ドム教会

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暴風雨で倒壊する前のドム教会。スティーブン・ヴァン・ラムスウィールドによる腐食版画(1660年)
1697年刊行の印刷物
ヘンドリックス・ヴァン・フリエート(1674年)
教会の外構
16世紀の宗教改革で偶像破壊された祭壇の装飾
ドム塔から見た2仮再建されたドム教会(2004年)

ドム教会(ドムきょうかい、オランダ語: Domkerk)または聖マルティン大聖堂(せいマルティンだいせいどう、英語: St. Martin's Cathedral, Utrecht)は中世ユトレヒトに存在したユトレヒト大司教区の司教座聖堂(カセドラル)。当時トゥールの聖マルティヌスを讃えたオランダ最大の教会であり、ゼーラント州ミデルブルフの大聖堂とともにオランダにあった2つのカセドラルのうちの1つであった。1580年よりプロテスタントの教会となった。ドム教会の歴史は古く、初期教会が建設されたのは630年頃のことであるが、当初は木造であり、その後倒壊と再建を繰り返し、現在の姿となった。ドム教会の建物はフランスで発達した建築様式であるゴシック様式と酷似している。他のオランダの全てのゴシック建築の教会は多様な地域性を持っている。フランスのゴシック建築の教会とは異なり、ドム教会は塔を一つしか持たない。高さ112メートルのドム塔英語版(ドムトールン)はオランダで最も高い建築物であり、ユトレヒトのホールマークとなっており、日本においては長崎県のテーマパークハウステンボスのシンボル・ドムトールンのモデルとしても知られている。

1674年、ユトレヒトを蹂躙し多くの犠牲者を出し、2つのカセドラルを破壊した竜巻による暴風雨により、教会の中央部分がドム塔を繋ぐ身廊とともに倒壊。その後再建されることはなかったため、現在ドム教会から離れたところにあった東端のドム塔が大聖堂とは別個の建物として離れた場所に存在している。

歴史[編集]

今日の遺構[編集]

現在残されているドム教会の遺産は聖歌隊席及びドム塔の翼郭である。1674年の豪雨で倒壊した教会中央の身廊はDompleinと呼ばれる大木が立つ広場となっている。舗道に埋め込まれた多彩な石が当時の教会の外郭を示している。

建築開始から750周年となった2004年、足場によって一時的な再建を果たした。この足場は既に解体されている。

2013年、ドム教会の発掘調査を行うプロジェクトが発足した。

回廊及び参事会会場英語版も現存しており、ユトレヒト大学のメインホールとなっている。参事会会場はネーデルラント連邦共和国を建設したユトレヒト同盟が署名を行った場所でもある。

墓地・記念碑[編集]

ユトレヒトは西の神聖ローマ帝国にとって重要な都市であり、ザーリアー朝とは特に深い関係にあった。中世初頭には、神聖ローマは常にドム教会の名誉司教座聖堂参事会員に名を連ねていた。コンラート2世およひハインリヒ5世はそれぞれ1039年と1125年にユトレヒトで没した。彼らの内臓と心臓はドム教会で埋葬されている。聖歌隊席の床にひっそりと嵌め込まれている「皇帝の石」(keizerssteentjes)がその歴史的事実を現在に伝えている。

比較的無傷で現存しているドム教会唯一の中世の霊廟は、14世紀の主教アヴェーヌのガイ英語版エノー伯ジャン2世の弟)の墓だけである。

他にも多くの美しい墓標や記念碑が存在する。中でも、16世紀中葉のジョージ・ヴァン・エグモント英語版司教の記念碑は歴史的に重要である。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯52度05分27秒 東経5度07分18秒 / 北緯52.09083度 東経5.12167度 / 52.09083; 5.12167