ノート:くずし字

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項目「ひらがな」[編集]

項目「ひらがな」を見てびっくりしました。私は、仮名とは、「現代ひらがなを含む変体仮名の一群」と「カタカナ」だと思ってました。万葉仮名って、変体仮名ではないのでしょうか?江戸古文書には、漢字の草書体そのものの変体仮名が出てくるので、行草書万葉仮名も変体仮名だと思っていました。江戸古文書の草書漢字の変体仮名と、万葉仮名には、違いがあるのでしょうか?かな書で有名な「秋萩帖」(10世紀)は、万葉仮名の草書体だそうです。江戸古文書の草書漢字の変体仮名にそっくりですが。勉強中。

上記疑問のまとめ。「万葉仮名」をウィキ説明通りに楷書・行書とすると、近世文書に出てくる、漢字に近い行草書の、古文書用語で言う「変体仮名」は何かということになる。文字にこだわる人や、やわらかい字を使いたくない場面では、江戸時代でも、漢字に近い行草書がよく使われています。これを「ひらがな」と呼ぶのは、イメージに合わないと思うのです。近世文書の中の字を、「万葉仮名」と呼ぶのも変だと感じます。

それに、現代かなと同一文字の本が、明治6年に出版されています。近くの郷土資料館で確認しました。小学校令が出るよりはるか前に、出版物が出ているのです。小学校令は、出版物の現代かな使用を追認しただけだと思以降います。  --盛衰栄枯 2007年12月9日 (日) 08:37 (UTC)[返信]

手書きの公文書・実用文書しか、古文書と言わない「古文書学」もおかしいと思います。手書きの文書しか読まないのでは、堅苦しい人たちのことしかわかりません。つまり、庶民は、易しい「かな」と認識する一群の文字を使った版本の世界に住んでいるのに、手書きする必要があって、その文書が残る可能性の高い公的な文書の世界では、漢字の行草書の仮名が多く使われていたという可能性もあるでしょう。混乱中。

実証史学を批判して心性史社会史を取り入れる前に、今井式「史料批判」の原点にもどって、出版物解読を歴史学の講義に入れるのが先ではないでしょうか。 --盛衰栄枯 2007年12月10日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

記事冒頭から「……を指すことが多い」と書き出されていますが、定義さえはっきりしないものが百科事典の項目として成り立つんでしょうか。実際のところ、本文の方も、候文のことなどが色々と書き連ねてあるばかりで、やっぱり項目として発展する可能性は低いんじゃないかと思うんですが。盛衰栄枯さんに一体どのような方針があるのかお聞きしたいです。--どん底 2007年12月22日 (土) 13:48 (UTC)[返信]

やっと書き込みに気がつきました。(どうすればすぐにわかるのでしょうか)失礼しました。百科辞典というのは、言葉を手がかりにして、知識を増やせることが大事ではないでしょうか。江戸時代の公文書・実用文の、文字や文体は、現代人の知識的盲点です。しかし量は膨大です。知らなくて良い、百科事典に必要ない、とおっしゃるのでしょうか。抽象的な概念表現と、参考文献と、具体的な画像イメージを提供する必要があると思います。--盛衰栄枯 2007年12月25日 (火) 07:08 (UTC)[返信]

近世文書なら、多分、日本全国、誰の住む町にもあるのです。しかし私は、古代や中世となるとわかりません。中世にもすでに使われていますが、私はそれ以上のことはわかりません。くずし字の発祥や、近世文書にいたる経過なども、私にはわかりません。しかし、近世文書のこととなると、普通「くずし字」で書かれている、と言います。これは、くずした文字、というような、現代人が考えるような一般的な意味ではありません。しかし、高校大学生のどれくらいが、「くずし字」と聞いて、近世古文書を思い浮かべるでしょうか?適当に形がくずれているのを思い浮かべるでしょう。定義があいまいなままですが、いずれは明確な定義ができるでしょう。--盛衰栄枯 2007年12月26日 (水) 00:52 (UTC)[返信]

江戸時代に広く用いられた行草書は、幕府公認の「御家流」という、確立された和様の書風にもとづくものです。一部では唐様の行草書なども書かれましたが、習得できる機会も少なく、一般的なものではありませんでした。また、「崩し方が違う」と言ってもいいでしょうが、和様の行草書と唐様のそれとでは字体も異なります。書道史を調べれば、そういった書風の変遷について、詳しく知ることができるでしょう。
それぞれの役割に応じて書き分けられていた、さまざまな書きぶりを、一緒くたに「くずし字」としてまとめてしまうのは、どうでしょうか。そもそも「くずし字」という言葉には、特に近世の古文書の書きぶりのことを総称するという、一般的な合意があるでしょうか。それは、とりあえず手近な古文書の内容を知ることができればよいから書きぶりのことは不問とする、便宜的な発想によるものではないでしょうか。
わたしは、この記事の内容であれば、さらに下調べを続けて候文御家流に加筆されるのがいいと思います。(現状の「候文」はいかにも寂しく、もっと充実されていい項目のはずです。)そして「くずし字」という言葉には「形を崩して書いた文字」という以上の意味がなく、語の意味するところが広すぎるので、何らかの項目に関連づけるのも難しいと思うのです。残念ですが、いったん削除するほうがいいのではないでしょうか。--どん底 2007年12月26日 (水) 19:47 (UTC)少し修正--どん底 2007年12月27日 (木) 15:13 (UTC)[返信]

議論中のものは削除しないでいただきたいと思います。年明けにまたよろしくお願いいたします。多数の専門機関に問い合わせ中です。広辞苑・三省堂辞書・平凡社世界大百科・角川日本史辞典・柏書房・吉川弘文館・言語学研究機関5・6箇所、岩瀬文庫、同時に他のことでもこのページが検索できるようになっていますから、さらに多くの機関がこのページを閲覧することになると思います。文科省・内閣の諮問機関?・各新聞社・雑誌社・東大出版・講談社・文芸春秋。江戸時代の文書の知識の欠落の仕方は偏っていると思います。より良い知識提供ができれば、発展的解消もありうるでしょうが、結論を急がないでいただきたいと思います。--盛衰栄枯 2007年12月28日 (金) 02:32 (UTC)[返信]

お疲れ様です。文書・手紙・メール・電話…問い合わせ方法にもいろいろありますが、Wikipedia:検証可能性を満たすためにも、どこかの機関からお答えを得られた場合には、お問い合わせの点について確認可能な出版物も是非教えてもらってから、執筆を行って下さい。過去にはノート:陸上競技のランパンの節にあるようなケースもありました。それと数時間内に何度も同じ節を更新する方が増えますとサーバーが重くなってしまい、他の方々も引いてはご自身も更新しにくくなってしまいますので、極力回数を少なくまとめるようにご協力をお願いいたします。現に私も、20分前にこのメッセージを書き込もうとしたのですが、度々更新なさるため、なかなか書き込めなくて困惑しましたので。125.195.139.70 2007年12月28日 (金) 03:09 (UTC)[返信]

農村の古文書、庶民の筆をたくさん見ている者には、「確立した御家流」はないだろう、と思います。少しは調べてください。参考文献挙げました。歴史学の重鎮・碩学が「くずし字」という表現を使っています。「くずし字」が、ネットでもある程度は調べられる程度の言葉であることは、すぐわかります。このような対応は、「非常な的外れ」と考えております。私の多量のコンタクトは、既知のことについての、各方面への提言です。「問い合わせ」というのは適切な表現ではありません。私は電話とメールを併用して各機関とコンタクトしています。これほどまで、江戸古文書の知識の欠落の仕方が偏っていることに、社会全体が無感覚で来ているのですから、そう簡単に、私の「提言」に対して、権威からの「お答え」など来ないと予想できます。当分の間、削除はお待ちいただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。-盛衰栄枯 2007年12月28日 (金) 03:24 (UTC)[返信]

某所より、大変勉強になりました、というメールをいただいております。このようなことを掲載させていただくのも、極めて心苦しい次第であることを、スタッフの方々はご承知願いたいと思います。そのような要求には、応えられません。参考文献に関しては、人によっていろいろ考えはあるでしょうが、私は煩雑を避けたいと思って書いていないだけです。それ以上に、すでに掲載した分、またネット上の情報についても、調べたと思えないままに、検証できないと書くのは、いかがなものかと考えております。--盛衰栄枯 2007年12月28日 (金) 15:35 (UTC)[返信]

