください」の追加を求めます。

私の考え方
要約
・すべての人のための百科事典=情報ガイド装置として、自分の便利さ100%を優先して他者を100%排除することは非常識でしかない。調整の工夫を考えるか、程度の妥協(根本理念にそって)を考えるのは当然だと思う。
・困ったことに、このガイドライン項を、書込の無条件正当化に使い、よって見せつけの正当化にも使い、よって見せつけることを避けようとする工夫の排除の論の正当化にも使っている意見がしばしば見られる。その影響が在ると見られる。 強制とは実際は見せつけのことと等しい
・本物の妥協をしないなら、一切の根拠・基準の公正さ、すべてが見せつけ強制のためのでたらめみたいに思える。
・この項を、無条件正当化の理由付けに読ませることは認められない。両立の工夫を排除しようとすることは、少なくともこの項を根拠にしてはならない。

要点カ条書き
・ネタバレ項目
項目は、理由概略を一般向きに説明している。文脈はそれである。常識に基づいて読めることは、尊重されるべき。ただ、細部とか拘束性は言及してない。
免責事項は、ウィキペディアは無責任だという宣言であり、正当だということを語らない。間違ったことについてさえ責任は取れないということ。免責=正しいわけではない。
人類という文脈から、ほとんどのことは書ける。安全ピンが大発明なように。特筆性や現実世界の視点、というにほぼ等しい。どのみち細部は無言及だ。
しかし人類→人間の改変は、特筆性のないデータベース化を推し進める。もともとここで言及してない細部まで、用語を改変することで正当化して読み込ませる。人類は範囲でなくても脈絡としてあるべきだ。
・ネタバレ強制
いっしょに見せつけてしまう形式を強制されている気分が存在する。それがなければ喜ばれるだろう。
書き方をマニュアル化することで見せつけを推し進めたい人達もいるようだ。
・書けない被害
具体例として、ネタバレを理由にして、事典として書くべきこと・書くべき視点で扱った文を阻害されたということは、確認できない。
ネット上の百科事典としての役割と、ネット全体との連携を考えれば、ウィキペディアでネタバレできないことの被害が生じるとは思われない。
・書き方
特筆すべきことは他のことと別に分けて書けるはず。他にも、人による工夫はあり得るし、ネット上の位置づけを応用することは、必然に可能。
・kanoharaさんへの理解
いろいろ調べたり読み直したが、あらゆる点でkanoharaさんは見せつけのためのつごうだけに見え、現在確認では根拠の一切を認められない。

 

・調査1 ガイドライン項の理解

1-1全体  概要は示されている。ただ保証はなく細かい点は無言及。
ここはもともとテンプレートを置くために置かれた場所ですね。読者と執筆の両方に対して。免責事項ページではない。
わたしはここで、ネタバレは問題ないというのは百科事典の常識だからだと読んでいます。つまり紙の時代にできた常識だから。かつネット上のフリー編集である以上、全く不要なネタバレさえも書かれているのも当然で、ウィキペディア自体という組織としては責任もてない、ということ。通常常識の説明としか読めない。それ以上に読むべき理由はありません。
(だいたいWikipedia:免責事項とは、ウィキペディアが正しいから免責してくれというのでなく、責任もてっこないから覚悟してくれ、ということです。「合法であることを保証しません」とまで書かれてあるのだから。)
そしてまた、一般人に説明するときに理由の説明を本文に置くことは一般常識感覚です。そのように置かれたものは、理由の説明であると受け取られることも。それが厳密には理由の全てでなくても代表的なもの・概略として。
よって、そこにある事情や理由の説明は、ある程度主要なものとして受け取るのが自然です。
たしかに責任を負っているページではない。無責任な代わりに調整方法としてネタバレテンプレートを置くということで。
それ以上の事については、
説明以上のことを書いた記事は記述されるかもしれない。そういう微妙なことはこの項では無言及であり、説明外のことは違反だとも、ネタバレは執筆者個人の解釈でやればすべて事典としてOKだとも言えません。(免責事項からして、ウィキペディアはOKを出すほど立派なものではなく、責任をもてっこないのだ、と。)
百科事典としてのあり方を完全に規定しているわけではないから、説明以外でも百科事典としての記述はありえる。逆に、百科事典としてのあり方をすべて自分の欲求で決めていい、とは意味しない。まして百科事典のあり方を越えて自分好みの適切で書けとも書かれていないと。
また、ネタバレテンプレートを置くことで責任をかわしたのであり、これですべて仕上がったなどというものでもない。最低限の調整ができたという程度です。
それに対して、
形式を整えてルーチン作業化していけば、なんでも「適切」の中に含ませて書くことを要求できる、と考える人もいるようだが (Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案)、それはまた別。
厳密には、人類とは範囲よりも脈絡に関わる概念であり、書く書かないだけでなく、書き方の視点に影響すると思っています。・・書き方は後述。
・参考 特筆性
Wikipedia:特筆性項目は、この項より後にできたし、未だ草案状態です。しかも、特筆性は主に項を立てることに置かれています。つまり、項を立てた後は特筆性はろくに効かない。項を立てたら実際上削除はされにくい。複数人の書込があれば特筆性は疑問でも維持されるでしょう。特筆性というガイドは、それを多少防ぐ程度の役なのではないでしょうか?
その状態では、バランス上あれが立てばこちらも立つ。立てればネタバレをするものだ、としたら、ウィキペディアはデータベース化して、特筆性の基準自体が溶解します。
実際、Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案というのを見ると、特筆性の項にある「重さ」を無視して、ルーチン作業として画一的にすべてを書け、それ以上書いてもいい、というのが要点のようだ。他のことといっしょに「見せつけろ」という方針に見える。
1-2人類   
・範囲よりも、意味づけの視点。
人類についての位置づけとしては、作品特徴、新規性、目立った到達性、事件性、、など。
たとえば、「この点が過去のその同類の作品中でファンの間で特に評価が高い」「この点でその同類の分野に何かを加えた」ということでぎりぎり十分でしょう。その狭い分野よりちょっと外の世界からの視点で、同類にない特徴があるなら意味がある。その視点での文章なら。またそれは特筆性でもあるでしょう。
あなたがあげた例も、感動的というファン心理でなく、事件性とか画期性などから特筆性に入れられるでしょう。(詳しく知らないが)
(しかしあなたの本心は、作品内の心理経験を説明したい、というネタバレ評論サイトをウィキペディアでやりたいような欲求があるのでは。・・これは後述。)
・古典
古典の特筆性とは、人類全体に関わる重要さではない。古典は源流として位置づけられる=その意味での特筆性が認定済という差がある。源流ということは標準に近い。この種の情報の価値として、鑑賞するためでなく、知っておくことが価値なのだ。
 たとえ、現代娯楽作品の作品レベルが古典よりはるかに上だったとしてもそれはフィクション空間に入って鑑賞して初めて価値があることが通例である。現代娯楽作品はいちいち特筆性を考慮せねばならない。
・データベース化すると特筆性は消える。
しかし「人間の営みの中の位置づけ」としたら、身近の現代娯楽作品の方が上に来るだろう。一定販売部数以上のすべての現代娯楽作品、あらゆるハウツー書籍や週刊誌バックナンバー各号を機械的に収録したデータベースのようなものができる。それらのデータベース的に収録された作品の一つ一つに、同類に対する特筆性があるだろうか。つまり、「人間」では意味が溶解する=ふつうにイメージされる特筆性は消える。だから、「文脈」としては「人類」となる。
もし人類が「人間」に置き換わったら、ただ何でもありとなる。つまり「ここでは何でもあります。ネタバレもあります。それが事典の文として正しいかどうかではなく、とにかく活動に付随する現象として生じます」ということになる。
・文脈
妥協案で、文脈としての人類、範囲としての人間、と書いた。もともとそういう文だと思う。
前回、言葉の意味は広がるからこそ、中心の意味は保存されるべき、ということを書いたが、別の言い方をすると、 だいたい、ウィキペディア自体が、ネット上のつごうとして、広く範囲を広げて誤差を大きく許容しつつ、最小限の中心を一点だけ確保するというやり方を取っていますね。範囲枠の境界線を引くということではありません。私の書いていることは、それと同様のことです。
もう一つ同様にWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんというのもあります。


・調査2 書くことの強制=見せつけの強制

>押しつけられている」という印象は杞憂ではないかとも思っています
その現象がなければ、私はこのページにこなかったでしょう。また、2007年終わり頃に起きたネタバレ隠しの乱用による書込もなかったはずでは。
特筆性抜きに、なんでも書き尽くすべきかのように言う人もいるようだし、ルーティン作業として書かれたりする。そこでネタバレがあって当然として消せなくさせる。独自解釈的な表現でもなかなか否定できる人はいない。感情過多の表現だからこそかえって遠慮する。
それ以上に問題なのは、ネタバレスキップの範囲内に最低限の情報さえもすべて含めて、実質的にネタバレを押しつける行為です。誰かが書く以前に、一緒のものとして押しつける体裁を慣習化していること。つまり、「見せつけ」です。
るいは智を呼ぶ であったことは、最初期にはルーティン作業として、ネタバレのためのネタバレが書かれていた。次の時期には、人物紹介を充実させようとしていた人が、ネタバレも詳しく書いた。その文の独自解釈的表現が気に障ったこともあるがそれを削除し、その理由として見せつけることが問題だ、と答えて、ネタバレに頼らない人物説明方法に変えた。すると、私の予想以上にネタバレ的要素が消されていった。私が許容範囲だと書いた部分まで消された。私に遠慮したのではなく、多くの人のつごうを配慮して、その方向に書いていってくれたのでしょう。微妙なネタバレを匂わす文を書いていたら、より匂わないように変わった。内容はより洗練した。
そして後でまたネタバレがあったので、理解者がけっこういるようだと安心して節を分けて隔離した。それまでは反対者が現れそうでやってなかった。その後、今回のことのきっかけになる、キャラクターのネタバレは消すべきではないのではないか?という書込があった。そして、節を分けて目立たなく調整したことを「素晴らしい」と評価している。つまり、いっしょくたに表示されようとしていた体裁をなかなか変えられてないということ。両立を望みたくても、衝突をさせられているということです。ネタバレを書いてたが方針を転換してくれた人も同じだと思う。
 だから、工夫が有用だと書いた。柔軟に適用しないと、押しつけ(見せつけ)になってしまう。私は工夫すべきとさえ書かずに、かもしれないとしか書いてないが。
(一年以上前のことなので、向こうのノートに書いていた部分に記憶違いがあったので直しておきました)
今回のことで調べたWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案のように、ネタバレを他と一緒にしてしまうことをマニュアル化して強制したい人がいるようだし。一方で、過去ログからはネタバレをどこにも書くなという人はほとんどいない。
あなたがノート:るいは智を呼ぶで書いていた、spoilerH廃止の時の議論などというものが間接的に利用されている感じがします。とくにあなたは前回の向こうでの書込(7月26日 )で、はっきり利用しましたね。今回ここの書込と一緒に、そちらにもそのspoilerHの部分には、何も遠慮する根拠はないことを書きました。
また、ここで提案することをあなたは書いているけど、ここでもとにかく反対という人が多いから、「合意を得ようとする側が反対される」に決まっている。あなたはつぶしたかっただけに思える。つまり、見せつけたい側の強制はあなたを含めてあります。
(それとも私の誤解で、あなたは両立させる工夫には賛成なのでしょうか?)


