チャールズ・オーブリー・イートン

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チャールズ・オーブリー・イートン
Charles Aubrey Eaton
Charles Aubrey Eaton family photograph.jpg
チャールズ・オーブリー・イートン
生年月日 1868年3月29日
出生地 カナダの旗 カナダノヴァ・スコシア州パグウォッシュ
没年月日 1953年1月23日(満84歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントンD.C.
前職 聖職者
所属政党 共和党

選挙区 ニュージャージー州第4選挙区
当選回数 4回
任期 1925年3月4日 - 1933年3月3日

選挙区 ニュージャージー州第5選挙区
当選回数 11回
任期 1933年3月4日 - 1953年3月3日
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チャールズ・オーブリー・イートンCharles Aubrey Eaton, 1868年3月29日1953年1月23日)は、カナダ生まれの聖職者、政治家である。著名な集会(マサチューセッツ州ナティック、1893年-1895年。トロントのブルア街、1895年-1901年。ユークリッド街、オハイオ州クリーヴランド、1901年-1909年。ニューヨーク市マディソン街、1909年-1919年)を率いて台頭した。1925年から1953年までアメリカ合衆国下院議員を務め、(1930年国勢調査に基づく選挙区の区割り変更の結果)1925年から1933年まではニュージャージー州第4下院議員選挙区、1933年から1953年までは同第5選挙区から選出された。

生い立ち[編集]

チャールズ・オーブリー・イートンは 1868年、カナダノヴァ・スコシア州パグウォッシュで生まれた。幼少期には貧困かつ病弱であったため、満足な教育が受けられなかった。しかし青年期に出会った聖職者の影響で宗教的に転向した結果、彼は再起を図り、最終的にアカディア大学、ノヴァ・スコシア州ウォルフヴィルのバプティスト研究所で神学を学び、卒業した。彼は活動的かつ熱心であり、またしばしばユーモラスな雄弁術を駆使して辻説法をしたため、諸々の市街で知られるようになった。

福音主義[編集]

福音主義に傾倒したイートンは、1904年にオハイオ州クリーヴランド の路上で、辻説法を禁ずる条例を度々無視したかどにより逮捕された。ある時、クリーヴランドで説法をしていた彼は、ジョン・D・ロックフェラー(夏が来るとクリーヴランドに住み、ユークリッド街バプティスト教会に出席していた)の目に留まった。ロックフェラーは生涯の友人となり、この交際は様々な点でイートンの将来に影響した。1909年にニュージャージー州ワッチャングへ移り、生涯同地に居住した[1]

政治経歴[編集]

1924年、イートンは第69議会共和党から当選し、以後1952年まで13回連続で再選された。下院外交委員会(第80議会)の議長となり、対外援助分科会(第80議会)に属した。イートンは、米国政府の代表団の一員として、サンフランシスコで最初の国連憲章に署名した。数年間、彼は甥のウィリアム・ロブ・イートンコロラド州選出下院議員)と共に、議会に奉職した。

フランクリン・D・ローズヴェルト大統領のニュー・ディール政策には、断固として反対した[2][3]

政界引退の20日後、ワシントンD.C.で死去。スコッチ・プレーンズのヒルサイド墓地に埋葬された。

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外部リンク[編集]

議会
先代:
チャールズ・ブラウン
ニュージャージー州第4選挙区
1925年3月4日 - 1933年3月3日
次代:
D・レイン・パワーズ
先代:
パーシー・ハミルトン・ステュアート
ニュージャージー州第5選挙区
1933年3月4日 - 1953年3月3日
次代:
ピーター・フリーリングハイゼン・ジュニア