ニコラ・レッシーニョ

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ニコラ・レッシーニョとマリア・カラス (1959)

ニコラ・レッシーニョNicola Rescigno, 1916年5月28日 - 2008年8月4日)はアメリカ合衆国指揮者[1][2]

生涯[編集]

ニューヨークメトロポリタン歌劇場トランペット奏者の家に生まれた。1929年からイルデブランド・ピツェッティヴィットリオ・ジャンニーニやジョルジオ・ポラッコらに師事。1943年にブルックリン音楽院でジュゼッペ・ヴェルディの《椿姫》の上演を指揮してデビューを飾り、サン・カルロ・オペラのアメリカ巡業に同行して名声を得て、コネチカットやハバナの歌劇場の音楽監督の任についた。1953年にはシカゴ・リリック・オペラを旗揚げし、1956年まで音楽監督を務めた。1957年にはダラス・オペラの発起人の一人として名を連ね、そこの音楽監督を1990年まで務めた。レッシーニョは、またマリア・カラスモンセラート・カバリェプラシド・ドミンゴジョーン・サザーランドテレサ・ベルガンサジョン・ヴィッカーズマグダ・オリヴェロといったオペラの名歌手たちのアメリカ・デビューで伴奏を担当したことでも知られ、演出家のフランコ・ゼフィレッリのアメリカ・デビューのときの指揮者も務めている。

メトロポリタン歌劇場には1978年から出演し、イタリア・オペラのスペシャリストであった。

ヴィテルボの病院にて死去。

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]