テオドール・フォン・シャハト

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テオドール・フライヘア・フォン・シャハト(Theodor Freiherr von Schacht, 1748年 ストラスブール - 1823年6月20日 レーゲンスブルク)は、フランス王国にて出生し、ドイツで活動していた作曲家

経歴[編集]

音楽・音声外部リンク
シャハトの作品を試聴
クラリネット協奏曲ニ長調
第1楽章第2楽章第3楽章
クラリネット協奏曲変ロ長調
第1楽章第2楽章第3楽章
2本のクラリネットのための協奏曲
3本のクラリネットのための協奏曲◇◆
第1楽章第2楽章第3楽章
ディーター・クレッカー、オリヴァー・リンク(◇のみ)、ヴァルデマール・ヴァンデル(◆のみ)〔以上Cl〕、ハンス・シュタットルマイア指揮バンベルク交響楽団による演奏。YouTubeアートトラック公式収集による。

最初にレーゲンスブルクの宮廷音楽家ヨーゼフ・リーペルに師事し、1766年にはシュトゥットガルトにて同地のヴュルテンブルク伯カール=オイゲン付きの宮廷楽長ニコロ・ヨンメッリに師事している[1]。このほか、ヴェッツラーに於いても音楽を勉強している。

その後、騎士号を取得してレーゲンスブルクに戻り、1773年、同地の宮廷音楽監督に就任。そして、イタリア・オペラの普及に尽力することとなった。

1796年には、これまでの音楽活動が認められて終身年金を授与される。これ以後は、フリーの作曲家として、ベートーヴェンルドルフ大公ナポレオン等に纏わる作品を生み出していった[1]

作品[編集]

シャハトはその生涯に33曲の交響曲を作曲しており、その一部は『トゥルン・ウント・タクシス宮廷発の7つの交響曲(Seven Symphonies from the court of Thurn and Taxis)』に収められている[2]。またクラリネットのための作品も遺しており、この中には3曲のクラリネット協奏曲や、3本のクラリネットのための協奏曲も含まれている。シャハトが書いたクラリネット協奏曲は、クラリネットA管の最初の使用例の一つとなっている。

彼はまた、2本のファゴットのための協奏曲も、少なくとも1曲書き上げている。

脚注[編集]

  1. ^ a b シャハト:交響曲集2(エヴァーグリーン響/シュマルフス)”. ナクソス・ミュージック・ライブラリー. ナクソス. 2023年5月20日閲覧。 “「このアルバムのレビュー」欄記載内容より(公式紹介)”
  2. ^ Seven symphonies from the court of Thurn und Taxis : introduction by Hugo Angerer, Thomas Emmerig, Robert Holzer”. CiNii図書. 国立情報学研究所. 2023年5月20日閲覧。

外部リンク[編集]