大学で古文書に出会った時、自分が「くずし字候文」というものに対して、全く何の心の準備もなかったこと、どうして重要なことに対してこのような白紙状態というものがあって、それが大学へ来ると最低限の基本とされるまで、重要度がランクアップするという、異常事態になるのか、この問題が非常に気がかりでした。今も状態が変わらないようなので、改革するべきだと考えています。

今住んでいる関東の山の中の町では、地元の古文書のコピーのファイルが、本棚一つ分ストックされています。こういう方法だと、現実味がわくでしょうが、鍵付きで、申し出ないと見られませんでした。私の郷里の町では、町史の後ろに活字に置きなおした史料が掲載されています。都市では活字体に置き直した史料集というのが、図書館に行けばあります。大学では、農村の近隣での仕事上のやりとりや記録が、印象に残りました。どうしてこんな日常的なことを、くずし字で、農村の人が書くのかと不思議でした。識字率の意味が違って感じられる。現代人には全く想像もできないような、どうやってマスターしたのかと思うような、文字と文体と用語なのです。

私は、自分が感じた、この江戸時代と現代との、文字生活の乖離を、問題にしていかなければならないと考えています。--盛衰栄枯 2007年12月29日 (土) 00:36 (UTC)[返信]

公文書で要求される書きぶりと、町や村の人びとの日常に表れるそれとを、一緒くたにすることはできません。もちろん公的な場では謹厳に書かれたでしょうし、私的な場では崩して書かれることもあったでしょう。そのような姿勢の違いがあっても、江戸時代一般に教育され、あらゆる場面で用いられたのが御家流だという事実に変わりはありません。これは盛衰栄枯さんが記事本文に参考リンクとしてあげられていた「はじめてみよう古文書入門」にも明記されてますね。
本文に追記された「いわゆるくずし字で読み書き手習いした」という言葉からわかるのは、『くずし字』が現代において、広い意味で俗称・通称として用いられているということですね。古文書に関心のある読者といっても、文字の書きぶりについて詳しい知識があるとは限りません。江戸時代には特に上記のような事情がありましたから、書体や書風の弁別をあえてせず、『くずし字(=崩して書いた文字)』というわかりやすい表現にまとめるのは、理解を助けるために役立つでしょう。しかし、そのような表現が「事典の項目としてふさわしいか」というのを聞きたいのです。
現代では、仮名を連綿で書いたり、漢字を行草で書いたりすることは、ほとんど見られません。だからといって、そういう視点から過去の歴史を見るのは、正確ではありません。時代によって、身につけるべきだとされる知識や技術は違ってくるものです。ある時点ではありふれていたことが、他の時点ではそうでない、ということはよくあります。そのような変遷についての方針なしに、自分の周囲にある江戸時代の古文書を読むことだけ考えればいいというわけにはいきません。日本では『くずし字』が略体と見られていた期間が短く、写経でさえ、平安時代末法思想が流行したころには、行意を加えて和様で書くようになってました。そもそも文字体系のひとつである平仮名も、漢字を崩していくことで、男手・草仮名・女手・平仮名、といった流れがあって、できているわけですよね。
つまり『くずし字』の項目というのは、日本の書道史を辿っていくような作業になりはしないですか。他項目との関連をはかりながらそのような大作業を進めていけますか。まず、関連する諸項目を充実させてからでも遅くはないと思います。前述したように、まず候文御家流に加筆するのはどうですか。--どん底 2007年12月29日 (土) 14:51 (UTC)調整--どん底 2007年12月29日 (土) 14:57 (UTC)[返信]

私は、江戸古文書について、その文字や文体や用語を理解する、という方法が、古文書の勉強だ、というのが歴史学的常識だと思っていました。夥しく残っている農村文書・経済文書は、特に御家流を意識したわけでなく、用件を達するという目的のもとに書かれたものです。書の歴史の御家流には、遠いものが多いのが実態です。それを考えれば、「くずし字」の方が妥当だと思います。

幕府の公式文書が御家流だった、のは確かです。が、それだけになってしまうと、庶民が日常の用を達していた文書も御家流だった、ということになりかねません。それはおかしい。現代で、字の書きぶりが人によって千差万別であるように、実際に書かれた字は、御家流などという概念には、納まらないと思います。

戦後は、社会経済史が非常に人の心を捉え、多くの研究者が農村に行って、たくさんの史料の保存収集に力を尽くしたという経緯があります。それらの史料から、たくさんの経済史関係の論文が書かれました。しかし私には、それらは、江戸期の社会を支えた情報のやりとりの結果とも見えるわけで、末端といえども伝達文・証文だらけだった、という印象が強い。 それを「御家流」という言葉でくくられると、せっかく残った膨大な文書が、意味をなくすような気がします。 まあ、研究者が、自分の目的に沿って、見ようと心がける文書の、書き手の層で随分違うでしょう。しかし、「御家流」に限ると、失うものも多いと思います。--盛衰栄枯 2007年12月29日 (土) 16:57 (UTC)[返信]

古文書の先生のサイトもすぐ見つかります。江戸時代の日記に触れておられます。 http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/2005/05/post_e1c9.html 少し前には磯田道史著『武士の家計簿』新潮新書という本が評判になりました。これも原文はくずし字であろうと思われます。おもしろいのは「くずし字」だと、研究者は言うのではないでしょうか。

自分の家に古文書がある方もかなりおられるみたいです。しかし、なかなか研究者に読んでもらえない。自分で読めと言われるので、挑戦する方も多いみたいです。が、そういう個人的に関心の強い文書も「くずし字」だろうと思われます。

昭和30年に亡くなった私の郷里の人も、完璧にくずし字で書いておりました。くずし字が時代的にずれ込む可能性は高いけれど、身近な人が保存しない限り、近代の物は残らないのではないでしょうか。読み手がいれば、また違う。新たな読み手のためにも「くずし字」がいいと思います。

「御家流」には、「流麗な和様草書の手本」といった意味合いが大きいと思います。逆に言えば、手本のような字でないものを、無理に「御家流」の範疇に入れることはできないと思うのです。「字体」の歴史上、「御家流」の「字体」に発しているとしても、「御家流」の言葉に、「流麗な手本風の書体」というイメージが抜きがたくある以上、そうではない実用多用の筆記文献を指す「くずし字」の言葉は必要だと思います。

そう考えると、版本を「くずし字」と言ってるのは、版本の専門家には気になりそうです。 --盛衰栄枯 2007年12月30日 (日) 00:55 (UTC)[返信]

ここは、あなたの趣味と成果にもとづく、主観にとらわれた私見を書き留めておく場所じゃありません。あなたは自分で参考リンクとして掲げたページの内容を読みましたか。わたしが尋ねたことには答えてくれないようですが、百科事典の記述をより充実させるのではなく、自分で立てた項目を存続させるのを優先したい、というふうに解釈していいんですか。--どん底 2007年12月30日 (日) 09:54 (UTC)[返信]

「くずし字」=「御家流」ではない、と、私の質問に、上記古文書の先生もおっしゃってくださっています。「御家流」は、古文書の実物では見たことがありません。(書として学んだことがないという意味です。)私は「御家流」に書き込む力はありません。力のある方に、お書きになっていただきたいと思います。「候文」に関しては、現況では、私の書き込みから加筆できることもありそうです。しかし、近代における読み下し風候文の説明も必要です。江戸期の候文だけだと、ますます混乱します。「用字」に関しても別々に説明する必要がありそうです。--盛衰栄枯 2007年12月30日 (日) 13:02 (UTC)[返信]

私にわかるのは、行政徹底の必要から生じて民間にも慣行となっていた、実用多用の江戸期筆記文献の候文だけです。--盛衰栄枯 2007年12月30日 (日) 23:43 (UTC)[返信]

