ノート:アクロイド殺し/過去ログ2

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「記述者=犯人」を冒頭に書かないほうがいい理由

整理します。

1・このミステリーは、冒頭で犯人が明記されるミステリーではない。

2・このミステリーを紹介しているテキストで、テキストの冒頭で犯人を明記しているテキスト(ネット内外の百科事典を含む)は確認できない。

3・「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」の記述、「導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。第1文で主題を定義し、続いて別名や間違いやすい事柄に触れ、前後関係や注目に値する理由を説明し、そして最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます」を、Awanikoさんは「必然的に論理的に」と誤読している(可能性が高い)。

4・「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#疑問に思ったときは」には「記事に何が含まれるべきで何が含まれるべきでないか疑問に思ったときは、読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください」と書いてある。


それらに対する反論・反証としては、1・冒頭で犯人が明記されていないにもかかわらず、明記されているミステリー関係のテキストおよびネット内外の百科事典、2・「推奨」が「必然的・論理的」と明確に関連づけられるテキスト、3・ネット内外の百科事典を「記事に何が含まれるべきで何が含まれるべきでないか」の判断基準にすべきではない理由。

以上につきまして反証(証拠となるべきもの)つきの反論をお願いします。--砂手紙会話2016年10月9日 (日) 13:35 (UTC)

時間がありませんので、とりあえず、3.4.についての反論のみ記します。

Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の記事名の直後の囲み記事を読んで下さい。「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、方針ではありません。」とあります。ウィキペディアのほとんどのガイドライン・マニュアル類に同じ文言があります。ですから、「推奨」だから守らなくて良いということはなりますまい。ガイドライン上の「推奨」とは、基本的に編集者が守るべきことと解釈する以外にないでしょう。

次に、4.のこと。「考えてみてください」程度の文言をなぜ重視するのですか? 「推奨」を軽視している態度と違いすぎます。あまりにも牽強付会でしょう。 --Awaniko会話2016年10月10日 (月) 15:17 (UTC)

Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の冒頭では「導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです」とあり、「あるべき」と「推奨する」とは使い分けられていますね。ガイドライン上の「推奨」とはしたがって、「守るべきこと」という解釈は間違っています。「守ることが望ましいこと」=「別のルールがある場合は軽視することも可能である」です。
「考えてみてください」という文言は、言葉通り「考えろ」という重視すべき意味でしょう。「何を期待するであろうかを考えてみることを推奨します」ではありません。--砂手紙会話2016年10月10日 (月) 16:13 (UTC)


should の解釈については、下記の項に記したとおりです。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の英文の該当箇所でも、shouldのみを使っており、「あるべき」と「推奨」が使い分けてはありません。「べきである」という記述に統一した方がいいですね。ただ、全てのガイドラインで統一するのは分量上、簡単にはいかないのでしょうから、前の記述では、囲み記事中の「推奨」の文言のまま、記しました。「ガイドライン上の「推奨」とは、基本的に編集者が守るべきことと解釈する以外にない」というのは、そういう意味です。--Awaniko会話2016年10月13日 (木) 14:16 (UTC)


>1・このミステリーは、冒頭で犯人が明記されるミステリーではない。

このことは、理由には全くなりえません。ミステリーのどこに犯人が明記されているかは、ウィキペディアの記述のスタイル(導入部に重要なことを記述すること)とは何の関係もありません。--Awaniko会話2016年10月13日 (木) 14:19 (UTC)


本節の討議は、「#今後の導入部の編集について」の節に移行しました。--エヴァンズの秘書会話2016年10月29日 (土) 17:08 (UTC)

ウィキペディアの「推奨」(should)の解釈について

いや、考えると実に不思議なことです。ウィキペディアに関してこれほどの編集経験と知識をお持ちのAwanikoさんが、推奨、という語に関して間違っているとしか思えない解釈をしていたとは。英文版ウィキペディアではその部分はshouldという語が使われ、それは弱い強制力を持つ言葉として「べきである」と翻訳されることが多いのですが、must や ought to(こんな言葉は現代英語ではあまり見ないんですけど)と異なり、「であることが望ましい(推奨する)」という語に、だいたいは相当します。--砂手紙会話2016年10月11日 (火) 08:02 (UTC)


shouldをどう訳すかは、文脈によります(この曖昧さがあるので、法令や契約書では、shall が使われます)。しかしウィキペディアのガイドラインは規範性・拘束性を持つものですから、「べきである」と訳すべきです。実際、Wikipedia is not a manual, guidebook, textbook, or scientific journal と、その翻訳となっているウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありませんを比較すると、約15箇所あるshould が全て「するべき」、「してはなりません」などと訳されています。「望ましい」や「推奨する」というものではありません。 --Awaniko会話2016年10月13日 (木) 13:58 (UTC)


ちょっと待ってくださいよ、賢明なるAwanikoさん、ウィキペディアのガイドラインが「規範性・拘束性を持つもの」というのは、どこに明記されているのでしょうか。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけにおいてガイドラインは「編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません」(Editors should attempt to follow guidelines, though they are best treated with common sense, and occasional exceptions may apply.)という記述以上のものが見つかりませんでした。なお、ここでもshouldは「推奨」と訳されていますね。ああ、公平のために、その節の多くは「べき」と訳されているということは言及しておかなければいけません。「「べきである」と翻訳されることが多い」という部分では合意形成はできていますね。しかし、実に不思議なのは、Wikipedia:方針とガイドラインでは「この文書はウィキペディア日本語版の方針です。多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」と冒頭に書かれ、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)では「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、方針ではありません」と書かれています。さらに、「通常は方針を優先します」とあります。従ってあなたは「ガイドライン」ではなく「方針」として何か、確実にWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#疑問に思ったときはに「記事に何が含まれるべきで何が含まれるべきでないか疑問に思ったときは、読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください」という方針を否定するものを提示すべき、ではないな、それではあまりにも失礼だ、提示されることを推奨します。それから、最後にひとつだけ、Wikipedia:ネタバレは「ガイドライン」です。--砂手紙会話2016年10月13日 (木) 17:29 (UTC)
ガイドラインという以上、規範性と拘束性を持つことは当然です。「方針」も同じです。このことがどこかに書いてあるかどうかということではなく、方針やガイドラインの精神をくみ取りましょう。文言のみにこだわるのは、法令解釈で言ういわゆる「百姓読み」になってしまいますよ。--Awaniko会話2016年10月14日 (金) 16:15 (UTC)
いやいや、ガイドラインが持つのは「常識に基づく判断」(非規範性)と「例外を適用する緩やかさ」(非拘束性)ですよ。「方針」はそれとはことなっています。百姓読みでも何でもかまわないんですが、文言読のみにこだわらないのはそうすると「公家読み」ですかね。--砂手紙会話2016年10月14日 (金) 16:37 (UTC)
確かに、ガイドラインは「常識に基づく判断」や「例外を適用する緩やかさ」を許容しています。しかし、個々の編集者が、自分だけの「常識」で判断して例外を適用してよいわけではありません。
Wikipedia:ネタバレは、百科事典にはネタバレがあって当然」という「コミュニティの常識」に基づくものです。例外措置の根拠になるような、別の「常識」が存在するというのなら、その「常識」をコミュニティとして確認する必要があるでしょう。--Dwy会話2016年10月14日 (金) 23:47 (UTC)
別にネタバレの否定はしていないのですが、少し言葉不足でしたでしょうか。「百科事典にはネタバレがあって当然」という部分での合意形成はすでにできているのですが、「この小説の紹介で冒頭でネタバレをしている百科事典は、ネット内外で確認できないので不自然(不適切)」というのが、自分の、非常に要約した形での判断です。--砂手紙会話2016年10月15日 (土) 09:53 (UTC)
冒頭であろうが、他のどの箇所であろうが、ネタバレだという理由で記述を除去すべきではないというのが、コミュニティの合意事項です。「ネタバレ」に絡めた話にしてしまうと、どうやっても、ネタバレという理由では除去しないという結論しか出てきません。こちらの議論では、「ネタバレ」というキーワードを使わずに議論されることをお勧めします。--Dwy会話2016年10月15日 (土) 13:30 (UTC)
なかなか難しいですね。では「冒頭における真相・真犯人の明示」というキーワードではいかがでしょうか。ところでひとつだけお伺いしたいのですが、どの百科事典にも採用されていない方法で記述する(冒頭における真相・真犯人の明示)、という「ガイドライン」あるいは「コミュニティの合意事項」が存在するとして(そのようなことはいくらなんでもないでしょうけど)、それが「読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください」というウィキペディアの「方針」より上位にくる、と、もしDwyさんがお考えのようでしたら(いやまさかそのようなことはないでしょうが)、そのコミュニティの合意は非中立的すぎるように私には、あくまでも私には、ですが、思えるのです。あえてさらに強い言い方をあえてすれば、そのコミュニティは、もし存在するとしたら、ウィキペディアの方針に対して否定的なコミュニティではないでしょうか。 --砂手紙会話2016年10月15日 (土) 14:02 (UTC)
「冒頭における真相・真犯人の明示」というのは、砂手紙さんが恣意的にピックアップしたキーワードですね。そのキーワードでコミュニティの議論を仕切っていこうとするなら、そういう仕切りにすることについてコミュニティの同意を取り付ける必要があります。また、「どの百科事典にも採用されていない」についても、実例を挙げて論証した上で、コミュニティの共通認識を形成する必要があるでしょう。これはかなりハードルが高い作業になると思います。--Dwy会話2016年10月15日 (土) 14:48 (UTC)
既存の方針やガイドラインに準拠して議論を進めるなら、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の「記事を紹介し、最も重要な側面を要約するという役割があります」に照らして
(1) その情報は、「記事の紹介」をするための「最も重要な側面」に該当しているか?
(2) 適切な「要約」になっているか?(導入部全体の適切な長さが「1〜5が段落が目安」とされていることに照らして、過度に詳しい記述になっていないか?)
が論点になるだろうと思います。--Dwy会話2016年10月16日 (日) 00:31 (UTC)

(インデント戻します)聡明なるDwy様、ご意見どうもありがとうございます。それでは「物語の最後のほうに書いてあること」という言い方ではいかがでしょうか。「物語の最後のほうに書いてあることは、記事の最初のほうには書かない」だと、倒叙ものの排除と若干の普遍性があるような気がします。--砂手紙会話2016年10月16日 (日) 14:41 (UTC)

「物語の最後の方に書いてあることは記事の最初の方に書かない」のような新しいルールをお望みなら、個別記事のノートではなく、適当な方針・ガイドラインのページか井戸端等で提案してコミュニティの合意形成を図るべきでしょう。(私自身はそのルールの意味が理解できませんから、取り敢えず反対に一票入れておきます)--Dwy会話2016年10月16日 (日) 23:11 (UTC)


Wikipedia‐ノート:ネタバレで意見をまとめたほうがいいとも思えますね。--砂手紙会話2016年10月18日 (火) 09:11 (UTC)

今後の導入部の編集について

(節の区切りが変だったので改めました)--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 15:02 (UTC)

上の「本文を2016年9月のものに戻す提案」の節の議論により、導入部の記述を一旦過去の版の記述に戻しました。当該部分については既にかなり揉めていますから、今後さらに編集をされる方は、誤字の訂正等、軽微な編集を除き、大胆な編集ではなく、まずはノートで合意形成を行なった上での編集をお勧めします。