・調査3 書けない妨害   強力な反対はたぶんない

ちょっとばかり調べたが、デマなのでは?  履歴のコメントやノートの目次を目印に、過去ログ含めて調べたが、該当しそうなところが見えない。あなたの言い方もあいまいな感じだし。
涼宮ハルヒの過去ログを調べたが、ネタバレ文自体についての論議はなさそうだった。ファンサイト化して些末な文が多すぎる、ということがほとんど。しいていえば、-(五) 2006年5月30日 (火) 21:49 (UTC) の文に論戦が見えますが、ここでもネタバレ内容自体を議論していません。ネタバレというより、些末なことが多く記事が膨大になる、という言い方ですね。これは、本音や実態は読み取れないが、、そのネタバレの価値を説明しようともしないからこういうことになると思います。 
しかも本文を見たが、この作品は世界観自体がネタバレであり、かつ外部から作品の人気現象を理解するためにも興味を引かれる部分だろうが、その世界観がかなり詳しく書かれている。これ以上どんな書きたいことがあったのか? 書くべき価値がわかる文だったか? 独自解釈をしようとしたのではないか? じつに疑わしい。 
君の望む永遠については、エンディング一覧まで書かれてそのままですよ(たぶん、独立した節を設けて、目次で表示されているから、そこだけを避けやすいのだろう)。ここは、独自の折りたたみタグを使って書き込まれたものが、タグを外されたまま残っている。書かれたままだ。
また、履歴やノートを見ても、議論したあげくネタバレだからダメ、とされたことは見えない。価値のあることを価値のある書き方をしたなら、ノートで拒否されたとは思えない。ろくな文案がなかったからではないですか? それにフィクション内の衝撃的な事件をそのまま書いても衝撃風なだけでは他人に伝える意味はないし、書き方が悪いからでしょう。(そして、後述のように、本来関心あるはずの人々にはちゃんと伝わっているはず。)
どうも、2例ともあなたのいうのとは違いそうだ。
可能性が高いのは、ファンの視点で書いているとか、独自研究だとかという言葉が見えたので、その辺の事情からろくに文を仕上げられなかった、のでは? 漱石の「こゝろ」や「坊っちゃん」の項目では評論を借りて説明していることからして、実際上は独自研究にひっかかることが多そうに思えますね。
だいたい、ネタバレを書きたいならHPを作れば、君の望む永遠などの作品名+ネタバレ、または +衝撃的な事件、でいくらでも検索できますよ。どこに、読者が知らされなかった被害が出るのか?
>悲劇的な展開である作品をコメディであるかのように読者を欺く形で説明しているような記事
そんなのは、じつは悲劇性があるとか、そんな展開が多いとか、鬱として有名だとか書き込めばいいです。ネタバレ以前。本当にまともに書こうとしたことがあるのですか?
それに、「君が望む永遠」なら、ドロドロとした深刻な作品のように書かれている。


書き方。

  • 理論的に。 書き分けと特筆性
事典としてフィクション空間内からの視点でなく外部的視点から注目する場合、それを特筆するのだから、他の文といっしょにせずに書けるはずだ。現代娯楽作品の場合、作品ごとに特筆性を見出すことが必要だ。見出したものを特筆内容として、他の文と別に書けないはずはない。
ネタバレをすることになっているから書くのだ、という風に、ストーリーとか人物紹介とかにマニュアル的に強制して書かせてしまおうとするから、軽度も重度もいっしょに見せつけることになる
  • 経験的手法 1。
オーソドックスな言葉で客観的に要素を語る。自分の独自解釈を警戒すること。
たとえば、指輪物語を例にする。この作品は評論や作者の意見などが発表済であり、作品世界の他への影響など、便利に書いていける。日本語版もそれに沿ったやり方で書かれている。 しかしもし、これが発表されたばかりの資料不足の評価の定かではない作品で、その作品価値を紹介しようとしたらどうなるだろうか?
主人公の精神がどうこうとか・作品テーマがどうとか・第二次大戦との兵器の類似がテーマ上どうとか・指輪の正体がどうとか、ということは、どの程度書けばいいのか、書くべきでないか? ――これについては、決めようとすると難しい面があるだろう。
しかし、ノート:るいは智を呼ぶで書いた「経験上必要がない」という考えをここで当てはめると、以下のようになる。
「ホビット達はこの作者の創作であり、この物語において神話上伝説上からは抜け落ちていた彼らが外部に再発見されることになる。
主人公は、平和に暮らしていた明るく気のいいとされるホビット族(ただし同族の中で争いや戦いが起きない種族だという設定でもない)の村で穏やかな一生を過ごして住んでいた初老にあたる人物である。
このホビットの友人達が戦争の近い外の世界に出ていくことになる。外の世界の戦争に近づいていく流れの中で、指輪をもったホビット達はその流れにともない冒険の旅を進むことになる。」
(中略。作品世界の膨大さの紹介)
「この長編物語は大戦争につながる歴史をなしているので、多彩な生き方の人物・キャラクターが登場する。そのストーリー上の一特徴として、たとえば人の性(さが)としての、寿命への望みや世界を支配できるほどの力への望み、などが強く組み込まれていることがある。これらは、他のテーマなどとも対比・絡み合いしながら表現されている。また、主人公の老ホビットの一行は、戦争の現場とは距離を置くことが多いながらそれに劣らぬ重要な役周りを与えられているが、その旅の困難はさまざまな精神的な葛藤の形で描写されることが多い。最終的にその葛藤の結末は、ある種の性またはそれに近いものによってもたらされる。」
・・と書けば、最終まで書きながら具体的なネタバレを含まないので争いになりにくく、読者が作品を選びやすく、娯楽作品でもその内容次第で人類の視点・現実視点から作品の価値を位置づけることができるわけです。だいたい人類の文芸の伝統からすれば、たいてい何かの表現が当てはまります。そのオーソドックスな表現の方が、「位置づけ」を語るにはちょうどいい。その上で、なお特筆すべき要素が残っていれば新しい表現を加えればいい。たいていネタバレ事実自体には価値がないので、ネタバレを省こうとする努力をした方がいい表現になる。
こういう書き方に対して、作品ガイドではなく興味を持たせるように書くべきでない、表現をボケさせるな、などが該当すると言われるなら、本音はネタバレを見せつけたいのか?となってしまいます。 「感情的な興味を持たせるように書くべきでない」、「ぼけた表現を加えて独自の解釈に導くべきでない」、というならわかる。実際、そういう後者の二つは困るけど。


  • 経験的手法 2。
作風を書く。そのさいまずは分類名みたいな表現を使用する。新しさというのは、じつはある種とある種の結合で新種になっていることが多い。
事典として書きたい価値=特筆性は、現代娯楽作品ではたいていが作風にあります。作風を書いた後、ストーリーを書く意味があるかどうかを考えればいい。
私がるいは智を呼ぶについて、ストーリーのネタバレを書かないのは、ネタバレ文に価値がないからです。作品の価値を示すために書こうとすると、深く読むと独自解釈になる。浅く読むと飾りを取ってしまうとゲーム分野外の人に示すほどのことでもない。単に人間ドラマのエンターテインメント物であるというだけになるから。
あえて作品テーマを示そうとするなら、「この作品の世界観は微妙に謎をもつが、ストーリーは出会いと縁との形を取る。オカルトホラーであり最終的にはときに命の危機・その選択に迫られることもある。」と書けば、客観的表現としては十分でしょう。 これ以上書こうとすると、無意味なネタバレのための詳細になるか、安っぽい読者の感情的感想文になるか、特筆性として独自解釈が必要になる。たとえ正しい解釈でも。だからウィキペディアでは書かない。
  • 経験的手法 3。
個人HPでネタバレを探すのに便利な検索用語を加える。
特筆性のあることを書こうとすると、評価の定まっていない作品では独自解釈になって、抑えることになる。解釈のヒントとして、八犬伝とか選択肢とかどこで世界観が語られるかとかを出している。解釈したければそれらをヒントにサイトを検索すればいい。
検索が面倒だなどと障害者読者を自分にだけつごうよくでっち上げる人もいそうですが、そもそも検索が使えないならウィキペディアも使えない。同分野リンクをクリックしていくだけの人がいたなら、そんなものには飽きる。障害者は直接作品を鑑賞しないわけではない。あらゆる初心者は、直接鑑賞しようとする可能性を持つが、ネタバレの見せつけはそれを損なう。
ネットの中で百科事典のあるイメージは、まず始めにバランスの取れた総合視点でしょう。初心者がネタバレを避けて安心して読んだ後で、さらに詳しくネットでネタバレを含めて探せばいいだけ。・・それで百科事典の効用が基本的には十分です。私は、個人HPよりももう少し信頼できる、自由にネタバレ度を調節できる、どの作品も同じ操作方法でできる、そういう総合サイト=高機能情報装置があった方がいいけどね。ネタバレを見せつけられる心配無しに。私にはその配慮ある機能美こそが磨かれて美しい。一様に見せつける画面は醜いと感じる。可読性を損なうし。
  • 経験的手法 4。
もし私がその編集に関わるとしたら、どういう視点(その作品ファン集団の目でなく外部的視点かどうか)で書かれているか、によって必要を判断するでしょう。しかしネタバレをした=作品の要点を示した、などという文なら不要なネタバレだと思うでしょう。
しかしそれ以前に、たとえば、「この作品の影響(中・重度のネタバレ)」という節を作って分けておくと思います。
・・・というふうに、書き方はいろいろ考えられる。工夫を否定して書き方を決めつけ、ネタバレは他の文と不可分だと主張し一緒くたに見せつけようとする必要はない。各項目で工夫することが望ましい。


Kanoharaさんの考えについて
・意見1 2年前の過去ログから。

1 ネタバレの基準を話し合っても決まらない。かつ見せ方の工夫は表現の選択肢を増やすのでかえって混乱する。つまり、ネタバレもそうでないものもいっしょにするのがいいと
ではその前にどれだけの文章・体裁の努力をしたのか? を探すと、過去ログではその書き方について出ていないから工夫の集積をした結果ではない。
各所の意見を見ると、「ネタバレを一体の文として見せたい」・「当然だ」・「配慮の必要なし」、という人が多く、これでは書き方の調整が難しいというより始めから対立姿勢ではないですか。
2 そして、ここでのkanoharaさんの主張からして、現状の力関係として、相手が強大だという主張をもって、この項目の本来の文脈は武器にされるから、書込を進めるために、この項目は(ネタバレに対しては事典としての理由抜きに)無限大の書込権限で読むべき、ということらしい。
3 つまり以前からの考えとして、書き分けるという、文章・体裁の工夫を否定して、各項目で対立させようとする。そのさらに元を探れば、ネタバレに配慮した文を書きたくないから。この人達の考え方は(事典らしさだと言っているようだが)、調整に手間がかかる以前に、読者に見せつけたいことになる
そして現在、紙の百科事典では無かった分野で、「反対者が多くて、書き込めない(という噂)。だから権限は無限大が必要で、自分たちの理念を表に示すことは弱みだからしてはいけない」、と。つまり、ケンカを売っておいて、相手がまったく話に乗らないせいで話し合いはムダだと主張し、ただ無限大権限の宣言をしたい、と同じ。
kanoharaさんの本音がこういうけんか腰同等なら、私が「分けろ」と書くことに他意を感じることでしょう。
つまりkanoharaさんは見せつけたい派で、この人達は先にケンカを売って人のせいにしているように見える。

・意見2 他意

他意は理由にならない。だいたいルール的なものは心理としては、信頼合意でなく偽善合意でいい。でなくば特定集団の独裁にしかならない。
あなたの前回の文は、始めは他意が気になるから反対だと書くが、文の終わり頃からすると、他意があろうが無かろうが文脈を正すことであろうが、とにかく無条件に書き込める邪魔になるものは反対だ、としか取れないな。
始めから、人類と人間ではどう違うのか、という話し合い確認をしようとせずに、つごうが悪いから反対だ、などと言い出すことが信用できなかった。だから先に妥協案を出しておいたのだけど。

・意見3 この項目の解釈

EULEさんは、判断は特筆性の問題だと言っているが、あなたは特筆性がいやそうだ。ただ力を欲しがっていると思える。それに、意見7で書くように、あなたはこの項目を強制に使えると思っているはずだ。つまりまったくEULEさんと違う。
それに、前述の私の考えの部分で書いたように常識の読み方ができる状態で長く置かれ続けた年数を無視している。沈黙の合意を主張するならば、こちらの「書く理由や事情が概略としてでも一応説明されている」 ということの方がより明示的 (常識・分量・体裁・期間など) であり、「人間」の主張より尊重されなければならない。とすると、人類と人間についてのあなたの言う沈黙の合意の尊重とは、この項へのあなたの態度は矛盾しています。執筆しようとする参考にたまにここをのぞく