わたしは上で説明しているとおり、「くずし字」=「御家流」などとは一度も書いていません。わたしが御家流と候文への加筆をあなたに提案したのは、記事本文を読むかぎり、上記の2項目に加筆できる範囲のことしか書かれていなかったためです。もちろん、できないなら別に加筆しなくてもいいわけです。
「(書として学んだことがないという意味)」などと、まだ自説に固執しようとするのには失望しました。江戸時代の人々は往来物などで学んでいたから御家流で書けたのです。あなたはその先生の発言のうち、自分に都合のいいところだけ引いていますが、結果として、あなたの書いたことはその先生の記事全体と矛盾しているわけです。
あなたが「くずし字」について見ている範囲は、ごく狭いのです。狭い範囲だけ見ているから自分にもまとめられると思ってる。実際はもっとずっと広いもので、そう簡単にまとめることなどできっこない。そもそも「くずし字」が日本の文字だけを意味するわけでもないでしょう。文字を崩して書くということは、いつでもどこでも見られるものです。
そろそろ意見も出尽くしたようです。削除依頼のやり方をこれから調べたいと思います。--どん底 2008年1月1日 (火) 07:44 (UTC)[返信]


議論出尽くしと言うのは、1ヶ月以上たっても反論がない場合ではないでしょうか。正月直前の多忙な時期を選んで論難を開始し、あげくに随分と性急なことをおっしゃるものです。

私の関心は、「近代以前は筆書き文字が情報伝達の主役だった」ということの、一般的承認です。そんなのわかっている、と、大方の方は言うでしょう。しかし、文字のくずし方に標準があって、文字としての認識が成立する、その「読める」ということについての説明や、文体と用字について、多少なりとも立ち入った知識は、となると、全く常識の範囲に入ってきません。

高校史料は読み下しで、くずし字の和風漢文という認識が、成り立ちにくい状況です。活字史料は活字で、こんなものと誤認しやすい。読み下し、活字史料、くずし字文、それぞれについての知識はありますが、関連付けての簡潔な説明はありません。歴史情報として、文字に関する情報は、偏って脱落している知識だと思います。

中高校生の予備知識程度でいいから、紹介文を作りたいと思いました。広範囲の方々にご協力をお願いしている最中です。

私が見ている範囲は狭いとおっしゃいますが、歴史学で「古文書」と言ったら、手書き文書のことです。版本は入らない。そういう伝統の中で古文書を勉強するのです。民間の江戸古文書の数について、上記先生はその膨大な量について説明しておられます。引用させていただくのは心苦しいのですが、しかし、どん底さんがわかっているかどうか、はなはだ心もとないので、先生、お願いしますね。

2004年11月27日「とほうもない江戸時代の情報量」 http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/cat1914255/index.html

というわけで、解読が必要な江戸期の手書きのくずし字古文書だけで、膨大な量があり、一つの分野ともいえると思います。--盛衰栄枯 2008年1月1日 (火) 09:43 (UTC)[返信]

ローマン体の小文字は、大文字をくずして書いたアンシャルやカロリンガから成立していますが、これも「くずし字」ですからこの項目に加筆していいんでしょうか。この項目名だと基準があいまいで収拾がつかなくなるとは思いませんか。あなたが「くずし字」を自分のなかでどう定義しているかというのは、他人の関知するところではありません。
自分でやりたいことがあるなら自分のサイトでやればいいでしょう。こちらの説明を無視して同じ話題を蒸し返すのでは反論になってませんし、そちらからの具体的な提案もありませんから、議論が出尽くしたというしかないわけです。期間をおけばあなたから何らかの有意な話が引き出せるとも思えなくなってきました。また、わたしとしては、あなたによく考えてほしかったので、必ずこちらから返信しておくように心がけていただけです。期限を求めるなど、あなたがすぐ反応しなければならないような書き方はしていなかったはずです。それともコメント依頼でも出しますか。第三者の意見を聞いてみるのもいいかもしれません。--どん底 2008年1月1日 (火) 11:47 (UTC)[返信]

「コメント依頼」を見てみましたが、先行きが見えません。不当なバッシングは、よそでよく見ます。あなたが、不当なバッシングにならないようにするために、私にも納得できる条件というものを提示できるなら、やってみてもいいのではないでしょうか。この点についてはいかがですか? 何分わたしは、ウィキペディアの仕組みには慣れておりませんので、そのような条件の提示が可能かどうかも含めて、よくわかりません。自分にとって新しい仕組みに、自分で防衛策をとることはできないので、提案した方にお伺いするわけです。

あなたは文字の論理、私は歴史的社会的背景を含んだ全体的状況を含めて問題にしているのではないでしょうか。これはそもそも、議論の土台が別なのであり、これだけで、別項目が立つ理由になると、私は思います。

日本語の「くずし字」に含まれる、江戸時代に実用のほとんどを圧倒して社会の隅々まで浸透していた、行草書候文仕様は、現代では、文字・文体・用語、いずれをとっても、ほとんど死滅状態です。これを活字解読文と並べても、にわかには識別読解できないほど、現代では全体的に違って見えます。

ヨーロッパの状況で「くずし字」と言った場合、アンシャルやカロリンガは、この日本の状況と同じですか?できれば図版を紹介していただけないでしょうか。ヨーロッパで使われる「くずし字」の状況は、文字・文体・用語と、そろって死滅したのでしょうか?

英語の筆記体はくずし字ですが、現在でもかなり使っているのではないでしょうか。文体そのものが変わったわけではないし、用語も生きているものが多そうです。このようなものなら、あえて「くずし字」と項目を立てて説明する必要もないでしょう。--盛衰栄枯 2008年1月2日 (水) 03:26 (UTC)[返信]

あなたは以前「少しは調べてください」とわたしに向けて書きましたね。仕組みに慣れていなくても、プロジェクトの関連文書を調べて読むことはできます。他人の意見を一方的に不当なバッシング扱いし、耳を傾けようとする姿勢のない方には、コメント依頼という手続きを踏んでも二度手間になるだけで、意味がないでしょう。
ずいぶん回り道をしましたが、削除依頼を出したので連絡しておきます。--どん底 2008年1月2日 (水) 14:03 (UTC)[返信]

あなたの書き込みをバッシングと言ったわけではありません。公開にして大勢の方が入ってくると、そういう方も混じってくると申し上げたのです。そこは間違っています。だから、コメント依頼を省いた理由は成立しません。しかし削除以来を出されたわけですね。随分性急だと思います。各方面へ連絡したのが、休み前。休み中に削除依頼ですか。 いろいろ方針はあるものです。有用でも方針に合わなければ削除も成立するのかもしれません。何も私の書き込みを目のかたきにすることはないだろうという気がしますが、人によって考えることは様々です。--盛衰栄枯 2008年1月3日 (木) 00:04 (UTC)[返信]

独自研究に変えました[編集]

なにぶん、くずし字というのはとくに史学・文学でのジャーゴンの域を超えないので、正確性の問題よりも、独自の研究である性質のほうが問題であるように思いますので、タグを改めました。 Kzhr 2008年1月19日 (土) 13:12 (UTC)[返信]

タグに出典を明記せよとありますが、具体的にこの部分「要出典」と指摘してください。--盛衰栄枯 2008年1月21日 (月) 11:06 (UTC)[返信]

独自研究はひとつひとつの部分に疑問があるというようなことを意味しません。叙述全体が文献的根拠を持たざることです。くずし字はたしかにある程度含意される内容が限定されてはいますが、盛衰栄枯さんがそれこそ強調なさる活字によってそれまでの字が字だかなんだかわからないから生まれたような言葉です。たしかに、大学でも「崩し字が読めないと」などの会話はされているでしょうが、しかし、学術的なタームではなく、私たちがにわかに読めない字であるということは、よくよく注意なさればお分かりになるのではないでしょうか? 版本の字をくずし字と呼ぶこともまったく妨げられていないのですし、それこそ古筆を崩し字と呼んで誤りである根拠はありません。現在くずし字の内容として書かれていることについて、あげられた参考文献がそのように教えているのでしょうか。だとすれば、とんでもない誤りが横行しているのを歴史学は許容しているといわざるを得ません。定義の問題点についてはすでに述べたとおりですが、たとえば、
流通を促進したのは「往来物」と言われる、多数の版本である。
往来物を版本に限るのは誤りですし、多様な往来物について誤解を与える恐れのほうが高いです。また、候文普及の原動力の説明としてもかなり不足があると思います。
江戸期「候文」の特徴は、字体と文体である。
なぜくずし字の理解をするのに候文から入らねばならないのかわかりません。また、江戸期の候文にこそある特徴なのか疑問です。
漢字の行草書・変体仮名・ひらがな・カタカナ・行草書の漢文の助辞・合字(いくつかの文字を合わせて作られた文字)などが、日本語の語順で並ぶ文章に、定型の返し読みを混ぜて書かれた。
というのは、文字の呼称が基本的に理解できていないことを示しています。変体仮名はひらがな・かたかなにおいて標準的でない書きかたをいい、独立した概念ではありません。また、文字の種類を並べるだけであれば助辞を書き出す必要はないのですし、文字の並び方をいうのであればどんなものか全く想像できないという意味でかえって有害でさえある記述でしょう。
以下は省略しますが、ほんとうにくずし字という概念を通じて理解すべきことなのか再考いただきたいと思います。 Kzhr 2008年1月22日 (火) 06:20 (UTC)[返信]