砂手紙さんによって提案された

「(シャーロック・ホームズの)ワトソン医師みたいな人物=犯人」、
「この作品は義兄の「読んでみたい探偵小説」という発想に着想を得ており、」

等の編集についても、既に異議が出て差戻しが行われていますから、新たな議論によって合意が成立するまでは、新たな編集を行なわないことをお勧めします。--Dwy会話2016年10月25日 (火) 23:07 (UTC)


導入部に以下の記述を、コメントアウト(注記)で明記することを提案します。--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 13:48 (UTC)

導入部の編集はノートで合意形成を行なった上で編集してください。合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります


導入部の「この作品の特徴は、「語り手=犯人」というトリックが効果的に使われていることである。」というテキストを以下のように修正する案を提案します。--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 13:48 (UTC)

この小説について作者は「いい形式(a good fomura)を取り込んで」おり、その一部は「義兄の「読んでみたい探偵小説」」((シャーロック・ホームズの)ワトソン医師みたいな人物=犯人、つまり語り手=犯人とも解釈できる発想)[1]である、と語っている[2]
1つ目の提案について。コメントアウトは書かないなら書かないに越したことはありませんので、そのような形での記述の追加には反対します。また、何らかの形で注意を促すにしても、「導入部の編集はノートで合意形成を行なった上で編集してください」という記述のみに限るべきと考えます。これだけ紛糾した過去のある議題で、1週間以内に異論がなければ決定事項とみなすというのはいささか乱暴です。
2つ目の提案について。修正案の文章では日本語の文章として、読んでも全く意味がわかりません。したがって、賛成できません。--F@ST会話2016年10月28日 (金) 14:13 (UTC)


1つ目に関しては「導入部の編集はノートで合意形成を行なった上で編集してください」という形でのコメントアウトの記述を再提案します。--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 14:41 (UTC)
2つ目に関しては「AについてBはCとし、その一部はDであると語っている」という記述の、どこがどう「読んでも全く意味がわかりません」か、自分には不明なので、よりくわしい説明を求めます。--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 14:41 (UTC)
再提案は以下のものです。現在のテキストの「この作品の特徴は、「語り手=犯人」というトリックが効果的に使われていることである。」では、「効果的に」という記述が主観的であり、このトリックを「特徴」とする典拠は不明であり、何よりも「「語り手=犯人」というトリック」のトリック解釈が正確ではありません。--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 14:54 (UTC)
この小説について作者は「いい形式(a good fomura)を取り込んで」おり、その一部は「義兄の「読んでみたい探偵小説」」という「独創的な考え」に負うところがある、と語っている[3]。それは(シャーロック・ホームズの)ワトソン医師みたいな人物=犯人、つまり語り手=犯人とも解釈できる発想[4]である。
1つ目の提案について。繰り返しですが、コメントアウトをあえて書く提案には反対します。ただ、賛成の方が多いようであれば、「導入部の編集はノートでの合意形成を経た上で行ってください」(表現を修正しました)という内容でのコメントアウトであれば、あえて反対はしません。
2つ目の提案について。なぜわからないのかが私にはむしろわからないのですが、提案された文章では「いい形式」の意味がわかりません。何がどう「いい」んでしょうか。「義兄が「読んでみたい探偵小説」」と言われても、唐突で、なぜこの記述が必要なのかわかりません。作者の義理の兄が一体この小説の内容と何か関係があるんでしょうか。注釈の「語り手が一人で、かつ語り手=友人=犯人」という文章もこれだけでは意味がわかりません。
私は元々、記事の冒頭で「語り手=犯人」であるという記述を書くことに否定的な立場でしたが、ここまでわかりにくく回りくどく表現するくらいなら、「語り手=犯人」と書いてもらったほうがわかりやすいとも思えてきます。--F@ST会話2016年10月28日 (金) 15:09 (UTC)
1つ目の提案については第二文が余計であり、この文の解釈の違いにより編集合戦を生じさせる恐れがあります。よって提案に反対します。2つ目の提案についても日本語として意味不明であり、このような文章から読者が何らかの意味を汲み取るのは困難だと考えます。よって2つ目の提案にも反対します。この文章が理解しづらい理由については既にF@STさんが解説しようと試みているので、私の方からは省略させて頂きます。--Kinketu会話2016年10月28日 (金) 15:28 (UTC)
それでは「いい形式」「義兄」云々の部分を削除して、以下の記述で再再提案します。--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 15:31 (UTC)
この作品では、(シャーロック・ホームズの)ワトソン医師みたいな人物=犯人、つまり語り手=犯人とも解釈できる発想[5]が使われている。
最新の提案内容についてですが、この内容であれば、あえて現行の記述を変更する必要性はあるのでしょうか。そして、注釈部分の意味は相変わらずわかりません。どう読んでも語り手は1人ですし、語り手は主人公の友人ですし、事件の犯人でした。これは解釈で変化するものではないはずです。--F@ST会話2016年10月28日 (金) 15:40 (UTC)
ワトソン医師云々については2016年10月24日 (月) 12:21 (UTC)におけるDwyさんのコメントで既に問題点が指摘されています。ワトソン医師のどういう側面が本作の登場人物と似ているのかが本記事の読者にとって分からず、混乱の元となるだけです。さらに言えば、作品Aの登場人物aが作品Bの登場人物bと似ていると主張するのは、それが出典に基づくものではなく、Wikipediaの一編集者の私見でしかないのなら独自研究に値します。--Kinketu会話2016年10月28日 (金) 15:45 (UTC)


『アガサ・クリスティー自伝』の記述が「ワトソン医師みたいな人物」(正確には、再確認したら「ワトスン役が犯人となる」であり、「似ている」というという記述はありません)であり、独自研究ではありません。以下の記述ではいかがでしょうか。--砂手紙会話2016年10月28日 (金) 16:17 (UTC)

この作品では、(シャーロック・ホームズの)ワトスン役=犯人[6]、つまり語り手が一人で、かつ語り手=友人=犯人という発想[7]が使われている。
どうせ書くのであれば、核心をわかりやすく書いたほうがいいのではないでしょうか。私からは以下の文章を提案させて頂きます。
この作品の特徴は、「語り手=犯人」というトリックが効果的に使われていることである。しかし、この叙述トリックが果たしてフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こすなど、大きな議論を巻き起こすこととなった。
現行の上記文章を、以下の文章へと差し替えることを提案します。
この作品は、ポアロの友人により書かれた手記という形をとるが、実はその友人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
簡略化せず、文章化したほうが意図が伝わると考えました。--F@ST会話2016年10月28日 (金) 16:56 (UTC)
賛成 F@STさんの提案に賛成します。導入部の役割は記事全体を要約して概要を提示することですが、記載すべき情報の取捨選択が上手にできていると思います。--Dwy会話2016年10月29日 (土) 00:32 (UTC)
了解しました。F@STさんは文章がお上手ですね。ただ、希望としてはその形に更新されるまで、提案日時の「2016年10月28日 (金) 16:56」から「168時間程度(約7日間=約1週間)」猶予していただくことをお願いします。--砂手紙会話2016年10月29日 (土) 05:42 (UTC)
賛成 F@STさんの提案に賛成します。--エヴァンズの秘書会話) 2016年10月29日 (土) 16:34 (UTC) 反対 Awanikoさんの修正提案と同様の理由で反対します。--エヴァンズの秘書会話2016年10月30日 (日) 15:05 (UTC)
コメント 「ポアロの友人」という記述については、Awanikoさんと変わりありませんので、修正の文章案を節の最後に記しました。Awanikoさんの提案文章に反対された根拠は、私の提案文章にもあてはまるのではないでしょうか。--F@ST会話2016年10月30日 (日) 10:40 (UTC)
ご指摘いただきありがとうございます。現行の記載がF@STさんのご提案と読み違えていました。「ポアロの友人」という記述についてはAwanikoさんの記述と同様で、反対いたします。--エヴァンズの秘書会話) 2016年10月30日 (日) 15:05 (UTC)

コメントアウトの文章(注記)として、「導入部の編集はノートでの合意形成を経た上で行ってください」を入れるかについては、引き続きご意見をお伺いします。F@STさんは消極的賛成(あるいは消極的非反対)、Kinketuさんは不明、ということでよろしいでしょうか。--砂手紙会話2016年10月29日 (土) 05:42 (UTC)

反対 1つ目の提案(コメントアウトの文章を入れるか)については、反対します。理由はF@STさんがおっしゃっている通りで、コメントアウトを入れる必要性は特にないと思います。
2つ目の提案(導入部の文章)については、F@STさん提案の文章をちょっと修正した次を提案します。
この作品は、ポアロの友人が書いた手記という形をとっているが、実はその友人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
--Awaniko会話2016年10月29日 (土) 08:04 (UTC)
Awanikoさんが修正された文章への変更について、私としては特に反対を表明するつもりはございません。私の文章案でもAwanikoさんの文章案でもどちらでも結構です。--F@ST会話2016年10月29日 (土) 15:13 (UTC)
反対 Awanikoさんの修正提案には反対します。本作についての事実誤認があり、犯人であるシェパード医師はポアロの隣人というだけで友人ではなく、被害者であるロジャー・アクロイドの友人です。また、仮にAwanikoさんの修正文章の「ポアロの友人」を「被害者の友人」に置き換えた場合、そのことを冒頭に記載する必要性が感じられません。--エヴァンズの秘書会話2016年10月29日 (土) 16:34 (UTC)
事実誤認があるとのことなので、提案する文章を以下のものに変更いたします。
この作品は、ポアロと供に捜査にあたった彼の隣人による手記という形をとっているが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
エヴァンズの秘書さんの指摘は、「友人ではなく隣人にすぎない」という点だと考えますので表現を改めましたが、もう少し良い言い回しがあれば修正いたします。「被害者の友人」に置き換えると、やや文章が錯綜しますので、ポアロとの関係性がわかる文章にしました。--F@ST会話2016年10月30日 (日) 10:37 (UTC)
正確には「シェパード医師の姉の隣人」ですかね。長文にならないためには「同じ村の人間」ぐらいが適当かと思われます。たびたび引用する『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される?』(内田隆三)では、「語り手が一人で、かつN(語り手)=X(友人)=M(犯人)」(p227)とありますが、「内田氏は「友人」という語をこういう意味で使っている」というようなものは独自研究になるので使えません。ワトソンに関しては、「ホームズと一体となって捜査に従事し、探偵の助手として事件の過程に結構な影響を与える」(p226)としています。これらの点から考えると、以下のような文章が考えられます。「共に従事した」は「共に協力した」のほうがいいのかもしれません。個人的には「語り手が複数で、かつ誰が犯人かはわからない」という、文学に属する小説(芥川龍之介「藪の中」その他)もありますので、「語り手が一人」というのは入れたいところです。 --砂手紙会話2016年10月30日 (日) 11:28 (UTC)
この作品は、ポアロの捜査に共に従事した、彼と同じ村の人間による手記という形をとっているが、実はその人間自身が犯人であったため、「語り手が一人で、かつ探偵と共に捜査に従事した語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
砂手紙さんの修正案には賛成しかねます。まず1点目は、「シェパード医師の姉の隣人」という表現は誤りです。ここでは犯人(シェパード医師)の話をしています。2点目は、「語り手が1人」云々は、文学研究の観点からは重要なのかもしれませんが、記事の概要を示す際には混乱させるだけであり、不要です。
何より、そもそもアクロイド殺しでフェア・アンフェア論争を引き起こした原因として、語り手が1人であることは含まれないでしょう。要は、クイーンのようにわざわざ読者への挑戦状を入れるくらいフェアにこだわる作者がいるような業界で、「こんなのどんなにしっかり読んだって、犯人がわからないじゃないか。だって、犯人が書いた手記なんだから、都合の悪いところはボカして書いているんだろう。そんなのズルいじゃないか、アンフェアだ」というのがフェア・アンフェア論争でしょう。もっと言えば、捜査に従事したかどうかも大きな問題ではないはずです。「探偵の助手が犯人であるはずがない」という心理的な思い込みはあるかもしれませんが、それだけではアンフェアではありません。「語り手が犯人」、つまり、「語り手から充分な情報提供がされていない」という点がアンフェアだという論争の発端であるはずです。--F@ST会話2016年10月30日 (日) 13:07 (UTC)


