トム・スティール (政治家)
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トム・スティール Tom Steele MP | |
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ラナーク選挙区選出 庶民院議員 | |
任期 1945年 – 1950年 | |
前任者 | アレック・ダグラス=ヒューム |
後任者 | アレック・ダグラス=ヒューム |
選挙区 | ラナーク選挙区 |
ウェスト・ダンバートンシャー選挙区選出 庶民院議員 | |
任期 1950年(補欠選挙) – 1970年(引退) | |
前任者 | Rt Hon Adam McKinlay |
後任者 | イアン・キャンベル (スコットランドの政治家) |
選挙区 | ウェスト・ダンバートンシャー選挙区 |
得票差 | 293 |
個人情報 | |
生誕 | 1905年11月15日 |
死没 | 1979年5月28日 |
政党 | 労働党 |
職業 | 鉄道駅長 |
トム・スティール(Tom Steele、1905年11月15日 - 1979年5月28日)は、労働党に所属していたスコットランドの政治家。
もともとスティールは、駅長として働いたり、ラナークの協同組合の理事を務めていた。
1945年イギリス総選挙において、スティールは、保守党のヘイゼルのヒューム男爵アレック・ダグラス=ヒューム(ダグラス卿)を破ってラナーク選挙区から庶民院議員に当選し、国民保健省 (the Ministry of National Insurance) の政務官を務めた。
1950年イギリス総選挙ではダグラス卿に敗れて返り咲きを許したが、同年の補欠選挙でウェスト・ダンバートンシャー選挙区に移って当選し、続く1951年イギリス総選挙以降、1970年に引退するまでこの選挙区の議席を守った。この労働党の議席の後継者となったのは、イアン・キャンベル (スコットランドの政治家)であった。
選挙の際の運動においては、「Vote Steele For Strength」(「強さのためにスティールに投票を」:スティールの名と「鋼」をかけている)というスローガンが用いられることがあった。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Tom Steele - 議事録においては「トマス・スティール (Mr Thomas Steele)」として言及されている。
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 アレック・ダグラス=ヒューム |
ラナーク選挙区選出庶民院議員 1945年–1950年 |
次代 アレック・ダグラス=ヒューム |
先代 アダム・マッキンレイ |
ウェスト・ダンバートンシャー選挙区選出庶民院議員 1950年–1970年 |
次代 イアン・キャンベル |