・意見4 合意

「無断改変?を元に戻しました。」の節で書いておきましたが、あなたの言う沈黙の合意は、単につごうのいいサンプリング集団による支配権を主張しているのと変わりません。

・意見5 妥協案文

>仮にガイドラインを明確化するとするなら・・「ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も推奨する規定もなく、書く必要があると思ったことは何でも書いてよいが、書く必要がないと思ったネタバレを無理に書く必要もない」
後半は、よく見るとすり替え文になります。百科事典としての説明無しに、書く必要があると自分が思ったら書いてよい文なのだとガイドラインが認める、と自己循環的正当化になる。自分のリスクと責任で書いてよい、というのとは違う読み方ができる。
また、書く必要もないなどと誰が判断するのか? どうも他の執筆者ではない。つまり一人書きたければ他の者は邪魔するな、と。 今までよりも露骨です。無限大書込宣言に等しい。つまり、自分の派が独裁しておいてかつ手心を加えてやれば混乱がない、と言うに等しい。たしかにそういう発言は他でも見かける。それを強制または夜郎自大というのです(~__~;;)。あなたはそれを今まで通りの明確化にすぎないと感じる、と。
 前半だけで後半カットならいいが。 あるいは、書いてよいと書くなら、「百科事典として書く必要に基づき」が大事。ただもちろん執筆者は「始めは大胆に」書いてみることはありますが。
現妥協文である「上に挙げたような百科事典の目的にそって書かれた」というのに言及してないのは、それが嫌というわけですか?
念のため。私はガイドラインを明確化しようなどと言ってません。旧に復すること、誤読を避けようとしているだけ。明確化とはごく一部だ。あなたはこれを機会に全体を変えようとしてますか?  人類とか人間とかを避けて、ただ何でも書ける、という項目にしたいと。今の説明部分をただ省略するのでなく、自己循環的正当化になるような文をわざわざ置くとはね。

・意見6 書き込みたいことを妨害された事例

調べたが、前述のように事例は疑わしい。というより、あなたは始めから「概論」について「ようだ」ぐらいのことしか書いていない。なぜ?
1 つまり、あなたは自分で書いてみて、不当だと示せる反対を受けたたことがないので、実例が挙げられないのでは。だいたいほんとに書くことに苦労した人なら、節を分けて互いの便利を両立させようとしてみるとしか私には思えないが。
2 あなたが実例を知ってなさそうなのは、あなたがウィキペディアを使わなくても、ネット上の他のサイトを利用して十分だから、なのでは。
3 ひょっとして見せつけたい人の関心事としては、他の内容と一緒に書かせるために概論の節に書くことが気になる、と。別の節で何が書かれているか、作品世界のネタバレやエンディングまで書かれているなんてことには目が行かない、と。
・・以上の、1,2,3を予想しました。
書きながら思った。見せつけたい人は、自分で書いて他人と調整しようとする人ではなく、他人たちに書き込ませたい人だろうと。するとたぶんマニュアル化してルーチン作業として書き込ませたい、するとそれは特筆性視点を無視したデータベース化を望んでいることになりそうだと。
指摘を受けて今から探せば、もっと別の例も見つかるかも知れませんが、もはやそういう比率が大きいという信頼はできないな。

・意見7 その他

>文学作品に限定されるべきものではないと考えています・・・・
当然。私もあなたがその前回に挙げた例をストーリーをもった作品一般として答えました。
人類というのは、文脈・意味・価値であり、具体範囲ではない。意味が溶解しないための中心です。
>ネットの流行語大賞に選ばれたり、・・・触れなければ、なぜ大勢のファンが感動して話題になったのかをうまく説明することができないでしょう。
もちろん、問題作的な場合はあります。しかし、「うまい説明」というのは何でしょうか。実際の事例を調べた感じでは、文章が悪いからという理由が多そうです。
>「適切なネタバレとは何か」を規定し・・・ネタバレの禁止をルールの名をもって押しつけることが可能・・人類全体に関わるネタバレ以外は許容されない・・武器を与えてしまうようなルールとなる可能性 
ええ・・人類「全体」?・・・筆の勢い気分でいいかげんおおげさな誇張をならべてますね。
もしそうでないなら、・・、「適切の姿」を示すと困る、・・つまり、「適切」自体が邪魔ということ。
ここを逆に読めば、ここは規定しルールの名をもって他に押しつけられる場所であり、無条件の適切=無制限の権限を要求する、と取れますね。
たんにネタバレがあるよ、という項ではないのですか?

まとめると

あなたの書いてる事例は根拠が見えず、合意だの項への解釈だのも都合のいいように二重基準のごまかしに見えてしまいます。しかも、妥協案らしきものは、露骨な無限大書込宣言に見える。
いっしょくたにネタバレを見せつけることを目的として、あなたは一切の妥協をほんとは行なわず、ただ無限大の要求をしていると見える。
そのあなたが相手の他意を主張するのは、決めつけることで被害の可能性を誇張して、無限大権限を主張したいか、話をかみ合わせずにすむからだろうと想像してしまう。まして前回までは「見せつけ」が本意だとは知られていないと思っていただろうから。
・・・と疑えます。

分岐Bのまとめ
以上は、Bに分岐した場合の、妥協の前の認識説明でした。ほんとの妥協をしない人なら、こういう想像しかできない。
提案文に反対するなら、どこの文がどう嫌だ、という会話ができないならば、それは妥協などしたくないという人だと思います。
提案通りに妥協してくれるなら、意見の違いはたいしたことはないです。

分岐戻り。
ましてAならば、本心が何であれ、妥協が重要という考えなら理解できます。 
どちらにせよ妥協案としてはかんたんにくり返すと、「人類」と「適切」については現状を中期妥協案として置き、「工夫」については適切な文を加える、ということです。  →妥協案に戻る。



 予想以上に日数がかかったので、4週間ほど空けます。
--118.10.195.9   2010年8月13日 (金)

              

コメント 118.10.195.9さんはネタバレが必要であるという理由を「強制的に見せつけたい欲求によるもの」と決めつけて、それに沿ってご自身の主張を進めておられますが、単にネタバレを見せたいだけなら自分でブログを作るなり、ネタバレのまとめサイトなりに書き込んだりすればいいわけです。私がそうしないのは、「百科事典を作る」という目的のためにウィキペディアに寄稿している、それ以上でもそれ以下でもありません。
ネタバレの有無が争点になった個人的な経験を挙げるとすれば、「ノート:ef - a fairy tale of the two.#ネタバレの記述について」における議論がありました。同作のアニメ版では第2話で「実はヒロインは記憶障害で、長時間の記憶を維持できない」ことが明かされ、以降それを主軸にして物語が進んでいくのですが、これを「ヒロインが記憶障害であることはネタバレになるから伏せよう」と言い出した方がいて、それが争点になったものでした。
物語のプロットを、解釈を挟まずに要約することは、独自研究には当たらないと考えます(Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)#一次情報)作中において何が争点になっているのかを明らかにする上で、ストーリーの内容について説明する必要があることは、「Wikipedia‐ノート:ストーリー紹介の在り方についての解説素案」の方で説明した通りです。核心をぼかした抽象的な説明は、往々にして要領を得ません。もしもネタバレへの配慮が「百科事典を作る」という目的と衝突するのなら、ネタバレへの配慮は百科事典に不要であると、私は考えます。そういう意味では、「ネタバレへの配慮」が百科事典を作る上での障害になったり、細心の熟考を書き手への負担と言う形で要求してくるくらいなら、それに対して「無限大の権限」を認めるという考えはむしろ合理的であると考えます。--Kanohara 2010年8月29日 (日) 15:59 (UTC)

現行英語版訳[編集]

上記で起こっている問題(あるいはGiftlists氏の指摘)を踏まえて、現行の英語版(17:04, 11 August 2010の版)を元に訳(意訳)しました。

ネタバレは、創作物(小説・漫画・映画・テレビ・ゲームなど)についての解説の一部であり、作品のストーリー(プロット)や核心部分を明白にします。それゆえ、作品をまだ知らない読者に対しては面白さを台無しにするかもしれません。

インターネット上では、しばしば、その情報にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」を出して読み手に読むかどうかを選ばせることがあります。ウィキペディアでは以前に小説関係のいくつかの記事についてそのような警告を出していました。しかし、ウィキペディアの記事はネタバレがあると一般に予想されるので、そのような警告は不要であると考えられています。よって、ウィキペディアでは、免責とネタバレの存在を含意する内容のセクションの見出し(「あらすじ」や「結末」など)という例外を除き、ネタバレ警告をしません。

あなたが、ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。そのような動機によって中立的観点、百科事典としてのあり方、完全性、その他記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場所ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです。

第1パラグラフはだいぶ意訳が酷いので、英語版の主旨に反していたり重要な要素が抜けていたりしたら誰か補って下さい。他は特に問題は無いと思いますが第2パラグラフの、見出しに関する部分については、そういう節にネタバレ警告系のテンプレを張っても良いということではなくて、事実上ネタバレ警告をしているという意味だと解しています。--EULE 2010年8月20日 (金) 05:16 (UTC)

良いですね。これを日本語版にも導入しましょうか。第二段落については、確かに、「Wikipedia:内容に関する免責事項のページと、記事の中の『あらすじ』『結末』といった見出しだけで十分であり、ネタバレ警告は特に置かない。」という意味のようですね。--氷鷺 2010年8月20日 (金) 08:51 (UTC)
コメントありがとうございます。ただ、ネタバレ警告について触れている部分は、当ノートでも議論がされていた(されている)ように、現在の英語版とは合わないと考えています。しかしながら、英語版で述べられていること(「ウィキペディアの記事はネタバレがあると一般に予想される」)、また実際にそういう根拠に基づいて警告系のテンプレが用いられなくなったことは、これは妥当な物であると私は考えているので、それらを踏まえて、

ウィキペディアの記事はネタバレがあると一般に予想されます。インターネット上では、しばしば、その情報にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」を出して読み手に読むかどうかを選ばせることがあります。ウィキペディア日本語版の一部には、そのように警告を出している記事もあります。しかし、ウィキペディアでは記事にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」をしなければならないというルールはありません。「ネタバレ警告」が無いからといってネタバレが無いとは考えず、常にウィキペディアの記事はネタバレがされているという前提でいてください。

という文に置き換えることを1つ提案いたします。現行の日本語版の文面は「ネタバレ警告」することをむしろ推奨していますが、上記に置き換えることによって、当ガイドラインにおいてテンプレを用いることに肯定も否定もしないというスタンスを取り、またその辺りのことを周知させるのが良いのではないかと考えています。その上で、ネタバレ警告系テンプレが英語版のように廃止になったら、文面も英語版に合わせれば良いかなと。--EULE 2010年8月20日 (金) 10:53 (UTC)
第二段落については、警告系のテンプレを廃止しないという結論が出ている日本語版の現状とはかけ離れてしまっていますから、8月20日 (金) 10:53での置き換え案に賛成です。--春日椿 2010年8月20日 (金) 16:46 (UTC)

「情報を無差別に収集する場所ではありません」に関して[編集]