1点目は了承しました。2点目は「記事末の注記」として「語り手がひとりであるということにも言及している評論家がいる」と記することにしましょう。しかし、「こんなのどんなにしっかり読んだって、犯人がわからないじゃないか。だって、犯人が書いた手記なんだから、都合の悪いところはボカして書いているんだろう。そんなのズルいじゃないか、アンフェアだ」、というのは、語り手がひとりである・複数であると関連して出てきている批評でしょうか。できましたら出典をいただければありがたいと思います。「語り手から充分な情報提供がされていない」ということでは、以下のような記述はいかがでしょう。

この作品は、ポアロの捜査に共に従事した、彼と同じ村の人間による手記という形をとっているが、実はその人間自身が犯人であったため、「探偵と共に捜査に従事したにもかかわらず充分な情報提供をしていない語り手(注:語り手がひとりであるということにも言及している評論家もいる)が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
いえ、ここはノートですからわかりやすく言い換えただけです。出典はありません。語り手が1人かどうかということがなぜそこまで重要なのかがわからないのです。私の認識(上記で述べています)では、フェア・アンフェア論争と関係があるとは思えません。
再提示して頂いた修正案ですが、長くなりすぎです。色々な情報を詰め込もうとしすぎです。
エヴァンズの秘書さんのご指摘に対して私から質問を1つ投げておりますので、それが返ってくるのを少し待とうと思います。「友人」「隣人」のところは、エヴァンズの秘書さんのご指摘によるものですので。--F@ST会話2016年10月30日 (日) 14:09 (UTC)
コメント砂手紙さんの修正提案については、F@STさんも指摘されていますが、語り手が1人であることを記述する必要性を感じません。これが例えば、語り手が犯人であるという本作の先行作品『茶色の服の男』の冒頭にこのような記述をするのであれば、語り手が2人いるので「2人の語り手のうちの1人が犯人である」という記述が必要になると思いますが、語り手が1人の本作にはその記述の必要性を感じません。「語り手がひとりであるということにも言及している評論家がいる」という注釈についても、『茶色の服の男』の2人の語り手を意識したものだと思われます。したがって「『茶色の服の男』は語り手が2人であるのに対し、本作は語り手がひとりであるということにも言及している評論家がいる」ということになろうかと思います。--エヴァンズの秘書会話) 2016年10月30日 (日) 15:05 (UTC) 1文字追記しました。--エヴァンズの秘書会話2016年10月30日 (日) 15:10 (UTC)


もう少し簡単なテキストを考えてみます。

この作品は、ポアロの捜査に共に従事した、彼と同じ村の人間による手記という形をとっているが、実はその人間自身が犯人であったため、「信頼できない語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。

内田隆三『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される?』中に記述されている「語り手が一人」の解釈は、独自研究以上の記述が難しいのですが、『茶色の服の男』に関する言及はありません。ロラン・バルト「零度のエクリチュール」と関連する形で『シタフォードの秘密』に言及してはいます(p318-)が、冒頭部分の記述としてはいささか多くなりすぎます。--砂手紙会話2016年11月1日 (火) 09:27 (UTC)

信頼できない語り手が犯人である」という叙述トリック、という表現には違和感を覚えます。信頼できる語り手だと思っていた語り手が、実は犯人であり、信頼できない語り手だったから、「アンフェアだ」という意見が出てきたと認識しています。--F@ST会話2016年11月1日 (火) 11:22 (UTC)


さらに簡単にして、文案の節を立てます。
この作品は、ポアロとともに捜査にあたった、彼と同じ村の人間による手記という形をとっている。しかしその人間自身が犯人であったという叙述トリックは、読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。--砂手紙会話2016年11月1日 (火) 11:46 (UTC)

脚注

  1. ^ 内田隆三『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される』(p227、岩波書店、2013年7月)では、正確には「語り手が一人で、かつ語り手=友人=犯人」と解釈している
  2. ^ 『アガサ・クリスティー自伝(下)』p108、乾信一郎・訳、早川書房、1978年12月
  3. ^ 『アガサ・クリスティー自伝(下)』p108、乾信一郎・訳、早川書房、1978年12月
  4. ^ 内田隆三『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される』(p227、岩波書店、2013年7月)では、正確には「語り手が一人で、かつ語り手=友人=犯人」と解釈している
  5. ^ 内田隆三『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される』(p227、岩波書店、2013年7月)では、正確には「語り手が一人で、かつ語り手=友人=犯人」である、と解釈している
  6. ^ 『アガサ・クリスティー自伝(下)』(p108、乾信一郎・訳、早川書房、1978年12月)
  7. ^ 内田隆三『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される』(p227、岩波書店、2013年7月)

F@STの提案する文案

文案の修正が重なったので、私が提案する文章案を以下に改めて提示します。既に複数の方から賛成を頂いている文案をベースに、事実誤認のあった記述のみ修正したものです。また、複数の文章案を提示させて頂きますが、内容には、ほぼ違いはありません。要は、概要に書く文章として長すぎる・簡素すぎるという観点から判断して頂ければと思います。

A案「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
B案「この作品は、ポアロと供に捜査にあたった彼の隣人による手記という形をとっているが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
C案「この作品は、ポアロと供に捜査にあたった村人による手記という形をとっているが、実はその村人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。
D案「この作品は、ポアロと供に捜査にあたったシェパード医師による手記という形をとっているが、実は語り手である彼自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。

A案は、「友人」をシンプルに「隣人」に変更したもの。B案は、隣人だけではわかりにくいと考え、どのような隣人かまで言及したもの。C案は、そもそも隣人という表現がわかりにくいので「村人」という表現にしたもの。D案は、回りくどくするのではなくシンプルに名前を出してしまったほうがわかりやすいと考えたものです。私は、個人的にはA案が文章量も少なくシンプルでいいかなと思いますが、「供に捜査にあたった」云々が必要であれば、B案かD案かなと思っています。--F@ST会話2016年11月1日 (火) 11:22 (UTC)

この節での議論に参加されている、Dwyさん、Awanikoさん、Kinketuさん、エヴァンズの秘書さん、砂手紙さんの中には既に前回の文案提案時に立場を表明された方もいらっしゃいますが、お手数ですが再度ご意見を頂ければと思います。--F@ST会話2016年11月1日 (火) 11:22 (UTC)


賛成・反対以前の微調整レベルとして、「供に」は「おともに(従えて)」的ニュアンスが含まれるため、「ともに」とひらがなにしたほうがいいのかもしれません。「実は」「対して」も、自分のテキストだったらひらがなにすると思いますが、ここらへんはまあどうでもいいです。4つの中からでは「供に」を「ともに」に直したうえでのC案ですかね --砂手紙会話2016年11月1日 (火) 11:36 (UTC)
基本はA案に賛成しますが、(どの案もそうですが)それでもまだ少し長いというかゴチャゴチャした感じが否めません。次の文案ではいかがでしょうか。
「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが後述の「フェア・アンフェア論争」を引き起こした(#フェア・アンフェア論争を参照)。」--エヴァンズの秘書会話2016年11月1日 (火) 14:45 (UTC)
私はエヴァンズの秘書さんの文案に反対致しません。私はA案の提案者ですが、他の方が賛成されるのであれば異議を挟みません。--F@ST会話2016年11月1日 (火) 15:09 (UTC)
F@STさん、ご賛同いただきありがとうございます。上記修正案にあたって、説明が欠けていましたので補足させていただきます。
A案に限らずどの案でも「読者に対してフェアなのかという」の一説は不要に思います。なぜなら、読者以外の作中の人物(例えばポアロや警察など)に対してフェアではないという理由でフェア・アンフェア論争が起ころうはずがないからです。フェアであるかないかというのは読者に対してだというのは分かりきったことであり、分かりきったことを記述する必要はないということで、これを省略したのが上記の修正案です。ですので、仮にB案であれ下記の砂手紙さんの修正案であれ、いずれの案を採択されるにせよ「読者に対してフェアなのかという」の一説は削除いただくようお願いします。その代わりに、親切表示として「フェア・アンフェア論争」の前に「後述の」と入れ、さらに(#フェア・アンフェア論争を参照)を追記しました。これも不要だとの意見であれば削っても構いません。以上、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2016年11月1日 (火) 16:17 (UTC)
エヴァンズの秘書さんの修正案に賛成します。私としては、A案、B案、C案のどれでも特に大きな違いはないと感じていますから、そのいずれかを基本にして、皆さんが同意できる修正案がまとまるなら、私も同意します。--Dwy会話2016年11月1日 (火) 21:12 (UTC)
Dwyさん、ご賛同いただきありがとうございます。--エヴァンズの秘書会話2016年11月2日 (水) 14:54 (UTC)
「読者に対してフェアなのかという」の節は入れた方が良いと思います。理屈的にはエヴァンズの秘書のおっしゃるとおり、分かりきったことでしょう。しかし、リダンダンシーがある方が導入部の文章としてはいいと思います。この作品のことを全く知らずにウィキペディアのこの導入部を読む人たちのことを考えると、「読者に対して」の文言を入れる方が親切でしょう。--Awaniko会話2016年11月3日 (木) 02:07 (UTC)
Awanikoさん、「読者に対して」の文言を入れる方が親切とのこと、私は先に述べましたとおり「自明の理」のことは文章量を増やすだけで余計なことだと思うので、記さない方が良いという考えですが、他の方がAwanikoさんと同意見であればその考えを押し通すつもりはありません。A案を提案されたF@STさんとC案の修正案を提案された砂手紙さんも、Awanikoさんと同意見かも知れませんし、この件はそれほど引っ張るような内容ではありませんので、多数決で決めてもらったらいいと思います。--エヴァンズの秘書会話2016年11月3日 (木) 14:17 (UTC)
 自分は「少し長いというかゴチャゴチャした感じ」(を除きたい?)というエヴァンズの秘書さんの考えに同意しているので、エヴァンズの秘書さんの案よりも「(さらに少し)短くてすっきりした感じ」の案なら同意しますが、そうでないものに関しては、原則却下、という感じです。 --砂手紙会話2016年11月3日 (木) 14:32 (UTC)
リダンダントという意味では、エヴァンズの秘書さんの案も「フェア・アンフェア論争」という全く同じ表現が2回出てきてダブっていますから、以下のような言い方は如何でしょうか?
この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアかどうかの論争を引き起こすことになった(後述#フェア・アンフェア論争を参照)。
取り敢えず一つのアイデアとして提示しますが、特に強いこだわりがあるわけではありませんから、他の案で皆さんがまとまるなら、その案に乗ります。(私としては、どれでも大した違いはないと思うので、手早く合意をまとめることが最優先だと思います。)--Dwy会話2016年11月4日 (金) 08:48 (UTC)
「読者に対してフェアなのかという」という文言について、概要の文章を読んだだけで意味がわかるようにという意図で入れていただけですので、詳細の節への記事内リンクがあるのであればなくても構いません。もはや、この節での論点はこの一点だけのようですので、各人で歩み寄れるところは歩み寄って頂ければと思います。私は自分の提案した文章でも、エヴァンズの秘書さんの文案でもDwyさんの文案でも、内容は変わらないのでいずれでも反対しません。--F@ST会話2016年11月4日 (金) 13:36 (UTC)

