ダレイオス2世
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| ダレイオス2世 𐎭𐎠𐎼𐎹𐎺𐎢𐏁 | |
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| ペルシア王 | |
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ナクシェ・ロスタムの陵墓に描かれたダレイオス2世 | |
| 在位 | 紀元前423年 - 紀元前404年 |
| 別号 |
大王 諸王の王 諸邦の王 古代エジプト王 |
| 死去 |
紀元前404年 |
| 埋葬 | ナクシェ・ロスタム |
| 配偶者 | パリュサティス |
| 子女 |
アルタクセルクセス2世 小キュロス オスタネス オクサトレスなど |
| 王朝 | アケメネス朝 |
| 父親 | アルタクセルクセス1世 |
| 母親 | コスマルテュデネ |
| 宗教 | イラン宗教(ゾロアスター教?) |
ダレイオス2世(古代ペルシア語: 𐎭𐎠𐎼𐎹𐎺𐎢𐏁 Dārayavauš ダーラヤワウシュ、古代ギリシア語: Δᾱρεῖος Dāreîos ダーレイオス、? - 紀元前404年)は、アケメネス朝ペルシア帝国の王(在位:紀元前423年 - 紀元前404年)。
本名はオコス(古代ギリシア語: Ὦχος Ôkhos オーコス)である。王アルタクセルクセス1世の息子(母はバビロニア出身の側室コスマルテュデネ)で、息子には次代の王となるアルタクセルクセス2世と、後に兄王に反乱を起こした小キュロスのほか、オスタネス、オクサトレスの4人がいる。
ヒュルカニア総督であったオコスは兄王クセルクセス2世を殺害した兄王ソグディアノスを殺害して王ダレイオス2世として即位したとされる。ダレイオス2世は異母妹のパリュサティスと結婚したが、彼女の残酷な性格が災いして宮廷内が腐敗し、ペルシア国内で反乱が相次ぎ、更にエジプトが反乱を起こして事実上独立した。だが、ギリシアでのアテナイ連合軍とスパルタの戦いであるペロポネソス戦争でアテナイが敗北すると、サトラップであるティッサフェルネス、ファルナバゾス、息子のキュロスらの活躍もあり、スパルタと手を結びギリシア諸都市を奪回し、治世はかろうじて保たれた。
紀元前404年にダレイオス2世は崩御し、息子のアルタクセルクセス2世が王位を継いだ。
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