意訳案と、第二段落は春日さん同様8月20日 (金) 10:53での「置き換え案」に賛成します。ところで第三段落のウィキペディアは情報を無差別に収集する場所ではありません。は、要するに「過度のネタばれは避ける」という意味もありましょうか?ちょうどそれが論点となっている事例があるようで、もしそのような意味であるならば、事例の様な紛争を防ぐ意味でも、大変有用な段落かと思います。(場所は、2010年5月5日 (水) 15:36 (UTC)あたり。もっとも事例は参加者の討議姿勢がより問題で、コメント依頼や投稿ブロック依頼に発展しております)--Tako8 2010年8月20日 (金) 17:20 (UTC)
それは返答が難しいですね。一口に「過度のネタバレは避ける」とだけ言っても何を持って「過度」とするのかわからないので。言わんとすることはわかりますが。厳密には異なるがWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるの方向性に近いと思ってます。要は箇条書きになってないだけの雑多な内容。--EULE 2010年8月20日 (金) 18:56 (UTC)
ご回答ありがとうございます。事例で紹介した内容は、「人物紹介節に、ストーリーの核心にふれる記載(ネタばれ)がある」事を「過度のネタばれ」と言っているようです。つまりここであげている「ネタばれ」の一つかなと思います。本件「現行英語版訳」に戻り考えますと、「過度」といった、ネタばれの「程度・質」への考慮は不要と思います。ウィキプロジェクト アニメ あらすじの説明では、完結した作品については、結末まで順序立てて述べられているのが望ましい。と案内されています。「ネタばれの量」という意味で、EULEさんの説明は合点がいきます。ネタばれを入れていいからといって、瑣末なネタばれまで際限なく入れてよいものではない、ということをうたっていると解釈します。また、当方の例示ケースは「主に人物紹介節にあらすじを詳細に書かれるケース」で起こりやすいようです。そうすると旧翻訳案では「あらすじ」や「結末」などとある程度節を限定していましたから、「じゃあ人物紹介節は例外だな」と解釈する方もあったかもしれません。(ズバリそう書かないとそれが対象であると解釈しない方は多いのでは?)現行の次案では、節を明示しないことで逆に範囲に幅を持たせた形になりましたので、両刃の刃になった感はあります。節の限定はしていないので例外はないはずですが、執筆者よっては、例外を勝手に解釈する可能性もありますか?まあ杞憂かもしれません。--Tako8 2010年8月21日 (土) 01:34 (UTC)
(インデント下げ)それでしたら一応、この文案を作った時に、

また、これは核心部分のみを率先して記述せよということではありません。ある推理小説の記事において、ストーリーなど些細にしか記述されていないにも関わらず、突然「犯人は○○」と暴露されても、それは作品の理解に何ら役に立たず、百科事典の目的にも合っていません。もし核心部分についても言及したいのであれば、それは百科事典として不自然にならないように他の部分にも分量を割くべきです。例えば「あらすじ(ストーリー)」節で解説のために核心部分にも触れるのであれば、ストーリー全体を記述することを前提にするべきであり、むしろその方が(核心部分を避けるために作品の序盤しか記述しないことよりも)百科事典にとっては有意義なことです。

という独自の追加文案も考えたんですが、この追加文案自体は日本語版でよくある「核心部分に触れないために序盤しか記述しない」ということを念頭においたものです(それは除去することと違って、ただちに非難されるような物ではないのではあくまで推奨という形です)。ですが、同時に記事のバランスについて心掛けるように促す物でもあり、私個人の考えとしては大して記述してないなら、核心部分の記述も相応に抑えるべきだと思うし、大作なら一目に過度に見えるネタバレがされていても問題は無いと。
あと一般にネタバレが懸念されているのは、それこそ未読者の楽しみを奪うような「核心部分」が主で、あっても無くても良い些細な情報というのは、そもそもネタバレの範疇に無いと考えます。もし、本来は特筆性などで蹴られるような些細な情報を「ネタバレ」だからという理由で必要性を訴えるのであれば、確かにそれは見当違いも良いところでしょう。しかし、この辺りは今回の発端となったIP氏の提議にも関連するように、だからといってその辺りについてきっちり規定してしまうことは、当ガイドラインの主旨に反してしまうと考えます。--EULE 2010年8月21日 (土) 06:57 (UTC)
節を分けていただきありがとうございます。そこまで考えられたうえで、先の意訳案に内容を絞り込んだ、ということなのですね。上でおっしゃられている内容は当方も同意です。(同じような話を、氷鷺さんご提案のTemplate‐ノート:宣伝的なあらすじでも、したところです)先の意訳案は、シンプルに過不足なく、ネタばれガイドラインとして指示できているのではないでしょうか?どんな方針・規定・ガイドラインであれ、独自解釈を行い結果それらから逸脱した記載を試みる執筆者はいるわけですが、今回のEULEさんの2010年8月20日 (金) 05:16 (UTC)からの一連の意訳案が正式のものとなれば、そういった独自解釈の幅を減らすことに、大いに役立つと思います。私からは以上です。--Tako8 2010年8月21日 (土) 14:01 (UTC)

改定案[編集]

特に反対は無いようなので、リンクなどを付けた具体的な草案を以下に提示します。

ネタバレは、創作物(小説漫画映画テレビゲームなど)の記事において、情報の一部としてストーリープロット)や核心部分を明白にすることです。そのために作品をまだ知らない読者に対しては面白さを台無しにするかもしれません。ただし、簡単に入手可能な程度の情報(本の帯や広告に書いてあるものなど)は、普通ネタバレとは見なされません。

ウィキペディアの記事はネタバレがあると一般に予想されます。ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)を参照してください)。

インターネット上では、しばしば、その情報にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」を出して読み手に読むかどうかを選ばせることがあります。ウィキペディア日本語版の一部には、そのように警告を出している記事もあります。しかし、ウィキペディアでは記事にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」をしなければならないというルールはありません。「ネタバレ警告」が無いからといってネタバレが無いとは考えず、常にウィキペディアの記事はネタバレがされているという前提でいてください。

「ネタバレ警告」について述べられた部分は相対的に重要度が下がっているので、ネタバレを理由とした除去禁止などを示している第3段落と位置を変えました。--EULE 2010年8月21日 (土) 23:48 (UTC)第1文を修正、文脈を自然にするため「ウィキペディアの記事はネタバレがあると一般に予想されます」を第2段落の第1文へ移動--EULE 2010年8月22日 (日) 00:37 (UTC)