F@STさんは各人で歩み寄れるところは歩み寄って頂ければと言われますが、相対している人が歩み寄るには相当に時間がかかるようで、現に討議が止まっています。内容についてはすでに合意ができており、あとは表記上だけの問題です。Dwyさんが言われるように手早く合意をまとめることが最優先だと思います。そこで、今出ている3案について、前回述べましたように多数決で決めれば良いのではないでしょうか。多数決で決めることについて異論がおありの方もおられるのではないかと思いますが、このままだと膠着状態で未解決のままになりかねないことから提案いたします。

「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが後述の「フェア・アンフェア論争」を引き起こした(#フェア・アンフェア論争を参照)。」(以下、違いが分かるようエヴァンズの秘書案と異なる個所を太字で表記します)
「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした(#フェア・アンフェア論争を参照)。」
「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアかどうかの論争を引き起こすことになった(後述#フェア・アンフェア論争を参照)。」

以上、よろしくお願いいたします。とりあえず、私は自身の「エヴァンズの秘書案」に1票入れさせていただきます。--エヴァンズの秘書会話2016年11月5日 (土) 14:54 (UTC)

単純に多数決でやると、現時点ではエヴァンズの秘書さんの案に自分が票を投じて2票になり、他の案は提案者が1票だけになる可能性が高いと思うのですが、それで各提案者が納得されますでしょうかね。決定に時間がかかるのは、自分の場合は気にならないんですが(そんなに急いで決めなければならないこととも思えないので)、膠着状態になるのは少し抵抗感は感じます --砂手紙会話2016年11月6日 (日) 16:37 (UTC)
誤解なさらないでいただきたいのですが、私には多数決で決める権限はありません。多数決で決めれば良いのではないでしょうか、と提案をしているのです。この提案に皆さんが賛同いただいてから多数決で決めれば、その内容には必ずしも納得されなくとも多数決の結果には納得いただけることと思います。3案の明示と「エヴァンズの秘書案」に1票入れているのは、多数決について皆さんの賛同が得られることを前提としたものであって、多数決に賛同いただけなければそれらは無意味ということになります。そうならないように改めて皆さんによろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2016年11月6日 (日) 21:39 (UTC)
多数決で良いと思いますよ。みんなが多数決で良いと同意すれば、最後には多数決で選ばれた案に、全員が全会一致で賛成するという形になるわけですし。
現在、エヴァンズの秘書さんの案に2票(エヴァンズの秘書さんと砂手紙さん)、Awanikoさんの案にも2票(AwanikoさんとF@STさん)ということでしょうか。この二つの案が同点で一位が決まらないということでしたら、私はAwanikoさんの案の賛成に回ります。
あるいは、もし新しい票が入って(私の票をカウントせずに)いずれかの案が他の案より多くの票を集めている状態になった場合は、私もその案の賛成に回ります。
みなさんそれぞれの考えがあるようですが、F@STさんも私も最終的には妥協する用意があると表明していますので、合意を成立させるのはそれほど難しくないと思います。むしろ問題は、新たな意見の表明をいつまで待つかでしょう。私としては、今すぐ締め切って結論を出しても良いと思うのですが(みんなが意見表明できるように既に充分待ったと思いますし、今後新たな論点が出てきたら、その時はまた新規に議論を開始すれば良いことです)、他の皆さんは私ほどせっかちではないかもしれませんね。--Dwy会話2016年11月7日 (月) 12:49 (UTC)
Dwyさん、多数決にご賛同いただきありがとうございます。また、合意成立のため票の多い方に賛成されるとの表明をいただきありがとうございます。砂手紙さん、Awanikoさん、F@STさんたち皆さんのご回答もお待ちしています。--エヴァンズの秘書会話2016年11月7日 (月) 21:50 (UTC)
多数決で問題ないでしょう。既に議論は尽くされたように思います。既に述べたように正直なところどの文案でも私は反対しませんが、あえてどれを選ぶかと問われれば、Awanikoさんの案に票を入れます(元々は自分で提案した文案ですので)。ただ、他の文案に票が集まるのであれば他の文案でも私は構いません。--F@ST会話2016年11月8日 (火) 02:46 (UTC)
F@STさん、多数決へのご賛同と、合意成立のため票が集まる他の文案でも構わないとの表明をいただきありがとうございます。--エヴァンズの秘書会話2016年11月8日 (火) 16:18 (UTC)
票を入れる文案を変更いたします。詳細は末尾で記します。多数決に賛成する立場に変更はありません。--F@ST会話2016年11月10日 (木) 11:33 (UTC)
3つの案のうちひとつが2票で「多数決」ということで決まるようなことになれば、それは2つの異なる案を否定する要因に欠けるんですが(賛成2票と非賛成2票で、ひとつの案を通すことには反対なのです)Dwyさんが案を取り下げて、2つの案で2票対3票なら、多いほうに同意します。ただ、今回合意形成に参加した人以外による、冒頭部分の編集が今後あった場合、「過去に合意形成があった」「安定している」という理由で編集の巻き戻しをしないで、再度合意形成をはかることを希望します。--砂手紙会話2016年11月8日 (火) 10:55 (UTC)
砂手紙さん、条件付きながら多数決にご賛同いただきありがとうございます。先に表明いただいていますが、砂手紙さんはエヴァンズの秘書案に投票ということでよろしいのですね? --エヴァンズの秘書会話2016年11月8日 (火) 16:18 (UTC)
おっしゃっている意味がよくわかりません。Dwyさんが自らの提案した文案に票を入れず、仮に結果として票が入らなかったという結論になっても、それは「0票だった」というだけでしょう。わざわざ取り下げる必要性が感じられません。また、「「過去に合意形成があった」「安定している」という理由で編集の巻き戻しをしないで」というご要望についてですが、ノートでの議論を経て改訂された文章を変更するのであれば、変更しようとする者がノートにて問題提起をするべきであり、今回の合意により変更された文章への差し戻しを否定する理由は存在しないでしょう。もちろん、問題提起があれば、新たな合意形成に向けて議論すべきだと思いますが、合意を経て変更された文章へ戻すことを否定する意味が私にはわかりません(編集合戦になるのであれば話は別です)。--F@ST会話2016年11月8日 (火) 11:22 (UTC)
Dwyさんが自らの提案した文案に票を入れず、仮に結果として票が入らなかったという結論」になるという経緯は、普通想定できないんじゃないですかね。それから、現在の、ここでの合意・同意は、未来の編集を縛る(変更された文章へ戻す)ような同意ではなく、一時的なものだと判断します。つまり、「合意を経て変更された文章へ戻すこと」を、ここでの合意・同意を根拠とすることになるのなら、多数決であるか否かに関係なく、非ウィキペディア的すぎると判断します。 --砂手紙会話2016年11月8日 (火) 12:14 (UTC)
想定できるか否かは個人で意見が分かれるかもしれませんが、3案の多数決でそのうちの1案が0票で否決されたとしても一般的に何もおかしなことはありません。
あなたの「非ウィキペディア的」という主張は意味がわかりません。合意された文章を変えたいのであれば、改めてノートで変更の議論を提起すればいいだけです。あなたがおっしゃっている主張は、要するに「合意形成された文章を誰かが合意なく書き換えた場合でも、ノートで新たな合意を形成するまで、その記述を合意形成された文章に戻してはならない」というものであり、今回の合意形成の意味を失わせる主張です。決して容認されるものではありません。
ここでの合意形成は、これ以外の記述方法への変更を認めないものではありませんが、変更するのであれば、ノートでの合意を経るのは当然であり、新たな合意が形成されるまではそれ以前の合意形成(しかも今回は「本文を2016年9月のものに戻す提案」節とは違い、はっきりとした合意形成がされています)の文章を保つのは合理的、というか当たり前です。そのための合意形成ですから。
この考え方にどうしても納得できないのであれば、このノートではなく井戸端等で問題提起してください。これ以上、あなた独自の考え方への対応でこの節での議論を長引かせることは、この記事にとって不幸です。--F@ST会話2016年11月8日 (火) 16:24 (UTC)

エヴァンズの秘書さんが整理された3案(エヴァンズの秘書案、awaniko案、Dwy案)の比較ですが、awaniko案とDwy案は本質的には同じだと感じます。Dwy案の方が繰り返しが無く、すっきりしていてベターだと思います。私は、Dwy案に賛成します。--Awaniko会話2016年11月8日 (火) 12:56 (UTC)

Awanikoさん、多数決にご賛同いただきありがとうございます。Dwy案に賛成とのこと、承知しました。--エヴァンズの秘書会話2016年11月8日 (火) 16:18 (UTC)

これで多数決について、この討議に参加されている皆さん全員が(砂手紙さんは「賛成2票と非賛成2票で、ひとつの案を通すことには反対。2つの案で2票対3票なら、多いほうに同意します」との条件付きですが)ご賛同いただきました。現時点で表明されている投票は、エヴァンズの秘書案に2票(エヴァンズの秘書1票、砂手紙さんのエヴァンズの秘書案支持が変わらないものとして1票)、awaniko案に1票(F@STさんの投票)、Dwy案に1票(Awanikoの投票)となっています。まだ投票されていないDwyさん、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2016年11月8日 (火) 16:18 (UTC)

私の票については、既に「(私の票をカウントせずに)いずれかの案が他の案より多くの票を集めている状態になった場合は、私もその案の賛成に回ります」と表明しましたので、これに従って扱っていただいて結構です。ちなみに、(私の票をカウントせずに)一位がタイで同一票数の場合は、(1)Dwy案、(2)Awaniko案、(3)エヴァンズの秘書案という優先順に従って、同率一位になっている案のどちらかに票を入れます。以上はそれほど難しい話ではないので、投票結果を締め切られる時点で、締め切られる方が適宜判断して処理していただければと思います(一々私の確認を取っていただかなくても結構です)
@F@STさん、Awanikoさん: 私は上記の行動を取りますが、そのことでお二人のお考えが変わるようなことはありますか?F@STさんについては、Awanikoさんの投票が変わったことによって考えが変わる可能性もあるかと思うのですが…--Dwy会話2016年11月9日 (水) 23:27 (UTC)
既に記しましたが、票を入れる文案を変更いたします。詳細は末尾に記します。--F@ST会話2016年11月10日 (木) 11:33 (UTC)
一応確認をしたいのですが、案の具体的な違いは、リダンダンシー(冗長性)の許容・否定の部分でいいんでしょうかね。どうも「あったほうがいい」という人の意見における判断の根拠がうまく見えてこないので(あってもいい、ぐらいのレベルの意見のように思えるので)、そこらへんが見えれば意見を変えるかもしれません。自分の判断は、項目の冒頭における記述としては「ないほうがいい」なのです。 --砂手紙会話2016年11月9日 (水) 05:36 (UTC)