流通を促進したのは「往来物」と言われる、多数の版本である。

これは私の仮説と言ってもいいでしょう。しかし「問題解決に向けての検討点の提示」と言う意味では、重要な仮設です。是非皆さんに念頭に置いておいていただきたいと思います。

そもそも、高校までの学校教育には、候文体は出てきません。どうしてこれほど、きれいに落ちているのでしょうか?学校古文では(私の場合、かなり昔の話になるのですが、今も変わるまい、ということでお話しします)、中世に盛んになった「話言葉」、という形では、出てきます。しかし文体の始めについての説明が、なかったような気がします。平安文学以降、古文で習う江戸期の代表的な小説(西鶴など)、また論説(新井白石『読史余論』など)の類まで、「なり」・「けり」の文です。

しかし、江戸期に、膨大な量と、利用者の幅広い社会層でもって、実に重要な役割を果たした(「平仮名」ノート・仮名の数の項参照)、「候文」の説明はありません。候文体の初期形態がどこにあるかと探せば、まずは、室町初期にはあったと考えられ、江戸時代も終末に至るまで流通し続けた、代表的な往来物、『庭訓往来』です。

これは、もともと話し言葉の丁寧語を、手紙文に使ったということなのかもしれませんが、遠方への意思伝達手段としての、手紙形式の手本と日用語彙の集合ということで、代表文献として早期から証拠文献のある往来物です。(参照「庭訓往来」下段参考外部リンク「庭訓往来」・普及について)

江戸末期の話し言葉は、相互意思疎通が困難だったという状況について、同じ「庭訓往来」のサイト下段、「このホームページを作るに当たって」に書いてあります。中世は方言なく相互意思疎通ができたか、といえば、私は反対だったとしか思えません。結局、文語文が流通して初めて意思疎通が自在になったのだろう、としか思えないのですが、いかがでしょうか。

初期は書写本だったでしょうが、この文の文意を削除されては困る、と、思っています。

江戸期「候文」の特徴は、字体と文体である。

「なぜくずし字の理解をするのに候文から入らねばならないのか」歴史的に古代から通期で記述できる方がおられるなら、追加修正の形で補足していただきたいと思います。そのようにタグを付けたいのですが、付け方がわかりません。 「江戸期の候文にこそある特徴なのか、疑問です」何と言っても、最大隆盛の時期が江戸時代です。それ以前の、司法・行政・経済、商用・共同生活における取り決めなど、これらがどのような形で相互理解されていたのか、中世は東寺百合文書などに証拠を求めることになるでしょうが、それ以前となると研究者に頼む他ないでしょう。追加修正補足していただきたいです。

漢字の行草書・変体仮名・ひらがな・カタカナ・行草書の漢文の助辞・合字(いくつかの文字を合わせて作られた文字)などが、日本語の語順で並ぶ文章に、定型の返し読みを混ぜて書かれた。

「変体仮名はひらがな・かたかなにおいて標準的でない書きかたをいい、独立した概念ではありません。また、文字の種類を並べるだけであれば助辞を書き出す必要はないのですし、文字の並び方をいうのであればどんなものか全く想像できないという意味でかえって有害でさえある記述でしょう。」

標準的なひらがな・カタカナって、どの文献に出てくる書体を指して言われるのですか?逆に、これが明治以前の「ひらがな」の標準的な書き方だと提示している本があるなら、その出典を明示してくださいと平仮名」ノートでもお願いしているところです。 たとえば、西鶴の板本に出てくる音節文字であるとか、振り仮名に使われている音節文字であるとか、書いてある本を明示していただきたいのです。普通、変体仮名の表を見ても、どれが標準かは、わかりません。また、ふりがなでも随分漢字に近いと思うようなものを使っているのもあります。

「而」を「て」、「與(与)」を「と」、と読んだり、「而已」を「のみ」と読んだりするのは、音の借用ではなくて、漢文における意味の読みです。「而」が「て」、「與(与)」が「と」と、変体仮名の表に出てくるのもありますが、漢和辞典には「て」・「と」の読みはありません。「与」が変体仮名として使われた時は「よ」の読みになります。現ひらがなの字母でもあります。(参考文献・林英夫『おさらい古文書の基礎(文例と語彙)』「第4章助詞に用いられる変体仮名」247pより。変体仮名となっていますが、元が漢文助辞であることから、音借用の変体仮名の使い方とは違うので、気になるので漢文助辞としています)「者」を「は」と読むのは、元は漢文の助辞らしいのですが、この文字は元来の助辞の場所以外にも使われて、変体仮名らしい用法になっている字です。漢文との比較についても力量不足を認めます。どなたか追加修正補足してください。

「文字の並び方をいうのであればどんなものか全く想像できないという意味でかえって有害でさえある記述でしょう。」意味がわからないのですが、もうすこし説明をお願いします。--盛衰栄枯 2008年1月23日 (水) 02:54 (UTC)[返信]

論点をずらさないでください。枝葉の議論をいくらしても幹が落とされれば意味がなくなってしまいます。「独自研究」であると私が考える根拠についてきちんと検討ください。 Kzhr 2008年1月23日 (水) 04:05 (UTC)[返信]

「崩(くず)す」については、広辞苑に、「正式の字画を簡略にする。くずし書きにする。草書または行書で書く。」となっていました。しかし、よく掛け軸などにある、純然たる草書・行書の漢詩の場合、あまり「くずし字」という語は、使わないと思います。字義では違和感はなくても。私は参考文献をいろいろ挙げております。その内容を見ても、「くずし字」についての私の記述が、私独自のものである、と判断する理由は何ですか?(ちょっと時間が前後しまして、先述の文中で訂正した分があります)

それに、版本も「くずし字」である、とは、当初から本文に書いてあります。--盛衰栄枯 2008年1月23日 (水) 04:36 (UTC)[返信]

そもそも、独自研究がなんたるか共有できていないのではないかと感じましたので、「独自研究は載せない」をご紹介いたします。本文のものがたりのバックボーンとなっている研究が、お挙げになったなかに本当にあるのか。これが私の疑問です。私は日本語学における文字の研究をかんたんに調べましたが、「くずし字という概念を通じて」研究しているものをまだ見つけられていません。より伝統的な、「お家流」などのタームを使用しています。ご反論はあろうかと存じますが、ここで、ふたたび「独自研究は載せない」に話しを戻しますと、ウィキペディアは、まったくの新発見の事実や新解釈を「排除」する場ということがいえます。さきに、
流通を促進したのは「往来物」と言われる、多数の版本である。
これは私の仮説と言ってもいいでしょう。しかし「問題解決に向けての検討点の提示」と言う意味では、重要な仮設です。是非皆さんに念頭に置いておいていただきたいと思います。
と仰いました。つまり、盛衰栄枯さんがまったくあらたに結論なさったことです。だから、これは排除されなければなりません。これはウィキペディアが研究発表の場ではなく、学界の成果に則って、その成果へみちびくためにあることから来ています。つまり、学史的な位置づけを持たないものは、ウィキペディアには位置を持たないことともいえます。以下の記述についても同様です。中立的な観点から申しあげれば、日本語学や書道史でくずし字という術語がないということを無視している現在のものがたりは古文書学偏重であって認めがたいことですが、いまもっとも気にすべきことではありません。いま現在の最大の問題は、参考文献がどのように盛衰栄枯さんがお書きになったことを保証するのか明らかでないことです。その点があきらかにならなければ、次に進まないと考えています。 Kzhr 2008年1月24日 (木) 18:14 (UTC)[返信]