コメントほぼ賛成なのですが、どうでもいい疑問を少しだけ。
改定された場合、例えば推理小説の「犯人」だけを書いて回る行為は、Wikipedia:ネタバレを理由に正当化されるものでしょうか。それとも、「犯人」に至るまでの過程が充分に書かれていない場合は、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんを理由に否定されるものなのでしょうか。「独自の追加文案」ではこのことに言及されておりましたが、改定案にはそのような言及がはっきりとは見られないため少し気になりました。もし、この点で争いが起こることが予想されるなら、個人的には改定案に「独自の追加文案」を(全てではないにしても)盛り込んでも良いのではないかと思います。
あと、これは疑問ではないのですが、議論参加者が4名ほどなので一応コメント依頼に提出しておいたほうが良いように思います。--F@ST 2010年8月22日 (日) 01:50 (UTC)
正当化されないと考えます。その辺りの懸念は「無差別に収集する場ではありません」の方では無く「百科事典の目的に合うことを確実にすべき」が該当すると思います。つまり、犯人のみを記述することが百科事典の目的に合うかどうか?これは明確に目的に合わないと言い切れる。また、これは端的にいえば、その記述の必要性(特筆性)は、記述者が保障(証明)しろってことであって、この「ネタバレ」というガイドラインが保障するような物では無いってことです。追加文案の方はそれらを踏まえた上で、もしそうしたいなら、それだけじゃなくて全体のバランスに気をつけて記述した方が良いということを促す、あくまで「百科事典の目的に合うことを確実にすべき」の補助的内容であって、この追加文が無くても、そのような懸念は大丈夫だと思います。
また、この追加文はあくまで私個人が考えた文なので、英語版を訳した物より、もうちょっとコメント頂いて、その上で載せるかどうか判断していただきたいなと思います。反映した後で追加文案を載せても良いですし、とにかく追加文案の検討で肝心な部分が遅延するのは避けたいかなと。
コメント依頼に関しては、Wikipedia:お知らせの方に出しておきました。--EULE 2010年8月22日 (日) 02:33 (UTC)
賛成 お返事ありがとうございます。納得いたしました。現時点で特に反対する理由はありません。--F@ST 2010年8月22日 (日) 15:17 (UTC)--F@ST 2010年9月2日 (木) 02:37 (UTC)
賛成 全面的に賛成します。--氷鷺 2010年8月23日 (月) 11:39 (UTC)
コメント改定案自体は賛成なんですが、実際の改定方法で一点質問と提案です。
この改定案は、現在の前段と、利用者向け・執筆者向けに分けられている現在の説明文を、英語版同様、丸ごと今回の改訂案に差し替える、という改定となるのでしょうか?そうすると現在の版で執筆者向けに記載されている「ネタばれテンプレートの説明」の扱い(改定案第3段落に取り込まれているのはわかってはいますが)はどうなるのでしょう?私は、節を分けて「警告をする場合(しなければいけないルールはありません)」と断ったうえで、説明自体は残したほうがよいように思えます。改定版導入時の「ネタばれ反対・配慮せよ派」の抵抗感を和らげるために、必要な緩衝行であるように私には思えますが、いかがでしょうか?
  • 内容そのものは、かのIP氏の主張(妥協案)も一部盛り込まれているようです。当時の差分と比べると、前段は書き換えましたから気にされていた記述はなくなりましたし、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。という記述が入りました。「ネタばれの見せつけ」と称していた部分は、EULEさんの改定案の第3段落がかろうじて対応していましょうか。私が提案する「緩衝行」が入れば、さらに和らぐと思います。彼が9/9ごろ?にこのノートに戻られた時、反論を差し込む余地は無い(強いて言うとやはり第3段落の部分。)ように私は感じられますが、皆さんはどうお考えでしょうか?(IP氏が「自分がいない間に勝手に話を進めて(意にそぐわない)改定した」との説を唱えなければよいのですが)--Tako8 2010年8月23日 (月) 14:28 (UTC)
ネタバレ注意のテンプレートは、リンクを張っておく程度で十分でしょう。それを使う必要はないというのが改定案の意図するところですし、推奨するわけでもないテンプレートの使い方を、わざわざここでする必要はないと思います。--氷鷺 2010年8月23日 (月) 15:56 (UTC)
そもそも内容についてはIP氏の意見は踏まえてません。きっかけは「人間(人類)の営み」で大きく拗れてることに関してであり、あくまで現在の英語版をただ翻訳しただけです。しいて言えば、IP氏が主張されている「目的論」の部分は実は英語版に既に存在していたという話です(ってか訳してて驚いた)。
ただ、上記でも何度か指摘しているように、IP氏の主張というのは、適切なネタバレを規定しようという試みが強く出ている。「人類の営み」に拘るのもその証左でしょう。それはガイドラインの本意ではない。第一の目的は、百科事典として事物の解説のためにされている何ら問題の無いネタバレが、一般に「ネタバレが忌避される理由」によって、例えば「未読者の楽しみを奪うから」というような理由によって除去されることから守ること。目的論の部分は言ってしまえば、悪用される恐れから守るためのものであって、あくまで悪用された場合に初めて機能する、そういった物だと考えています。
最後に、警告テンプレについては、氷鷺氏と同じです。テンプレ賛成派が、「ネタバレがある記事については警告テンプレを張ることを義務付ける」というようなガイドラインを作ろうとでもしない限り、特に必要は無いと考えます。--EULE 2010年8月23日 (月) 16:56 (UTC)
氷鷺さん、EULEさん、ご回答ありがとうございます。対案の立場を想定して意見してみましたが、「レベル2の節 現行英語版訳」から始まる本案構想が、お二人の説明により、「この節上でも」さらに明確になったと思います。コメント依頼が出されてまだ一日目ですが、さらに多くの方が議論に参加されるとよいですね。(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト映画/映画作品スタイルガイド「ストーリーについて」節にて、こちらに誘導があったようですし)--Tako8 2010年8月24日 (火) 10:12 (UTC)
賛成 念のため、警告テンプレの件も含めまして、本案+お二人のご意見に賛成ですと、賛成票をあげておきますね。--Tako8 2010年8月24日 (火) 10:12 (UTC)
コメント他の方も危惧されていましたが、結末を書いて回る編集者の登場を防ぐために、もう少しはっきりと書いた方が良いかと思います。補足として「ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。」の後に、「ネタバレをすることで、百科事典としてふさわしくない記述にならないようにこころがけてください。」なんてどうでしょう。個人的には、ネタバレの際には警告テンプレは義務付けした方が良いと思っています。英語版の映画の記事を少し見て来たんですが、ストーリーを完全に記述していたのは驚きでした(ガイドラインで、結末まで書くように指示しているからなんでしょうけど)。日本語版では大半の記事で、ストーリーが途中までしか記述していないと思いますので、大きな影響があるのでは、と心配してます(杞憂だと良いのですが)。--肝油大尉 2010年8月24日 (火) 13:47 (UTC)抑止効果が望めないため取り消しました。英語版のシックス・センスを見て来たんですが、プロットで結末まで書いてありました。しかしこの場合は10年以上前の映画だから問題にならないのであって、公開直後にネタバレしたら訴えられたのではないかと思います。小説とかマンガでも、雑誌掲載終了と同時に結末を書いたりしたら「単行本の売り上げに悪影響を与えた」と訴訟を起こされても不思議ではないと思うんですが、その点は心配しなくて大丈夫でしょうか?発売直後のゲームについてのネタバレも危険ではないかと。あらためて改定案について意見表明させていただくと、『改訂には賛成、作品の完結(または公開)後一定期間はネタバレ禁止にすべき、ネタバレの場合にはテンプレート使用を推奨』です。一定期間については最低1年程度必要だと思っています。--肝油大尉 2010年8月24日 (火) 23:06 (UTC)
警告テンプレ義務化には反対です。あれは、本来は廃止されているはずのもの。1年間の「ネタバレ禁止」も論外です。国や地域によっては発売・公開時期が年単位で違っていることも珍しくありませんし、現実的なガイドラインとは言えません。--氷鷺 2010年8月24日 (火) 23:42 (UTC)
ウィキペディアは百科事典です免責事項もお読みください LOL--Purposefree 2010年8月25日 (水) 00:18 (UTC)
他の方が危惧されているから、私も何度か説明して、納得してもらったように、「結末を書いて回る編集者の登場を防ぐため」に目的論の部分があると考えています。ネタバレがウィキペディアで許容されるのは、ウィキペディアがファンサイトじゃなくて百科事典だからです。そして結末を書いて回ることは百科事典の目的に合わない。なのでそれはネタバレがどうか以前の問題がある。それで十分です。しかし、それでも不十分というなら、百科事典の目的に沿った形で結末を含む記述をするにはどうすれば良いかということを取り上げ、結末だけではなく、そこに至る経緯も含めたあらすじ全体を記述することを「推奨」(≠義務)するってのが、追加文案です。ただし、あくまで推奨です。序盤しか書かなかったからといって非難されることは無いです(逆に全体が記述されているのを序盤に留めたら非難されます)。
訴訟の危険性については氏の完全な憶測(それこそ杞憂)。違法アップとか、それこそ小説として読めるくらいに過度に詳細に記述されているとか、そういうのでなければ売上げに悪影響を与えたというのは理由にはなりません。というか、そこまでやったら著作権侵害だけど。それよりは、あらすじ全体を書かれることで翻案権を侵害されたって方がまだ理由としては想定しうる(いや、ありえないけど)。しかし、それを持ち出したら、1年経とうが10年経とうが侵害だ。一般にネタバレで訴訟が起こるというのは、正式の公開前に情報が出ることに対してであって、それは「性急な編集(および「最新の情報」)」に記述されているように、ウィキペディア上でも禁止行為です。シックスセンスで衝撃を受けて、10年前だから云々というなら、英語版の秀逸な記事であるen:House (TV series)(日本語版はDr.HOUSE)をご覧ください。特に子記事の(en:List of House episodes)ですね(誤解の無いように言っておくと、別に日本語版もこのくらいすべきだとは思ってません)。
というわけで、肝油大尉氏の提案には反対いたします。そもそも何度か言っているように、ガイドラインの目的は、「一般にネタバレが忌避される理由によって、問題の無い記述が除去されることを防ぐこと」です。一定期間のネタバレ禁止は、まさにその目的に反している。到底、認められるようなものじゃないです。--EULE 2010年8月25日 (水) 01:28 (UTC)
氷鷺様>ここは日本語版なので、日本での発表を想定していました。
Purposefree様>書き込む前に読んだつもりですが、ご指摘を受けて再度目を通しました。
EULE様>おっしゃることは理解しているつもりですが、心配性なもので、カオスな状況が発生するのではないか、訴えられるおそれがあるのではないか、と思って書き込ませていただきました。一般的な企業なら訴訟リスクは冒さないと思いますが、百科事典プロジェクトだから大丈夫、と判断されるならそれを尊重します。wikipediaにはwikipediaの流儀があることはわかっているつもりです。再読した『ウィキペディアは百科事典です』の「最後に」節に、『Wikipedia:鼻に豆を詰めないでをご覧ください。「誰かがやるかもしれない」ことに先手を打つことは特によくないこととされています』とありますし、これ以上はやめておきます。お邪魔してすみませんでした。--肝油大尉 2010年8月25日 (水) 12:48 (UTC)
ちゃんと伝わってないようなので言い直しますが、肝油大尉氏の言う訴訟リスクというのは、天が落ちてくる確率と同じで、とても訴訟リスクとは呼べるようなものではなく、百科事典プロジェクトとか関係無く、そんなことを心配する一般的な企業はいないと言ってます。法律に詳しい方なら、何か別の相応の理由を出すかもしれませんが(そういう意味では訴訟リスクはある)、肝油大尉氏が法律に全く詳しくないというのは今回の意見でもよくわかりますので、端的にいえば、そういう根拠に基づいた意見は反対せざるを得ないということです。賛同していただいたことには感謝いたします。--EULE 2010年8月26日 (木) 00:27 (UTC)
(追記)これは性急な編集に関して出る意見ですが、「検証可能性」に基づいて記述を抑制することは可能かもしれません。こと映画に関しては、映画館に行けば作品を観れるのだから検証可能性を満たせる、という主張もありうるが、公開が終われば一次資料によって検証可能性は満たせなくなるので、完全な検証可能性を満たすにはDVDレンタルなどが始まってからとするとか。もっともこの辺はあくまで「検証可能性」の範囲であって「ネタバレ」の範囲ではないので、PJ映画などで議論してみるのがいいかもしれません。--EULE 2010年8月26日 (木) 01:50 (UTC)
賛成 改正案の要旨はつまり「ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も推奨する規定もなく、百科事典として書く必要があるならネタバレであっても書くべきですが、百科事典として書く必要がないことまで無理に書く必要はありません」という内容であると理解しますが、そういう内容であれば改正案には概ね賛成です。
ただ個人的には「評価・影響力・特筆性」という範囲は少し狭いようにも感じられ、ある見地からはどうしても必要なストーリーに関する意味内容を「この作品については興行収入や視聴率といったデータだけで十分に評価・影響力・特筆性について説明できるので、ネタバレはなくても記事の品質を損ねないと思う」と強弁してバッサリ除去してしまうような編集がないだろうかという心配もしています。かといって作品の理解の助けにならない些末なトリビアの羅列を「必要な内容だから」と強弁して載せようとするような編集に正当性を与えても問題ですし、特によい文案がある訳でもないので悩むところです。ただ、その辺りの匙加減はこのガイドラインよりも「Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案」の方で規定した方が良いでしょうね。--Kanohara 2010年8月29日 (日) 16:54 (UTC)
そういう内容であると解釈しても問題は無いと思います。で、後段の内容についてですが、とりあえず施行してみて、それで思いのほか致命的に悪用されたなら、それを具体事例として引き合いに出して的確な条文の追加なり変更なり検討していくのが望ましいかと考えます。現状でやっても机上の空論になり、下手したら必要以上の締め付けをしてしまう可能性もあるので。--EULE 2010年8月30日 (月) 11:11 (UTC)

一週間以上経ちましたし、もう実際に置き換えても良いかと思いますが、如何でしょうか。--氷鷺 2010年8月30日 (月) 10:38 (UTC)

(異議なし)--EULE 2010年8月30日 (月) 11:11 (UTC)

(インデント戻し)こんばんは。このガイドラインの閲覧者は中高生も多く予想されますので、翻訳調の部分を少しやわらかくしてみてはどうでしょうか。下記私案。

ウィキペディア日本語版における「ネタバレ」とは、創作物(小説漫画映画テレビゲームなど)の記事において、情報の一部としてストーリープロット)や核心部分を明白に記述する行為、及び記述そのものを指します。ネタバレは、作品をまだ知らない閲覧者にとっては、その面白さを損なってしまう可能性があるものです。

ウィキペディアの記事には、通常ネタバレがあると予想されます。「ネタバレである」という理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典としての目的に役立っているかどうかを必ず確認してください。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)を参照してください)。

インターネット上では、しばしば、その情報にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」を出して、読み手に読むかどうかを選ばせることがあります。ウィキペディア日本語版の一部には、そのように警告を出している記事もあります。しかし、ウィキペディアでは記事にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」をしなければならないというルールはありません。「ネタバレ警告」が無いからといってネタバレが無いとは考えず、常にウィキペディアの記事にはネタバレが含まれているという前提でいてください。

一段落目。「簡単に入手可能な程度の情報……」のくだりは、記事のネタバレに合わせたものかと思いますが、このガイドラインの文脈としてはやや蛇足であり、次の段落への繋がりをわかりにくくしていますので、ここは抜いてもいいのではないかと思いました。二段落目。「編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです」は、重要な部分なのですが、やや翻訳調で意味がとりづらい可能性がありますので、もう少し噛み砕いてみてはどうかと思いました。この2点以外の改変は、個人的な文章の趣味によるもの大きな拘りはありません。なお原案でも反対はしません。--Giftlists 2010年8月30日 (月) 12:54 (UTC)

  • 賛成 良い案ですね。冒頭の『ウィキペディア日本語版における』はない方が良いと思いますが、それ以外は全面的に賛成です。2、3日様子を見て、問題なければこれに差し替えて良いかと思います。--氷鷺 2010年8月30日 (月) 16:13 (UTC)
  • コメントGiftlistさんの案ですが、二段落目以外の変更については同意です。二段落目について私はちょっと違和感を感じました。「確実にする」と「確認する」では、かなり意味が異なるのでないでしょうか?元のEULEさん案は「編集者は…確実にすべき」で「編集者(自ら)が、記載内容を確実に目的に合わせる」との意味に取っていましたが、Giftlistさん案は「編集者は…必ず確認してください」とあって、「編集者が目的にあっているか(手段問わず)記載内容を必ず確認する」と取れます。意味の取りようによっては、確認すべき「手段」にたとえば「管理者」とか「コミュニティ」とか「文献」とかといった「何か」を想定してしまう編集者が出てこないかな?と思いました。いわばこの案は、「編集者は「この記事のネタばれ部は、目的に合っていますか?」と「管理者」や「コミュニティ」などにいちいち(必ず)お伺いを立てないとネタばれを記載できない」とも取れると思いました。--Tako8 2010年8月31日 (火) 03:52 (UTC)

EULEさんやGiftlistsさんの文案に反対するという意図はないのですが、文案ではなぜ「ウィキペディアの記事には、通常ネタバレがあると予想され」るのかという理由がやや分かりにくいようにも感じました。私案を示します。

ネタバレ」とは、創作物(小説漫画映画テレビゲームなど)の記事において、情報の一部としてストーリープロット)や核心部分を明白に記述する行為、及び記述そのものを指します。ネタバレは、作品をまだ知らない閲覧者にとっては、その面白さを損なってしまう可能性があるものです。

ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も推奨する規定もありません。言い換えれば、ウィキペディアの記事には、通常ネタバレがあると予想されます。「ネタバレである」という理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められず、そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典としての目的に役立っていることを確実にするように努めてください。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)を参照してください)。

インターネット上では、しばしば、その情報にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」を出して、読み手に読むかどうかを選ばせることがあります。ウィキペディア日本語版の一部には、そのように警告を出している記事もあります。しかし、ウィキペディアでは記事にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」をしなければならないというルールはありません。「ネタバレ警告」が無いからといってネタバレが無いとは考えず、常にウィキペディアの記事にはネタバレが含まれているという前提でいてください。