読者に対してフェアかどうかの論争」の「読者に対して」が必要なのかどうか、と言う点ですね? 必要だと思います。以下が理由です。

1)そもそも言語には(文章語であっても)冗長性は必要というか、あるのが普通です。それによって分かりやすくなるからです。  冗語の項。それから、例えば [1]

  冗長性を極力削ぎ取った法令文が理解しにくいことがそれを示しています。

2)「読者に対して」が無い場合よりも、あった方が理解がしやすいのは確かではないでしょうか。そして、たった6字の増加ですから、導入部の記述として長くなってしまうということもないでしょう。

それから、「エヴァンズの秘書案」では、「フェアなのかどうか」の文言も無くなっていて、一読して分かりにくいと思います。特に、この作品のことを全く知らない読み手は、読み返して、そしてちょっと考えないと分からないと思います。 --Awaniko会話2016年11月9日 (水) 13:53 (UTC)

「叙述トリック」というマニアックな専門用語が普通の人には分からないという点もあります。リンクを付けて叙述トリックとしてはどうでしょうか。--Awaniko会話2016年11月9日 (水) 14:50 (UTC)

Awanikoさんの提案に賛成します。投票中の3案のいずれが採択されるにせよ、提案どおりリンクさせるのが良いと思います。--エヴァンズの秘書会話2016年11月9日 (水) 15:47 (UTC)
叙述トリックへのリンクを貼る提案に賛成します。一般的に浸透した表現ではなく、リンクを貼るべきと考えます。--F@ST会話2016年11月10日 (木) 11:33 (UTC)
Awanikoさん、どうもありがとうございます。まず、「そもそも言語には(文章語であっても)冗長性は必要というか、あるのが普通です」に関しては、百科事典的記述として冗長性の必要・普通性があるのかはわかりません。ウィキペディアの記述は冗長性の必要に言及していないし、「例えば」としてリンクされた先のテキストは、「言語教材での冗長性の重要さ(the importance of redundancy in language teaching materials)」に関するテキストですが、ウィキペディアのテキストは言語教材になる場合もあるでしょうが、言語教材として一般的に扱われるものではありません。ウィキペディア的に冗長性が許容(黙認?)されているのは、ノートや井戸端的テキストです。
「「読者に対して」が無い場合よりも、あった方が理解がしやすいのは確かではないでしょうか」というのはあなたの個人的な判断で、それが「確か」かどうかは、自分にはわかりません。わからないことに「たった6字の増加」というだけの根拠では、同意する要件に少し欠けます。
百科事典的記述と関連づけられる形で、冗長性が客観的に見て許容されていると語られている客観的資料を、もう少し提示していただけるとありがたいことであります。--砂手紙会話2016年11月10日 (木) 09:16 (UTC)
賛同票を投じる文案を、Awaniko案から、Dwy案へ変更いたします。
賛同文案を変更する理由としては、Awaniko案(当初、私が提案した文案)では「フェア・アンフェア論争」という文言が複数回登場しており、やや冗長であることが否めないこと。それと比べ、Dwy案では「フェア・アンフェア論争」という文言の繰り返しがなく、「フェア・アンフェア論争」をうまく言い換えた表現が使われていること。この点において、Awaniko案よりもDwy案が適切であると判断しました。
そして、エヴァンズの秘書案とDwy案を比較した場合、エヴァンズの秘書案では「後述の「フェア・アンフェア論争」を引き起こした」と、簡潔ではありますが、作品を知らない閲覧者にとっては後述の節を読まなければ詳細が把握しにくい文章になっているのに対し、Dwy案では「読者に対してフェアかどうかの論争を引き起こすことになった」と、導入文の中で簡潔する記述になっており、私としてはDwy案の文章から冗長性を感じることはありませんでした。「導入節は記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべき」との考え方に従い、以上の理由からDwy案に賛同票を投じます。--F@ST会話2016年11月10日 (木) 11:33 (UTC)
F@STさん、Dwy案に賛成とのこと、承知しました。--エヴァンズの秘書会話2016年11月10日 (木) 16:10 (UTC)

現時点で表明されている投票は、エヴァンズの秘書案に2票(エヴァンズの秘書1票、砂手紙さんのエヴァンズの秘書案支持が変わらないものとして1票)、awaniko案は0票、Dwy案に2票(Awanikoさん1票、F@STさん1票)となっています。砂手紙さんの票は暫定的にエヴァンズの秘書案とさせていただいておりますが、そろそろ最終的に確定いただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2016年11月10日 (木) 16:10 (UTC)

自分のはエヴァンズの秘書案ということでお願いします。 --砂手紙会話2016年11月11日 (金) 11:26 (UTC)
砂手紙さん、エヴァンズの秘書案に投票とのこと、承知しました。--エヴァンズの秘書会話2016年11月11日 (金) 14:58 (UTC)

砂手紙さんの投票により、エヴァンズの秘書案に2票(エヴァンズの秘書1票、砂手紙さん1票)、awaniko案は0票、Dwy案に2票(Awanikoさん1票、F@STさん1票)で、エヴァンズの秘書案とDwy案が2票ずつの同点となりました。Dwyさんは「一位がタイで同一票数の場合は、(1)Dwy案、(2)Awaniko案、(3)エヴァンズの秘書案という優先順に従って、同率一位になっている案のどちらかに票を入れます。投票結果を締め切られる時点で、締め切られる方が適宜判断して処理していただければと思います」と表明されていますので、これに従いDwy案に投票となりますので、結果、エヴァンズの秘書案2票に対しDwy案3票でDwy案に決定しました。これに「叙述トリック」にリンクを付けて叙述トリックとするAwanikoさんの提案を反映して、現行の文章を次の文章に変更させていただきます。

  • 「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアかどうかの論争を引き起こすことになった(後述#フェア・アンフェア論争を参照)。」

皆さま、ご協力いただきありがとうございました。--エヴァンズの秘書会話2016年11月11日 (金) 14:58 (UTC)

ありがとうございました。皆様のご協力に感謝いたします。--F@ST会話2016年11月13日 (日) 00:04 (UTC)

砂手紙の提案する文案

この作品は、ポアロとともに捜査にあたった、彼と同じ村の人間による手記という形をとっている。しかしその人間自身が犯人であったという叙述トリックは、読者に対してフェアなのかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こした。--砂手紙会話2016年11月1日 (火) 11:46 (UTC)

エヴァンズの秘書さんの、以下の修正案に同意しますので、上記の文案は取り下げます。--砂手紙会話2016年11月2日 (水) 09:56 (UTC)
この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが後述の「フェア・アンフェア論争」を引き起こした(#フェア・アンフェア論争を参照)。
ただし、ノートでの合意形成を項目に反映するのは、異論のあるかたも想定できますので、一週間ほどの猶予を希望します。--砂手紙会話2016年11月2日 (水) 10:01 (UTC)
砂手紙さん、ご賛同いただきありがとうございます。一週間ほどの猶予につきまして、了解しました。まだ意見を表明されてない方もいらっしゃるようですし、急ぐ必要もありませんので、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2016年11月2日 (水) 14:54 (UTC)

外部リンク修正

編集者の皆さんこんにちは、

アクロイド殺し」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月17日 (土) 06:34 (UTC)

ネタバレに関するガイドラインの解釈について

 Wikipedia:ネタバレ には『ネタバレは、作品をまだ知らない閲覧者にとっては、その面白さを損なってしまう可能性があるものですが、百科事典では、その作品について解説する際に必要に応じてネタバレが行われます。ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます。ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。』との記述があります。私はこの文章の意図を「ネタバレ自体は推奨される行為ではないが、予測及び回避が可能であるため特に問題はない」という意味だと受け取りました。少なくとも太字で書かれている、「ネタバレの存在が一般的に予想できる」ことを大きな根拠にしているのは間違いないでしょう。
 しかし、この記事以外で導入部にネタバレを掲載している記事は全くと言っていいほど存在しません。これでは「ネタバレの存在が一般的に予想できる」という根拠にそぐわないのではないでしょうか。この記事の編集者同士ですら度々意見が割れているのを見ても、導入部にネタバレを載せる行為が決して一般的とは言えないのは明らかです。
 以上の理由から、私は導入部での犯人の提示は取りやめて、以前のように「叙述トリックによって論争を呼んだ」という記述にすることを提案いたします。繰り返しになりますが、ネタバレはあくまで『面白さを損なってしまう可能性があるもの』なのです。必要なら書くべきですが、書かなくてよいなら書かないほうがよいのです。果たして叙述トリック史においても大きな意義を占める「アクロイド殺し」を、わざわざ「語り手が犯人である小説」という小さな文脈に収めることは本当に必要な記述なのでしょうか。今一度導入部へのネタバレ掲載の必要性を再考していただくとともに、同ガイドラインに対する別の解釈やご意見等ございましたらご教示お願いいたします。
  --Maijin800会話2021年6月22日 (火) 18:12 (UTC)
(追記)主張が伝わりにくいかなと思ったため若干加筆・修正いたしました。
  --Maijin800会話2021年6月24日 (木) 01:04 (UTC)
 度々の追記失礼いたします。今一度過去ログを漁っていたら英語版Wikipediaのガイドライン en:Wikipedia:Spoiler を引用している箇所があったため、念の為確認してみたら以下のような記述がありました。『(Why spoiler warnings are no longer used項内にて)3.Sections that frequently contain spoiler warnings—such as plot summaries, episode lists, character descriptions, etc.—were already clearly named to indicate that they contain plot details. Therefore, further disclaimers would be redundant and unnecessary.』
 この記述においてもやはり「項目名からネタバレの存在を察知できること」が根拠として挙げられており、導入部にネタバレを書くことは英語版ガイドラインから見ても不適切であるように感じました。念の為しばらく様子を見ますが、誰からも返信が無いようでしたら一度該当部分の書き換えを行おうと考えています。ご意見等ございましたら返信の程よろしくお願いいたします。
  --Maijin800会話2021年6月24日 (木) 04:24 (UTC)

ご指摘、ご提案のことについては、2016年10月~11月のートで議論が尽くされています。 ノート:アクロイド殺し/過去ログ2 Wikipedia‐ノート:ネタバレ#冒頭部分の記述に対するガイドラインの提案 などをお読み下さい。 --Awaniko会話2021年6月24日 (木) 09:17 (UTC)

