ディーン・バーロウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ディーン・バーロウ
Dean Barrow
Belizean Prime Minister, Dean Barrow in London, 27 June 2013 (cropped).jpg
ディーン・バーロウ(2013年6月)
生年月日 (1951-03-02) 1951年3月2日(68歳)
出生地 Flag of British Honduras (1919–1981).svg イギリス領ホンジュラスベリーズシティ
出身校 セント・マイケルズ・カレッジ
西インド諸島大学
マイアミ大学
所属政党 統一民主党
配偶者 ルイス・ヤング
キム・シンプリス(2009年 - )

在任期間 2008年2月8日 -
元首 エリザベス2世

野党院内総務
在任期間 1998年8月30日 - 2008年2月8日
首相 サイド・ムサ

ベリーズの旗 ベリーズ下院議員
選挙区 クイーズ・スクエア選挙区
在任期間 1984年12月14日 -
テンプレートを表示

ディーン・オリバー・バーロウ英語: Dean Oliver Barrow1951年3月2日 - )は、ベリーズの政治家。2008年より同国首相統一民主党(UDP)英語版代表。本業は弁護士で、1993年から1998年まで副首相兼外相、1998年から2008年まで野党院内総務。2008年の総選挙においてUDPが勝利した後、首相として第一次政権を発足させた。UDPが再び勝利した2012年の総選挙の後には、第二次政権を発足させた。氏名は「ディーン・バロウ」や「ディーン・バロー」とも書かれる。日本の外務省では役職名は「ベリーズ首相兼財務・経済開発大臣」とされている[1]

経歴[編集]

ベリーズのセント・マイケルズ・カレッジ、バルバドスのケーブヒルにある西インド諸島大学(法学士、1973年)、ジャマイカキングストンにあるノーマン・マンリー法学校(法学教育修了証書、1975年)、マイアミ大学法学校(法学修士、1981年)、マイアミ大学(国際関係論修士)で学んだ。

1973年におじのディーン・リンド英語版の法律事務所に就職し、1977年にその共同経営者となった。後に退職し、ロッドウェル・ウィリアムズ英語版とバーロウ・アンド・ウィリアムズ法律事務所を設立。2008年の総選挙を前に同法律事務所からも退職したが、名目上は上級共同経営者に留まっている。バーロウの事務所の顧客のうち、マイケル・アシュクロフト英語版と彼が関わるベリーズ銀行やベリーズ・テレメディア・リミテッド英語版(旧ベリーズ・テレコミュニケーションズ・リミテッド)といった事業所との関係に対しては批判も多い。

政治家としての経歴[編集]

1983年12月、バーロウはベリーズシティ市議会議員に当選し、政界入りした。1984年には下院コレット選挙区のUDPの候補者に内定したが、同年の選挙区改変により、クイーズ・スクエア選挙区に配置替えとなった。次回の総選挙でバーロウは、人民統一党英語版ラルフ・フォンセカ英語版を僅差で破り当選した。その直後、バーロウは第一次マヌエル・エスキベル内閣から法務総裁兼外相に任命された。

1989年の総選挙ではトマス・グリーンウッドを下したものの、UDPは敗れた。バーロウは弁護士の業務は続けた。1990年に カール・トンプソン英語版が死去すると、エスキベルの元でUDPの副代表となった。1993年の総選挙で三選を果たすと内閣に復帰し、以前の役職に加えて国家安全保障相を兼務した。この時期のバーロウはエスキベル政権で特に目を引く存在だったため、彼に批判的な人からは「なんでも大臣」と呼ばれた。

1998年の総選挙で、UDPはわずか3議席しか確保できない大敗を喫した。この3議席の一つを守ったバーロウは、エスキベルの後任としてUDPの代表兼野党院内総務に昇格した。バーロウは1974年の下院設立以来、最も小さい野党勢力(3議席と7議席)をまとめることになった。UDPの議席数も結党以来最低であった。2003年の代表選では弁護士のリチャード「ディッキー」・ブラッドリーに肉薄されながら再選されたが、それ以降は余裕を持って再選されている。

バーロウはUDP所属の現職の下院議員で最も在職期間が長いほか、連続在職期間が最も長い選挙区選出議員でもある。現職の選挙区選出議員のなかではただ一人、サイド・ムサが通算在職期間でバーロウを上回っている。

首相職[編集]

2008年2月7日の総選挙でUDPが全31議席中25議席を得て圧勝すると、バーロウは2月8日に首相としての宣誓を行った。ベリーズでは黒人初の首相であった。2月11日には首相の財相兼務を含む閣僚名簿を発表した。

2012年の総選挙では、UDPは議席を減らしながらも過半数を維持した。バーロウは2月9日に第二次政権を発足させ、2月12日に首相の財務・経済開発相兼務を含む閣僚名簿を公表した。

2015年11月の総選挙において、バーロウは4期連続でUDPを率いることになる。しかし、総選挙に党代表として臨むのはこれが最後になると公言してきた[2]

家族[編集]

4人の子供がいる。一番上のジャマル「シャイン」英語版(1979年11月8日生まれ[3])はラッパーで、バーロウの政治家仲間であるマイケル・フィネガン英語版の姉妹から生まれた非嫡出子である。次男のアンワーは小規模の融資機関を運営している。娘のディーンは母(バーロウの最初の妻であったルイス・ヤング)の事務所から独立して、弁護士として働いている。

2009年2月7日、バーロウはアメリカ合衆国ジョージア州サバンナで、長年付き合ってきた友人のキム・シンプリスと二度目の結婚をした。間には娘のサリマがいる。

脚注[編集]

党職
先代:
マヌエル・エスキベル
統一民主党代表
1998年 -
現職
公職
先代:
ジョージ・キャドル・プライス
野党院内総務
1998年 – 2008年
次代:
サイド・ムサ
先代:
サイド・ムサ
ベリーズの首相
2008年 -
現職