Giftlistsさんが改定した文案の第2段落に、「ネタバレを禁止する規定も推奨する規定も……」という文章を入れ、前後の字句を少し修正し、その上で氷鷺さんとTako8さんの意見を織り込んでみました。Tako8さんが指摘した個所は「確実にするように努めてください」としていますが、もっと強い調子で「確実にしてください」や「確実にすべきです」のような表現にすべきという意見もあるかも知れません。どうでしょうか。--Kanohara 2010年8月31日 (火) 10:19 (UTC)

こんばんは。氷鷺さん指摘の部分は確かに不要だったやも。Tako8さんが気にされている一文が、今回の改訂の肝ではないかと思います。ここの表現を失敗すると、後々変な方向へ祟りそうな気がします。英語版の原文は下記です。
  • When including spoilers, editors should make sure that an encyclopedic purpose is being served.
「should make sure that……」は、所謂アドバイス的な意味合いが濃い表現だと思うのですね。前段のmust系との違いを訳す際には若干配慮する必要があるかと。そういう意味で、私の案で用いた「必ず」という表現は安易だったようにも思います。個人的に「必須」「絶対」「必ず」等の語句は一人歩き系NGワードで、ガイドラインで安易に使用すると当初の思惑を超えて飛躍していきやすい傾向がある気がします。それと「確認」という訳語は、私は「戸締り確認」などで用いる自主確認的な意味合いで使用したのですが、確かに指摘にあるように「他者に確認をとる」という意味でとらえる方もいらっしゃる可能性もありますね。御指摘を踏まえてちょっと変更。
  • また一方で、ネタバレを含める場合は、編集者はその記述が百科事典としての目的に役立っているかどうかを忘れずに点検してください。
この文の前までがネタバレを除去する行為についての注意であり、この文以降がネタバレを加える(残す)行為についての注意書きです。「また」で繋いでもいいのですが、この文から注意の方向が転換することがわかりやすいようにする意味で、「また一方で」のような転換を示す表現を加えたほうが一読で意味がとりやすいかなあと。ここら辺は個人的な文章の趣味です。「確認」は自主的な意味合いを濃くする目的で「点検」に変更してみました。カタカナに抵抗がないのであれば、たぶん「チェック」が現代日本語としては一番しっくりくる気もしますが。encyclopedic purposeのしっくりする訳語は思いつかず。どこかの方針か何かの訳で日本語版の定訳があると楽なのですが。と、とりとめなく書いていますが、他の方の案でも特別反対はしません。(Kanoharaさんが最後に触れている「もっと強い調子」は若干反対ぎみ)--Giftlists 2010年8月31日 (火) 14:08 (UTC)
(追記)おはようございます。Kanoharaさんの追加文案を見て少し考えたのですが。太字の部分の前提解釈として。「ウィキペディアは百科事典である。ゆえに通常ネタバレはある」という考え方と「ウィキペディアではネタバレを禁止も推奨もしていない。ゆえに通常ネタバレはある」という考え方があるのではないかと思いました。私は個人的には前者の意識でいました。--Giftlists 2010年8月31日 (火) 22:21 (UTC)
一段落目に一行加えて、こんな感じではどうでしょうか?

ネタバレは、創作物(小説・漫画・映画・テレビ・ゲームなど)の記事において、情報の一部としてストーリー(プロット)や核心部分を明白にすることです。百科事典では、その作品について解説する際に必要に応じてネタバレが行われます。そのために作品をまだ知らない読者に対しては面白さを台無しにするかもしれません。

--EULE 2010年8月31日 (火) 23:59 (UTC)
コメント Giftlistsさんの解釈を読む限り、「編集者はその記述が……」の部分には「編集者はその記述が本当に百科事典として適切であるかどうかを自問してみてください」のように意訳してもよい気がしますが、より英語版の表現に厳密な方がよいという考えにも頷けます。また太字の部分の前提についてのGiftlistsさんと私の解釈は、要するにまとめると「ウィキペディアは百科事典です。このため、ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も、推奨する規定もありません」ということだと思います。前提として「ウィキペディアが百科事典である」という考えがあるという解釈には賛同します。
EULEさんの案は良いと思います。よりよい形に近づいていると感じます。--Kanohara 2010年9月1日 (水) 16:01 (UTC)
コメント賛成票を投じていたのですが、その後、議論がさらに進んでいるのでまた後ほど改めて票を投じようと思います(その意味での撤回で、反対の意味ではありません)。「編集者はその記述が……」の部分ですが、個人的には「確実」でよい気がします。自問、点検等、訳語は色々考えられますが、まずは英語版の表現に忠実にしておいて、何か問題があれば再度議論するといった感じで問題ないと思います。--F@ST 2010年9月2日 (木) 02:37 (UTC)
コメントF@STさんに同じく、「まずは英語版の表現に忠実にしておいて…」に一票。Giftlistsさんご提案の趣旨は理解しております(当方の疑問に真摯に対応いただきありがとうございます)が、ここからKanoharaさんはじめとした議論は、導入後の検討でも遅くはないかなと思います。氷鷺さんご提案のテンプレートの件も控えていますし。本提案者のEULEさんに一任します。--Tako8 2010年9月2日 (木) 03:12 (UTC)
コメントネタバレを禁止する規定も、推奨する規定もありません 』という箇所が気になります。この文が意図するところは、私も同じ意見なのですが、「推奨ではない」ならば「書かなくても良いじゃないか」というように、(誤って/意図的に、それに続く文を無視して)解釈されないでしょうか(杞憂な気もしますが…)。確かに、「ネタバレかどうか」という観点では特に推奨するものではないでしょうけど、「結末=ネタバレ」「本編内容=ネタバレ」だとすると、それは(基本的には)書くべきことなのではないでしょうか。
それともう一点。 {{ネタバレ}} への言及はどうしましょう? 個人的には、なくても良いと思うのですが、「関連項目」的に最後に入れるのか、それとも本文中の「ネタバレ警告」という語句からリンクを張るのか…。--氷鷺 2010年9月2日 (木) 08:45 (UTC)
コメント その「解釈」まで考慮する必要はないのではないでしょうか。続く文を無視している時点でその「解釈」は正当化されないわけですし。{{ネタバレ}}については「関連項目」あたりでいいと思います。積極的に前に出す必要のあるものではないと思います。--F@ST 2010年9月2日 (木) 14:52 (UTC)
とりあえず、条文の変更などについて提案しているのは、Giftlists氏とKanohara氏なので、2人が「とりあえず反映した後で変更点について検討を続けるという形でも構わない」というのであれば、そういう形で進めたいと思います。「いや、懸念している点が解決できないと反映するのは認められない」というなら、まあ、合意形成されてないので今すぐの反映は難しいですね。--EULE 2010年9月3日 (金) 00:44 (UTC)
こんばんは。2010年8月30日 (月) 12:54 (UTC)、2010年8月31日 (火) 14:08 (UTC)でも書いているとおり、私は原案及び他の方の案でも反対しません。私は今週辺りは暇なのでほぼ日参できますが、それを過ぎるとまた不定期になってしまいますので継続的に議論に参加できるかも微妙ですので、私のことは気になさらず進めてください。それと遅ればせですが、EULEさん、英語版の翻訳ありがとうございました。--Giftlists 2010年9月3日 (金) 12:42 (UTC)
コメント 個人的には、ルールの悪用を防ぐためには、ルールに含まれている精神を明示することが有効だと考えていますが、あまりに詰め込もうとして指示の肥大化になるのも避けたいところではあります。とりあえず私自身は自案を推しつつも、原案や他の案でも反対はしていない、という立場を表明しておきます。--Kanohara 2010年9月5日 (日) 17:11 (UTC)

では、あと1日待って、特に異論が無ければ、2010年8月22日 (日) 00:37 (UTC)での案をとりあえず反映します。文の追加・変更といった修正案は継続して行うこととします。--EULE 2010年9月6日 (月) 00:37 (UTC)

(報告)2010年8月22日 (日) 00:37 (UTC)の案で、本文を改訂しました。変更・追加の修正案を引き続きお願いします。--EULE 2010年9月7日 (火) 00:10 (UTC)

変更・追加などの修正案[編集]

  • 2010年9月29日 (水) 12:46 (UTC)、合意点を本文に反映した内容のセルを緑色に変更。*5番は作業中?はもともと原文からの削除が意向でしたので反映済み。 --Tako8 2010年9月30日 (木) 15:34 (UTC) --Tako8 2010年10月2日 (土) 12:54 (UTC)変更
No. EULEさんの案
(8/22)(現在の本文)
EULEさんの追加案
(8/31)
Giftlistsさんの案
(8/30)
Giftlistsさんの一部調整案
(8/31)
Kanoharaさんの案
(8/31)
1 ウィキペディア日本語版における (8/31 削除)
(9/14 表に追記)
2 ネタバレ、創作物(小説・漫画・映画・テレビ・ゲームなど)の記事において、情報の一部としてストーリー(プロット)や核心部分を明白にすることです ネタバレ」とは、創作物(小説・漫画・映画・テレビ・ゲームなど)の記事において、情報の一部としてストーリー(プロット)や核心部分を明白に記述する行為、及び記述そのものを指します
3 百科事典では、その作品について解説する際に必要に応じてネタバレが行われます。
4 そのために作品をまだ知らない読者に対しては面白さを台無しにするかもしれません。 ネタバレは、作品をまだ知らない閲覧者にとっては、その面白さを損なってしまう可能性があるものです。
5 ただし、簡単に入手可能な程度の情報(本の帯や広告に書いてあるものなど)は、普通ネタバレとは見なされません。 (原文より削除を提案)
(10/2追記)
6 ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も推奨する規定もありません。言い換えれば、
7 ウィキペディアの記事ネタバレがあると一般に予想されます。ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典目的に合うことを確実にすべきです。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)を参照してください)。 ウィキペディアの記事には、通常ネタバレがあると予想されます。ネタバレである」という理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典としての目的に役立っているかどうかを必ず確認してください。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)を参照してください)。 (前略)また一方で、ネタバレを含める場合は、編集者はその記述が百科事典としての目的に役立っているかどうかを忘れずに点検してください。 (後略)
(9/14 微修正)
ウィキペディアの記事には、通常ネタバレがあると予想されます。ネタバレである」という理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められず、そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。また、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典としての目的に役立っていることを確実にするように努めてください。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)を参照してください)。
8

インターネット上では、しばしば、その情報にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」を出して読み手に読むかどうかを選ばせることがあります。ウィキペディア日本語版の一部には、そのように警告を出している記事もあります。しかし、ウィキペディアでは記事にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」をしなければならないというルールはありません。「ネタバレ警告」が無いからといってネタバレが無いとは考えず、常にウィキペディアの記事ネタバレがされているという前提でいてください。

インターネット上では、しばしば、その情報にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」を出して読み手に読むかどうかを選ばせることがあります。ウィキペディア日本語版の一部には、そのように警告を出している記事もあります。しかし、ウィキペディアでは記事にネタバレが含まれる場合に「ネタバレ警告」をしなければならないというルールはありません。「ネタバレ警告」が無いからといってネタバレが無いとは考えず、常にウィキペディアの記事にはネタバレが含まれているという前提でいてください。

とりあえず上で出ていた案を比較してみました。本文全体の案がいくつも出てくると比較しづらいので、今後は訂正箇所のみか、あるいは草案を次々と上書きする形で進めた方が良いのではないでしょうか。

個人的には、Giftlistsさんの案から冒頭の『ウィキペディア日本語版における』だけ削ったものを支持します。--氷鷺 2010年9月7日 (火) 03:24 (UTC)