 ご返信ありがとうございます。議論が尽くされているとのご指摘ですが、今回私が主題としたいのは以下の二点です。
  1.Wikipedia:ネタバレ のガイドラインがネタバレを許可しているのは「回避が可能だから」なのではないか
  2.「叙述トリック」と書くだけでは不足なのか
 1.については過去ログでは議題に上がっていません。もし私の解釈が正しいならば、回避不可能な位置にネタバレを記述することはガイドラインの意図に沿っているとは言えなくなります。もちろん『ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます』というガイドラインが「記事全体のことを指す」のか「あらすじ項や登場人物項など回避が容易な部分のみを指す」のかは解釈によって分かれる部分だと思いますが、上記英語版ガイドラインの文を読む限り私は後者の解釈のほうが近いと感じました。
 2.について既にほぼ同じような内容の話が出ていたのは見落としていました。申し訳有りません。しかし、この点において私が「語り手が犯人」との記述が不要であると考えた根拠は「ウィキペディア内記事 叙述トリック においては語り手が犯人であることを示さずに『アクロイド殺し』とフェア・アンフェア論争の関係を十分説明できていること」であり、その点について言及されている文章は見つからなかったため新たに補足させていただきます。
 以上の根拠により私は再度「導入部にネタバレを書くことは不適切である」ことと「語り手が犯人であるという記述は不要であり、冗長である」ことを主張いたします。それぞれについて賛成意見、反対意見、不満点などございましたらお願いします。
  --Maijin800会話2021年6月24日 (木) 15:15 (UTC)
 「導入部にネタバレを書くこと」の是非に関しましては、Wikipedia‐ノート:ネタバレ#冒頭部分の記述に対するガイドラインの提案で尽くされている意見交換がありますので、違うアプローチからの意見提出を、そちらのほうでしてみてください。要するに、Maijin800さんの「解釈」の是非に関しては、現状では「個人の解釈」以上の説得力を持ちません。--砂手紙会話2021年6月26日 (土) 14:49 (UTC)
Maijin800さんによるWikipedia:ネタバレ についての「ネタバレ自体は推奨される行為ではないが、予測及び回避が可能であるため特に問題はない」とか「ガイドラインがネタバレを許可している」などの解釈は理解できません。「ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます」の「一般に」とは「全般に」という意味ですので、普通に解釈すれば「ウィキペディアの記事にはネタバレは全般に記述されているものと予想されます」、つまり「ネタバレは特別なことではなくごく普通のことなので、記事にはそういう記述があるものと予想されます」ということでしょう。
Maijin800さんは、ネタバレが特別なものと理解なさっておいでのようですが、例えば公開中の映画の顛末の記述とか、毎週放送のテレビドラマやアニメなどの各話の顛末の記述などが、ミステリー作品に限らず日常的に行われています。それらの記述は既読の読者、視聴済み・鑑賞済みの視聴者や観客にとっては既知のことでも、未読・未視聴・未鑑賞の人にとってはすべてネタバレです。これは最新の作品に限らず、例えば『坊ちゃん』『伊豆の踊子』『人間失格』『金閣寺』『ロミオとジュリエット』など古典的と言えるような作品においても同様で、いわばフィクション作品に関する記述は未読・未視聴・未鑑賞の人にとってはすべてネタバレになりえます。それは、『アクロイド殺し』における「語り手が犯人」であるという記述が既読の読者にとっては既知のことで、未読の読者にとってネタバレであるのと何ら変わりません。「一般に」(「全般に」)とはこういうことを示しているものと思われます。
2.「叙述トリック」と書くだけでは不足なのか」については、Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱いの、以下の記述をご確認ください。最初の「ある重要な推理小説」を『アクロイド殺し』に置き換えて読むと分かりやすいです。
「たとえば、ある重要な推理小説があると仮定してみましょう。一般に推理小説のネタバレ、つまりトリックや犯人などの真相といったものをその作品自体を読む前に知ることは、その小説の読書体験を致命的に損なうことになると考えられます。しかし、もし百科事典の記事の中でトリックや犯人などの情報が伏せられていたら、事典の読者はその作品について具体的にどのような点で画期性があるのか何もわからず、したがってその作品に付されている内外の論評を理解することもできないし、その作品の歴史的な重要性を十分に理解することもできないでしょう。作品の重要な詳細を伏せたまま作品を紹介することは、公式サイトや販売サイトの役割であり、そもそも百科事典の役割ではないのです。」
『アクロイド殺し』の画期性は、「語り手が犯人」であるという点と、それが激しい「フェア・アンフェア論争」を引き起こしたという推理小説史上、特筆されるできごとにあり、作品の歴史的な重要性を具体的に記すことは百科事典の役割に沿うものです。単に「叙述トリック」と書くだけでは、具体的にどのような点で画期性があるのか何もわからず、したがって『アクロイド殺し』に付されている内外の論評を理解することもできないし、『アクロイド殺し』の歴史的な重要性を十分に理解することもできないでしょう。
「導入部にネタバレを書くことは不適切である」との点については、Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部の、以下の記述をご確認ください。
「導入部は多くの人々が読むその記事の最初の部分であり、そして導入部だけを読むことも多いです。その記事をさらに読もうという興味を引き出すことが推奨されますが、導入部ではそれに続く内容をほのめかすことで、読み手に対して「もったいぶる」ことは推奨されません。その代わりに、導入部は中立的な観点を伴った理解しやすい表現にて、明確に記述されることが推奨されています。」
つまり、『アクロイド殺し』の導入部では、「叙述トリック」などと内容をほのめかして「もったいぶる」ことは推奨されず、「語り手が犯人」であると理解しやすい表現にて明確に記述されることが推奨されているのです。「この記事以外で導入部にネタバレを掲載している記事は全くと言っていいほど存在しません」とのことですが、それは『アクロイド殺し』の「語り手=犯人」のように、導入部に犯人をネタバレすべきほどの画期性や歴史的に重要性のある作品がほとんどないためです。画期性や歴史的な重要性という点で『アクロイド殺し』の「語り手=犯人」に匹敵する作品は、「探偵役=犯人」の最初の作品『ビッグ・ボウの殺人』と、「シリーズ物の探偵役=犯人」の最初の作品『レーン最後の事件』ぐらいしか私には思いつきません(これらの作品の導入部にその記述があるかないかは別として)。
以上、長々となりましたが、ご理解ならびにご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2021年6月26日 (土) 15:48 (UTC)
砂手紙さん、エヴァンズの秘書さん、ご返信ありがとうございます。順を追って私の意見を述べさせていただこうと思います。
● まず砂手紙さんのご意見ですが、あくまで「当記事における『語り手が犯人』との記述の是非」が主題であり、該当ガイドラインの文を書き換えたいわけではないのでこちらのノートで問題ないと考えています。
 また、確かにこれは私個人の解釈ですが、意見が妥当か否かは根拠の正当性によって判断されるべきです。「個人の解釈だから説得力が無い」というのは論理的ではありません。
● 続いてエヴァンズの秘書さんのご意見ですが、まず『一般に』の解釈については同意しかねます。文法からして『一般に』は『予想されます』にかかっているので、「記事全般」という解釈は明らかな誤りと言えるでしょう。ゆえに反論としての説得力に欠けています。
 次に「『語り手が犯人だ』という記述が必要な理由」についてですが、エヴァンズの秘書さんは『~でしょう』などの主観的な根拠が元になっており、私の意見を"否定するほどの"説得力は無いように思われます。なにより「語り手が犯人だという記述はフェア・アンフェア論争の説明に必須だ」という主張は「 記事:叙述トリック において語り手が犯人だという記述無しに必要十分な説明が成り立っていること」と矛盾しています。個人的には「語り手が犯人である」ことよりも「語り手が信用できない(≒叙述トリック)」という部分こそが画期的かつ論争点になった要素だと考える方が自然かつ矛盾も発生しないと思いますがいかがでしょうか。
 最後に「導入部にネタバレを書くことは不適切である」という私の書き方が誤解を与えてしまったようで恐縮ですが、私は「いかなる場合においてもネタバレを記述してはならない」ということを言いたいわけではありません。「ネタバレが無くても記事の質が損なわれないのであれば、書かないほうが良い」という解釈です。 Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説#解釈の例 においても『単にルールの文面に従うのではなく、そのルールに含まれている精神を理解し、尊重してください』と言及されているとおり、「ガイドライン制定者がどのような意図で作成したか」を考えるのは非常に重要なことです。そして Wikipedia:ネタバレ においては「ネタバレを無理に避けることによる質の低下の防止」が第一に置かれているのを前提にした上で「不要なネタバレを推奨しているわけではない」という意図も『その面白さを損なってしまう可能性があるもの』などの(先に引用した複数の)文から十分読み取れると思います。
 また、全体を通して誤解されているようですが、私は「『叙述トリック』という語を用いて内容をぼかせ」と言っているのではなく、むしろ「『叙述トリック』を用いたほうが明瞭に伝わる」という立場です。「なぜ内容をぼかすのがいけないのか」はWikipediaの方針として十分理解しているので、議論を簡潔にするためにも論点を絞っていただけると幸いです。
 以上、全体的に反論を述べさせていただきましたが、反論への反論、あるいは更なるご意見等がございましたらよろしくお願いいたします。
 p.s. Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱い はあくまであらすじ部の書き方に関するガイドラインですので、導入部の議論に持ち出すのは些か不適当に思われます。 --Maijin800会話2021年6月28日 (月) 18:39 (UTC)

「個人の解釈だから説得力が無い」(という私の判断には否定的)と、エヴァンズの秘書さんの「主観的な根拠」は(Maijin800さんの意見を否定するほどの)「説得力は無い」(というMaijin800さんの判断には肯定的)という考えの二つは、Maijin800さんのお考えではどのような論理で結び付けられるものなのでしょうか。具体的には「個人の解釈」と「主観的な根拠」とはどのように違っているのでしょうか。--砂手紙会話2021年6月29日 (火) 13:42 (UTC)

既に書きましたが、私が判断基準にしているのは「その意見の根拠に正当性があるか」です。先述した「私個人の解釈」というのは、決して「私の"主観のみ"に基づいた解釈」という意味ではありませんし、私自身も客観的な根拠を提出したつもりです。その根拠が正当であるか否かを論じずに却下するというのは些か横暴というものでしょう。
一方でエヴァンズの秘書さんの該当する意見では『単に「叙述トリック」と書くだけでは、具体的にどのような点で画期性があるのか何もわからず、したがって『アクロイド殺し』に付されている内外の論評を理解することもできないし、『アクロイド殺し』の歴史的な重要性を十分に理解することもできないでしょう。』とのみ述べられており、そこに至る具体的な根拠が無いため主観的な意見に終止しています。もちろん主観的な意見も尊重されるべきではありますが、それだけでは決して相手の意見を否定する根拠とはなりえません。
以上が、私が「個人の解釈というだけでは否定される理由にならない」と述べた理由と「エヴァンズの秘書さんの意見は主観的であり、私の意見を否定する説得力はない」と論じた理由です。繰り返しになりますが、この件における私個人の判断基準は「その意見の根拠に正当性(言い換えるならば客観性)があるか」です。
 --Maijin800会話2021年6月29日 (火) 16:08 (UTC)
Maijin800さん、まず『一般に』の解釈について、「文法からして『一般に』は『予想されます』にかかっているので、「記事全般」という解釈は明らかな誤りと言えるでしょう」とのことですが、下記 コトバンク「一般」 デジタル大辞泉「一般」の解説のとおり「一般」=「全般」です。
1 広く全体に共通して認められ、行き渡っていること。また、そのさま。全般。「一般の傾向」「一般に景気が悪い」