不思議に思うのですが、項目「平仮名」の「明治に入る頃には百数種類だった」という部分は、間違っているのではありませんか?出典が明らかになれば、お書きになった先生に、訂正をお願いしないといけないと思うのです。

私は既に、明治も早期に現代かなの書籍が存在し、明治33年の小学校令の5年くらい前から、児童用の雑誌が確認できるから、小学校令で平仮名の整理が決まった、というような書き方は改めて欲しい、と、連絡した出版社もあります。

「明治に入る頃には百数種類だった」という文章は、何の学会で学史的に位置づけがあるのか知りませんが、見ている範囲が狭いのではないかという気がします。その学会に訂正を求める意見を出さなければいけないのではないかと、思います。万民が知っている「平仮名」の話です。子供も参照するような項目のことですから、影響が気になります。

幕末から明治初期は、かなだけの新聞を出す試みもあったくらいに、出版でもいろいろな試みがあったみたいです。人心も流動的だったと思います。でも、鎌倉室町なく、江戸時代の多用な「仮名」の実態を全部飛ばして、幕末の試行錯誤?の一部が江戸時代全体の結果です、みたいな書き方は変だと思います。

何の学会の位置づけかわかりませんが、古文書学の成果は無視する、ということが、中立の定義なのでしょうか。

日本語学や書道史でくずし字の術語がなくて、古文書学に出てくる、その言葉を項目として立てたら、中立ではなく、項目として成立させてはならない、とは、おかしな話ではありませんか?

参考文献がどのように私の記述を保証するのか明らかでないとうのは、1文節1文章ごとに参考文献の出所を明示しないといけない、と言ってるみたいですが、ご自分が全く参照文献を提示なさらない状況では、この要求も説得力がないような気がしますし、また、書き方として、参考文献は下にまとめよ、みたいだったと思うのです。

わからないということであれば、お返事はいたします。また、もっと参考文献の中身を本文中に反映させたほうが良い、ということであればそうします。前の回答のようなのは、本文にはありませんので。--盛衰栄枯 2008年1月26日 (土) 11:33 (UTC)[返信]

以前、本記事が削除依頼に出されたときに、存続票を入れたものです。なかなか手をつけるのに躊躇する内容の記事なので、気にしつつも口をはさむのを控えていましたが、コメントします。
Wikipediaの基本方針の一つに、Kzhrさんが挙げている独自研究は載せないがあります。方針を完全に理解することが最適ですが、ひとまず「段落単位なり文単位なりで、その記述を裏付ける出典を記す」ことで問題が解消できるかと思います。そして「記述を裏付ける出典がない」部分があれば、その記述部分がWikipediaでいうところの「独自研究」になります。「1文節1文章ごとに参考文献の出所を明示しないといけない」とありますが、それに近いことが要求されている記事には女性差別男性差別などがありますので、「細かく出典を記す」際の(記し方や出典を記すべき細かさなどの)参考になると思います。
あと、私は削除依頼の中で「冒頭定義文、定義、歴史等が分割されていない」と書きました。これを改善するにはWikipedia:レイアウトの指針が参考になると思います。今はレイアウト的な体裁があまり整っていないと思うので、とっつきにくさがあると思うのです。で、とっつきにくさが緩和されれば、他の方が多少なりとも加筆や修正を行いやすくなると思うのです。実際、とっつきにくい状況では、前述の「出典を記す」作業も盛衰栄枯さん一人の手で、となってしまいそうです。レイアウトが整い、他者が加筆や修正を行いやすい状況になれば、「出典を記す」作業も今よりは楽になると思います。
余談。一足飛びにいくなら、削除依頼の中で他の方の挙げたWikipedia:加筆依頼Wikipedia:修正依頼の利用も有効だと思います。が、白紙改訂に近い修正になりそうな気がするので、盛衰栄枯さんの手でレイアウト修正や出典記載を行ったほうが、納得のいく記事(かつ、他者からも指摘の入らない記事)になる可能性が高いと思います。当方、記事を改善できるほど記事内容に詳しくありませんので、加筆や修正は控えますが参考になればと。
Kzhrさん、人それぞれ得意分野は異なりますから、「日本語学や書道史に詳しい加筆者」が現れるまでは「古文書学偏重」になるのは仕方がない部分ではないかと思います。{{節stub}}への誘導では納得できないでしょうか?--NISYAN 2008年1月26日 (土) 20:13 (UTC)[返信]

二度目の項目そのものを削除せよ、という意見ですが、「独自研究」という概念が難しいです。百科辞典を丸写ししたら、コピーですから、具合が悪いのはわかります。その百科事典など、参考文献に依拠して文章を作っても、原典の著作権侵害だと言われます。複数の本の内容を噛み砕いて、咀嚼し、自分でまとめたら、独自研究だと言われているようです。

発表済みの情報の合成でなければならないのなら、当該記事に関して、それを否定もしくは表現の修正を迫る物件が、某郷土資料館にある、という指摘も、発表されていない独自研究だということになります。だから、何ら記事内容の正当性を揺るがすものではない、ということになりそうです。それでいいのでしょうか。

書き直して項目続行可能ならば、修正を試みてみますが。いろいろ言われている最中では、修正がやりにくいです。

「くずし字」の用例としては、参考文献に挙げた児玉編以下3書の他に、藤本篤著『古文書入門(判読から解読へ)』柏書房でも帯・本文に出てきます。私独自の用法ではありません。藤本著は鎌倉時代から明治時代まで(後鳥羽上皇から前島密まで)「くずし字」でくくっています。この本、入門にしては実に難しい。というわけで、修正の準備はするものの。--盛衰栄枯 2008年1月27日 (日) 07:28 (UTC)[返信]

どうも私の意見について誤解がおありではないかと考えています。定義を例として考えてみましょう。
まず出典の問題ですが、山田美妙の日本大辞書にくずし字はくずし書きにした字のこととあり、くずし書きとは草書に書くこととあって、新明解国語辞典第5版を見ると、これに行書が加わっているだけでした。しかるに、盛衰栄枯さんは
「くずし字」とは、手で書かれた古い日本語文の内、ほとんどが楷書でない字で書かれた文献の、字体または表記法を言う。[1]
と定義なさっていらっしゃいます。これは、どなたが提唱なさったことなのでしょうか。管見に入ったかぎりではこのほかのきりくちでくずし字を定義したものを見いだせませんでした。日本史専門辞書のたぐいでは索引にも見いだせなかったのですが。
次にNPOVの問題です。お説に反して、くずし字はあきらかに日本語文に限られない語です。世界大百科事典ではパピルス学など日本語が関係しない項目にしか登場していません。また、上記のように明治からある考え方も排除しています。また、数十年まえのものではくずし字はあまり出てこないか、出てきても新明解の含意するところとあまり変らないもののようでした(藤本篤『古文書への招待』柏書房、1971)。Neutral Point of View、中立的な観点では、学説を評価通りに記すことを説きます。いまの定義はこの観点に照らして適切なのでしょうか。その意味でも出典を示していただけないことにはわかりません。次に細かい用語におけるNPOVの問題を少し。定義文に字体又は表記法とあります。この字体・表記法という用語は文字研究の用語といっていいと思います。つまり、文字研究においてどのようにその語が用いられているかを適切に反映すべきであるということです。さて、その文字研究では、字体というのは「図形文字の図形表現としての形状についての抽象的概念」(JIS X 0213)を意味し、表記法は言語を書き表すときのやりかた、たとえばローマ字のヘボン式などを云います。それを踏まえて読むと、ある字のくずし字といえばある字体が得られるとは思われず、くずし字であれば必ずこう書くというのはあるとは思えません。たとえば字体について、これがくずし字の字体であると述べることに価値があると是認する研究者は学界で主流なのでしょうか。たとえば表記法について、読本で使われたものもくずし字だといわれますが、候文とは文体も違いますし、書き方も似ているとは思われないのですが、くずし字といえばこう書くと述べた学説があったとして、どのように評価を受けているのでしょうか。
あれこれとうるさくて申しわけありませんが、ご教示いただけると幸いです。 Kzhr 2008年1月29日 (火) 06:36 (UTC)[返信]

