ボエモン1世 (アンティオキア公)

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ボエモン1世
Bohemund I
アンティオキア公
Bohemond I of Antioch (by Blondel).jpg
在位 1098年 - 1111年

出生 1058年
サン・マルコ・アルジェンターノ
死去 1111年3月3日
サン・マルコ・アルジェンターノ
配偶者 コンスタンス・ド・フランス
子女 ボエモン2世英語版
王家 オートヴィル家
王朝 オートヴィル朝
父親 プッリャ・カラブリア公ロベルト・イル・グイスカルド
母親 アルベラーダ・ド・ブルゴーニュ
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アンティオキアを攻略するボエモン、ギュスターヴ・ドレ

ボエモン1世Bohemund I, 1058年頃 - 1111年3月3日)は、第1回十字軍の指導者の一人で、後にアンティオキア公

生涯[編集]

ノルマン人のプッリャ・カラブリア公ロベルト・イル・グイスカルドと彼の最初の妻アルベラーダの長男として生まれる。おそらくサン・マルコ・アルジェンターノの父ロベルトの城で生まれたために、「マルコ」と名付けられたが、彼の背がとても高かったことから伝説上の巨人の名になぞらえて「ボエモン」と呼ばれた[1]

当初、父の東ローマ帝国遠征に従い、ギリシアで戦う。1085年の父の死後、異母弟のルッジェーロ・ボルサがプッリャ公を継いだため、ターラント公になる。

南イタリアのノルマン騎士たちを集め、甥のタンクレードを連れて1096年の第1回十字軍に参加し、ゴドフロワ・ド・ブイヨンレーモン・ド・サン=ジルとともに事実上の指導者の一人になる。アンティオキア攻囲戦における指導など、第1回十字軍の成功は彼の手腕に帰すと考えられるものも多いが、エルサレム攻囲戦には加わらず、アンティオキア公になる。ボエモンはアンティオキア公国エルサレム王国以上の大国にするつもりだったが、1100年アナトリアのイスラム地方政権ダニシュメンド朝に敗れ(メリテネの戦い)、1103年まで捕虜となった。また1104年にはハッラーンの戦いでもムスリムに敗れた。その間に、東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスの支援を得て、トゥールーズ伯レーモントリポリトリポリ伯領を創設し、アンティオキア公国の拡大を防いだ。その後、兵力を募るために一旦ヨーロッパに戻り、1105年フランス王女コンスタンスフィリップ1世の長女)と結婚し、東ローマ帝国と争ったが結局敗れて、その宗主権を認め、1111年に失意のうちに死去した。

摂政を務めていたタンクレードがアンティオキア公位を継いだものの彼も程なく亡くなり、続いてボエモン1世の息子のボエモン2世英語版が後を継いだ。

子女[編集]

フランス王フィリップ1世の娘コンスタンスとの間に1男をもうけた。

人物[編集]

東ローマ帝国のアレクシオス1世コムネノスの皇女アンナ・コムネナは彼女の著書『アレクシオス1世伝』の中で、十字軍を「野蛮人が大挙してやってきた」と記しているが、ボエモンには何か魅かれるものがあったらしく、以下のようにボエモンについては詳細な記録を残している。

「背が高く、広い肩幅、引き締まった身体。金髪、肌は白く、少し赤味を帯びた顔、碧眼で、その瞳には高貴さと威厳がある。すべすべと顔をそり、頭髪は耳のあたりで短く刈っている。この男には恐怖感を感じさせる一方で、何とも言えない魅力があり、機知に富み、よく事情に通じ、断固とした言葉を交わす。」「この男に優る資質の持ち主と言えば、私の父である皇帝だけであろう。」

脚注[編集]

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  1. ^ The Editors of Encyclopædia Britannica (2016年). “Bohemond II Prince of Antioch”. Encyclopædia Britannica, Inc.. 2017年6月25日閲覧。

参考文献[編集]

  • Yewdale, Ralph Bailey (1917年). Bohemond I, Prince of Antioch (PhD thesis). https://archive.org/details/bohemondiprinceo00yewduoft 
  • Asbridge, Thomas (2000). The Creation of the Principality of Antioch, 1098-1130. Boydell Press. ISBN 978-0-85115-661-3. 
  • Barber, Malcolm (2012). The Crusader States. Yale University Press. ISBN 978-0-300-11312-9. 
  • Brown, Gordon S. (2003). The Norman Conquest of Southern Italy and Sicily. McFarland&Company, Inc.. ISBN 978-0-7864-1472-7. 
  • Conti, Emanuele (1967). “L'abbazia della Matina (note storiche)”. Archivio storico per la Calabria e la Lucania 35: 11–30. 
  • Fink, Harold S. (1969). “The Growth of the Latin States, 1118-1144”. In Setton, Kenneth M.; Baldwin, Marshall W.. A History of the Crusades, Volume I: The First Hundred Years. The University of Wisconsin Press. pp. 368–409. ISBN 0-299-04844-6. 
  • Luscombe, David; Riley-Smith, Jonathan (2004). The New Cambridge Medieval History: Volume 4, C.1024-c.1198, Part II. Cambridge University Press. 
  • Nicol, Donald M. (1992). Byzantium and Venice: A Study in Diplomatic and Cultural Relations. Cambridge University Press. ISBN 0-521-42894-7. 
  • Norwich, John Julius (1992). The Normans in Sicily. Penguin Books. ISBN 978-0-14-015212-8. 
  • Runciman, Steven (1989a). A History of the Crusades, Volume I: The First Crusade and the Foundation of the Kingdom of Jerusalem. Cambridge University Press. ISBN 0-521-06161-X. 
  • Runciman, Steven (1989b). A History of the Crusades, Volume II: The Kingdom of Jerusalem and the Frankish East, 1100-1187. Cambridge University Press. ISBN 0-521-06162-8. 
  • Tyerman, Christopher (2006). God's War: A New History of the Crusades. The Belknap Press of Harvard University Press. ISBN 978-0-674-02387-1. 

関連項目[編集]

先代:
-
アンティオキア公
1098年-1111年
次代:
ボエモン2世
先代:
-
ターラント公
1088年-1111年
次代:
ボエモン2世