2 ㋐ありふれていること。あたりまえ。普通。「一般の会社」「一般市民」
  ㋑多くの普通の人々。世間。「一般に公開する」

3 特に違いが認められないこと。また、そのさま。同一。同様。「私は彼女と同じい罪を犯したも―だ」〈犀星・性に眼覚める頃〉
1の意味であれば、「一般」=「全般」です。長い文章の方だと「広く全体に共通して認められ、行き渡っていること」です。ですので「ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます」を普通に解釈すれば「ウィキペディアの記事にはネタバレは全般に記述されているものと予想されます」または「ウィキペディアの記事にはネタバレは広く全体に共通して認められ、行き渡って記述されているものと予想されます」となります。あるいは、2㋐の意味「ありふれていること。あたりまえ。普通。」と解釈して「ウィキペディアの記事にはネタバレはあたりまえに記述されているものと予想されます」「ウィキペディアの記事にはネタバレは普通に記述されているものと予想されます」でもいいでしょう。いずれの解釈にせよ、フィクション作品に関する記述が未読・未視聴・未鑑賞の人にとってはすべてネタバレになりえるということと合致しますので、「一般に」とはこれらのことを示しているものと思われます。
● 次に、p.s. で追記されている、「Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱い はあくまであらすじ部の書き方に関するガイドラインですので、導入部の議論に持ち出すのは些か不適当に思われます」とのことですが、「ネタバレの扱い」の一部を切り取った文章だけを読まれているためか、誤解なさっています。誤解を解消するために下記に「ネタバレの扱い」の全文を記載します。
百科事典としての性質上、ウィキペディアにはネタバレが含まれます。また編集者はネタバレに対して特別な配慮を行う義務を負いません。その情報が作品の持つ重要性を説明し、あるいは物語全体の構造を説明するのに必要なものなのであれば、ネタバレを記述することに躊躇しないでください。またそれがネタバレであるからという理由で、記事から記述を除去したり、意図的にその情報を省略したりするべきではありません。

たとえば、ある重要な推理小説があると仮定してみましょう。一般に推理小説のネタバレ、つまりトリックや犯人などの真相といったものをその作品自体を読む前に知ることは、その小説の読書体験を致命的に損なうことになると考えられます。しかし、もし百科事典の記事の中でトリックや犯人などの情報が伏せられていたら、事典の読者はその作品について具体的にどのような点で画期性があるのか何もわからず、したがってその作品に付されている内外の論評を理解することもできないし、その作品の歴史的な重要性を十分に理解することもできないでしょう。作品の重要な詳細を伏せたまま作品を紹介することは、公式サイトや販売サイトの役割であり、そもそも百科事典の役割ではないのです。

もっとも、あらすじにおける情報の取捨選択には熟慮を要します。ネタバレを書いてよいからといって、物語の流れや作品の重要性となんら関わりのない、ただのネタバレにしかならないような瑣末な細部をあらすじに記すべきではありません。また、ただ読者にネタバレを言いふらすことを目的とするような編集を推奨しているわけではありません。物語のネタバレは、記事の中では物語の流れ全体を説明するための文脈に位置づけられているべきものであり、ただ作品内容を網羅したり、読者に暴露することを目的としてなされるべきものではないでしょう。
上記を見れば明らかなとおり、あらすじ部の書き方に関するガイドラインに該当するのは第3段落の「もっとも、あらすじにおける情報の取捨選択には熟慮を要します」以降です。それまでの第1段落~第2段落の説明はその前置きでネタバレ全般の解説ですので、最初の返信で引用した第2段落は導入部にも適用されます。
● また、「個人的には「語り手が犯人である」ことよりも「語り手が信用できない(≒叙述トリック)」という部分こそが画期的かつ論争点になった要素だと考える方が自然かつ矛盾も発生しない」とのこと、また「『語り手が犯人だ』という記述が必要な理由」に関するわたしの主張が「『~でしょう』などの主観的な根拠が元になっている」とのことですが、乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10 (6)『アクロイド殺害事件』(集英社文庫、1998年)の中島河太郎による巻末解説に、「語り手=犯人という叙述トリックがアンフェアであるという指摘は、『アクロイド殺害事件』が発表された直後からあった」と、アンフェアとの論争点が「語り手=犯人という叙述トリック」と明確にされていますので、「『語り手が犯人だ』という記述が必要な理由」に関するわたしの主張は客観的な根拠に基づくものであり、一方Maijin800さんの主張はご自身が記載されているとおり「個人的」な見解に過ぎません。
● さらに、「語り手が犯人だという記述はフェア・アンフェア論争の説明に必須だ」という主張が「 記事:叙述トリック において語り手が犯人だという記述無しに必要十分な説明が成り立っていること」と矛盾しているとのことですが、それは「 記事:叙述トリック において語り手が犯人だという記述無し」であることこそが、説明不足なのです。何がどう説明不足なのか、「 記事:叙述トリック 」の冒頭の文章を以下に引用して説明します。
小説という形式自体が持つ暗黙の前提や、偏見を利用したトリック。典型的な例としては、前提条件として記述される文章は、地の文や形式において無批判に鵜呑みにしてもいいという認識を逆手にとったものが多い。登場人物の話し方や名前で性別や年齢を誤認させる、作中作(劇中劇)を交える、無断で章ごと(時には段落ごと)の時系列を変えることで誤認させるなどがある。
上記に「典型的な例としては、前提条件として記述される文章は、地の文や形式において無批判に鵜呑みにしてもいいという認識を逆手にとったものが多い。」とあります、「地の文」とは作者による3人称の記述、「形式において無批判に鵜呑みにしてもいいという認識を逆手にとったもの」というのが作品中の「語り手(記述者)」の記述です。Maijin800さんは、「 記事:叙述トリック において語り手が犯人だという記述無しに必要十分な説明が成り立っている」と主張されていますが、それは『アクロイド殺し』の犯人が語り手だということを知っているからそう思われるだけで、未読の読者にはこの説明だけだと、『アクロイド殺し』の叙述トリックが誰による叙述なのかがぼかされており、作者による「地の文」の3人称の記述にあるのか、作品中の「語り手(記述者)」の記述にあるのか分かりません。そのためアンフェアとの論争点が「語り手=犯人という叙述トリック」にあることが理解できません。それに対し、現在の『アクロイド殺し』の導入部の記述は「「語り手が犯人である」という叙述トリック」と、誰による叙述トリックなのかが明確にされているので、アンフェアとの論争点が未読の読者にも理解できます。
Maijin800さんは、ネタバレが『その面白さを損なってしまう可能性があるもの』で「ネタバレが無くても記事の質が損なわれないのであれば、書かないほうが良い」ということにこだわっておられるようですが、それはWikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱い第2段落後半に記載されている「公式サイトや販売サイトの役割」的立場による見解です。Wikipediaは百科事典ですので、Wikipedia:ネタバレ冒頭に記載されている「ネタバレは、作品をまだ知らない閲覧者にとっては、その面白さを損なってしまう可能性があるものですが、百科事典では、その作品について解説する際に必要に応じてネタバレが行われます」の百科事典としての本義・本質は、後半の「百科事典では、その作品について解説する際に必要に応じてネタバレが行われます」にあります。
以上、大変長々となりましたが、ご理解ならびにご承知のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2021年6月29日 (火) 16:52 (UTC)--
利用者‐会話:エヴァンズの秘書さんご返信ありがとうございます。ひとつひとつ確認していこうと思います。
●『一般に』の解釈について
利用者‐会話:エヴァンズの秘書さんはどうも「一般に」やその類義語(「全般に」「普通に」「当たり前に」など)を『記述されている』という文節の手前に持って行きたがる傾向にありますが、文の意味を解釈する上で語順を入れ替えるのは悪手です。 (「赤い花を持った少女」と「花を持った赤い少女」は全く違う、と言えばご理解いただけるでしょうか。) この文が示すのが「wikipediaの記事には一般的にネタバレが含まれる」のではなく「ネタバレが含まれるのは一般的に予想できる」なのは文法の面から見て明らかでしょう。
だからこそ私は「導入部へのネタバレは一般的に予想できる範囲を超えているため、ガイドラインで推奨されている類のネタバレとは一線を画している」と判断したのです。細かい根拠は上の方に示したとおりなので、反論があればそちらを参照してください。
Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱い について
Wikipedia:あらすじの書き方#具体的な書き方 を見ればご理解いただけると思いますが、このページ自体が「セクションを設けたあらすじ」に関しての書き方を前提にしていますよ。あくまで「あらすじ項を書くときのガイドラインではこうだ」という前提を踏まえた上で使うべきです。今回引用された部分はWikipedia:ネタバレ と被る内容だったので特に不満はありませんが、念のため注釈しておきました。
●「語り手が犯人」は必要だと考える根拠について
客観的な根拠に基づいた意見だったのですね。次からは根拠も意見と同時に提出していただけると助かります。さて、その引用された文献についてですが、「語り手が犯人だと記述することは正しい」ことの裏付けにはなっても、「語り手が犯人だと記述しないことは間違いだ」とする裏付けにはなっていないように思われます。したがって、反論の根拠としてはいかんせん不適当です。
●記事:叙述トリック について
記事:叙述トリック の説明が不足だというのはやはり利用者‐会話:エヴァンズの秘書さんの主観の域を出ませんし、『未読の読者には~理解できません』との想定にも根拠が不足しています。記事として成立し長期間安定している以上は、合意を得られた記述であると判断するほうがWikipediaの方針にも合致しているでしょう。もしただの空想以上の根拠が存在するなら明示してください。
●ガイドラインの解釈について
何度も言いますが、私はけっして「Wikipediaから全てのネタバレを削除しろ」と述べたいわけではありません。必要なネタバレは問題ないことを理解した上で「"不要なネタバレ"は削除すべきか否か」について論じているのです。(「語り手が犯人」という記述が"不要なネタバレ"なのか否かも同時進行で議論中ですが)。ゆえに「必要なネタバレは掲載すべき」というのは私の解釈への反論になっていません。
●根拠の再提示
最後に、念の為ここに私自身の意見と根拠を再度箇条書きでまとめておきたいと思います。上に書いたものと多少文面は異なるかもしれませんが、意図は同じであることを明言しておきます。
0.私(Maijin800)の主張
・1.導入部における不要なネタバレは削除すべきである
・2.『語り手が犯人』という記述は不要である
・ゆえに『語り手が犯人』という記述は削除すべきである
さらに1.の主張は以下の二つに分けられます。
・1-1.ガイドラインは導入部でのネタバレまで想定・保護しているものではない
・1-2.ガイドラインは必要なネタバレに対しては保護しているが、不要なネタバレに対しては良く思っていない
1-1.「ガイドラインは導入部でのネタバレまで想定・保護しているものではない」と読み取った根拠
Wikipedia:ネタバレで『ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます』とされているように、予想が可能なことが根拠とされている様に見える。
・導入部にネタバレを載せることはWikipedia内でも類を見ない行為であるため、「一般に予想できる」とは言い難い。
・(英語版ガイドラインではありますが)en:Wikipedia:Spoiler#Why spoiler warnings are no longer usedにおいてもセクションのタイトルからネタバレを予測できることが理由に挙げられており、セクションの外である導入部については想定していないように見える。
1-2.「ガイドラインは不要なネタバレに対しては良く思っていない」と読み取った根拠
Wikipedia:ネタバレ において「必要なネタバレを保護する」理由は述べられていても「不要なネタバレをどうするか」の記述が存在しないため、解釈の余地がある。
・同ガイドラインにおいても『その面白さを損なってしまう可能性がある』とネタバレのマイナス点は認められている。
2.「語り手が犯人である」という記述が不要であると考えた根拠
・記事:叙述トリックにおいては該当する記述無しでも十分に説明が完結している。
私の意見を主観的だと断じるのであれば、どの根拠に客観性が足りていないのかをご指摘いただけると幸いです。
 --Maijin800会話2021年6月30日 (水) 05:21 (UTC)