わざわざ見やすいよう整理してくださってありがとうございます。私の方からは、どう転んでも(あまり蛇足的でなければ)構わないです。追加文案(私案)の方もありますが、(出しておいて難ですが)特に必要も無いでしょう。あと、「普通ネタバレとは見なされません」に関してはそれなりに目的はあるのですが、後日{{テンプレ}}に関する提議を予定しているので、その中で述べたいと思います。本議論において除去されても構いません。--EULE 2010年9月7日 (火) 04:18 (UTC)
失礼しました。最初は入れるつもりだったのですが、作業中に忘れてしまっていました。--氷鷺 2010年9月7日 (火) 12:30 (UTC)
非常に比較しやすいです。整理ありがとうございます。もし修正するとすれば、現時点ではKanoharaさんの案を支持します。理由としては、前述のように「確認」よりも「確実」のほうが適切であるように思えることと、「ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も推奨する規定もありません」という一文がない場合、ネタバレが推奨されていると誤認しやすくなると考えるからです。--F@ST 2010年9月7日 (火) 05:13 (UTC)
コメント 分かりやすくて良いですね。とりあえず私は多少冗長であっても、「ウィキペディアにはネタバレを禁止する規定も推奨する規定もありません」という一文が入っている自案に自信を持っていますが、更にその前に2010年9月1日 (水) 16:01 (UTC) の発言で挙げた「ウィキペディアは百科事典です。このため……」という一文を持ってくるのが良いとも考えています。また、EULEさんの追加案(8/31)の文面も優れていると感じています。--Kanohara 2010年9月7日 (火) 13:36 (UTC)
  • Giftlistsさんが8月31日 (火) 14:08 (UTC)に表現を調整した内容を、表に追加しました。議論の進め方は氷鷺さんのご提案に賛成です。--Tako8 2010年9月8日 (水) 00:27 (UTC)
コメント 修正案については、Kanoharaさんの案(Giftlistsさん意図の「翻訳調を少しやわらかくしてみた」意向も汲んでいる)、EULEさんの追加案(8/31)(表現は翻訳調残るが、追加文はKanoharaさんの意向も汲んでいる?)を推します。--Tako8 2010年9月8日 (水) 00:27 (UTC)
(8/31追加案について)文体についてはあまりこだわりは無いので、一字一句同じ物にしろ、ということはありません。それで、あくまでこの追加文は、明示的に禁止や推奨まで言及するのは蛇足的かなと思い代価案として示した物であり、それ(禁止や推奨への言及)が了承されるのであれば、逆に私の追加文が蛇足的になるので特に必要性は無いと考えます(というのが前回の発言の背景でもあります)。--EULE 2010年9月8日 (水) 05:30 (UTC)

再度、整理してみました。7番以外は、現在の本文に手を加えるか否かの二択で、7番のみ4つの案が出ています。私は 2・3・4・5・8 の改訂に賛成で、1・6 には反対、7 については第3列(Giftlistsさんの8/30の案)を支持します。--氷鷺 2010年9月13日 (月) 12:05 (UTC)


氷鷺さんがさらにおまとめ頂いたことで(ありがとうございます)、各位の意見の合意点・対立点が見えたように思えます。以下があげられましょうか?(間違いありましたらご指摘ください)
合意点としては
  • 1番は、氷鷺さんのご指摘受け、2010年8月31日 (火) 23:59 (UTC)に「不要だったかもと」表明されております。8/31案の表に追記しておきます。

  *誤りご指摘により修正。Tako8 2010年9月14日 (火) 13:58 (UTC)


緩やかな合意点としては
  • 7番の前段、「ネタばれがある」についての部分は、細かい表現の差であり、意見調整すれば合意できるのではと思います。


緩やかな対立点としては
 *誤りご指摘、およびF@STさんご表明により修正。Tako8 2010年9月14日 (火) 13:58 (UTC)
  • 3番(EULEさん案)は、Kanoharaさんの6番案を受け(6番が蛇足的だから)EULEさんが代案を考案。氷鷺さん、F@STさんは賛同を表明されています。
ただしEULEさんは、6番が受け入れられるなら(3番が蛇足になるので)3番に強いこだわりは無いとの表明がありました。
EULEさんご自身からは、他の節で触れてあればなくてもかまわない旨2010年9月7日 (火) 04:18 (UTC) に表明されております。
  • 6番(Kanoharaさん案)は、Kanoharaさんご本人から、またF@STさんからも本案を強く推す声があります。氷鷺さんは6番に反対をご表明です(3番に賛同されているため)。
ただしKanoharaさんご本人より「EULEさんの追加案(8/31)の文面も優れていると感じています。(すなわち3番)」との表明が、2010年9月7日 (火) 13:36 (UTC)にありました。


対立点としては
氷鷺さんがご指摘の「7番のみ4つの案が出ています。」について、
7番の中段、「…目的に…」以降の記載「確実にする」か「確認する」か「忘れず点検する」が、対立点となっているようです。
  • 氷鷺さんが推されるGiftlistsさんの8/30案は、Giftlistsさんご自身が、私の指摘を受けて8/31案「忘れず点検する」に変更されております。
  • Kanoharaさんの案も指摘に沿った内容で記載されています。
  • F@STさんも2010年9月7日 (火) 05:13 (UTC) に「「確認」よりも「確実」のほうが適切であるように思える」と表明されております。


7の「…目的に…」以降の記載について意向をまとめますと(敬称略)
*2010年9月15日 (水) 12:01 (UTC)に氷鷺さんよりご表明有りました。
a案.「確実にする」 EULE (原文)、Kanohara、F@ST(Kanohara案を支持)、Tako8
*原文の意訳。
賛成理由:(上がっている意見を集約すると)原文の意訳を尊重する。「確実」が適切である。
反対理由:(2010年8月30日 (月) 16:13 (UTC) 以降、理由についての言及が見当たりませんでした)
b案.「確認する」 Giftlists (8/31にc案へ変更)、 氷鷺 
*a案 「確実にする」の表現を中高生向けにやわらかくした案1。
賛成理由:(2010年8月30日 (月) 16:13 (UTC) 以降、理由についての言及が見当たりませんでした)
反対理由:「他者に(必ず)確認をとる」という意味でとらえる方の可能性を否定できないため。
c案.「忘れず点検する」:Giftlists (8/31変更)、Tako8、
*a案 「確実にする」の表現を中高生向けにやわらかくした案2(修正案)。


Wikipedia:投票は議論の代用とはならないの精神を尊重すれば、多数派の意向をもってこれをコミュニティの結論とは出来ないとおもいます。
ぜひ氷鷺さんから、「なぜ「b案「確認する」が良いのか?」の理由をご表明いただいて、多数派が見逃しているかもしれない「b案の良さ」をお聞かせいただければ幸いです。ご意見を伺うことで本議論は進み、コミュニティの結論が得られるのではないでしょうか?(当方氷鷺さんとの意見対立者となるようです。出来ましたら本投稿以降は、当方以外の方に進行いただくとよいかと思います。)--Tako8 2010年9月14日 (火) 04:42 (UTC)
氷鷺さんからのコメント待ちのところすみません。私用により1週間程Wikipediaを確認できなくなるので、今のうちに私の立場を示しておきます。
1については現時点では賛成も反対もしません。2・3・4・5・6・8については賛成。特に6については前述の理由により少々強く賛成します。7については「確実」を支持、どちらかといえばKanoharaさんの案を支持します。あと、6についてはKanoharaさんの案であり、EULEさんが2010年9月7日 (火) 04:18 (UTC) に表明されたものとは違うのではないでしょうか。--F@ST 2010年9月14日 (火) 05:37 (UTC)
Tako8氏のまとめに関してですが、(既にF@ST氏も指摘されていますが)私の意見は、(少なくとも私は)6番が蛇足的だから代案として3番を考えた。しかし、6番が認められるというなら、逆に3番が蛇足的になるから(3番は)いらない、という意見です。だから提案者として、別に3番に強いこだわりは無いってのが主旨です。--EULE 2010年9月14日 (火) 09:34 (UTC)
F@STさん、EULEさん、ご指摘ありがとうございます。Kanoharaさんの発言を取り違えたようで、大変失礼いたしました。各部ご指摘を受け修正いたしました。--Tako8 2010年9月14日 (火) 13:58 (UTC)
*2010年9月15日 (水) 12:01 (UTC)に氷鷺さんよりご表明有りました。

それぞれに番号を振ったのは、議論のしやすさというのもありますが、それによって7番以外の比較的合意が容易なところを先に決めてはどうだろうか、という意図がありました。2・3・4・5・8について、F@STさんと私は賛成を表明していますが、これらについて他の皆さんは如何でしょうか? あと、7番については現在の『確実にすべきです』に特に反対するわけではありません、ただし7番の冒頭(認められません。まで)は、第3列のものを推します。--氷鷺 2010年9月15日 (水) 12:01 (UTC)

氷鷺さん、ご回答ありがとうございます。上記の「7の「…目的に…」以降の記載について意向」については緩やかな合意が取れたようですね。また先に7以外の合意とりやすいところから進めるも了解です。
さて、氷鷺さんご提案のまとめ方で私の意見を表明しますと以下となります。
Tako8:2・3・4・5・6・8 に賛成、1は不要、7は4列目(いい方は違いますが結局氷鷺さんの意向に近いです)か5列目を推します。
さて、これで立案者のEULEさん、Kanoharaさん、Giftlistsさんらの案としての表明も合わせれば、ここ最近の議論参加者の意向は出たように思いますが、番号を生かして、マトリクス表にまとめて見ますか?こんな感じです。(下記はまとめの途中です。少々見づらいかもです。(項目含め、間違いありましたら直していただいてもかまいません。)*ちょっと修正。--Tako8 2010年9月16日 (木) 13:40 (UTC)

議論参加者賛否マトリクス表(敬称略)*修正。--Tako8 2010年9月16日 (木) 13:40 (UTC)

参加者 賛成 反対 保留 7番の対応
氷鷺 2・3・4・5・8 1・6 - 第3列(Giftlistsさんの8/30の案)を支持。
「確実にすべきです」に反対せず。
冒頭(認められません。まで)は、第3列のものを推す。
F@ST 2・3・4・5・6・8
特に6については前述の理由により少々強く賛成。
- 1については現時点では賛成も反対せず。 「確実」を支持、どちらかといえば5列目を支持。
Tako8 2・3・4・5・6・8 1 - 4列目か5列目を支持

議論参加者賛否マトリクス表(提案者版)(敬称略)*追加。--Tako8 2010年9月16日 (木) 13:40 (UTC)

  • 表から読みとり、表明があればそれを追記しています。
参加者 賛成 反対 保留 Kanoharaさんの提案に対して
EULE(提案者) 2・(3)・4・5・7・8 - - 6番の提案の対案として3番を提案。6番が支持されるなら3番はこだわらない。 
参加者 賛成 反対 保留 7番の対応
Giftlists(提案者) (1)・2・4・7・8 1は不要だったかも? - 3列目から4列目に変更。
Kanohara(提案者) 2・4・6・7・8 - - 5列目を提案。
という感じでまとめてはどうでしょうか?--Tako8 2010年9月16日 (木) 08:35 (UTC)
  • Giftlistsさんは今週から不規則参加、F@STさんは1WほどWikiブレイクとのことでしたね。新たな参加者は大歓迎ではありましょう。--Tako8 2010年9月16日 (木) 13:40 (UTC) *ちょっと追加。--Tako8 2010年9月16日 (木) 13:40 (UTC)
(コメント)とりあえず、1は不必要ってことでいいんじゃないでしょうか。ネックは6番(それに伴う3番)と、7番の「確認する」の箇所であり、ここからは、論点を絞った方が良いと思います(7番の序文も、食い違いがありますが、そう労すような箇所でも無いでしょう)。--EULE 2010年9月17日 (金) 09:46 (UTC)
コメントこんばんは。7番については個人的な印象なのですが、「確実にする」ですと「記事」にかかっているようなイメージがあって、「確認する」「点検する」は「編集者」にかかっているようなイメージがあるのですね。「確実にする」の場合だと、その部分を消したい方に「○○の描写が確実に記事に必要だと証明してください」と言われた際にわりと証明が難しいと思うところがあって、そこでもめたりしないかなという心配があります。(台詞の引用等でよく「○○という台詞は、この人物の特徴を表すために必須とはいえない。なぜなら××という台詞でも代用がきくからだ。ゆえに引用の必然性を満たさない」という主張で著作権侵害として削除依頼に出され本当に削除されてしまっているのを見たりします。あれと同種の展開がされないかなあという心配です)。逆に「確認する」「点検する」の場合は、稚拙で無意味なネタバレを書いて「ちゃんと確認(点検)しましたから」と居直られると、これもまた難しい。不安の方向によってどちらも一長一短の面があると思いますので、そういった事例でもめてから考えればいいかなとも。つまり現状のままでも特別反対しません。6番(それに伴う3番)には特に強い意見はありません。これも成り行きまかせで、もめる事例があってから考えてもいいかなとも。うーん、優柔不断ですみません。私の意見は特に気にせず進めてください。--Giftlists 2010年9月22日 (水) 14:01 (UTC)
まあ、どの文案を選んだとしても、論旨や運営に違いは無いはずなんですけどね。日本語版は教条主義的というか、文の1字1句で面倒が起こるのが日常茶飯事なので慎重になるのはわからないでも無いのですが。--EULE 2010年9月22日 (水) 15:31 (UTC)