平仮名の方の私の質問に答えていただけないのに、どうして私だけがこちらでお返事する必要があるのでしょうか。フェアに思えません。

それに、古文書関係の本のタイトルに「くずし字」と書いてある時に、エジプトのパピルス学のことまで考慮する必要があるとは思えません。古文書関係の「くずし字」の説明が必要だと思う方が自然でしょう。パピルス学をも含めた「くずし字」として説明する必要があると思うなら、そのようにあなたが編集しなおせばいいことです。関連項目としてツリーができるように、お作りになってみてはいかがでしょうか。それが項目の発展ではありませんか?私にそこまで要求することが、私の非を言い立てることに、なるとも思えない事柄です。

「くずし字」について用例が7点挙がっています。歴史学会・国文学会の重鎮が使っている言葉です。学会の重鎮児玉幸多編『くずし字解読辞典』は、今は違いますが、元は近藤出版社から昭和45年に出たものです。古いです。もちろん、パピルス学に言及する必要があるなんて、重鎮達は考えもしなかったでしょう。私は学会の重鎮達の用法に従っているだけです。

「2、手で書かれた古い日本語文の内、ほとんどが楷書でない字で書かれた文献の、字体または表記法」という定義では、「候文」である必要はありません。従って、国文学の古今集を「くずし字」と呼んでおられる方の用法も含むことになりますし、当然読み本も含む内容になっています。私は学会の要人が使っている言葉の内容を書いているだけです。

言葉の定義は、現実の用法から汲み取るものではありませんか?スモッグという煙と霧の意味の英語からの合成語について、辞書に登載しようと決める際に、学会の提唱が必要条件になる、というようなことはないでしょう。そもそも「平仮名」に、学会の評価や提唱があるのですか?あるならその根拠を示してください。と申し上げているのです。--盛衰栄枯 2008年1月29日 (火) 09:29 (UTC)[返信]

改稿方針について[編集]

削除依頼審議でも、存続票とともに、内容の改善をはかるようコメントがありました。レイアウトの調整や出典の追記だけでなく、記事本文の大幅な改稿がどうしても必要になってくるんじゃないでしょうか。Wikipediaは百科事典ですから、記述のひとつひとつに信頼できる出典があっても、それらの記述が全体として適切にまとめられていなかったり、特定の視点に偏っていたりするのでは、やはり問題があると思います。

ただ、加筆・修正にあたっては、色々なことを確認しながら進める必要がありそうです。どんな構成をとって、どういう方向へ書き進めていけばいいんでしょう。おおまかにでも意見いただけると助かります。--どん底 2008年1月29日 (火) 16:26 (UTC)[返信]

くずし字をキーワードにして文化を語るおつもりなのか、候文にはじまり漢字廃止論まで飛び出しており、もしかすると、くずし字入門に出てくる書翰の内容を覆おうとなさっておいでなのかと考えました。 Kzhr 2008年1月30日 (水) 15:56 (UTC)[返信]

(記述方針について)「くずし字」が何であるかを説明する文にしたいと考えています。とりあえず書いたことは、近世における「くずし字」が、1、日本人の暮らしの中でどのような位置を占めていたか、2、現代文の表記法からみて、何が大きく違うのか、です。

2に関しては、表記に使われた文字の種類と特徴、文体の特徴、これらを、現代文・現代表記との違いから明らかにしようとしています。

歴史教育では「くずし字」を全く教えない。このことを念頭に、今の生活とは文字の形状がいかに違うかを、はっきりさせたいと思いましたので、版本の「くずし字」にも触れています。それに合わせて、これまた全く教えられていない「公用文」「実用文」の文体である「候文」が、現代の文とどこが大きく違うかを、返読文字・「読み下しでひらがなに置き直される漢字表記の言葉」を、一部紹介することで示しました。

今の教育では、昔の文章に関する知識は、ほとんど古典でしか勉強しません。その古典は、中国古典としての漢文か、現代活字表記の古文であり、その中には近世多用の「候文」が含まれていません。そして表記法についても、取り上げられない。

百科辞典としては、この大きく欠けた部分について、現代という社会全体から見て、過去の社会全体を遡及する形での、知識の補充を目指す必要があると思います。

その点から考えて、「くずし字」に関する中世以前、近代から現代に至るまでの、発生から消滅に至るまでの歴史的概要は、是非欲しい所です。

(文化を語るのか、について)「くずし字」判読にあたっては、文字・文体・用語の、バランスのとれた知識が必要である(樋口著『実例古文書判読入門』名著出版)とされています。1文字では読めないことがあっても、文体・用語の知識がそれを助ける、ということがよくあります。だから、時代背景も文化も、総合的に必要なのです。--盛衰栄枯 2008年1月31日 (木) 02:52 (UTC)一部転記--どん底 2008年1月31日 (木) 13:50 (UTC)[返信]

とりあえず「くずし」の項目だということをもうちょっと考えてほしいです。これまでに出た「白紙改訂に近い書き直しが必要」だという意見は、『(くずし字が用いられた)文体や文化』が記述の主体になっている現状を、改めるべきだということでしょう。
百科事典ですから他にもいろいろな項目があるわけで、それらとうまく歩調を合わせる必要があります。候文の項目がもうあるのに、この項目で候文について詳述するのは、適当でない。この項目だけで「過去の社会全体を遡及する」のには無理があるということなんです。それに過去のことだけ書けばいいのか、という問題も、ないでもないでしょう。
で、具体的にいってみますが、丸文字とかギャル文字とかって、この項目に入るんでしょうか。--どん底 2008年1月31日 (木) 15:30 (UTC)[返信]

文体の部分を「候文」に移動してみました。この文体やくずし字は、社会の現実を具体的に仕切った正統本流の文体です。丸文字やギャル文字に該当するのは、江戸時代のマンガ本みたいな本に「草双紙」というのがあって、非常に間隔を詰めて特異な丸文字で書いたのがありまして、そういうのに当たるかもしれませんが、本流が膨大な量なのに、そこまで必要ないと思います。--盛衰栄枯 2008年2月1日 (金) 08:35 (UTC)[返信]

こんにちは。Aboshiと申します。門外漢ですが、記事を読んで、さらにこのノートを読んで思ったことを。
改稿なさるのであれば、以下の通り希望します。
  1. くずし字という言葉の成り立ちと、この単語自体が学会でどのように扱われてきたかを詳しく書いてください。定義部分で「歴史学・国文学」などと成り立ちの古い学問を持ち出しながら、これらの学問でのこの単語の取り扱いを詳しく書かないのは反則に近いものがあります。また、Kzhrさんのいうようにテクニカルタームでないとすれば、「くずし字」という言葉の扱いは一層慎重にする必要があります。現在のように「くずし字」の歴史や書き手の思いのたけが前面に出すぎている文章は百科事典にはあまりそぐわないかもしれません。もし言葉として熟していないのであれば、あえて項目にしないことや、リダイレクトにするのも一つの選択です。
  2. さきほどと関連しますが、「くずし字」の範囲は日本語文のみでいいのですか?たとえば明清期の中国の私信、ときには公文書においては、難しい字の画数を減らしたり、簡略化した字を使っていました(現在の簡体字の祖となるものですね)。また、日本とは形態が違いまずが、私信などでは「くずした」漢字も使っています。このように形態は違いますが、字を「崩す」習慣は字を持つ文化ならばどこでもあるものです。そのあたりを考察した研究は絶対にあるはずですが(私自身確認していないのでいけませんが)、定義上全く問題にしないということでいいのでしょうか。学問的にこのあたりはどうなのでしょう?
以上、お願いします。Aboshi 2008年2月4日 (月) 13:35 (UTC)[返信]