繰り返しになってもうしわけありませんが、「Wikipedia‐ノート:ネタバレ#冒頭部分の記述に対するガイドラインの提案で尽くされている意見交換」で、ある程度尽くされた意見交換に対して「私(Maijin800)さん個人の解釈」で異議をとなえたいようでしたら、その異議をある程度の客観性(第三者の判断を含んだもの)として「その意見の根拠に正当性があるか」を問い直す必要があります。要するに現状では「Maijin800)さん個人の解釈」の「根拠」と「正当性」は客観的に判断できる材料が不足しています。--砂手紙会話2021年6月30日 (水) 15:45 (UTC)

失礼ながら、私の目にはWikipedia‐ノート:ネタバレ#冒頭部分の記述に対するガイドラインの提案 では「導入部における"必要な"記述をネタバレという理由のみで削除すべきか」の議論が行われており、「不要なネタバレ」に関する言及があるようには見えませんでした。具体的にどの発言が該当するのかを引用してご教示いただけると助かります。
 --Maijin800会話2021年6月30日 (水) 21:04 (UTC)
白熱した議論に横から入ってしまい申し訳ありませんが、そもそも、この話はそこまで大層な話ではないのではないかと感じています。皆さん少し落ち着きましょう。長文ばかりをぶつけても良い着地には辿り着かないものです。
まず、Wikipediaでは「この記述はネタバレである」という理由で記述を除去することは認められていません。なぜなら、Wikipediaはネタバレが記載されているという前提で利用するものだからです(あえて口語的に書いています)。
では、何でもかんでも書いてよいかというとそういうわけではなく、ネタバレだからということではなく、「冗長だから」「あまりに細かすぎてそこまで書くに値しないから」などの理由で除去されるべき記述もあります。
ここまでは皆さん共通認識だと思います。
ではこの記事のケースですが、まず「語り手が犯人である」という記述をネタバレだからという理由で除去することは認められません。理由は上に書いたとおりです。
また、「語り手が犯人である」と本来書くべき箇所を「叙述トリックが用いられた」など、ネタバレを回避するためにぼやかすことも認められません。理由は同じで、Wikipediaはネタバレが記載されていることを前提とした百科事典なので、ネタバレにならないように気を使うばかりに書くべき場所に書くべき内容が書かれないという事態は避けなければならないからです。
ここまでもよろしいでしょうか。
これを踏まえて、本件における論点は次の1つのみだと考えます。記事冒頭の『「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが~」以降の文章を本当に冒頭に書く必要性があるのか』ということだけを議論すればよいのではないでしょうか。そしてその議論に際しては「ネタバレだから冒頭に書くべきではない」という主張は意味を成さないでしょう。これは上に書いたとおりです。
該当の記述は、記事の中でも「フェア・アンフェア論争」や「作品の評価」など、それを書くべき節が十分に設けられていることから、あえて冒頭で強調して同内容を書かずともその特筆性を毀損しないのではないかと個人的には思います。
『それは『アクロイド殺し』の「語り手=犯人」のように、導入部に犯人をネタバレすべきほどの画期性や歴史的に重要性のある作品がほとんどないため』というご意見はその通りなのかもしれません(私はそこまで数を読めていないのでわかりません)。ですが、それはだからといって必ずしも本記事冒頭に強調して書かねばならないということの根拠には成り得ず、個人的には節をしっかり設けて詳細に記述すれば足りるのではないかと思っています(この点は各人で思うところがありますよね。ですからこの点を議論すればよいのです)。
したがって、本記事の議論が白熱してしまっているのは「ネタバレだから云々」という本質から外れた点について延々と話してしまっているからです。それを踏まえてぜひ冷静に議論なさってはいかがかと思います。以上です。--F@ST会話2021年7月1日 (木) 12:50 (UTC)
ちなみに過去同じような内容を議論していまして(過去ログ2を見てください)、いま問題になっている記述はまさに今議論に参加している面々がその時もやれこうだああだと議論して決めた文章でもあります。年月も経っているので、多少考えも変わっていますが、私個人としては「冒頭に書くなら今の文章がベスト。でもそもそも冒頭にまで書かなくても十分かもね」というのが今の意見です。どうぞ皆さんのご意見もお聞かせください。--F@ST会話2021年7月1日 (木) 13:00 (UTC)
記事冒頭の『「この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが~」以降の文章を本当に冒頭に書く必要性があるのか』ということだけを議論すればよいのではないでしょうかとのF@ST会話)さんのご提案につきまして、異存ございません。
私の意見は「『アクロイド殺し』の画期性は、「語り手が犯人」であるという点と、それが激しい「フェア・アンフェア論争」を引き起こしたという推理小説史上、特筆されるできごとにあり、作品の歴史的な重要性を具体的に記すことが百科事典の役割に沿うものである」、「「語り手が犯人」であるという点と、それが激しい「フェア・アンフェア論争」を引き起こしたというのは、乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10 (6)『アクロイド殺害事件』(集英社文庫、1998年)の中島河太郎による巻末解説に、「語り手=犯人という叙述トリックがアンフェアであるという指摘は、『アクロイド殺害事件』が発表された直後からあった」と、フェア・アンフェアの論争点が「語り手=犯人という叙述トリック」にあったことが明確に裏付けされている」、「Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部に基づき、『アクロイド殺し』の導入部では、「叙述トリック」などと内容をほのめかして「もったいぶる」ことは推奨されず、「語り手が犯人」であると理解しやすい表現にて明確に記述されることが推奨されている」と既に出し尽くしており、これ以上申すことはございません。よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書会話2021年7月1日 (木) 23:29 (UTC)
F@STさん、エヴァンズの秘書さん、ご意見ありがとうございます。さて、F@STさんの考えとしては「『語り手が犯人だという記述を冒頭に書く必要性があるのか』だけを議論すればよい(意訳)」とのことですが、私としての考え方はやや異なりますので、以下に私の考えを述べさせていただきます。少々長くなりますがご容赦ください。
まず、私はこの議論で問題になっているものは(Wikipedia‐ノート:ネタバレ/log1#ネタばれについて の表現を借用するならば)「百科事典としての質」と「ウェブページとしての質(ネタバレへの配慮)」との2点だと思っています。この語を用いると、Wikipedia:ネタバレ の方針は「"ウェブページとしての質"を重視するあまり"百科事典としての質"が損なわれることがあってはならない」と言い換えることができ、同様に過去ログにおけるネタバレ掲載派の主張は「『語り手が犯人』との記述がなければ"百科事典としての質"が損なわれる」、ネタバレ削除派の主張は「『語り手が犯人』との記述によって"ウェブページとしての質"が損なわれる」と言い換えができます。ここまでは概ね同意いただけるのではないでしょうか。
それを踏まえるとF@STさんの提案は「百科事典としての質」のみについての議論となりますが、それは得策ではないと考えています。というのも、この問題に対しては「この記述が"百科事典としての質"を高めている」「この記述が"百科事典としての質"を下げている」以外に「この記述の有無によって"百科事典としての質"に影響は出ない」という立場があり、私自身も3つ目の立場だからです。そこで何が差をつけてくるかというと「ウェブページとしての質」となってくるわけであり、だからこそ「百科事典としての質」と「ウェブページとしての質」の両方についての議論を「『叙述トリック』と書くだけでは不足なのか」「ガイドラインがネタバレを許可しているのは『回避が可能だから』なのではないか」という2つの議題として提出した次第でございます。
以上長くなりましたが、結論としましてはやはり「百科事典としての質」「ウェブページとしての質」は切り話して考えるべきではないと思っており、その観点において過去ログでの話し合いは不十分であると考えております。ただし、砂手紙さんから指摘があったような「"ウェブページとしての質"に関する議論はWikipedia‐ノート:ネタバレ で話すべきだ」という意見の是非は判断しかねているので、同様の意見が多いようなら議論の場の分割を検討しています。なにかご意見がございましたらよろしくお願いいたします。
 --Maijin800会話2021年7月2日 (金) 02:02 (UTC)
ありがとうございます。一つ一つ書かせてください。
  • この議論で問題となっているものは「百科事典としての質」と「ウェブページとしての質(ネタバレへの配慮)」との2点だと思っています
こちらについてですが、これまで議題に上がっていたかはさておくとして、後者(ネタバレへの配慮)については議論する意味がありません。ウィキペディアではネタバレだからという理由で曖昧な記述をしたり、過去にありましたが、伏字にしたりタブで隠したりなどの対応はしません。そもそもこの対応がどうなのかという論点については、議論場所がここではなくWikipedia‐ノート:ネタバレになります。そちらで方針が変わるまではこの記事でもその方針に従うことになります。
したがって、私はいわゆる「百科事典としての質」についてのみ議論すればよいと述べました。ご認識のとおりです。
特定の記述が「百科事典の質を高める、下げる、どちらでもない」という評価を受けうるという点は同意します。私の考えは「下げる・どちらでもない」のであれば不要なので除去すべきというものです(利用者ページに記載していますが、排除主義という分類をされます)。個人的には「質」という大層なものではなく、「繰り返しになるからそこまで強調して冒頭に書かなくてもよくないですか?他の記事でもそういう書き方はしてないんですよね?」という感じです。ラフに書けば、ですけど。
まとめますと、『ガイドラインがネタバレを許可しているのは『回避が可能だから』なのではないか』という議論はこちらでする話ではないですし、『「叙述トリック」と書くだけでは不足なのか』というご意見には「あえて情報を削る意味がなく、削る理由はネタバレを回避するという趣旨としか現状捉えられないので認められない」とお答えします。ネタバレ以外の理由で情報を削るべきだと主張されるなら議論に値すると思いますよ。
ここまで返信の形で書きましたが、結論として、現状考えられる主張のパターンは次の2通りだと思います。
  • 『「推理小説史上特筆されるべきできごとである」から、節に記載するだけではなく、冒頭にも記載すべきだ』
  • 『百科事典においては他の記事との統一性も重視されるべきで、冒頭に記載している例は無く、節内に十分に記載すれば事足りる。冒頭に記載する必要性がないので除去すべきだ』
どちらが総意としてよいですかね、という話ではないかと思います。必要と感じるならコメント依頼で人を集めたほうがよいと思います。--F@ST会話2021年7月2日 (金) 04:02 (UTC)
ご意見ありがとうございます。「ネタバレへの配慮に関する方針」についてはWikipedia‐ノート:ネタバレ に書くべきだという意見が多いようなので、そちらは後ほど別でノートを立てたいと思います。
一方、「百科事典としての質」に関してですが、私は先に述べたように「書く必要性も無いし消す必要性も(ネタバレという点を除けば)無い」という立場であるため「書く必要性がある」という主張の方とは議論の余地がありますが、「ネタバレへの配慮に関する方針」が確定しないことには無駄な議論になってしまうので、一旦保留にさせていただきたいと思います。
様々なご意見を下さり、ありがとうございました。自分の考えを整理する上でも参考になりました。
 --Maijin800会話2021年7月2日 (金) 11:11 (UTC)