6については、「ネタバレゆえに」それを禁止・推奨する規定はないというのが正確だろうと思います。というのも、上でも述べましたが「重大なネタバレであれば、それは書く必要がある」と考えるためです。6そのままの文には賛成できませんが、そのような文を入れるのであれば、少し回りくどくなりますが『ウィキペディアには、「ネタバレである」という観点からそれを禁止する規定も推奨する規定もありません。』といったものでしょうか。なお、6を入れるとしても、3も入れて良いかと思います(どちらか一方、とは思いません)。
7については、「確認(点検)する」「確実にするように努める」では、その利用者の行為に視点がいっており、実際の記事の内容に関わらず「確認(点検)した」「努力した」という言い訳が成立してしまうため、ガイドラインとしては不適切な文章であると考えます。--氷鷺 2010年9月22日 (水) 16:08 (UTC)

特に反対がない 2・3・4・5・8 について、異論がなければ3日後に反映させたいと思います。--氷鷺 2010年9月22日 (水) 16:10 (UTC)

「重大」という言葉の意味するところが広いので何とも言い難いのですが、それはネタバレに限った話ではないように思います。「重大なネタバレだから」ではなく「重大だから」、「書く必要がある」のではないでしょうか。Kanoharaさんの意見を聞かなければわかりませんが、私は6については単に『「ネタバレを書かなければならない」という規定も「ネタバレを書いてはいけない」という規定もありません』という意味の文言だと思っているんですが、どうなのでしょうか。--F@ST 2010年9月23日 (木) 14:35 (UTC)
私は、ここで扱っているのは「些細なネタバレ」ではなく「重大なネタバレ」なのだと解釈しているのですが、そういう観点からすると「ネタバレは禁止も推奨もしない」というのは、どうでしょうか? 「ネタバレだから」ではなく「重大な情報だから」というのは、まさしくここで扱っているもののように思うのです。
ただ、私以外に 6 に反対の方がいらっしゃらないのであれば、私一人の反対で議論が長引くことは望みませんので、反対を取り下げ改訂したいと思います。--氷鷺 2010年9月29日 (水) 12:46 (UTC)

なんか話を複雑化して停滞させたみたいなので、ネタバレの定義の話はとりあえず分離し、置いておきます。で、現在はKanohara氏の意見を待つという状態からで--EULE 2010年9月29日 (水) 06:03 (UTC)

報告 上記 2・3・4・5・8 の改訂を行いました。--氷鷺 2010年9月29日 (水) 12:46 (UTC)

  • 報告作業を上記「変更・追加などの修正案」に、反映部の番号と列のセルを緑色に変更しておきました。5番は本文への反映がされていませんが、とりあえず作業中と解釈しておきます。--Tako8 2010年9月30日 (木) 15:34 (UTC)
    • 5番の改訂(『ただし、簡単に入手可能な…』の除去)は反映済みですが…? --氷鷺 2010年10月1日 (金) 15:24 (UTC)
      • 履歴確認しました。失礼しました、そもそもGiftlistsさんのご提案は、この5番の文言の削除だった、ということで、「議論参加者賛否マトリクス表(提案者版)」作成のときは理解していたのに、なぜか更新変更の段になって、勘違いしてしまったようです。氷鷺さんの変更作業について、色の変更を追加しておきました。*当方はこの件を論点とはしません。EULEさんは、氷鷺さんの改定に異を唱えてはいませんから、問題はないのでしょうか。別途、なにやら重大なご提言が控えているようですね。--Tako8 2010年10月2日 (土) 12:54 (UTC)
最初に「本議論において除去されても構いません。」と宣言した通りです。あとはまあ重大な提言というか、{{ネタバレ}}に関しては今までも大きな論争を起こしてきたので慎重に事を進めたく。文面変更の脇で、{{ネタバレ}}の廃止か、一度全撤去を迫るような議論始めたら収拾つかなくなるでしょ。もったいぶってるわけではないです。--EULE 2010年10月2日 (土) 13:29 (UTC)

ネタバレの定義[編集]

唐突ですが、ちょっと皆さんにお聞きしますが、ネタバレってどこまでがネタバレだと思っていますか?個人の考えや、一般常識でいう範囲などを踏まえて、どう思っていますか?
6番を支持している人は、このガイドラインが悪用されて過度にネタバレがされることを警戒しているのだと思います。実際に、どうでも良いことを「ネタバレ」として、「特筆性は担保されている!」と主張する人が現れる蓋然性は高いと思います。少し前だと、プリキュアの劇場版だかでそのようなことがあったように記憶してます。でも、そもそも特筆性の無いネタバレなんて存在しないんですよ。そもそもネタバレとは特筆性のある物だから。
英語の「spoiler(Spoil)」というのは原義で「台無し」という意味であり、つまり、それを明かすことで台無しになるような物を指します。すなわち、ストーリーラインに触れたり、作品の核心部分に触れることであって、どうでも良い(特筆性の無い)バックグラウンド・設定を明かすことは台無し(Spoil、すなわちネタバレ)にはならない。ルークとレイアが兄妹ということは「ネタバレ」だが、アンパンマンの中身がつぶあんであることは普通ネタバレとは呼ばない。
「ただし、簡単に入手可能な程度の情報(本の帯や広告に書いてあるものなど)は、普通ネタバレとは見なされません。」もそうなんですが、どうもネタバレというのが拡大解釈される傾向にあるように思います。単に中身に触れたら、即それはネタバレだ、みたいな。
私はネタバレとは「台無し」になる情報を指すと思ってます(それは普通、特筆性がある。逆に言えば特筆性があるからこそ台無しになる)。しかし、一般に認知されている「ネタバレ」がもっと広い範囲、単に中身に触れた情報を指すのであれば、それは英語の「spoiler」とは言語的に差異があるということであり、当然、ガイドラインもそれを補う必要があると考えます。そして、その辺を埋めることができれば、(さして有用ではない情報を)ネタバレという理由で「特筆性がある!」と主張する人に対する抑制になるんじゃないかと考えます。--EULE 2010年9月23日 (木) 15:58 (UTC)
コメント
  • 「ネタバレ」の解釈について。EULEさんの、後半部のご指摘は、日本語でいう「ネタバレ」とは、英語で説明される「台無しにする」という意味、すなわち日本語で言う「重大なネタばれ」と、「どうでも良い(特筆性の無い)バックグラウンド・設定」すなわち「些細なネタばれ」または「トリビア(ウンチク)広い意味を含んでいる、という考え方が一般な認識である、ということでしょうか?その考え方は同意できます。「トリビア(ウンチク)」に対する抑制について、既に7番後半「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。」で触れているように感じますが、より明確な言葉で埋めることは、日本語「ネタバレ」の持つ解釈のブレを排除して、利用者にガイドラインを示せると思います。Wikipedia‐ノート:ネタバレ#「情報を無差別に収集する場所ではありません」に関してで一度ご説明いただいてはいたかと思いますが、参加者全体への再掲を頂きまして、ありがとうございます。
  • 氷鷺さんへ 「2・3・4・5・8 の反映」については賛成を表明します。また「努める」の表現はないほうがよいという点も、ご説明に合意できますよ。--Tako8 2010年9月24日 (金) 04:59 (UTC)
そうですね、前にもそこで述べてますが、私の考えとしては「あっても無くても良い些細な情報というのは、そもそもネタバレの範疇に無い」と考えてます。だから、わざわざその辺りに言及する必要は無いと(むしろ言及すると必要以上に規定することになりかねないと)考えてました。しかし、そもそも用語に曖昧な部分や差異があるなら、規定する(カバーする)必要があると思います。ネタバレとは単に作中のことに触れることじゃなくて、その中でも核心部分とかに触れることを言うんだよというような感じで。
改めて言いますが、私はネタバレというのはそもそも重大な物(核心部分)を指していると思ってます(個人の考えではなく、正しい意味として)。単純に中身に触れることをネタバレだというのは、間違った用法であると思ってます。しかし、正しい用法と、一般の用法に差があることはザラなので、もし単純に中身に触れることをネタバレだという用法が、「役不足」や「確信犯 」のように広く使われているなら、「ウィキペディアにおけるネタバレとは何か」と、補足する(規定する)べきでしょう。現に「簡単に入手可能な程度の情報(本の帯や広告に書いてあるものなど)」をネタバレだと思っている人もいるわけですから。--EULE 2010年9月24日 (金) 05:38 (UTC)
  • 私としては、ウィキペディアでは「ネタバレであろうがなかろうが関係ありません」が基本だと思っています。例えば、英語版の要約は"Spoilers are no different from any other content"のように言っています。「ネタバレであれば○○しなければ(しては)ならない」というルールであれば、何がネタバレになるかを議論しなければいけないのでしょうが、どうせどちらでも扱いに違いがないのなら、「定義」を議論する意味はないのではないでしょうか?--Dwy 2010年10月2日 (土) 04:27 (UTC)
『端的に言えば「ネタバレ」ということのみにおいて、これを良くも悪くも特別視しないってことなんですね。ネタバレという理由で除去されないように、ネタバレという理由で記述することが全面的に肯定されてもいけない。』と、既に私自身で言っているように、主旨は私もそう思ってます。で、先述したように、本来定義する必要も無いと思ってます。そもそも、定義も何も(標準名前空間の)ネタバレが、即ち定義だから、わざわざここで定義する必要は無いでしょう。本来は。
その辺りは認識した上で、ここにいる人たちは「ネタバレ」の範囲をどう考えているのか知りたいってのが主旨で、やはりその認識に差異があれば一部条文の必要・不必要にも差異が生じると考えてます。とはいえ、もう文章変更議論は詰めなので全く意味のないことをしてしまったと今は後悔しています。
ただ、この辺りが曖昧なせいで1つ重大な問題({{ネタバレ}}に関して)が発生しているので、9月7日での予告通りに、もう少ししたら、述べたいと思います。--EULE 2010年10月2日 (土) 05:14 (UTC)

まとめ[編集]

2010年9月29日をもって氷鷺氏がここでの議論を踏まえた編集を行い、これに異論が見られないようなので合意形成に達したとみなし、今回の文面改定の議論は終了したとみなします。お疲れ様でした。--EULE 2010年10月18日 (月) 08:13 (UTC)

  • EULEさん、まとめお疲れさまでした。当方足を引っ張った感じになってすいませんでした。下記新節については議論見守りたいと思います。--Tako8 2010年10月18日 (月) 15:19 (UTC)

過去ログ化の提案[編集]

ノートも長くなってきました。英語版からの改訂等に絡む次の節「2 無断改変?(人類→人間)を元に戻しました。」「3 誤読しやすい箇所を、文脈に沿って明確化しました。」「4 強制、見せつけ、について」「6 現行英語版訳」「7 変更・追加などの修正案」について、まとめも終わり一区切りついたかと思いますので過去ログ化を提案しておきます。特に反対等がなければ、来週末にでも上記の節(及びこの節)を過去ログとして別ページに移します。--Giftlists 2010年11月20日 (土) 01:14 (UTC)

過去ログ5として、過去ログ化しました。なお要約欄をミスしたので一回消してやりなおしました(分割元のほうも要約欄をミスっていますが、あちらはライセンスに関係しないのでミスのまま残します)。--Giftlists 2010年11月27日 (土) 07:08 (UTC)