お手数お掛けしますが、<<「くずし字」の歴史や書き手の思いのたけが前面に出すぎている文章>>と思われる部分を引用していただけませんか?<<これらの学問でのこの単語の取り扱いを詳しく書かないのは反則に近いものがあります>>の根拠は何ですか?ウィキペディアでは、常に、歴史・国文学分野では、単語自体が学会でどのように扱われてきたかを詳しく書いているのですか?お手数おかけしますが、例を挙げていただけないでしょうか。 書聖と呼ばれる王義之は行書や草書を書いていますが、行書の「蘭亭序」は353年です。(阿辻哲次『漢字の社会史』PHP新書)中国や他国のくずし字については、別の項目を立てれば良いのではありませんか?わかる方がなされば良いのであって、どうして日本の「くずし字」ではいけないのでしょうか。--盛衰栄枯 2008年2月6日 (水) 23:37 (UTC)[返信]

リダイレクト化提案[編集]

Uraniaと申します。本記事の削除依頼審議において、存続票とともに「白紙改訂に近い改訂が必要」と指摘した者です。本記事については、複数のユーザーから問題点が指摘され、主執筆者である盛衰栄枯さんは、対話には応じられているものの、どうも話がかみ合っていないように見えます。記事本文をあらためて読み返してみると、一つひとつの記述は必ずしも間違ってはいないのですが、全体として、「くずし字」という事項の解説ではなく、「くずし字」をキーワードとしたエッセーになってしまっている感が否めません。「くずし字」というタームは学術用語ではなく、漢字の行草体を指す日常語だと思いますが、いずれにしても字体や文体の問題ではなく、書体を表す用語だと思います。ところがこの記事の本文は、大部分が近世の「候文」の解説で占められ、字体、文体などの「書体」とは異なる概念がごっちゃに記述され、肝腎の「書体」のことにはほとんど触れられていません。「ふりがな」の話や、「旧字体と新字体」の話も「書体」とは別の話です。いろいろ考えましたが、現行の記事本文のうち、活かせる部分は「候文」へ移動。このページ「くずし字」は「草書体」へのリダイレクトとしてはどうでしょうか。「くずし字」には行書体も入るかもしれませんが、行書体は現代人にも読める場合が多く、「解読」を必要とするのはおもに草書体だと思います。その点で「くずし字→草書体」というリダイレクトはあってもよいと思いましたがどうでしょうか(主執筆者の盛衰栄枯さんはたぶん反対されると思いますが)。なかなか方向性が定まらない場合は、コメント依頼に出す必要があるかもしれません。--Urania 2008年2月3日 (日) 07:25 (UTC)[返信]

「くずし字」の用例は、例に挙げた他にも多数用例があります。中には、近代の書体の本では、草書を意味していることもあります。しかし、本稿の目的は、戦前以前の手書き「くずし字文書」の「文章解読」を目的にして使われる時の、歴史学・国文学での用法です。

草書という書体の項目に内容を移動すると、解読を目的としている際に使われる、行書・仮名まじり文書の画像イメージとは、別物になります。

戦前以前の手書き「くずし字」文書(ひいてはそれを版下に使った板本)など、項目に必要ないとおっしゃっているように読めるのですが、そういう意味でしょうか?私は、広く使われている用法にもかかわらず、解説がない言葉ってあまりないと思うので、広く専門家のご助力をお願いして、この項目を発展させたいと思っています。

それにカテゴリは「書体」ではなく、「歴史学」もしくは「国文学」ということでご理解願えたらと思います。

また、エッセーであるというご意見ですが、個人的観点から物事を論じているとか、意の趣くままの感想・見聞である、というご判断があるわけでしょうか?失礼なようではございますが、そのご判断に、脚注や参考文献についてのご検討を、入れておられますか?

本文中に例文「乍恐以書付奉願上候」を挙げています。行草書体の文字を現代漢字に改めたものです。これは、文体の説明が全くないままに高校生に読めるものでしょうか?また、林英夫著『おさらい古文書の基礎・文例と語彙』158pにその行草体の実例があがっていますが、どこが行書かおわかりになるでしょうか?翻字(現代漢字に直したもの)がすぐ横になければ、「書付」しか読めないのではと危惧します。

大体、題目であるという判断が解読の手がかりです。現代の三体字典の草書の知識では読めないと思います。まして、文中に行書の「茂」があった場合、それをどう読むかとなると、行書である、だけでは読んだことになりません。

このように、歴史学でいう「くずし字」は、文体や当時の常識なしには読めません。 --盛衰栄枯 2008年2月3日 (日) 23:53 (UTC)[返信]

Uraniaさんの仰ることでただしいとおもいます。盛衰栄枯さんが、くずし字という語につよい思い入れがおありのだけで、出典はむしろ盛衰栄枯さんを裏切っているかと思います。 Kzhr 2008年2月4日 (月) 07:27 (UTC)[返信]

平仮名ノートで言っておりますように、「明治に入る頃には百数種」の参考文献を示してくださいとお願いしましたが、Kzhrさんは参考文献の提示を拒否したままです。根拠を示さない方が「くずし字」に出てこられて、根拠を示さず断定のみの、多数決形式の書き込みをなさるのは、いかがなものでしょうか。こちらでも根拠を明示してください。

「くずし字」の多数の用例が、私個人の用法ではないことを示していると思います。--盛衰栄枯 2008年2月4日 (月) 07:52 (UTC)[返信]

私は根拠を示さないといつもお書きなのですが、
「ひらがな」と呼んでいる文字が、版本の「ふりがな」なのか、それとも漢字かな混じり文の中の音節文字なのか、草双紙の音節文字なのか、あるいは公用文・実用文の中のわずかな音節文字なのか、和歌・俳句の中の音節文字なのか、平安文学の中の音節文字なのか、国学者の文章中のものなのか
と質問できる根拠を盛衰栄枯さんはお示しでないのです。このような議論の前提のずれをせめてなくそうとお話を伺ってまいりましたが、ご理解いただけないようで残念です。
根拠ですが、盛衰栄枯さんが用例から読み取ったと仰った書き物の問題点についてご説明してあるのですが、不足でしょうか? Kzhr 2008年2月4日 (月) 12:46 (UTC)[返信]

<<::「ひらがな」と呼んでいる文字が、版本の「ふりがな」なのか、それとも漢字かな混じり文の中の音節文字なのか、草双紙の音節文字なのか、あるいは公用文・実用文の中のわずかな音節文字なのか、和歌・俳句の中の音節文字なのか、平安文学の中の音節文字なのか、国学者の文章中のものなのか>>

版本の振り仮名については、参考文献に挙げている東京都立中央図書館の『往来物大系』を多数見ていますし、挙げている吉田豊氏の本数冊にもありますし、藤本篤氏の古文書入門にもあります。私ホームページ『庭訓往来』の関連ホームページリンク集の中の、往来物の本にもあります。庭訓往来説明下段外部リンク、東京学芸大学付属図書館望月文庫・奈良教育大学は重複です。すべての本が、ページを繰って見られるようにしてあります。ふりがなはそれでも確認できます。ただし、ここにあるのは幕末のものが多いですから、その点は注意してください。確認しない方にここまで説明しているのですから、確認してください。

<<公用文・実用文の中のわずかな音節文字なのか、和歌・俳句の中の音節文字なのか、平安文学の中の音節文字なのか、国学者の文章中のものなのか>>これも挙げている参考文献を当たれば出てきます。国文学者の文章というのは、図書館にあるもので、まだ参考文献にはないですが、私は見たことがあるものです。なぜ、参考文献を見てみないで、示していないといおっしゃるのでしょうね?

