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ターラント公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ターラント公国
Principato di Taranto
プッリャおよびカラブリア伯領 1088年 - 1465年 ナポリ王国
ターラント公国の国章
(国章)
ターラント公国の位置
1154年ごろのシチリア王国とターラント公国
公用語 ラテン語ギリシャ語
首都 ターラント
1088年 - 1111年 ボエモン1世
1463年 - 1465年イザベル
変遷
建国 1088年
イザベル・ド・クレルモンの死1465年3月30日

ターラント公国イタリア語:Principato di Taranto)は、中世に南イタリアにあった公国。

概略

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ロベルト・イル・グイスカルドの長子ボエモン1世とその弟ルッジェーロ1世の間のプッリャ公位をめぐる争いの後、和平の一環として1088年にボエモン1世が南イタリアに建国し成立した。

公国はプッリャのかかと部分のほとんどを占め、ターラントが首都となった。その後の377年間の歴史の中で、シチリア王国(および後にナポリ王国)の強力でほぼ独立した封建領地であった時期も、また王位継承者または女王の夫に与えられた称号にすぎない時期もあった。 アンジュー=シチリア家が分裂したとき、ターラントはドゥラッツォ家のものとなった(1394年 - 1463年)。

ナポリ王フェルディナンド1世は妃イザベル・ド・クレルモンが死去した後、ターラント公国をナポリ王国に併合した。公国自体は消滅したが、歴代ナポリ王はターラント公の称号を自身の息子たちに与え、その最初の例がイザベルの息子で後にナポリ王となるアルフォンソ2世であった。

歴代ターラント伯

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歴代ターラント公

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  • 1266年 - 1285年 カルロ1世 - マンフレーディを倒し、教皇よりシチリア王とされた
  • 1285年 - 1294年 カルロ2世 - カルロ1世の子、ナポリ王
  • 1294年 - 1331年 フィリッポ1世 - カルロ2世の子、名目上のラテン皇帝
  • 1331年 - 1346年 ロベルト - フィリップ1世の子
  • 1346年 - 1364年 ルイージ - フィリップ1世の子、ナポリ王
  • 1364年 - 1374年 フィリッポ2世 - フィリップ1世の子、名目上のラテン皇帝
    • 1356年 フィリッポ3世 - フィリッポ2世の子、早世

ボー(デル・バルツォ)家

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参考文献

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  • O. Casanova. Il Principato di Taranto e gli Angioini. Taranto 
  • G. C. Speziale (1930 (rist. 1979)). Storia militare di Taranto negli ultimi cinque secoli. Bari 
  • G. M. Monti (1928). La condizione giuridica del Principato di Taranto. Bari: Tipografia Cressati 
  • Autori varî (1994). Il Principato di Taranto dai Normanni agli Angioini. Manduria (Taranto): Industria grafica Tiemme 
  • Luigi Madaro (1926). Le origini del Principato di Taranto. Alessandria: Industria Grafica O. Ferrari & Co.