説明になっているとお考えですか?それは反問ではありませんか?そもそも、私も、画像を自在にUPできないので不自由ですが、数日の内に「乍恐以書付奉願上候」の、林英夫著『おさらい古文書の基礎・文例と語彙』158pその行草体の実例を写真で説明できるように、ホームページにUPして、議論のたたき台にできるようにしたいと思います。

ちなみに、夫も息子も、ここに行書があるが読めるかと聞きましたら、読める字があるようには見えないと言いました。たった2人ですが、行書は読めるから草書の問題に振り返ることができる、というUraniaさんの意見を否定する見解がありました。また、見ていただきたいと思います。--盛衰栄枯 2008年2月4日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

仰っていることがわかりかねます。
「ひらがな」と呼んでいる文字が、版本の「ふりがな」なのか、それとも漢字かな混じり文の中の音節文字なのか、草双紙の音節文字なのか、あるいは公用文・実用文の中のわずかな音節文字なのか、和歌・俳句の中の音節文字なのか、平安文学の中の音節文字なのか、国学者の文章中のものなのか
を分断することは盛衰栄枯さん以外には自明ではないですよ。あえてお答えするならば、いわゆるくずし字の時代にひらがなはくずされなかったことはありませんし、かたかなはくずされたことはありません。 Kzhr 2008年2月4日 (月) 14:08 (UTC)[返信]

盛衰栄枯さん以外には自明ではないですよ、と言われても、確認しない方に、どう説明のしようがあるわけですか?カタカナについては、文章表記としては、混ぜてひらがなカタカナを使うというのは、くずれています。だから表記法の問題と述べています。--盛衰栄枯 2008年2月5日 (火) 07:15 (UTC)[返信]

同じ資料に基づいているかいないかであれば盛衰栄枯さんがお取りあげになっているさまざまな文献はできるかぎり眼に通していますが、それで追認しうると思ったことであればこれほど追求することがあるでしょうか? それはともかく、
と言われても、
と仰るのでご説明いたしなおしますが、お挙げになっているものが字として異質なものであるとどのように認定なさったのですか? 具体的な資料をお教えください。なにぶんお挙げになっている資料すべてにアクセスできるところに住むものでもなく、アクセスできるものでも量的にただちに確かめえませんので。
混ぜてひらがなカタカナを使うというのは、くずれています。
というのは、文体のことを仰っているのか、文字がくずされているかどうかなのか、わかりかねます。前者であれば私の質問の意図とずれていますし、後者であれば、それがたまたまではないとお示し願えますか? 新井白石は『西洋紀聞』で漢字仮名交じり文のなかに片仮名を一部交えているのですが、その片仮名はあきらかに平仮名ではない——くずすこともなくもちろん連綿もしないからです(築島裕・小松英雄「仮名」河野六郎・千野栄一・西田龍雄編『世界文字字典』三省堂、2001)。私としてはこちらがふつうといいうるものだとこれまでの研究は教えていると思うのですが、いかがでしょうか。 Kzhr 2008年2月5日 (火) 16:32 (UTC)[返信]
#改稿方針についての末尾にAboshiさんがコメントをつけられたのをご存じでしょうか。もしお返事を用意なさっている最中でしたらもうしわけありません。 Kzhr 2008年2月5日 (火) 16:34 (UTC)[返信]

私は定義で「字体または表記法」と言っています。文字のくずしも文章表記のくずしも、含まれているという意味です。歴史学の用法の話です。文字字典での用法は少し違うみたいです。文字の世界ではこうだから、歴史学でも同じような使い方をするべきだ、と言っても、現実には少しずれている、ということが、私の責任とは思えません。

コメント見ました。ありがとう。でもそういろいろはできません--盛衰栄枯 2008年2月5日 (火) 17:09 (UTC)[返信]

くずし字本文の例文の画像がUPできました。 http://book.geocities.jp/teikinnourai/kuzusiji.html --盛衰栄枯 2008年2月5日 (火) 23:13 (UTC)[返信]

文章表記のくずしというのがなんなのかてんで理解できないのですが、また、くずし字であれば文体が一様などという研究者が歴史学で是認された意見だとは、お書きのもののどれをみればわかるのでしょうか。
リンク先を拝見しましたが、これはいままでの論点のなにに対応するものなのでしょうか。 Kzhr 2008年2月6日 (水) 06:18 (UTC)[返信]

この項目は、「くずし字」は「草書」という項目で説明できるのではないか、という、冒頭のUraniaさんの提案を話題にしている項目だと理解しています。「草書」という項目では説明しきれないから、「くずし字」という項目で解説したほうが良い、という、私の考えを説明するために画像と解読をUPしました。 文章の正式は漢文、それに日本語表記を混ぜると、くずした、という意識が発生する、ひらがなカタカナを不規則に混ぜるとさらにくずした感じになる、そういう意味です。 <<くずし字であれば文体が一様>>というのは、本文のどの部分のことを指して言っておられるのでしょうか?お手数おかけしますが、その部分をそのまま引用していただけませんか?--盛衰栄枯 2008年2月6日 (水) 22:53 (UTC)[返信]

突然ですが、ウィキぺディアに自分の知識を書き込むのは嫌になりましたので、削除します。私の書き込みによって知りえた知識を、今後ウィキペディアの中で使わないでください。「くずし字」という言葉も含めてです。--盛衰栄枯 2008年2月7日 (木) 09:19 (UTC)[返信]

こんにちは。方針文書をお読みいただいたはずですが、残念ながら上のようなご要望に沿うことはできませんので、この項目が削除されるべきとお考えでしたら、削除依頼に出してくださいますようお願いします。--はるひ 2008年2月7日 (木) 09:27 (UTC)[返信]

あらためて[編集]

なんとも不幸な結末——あえて「当事者」としてそういいたいのですが——を迎えてしまったのですが、それでも、ウィキペディアはなくならない以上、なんらかの行動はとらないとならないように思われます。しょうじきなところ、草書体へのリンクは、用法からいっても漢字を中心にしすぎている感じがして、あまり気乗りしない一方、イタリックをラテン文字の草書体とかよわせることはふつうに行われています。やはり、現状では、草書体へのリダイレクトが一番認められる帰結なのではないでしょうか。 Kzhr 2008年2月8日 (金) 05:57 (UTC)[返信]

以前この項目が削除依頼に出された際に存続の意見を出した者です。存続しているものの改善が必要かもしれないと、自分なりに書道関係の資料を読み進めていた所でこのような事態になっていて困惑しておりますが、そのUraniaさんの案(草書体へのリダイレクト)」を通されてもよろしいかと思います。この項目を主に執筆されていたせいすいえいこさんがご自身のホームページにこの項目と同一の内容を執筆されていますので、かつてウィキペディアでこの項目を参考にされた方がいたとしても、ネットで検索して(このノートのリンクからでも向かえますが…)せいすいえいこさんのホームページをご覧になれば内容を把握出来るので、支障はないかと思います。絵鞠 2008年2月8日 (金) 12:43 (UTC)[返信]
暫定的な処置としてはリダイレクト化に賛成します。kzhrさんが上記の議論で指摘されている問題が気になりますが、現在の記述に対してはとりあえず何らかの対処が必要でしょう。ちょっと他にやりようがないんじゃないかと思います。
ただ、せっかく存続と決まったものを、実質的に白紙化したまま放っておくのも残念です。個人的には、字形の略化や変形について調べた文献をもとに、「文字を崩す」というのはどういうことか、というところから始めて、一種の「文字の発達史」みたいな内容にしていけばいいのかなぁと思ってました。改稿方針についてはAboshiさんから意見をもらっていますが、いちおうリダイレクト化した後のおおまかな方向も決めておけるといいと思います。
ところで盛衰栄枯さんが、(おそらくは)自身のサイトに、ここと全く同じ内容を載せていることですが、これはライセンスから見て問題ないんでしょうか。すこし気になります。--どん底 2008年2月10日 (日) 06:57 (UTC)[返信]

この件に参加なさっている方の合意はひとまず得られたと思うので、リダイレクトにしました。

盛衰栄枯さんの認識を批判しつつ、しかし、私には内容を削ること以外提案できなかった。いまでもなにか書くべきことがあるように思われない。

文字を崩すということを営為としてとらえたものはあまり知りません。小松英雄らは、かなを楷書から崩す、あるいは楷書でない字にするということをかなの独立として意義づけていますが、ほかの文字体系についてもそういうことがいわれているのか、寡聞にして知りません。いわれていないのであれば、ただならべるだけで、たとえば中国と日本のくずしへの認識の差異すらとらえられない、なんともまとまりの悪い内容になってしまいそうな、と考えました。くずし字という認識には、つねに崩されていない文字というのが対極になければならず、私の知るかぎり、それはかなり相対的です。それを総括する理論体系が文字の学にあるのか。science of writingにあるのか。あるのであれば、なんとも無駄なことをながながとお聞かせしたことになります。

要するに、これは未練たらたらな私の撤退宣言なのですが、そして、今後独自研究でないかたちで書くみなさまのさまたげになっているだろうな、と後悔しつつ、恥ずかしながら御挨拶もうしあげました。さいごまでくだくだしかったことをご寛恕ください。 Kzhr 2008年2月10日 (日) 07:53 (UTC)[返信]